ロマネスクへのいざない (13)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (10)– モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)

ピクニックでもできそうな気持のよい場所にヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) はある (写真: 筆者撮影)

スペインの文化遺産にも指定されているヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)は、12世紀後半(1170年以降)に建てられたロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)の古い教会である。現在、この修道院は存在せず、その名前だけがこの土地の名前となって残っているにすぎない。

10世紀頃からこの土地に修道士たちが住み始め、ローマ街道から少し離れた、泉のそばにこのロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)が建てられたが、ここから40km程離れたオニャ修道院(Monasterio de Oña)に1063年に併合された。

今回、事前予約など無しでこの礼拝堂を訪れたため、礼拝堂自体は閉まっていて中には入ることはできず残念だった。ここでは、礼拝堂の外観について見てみる。

オリジナルな礼拝堂

モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)は、「スペインで建設されたロマネスク様式のバシリカの中で最も優れた例である」、とウィキペディアには紹介されている。更には、「東洋と西ゴートの影響を受けた12世紀の無名の芸術家たちの優しい手から生まれたままの姿で、きれいに保存されている」と続く。

ここで言う「バシリカ」とは、長方形の建物でキリスト教の教会堂の建築形式である。特徴としては、身廊、側廊があり、入口から入って身廊に入りその突き当りにアプス(後陣)と呼ばれる祭壇がある部分がある。基本的には、アプス(後陣)は、イエスが生まれた方向であり、イエスの「私は光である」という言葉から光(太陽)が生まれる方向、つまり東側に位置するように造られ、教会への入口は西側に位置していた。

ところが、理由は分かっていないらしいが、このヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)の礼拝堂への入口は西側ではなく、北側に位置している。

まるで大きな半円の素描のような三つのアーチ(写真: 筆者撮影)

また、アプス(後陣)は半円形の形をしている。ここの礼拝堂も通常の半円形を成しているが、その半円形に三つの大きなアーチ型をした線が描かれ、各々のアーチの中に細長い窓が造られていて、とても動きのある軽快なイメージを受ける。一般的なアプス(後陣)がもっとどっしりとしたイメージを与えているだけに、この礼拝堂のアプス(後陣)のオリジナル性は際立っている。

幾つか他のロマネスク様式のアプス(後陣)も紹介して比較してみよう。

こちらは、同じブルゴス県にあるサン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)。途中から柱が細くなっていてほっそり感かつ優雅な雰囲気が出ている。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

こちらも同じブルゴス県にあるビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)。もっとでシンプルかつ重厚感を与えている。

ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

最後に比較してみるのは、アストゥリアス地方にあるアマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)。こちらも上のビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)に似ていて、重厚感を与えている。三層に区切ってあるのは、ここのアプス(後陣)の特徴でもある。

アマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

比較してみるとお分かりになると思うが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)はロマネスク様式のアプス(後陣)の中でも新奇な趣向を見て取ることができる。

北側にある入口

北側にある入口を見てみよう。

北側に位置する教会の入口(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

入口のアーキボルトは三層から成っていて、ほんの少し先が尖っているのが見える。これは、この後に訪れる初期ゴシック様式への過渡期であり、黎明期の到来を表している。実際、この入口は12世紀後半のもので、この頃にはスペインにも少しづつゴシック様式の波が押し寄せていた。しかしその装飾は、ビザンチン文化の影響を受けたロマネスク様式のものである。

円柱の4つの柱頭は、ロマネスクではお馴染みの鳥とライオンの姿が見える。そして入口を見てまず目に留まるのは、矢張り入口の左右に彫られているライオンの頭部だろう。なかなか表情豊かで印象的である。これは、「教会の番人としてのライオン」を表していて、教会に入る人々に、神聖な場所にいることを警告し、態度を改め、適切な態度を取らなければならないことを示している。

ライオンというよりまるで鬼の顔のよう(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この教会の番人としてのライオンは、あまりに実際のライオンとはかけ離れた顔つきのような気もするが、忘れてはいけないことは、ロマネスクの時代には、本物のライオンを見たことがある人はおそらく一人もいなかったであろうことだ。というのも、ヨーロッパには今も昔もライオンはいない。今のようにテレビやインターネットでライオンの姿を見ることが容易であったわけではない。まして、動物園等ない当時、本物のライオンにお目にかかれる機会など全くなかったのである。全てのこのような動物は石工達の想像上の動物、またはそれ以前に描かれていた絵等の資料を基にして作られたのであった。

魅力的な持ち送り(Canecillos または Modillones)

前述の北側の入口の屋根部分にも見えるが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)には、スペイン語でカネシージョス(Canecillos)またはモディジョネス(Modillones)と呼ばれる24の持ち送りがある。通常、ロマネスク様式における持ち送りは身廊や後陣、入口の瓦屋根の下にあり、張り出した屋根部分を支える機能を担っていると同時に、装飾としての役目も担っていた。

ロマネスクにおけるライオンに与えられた象徴的な意味は多岐にわたっている。その上、前述した「教会の番人としてのライオン」というような良い意味だけではなく、悪い意味を象徴するものとしてもその姿が用いられてきた。例えば、「悪魔の化身」としてのライオンや貪食な動物であるというイメージからくる「死」や「精神的な死」をも意味していた。(「ロマネスクの図像と象徴(筆者訳: Iconografía y Simbolismo Románico de David de la Garma ramíez、出版社: arteguias)」より)

ライオンだろうか。歯を見せて笑っているようなユーモラスな表情は魅力的。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
鋭い嘴からワシではないかと思われる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
流石に犬は本物の犬の姿をしていて分かりやすい(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

人間を描いた持ち送りも多数見られる。

人間の胸像、職業や活動を示すもの(ハンマーを持った鍛冶屋や大工、バイオリンを持った音楽家、裸の男(おそらく男根)などがそれに当たる。

ハンマーを持った鍛冶屋(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
背中合わせの男女だろうか?小首をかしげる女性の姿は惹きつけられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
楽器を弾く男。バイオリンだろうか?(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
こちらは裸の男。破損しているが男根とみられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

東方の影響

南側の浮き彫りには、聖母マリアと幼子イエスが描かれており、マリアが戴冠する「知恵の王座(ラテン語ではセデス・サピエンティアエ(Sedes Sapientiae))」というビザンチン様式の伝統的な正面配置になっている。残念ながら幼子イエスの彫刻は事実上失われている。

東方のビザンチン文化の影響を受けた聖母マリアと失われた幼子イエス
(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

一つの建築物の中に様々な文化・様式が融合され、調和を持った教会へと仕上げられている所はこのヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂の魅力の一つであろう。

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

・youtubeでいろんな角度から見たヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂が見えます。

・こちらは、礼拝堂の中も見れる youtube。

参考

・カステージャ・イ・レオン州の公式観光案内ウエブサイトには、コンタクトの電話番号があります。内部も見学したい方は、事前に連絡されて訪ねることをお勧めします。2023年11月現在で確認した限りは、冬の期間11月~3月くらいまでは基本的には中を訪れることはできないとのことでした。冬の季節以外は、週末にガイド付き(今のところスペイン語のみ)で中を見学できるが、事前予約が必要とのことでした。

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-senora-valle

諸聖人の日(Día de Todos los Santos)に食べるスペインのお菓子色々

毎年11月1日は、「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」としてスペインでは祝日です。これは、カトリック教会の祝日の一つ全ての聖人と殉教者を記念する日で、古くは「万聖節」と呼ばれていました。そして翌日11月2日は死者の日に当たります。既にこの世を去ってしまった家族や友人などに思いを馳せながら、お墓参りをしたり家族で集まって故人を偲んだりします。日本のお盆のようなものと考えてもらえば分かりやすかもしれません。

家族が集まれば、矢張りみんなでワイワイ語りながら食事やお菓子を食べるのはどこの国でも同じこと。日本では、昔に比べるとお盆をお祝いする習慣は廃れてきていると思いますが、それでも地方などではお盆には家族で集まり食事をしたり、落雁を食べる機会もあるでしょう。ここスペインでもこの日はいろいろなお菓子を食べる習慣があります。今回は、諸聖人の日(Día de todos Los Santos)に食べる様々なスペインのお菓子を紹介します

ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)

左側のものは、ココナッツを使い形も骨っぽく仕上げています(写真: 筆者撮影)

「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」というは、「聖人の骨」という意味です。日本人の感覚からはちょっと驚きの名前ですが、スペイン人にとっては愛情をこめて死者を象徴する「骨」を食べているようです。もともとカトリック教会では、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品を「聖遺物(Reliquia)」として大切に保管し、聖人とその遺物に加護と神への取り次ぎを求める願掛けや治癒の奇跡を含む様々な宗教実践が形成されてきました。(ウィキペディアより)もしかすると、「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」という「聖人の骨」を表したお菓子を食することにより、庶民のささやかな願掛けや病気で苦しんでいる人の治癒の奇跡を望む切実な願いが込められていたのかもしれません。

ちょっと敬遠したくなるような名前のお菓子ですが、アーモンドの粉と砂糖を練り合わせたマジパンの中に卵黄を使ったクリームが入っていて、結構食べ応えのあるお菓子です。「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」の最初のレシピとしては、1611年、スペイン王フェリッペ2世の厨房責任者フランシスコ・マルティネス・モンティーニョ(Francisco Martínez Montiño)著書「料理・菓子・スポンジケーキ(ビスコッチョ)・保存食の方法『Arte de Cocina, Pastelería, Vizcochería y Conservería』」(筆者訳)に記載されていました。

私が住むカステージャ・イ・レオン州では、「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」に食べる定番のお菓子ですが、スペイン中色んな所で食べられているようです。マジパンの生地に様々な味と色を付けてカラフルな「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」が最近では出回っています。

上からオレンジ味、キーウィ味、イチゴ味の「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」(写真: 筆者撮影)

ブニュエロス・デ・ビエント(Buñuelos de viento)

諸聖人の日(Día de todos los Santos)には欠かせないブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento)(写真: 筆者撮影)

ブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento)は、ピンポン玉程の大きさで一口サイズの揚げシュークリームです。とても美味しく手食べやすいサイズということも手伝い、ついつい何個でも食べてしまう魅惑のお菓子です。(笑) 

ブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento) の「ブニュエロス (Buñuelos)」は、小麦粉を使った生地を丸めて油で揚げたお菓子のこと、「ビエント(Viento)」は、「風」という意味ですが、ここでは「デ・ビエント (de viento)」で、「膨らんだ(hinchados)」という意味です。この揚げ菓子の中にカスタードクリームやスペインではカベージョ・デ・アンヘル(Cabello de angel)と呼ばれている金糸瓜(またはそうめんかぼちゃ)を使ったクリーム、チョコレートクリームや生クリーム等が入っています。

諸聖人の日(Día de todos los Santos)に食べるお菓子の中でも一番ポピュラーなお菓子です。私が住むサラマンカでは、美味しいお菓子屋さんに前もって予約して10月31日頃から買って食べている人が多いようですね。

パネジェッツ(Panellets)

カタルーニャ州・バレンシア州・バレアレス諸島等で最も伝統的かつポピュラーなお菓子で、アーモンドを使った小さなマジパンに様々な風味を加えてあり、色んなバリエーションを楽しめます。

ちなみに、「パネジェッツ(Panellets)」は、欧州連合(EU)の品質認証に登録され、スペインの「本物の美味しさ」を保証している「伝統的特産品で美味しいもの」の一つに認証されています。これは、伝統的特産品保証(TSG=Traditional Specialties Guaranteed)と呼ばれるもので、本物の「パネジェッツ(Panellets)」は、マジパンに、アーモンド以外のでんぷん(ジャガイモまたはサツマイモ)やリンゴを加えることや保存料、着色料の添加は禁止されていて、伝統的かつ安全な食べ物であることが保証されています。(スペイン農業・漁業・食品省のウエブサイト「伝統的特産品保証TSG(Traditional Speciality Guaranteed)」参照) 但し、お店などで売っているものは、サツマイモが入っているものが一般的のようです。

前述の通り「パネジェッツ(Panellets)」にはバリエーションが多く、カタルーニャ州・バレンシア州・バレアレス諸島に訪れる機会があれば、「パネジェッツ(Panellets)」の食べ比べをされるのも一興でしょう。代表的な「パネジェッツ(Panellets)」を紹介します。

バリエーション豊かで可愛いパネジェッツ(Panellets)」(写真: Wikipedia Domain)

両端 パネジェッツ・デ・ピニョネス(Panellets de piñones)

「パネジェッツ(Panellets)」はカステジャーノ語(一般的にスペイン語と呼ばれている言葉)では、エンピニョナードス (Empiñonados) と呼ばれています。松の実(ピニョネス-Piñones)をマジパンの周りにまぶしてあります

右から4列目 パネジェッツ・デ・カフェ(Panellets de café)

前述のスペイン農業・漁業・食品省のウエブサイト「伝統的特産品保証TSG(Traditional Speciality Guaranteed)」によると、アーモンドと砂糖のみのマジパンに挽いたコーヒーと焦がした砂糖を加えて茶色のコーヒー色に仕上げ、アイシングシュガーでコーティングした後、オーブンで焼きます。コーヒー豆を模した可愛い「パネジェッツ(Panellets)」もありますよ。

右から5列目 Panellets de almendra

こちらは、松の実の代わりにアーモンドをマジパンにまぶしたものです。

真ん中 Panellets de coco

マジパンにもココナッツが入っていて、周りにもココナッツをまぶしてあり、とんがり帽子のように先っぽを尖らせた形に作ってあります。

「パネジェッツ(Panellets)」は、カタルーニャ州・バレンシア州・バレアレス諸島等のお菓子なのでこの地方以外ではなかなか見つかりません。もし、これらの州に行かれる機会があれば、是非ご賞味ください。一口サイズのバラエティー豊かな「パネジェッツ(Panellets)」は、日持ちも良いものも多いのでお土産に買って帰るのもお薦めです。

焼き栗(Castañas asadas)

最後に紹介する「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」の日に食べるお菓子は「焼き栗」です。

11月は栗の季節です。この時期になると街角で焼き栗を売っていますが、栗のお祭りが各地で開催されます。スペイン北部で催される「マゴスト(Magosto)」やスペイン東部の「カスタニャーダ(La Castañada)」のお祭りが有名どころでしょうか。私が住むサラマンカでも県内各地でそれぞれの栗祭りを楽しんでいます。10月31日から11月11日の間に開催される所が多く、11月1日の「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」にも焼き栗を食べる習慣があります

もし、この時期にスペイン北部やスペイン東部を訪れる機会がある方は「マゴスト(Magosto)」や「ラ・カスタニャーダ(La castañada)」のお祭りに参加されると面白いと思います。

「焼き栗 (Castañas asadas)」自体はスペインの冬の風物詩で、クリスマス明けくらいまではスペイン各地の街角で焼き栗を売っているので、冬の間にスペインを訪れる方は、是非街角で焼き栗を買って食べてみてくださいね。木枯らしが吹く中、焼き立ての栗を食べるのはいかにもスペインらしく、スペインの秋から冬の楽しみの一つです。

最後に

「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」という11月1日前後の短い期間のみにしか売っていないお菓子もあるので、この時期にスペイン訪問される方は「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」のお菓子を是非食べてみてください。旅の良い思い出になること間違いなしです!

参考

・欧州の「本物の美味しさ」を保証する認証制について興味のある方は、在日欧州連合代表部の公式ウエブサイトをご覧ください。

https://eumag.jp/issues/c1013/

・伝統的特産品保証(TSG=Traditional Specialties Guaranteed)、スペイン語では「TSG(Traditional Speciality Guaranteed)」について興味のある方は、スペイン農業・漁業・食品省のウエブサイトをご覧ください。

https://www.mapa.gob.es/es/alimentacion/temas/calidad-diferenciada/etg/Panellets.aspx

秋から冬のスペイン街角の風物詩-焼き栗(Castañas asadas)

10月も半ばを過ぎ、そろそろ本格的な栗の季節到来です!

この時期になると、スペインの街角ではカスタニェーロ(Castañero)と呼ばれる焼き栗を売る人が栗を焼いている姿をあちこちで見ることができます。新聞紙を円錐形にクルっと作り、12個の焼き栗を売ってくれます。勿論もっと沢山買いたい場合はもっと多い量の焼き栗を売ってくれますが、一般的には、円錐形の新聞紙に12個入りの焼き栗がスペイン人一人が買う焼き栗の量です。特に寒い日には、焼きたての栗を剥いて食べながら散歩する人や、子供に焼き栗を買ってあげる親の姿をよく見ます。日本では町中での立ち食い・歩き食いはお行儀が悪く敬遠されますが、こちらではとてもよくある秋から冬の風物詩です。

カスタニェーロ(Castañero)が作る焼き栗を家でも再現したいと、この時期になると我が家ではよくオーブンで焼き栗を作ります。オーブンがない場合は、フライパンでもできますよ。

焼き栗(Castañas asadas)

材料:4人分

・栗            約500g                

作り方

1.栗に切り込みを入れる。(焼いている間に栗が破裂しないように)

切り込みの入れ方は十字でもよし、縦切り・横切りでもよし、栗の端っこを少し削ぎ切りしてもよし(写真: 筆者撮影)

2.オーブン用の皿に重ならないように並べる。

できるならば大きさを揃えた方がいいのですが・・・(写真: 筆者撮影)

3.200℃に予熱したオーブンで20~25分焼く。(オーブンによっては多少時間が異なるので、途中で焼け具合を見てみる)

4.焼きあがっていたら、オーブンから出して熱いうちに皮をむいて食べる。

焼きたての方が皮がむきやすいですね(写真: 筆者撮影)

熱々の栗なので、火傷しないように軍手などをして皮をむいてくださいね。ホクホクしてとても美味しい焼き栗が簡単にできますよ。寒くなったら是非試してみてください。

ロマネスクへのいざない (12)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (9)– ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)

16世紀に再建されたので外観はロマネスク様式のものとは異なる

ブルゴス市から約20㎞、ミニョン・デ・サンティバニェスという村に聖ペドロ教会はある。この同じブルゴス県にある1011年に設立されたベネディクト会修道院の聖サルバドール・デ・オーニャ修道院に残っている文書によると、ミニョン・デ・サンティバニェスという村の起源は11世紀まで遡る

聖ペドロ教会は、後期ロマネスク様式時代に当たる12世紀の終わりから13世紀の初めにかけて建設された。そのため、ロマネスク様式とは言え、入口の門部分がゴシック様式の影響も受けてわずかながら尖っている。そして、教会は16世紀に再建され、ロマネスク様式はこの入り口部分と教会の中にある洗礼盤のみが残っているのみである。再建された際、出入り口に厚いバットレスが建てられたため、アーキボルトを支える柱頭や入口の門の一部が切断された。もう少し、オリジナルであったロマネスク様式の入口を尊重して完全な形で保存してほしかったと惜しまれるが、今ではなすすべもない。

ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会は、1983年にはスペインの文化財に指定されている。

なんて漫画チック‼

入口の前に来て、入口に彫られているモチーフを見て「なんて漫画チックな彫り物!」というのが第一印象だった。百聞は一見に如かず、とにかく下の写真をご覧いただきたい。

ロマネスク様式の特徴の一つである半円形の入口のとっぺんが心持ち尖っているのはゴシック様式への過渡期であったため

今まで見てきたロマネスク様式の彫り物の中でも、これほど漫画チックなものは見たことはない。今回のブルゴス県のロマネスク様式の旅の中で見た彫り物の中でも異彩を放っている。一見稚拙な印象さえも与える。アーキボルトに施されている18人の姿は、日本の漫画で見たことがあるようなユーモラスで他のものとは一味違うものだ。もう少し近くから見てみよう。

日本の漫画に出てくるような彫り物でちょっと親近感を覚える (笑)

一般的にロマネスク様式の人物像は、施されている場所の空間による制限もあり、極端にバランスが取れていないものも見受けられるが、ここに彫られている楽師たちや書物を持つ人物像等はあまりにも頭でっかちで丸みを帯び漫画チックである。

一見稚拙だが一人一人存在感がありユーモラスな人たち

また、顔つきもちょっと現実離れしたまるでお化けのような顔つきだ。ちなみに、同じブルゴス県にあり同じく12世紀末に造られたアエド・デ・ブトロン村にある聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)に施されている楽師たちを紹介しよう。

こちらは天使の羽、洋服の襞(ひだ)、表情など細部にわたり緻密な彫り物が施されていて石工達の高度な技術が一目でわかる

同じ時代の、同じ地方の、同じロマネスク様式のものとはかなり違っていることがお分かりになるだろう。

これが何を意味するのか。この入り口を造った石工達が意図的にこのようなユニークな彫り物を施したのか、単に石工達の技術が未熟であったためこのような稚拙ではあるが面白み溢れる独創的な作品になったのか、色んな文献を当たってみたが答えになるものは見つからなかった。ただ、この漫画チックで一度見たら忘れられない入口を造った石工達は、後世に名前を残すこともなかった名もなき、しかし当時人気のあった地元の石工達によって造られたことだけは確かなようだ。

(アエド・デ・ブトロン村の聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)についてもっと知りたい方はこちらもどうぞ。)

ゾディアック-12個の神秘的なメダイヨン

もう一つ目を引くのは、入り口のアーチとして機能しているアーチボルトに施されている12個のメダイヨンだ。メダイヨンとは円形の浮彫装飾である。

1139年の第2ラテラン公会議で教会自身がモチーフを禁じることに決めた、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手の姿も見える。「射手座」を表しているのか?

それらの装飾は、四足獣、爬虫類、そして人間の姿を、常に円形の枠の形に合わせて描かれており、己の四肢の先端をつかまえたり噛んだりしているもの、S字型にデザイン化しているものなどが見られる。

ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会のすぐ近くにある家の教会管理人の方が、教会の簡単な説明が書かれた紙を1枚くれたが、その説明文の中には、装飾的発想に従ってこのようなモチーフを選択したのだろうとあった。

しかし他の研究者たちの意見として、天球上の12星座を示すゾディアックだろうという説もある。例えば、ライオンは「獅子座」、女性は「乙女座」、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手は「射手座」を意味する。だが、その他のモチーフについては説明できないものもあるとのことだった。

実際、ロマネスク様式の教会にはゾディアックが描かれていることがある。興味深いことは、星によって影響を受けるという占星術は、キリスト教の中では軽蔑すべき異教徒たちの迷信と考えられていた。では何故、天球上の12星座を示すゾディアックを教会の入口の装飾に使ったのだろうか?これは、天球上の12星座を示すゾディアックが示すものは、農業暦のようなものを指していると考えられている。つまり、ロマネスク芸術では、神が絶対的な支配者である1年の月の時系列的なサイクルであり、「時間の支配者である神」という意味が与えられていたのだ。(「Iconografía y Simbolismo Románico 」(「ロマネスク様式 図像と象徴」筆者訳) David de la Garma Ramíez 著 出版社 Arteguias より)

円形の枠の中に合わせたデザインの模様は緻密だ

最後に

アーキボルトに施されている18人のユーモラスで独創的な姿を彫った石工と、12個のメダイヨンのデザインし彫った石工は、全く異なる別の石工達の手による作品だと思われる。何故なら双方のスタイルがあまりにも異なるものだからだ。詳しいことは分からないが、当時の教会装飾に対する考え方や同時代・同地域であっても様々なモチーフが用いられてことは興味深い。

特筆すべき点として、前述した説明書によると、埃除け用覆いの役割を果たしている入口の最後のアーキボルトは3本の細いアーチ型で、ロマネスク様式としては珍しいタイプのアーキボルトで、ブルゴス県では唯一の例だとのこと。

まるで歯のような長方形の飾りの上に3本のアーキボルトがあるが、このようなタイプのアーキボルトはブルゴス県では唯一の例

私の注意を引いた別の点は、ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会の入口の柱の高さが他のものよりもかなり低いことである。私の背の高さ位だったので、160㎝程の高さだ。当時の人達にとっても、ちょっと背をかがめて教会に入らなけらばならない高さだったのではないだろうか。

18人の漫画チックな人物像にしても12個のメダイヨンに彫られているモチーフにしても謎だらけだが、何世紀にも亘りこの不思議なモチーフの門をくぐって教会に礼拝してきた村人たちの姿を想像したり、16世紀に再建した際、この入り口だけは壊さず残しておいたその当時の人達のこのモチーフに対する愛情などに想いをはせ、800年以上も昔に名も無き石工達が残した作品を歳月を超えて実際に自分の目で見れる幸運を感じた。

柱頭は劣化が激しいが、肉厚の葉や人魚が二股に分かれた尾をつかんでいる姿をかろうじて認識できる

情報

ここで紹介したミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方は下のブログを参考にして頂きたい。

・スペイン語だが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れる。最初に述べた、ロマネスク様式の洗礼盤の写真も掲載されている。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/MI%C3%91ON%20DE%20SANTIBA%C3%91EZ.pdf

ロマネスクへのいざない (11)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (8)– ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)

ブルゴス県のデマンダ連峰にある小さなビスカイーノス村は、ペドロソ川のそばにあり、標高1000mを超える所にある。私が目指したサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)は村へ入る道路に隣接して立っているので、すらっとした鐘楼がいきなり目の前に現れた。

アーチ型夫婦窓が美しい教会だ(写真: 筆者撮影)

この村は、この町を囲む広大な山岳地帯全体と同様に、9世紀末から10世紀にかけて政治的にも人口の面でも重要な位置を占めていた。そして、この時代はアストゥリアス-レオン王国とカスティージャ伯爵領の人口補充が進んだ時期とも重なる。(「arteguias」ウエブサイトより)

シエラ派 (Escuela de la Sierra) の職人たち

以前紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の最後にも言及したが、この地方には、シエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰があり、そこから由来する名前でシエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った職人たちがいた。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)についてはこちらをどうぞ。

このシエラ派(La escuela de la Sierra)の職人たちは、主に10世紀、11世紀、12世紀にかけて活躍した。そして12世紀にはその姿が消え始める。理由は、シロス修道院の回廊を作った4人の親方職人たちの覇権が強かったことに由来する。

水平な教会の単調さを破る高い塔、そして特にその彫塑的な造形(escultura monumental)はシエラ派(La escuela de la Sierra)の特徴として挙げられる。また、現在鐘楼としての役割を果たしている塔が、建設当初は防御の役割を担っていたことも特筆すべき点である

その他のシエラ派(La escuela de la Sierra)の教会について興味のある方はこちらもどうぞ。

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)の最初の教会は、プレロマネスク様式で9~10世紀に建てられたが、11世紀の終わりまたは12世紀の初めに、シエラ派 (La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスク様式のものに取って代わった。そして、12世紀後半には、同じロマネスク様式ではあるが別の流派であるシレンセ派(La escuela de la Silense)により、柱廊のある玄関(La galería porticada)と、鐘楼(La torre)が追加された。

近代に入り、何度か改修工事が行われた。最も重要なのは18世紀のことで、前述の回廊のある玄関(La galería porticada)が解体され、再建された

車を降りて教会の入口へ歩いていくと、先程目の前に現れたすらっとした鐘楼の姿のイメージとは全く異なる堂々とした姿が現れた。ただ、他のシエラ派(La escuela de la Sierra)による教会に比べ柱廊のある玄関(La galería porticada)は簡素だ。それでも、横の広がりと高い塔による縦への広がりの調和が美しい教会だ。

砂岩の石組みは濃い褐色、または深い紫がかったトーンもある色で、落ち着いた雰囲気がある(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

シエラ派(La escuela de la Sierra)特有の彫刻

コーニス(軒蛇腹)部分にある持ち送りには、シエラ派特有の自然主義ではないが原始的で表情豊かな様々な彫刻が施されている。

2頭のライオンの首をロープで掴んでいる人物が描かれた彫刻は面白いモチーフで注目に値する。

なんとなく漫画チック。2頭のライオンはちょっととぼけた顔をしていて迫力には欠けるが、憎めない(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらは猿だろうか。歯を食いしばって立派な歯を見せているところは笑いを誘われる。

確かに原始的だがとても親しみを持てる彫刻ばかり(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

性を示す男性。頭でっかちでこちらも笑いを誘う。それにしても教会も以前は性に対してもっと寛容だったのだろうか。ロマネスクでは時々見るモチーフである。

教会に想像上の動物などが彫られていてるのは不思議だが、性を示す男性が彫られているのはもっと不思議だ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

arteguias のウエブサイトには、「これは、メソポタミアから中世ヨーロッパに伝わった古代の図像であろう。」と言及されていました。そうだとすると、これらの彫刻たちは長い時間をかけて遠いところからやって来たんだ、お疲れ様、と労をねぎらいたくなってしまう。(笑)

シレンセ派(Escuela de la Silense) の彫刻

ここから近いサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)で活躍した職人達がシレンセ派(La escuela de la Silense)である。前述したように12世紀末にシレンセ派(La escuela de la Silens)の職人たちが、柱廊のある玄関(La galería porticada)と鐘楼(La torre)を造った。彼らが彫った柱廊のある玄関(La galería porticada)の柱頭などはかなりシエラ派(La escuela de la Sierra)のものとは趣を異にしてる。

ロマネスクでは好んで用いられたモチーフの女の頭を持つ鳥ハイピュリアとドラゴンが見える。シレンセ派(La escuela de la Silens)の方が緻密かつ高度な技術があることが分かる。ただ、シレンセ派(Escuela de la Silens)の彫刻のようなユーモラスさ、温かみのある表情には欠ける。

木の実またはブドウを食べるドラゴン(左側の柱頭)と向い合せに配置されているハイピュリア(右側の柱頭)(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(La galería porticada)の入口の両側にある柱頭には、右側にはライオン、左側にはドラゴンが彫られているが、シエラ派(La escuela de la Sierra)のようなおとぼけライオンではなく、歯をむき出した凶暴な雰囲気を現し毛並みも細かく彫ってあり迫力満点。

同じ教会に施された彫刻も、異なる派の職人の手によるとこんなにも趣の異なるものになるのかと驚かされる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

鐘楼(La torre)

鐘楼も同じシエラ派(La escuela de la Sierra)が12世紀後半に造ったものだ。この鐘楼は3層から成り、下の層は上層部の構造部分を支える高台としての役目を持ち、南北方向に完璧な半円筒形ヴォールトで覆われている。真ん中の層は、四方にアーチ状夫婦窓があり開口している。上の層は、真ん中の層よりも幅の狭い小窓があり、これもアーチ状夫婦窓である。このアーチ状夫婦窓は、2本の外柱に半円形のアーチで囲まれた中にあるという特徴があり、更にリズミカルな印象を私たちに与える。

上層部分のアーチ状夫婦窓が小さくなることにより、まるで天に昇っているような錯覚も与えられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーチ状夫婦窓の柱頭には、小型の果実、シダのような葉、人の頭、四足獣、ハイピュリア、ワシなどが描かれている。(「arteguias」ウエブサイトより)

小型の果実がぶら下がっている柱頭(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

四足獣がみえる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

全く異なる時代の様式で改築されている教会や建物は多いが、このビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、同じロマネスク期の中で職人たちが属する派の相違により異なる特徴を持った彫刻や石組みの仕方などがひとつの教会の中に見られる貴重な教会の一つだろう。

洗練されたシレンセ派(La esuela de la Silense)が、温かみがあり表情豊かではあるものの原始的なシエラ派(La escuela de la Sierra)を席巻し、遂には消滅させてしまったというこの地方の歴史から、当時の職人たちの市場獲得の激しさを垣間見たような気がした。

こちらは、造られた時期によって石の組み方の違いや、教会内部にある西ゴード時代の洗礼盤等も見れるので見逃すにはもったいない動画。

デマンダ連峰(Sierra de la Demanda)にあるシエラ派 (Escuela de la Sierra) の建物

今から約1ヵ月ほど前に、ブルゴス県観光課によりシエラ派 (La escuela de la Sierra) の教会を紹介する動画が計10本 youtube にアップされた。その中から幾つか紹介する。残念ながらスペイン語のみだが、内部や教会の周囲などの様子が分かり興味深い動画だ。

・12世紀に造られたバルバディージョ・デ・エレーロスの聖コスメ&聖ダミアン礼拝堂 (Ermita de los Santos Cosme y Damián de Barbadillo de Herreros)を紹介した youtube 。

・プレロマネスク時代の10世紀~11世紀に造られ、その後12世紀に増築されたトルバーニョス・デ・アバホの聖キルコ&聖フリタ教会 (Iglesia San Quirco y Santa Julita de Tolbaños de Abajo)を紹介した youtube 。

・12世紀末に造られたアルランソンの聖大天使ミカエル教会 (Iglesia de San Miguel Arcángel de Alranzón)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリオカバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma de Riocavado de la Sierra)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリコバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de San Millán Obispo de San Millán de Lara)を紹介した youtube 。

参考

ここで紹介したビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_VIZACA%C3%8DNOS_DE_LA_SIERRA.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/vizcainosdelasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

https://goo.gl/maps/JdMPigBAKd1zY3pD8?coh=178573&entry=tt

村上春樹氏、日本人作家初のアストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)受賞!

去る2023年5月24日、「スペインのノーベル賞」とも呼ばれる「アストゥリアス皇太子賞」の文学部門の今年の受賞者に、日本人作家の村上春樹氏が決まりました!おめでとうございます!

アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)(Wikipedia Public Domain)

アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)とは

「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」は、現在のスペイン国王フェリペ6世が皇太子だった1980年に、皇太子の称号を冠して設立されたアストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)により創設され、「コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)」、「社会科学部門(Premio Príncipe de Asturias de Ciencias Sociales)」、「芸術部門(Premio Príncipe de Asturias de las Artes)」、「文学部門(Premio Príncipe de Asturias de las Letras)」、「学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)」、「国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)」、「共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)」、「スポーツ部門(Premio Príncipe de Asturias de los Deportes)」の8部門の賞があります。

今回の文学部門での村上春樹氏の授賞に際しては審査員全員一致で決まり、授賞理由について、日本の伝統と西洋文化の遺産を野心的かつ革新的な叙述で調和させ、独自の文学を持ち、世界的に受け入れられている作家だと位置づけたうえで、その作品は、孤独や存在不安、都市の非人間化、テロといった現代の重要な主題や困難を表現することに成功し、全く異なる世代にまで受け入れられていると述べています。そして、最後に現代文学における現代文学における主要な長距離ランナーの一人だ、とたたえました

スペイン語ですが、アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の公式サイトにこの授賞について詳しくでています。興味のある方はどうぞ。

https://www.fpa.es/es/premios-princesa-de-asturias/premiados/2023-haruki-murakami.html

文学部門での日本人受賞は初めてですが、作家村上春樹氏はスペインでも人気が高い日本人作家のひとりです。既に24冊の本がスペイン語に翻訳されています。新刊「街とその不確かな壁」も来年の春にはスペインでも出版される予定です。

これまでの日本人受賞者

ちなみに、この「アストゥリアス皇太子賞」の日本人の受賞者は想像以上にいました。現在までの受賞者の皆さんは次の通りです。

1.国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)で、1999年に宇宙飛行士の向井千秋氏が日本人として初めて、米国やロシアなどの宇宙飛行士3人と共に受賞されました。

2.学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)で、2008年に物理学者でもあり化学者でもある飯島澄男氏が、アメリカの中村修二氏をはじめとするアメリカ人学者4人と共に受賞されました。

3.共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)で、2011年に福島第一原子力発電所事故の対応に当たったフクシマ50(消防士、自衛官、警察官、作業員)の方々が受賞されました。また、同じ部門では、2022 年には建築家の坂茂氏が受賞されました。

4.コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)では、2012年に任天堂株式会社代表取締役フェローの宮本茂氏が受賞されました。

去年2022年に、建築家の坂茂氏が受賞されていたので、2年連続の日本人受賞の快挙ですね。坂茂氏も、スペインで有名な方です。

今でも鮮明に記憶にあるのが、福島第一原発の事故で放水作業や住民の避難誘導に当たった、自衛隊と警察、消防の部隊フクシマ50の方々に送られた2011年の共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)です。その時のフクシマ50のスペイン語名称は、「フクシマの英雄たち(Héroes de Fukushima)」というものでした。

授賞の理由として、「津波によって引き起こされた原子力災害による壊滅的な影響の拡大を、その決断が自分達の生命に深刻な影響を及ぼすことをも顧みず、自己犠牲によって防ごうとした、人間として最高の価値観と勇気を体現した人たち-フクシマの英雄たち」と褒め称えました。

授賞理由を聞いた際、胸が熱くなり涙が出たのを今も思い出します。

スペイン語ですが、この受賞についてもっと知りたい方はこちらをどうぞ。

https://www.fpa.es/es/premios-princesa-de-asturias/premiados/2011-heroes-de-fukushima.html?especifica=0

最後に

さて、スペイン語を勉強している皆さん、またはスペイン語をご存じの方は、この「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」を見て、疑問に思われたことと思います。というのも、スペイン語の「Premios Princesa de Asturias」を日本語に訳すと、実は、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」となるからです。

アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の名称は現在、アストゥリアス王女財団(Fundación Princesa de Asturias)と改称されています。何故なら、2014年に皇太子から国王フェリペ6世として即位されたことにより、長子である王女レオノールがアストゥリアス公を継承しました。そのため、現在の名称は「アストゥリアス女王財団(Fundación Princesa de Asturias)」となったという訳です。本来ならば、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」とするべきですが、日本の報道機関で使われている従来の「アストゥリアス皇太子賞」という名前でこのブログの記事も統一しています。

補足すると、スペイン王家が持つこのアストゥリアス公の称号は、1388年、カスティーリャ王フアン1世が王位継承者を指定するためにアストゥリアス王子の称号を創設したことに端を発したものです。それから600年以上も続くスペイン王家の由緒正しい称号なのです。

スペインの国民的画家 フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)- 没後100年記念の年

今年2023年は、スペインの国民的画家フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)が亡くなってからちょうど100年目の年に当たります。それを記念し「ソロージャ イヤー」と銘打って、出身地バレンシアをはじめマドリッド等でも彼の絵の展示会が開催されています。

このブログでも以前フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)とソロージャ美術館について紹介していますので、興味のある方はこちらもどうぞ。

今回は、バレンシアとマドリッドで現在開催中の展示会やその他の展示会情報をお伝えします。

光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz

最初は、マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(筆者訳)(Sorolla a través de la luz)」の展示会です。

この展示会では、テクノロジーを駆使して彼のオリジナル作品とデジタルで再現された作品が対話するという仕掛けが施してあります。また、バーチャルリアリティルームではバーチャルリアリティ用の装置を付け、画像と音のショーの中に身を置くという、今までの絵画展示会では考えつかなかったような不思議な体験ができます。

特殊な部屋に入ると、部屋一杯にソロージャの作品が映し出されます(写真: 筆者撮影)

展示されているソロージャの絵は24点ありますが、そのほとんどが個人所有のもので今回初公開されています。海、庭園、肖像画、風俗描写の場面など、画家ソロージャが好んで描いたテーマが選ばれています「光の画家」と呼ばれているほど彼の絵には、その瞬間、瞬間の微妙な光の動きや光の強弱、光の質感、そして季節ごと一日の時間ごとの光の違いを上手く捕らえて表現されていて、こんなにも異なる光を表現できるのかと驚かされます。初めてソロージャの生まれ故郷バレンシアを訪れた時、お天気が良かったということも手伝って、あーこれがソロージャの光だな!地中海の光だな!と実感しました。同じスペインでも私が住むカスティージャ・イ・レオン州の光とは全く異なる光がそこに降り注いでいたことがとても印象的でした。

大きなスクリーンに映し出された絵は、まるで見ている私たちも同じ場所にいるような不思議な感覚を抱かせられます(写真: 筆者撮影)

「ハベアの恋人たち(筆者訳)(Idilio, Jávea)」という作品がありました。まだ年若い少年が少女に話しかけています。少女は恥ずかしそうにでも嬉しそうに下を向いて座っています。なんと初々しく、見る人がまだ若かったころの自分の思い出とオーバーラップするような美しい絵でしょう。説明板に、この絵は9月の昼下がりに描かれ、ソロージャ自身が若くして妻クロティルデに恋した思い出を表現したものかもしれないと書かれていました。題名の「Idilio」には「田園恋愛詩、恋愛関係、牧歌的(幸福)な時期」という意味が手元の辞書には出てきますが、この作品は1901年の「国内絵画展(Exposición Nacional de Bellas Artes)」に出展され売れました。その時には「Los novios(恋人たち)」という名前がついていたそうです。

「ハベアの恋人たち(Idilio, Jávea)」昼下がりの光が若い二人に降り注ぎ、ほのぼのとさせられると同時に胸がキュンとなりそうな絵です(写真: 筆者撮影)

マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz)」の展示会は、2023年6月30日まで開催されています。もし、それまでにマドリッドに行かれる機会がある方は、是非この展示会にも寄られることをお薦めします。その際は、下の公式サイトで事前に入場券を買われた方が良いでしょう。

https://www.patrimonionacional.es/actualidad/exposiciones/sorolla-traves-de-la-luz

ソロージャの原点 (Los orígenes de Sorolla)

次に紹介する絵画展は、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」です。

この展覧会は、まだピカソやダリ等が活躍する以前、スペイン国内でも国際的にも最も成功したスペイン画家の原点を探っていく内容の展示会として構成されています。まだ21歳だったソロージャが「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在する直前の1878年から1884年までの6年間の軌跡をたどります。あまり知られていない初期の絵画、水彩画、素描、ソロージャの若いころの写真、資料が一堂に展示されていてとても興味深いものです。

若いころのフアキン・ソロージャ。なかなかのハンサム青年でした(写真: 筆者撮影)

「光の画家」として、スペインのみならずヨーロッパやアメリカ合衆国で名声を得、様々なテーマの絵画を残しているソロージャですが、修業時代は、同じスペインの画家である巨匠ベラスケスやリベラの絵を勉強、模写していました。また、15歳の時に描いた果物の静物画や肖像画等も多数展示してありますが、そのデッサン力、光と影の描き方、構図のとり方等、10代にして既にのちに巨匠と呼ばれる画家としての頭角を現しています。

バックを黒にして、白や水色を際立たせて見る人を惹きつける(写真: 筆者撮影)
「ベラスケスの[メニポ]の模写(筆者訳)(Copia de “Menipo” de Velázquez)」19歳のソロージャがプラド美術館で模写した様々な作品は、死ぬまで手元に置いていたそうです(写真: 筆者撮影)

YouTubeでこの展覧会の様子が紹介されています。スペイン語ですが、様々な作品が紹介されていて見るだけでもソロージャの素晴らしさが伝わってくると思います。

「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」バレンシア州議会が主催したローマへの絵画奨学金コンクールで、21歳の若さで賞を取りローマへ本格的な絵画の勉強へ行くことになったソロージャの記念すべき作品(写真: 筆者撮影)

バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」は、2023年6月11日までですので、残り2週間弱となってしまいましたが、機会があれば是非お薦めしたい展覧会です。

スペイン観光局のスペイン観光公式サイトにも紹介されています。

https://www.spain.info/ja/karendaa/soroorya-kigen-tenrankai-barenshia/

ちなみに、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)には、ベラスケス本人が描いた「自画像(Autorretorato)」もあります。あまり知られていないようですが、プラド美術館以外で見れるベラスケスの作品です。

温和で誠実だったと言われているベラスケスですが、この自画像の彼の視線には強い意志を感じさせられます(写真: 筆者撮影)

黒のソロージャ(Sorolla en negro

「光の画家」として名を馳せたソロージャですが、黒やグレーの色使いを中心にして描いた作品も多く残しています。それらの作品を集めて展示しているのが、バレンシアのバンカハ財団で開催されている「黒ソロージャ(筆者訳)(Sorolla en negro)」です。

ソロージャの黒の使用は、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤなどのスペイン絵画の伝統に由来していて、詩的で精神的な状態を示唆する豊かな表現要素となって、彼の時代の現代性とその飾り気のない気品を反映する色として再解釈されました。(バンカハ財団のウエブサイトより)

「グレーのドレスを着たクロティルデ(筆者訳)(Clotilde con traje gris)」ソロージャが深く愛した妻クロティルデ。心を打つものを感じます(写真: 筆者撮影)

ソロージャが描いたグレーという色は現代的な色として描かれていて、静寂や平穏を表現していたそうですが、この「グレーのドレスを着たクロティルデ(Clotilde con traje gris)」には、グレーのドレスがクロティルデの美しさのみではなく洗練された雰囲気を醸し出し、と同時に内面的な静穏と深い愛情が伝わってきます。

展覧会は、「黒とグレーの調和(筆者訳)(Armonías en negro y gris)」、「象徴的な黒(筆者訳)(Negro simbólico)」、「黒と暗い表面(筆者訳)(Superficies negras y oscuras)」、「モノクローム(筆者訳)(Monocromías)」の4つのセクションで構成されています。ソロージャの絵に特別な個性を与えている肖像画の黒とグレーの色彩和音から始まり、時代や自然主義画家の作品に浸透している黒という色の象徴性や文化的意義について見ていきます。更に、19世紀に急進的なコントラストを生み出し、他の色を引き立てる存在として形作られた黒の新しい使い方についても検証していきます。展覧会の最後には、グレーや青みがかった色調に包まれたモノクローム作品が展示されていますが、これは複雑でないどころか、卓越した技術を駆使した特異な作品です。(バンカハ財団のウエブサイトより)

「エンリケタ・ガルシア・デル・カスティージョ(筆者訳)(Retrato de Enriqueta García del Casitillo)」こちらは雄弁に語る黒!という感じ(写真: 筆者撮影)

確かに、この絵画展を見てソロージャは正しくスペインの巨匠たちの素晴らしい技術を踏襲したスペインの画家であることを確認させられました。と同時に、黒とグレーという色に様々な意味を持たせ、ソロージャが表現したいものを浮き出たせる重要な役割を果たす色だったということにも気づきました。ソロージャ絵画の奥の深さ、多面的な部分を再発見できた素晴らしい展覧会でした。

バレンシアのバンカハ財団で開催されている「黒のソロージャ(Sorolla en negro)」の開催期間は今年9月10日までです。もしバレンシアに行かれる方は是非見に行ってください。

バンカハ財団の公式サイトです。最後の方には、展覧会を紹介したYouTube の動画もあります。一見の価値ありです。

https://www.fundacionbancaja.es/exposicion/sorolla-en-negro/

肖像画で見るソロージャ(Sorolla a través de sus retratos

最後に紹介するのは、マドリッドのプラド美術館で開催されている「肖像画で見るソロージャ(筆者訳)(Sorolla a través de sus retratos)」です。

こちらは、プラド美術館が所有するソロージャの作品を集め、特に肖像画を通してソロージャの作品に迫るものです肖像画のコーナーには、ソロージャの作品だけではなく、ソロージャと同時期19世紀に活躍した画家たちが描いた肖像画も一堂に展示されています。残念ながら美術館内での写真撮影が禁止されているので、写真をお届けすることはできませんが、下のプラド美術館公式サイトをクリックして頂くと、展示されているソロージャの作品が紹介されています。

もし、6月18日までにマドリッドのプラド美術館を訪れる機会があれば、是非こちらも見に行ってください。

プラド美術館公式サイトはこちらです。

https://www.museodelprado.es/actualidad/exposicion/retratos-de-joaquin-sorolla-1863-1923-en-el-museo/2f9c9749-54a2-b25b-4afb-932e76fdb8cf

2023年に開催される展覧会情報

その他、開催されているソロージャの絵画展は次の通りです。

マドリッドのソロージャ美術館:

・2023年6月25日まで開催-「ソロージャが死んだ!ソロージャ万歳!(筆者訳)(¡Sorolla ha muerto!¡Viva Sorolla!)」

この展示会は、ソロージャが亡くなった時の新聞記事などが展示してあり、ソロージャがどれだけ民衆からも愛された国民的な画家だったことがよくわかります。簡単な説明が youtube に紹介してあります。スペイン語ですが、興味のある方はどうぞ。

・2023年9月17日まで開催-「マヌエル・ビセンテとソロージャの海(筆者訳)(En el mar de Sorolla con Manuel Vicent)」

ソロージャと同じバレンシア州出身の詩人・作家マヌエル・ビセントによる詩とソロージャの絵画のコラボ企画です。スペイン文化・スポーツ省の公式サイトにこの展覧会が紹介されています。

https://www.culturaydeporte.gob.es/msorolla/exposicion/exposicion-mar-sorolla-con-manuel-vicent.html

バレンシア:

・2023年6月2日まで開催-「ローマのソロージャ。芸術家ソロージャとバレンシア州議会奨学金(筆者訳)(Sorolla en Roma. El artista y la pensión de la Diptación de Valencia (1884-1889))」バテリア宮殿 (Palacio de Batlia)

ソロージャが前述の「パジェテルの叫び(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在した21歳から26歳まで絵画の勉強と訓練を積んだ時期の芸術生活に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。

https://www.centenariosorolla.es/exposiciones/inauguracion-de-la-exposicion-sorolla-en-roma-el-artista-y-la-pension-de-la-diputacion-de-valencia-1884-1889/

・2023年12月まで開催-「芸術家たちの街。フアキン・ソロージャとバレンシア芸術産業宮殿(筆者訳) (La Ciudad de los artistas. Juaquín Sorolla y el Palacio de los Artes e Industrias de Valencia)」バレンシア市立博物館(Museo de la Ciudad de Valencia)

ソロージャと並行してキャリアを積んだバレンシアの芸術家たちによる140点以上の作品が展示されています。フアキン・ソロージャがバレンシアに芸術産業宮殿を建設したプロジェクトについてや、当時のバレンシアの芸術的雰囲気に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。

https://www.centenariosorolla.es/exposiciones/inauguracion-de-la-exposicion-la-ciudad-de-los-artistas-joaquin-sorolla-y-el-palacio-de-las-artes-e-industrias-de-valencia/

アリカンテ:

・2023年6月25日まで開催-「ソロージャと同時代のバレンシア絵画(筆者訳) (Sorolla y la pintura valenciana de su tiempo)」アリカンテ美術館(Museo de Bellas Artes de Alicante)

120点という多くの作品が展示してある展覧会で、ソロージャの作品以外にもソロージャの弟子たちや同時代に活躍したバレンシアの画家の作品やバレンシアを題材にした作品を一挙に公開しています。スペイン国営のラジオ・テレビ放送協会がこの展覧会について紹介しています。

https://www.rtve.es/play/videos/linformatiu-comunitat-valenciana/sorolla-pintura-valenciana-tiempo-mubag/6773781/

「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトはこちらです。

https://www.centenariosorolla.es/

このブログで紹介した展覧会が行われている場所です。

https://goo.gl/maps/q8QfpFVUtugstwbc6?coh=178573&entry=tt

ロマネスクへのいざない (10)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(7) – ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)

柱廊のある玄関部分から(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(Galería porticada)の中から見える風景

キリスト教最初の殉教者聖ステファノ(エステバン)に捧げられたこの教会は、12世紀前半に第一期の建設が始められ、半円形の後陣、プレスビテリオ(Presbiterio)と呼ばれる祭壇、正門を含む身廊の最初の二つの部分(主扉を含む)が造られた。12世紀末には、柱廊のある玄関が造られ、最終的には16世紀に教会の拡張並びに修復工事が行われ、塔が造り替えられた。

この教会を見た時、がっしりとした、力強い教会という印象を抱いた。近くにあるハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente) のような調和の取れた美しさには欠けるが、柱廊のある玄関の中に入り、そこから見る村は、いくつものアーチとその間に村の家々、山々がある周りの自然が溶け込んだ美しく、心落ち着く風景だった。

ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)についてはこちらをどうぞ。

教会の入口(Portada)

柱廊のある玄関(Galería porticada)部分に入ると、教会の入口(Portada)がある。半円形の5層から成るアーキボルトは、教会の中へいざなうかのように立体的だ。

自然と教会の中に足を踏み入れたくなるような入口(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

教会が建てられている地形の傾斜のため入口には数段の階段があるが、5層のアーキボルトとこの階段がまるで教会の中の祭壇部分の一点に導いているような錯覚を受ける。

左右の柱頭には様々な彫刻が施されているが、建築当初から柱廊のある玄関(Galería porticada)によって入口(Portada)部分は風雪から守られてきたこともあり、比較的保存状態は良い。900年という歳月を経ていることを考えると保存状態の良さは驚きでもある。

興味深い彫刻としては、石棺に納められた遺体を見守る二人の女性の姿と、それを祝福する教会関係者の姿が三面的に構成されているシーンがある。これは、今も何を表現しているのか議論が分かれているようだ。一説によると聖ニコラウスの生涯の一つのシーンに関連していると言われているが、他の説では地元の伝統的なものを表現しているのではないかとも言われている。(arteguias.com より)

遺体が横たわる石棺を飾る布の襞(ひだ)の表現は素晴らしいものだ。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

他にも保存状態の良い「東方三博士(三賢王)の礼拝」場面を確認することができる。聖母マリアの膝に抱かれ贈り物に興味を抱く幼子イエスを見ると、普通の子供と同じようで微笑ましくなる。贈り物を捧げる博士の後ろで、もう二人の博士が軽い雑談でもしながら順番待ちしている姿も、見る私たちに親近感を抱かせる構図だ。それにしても、まるで自分は関係ないよとでも言いそうな聖ヨゼフはちょっと気になる。

ロマネスクで特に好まれた「三方博士の礼拝」の構図。白髭をたくわえた跪く老人、その後ろに後ろを向く若者、最後が老人でも若者でもない成人男性の姿をした三方博士たち。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

ロマネスクの彫刻によくみられる二つに分かれた尾の部分を握る人魚やその人魚に弓を向けているケンタウロスの姿もある。手元にある「Iconografía y simbolismo Románico」(「ロマネスク 図像と象徴(筆者訳)」 出版社 arteguias)によると、男性を象徴するケンタウロスと女性を象徴する人魚という観点から、生殖性やエロチシズムを表現している。その一方で他の解釈として、罪深いものとしての象徴である人魚に対してケンタウロスが信仰の矢を放つことで、人魚を回心させる役割を担っているという。

ロマネスクの彫刻で人気があった人魚とケンタウロス(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらもロマネスクの彫刻によくみられる旧約聖書の中の登場人物として、怪力の持ち主サムソンがいる

怪力サムソンは、古代イスラエル人にとっては英雄的な存在の士師で、髪の毛に力が宿っていた。サムソンは、サムソンの妻デリラに口説かれ、彼の怪力はどこから来るのかを尋ねられて最終的には怪力の秘密を明かしてしまい、デリラに寝ている間に髪の毛を切られて宿っていた力を抜き取られる。こうして金に目がくらんだデリラはサムソンを裏切り、サムソンは敵のペレシテ人達に捕らえられ悲劇的な最期を遂げる。サムソンとデリラを扱った絵やオペラ、小説、映画など多数あるので、ご存じの方も多いかもしれない。

ロマネスクの彫刻では、ライオンにまたがったり、組み伏せたりした長い髪の男として描かれているが、ここでは怪力サムソンがライオンの顎を掴んで倒す場面が描かれている。

狭い柱頭の中に見る人たちがすぐ認識できる構図に上手くまとめられている(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーキボルトの外側に左右二つの浅浮彫りがある。左側の浅浮彫りは不思議な生き物と何を意味しているのか分からない場面で、これについて言及しているものを見つけることができなかったのは残念だ。マントを羽織った聖職者(?)がまるで1982年のアメリカのSF映画「E.T.」に出てくる迷子の宇宙人そっくり!な生き物に何か与えているようだ。左側にはオオトカゲのような生き物が逆立ちしたような状態で描かれている。うーん、なんとも言えない不思議な場面だ。

謎の多い浅浮彫り。実は聖女ユリアナとドラゴン、そしてもう一つの生物は…?(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

このブログを公開した後、ブルゴスの観光部に別の件で質問した際、つい最近デマンダ連峰にあるロマネスク建築についての動画を youtube にアップしたということでその動画が送られてきた。その動画の中で簡単にアーキボルトの外側にある左右二つの浅浮彫りについて言及されていた。この謎の人物はマントを羽織った「聖職者」ではなく、聖女ユリアナ(Santa Juliana)だと判明。そして、この聖女ユリアナを中世の絵画や教会の中では、翼のあるドラゴンと戦っている姿や足元にドラゴンを従えている姿で描かれているとのこと。(ウィキペディアより)ということは、左側の逆立ちしたオオトカゲのような生き物は聖女ユリアナに服従するドラゴンを表しているようだ。しかし、右側の「E.T.」に出てくる迷子の宇宙人の正体はまだ不明なままなので、今後正体が判明したら報告したいと思う。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の動画。中も少し見れる。

柱廊のある玄関(Galería porticada)

サン・エステバン・プロトマルティール教会の特徴である柱廊のある玄関(Galería porticada)は、前述したように12世紀末の第2次工事で建てられたものだ。同地方のビスカイノス・デ・ラ・シエラにあるトゥールの聖マルタン教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)やハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)との、様式的な同一性が見られる。これは、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)の影響を受けているからだという。(arteguias.com より)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)についてはこちらをどうぞ。

外から見た柱廊のある玄関。矢張りこの教会の一番美しい部分だろう。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊部分は、向かって右側(東側)に5つ、左側(西側)には6つ、合計11のアーチから成り、ほぼ中央に入口用のアーチがある。柱頭の装飾は植物の装飾が中心で、アカンサスの葉、パルメットと呼ばれる棕櫚葉文、果実がぶら下がっているものなど、さまざまな種類のものがある。

果実がぶら下がっている植物(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

参考

ここで紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・ブルゴスの観光サイト。英語もあります。

https://turismoburgos.org/iglesia-de-san-esteban-protomartir-de-pineda-de-la-sierra/

・arteguias のウエブサイト。スペイン語ですが、詳しく説明されています。

https://www.arteguias.com/iglesia/pinedasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

参考文献:

-「Rutas románicas en Castilla y León 2 (Provincia de Burgos)」出版社:Encuentro Ediciones

– 「Iconografía y simbolismo Románico」 出版社: arteguias)

パスクワ(Pascua)はイースター?それともクリスマス?

今年ももうすぐ聖週間(Semana Santa)が始まります。今年2023年は、4月2日(日)から4月9日(日)の1週間です。スペインに旅行される方に気を付けてほしいのは、4月6日(木)の聖木曜日、7日(金)聖金曜日、8日(聖土曜日)そして9日(復活祭、イースター)の4日間は殆どの職場で休みとなるので、観光地やレストラン、ホテル等混雑することです。また、レンタカーなどで旅行しようとされている方も、交通量がかなり増加するのでご注意くださいね。

アストゥリアス地方ビジャビシオサ(Villaviciosa)の「サンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)」にある十字架にかけられるキリスト(写真:筆者撮影)

パスクワ(Pascua)はイースター?それともクリスマス?

知人から「Pascua」って「イースター」のことだと思っていたけど、クリスマスでも使うの?という疑問を投げかけられ、うーん、そういえば「ナビダ(Navidad)」以外で「パスクワ(Pascua)」も耳にすることがあるな、と今更ながら気づきました。(笑) それ以来、色々調べてみると興味深い内容のことが分かってきたので共有したいと思います。

調べてみると、クリスマスのことも「パスクワ・デ・ナビダ(Pascua de Navidad)」と言うし、主の御公現の祝日(1月6日の三賢王の日)のことも「パスクワ・デ・ロス・レージェス・マゴス(Pascua de Los Reyes Magos)」聖霊降臨の大祝日-復活祭後の第7日曜日-のことも、「パスクワ・デ・ペンテコステス(Pascua de Pentecostés)」と言います。

色んな場面で「パスクワ(Pascua)」という言葉は使われています。

¡Feliz Pascuta!¡Felices Pascuas!は、単数形と複数形の違いですが、意味はかなり異なります。

単数形の場合は、復活祭(イースター)のことを表し、「ご復活おめでとうございます!」という意味です。キリストが復活したという聖日曜日(イースター)のミサの後などで使われる挨拶です。複数形の場合は、クリスマスのことを表し、「クリスマスおめでとう!」という意味で使われています。これは、クリスマスの当日だけに使われる言葉ではなく、クリスマス期間中(スペインでは12月24日のイブから1月6日の三賢王の日までずっとクリスマス期間です)には、いつでも使える挨拶です。

以上の通り、パスクワ(Pascua)はイースターでもあり、クリスマスでもあるのです。

サラマンカ新大聖堂にある東方三博士の礼拝(写真:筆者撮影)

パスクワ(Pascua)の語源は?

こんなにいろんな場面でパスクワ(Pascua)という言葉が使われていますが、語源は何でしょうか?

手元にある「Breve Diccionario Etimológico de la Lengua Castellana」というカスティジャー語の簡易語源辞典には、『ヘブライ語のPESACHA ído.、propte.の変形に由来し、ギリシャ語を経て、ラテン語のPASCHAから。【通過、移動】、ユダヤ人がエジプトからの脱出を記念する祭事である。スペイン語では、ラテン語のPASCUA、PASCUUM「動物の食べ物」の複数形(イースターの断食が終わったことによる混乱)の影響を受けて、この言葉が変化した。』と書かれています。

Pascua, 1090. Del latin, PASCHA, que por conducto del griego, procede de una variante del hebreo PESACHA ído., propte. “paso, tránsito”, fiesta con que los judíos conmemoraban la salida de Egípto. En castellano el vocablo se alteró por influjo del latin, PASCUA, plural de PASCUUM “alimento de los animales” (confisión sugerida por la terminación de los ayunos en Pascua).

旧約聖書の「出エジプト記」の中に、預言者モーセが、エジプトで奴隷として虐げられていたユダヤの民を脱出させたことが書かれています。エジプトのファラオが、脱出中のモーセとユダヤ人たちを捕えるために大軍を送りますが、モーセが海を割って道を作り無事脱出します。追ってきたエジプトの軍隊も道を通って海を渡ろうとしますが、再び海水が戻りエジプトの軍隊は海に飲み込まれてしまいます。これが有名な「モーセの海割り」の場面です。本や映画などで見聞きしている方も多いかと思います。このエジプト脱出をお祝いした祭りのことを指しています。

それにしても、このユダヤ教のお祭りが起源の言葉「パスクワ(Pascua)」が何故キリスト教で「クリスマス」や「復活祭」、そして「三賢王の日」や「聖霊降臨」の日にも使われるようになったのかは、まだ理解できませんよね。

カスティージャ・イ・レオン地方ブルゴス県のサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院にある
聖霊降臨(Pentecostés)の浅浮彫り (写真: アルベルト・F・メダルデ)

納得できたパスクワ(Pascua)の語源はこれ!

どうも納得できない私は、高名な神父(レオン大聖堂の前オルガン奏者のサムエル神父)にパスクワ(Pascua)の意味を尋ねてみました。すると、次のような答えが返ってきました。

パスクワ(Pascua)には、もともと食事、食べ物、宴会などの意味があった。祭事に欠かせないのは食事、宴会。それが「お祝い事」という意味に発展していき、キリスト教の中でのお祝い事に使われる言葉となった。だから、おめでたい事のみに使われる言葉で、例えば、キリストが死んだ聖金曜日などは、Pascua とは呼ばない。

確かに、前述したパスクワ(Pascua)の意味をもう一度見てみると、全てキリスト教にとっておめでたいことに使われ、「クリスマスのお祝い」「主の御公現(三賢王)のお祝い」「聖霊降臨のお祝い」、「復活のお祝い」という意味でパスクワ(Pascua)が使われていることが分かります。

クリスマス-「パスクワ・デ・ナビダ(Pascua de Navidad)」

復活祭-パスクワ・デ・レスレクシオン (Pascua de Resurrección)

主の御公現の祝日(1月6日の三賢王の日)-「パスクワ・デ・ロス・レージェス・マゴス(Pascua de Los Reyes Magos)

聖霊降臨の大祝日(復活祭後の第7日曜日)-「パスクワ・デ・ペンテコステス(Pascua de Pentecostés)

これで、私もすっきりと納得できました!

2000年以上前の言葉の語源になるのでどこまで真実かはわかりませんが、この理由が一番しっくりする語源でした。それにしても、ユダヤ教とキリスト教の切っても切れない繋がりを感じさせられた一語でした。

レオン大聖堂(写真:筆者撮影)

バレンシア シルク博物館(Museo de Seda)-絹が紡ぐ物語 西へ東へ 

3月は有名なバレンシアの火祭り「ラス・ファジャス(Las Fallas)」の月です。クライマックスの3月19日に向けて、今現在、様々な催し物や出店や屋台で賑わっているバレンシア。実はこのお祭りでは、バレンシア地方のとても豪華で美しい民族衣装をお目にかかれるチャンスです!

今回は、バレンシアの火祭り「ラス・ファジャス(Las Fallas)」に華を添える民族衣装と切っても切れない関係がある絹の生産について、バレンシアの絹の歴史などを見ることができる「シルク博物館(Museo de Seda)」について紹介します。

「シルク博物館」の入口(写真:筆者撮影)

西の果てスペインと東の果て日本での絹

絹の起源は中国で、紀元前6000年とも紀元前3000年とも言われています。蚕や絹製造技術は門外不出で中国は長い間独占的に絹を海外へ輸出していました。日本には弥生時代には既に養蚕と絹の製法が伝わっており、律令制では納税のための絹織物の生産が盛んになっていたといいます。ただし、品質は中国絹にははるかに及ばなかったそうです。(参照: ウイキペディア)

ヨーロッパに絹製造技術が伝わったのはもっとずいぶん後のこと。6世紀から7世紀にかけて、二人の修道士が繭を隠し持ってビザンツ皇帝ユスティニアヌスの宮廷に乱入したという伝説が残っています。中国で何世紀もの間にわたって門外不出であった繭が持ち出され、その絹製造の秘密が東ローマ帝国に漏れてしまったので、中国以外の国でも絹製造が発達するのは時間の問題でした。そして、モンゴル、ペルシャ、アラビア、シリア、トルコ、北アフリカを結ぶ全域に広がり、徐々にヨーロッパに到達していきました。地中海に養蚕を伝えたのはアラブ人で、9世紀にはコルドバやグラナダ、その後トレドやバレンシアを経由してイベリア半島に到達しました。(バレンシア「シルク博物館(Museo de Seda)」のオフィシャルサイトの説明より)

バレンシア地方では15世紀から盛んに養蚕が行われ、絹を生産し、絹製品を作り出していました。18世紀から19世紀にかけてバレンシア地方での重要な経済活動の中心だった絹工業は、この街に大きなな富を生み出しました。前述したスペインの三大祭りの一つバレンシアの火祭り「ラス・ファジャス(Las Fallas)」でみられる「火祭り(ファージャス)の衣装(Traje de fallera)」は、この頃に今のような衣装になったようです。

一方日本では、200年以上も続いた鎖国が終わり、19世紀には絹貿易も開始されました。丁度、フランスやイタリアで蚕の病気が蔓延し、蚕種や生糸が不足していた事もあり、瞬く間に蚕種や生糸は最大の輸出品になりました。これが日本の蚕糸業の飛躍の始まりでした。大正時代、第1次世界大戦後のアメリカの経済は益々発達して絹の需要が高まり、わが国の蚕糸業は空前絶後の黄金時代を迎えました。この頃、全国平均で農家の約4割が養蚕を行っていました。(「富岡製糸場と絹産業遺産群」ユネスコ文化無形遺産ホームページより)

バレンシアでは民族衣装を、日本では着物や帯というそれぞれ美しい絹製品が用いられています。丁度1年前の2022年2月には31着の着物がこの博物館で披露されていました。展示されていた着物を見たい方はこちらをどうぞ。(https://www.museodelasedavalencia.com/exposicion-kimono/) 私たちがバレンシアの豪華な民族衣装にため息をつくように、日本の美しい着物や帯はきっとスペインの人達を魅了したことでしょう。

プリント用の意匠(写真:筆者撮影)

バレンシアのシルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda -バレンシア語では Col·legi de l’Art Major de la Seda)

現在の「シルク博物館」は、バレンシアの「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」の建物を修復したものです。この「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」の前身だった「ビロード織物師組合 (Tejedores de terciopelo-バレンシア語では Gremi de Velluters)」は1479年に発足しました。これは、一部の生産者の品質不足により生じた対立から、バレンシアの絹織物生産の基準を統一する必要があったからです。そして、1479年2月16日にギルドの最初の条例が承認され、これらの条例はカトリック王フェルナンドによって1479年10月13日に公式に批准され、その後、1686年にはカルロス2世によって「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」に格上げされました。

「ベジュテルス(Velluters)」と呼ばれるビロード織職人がたくさん住んでいた地区が、今でも同じ名前の地区名でバレンシアの市内に残っています。そこにカルロス2世によって「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」に格上げされた組合の建物があります。建物自体は15世紀建築のバロック様式で1981年には国の歴史・芸術遺産に指定されますが、長い年月の間にすっかり廃れた状態にあったこの建物は大掛かりな修復工事が行われ、2016年に「バレンシア シルク博物館」として生まれ変わりました。

スペイン語ですが、バレンシア シルク博物館に至る修復工事プロジェクトについての動画を見たい方はこちらをどうぞ。修復される前の建物の様子が分かり、興味深い動画です。

ヨーロッパで最も重要なギルドの歴史的アーカイブ

「シルク博物館」の中には、ヨーロッパで最も重要なギルドの歴史を知ることができる歴史資料室があります。48枚の羊皮紙、660冊の書籍、97個のアーカイブボックスからなり、5世紀以上にわたって保管されてきました。その中には、ギルドの歴史や条例、議事録、親方・職工・徒弟の帳簿、工場や店の管理・検査に関する帳簿などが含まれています。興味深いことには、規格に適合しない布地を没収して焼却するという検査業務もあり、ギルドは絹製品の品質管理、品質保証も担っていました。

「シルク博物館」のアーカイブは、15世紀から20世紀末までのバレンシア経済の変遷を研究する基礎資料の一つとして重要視されています。特に、15世紀バレンシアの商業や社会構造、そして当時の交易路や条約とのあらゆる関係を理解することに重要な役割を果たしています。(バレンシア「シルク博物館(Museo de Seda)」のオフィシャルサイトの説明より)

また、18世紀後半のバレンシア市内の人口は10万人程でしたが、バレンシアのシルクアート組合は約4万人の人達に仕事の機会を与えていたので、人口の4割の人が絹産業に携わっていました。

歴史資料室にて(写真:筆者撮影)

美しいバレンシアの民族衣装と博多織

個人的な話で恐縮ですが、昨年日本に里帰りした際、福岡の博多を訪れる機会がありました。そして、「博多町家ふるさと館」という博多の伝統工芸を紹介する博物館に行った際、博多織の実演を見ることができました。

「博多町家ふるさと館」に展示されていた7種類の博多織 (写真:筆者撮影)

興味のある方は、こちらでも見れます。

バレンシアの「シルク博物館」では、ベジュテルと呼ばれるビロード織の実演を見ることはできませんでした。というのも、昨年2022年に「最後のビロード織師(El último Velluter)」だったビセンテ・エンギダンツ氏が他界したため、もう2度とバレンシアの伝統工芸ビロード織の実演を見ることができなくなったからです。本当に残念なことです。

スペイン語では、ビロード織のことを「テルシオペロ(terciopelo)」と言います。「テルシオ(tercio)」は「3番目」、「ペロ(pelo)」は「毛」のことを意味するスペイン語です。説明によると、3番目の糸を切って毛羽立たせていく技術を使ってビロード織は織られていくので、この名前がついたそうです。3本ごとに一本一本手作業で糸を切っていきながら生地を織っていく様子を想像すると気が遠くなりました。1枚のドレスを作るのに2ヵ月かかり、その値段は20万ユーロ(現在日本円で約280万円)もするのも納得いきます。

バレンシア 「シルク博物館」に展示してあった布地(写真:筆者撮影)

「最後のビロード織師(El último Velluter)」だったビセンテ・エンギダンツ氏の動画です。繊細な作業の様子が見て取れます。

バレンシアの「シルク博物館」では、繭から糸を紡いていく実演を見ることができました。実演していたスペイン人の方が色々な説明をして下さり、興味深く学び多いものとなりました。

2~3㎝の一つの繭からなんと、1000メートルもの絹糸が取れるそうです‼驚きました。一つの繭は1本の糸からできていて、その長さは1000~1500メートルに及び、天然繊維で唯一の長繊維です。そして、その糸の太さは、髪の毛の約10分の1という超極細糸です。

絹糸を作るには以下の3つの工程(Tres baños)から成っています。

第1工程(Primer baño)繭を湯に漬けた状態で一本一本の糸を取り出していきます。

第2工程(Segundo baño)セリシン(sericina)を取り去ります。セリシンとは、蚕が絹の生産の際に作るタンパク質で、セリシンが残っている状態では肌触りが硬いので、糸にする際にお湯で煮て表面のセリシンを落とす精錬作業を行います。

第3工程(Tercero baño)染色します。

この3工程を経ることにより、手触りがざらざらした糸から心地よい手触りの糸へと変わっていくのです。そして、ここでは、各工程ごとの糸を実際に触らせてくれます。繭も触ることができて、初めての体験を楽しみました。子供さんたちと一緒に行っても、学習体験型思い出多い博物館見学となること間違いなしです!

第1工程 繭を湯に漬けた状態で一本一本糸を取り出していく(写真:筆者撮影)

19世紀の機織り機が置いてありますが、この機織り機は博多織の機織り機と瓜二つのものでした。いわゆる紋紙と呼ばれる織物の模様に応じて穴をあけた紙を用いて織るものです。

博多織の動画と見比べてみてください よく似ています (写真:筆者撮影)

染色の材料となるもの

さて、絹糸の染料に使われる材料となるものは色々ありますが、私の目を引いたのは紫がかった赤色、赤紫色(púrpura)です。ヨーロッパでは高貴な色、貴重な色として重用されていましたが、贅沢や権力を表現する色としても扱われてきました。その染料の原料は、スペインカナリア諸島でとれる巻貝です。貝から染料を取る技術を開発したのはフィニキア人だったようで、ローマ時代からカナリア諸島のイスロテ・デ・ロボスという島へこの貝を採りに行っていました。この巻貝からとれる僅かな染料からあのゴージャスな赤紫色(púrpura)が作り出されていたのです。

展示してあった染料の貝(写真:筆者撮影)

日本では「貝紫染め」と呼ばれていて、「草木染め」と比べあまり一般的ではありませんが、現在独自の技術で「貝紫染め」を行っている工房があります。宮崎県にある「綾の手紬染織工房」です。興味深い内容ですのでこちらをどうぞ。

https://www.ayasilk.com/workshop/royal_purple.html

シルク博物館内の説明文によると、中世に染色技術が完成の域に達したのはユダヤ人染色家たちのお陰ったらしく、15世紀にバレンシアにやってきたジェノバ人の絹織物職人がこの染色のやり方を伝えたものと考えられています。当時一般的だった染料は、次のようなものでした。

赤紫色(púrpura)

黒(negro)-ブナ科の植物の若芽が変形し瘤になった没食子(もっしょくし、agallas de roble)、クルミ(nuez)、アーモンド(almendra)、漆(zumaque)等

深紅色(rojo carmesíコチニールカイガラムシ(cochinilla)、ケルメス(虫 quermes)

黄色サフラン (azafran)、エニシダ (retama de tintoreros) 等

青色 (azúl)ホソバタイセイ(hierba pastel)、インディゴ (indigo)

本当に様々な材料を使って生地を染めていたようです。染料について草木染め以外には知識がなかったので、貝や虫、クルミや虫こぶなどの没食子なども染料として使っていたことは、新鮮な驚きであり、人間の知恵の奥深さを感じさせられました。

博多織の染色で使われている木附子(写真:筆者撮影)

最後に

日本の民族衣装「着物」もバレンシアの民族衣装も、中国から渡ってきた絹の技術に端を発し、独自の形に発展してきたことに興味をそそられました。西と東の端の国で経済的にも文化的にも重要な位置を占め、そこに住む人々に対して多大な影響を与えた「絹」が紡ぐ物語を知ることができたバレンシアの「シルク博物館」は、訪れる価値のあるものでした。

バレンシアは「絹」と共に成長した街で、他にも絹の商品取引所で世界遺産にもなっている「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(La Lonja de la Seda)」は必見です。

バレンシアを訪れる際は、「シルク博物館」に是非立ち寄ってみてくださいね。

美しく豪華なバレンシアの民族衣装(写真:筆者撮影)

バレンシアの「シルク博物館」情報

住所:オスピタル通り7番地(Calle Hospital, 7)
電話:(34)697 155 299 / 96 351 19 51 E-mail:reservas@museodelasedavalencia.com     
開館時間:火~土 10:00~19:00 日曜日 10:00~14:30 *月曜日は休館                                     入場料:8€    学生(国際学生証必要) 7€   無料-12歳までの子供                       特別パス(シルク博物館+サン・ニコラス教会+サントス・フアネス教会) 12€  

参考

・バレンシアの「シルク博物館」の公式サイト。

https://www.museodelasedavalencia.com/

・富岡製糸場と絹産業遺産群

https://worldheritage.pref.gunma.jp/tomikinu/index.php/silkindustry/

・バレンシア州制作の「バレンシアのシルクロード」の公式サイト。

https://ruta-seda.comunitatvalenciana.com/ruta-seda

・「博多町家」ふるさと館の公式サイト。福岡に行かれた時は是非お寄りください。

https://www.hakatamachiya.com/

・スペイン観光公式サイト。

https://www.spain.info/ja/supein-tankyuu/barenshia-ruto-shiruku/