番外編 バードウォッチング!-「羊と鳥の楽園シェットランド諸島」-1-(スコットランド/シェットランド諸島/アンスト島)

観察日:2023年6月9日

スペインではないのですが、番外編として今回から3回シリーズで、英国最北端に位置するシェットランド諸島でのバードウォッチングについて紹介します。

第1回は、アンスト島(Unst island)にあるハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)と、宿泊地バルタサウンド (Baltasound) です。

ハーマネス国立自然保護区の遊歩道の一部には板が敷いてあります。この板道の周りには、見えないところに鳥たちの巣があります。(写真: 筆者撮影)

羊と鳥の楽園-ハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)

シェットランド諸島のアンスト島(Unst island)に、英国最北端にあるハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)があります。ここは、欧州のバードウオッチャー達が一度は訪れてみたい憧れの島の一つとしても知られています。というのも、巨大な海食崖と湿原からなる島は、様々な鳥にとって理想的な生息地だからです。シロカツオドリ(スペイン語ではAlcatraz)やフルマカモメ(Fulmar)、それにパフィン (Frailecillo) と呼ばれるニシツノメドリ等の海鳥のコロニー((集団)繁殖地、(集団)営巣地) があり、10万ペアを超える鳥が繁殖するハーマネスは、国際的に重要な場所なのです。

ハーマネスにある伝説では、ハーマネスにはかつてハーマン(Herman)という巨人が住んでいて、ハーマンは人魚をめぐってサクサ(Saxa)と呼ばれる別の巨人と戦いました。この二人の巨人は互いに石を投げ合い、それが岬を取り囲む岩や離れ岩となったと言われています。(Wikipediaより) どこの国や地域にも、奇景がある場所には伝説が付いて回るものです。二人の巨人ハーマンとサクサの石の投げ合いはなかなかの見物だったでしょう。巨人たちが投げた石による離れ岩などが造るハーマネスの風景は見応えがあります。

二人の巨人の石の投げ合いによってできた岬を取り囲む岩や離れ岩。「絶景」という言葉がぴったりです。(写真: 筆者撮影)

海の方ばかり目が行きがちですが、ハーマネス国立自然保護区を歩いていくと見渡す限りの平原が続いています。アンスト島には自生の木は1本もありません。というのも、この島は一年中風が強く、木が生えるには過酷な自然環境だからです。初めてこの島を訪れた時、360度全く木を見ることのないその風景に驚かされました。日本人の私は、島というと木々に覆われた場所を想像してしまいます。その代わり、地に這いつくばって生えている草の野原やボグまたは泥炭地と呼ばれる湿原が広がっています。ちなみにボグまたは泥炭地はスペイン語ではトゥルベラ(Turbera)と呼ばれているもので、森林に覆われていない、泥炭を生成する生きたスギゴケ、ミズゴケ等の植物からなる湿地です。また泥炭は泥状の炭で、石炭の一種で可燃性です。アイルランドの知人の話では、自分の家の裏にある泥炭地の泥炭を取ってきては乾燥させ、暖炉にくべて暖を取っていたそうです。

木が1本も生えていない景色は私の心に染みいり、この島を出てからもいつまでもいつまでも思い出す景色です。(写真: 筆者撮影)

そのボグまたは泥炭地と呼ばれる湿地帯にも、様々な鳥たちが繁殖しています。代表的な鳥はトウゾクカモメ(Págalo)です。ハーマネスは世界で3番目に大きいトウゾクカモメのコロニーがあるところでも有名です。5年前にハーマネス国立自然保護区を訪れた際、驚くほど沢山のトウゾクカモメが飛び回っているのが印象的でした。今回はそこまでトウゾクカモメの姿を見なかったので、時期的なものかな、巣作り時期で見えないのかな等と勝手に想像していましたが、実は、去年から鳥インフルエンザが猛威を振るい、半分以上のトウゾクカモメ達が犠牲になったとのことでした。日本でも鳥インフルエンザの被害が記録的なものとなっていることをニュース等で聞いてはいましたが、ここシェットランド諸島でもその被害は甚大だったようです。

トウゾクカモメという人聞きの悪い名前が付けられていますが、水を飲む姿は憎めないですね。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

その他、ヨーロッパムナグロ、ハマシギ、タシギなどの良好な生息地にもなっています。

鳥の数に負けないくらいここに沢山いる動物は、シェットランド・シープです。春に生まれた子羊たちが、お母さん羊と一緒に草を食んでいました。大人の羊たちは、人間の私たちが歩いていても見向きもせずひたすら草を食むことに忙しくしていましたが、子羊たちは好奇心旺盛で、草を食むのを止め私たちの方をしきりと見ています。たまに私たちが近くにいるのに気づくのが遅い子羊もいて、私たちの存在に気付くとびっくりして慌ててお母さん羊の許に走っていきます。もう草を食むくらい少し大きくなっている子羊たちですが、不安や驚きの後はお母さんの胸の下に頭を突っ込み、少しおっぱいを吸って気持ちを落ち着かせているようでした。人間の子供と一緒だな、なんて思いながら、「怖がらなくても大丈夫だよ」と優しく声をかけてみましたが、日本語だったので分かりませんよね。(笑)

私が写真を撮っていることに興味津々でこちらをジーっと見つめている子羊。(写真: 筆者撮影)

圧倒的に羊と鳥の数の方が人間の数より多いこのシェットランド諸島にあるアンスト島は、まさしく羊と鳥の楽園でした。

人見知りしないパフィン達(Frailecillo atlántico

ハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)に入って歩き出して約1時間、遂にパフィンと再会できました!

最初のパフィンと再会してから更に15分ほど歩いていくと、沢山のパフィンが崖にある無数の穴の近くにいました。6月は巣作りの真っ最中なのです。こちらが驚くほどすぐ近くにパフィンが居て、そっと近づいてみても全く怖がる気配もなく、飛んで逃げるわけでもなく、野生の鳥かしら?!と疑ってしまったくらいです。(笑) 静かにパフィンを観察していましたが、時間が経つのを忘れてずっとずっとパフィンを観察してしていたい気持ちで一杯でした。歩く姿がぎこちなく、まるで歩き始めた赤ちゃんのようなおぼつかない足取りが、コミカルでもあり癒しでもありました。

すぐ近くで見れるパフィン達。まるでピエロのようにおしろいを塗って化粧をしているかのような顔です。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

途中の案内板に、「巣穴を傷つけないよう、歩いたり座ったりする場所に注意すること。」という注意書きがありましたが、手を伸ばしたほんの少し先にはパフィン達の巣があり、パフィン達が活動していました。

崖肌には、沢山のパフィンの巣の穴とパフィン達がいました。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
パフィンまたはニシツノメドリ(学名:Fratercula arctica / 西:Frailecillo atlántico) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

シヲカツオドリ(Alcatraz)のコロニー

パフィンと別れ、灯台が見える崖っぷちまで更に歩いていきました。この灯台が見える所まで約2時間くらいでした。灯台は、アンスト島ではなく、マックル・フラガ島という岩だらけの島に建てられています。そのマックル・フラガ島の前に魚の群れがやって来たのでしょうか。それまでアンスト島の岩の上でのんびり日向ぼっこをしていたシヲカツオドリ達が、一斉に飛び立ったのです。本当に一瞬のことで驚きと共に息をのむ光景でした。そして無数のシヲカツオドリがマックル・フラガ島の前に飛んでいき、勢いよく垂直に海に突っ込み魚を捕る姿は迫力満点でした‼ アンスト島から肉眼で見るには少し遠かったので、双眼鏡をのぞいて見ていましたが、シヲカツオドリが持つ魚の捕獲技術には舌を巻きました。

飛ぶ姿が美しいシヲカツオドリ。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

BBC放送がシヲカツオドリの魚の捕獲する映像をYoutube にアップしていますので、是非ご覧ください。時速100kmの速さで空から海に突っ込んでいく姿等、本当に驚嘆することしきりです。

前述したようにハーマネスには、シヲカツオドリのコロニーがあります。私たちもコロニーを見に行きました。ハーマネス国立自然保護区に入り、歩き始めて45分くらいの所に左右へ行く分岐点があります(下の写真右側の地図の赤い丸い部分が分岐点です)。右へ行くとパフィンに出会え、マックル・フラガ島の灯台が見える所まで行けます。左へ行くとサイト(Saito)と呼ばれる散策コースで、シヲカツオドリのコロニーがある所に行けます。私たちは、先にパフィンに会いに行くために右の道を選びました。

ハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)の中の2本の遊歩道の案内板。(写真: 筆者撮影)

ハーマネスに着いたのが午前9時前だったので、まだほとんど人影もなく、この広い世界に無数の鳥たちと羊の親子、そして私たち二人きりという何とも言えない不思議な感覚を味わいました。パフィンを観察している間に年配のカップルがやってきたので少し言葉を交わしましたが、その時、「先に左の道を選んだのでシヲカツオドリのコロニーを見てきたよ。」と教えてくれました。ただ、「時間的に早すぎて太陽の光が届かない場所にコロニーがあったので、ちょっと暗くて良い写真が撮れなかった。」と残念そうに話していました。私たちは、シヲカツオドリのコロニーに着いたのが既に午後2時を回っていたので、丁度良い具合に光がコロニーに射し、コロニーも良く見え、良い写真も撮れました。良いことづくめでした!

シヲカツオドリのコロニー。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

上の写真でもお分かりになると思いますが、岩肌には無数のシヲカツオドリがいました。これだけの数の鳥を見ると圧倒され、私たちが彼らの世界にお邪魔しているという謙虚な気持ちを呼び起こしてくれます。

アツアツのシヲカツオドリのカップル (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

シヲカツオドリのつがいは、コロニーで入念な求愛儀式を行い、くちばしと頸を空に向けて伸ばし、それから互いにくちばしを軽くたたき合います。カツオドリの顔は歌舞伎役者を連想させます。目の周りが青色をしていて、とても美しい鳥です。

シヲカツオドリ(学名:Morus bassanus / 西:alcatraz común) /(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

その他の鳥たち

前述したようにフルマカモメのコロニーもあります。岩肌の段になっている所に、まるでフルマカモメ達の団地のようなコロニーがありました。

-フルマカモメ(学名:Fulmarus glacialis / 西:Fulmar)

つがいで巣にいるのは、卵を孵化しているのかもしれません。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

ちなみに、フルマカモメの名前の「フルマ」はノルウェー語で「悪臭のするカモメ」の意味に由来します。というのも、フルマカモメは、危険を感じると口から悪臭のする液体を吐き出す防御行動を取るのです。「悪臭のするカモメ」という名前には似合わない優しい顔つきをしたカモメで、私のお気に入りの鳥の一つです。

コロニーがある場所には、低草の花が咲いていました。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

その他、歩いている最中に出会った鳥たちを紹介します。

-ヒバリ(学名:Alauda arvensis / 西:Alondra común)

ヒバリ(学名:Alauda arvensis / 西:Alondra común) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-ヨーロッパビンズイ(学名:Anthus trivialis / 西:Bisbita arbóreo)

ヨーロッパビンズイ(学名:Anthus trivialis / 西:Bisbita arbóreo) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-シェットランド諸島のミソサザイ(学名:Troglodytes troglodytes zetlandicus / 西:Chochín de Las Islas Shetland)

シェットランド諸島のミソサザイ(学名:Troglodytes troglodytes zetlandicus / 西:Chochín de Las Islas Shetland) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-ヨーロッパヒメウ(学名:Gulosus aristotelis / 西:Cormorán moñudo)

ヨーロッパヒメウ(学名:Gulosus aristotelis / 西:Cormorán moñudo)/ (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-ハマシギ(学名:Calidris alpina / 西:Correlimos común)

ハマシギ(学名:Calidris alpina / 西:Correlimos común / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-キバシヒワ(学名:Linaria flavirostris / 西:Pardillo piquigualdo)

キバシヒワ(学名:Linaria flavirostris / 西:Pardillo piquigualdo)/ (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-トウゾクカモメ(学名:Stercorarius pomarinus / 西:Págalo pomarino)

トウゾクカモメ(学名:Stercorarius pomarinus / 西:Págalo pomarino)/ (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

バルタサウンド (Baltasound)

今回は、アンスト島の中で一番大きな町バルタサウンド(Baltasound) で宿泊しました。同じ名前の湾がありますが、この町は以前、シェットランド諸島で最も重要なニシン港でした。バルタサウンド湾付近で見かけた鳥たちも紹介します。

-マキバタヒバリ(学名:Anthus pratensis / 西:Bisbita pratense)

マキバタヒバリ(学名:Anthus pratensis / 西:Bisbita pratense) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-キョクアジサシ(学名:Sterna paradisaea / 西:Charrán ártico)

キョクアジサシ(学名:Sterna paradisaea / 西:Charrán ártico) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-ホンケワタガモ(学名:Somateria mollissima / 西:Éider común)

ホンケワタガモ(学名:Somateria mollissima / 西:Éider común) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

-ミヤコドリ(学名:Haematopus ostralegus / 西:Ostrero euroasiático)

ミヤコドリ(学名:Haematopus ostralegus / 西:Ostrero euroasiático) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

2度目のアンスト島、ハーマネスでしたが、前回同様、いや前回以上に素晴らしい訪問でした。前回は8月末ということもあり巣から離れてしまっていた鳥たちが多く、今回のようにこんなに近くでパフィンを見ることはできませんでした。また、シェットランド諸島本島のラーウィック(Lerwick)の街に宿泊したので、ラーウィックからハーマネス国立自然保護区までは車で約2時間半ほどかかり、帰りのフェリーの時刻に合わせて時間的に制限された滞在となったので、シヲカツオドリのコロニーがあるサイト(Saito)コースまで行くことができませんでした。今回は朝9時前にはハーマネス国立自然保護区に入り、のんびりと持参したお昼御飯も食べて夕方4時前までたっぷりゆっくり7時間かけて歩き回ることができました。

ここは、時間の流れが止まり、悠久の世界に身を任せているような不思議な感覚が湧き上がってくる場所です。こんな北の果ての自然保護区に来る人は、よほど鳥好き、自然好きな人ばかりで、すれ違いざまに挨拶し、立ち止まって静かにちょっとした会話を交わす喜びは、普通の場所ではなかなかない経験でした。

草の絨毯を歩いているようなホワホワ感を足の裏に感じながら、ヒバリ(Alondra)やダイシャクシギ(Zarapito)等の様々な鳥の声と「ウン、メー」となく羊の声を聴きながら、そして北海の強い風を体全体で受け止めながら歩いて回る満足感は、非日常の世界に身を置き全てのことから解放される満足感と相重なって、本当に素晴らしい時間でした。バードウォッチングが好きな方はもちろん、そうでない方も是非訪れてみてほしい所です。

鳥に興味のない方もきっと好きになるパフィン達。(写真: 筆者撮影)

参考

旅のアドバイスとして、ちょっと一言。

フェリーの時刻などに煩わされずゆっくり満喫できるよう、宿泊地はアンスト島をお薦めします。私が今回宿泊したバルタサウンドからハーマネス国立自然保護区までは、車で約15分でした。

また、私は今回6月に訪れましたが、ホテルを予約するのが1ヵ月ほど前だったせいか、ホテルやB&B等の宿泊施設が満杯で、何とかぎりぎりで1軒予約を入れることができました。この時期はシェットランド諸島全体で宿泊施設不足になるようです。できるだけ早めに、少なくとも2ヵ月前までには宿泊施設を予約されることをお薦めします

ハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)にあるシヲカツオドリのコロニーの写真を撮りたい方は、少なくとも6月時点では午後に行く方が太陽の光が当たり良い写真が撮れそうです。

最後に、風よけの耳当てや帽子、手袋は、真夏でも持参された方が安心だと思います。また、ハーマネス国立自然保護区では湿地帯を歩くこともあります。できれば防水靴を履いて行った方がよいでしょう。

ハーマネス国立自然保護区のパノラマ写真。(写真: 筆者撮影)

・ハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)を管理しているスコットランドの自然エージェンシーのウエブサイトです。

https://www.nature.scot/enjoying-outdoors/visit-our-nature-reserves/hermaness-national-nature-reserve

ロマネスクへのいざない (11)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (8)– ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)

ブルゴス県のデマンダ連峰にある小さなビスカイーノス村は、ペドロソ川のそばにあり、標高1000mを超える所にある。私が目指したサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)は村へ入る道路に隣接して立っているので、すらっとした鐘楼がいきなり目の前に現れた。

アーチ型夫婦窓が美しい教会だ(写真: 筆者撮影)

この村は、この町を囲む広大な山岳地帯全体と同様に、9世紀末から10世紀にかけて政治的にも人口の面でも重要な位置を占めていた。そして、この時代はアストゥリアス-レオン王国とカスティージャ伯爵領の人口補充が進んだ時期とも重なる。(「arteguias」ウエブサイトより)

シエラ派 (Escuela de la Sierra) の職人たち

以前紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の最後にも言及したが、この地方には、シエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰があり、そこから由来する名前でシエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った職人たちがいた。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)についてはこちらをどうぞ。

このシエラ派(La escuela de la Sierra)の職人たちは、主に10世紀、11世紀、12世紀にかけて活躍した。そして12世紀にはその姿が消え始める。理由は、シロス修道院の回廊を作った4人の親方職人たちの覇権が強かったことに由来する。

水平な教会の単調さを破る高い塔、そして特にその彫塑的な造形(escultura monumental)はシエラ派(La escuela de la Sierra)の特徴として挙げられる。また、現在鐘楼としての役割を果たしている塔が、建設当初は防御の役割を担っていたことも特筆すべき点である

その他のシエラ派(La escuela de la Sierra)の教会について興味のある方はこちらもどうぞ。

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)の最初の教会は、プレロマネスク様式で9~10世紀に建てられたが、11世紀の終わりまたは12世紀の初めに、シエラ派 (La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスク様式のものに取って代わった。そして、12世紀後半には、同じロマネスク様式ではあるが別の流派であるシレンセ派(La escuela de la Silense)により、柱廊のある玄関(La galería porticada)と、鐘楼(La torre)が追加された。

近代に入り、何度か改修工事が行われた。最も重要なのは18世紀のことで、前述の回廊のある玄関(La galería porticada)が解体され、再建された

車を降りて教会の入口へ歩いていくと、先程目の前に現れたすらっとした鐘楼の姿のイメージとは全く異なる堂々とした姿が現れた。ただ、他のシエラ派(La escuela de la Sierra)による教会に比べ柱廊のある玄関(La galería porticada)は簡素だ。それでも、横の広がりと高い塔による縦への広がりの調和が美しい教会だ。

砂岩の石組みは濃い褐色、または深い紫がかったトーンもある色で、落ち着いた雰囲気がある(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

シエラ派(La escuela de la Sierra)特有の彫刻

コーニス(軒蛇腹)部分にある持ち送りには、シエラ派特有の自然主義ではないが原始的で表情豊かな様々な彫刻が施されている。

2頭のライオンの首をロープで掴んでいる人物が描かれた彫刻は面白いモチーフで注目に値する。

なんとなく漫画チック。2頭のライオンはちょっととぼけた顔をしていて迫力には欠けるが、憎めない(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらは猿だろうか。歯を食いしばって立派な歯を見せているところは笑いを誘われる。

確かに原始的だがとても親しみを持てる彫刻ばかり(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

性を示す男性。頭でっかちでこちらも笑いを誘う。それにしても教会も以前は性に対してもっと寛容だったのだろうか。ロマネスクでは時々見るモチーフである。

教会に想像上の動物などが彫られていてるのは不思議だが、性を示す男性が彫られているのはもっと不思議だ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

arteguias のウエブサイトには、「これは、メソポタミアから中世ヨーロッパに伝わった古代の図像であろう。」と言及されていました。そうだとすると、これらの彫刻たちは長い時間をかけて遠いところからやって来たんだ、お疲れ様、と労をねぎらいたくなってしまう。(笑)

シレンセ派(Escuela de la Silense) の彫刻

ここから近いサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)で活躍した職人達がシレンセ派(La escuela de la Silense)である。前述したように12世紀末にシレンセ派(La escuela de la Silens)の職人たちが、柱廊のある玄関(La galería porticada)と鐘楼(La torre)を造った。彼らが彫った柱廊のある玄関(La galería porticada)の柱頭などはかなりシエラ派(La escuela de la Sierra)のものとは趣を異にしてる。

ロマネスクでは好んで用いられたモチーフの女の頭を持つ鳥ハイピュリアとドラゴンが見える。シレンセ派(La escuela de la Silens)の方が緻密かつ高度な技術があることが分かる。ただ、シレンセ派(Escuela de la Silens)の彫刻のようなユーモラスさ、温かみのある表情には欠ける。

木の実またはブドウを食べるドラゴン(左側の柱頭)と向い合せに配置されているハイピュリア(右側の柱頭)(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(La galería porticada)の入口の両側にある柱頭には、右側にはライオン、左側にはドラゴンが彫られているが、シエラ派(La escuela de la Sierra)のようなおとぼけライオンではなく、歯をむき出した凶暴な雰囲気を現し毛並みも細かく彫ってあり迫力満点。

同じ教会に施された彫刻も、異なる派の職人の手によるとこんなにも趣の異なるものになるのかと驚かされる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

鐘楼(La torre)

鐘楼も同じシエラ派(La escuela de la Sierra)が12世紀後半に造ったものだ。この鐘楼は3層から成り、下の層は上層部の構造部分を支える高台としての役目を持ち、南北方向に完璧な半円筒形ヴォールトで覆われている。真ん中の層は、四方にアーチ状夫婦窓があり開口している。上の層は、真ん中の層よりも幅の狭い小窓があり、これもアーチ状夫婦窓である。このアーチ状夫婦窓は、2本の外柱に半円形のアーチで囲まれた中にあるという特徴があり、更にリズミカルな印象を私たちに与える。

上層部分のアーチ状夫婦窓が小さくなることにより、まるで天に昇っているような錯覚も与えられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーチ状夫婦窓の柱頭には、小型の果実、シダのような葉、人の頭、四足獣、ハイピュリア、ワシなどが描かれている。(「arteguias」ウエブサイトより)

小型の果実がぶら下がっている柱頭(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

四足獣がみえる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

全く異なる時代の様式で改築されている教会や建物は多いが、このビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、同じロマネスク期の中で職人たちが属する派の相違により異なる特徴を持った彫刻や石組みの仕方などがひとつの教会の中に見られる貴重な教会の一つだろう。

洗練されたシレンセ派(La esuela de la Silense)が、温かみがあり表情豊かではあるものの原始的なシエラ派(La escuela de la Sierra)を席巻し、遂には消滅させてしまったというこの地方の歴史から、当時の職人たちの市場獲得の激しさを垣間見たような気がした。

こちらは、造られた時期によって石の組み方の違いや、教会内部にある西ゴード時代の洗礼盤等も見れるので見逃すにはもったいない動画。

デマンダ連峰(Sierra de la Demanda)にあるシエラ派 (Escuela de la Sierra) の建物

今から約1ヵ月ほど前に、ブルゴス県観光課によりシエラ派 (La escuela de la Sierra) の教会を紹介する動画が計10本 youtube にアップされた。その中から幾つか紹介する。残念ながらスペイン語のみだが、内部や教会の周囲などの様子が分かり興味深い動画だ。

・12世紀に造られたバルバディージョ・デ・エレーロスの聖コスメ&聖ダミアン礼拝堂 (Ermita de los Santos Cosme y Damián de Barbadillo de Herreros)を紹介した youtube 。

・プレロマネスク時代の10世紀~11世紀に造られ、その後12世紀に増築されたトルバーニョス・デ・アバホの聖キルコ&聖フリタ教会 (Iglesia San Quirco y Santa Julita de Tolbaños de Abajo)を紹介した youtube 。

・12世紀末に造られたアルランソンの聖大天使ミカエル教会 (Iglesia de San Miguel Arcángel de Alranzón)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリオカバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma de Riocavado de la Sierra)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリコバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de San Millán Obispo de San Millán de Lara)を紹介した youtube 。

参考

ここで紹介したビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_VIZACA%C3%8DNOS_DE_LA_SIERRA.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/vizcainosdelasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

https://goo.gl/maps/JdMPigBAKd1zY3pD8?coh=178573&entry=tt

村上春樹氏、日本人作家初のアストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)受賞!

去る2023年5月24日、「スペインのノーベル賞」とも呼ばれる「アストゥリアス皇太子賞」の文学部門の今年の受賞者に、日本人作家の村上春樹氏が決まりました!おめでとうございます!

アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)(Wikipedia Public Domain)

アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)とは

「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」は、現在のスペイン国王フェリペ6世が皇太子だった1980年に、皇太子の称号を冠して設立されたアストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)により創設され、「コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)」、「社会科学部門(Premio Príncipe de Asturias de Ciencias Sociales)」、「芸術部門(Premio Príncipe de Asturias de las Artes)」、「文学部門(Premio Príncipe de Asturias de las Letras)」、「学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)」、「国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)」、「共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)」、「スポーツ部門(Premio Príncipe de Asturias de los Deportes)」の8部門の賞があります。

今回の文学部門での村上春樹氏の授賞に際しては審査員全員一致で決まり、授賞理由について、日本の伝統と西洋文化の遺産を野心的かつ革新的な叙述で調和させ、独自の文学を持ち、世界的に受け入れられている作家だと位置づけたうえで、その作品は、孤独や存在不安、都市の非人間化、テロといった現代の重要な主題や困難を表現することに成功し、全く異なる世代にまで受け入れられていると述べています。そして、最後に現代文学における現代文学における主要な長距離ランナーの一人だ、とたたえました

スペイン語ですが、アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の公式サイトにこの授賞について詳しくでています。興味のある方はどうぞ。

https://www.fpa.es/es/premios-princesa-de-asturias/premiados/2023-haruki-murakami.html

文学部門での日本人受賞は初めてですが、作家村上春樹氏はスペインでも人気が高い日本人作家のひとりです。既に24冊の本がスペイン語に翻訳されています。新刊「街とその不確かな壁」も来年の春にはスペインでも出版される予定です。

これまでの日本人受賞者

ちなみに、この「アストゥリアス皇太子賞」の日本人の受賞者は想像以上にいました。現在までの受賞者の皆さんは次の通りです。

1.国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)で、1999年に宇宙飛行士の向井千秋氏が日本人として初めて、米国やロシアなどの宇宙飛行士3人と共に受賞されました。

2.学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)で、2008年に物理学者でもあり化学者でもある飯島澄男氏が、アメリカの中村修二氏をはじめとするアメリカ人学者4人と共に受賞されました。

3.共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)で、2011年に福島第一原子力発電所事故の対応に当たったフクシマ50(消防士、自衛官、警察官、作業員)の方々が受賞されました。また、同じ部門では、2022 年には建築家の坂茂氏が受賞されました。

4.コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)では、2012年に任天堂株式会社代表取締役フェローの宮本茂氏が受賞されました。

去年2022年に、建築家の坂茂氏が受賞されていたので、2年連続の日本人受賞の快挙ですね。坂茂氏も、スペインで有名な方です。

今でも鮮明に記憶にあるのが、福島第一原発の事故で放水作業や住民の避難誘導に当たった、自衛隊と警察、消防の部隊フクシマ50の方々に送られた2011年の共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)です。その時のフクシマ50のスペイン語名称は、「フクシマの英雄たち(Héroes de Fukushima)」というものでした。

授賞の理由として、「津波によって引き起こされた原子力災害による壊滅的な影響の拡大を、その決断が自分達の生命に深刻な影響を及ぼすことをも顧みず、自己犠牲によって防ごうとした、人間として最高の価値観と勇気を体現した人たち-フクシマの英雄たち」と褒め称えました。

授賞理由を聞いた際、胸が熱くなり涙が出たのを今も思い出します。

スペイン語ですが、この受賞についてもっと知りたい方はこちらをどうぞ。

https://www.fpa.es/es/premios-princesa-de-asturias/premiados/2011-heroes-de-fukushima.html?especifica=0

最後に

さて、スペイン語を勉強している皆さん、またはスペイン語をご存じの方は、この「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」を見て、疑問に思われたことと思います。というのも、スペイン語の「Premios Princesa de Asturias」を日本語に訳すと、実は、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」となるからです。

アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の名称は現在、アストゥリアス王女財団(Fundación Princesa de Asturias)と改称されています。何故なら、2014年に皇太子から国王フェリペ6世として即位されたことにより、長子である王女レオノールがアストゥリアス公を継承しました。そのため、現在の名称は「アストゥリアス女王財団(Fundación Princesa de Asturias)」となったという訳です。本来ならば、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」とするべきですが、日本の報道機関で使われている従来の「アストゥリアス皇太子賞」という名前でこのブログの記事も統一しています。

補足すると、スペイン王家が持つこのアストゥリアス公の称号は、1388年、カスティーリャ王フアン1世が王位継承者を指定するためにアストゥリアス王子の称号を創設したことに端を発したものです。それから600年以上も続くスペイン王家の由緒正しい称号なのです。