
幾世紀もの年齢を重ねた教会
宿泊したビジャビシオサ(Villaviciosa)から車で約15分、オビエド(Oviedo)の街からだと約40分。アストゥリアス州特有のなだらかで緑豊かな美しい場所にサン・アンドレス教会はひっそりと建っていた。
アストゥリアス州の教会によくみられる雨除け廊下があるが、教会の後ろ側に着いたせいか小さくて地味な教会という印象を受けた。車から降りてぐるっと教会の周りを歩いてみると、第一印象とは異なり興味深い装飾が施されていた。教会の入口には、建設当初にはなかったと思われる小さな家が隣接し、その屋根部分が教会の入口を覆いかぶさっていて雨風から防御するという役目を担っているようだ。

木造切妻屋根の長方形の身廊と正方形の聖堂(または頭部呼ばれているCabecera)からなる、平面も立面もアストゥリアス州の伝統的なモデルに従ったシンプルな構造だ。正方形の聖堂(または頭部呼ばれているCabecera)は、アストゥリアス州ではセブラジョのサンタ・マリア聖堂(Templo de Santa María de Sebrayo)やビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)、カモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)等にも見られる共通した形である。これは、プレロマネスク様式でアストゥリアス地方特有のアストゥリアス文化教会の特徴の一つでもある。
ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)については、こちらもどうぞ。
1189年に建設された聖アンドレス教会は800年以上もの年齢を重ね、1965年に国定史跡に指定された。
献堂を記念する記念碑
1189年に建設されたと述べたが、聖アンドレス教会はその献堂を記念する記念碑が側壁のひとつに埋め込まれて現在まで残っているため、正確なその起源が分かっている。これは、アストゥリアス州にある中世の教会には珍しい事で、その大部分はその起源を特定するために、文書資料に頼るか、あるいはその様式的・形式的特徴に基づく推測に頼る必要がある。(ARTEGUIASより)

教会の献堂を記念する記念碑にはラテン語で次のように記されている。
† MARTINVS † PSB´ PECATOR †
ET FILII ECCLESIE PATER NSR QVI ES I CELIS
IN ERA CˆC XˆX VˆII POST MLˆA EPS RODERICVS
CONSECRAVIT PRIMA ?NA ? AGVSTVS PETER NSR
これをスペイン語にすると、
“Martín, sacerdote pecador, y los hijos de la iglesia.
Padre nuestro que está en los cielos. En la Era MCCXXVII
(año 1189 d. C.), la consagró el obispo Rodrigo, el primer
domingo de agosto. Padre Nuestro”.
日本語では、
マルティン、罪深い司祭、そして教会の子供たち。
天にまします我らの父よ。MCCXXVII年
(西暦1189年)、8月の第1日曜日にロドリゴ司教によって奉献された。
我らの父よ
つまり、1189年8月の第1日曜日に、司教ロドリゴが、司祭マルティンと数人の教区民の立会いのもとで奉献したと記されている。(romanicodigital より)

南側入口の真上には、上の写真でもお分かりになるように長方形の一枚岩の彫り物がある。下の写真のように、その内側には菱形の格子状に、中央の2つの菱形にギリシャ十字(横木と軸木が同じ長さ)と、様式化された植物のモチーフまたは権威の象徴としての杖の横に鳥が刻まれている。両脇の三角形には、木から啄ばむハトの対が描かれている。ハトは、キリスト教の中では三位一体(父・子・聖霊)の第三位である聖霊を表すものであり、また、謙虚さや、甘美さを象徴するものでもある。しかし、この彫り物にどのような意味が含まれているのかは調べてみたが分からなかった。

教会入口
聖アンドレス教会の正面入口には、幾何学的なモチーフ、ジグザグ状の模様、網目模様や半円、植物のモチーフなどが組み合わされている3本のアーキヴォルトが目を引く。そして、保存状態の悪い、非常に稚拙な不器用で粗い浮き彫りが施されており、そこには人や動物たちの姿が見える。これは、当時の人達の娯楽や日常的な活動をモチーフにしたもので、踊り子や音楽家が登場する吟遊詩人、騎手や狩人が登場する狩猟などである。(Rutas Romanicas より)

入口のアーキボルトに施されている様々な模様の中で特に目を引くものとしては、ジグザグ状の模様だろう。手元にある「Iconografía y Simbolismo Romanico(ロマネスクの図像とシンボリズム)(筆者訳)」によると、ジグザグ状の模様は太陽・日光を表していて、「キリストは全ての人を照らす光である」ということを表している。そしてヨハネによる福音書の中で「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。」とあるように、「門」「光」すなわち「キリスト」を表現しており、キリストが、この門をくぐって教会に入る信者の魂を救済してくれるのである。
また「romanicodigital 」によると、このジグザク状の模様はノルマン人由来の斬新なモチーフだったということだ。これは、ノルマン人、イギリス人、アイルランド人などが交易をするためにアストゥリアス州のカンタブリア海岸にやってきたことにより、大西洋起源のモチーフがもたらされたものである。今はあまり人の行き来も無いような小さな村であるが、12世紀の当時はもっと活気ある村だったのかもしれない。
柱頭は4つあるが、左側の柱頭にはアカントと思われる植物が施され、右側の柱頭には2羽の鳥が頭を合わせ、足を交差させているものと、頭部が一つ、体は二つのライオンが施されている。


図像学的に、貪食性のライオンのテーマは、再生による救いのメッセージと関連している。このメッセージは、鳥たちにも暗黙のうちに含まれている可能性があり、鳥に象徴される魂の転換を表現しているのだろう。(romanicodigital より)
ということは、左側のアカントによりキリストの「死と復活」を表し、右側の鳥とライオンで、「魂の再生による救済」を表していると考えられるだろう。
最後に
今回、聖アンドレス教会 の中には入れなかったため、内部の様子を見ることができなかった。調べてみると、内部もかなり興味深いようで見れなかったのは残念だった。

アストゥリアス州でもロマネスク様式が12世紀には定着していたとみられているが、この聖アンドレス教会が12世紀後半に建築されてことを鑑みると、完全なロマネスク様式であって然るべきである。しかし、この教会の祭壇の壁画には、プリエスカの聖サルバドール教会(San Salvador de Priesca)やロス・プラドスの聖フリアン教会(San Julián de los Prados)にも見られるアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)の教会から着想を得たものが描かれているため、アストゥリアス文化(プレロマネスク様式)の建築の伝統と、聖アンドレス教会があるビジャビシオサ地域とその他の地域で確立されたロマネスク様式と後期ロマネスク様式を繋ぐものの一つと考えられている。(romanicodigital、ARTEGUIASより)
プリエスカの聖サルバドール教会(San Salvador de Priesca)については、こちらもどうぞ。
内部を見たい方はこちらをどうぞ。
識字率が極端に低かった12世紀の人々にとって、視覚的なもので神の言葉やキリスト教の教義を知ることはとても重要であったはずである。バルデバルセナスの聖アンドレス教会では、毎回信者が教会の門をくぐる度に人間が犯した罪(原罪)を贖うために十字架に付けられたキリストの死とその復活を思い出させ、教会を訪れる者たちの魂が救済され、神の国での永遠の命について知らしめていたのだろう。
参考
・こちらのサイトによると、教会は7月と8月の月曜日と木曜日のみ内部を見れるようだ。時間も午後5時から7時までと短い時間帯なので気を付けてほしい。
https://www.turismovillaviciosa.es/iglesia/san-andres-de-valdebarcena/villaviciosa
・こちらのブログはスペイン語だが、内部の写真も多く掲載されている。
https://asturgeografic.blogspot.com/2019/09/san-andres-de-valdebarcena.html
・ビジャビシオサ(Villaviciosa)出身の José Cardín Fernández (1905-1992)財団の公式サイトにも聖アンドレス教会が紹介されている。