サラマンカの隠れスポット-カリスト&メリベアの庭(Huerto de Calixto & Melibea)

石畳の通り、石造りの建物の多いサラマンカの街の中にある「カリスト&メリベアの庭」は気持ちを和ませてくれる憩いのスポットです。ここに入ると季節の花の香りやさまざまな色彩の花たちが暖かく迎えてくれます。暑い夏には、木陰の下でホッと一息つける場所でもあります。

カリスト&メリベアの庭の入口(写真:筆者撮影)

ラ・セレスティーナ(La Celestina)の舞台

この庭の名前になっている「カリスト」と「メリベア」は、15世紀末に出版されたスペインの悲喜劇「ラ・セレスティーナ(La Celestina)」(原題は「カリストとメリベアの悲喜劇」)の主人公です。そしてこの庭がその戯曲の舞台といわれています。この戯曲を書いたフェルナンド・デ・ロハス(Fernando de Rojas)は、サラマンカ大学で法学を学んだと言われ、「ラ・セレスティーナ」の本の中で「アルセディア―ノ通り」の名前が出ていて、サラマンカに実在する「アルセディア―ノ通り」の突き当りにあるこの庭が舞台だろうと言われているわけです。

原題を見るとわかるように主人公はカリストとメリベアでしたが、二人の悲しい恋の仲立ちをした老女セレスティーナがあまりにもやり手婆さんで主人公よりも強烈な登場人物だったので、今では彼女の名前がこの本の題名になっているほどです。

「ラ・セレスティーナ(La Celestina)」はスペインの学校でも必ず勉強する本の一冊で、スペイン人にとってはセルバンテスの「ドン・キホーテ」と同じように知らない人のいないスペイン文学を代表する一冊です。奸智に長けたやり手婆さんのセレスティーナをはじめとするすべての登場人物の性格を鋭く描写し、身分階級に適した言葉使いや表現を駆使して、一人一人をくっきりと浮き彫りにしているところが何といってもこの本の醍醐味だと言えるでしょう。

3月にはプリムラの花が植えられ、眼を楽しませてくれます(写真:筆者撮影)

ラ・セレスティーナ(La Celestina)から生まれた言葉と絵画

このやり手婆さんの名前「セレスティーナ」から、「セレスティーナ(celestina)」という言葉が生まれました。「セレスティーナ(celestina)」の意味は、【売春斡旋業者、売春宿の主人、やり手ばばあ】と手元のスペイン語辞書には出ています。同じスペインの戯曲「セビリアの色事と石の招客」に出てくる「ドン・フアン」が【プレイボーイ、女たらし】の代名詞として知られているように、「セレスティーナ(celestina)」は【男女の仲介をする人、やり手婆さん】などの代名詞として使われるようになりました。

また、スペイン語に llevar (a alguien) al huerto という遠回しな表現があります。これは、性的関係を結ぶという意味です。最初の写真を見て頂くとわかりますが、「カリスト&メリベアの庭」はスペイン語では「Huerto de Calixto y Melibea」で、「Huerto」は本来の意味では「菜園、果樹園、畑」などの意味があります。この「Huerto」にカリストがメリベアを連れて行って逢引きしたという「ラ・セレスティーナ」の本からこの表現は生まれました。

そして「ラ・セレスティーナ」から生まれた絵画と言えば、宮廷画家として活躍したフランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)が描いた「マハとセレスティーナ」とパブロ・ピカソのその名もずばり「ラ・セレスティーナ」です

どちらの作品もいかにもやり手婆さん、一癖も二癖もありそうな感じに描かれていますね。

Francisco de Goya:

             ゴヤの「マハとセレスティーナ」

パブロ・ピカソ、【ラ・セレスティーナ】、希少画集画、新品高級額・額装付、状態良好、送料無料、Pablo Picasso_画像1

    ピカソ 「ラ・セレスティーナ」

こんな「ラ・セレスティーナ」に思いを馳せながら、今では「菜園」ではなく「庭、公園」になっている「カリスト&メリベアの庭」をゆっくり散歩してみてくださいね。

ここからサラマンカ郊外も見渡せ、サラマンカ大聖堂やサン・エステバン修道院なども見れます。

是非、サラマンカに訪れた際はどうぞ。

サン・エステバン修道院。手前は城壁にある塔。(写真:筆者撮影)

カリスト&メリベアの庭 情報

カリスト&メリベアの庭(Huerto de Calixto y Melibea)

開園時間:10時~日没まで

入園料:無料

住所:サラマンカ市アルセディア―ノ通り12番地 郵便番号 37001(C/ Arcediano, 12. Salamanca. 37001 Salamanca)

サラマンカ観光案内所

住所:サラマンカ市マヨール広場32番地 郵便番号 37002 (P/ Mayor, 32. Salamanca. 37002 Salamanca)

電話番号:902 302 002 / 923 218 342

FAX:923 263 409

E-Mail:informacion@turismodesalamanca.com

Webページ:http:/www.salamanca.es

・スペイン演劇の研究・紹介をされている古屋雄一郎氏のウエブページに「ラ・セレスティーナ」について出ています。興味のある方はどうぞ。

theatrum mundi | スペイン文学史上の怪物 (theatrum-mundi.net)

カリスト&メリベアの庭から見える大聖堂(写真:筆者撮影)

ロマネスクへのいざない (2)- カスティーリャ・イ・レオン州-サラマンカ県(1)-サラマンカ旧大聖堂(Catedral Vieja de Salamanca)

カスティーリャ・イ・レオン州はロマネスク建築の宝庫だ。ここサラマンカの旧大聖堂こと「サンタ・マリア大聖堂(Catedral de Santa María)」はイチオシのロマネスク建築である。このサラマンカ旧大聖堂とゴシック様式のサラマンカ新大聖堂は、二つの大聖堂がまるで新大聖堂が旧大聖堂を包み込むように建っている。正面からではなく、アールヌーボー&アールデコの「カサ・リス美術館(Museo Casa Lis)」前のパチィオ・チコ広場(Plaza de Patio Chico)から右に曲がりエル・アルセディアノ通り(Calle El Arcediano)から見上げると、二つの大聖堂の様式の違いがよく見て取れとても興味深いものだ。サラマンカに訪れる人には是非見てほしいアングルだ。

左のドームは新大聖堂、右の塔は旧大聖堂 エル・アルセディアノ通り(Calle El Arcediano)より望む(写真:筆者撮影)

建設時の時代背景

サラマンカ旧大聖堂は、12世紀前半に造り始め13世紀に完成した。

12世紀前半とは1100年から1130年位だと言われている。その当時のスペインはまだ統一されておらず、8世紀からイスラムの支配を受けていた時代だ。そして11世紀後半からキリスト教の軍勢によるコンキスタ(国土回復運動)が進んでいた。

ここサラマンカは、1085年キリスト教側の王アルフォンソ6世によって完全にイスラム王国から取り戻されたが、それまでのサラマンカはキリスト教王国とイスラム教王国の境界地帯であったため、それぞれの王国によって何度も解放されたり征服されたりしていて、街は多くの戦いによって破壊され悲惨な状態だったようだ。荒れ果てた廃墟の如き街に再入植して活気を取り戻すために、アルフォンソ6世は、娘婿のフランス人ブルゴーニュ伯ライムンドに助けを求めた。ライムンド伯爵は、色んな所からやってきた多くの人を連れてサラマンカの街にやってきた。フランス人をはじめ、ポルトガル人、カスティーリャ人、山岳民族セラーノ人など、様々な人たちが新しい土地をもらえるという約束のもとに喜びいさんでやってきた。そして、新しい共同体を治める法律家や裁判官などもサラマンカに移り住んだ。

興味深いことに、その当時サラマンカに住む人々はキリスト教徒の人たちばかりではなく、キリスト教徒でありながらイスラム教徒の治下にいたモサラべと呼ばれる人たち、ユダヤ教を信仰するユダヤ人たち、この街に残ることにしたイスラム教徒(ムスリム)の人たちがいて、文化や宗教が異なる全ての人たちが皆一緒にサラマンカの街興しに参加して仲良く暮らしていた時代だった

そういう街の雰囲気の中で、サラマンカ旧大聖堂の建設は始まった。

サラマンカ旧大聖堂 窓際の柱にある装飾グリーンマンと山羊(写真:筆者撮影)

ロマネスク様式の大聖堂

その当時、ヨーロッパのなかで後に「ローマ風の建物」と呼ばれるロマネスク建築が主流になっていた。サラマンカ旧大聖堂は、建築当初は純粋なロマネスク建築による大聖堂を作ることを目的とされた。しかし建築期間が長くなり、12世紀後半にはフランスから入ってきたゴシック建築がスペインでも取り入れられ、このサラマンカ旧大聖堂でも最終段階で建築された身廊部分では、尖頭アーチで交差リブの丸天井部分等でゴシック様式を見ることができる

また、サラマンカの街が発展し大きくなってくると、さらに大きな大聖堂を造ることになった。 

そして新大聖堂が造られた際、旧大聖堂北側の外陣の一部と北側の翼廊が壊された。通常は旧大聖堂を完全に取り壊し新大聖堂を造り直すことが多かった中で、サラマンカの場合は、新大聖堂の建築に長い歳月が費やされ、旧大聖堂を残してミサを行う必要があったため崩壊を免れたと言われている。そのおかげで、ヨーロッパの中でも最も美しいロマネスク建築の大聖堂の一つといわれるサラマンカ旧大聖堂が今日まで残ったのである。

雄鶏をかたどった風見を戴く塔を外から見ると、まるで魚の鱗で覆われ、ほぼ円錐形をした4つの小さい塔や窓の周りに規則正しく丸い飾りがある細長い窓や屋根に施されたカールした飾り等々、そのオリジナルで美しい姿は、一目見たら忘れられない。初めてこの塔を見たとき、幼い頃に読んだヘンゼルとグレーテルの物語に出てくるお菓子の家を思い出し、可愛い塔だなと思って顔がほころんだことを思い出す。ゴシック建築のあまりにも壮大で威厳のある姿とは異なり、ロマネスク建築には丸味や温かさを感じさせられる

サラマンカ旧大聖堂の中 ゴシック様式である尖頭アーチの交差リブが見える(写真:筆者撮影)

大聖堂の役割

街の歴史を学ぶ上で、建築の歴史は、その当時の人々のニーズ、思想、宗教、生活の基盤、衛生状態、生活の知恵等々色々なものが見えてきて面白い。

サラマンカ旧大聖堂は、イスラム教徒の王国からキリスト教徒の王国へと奪回された後にキリスト教を中心にこれから街興しを行っていくという希望、キリスト教の誇示、そして中世の建築精神に基づき戦いの際の防御となる役目も担わされていた。実際、窓はまるで矢狭間(やざま)のようである。

大聖堂は、平和時にも戦争時にも人々の心を一つにする役割を担っていた。

サラマンカ旧大聖堂の建築には、キリスト教徒だけが参加したのではなく、前述のようにキリスト教徒でありながらイスラム教徒の治下にいたモサラべと呼ばれる人たち、ユダヤ教を信仰するユダヤ人たち、この街に残ることにしたイスラム教徒(ムスリム)の人たち全てが皆一緒にこの建築に携わった。全ての人は皆「神の子」であると言われ、宗教に関係なくサラマンカの町興しに精を出した。

昔も今も大聖堂はそこに住む人たちの心の拠り所となっているのである。

サラマンカ旧大聖堂 窓際の柱にある装飾ドラゴンか?(写真:筆者撮影)

祭壇画

サラマンカ旧大聖堂の中に入ると、目を奪われ釘付けにさせられるのが祭壇画だ。これは15世紀のゴシック様式美術で、聖母マリアとキリストの生涯を絵で表している。世界的に見ても素晴らしい祭壇画の一つと言えるものだ。

アプス(後陣)に取り付けるため壁に沿って半円状に53枚の絵が縦に11列、横に5段あり、そして下から1階と2階の中央には、サラマンカの守護聖人である聖女ベガ(Virgen de la Vega)の像がある。

祭壇画の上にはキリストを中心とする「最後の審判」が壁に直接描かれている。この祭壇画の美しさときらびやかさはそれだけでただただ祭壇画の前でいつまでもいつまでも見ていて飽きないものがある。しかし、その一つ一つの絵の意味が解るとまるで聖母マリアとキリスト二人の人生の壮大な蒔絵を見ているような、又は人生劇を見ているような感覚になる。この世界の宝ともいえる祭壇画を見ずにサラマンカを離れた人は一生後悔するだろう。

必見の祭壇画(写真:筆者撮影)

雄鶏の塔(Torre de Gallo)

ロマネスク様式には珍しく、ビザンチン帝国の伝統で東洋的要素である雄鶏を塔の上に飾ってある。これは、スペインの南部から来た東洋の建築様式の知識があった、キリスト教徒でありながらイスラム教徒の治下にいたモサラべ達がもたらしたものである。

雄鶏の形をした風見からこの塔の名前は付けられたが、雄鶏は魂を監視し、終末にキリストが再来するというシンボルであった。

サラマンカ旧大聖堂といえばこの「雄鶏の塔」と言われるほどシンボリックなものである。

夕方になると金色の大聖堂となる(写真:筆者撮影)

「イエロ二ムス」(Ieronimus)

このサラマンカ旧大聖堂はゴシック建築の新大聖堂の隣に建っているので、ロマネスク建築とゴシック建築の相違が一目でわかる。また、旧大聖堂の入口の右手に行くと小さな入口があり「イエロ二ムス」という大聖堂の屋根を歩けるコースが設けられている。これに参加してみると、間近で「雄鶏の塔」や新大聖堂の上部を見ることができ、お薦めのコースだ。大聖堂を見るにはいつも見上げるものだが、このコースを回ると視線の位置が平行や下方へと変わり、距離もグッと近くなるので、新しい発見、予期せぬ感動や驚きを体験できる。そして、大聖堂の高い部分から大聖堂の内部を見下ろせるというなかなかできない体験ができる。

サラッと外や中から大聖堂を見るだけではなく、もっとゆっくり時間をかけて二つの大聖堂と祭壇画を見て感じてほしい。

情報・お薦め動画

・サラマンカ大聖堂のオフィシャルサイト。旧大聖堂の紹介がある。日本語はないが、グーグル翻訳での英語版あり。

La Catedral Vieja – Catedral de Salamanca (catedralsalamanca.org)

・こちらは、スペイン語での解説だが、サラマンカ旧大聖堂の中の映像などが見れる。

La Catedral Vieja de Salamanca – YouTube

・説明はスペイン語だが、1枚1枚の祭壇画が紹介されていて興味深い。

El retablo del altar mayor de la Catedral Vieja de Salamanca – YouTube

・旧大聖堂の「雄鶏の塔」が間近で見ることができる。サラマンカに訪れる方には絶対体験していただきたい「イエロ二ムス」。

スペイン旅行 サラマンカ 「大聖堂の屋根を歩く」Ieronimus, Salamanca – YouTube

ちょっとスペイン語 -7- Estar gafado/gafada (運が悪い)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

Estar gafado/gafada – 運が悪い、ついてない

動詞の gafar は、(人に)悪運をもたらすと、スペイン語辞書にでていますが、話し言葉でよく聞かれるものがこの Estar gafado/gafada です。

¡Qué gafado estoy! Esta mañana he ido de compras y me he torcido el tobillo derecho porque había un escalón que no me había dado cuenta. Luego, lo que quería comprar ya estaba agotado. Para colmo, he vuelto a casa y me he dado cuenta de que me había perdido mi monedero.

ついてないよ、全く! 今朝、買い物に行ったとき、右足首を捻挫しちゃった。段差があったのに気づかなかったんだ。その上、買いたかったものはもう売り切れちゃってたし。更に悪いことには、家に帰ったら財布を無くしたことに気づいたんだ。

ついていない時や、運が悪い時に、友人同士の会話ではよく使われる言葉です。

また、gafe という名詞&形容詞もよく聞かれます。ついてない(人)、ツキを失くしてしまう(人)、悪運をもたらす(人)という意味で使われます。

Soy gafe. En cuando toco el ordenador tengo probrema.

参ったよ。パソコン触っただけで問題が起こるんだ。

この場合は、estar 動詞ではなく、ser 動詞を使うことに注意してください。

日本語では、「僕は悪運をもたらすんだ」とか「僕は縁起の悪やつなんだ」というような言い方はしないので、ここでは軽く「参ったよ」という意訳にしています。こういう言い回しは、日本語にはない言い回しですが、慣れてくると面白い表現方法で、ネイティブ表現となります。友人同士の会話で、グッと滑らかで自然な会話となり、スペイン人の友人からみると外国人と話しているという気持ちの垣根を取り去ってくれる役目も果たしてくれますよ。

ただ、この表現はスペインでよく使われる表現で、南米ではあまり使われていないようです。

ところで、「縁起が悪い」という意味でも勿論使われています。

Antiguamente las mujeres eran gafes en los barcos, porque se consideraba que traían mala suerte.

かつて、航海では女性は悪運をもたらすと考えられ、縁起が悪いものとされていました。

女性を船に乗せるのは「縁起が悪い」「悪運をもたらす」ものとして考えられてきましたが、西洋の船には昔から女性の名前が多く付けられてきたのは面白いですね。