さて、復活祭又はイースターのことをスペイン語では「パスクワ(Pascua)」と言いますが、一般的にスペインでは、単に「パスクワ(パスクワ)」というより「パスクワ・デ・レスレクシオン(Pascua de Resurrección)」や「ドミンゴ・デ・パスクワ(Domingo de Pascua)」と呼ぶ方が多いようです。「レスレクシオン(Resurrección)」は「復活」、「ドミンゴ・デ・パスクワ(Domingo de Pascua)」は「聖日曜日」という意味があります。他にも「パスクワ・フロリーダ(Pascua florida)」「花で飾られたイースター」という言い方もあります。
「パスクワ(Pascua)」には他にも意味があり、クリスマスのことも「パスクワ・デ・ナビダ(Pascua de Navidad)」と言い、主の御公現の祝日(1月6日の三賢王の日)のことを「パスクワ・デ・ロス・レージェス・マゴス(Pascua de Los Reyes Magos)」、聖霊降臨の大祝日-復活祭後の第7日曜日-のことを、「パスクワ・デ・ペンテコステス(Pascua de Pentecostés)」と言います。
ヨーロッパに絹製造技術が伝わったのはもっとずいぶん後のこと。6世紀から7世紀にかけて、二人の修道士が繭を隠し持ってビザンツ皇帝ユスティニアヌスの宮廷に乱入したという伝説が残っています。中国で何世紀もの間にわたって門外不出であった繭が持ち出され、その絹製造の秘密が東ローマ帝国に漏れてしまったので、中国以外の国でも絹製造が発達するのは時間の問題でした。そして、モンゴル、ペルシャ、アラビア、シリア、トルコ、北アフリカを結ぶ全域に広がり、徐々にヨーロッパに到達していきました。地中海に養蚕を伝えたのはアラブ人で、9世紀にはコルドバやグラナダ、その後トレドやバレンシアを経由してイベリア半島に到達しました。(バレンシア「シルク博物館(Museo de Seda)」のオフィシャルサイトの説明より)
バレンシア地方では15世紀から盛んに養蚕が行われ、絹を生産し、絹製品を作り出していました。18世紀から19世紀にかけてバレンシア地方での重要な経済活動の中心だった絹工業は、この街に大きなな富を生み出しました。前述したスペインの三大祭りの一つバレンシアの火祭り「ラス・ファジャス(Las Fallas)」でみられる「火祭り(ファージャス)の衣装(Traje de fallera)」は、この頃に今のような衣装になったようです。
バレンシアのシルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda -バレンシア語では Col·legi de l’Art Major de la Seda)
現在の「シルク博物館」は、バレンシアの「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」の建物を修復したものです。この「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」の前身だった「ビロード織物師組合 (Tejedores de terciopelo-バレンシア語では Gremi de Velluters)」は1479年に発足しました。これは、一部の生産者の品質不足により生じた対立から、バレンシアの絹織物生産の基準を統一する必要があったからです。そして、1479年2月16日にギルドの最初の条例が承認され、これらの条例はカトリック王フェルナンドによって1479年10月13日に公式に批准され、その後、1686年にはカルロス2世によって「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」に格上げされました。
「ベジュテルス(Velluters)」と呼ばれるビロード織職人がたくさん住んでいた地区が、今でも同じ名前の地区名でバレンシアの市内に残っています。そこにカルロス2世によって「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」に格上げされた組合の建物があります。建物自体は15世紀建築のバロック様式で1981年には国の歴史・芸術遺産に指定されますが、長い年月の間にすっかり廃れた状態にあったこの建物は大掛かりな修復工事が行われ、2016年に「バレンシア シルク博物館」として生まれ変わりました。
「シルク博物館」のアーカイブは、15世紀から20世紀末までのバレンシア経済の変遷を研究する基礎資料の一つとして重要視されています。特に、15世紀バレンシアの商業や社会構造、そして当時の交易路や条約とのあらゆる関係を理解することに重要な役割を果たしています。(バレンシア「シルク博物館(Museo de Seda)」のオフィシャルサイトの説明より)
バレンシアの「シルク博物館」では、ベジュテルと呼ばれるビロード織の実演を見ることはできませんでした。というのも、昨年2022年に「最後のビロード織師(El último Velluter)」だったビセンテ・エンギダンツ氏が他界したため、もう2度とバレンシアの伝統工芸ビロード織の実演を見ることができなくなったからです。本当に残念なことです。