ロマネスクへのいざない (13)- アストゥリアス州(1)

文化
アマンディのサン・フアン教会(Iglesia de San Juan de Amandi) の正面 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

アストゥリアス州のロマネスクを訪ねて

アストゥリアス州にあるロマネスク巡りの旅に3泊4日で行ってきた。アストゥリアス州はスペイン北部に位置し、8世紀初頭にはイベリア半島がイスラム化され、イベリア南部・中部からイスラム軍勢の攻撃を逃れたキリスト教徒たちがこの地方に避難していた。その後、スペインのレコンキスタ(キリスト教勢力がイスラム教勢力に対して領土を取り戻そうとする運動)のきっかけとなる722年のコバドンガの戦い(アストゥリアスにあるコバドンガという場所で戦われた)に勝利し、アストゥリアス王国の端緒となった。

8世紀にアストゥリアス王国が建設され、910年に今のカステージャ・イ・レオン州のレオン市に王国が遷都しレオン王国が建設されるまでの約200年弱アストゥリアス王国は繁栄していた。この王国はキリスト教と密接に結びついていたため、11世紀から12世紀後半にかけてヨーロッパ中を席巻したロマネスク様式以前に建てられた教会がこの地方には多く残されており、アストゥリアス芸術とも呼ばれる建築様式が起こりこの地方の芸術において最も特徴的な象徴の一つとなっている。

その中でも、「オビエドおよびアストゥリアス王国のモニュメント」の名前でユネスコの世界遺産に登録されているアストゥリアスのプレ・ロマネスク芸術(アストゥリアス芸術)の建築は有名だが、今回の旅ではオビエドは含まれていない。オビエドについては別の機会に紹介するつもりだ。今回のロマネスク巡りでは、アストゥリアス芸術のプレ・ロマネスク芸術だけではなく、有名どころではない日本人にはほとんど知られていないロマネスク様式の教会等を訪ねたので紹介しよう。

アストゥリアス州 - Wikipedia
山あり海ありと風光明媚なアストゥリアス州。食べ物も美味!

ちなみに、今ではスペインの中では小さな州の一つとなっているが、アストゥリアス王国の最盛期には、ご存じの方も多いキリスト教三大巡礼地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラがあるスペイン西部のガリシア地方へと版図を拡大していた。

また、スペイン皇太子の称号は「Príncipe de Asturias(アストゥリアスの王子)」というが、これはこのアストゥリアス王国がキリスト教の最後の牙城となり、その後レオン王国、カステージャ王国、そしてスペイン統一へと発展していった直接の母体となったという歴史にちなんでこの名前からとられており、1388年に設けられた。(ウィキペディアより)

今回の旅行では、最初の2泊はビジャビシオサ(Villaviciosa)に泊まり、残りの1泊はアビレス(Avilés)に泊まった。ちなみにマドリードからは車で5時間程かかる。列車だと3時間40分~4時間程でヒホン(Gijón)まで着く。ヒホン(Gijón)は、今回泊まったビジャビシオサ(Villaviciosa)とアビレス(Avilés)のほぼ中間地点にある海沿いのアストゥリアス州で一番人口の多い街であり、アストゥリアス州の州都はオビエド(Oviedo)である。

第1日目: ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

第1日目に訪れたロマネスク建築は、ビジャビシオサ(Villaviiosa)にあるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)。

・ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

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ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会の正面玄関(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ビジャビシオサ (Villaviiosa)の街の中心地にある今も街の人達に愛されている教会。ゴシック様式の原型となる後期ロマネスク様式と呼ばれている13世紀末に造られた教会で、バシリカの間取り、幾つかの矢狭間(やざま)、側面の出入口、殆どの装飾がロマネスク様式として残っている。ゴシック様式としては、ファサードのこころもち尖ったアーチ、バラ窓、図像等に現れている。

第2日目: プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)からカモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)まで

第2日目に訪れたロマネスク建築並びにプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は次の通り。6ヵ所の教会を回り、そのうち1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、残りの5ヵ所はロマネスク建築だった。

プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)

正面玄関の入口はロマネスク様式等に比べると至って簡素。(写真:筆者撮影)

10世紀に造られたプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の教会。アストゥリアス美術を踏襲する半円筒ボールトで覆われ、祭壇を含む頭部 (Cabecera) が3つの部分に分かれたバシリカ間取りの教会。

3日目に訪れたバルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)をモデルとして造られたが、バルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)と同様に内部の装飾画は保存状態が悪い。それでも教会内にかすかに残る多色装飾は興味深いものだった。

・セブラジョのサンタ・マリア聖堂(Templo de Santa María de Sebrayo)

入口は後世に増築された雨除けで覆われている。(写真:筆者撮影)

12世紀に建てられたこの教会は、身廊は一つで長方形の間取りであり、祭壇を含む頭部 (Cabecera) は正方形であまり高さはない。教会の聖具納室と柱廊は後の時代に付け加えられている。内部は見ることができなかったが、ビジャビシオサの観光ウエブサイト(Turismo Villaviciosa)によると、身廊は木造の露出した構造で、祭壇を含む頭部 (Cabecera) は樽型アーチで覆われている。両者は、植物の柱頭で装飾された両側の柱に支えられた二重アーキボルトの主要門 (arco de triunfo) で隔てられている。

ビジャビシオサの街からは車で15分位だが、途中の道が細くかなり孤立した場所にひっそりと建っていたのが印象的だった。

・セロリオのサンタ・エウラリア教会 (Iglesia de Santa Eulalia de Selorio)

様々な様式が一つの教会に収斂されている。(写真:筆者撮影)

905年には既にこの教会が存在していたことが記録として残されているが、その当時のプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は何も残存していない。ロマネスク様式のものは、主要アーチ(arco de triunfal)、後陣、出入口等があり、特に持ち送りに施されている動物のをかたどったもの等は保存状態は良い。記録には残っていないが、12世紀末から13世紀初めにかけて造られた教会だと考えられている。

現代的な時計がファサードに組み込まれているのは印象的だった。

・ルガスのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Lugás)

雨の多いアストゥリアスではよくみられる雨除け。(写真:筆者撮影)

ルガス ( Lugás)にあるのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María) の始まりは13世紀に遡り、2つの出入口と主要アーチ (arco de triunfo) はロマネスク時代のものが残存する。他の部分は17世紀以降度々改築や増築が行われ、その結果、残念なことにロマネスク様式は覆い隠されてしまった。興味深いことは、解釈の違いはあるものの、ここの教会の門に施されている嘴の生えた頭部が連なっている模様は、イングランド・フランス・アイルランド等でもよく見られる模様で、アストゥリアス地方でも見られる模様だということ。この模様は、今回訪れることができなかったこの近くにあるアラミルにあるサン・エステバン教会にも見られるということだ。

・バルデバルセナスのサン・アンドレス教会 (Iglesia de San Andrés de Valdebarcenas)

一見シンプルな教会のようだが主要アーチ等見どころが多い。(写真:筆者撮影)

バルデバルセナス (Valdebarcenas) のサン・アンドレス教会 (Iglesia de San Andrés)は12世紀に建てられた、典型的なプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の要素を残すアストゥリアス初のロマネスク建築の一つである。1965年に国定史跡に指定され、アストゥリアスで最も興味深い教会の一つと専門家の間でもみなされている。

・カモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)

白く塗られた壁が印象的。(写真:筆者撮影)

13世紀に建てられた教会で、ロマネスク時代のものとしては主要アーチ (arco de triunfo) があり、南玄関の半円アーチは非常にシンプルで、植物と動物の装飾が施された柱頭を持つ左右3本の柱の上に、2本の無地のアーキボルト、いくつかの持ち送り、そして刳り型装飾を施したアーチの迫元を伴う無地のアーキボルトから成る。

第3日目: フエンテスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Fuentes) からアビレスのカンタベリーのサント・トマス教会 (Iglesia de Santo Tomás de Canterbury en Avilés)まで

第3日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。7ヵ所の教会を回り、そのうち1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、残りの6ヵ所はロマネスク建築だった。

フエンテスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Fuentes)

景色の良い高台に建てられていた。(写真:筆者撮影)

11世紀に造られたこの教会は、19世紀に発見された膨大な碑文のおかげで、その歴史の詳細の多くが知られている。この碑文には教会の創設者であるディエゴ・ペレスとその妻マンスアラが、魂の救済を目的として創設したことや、寺院創設のために寄付した品物の詳細が記されていると同時に、この教会から何かを持ち出すような者があれば、その者に永遠の責め苦を受けさせてほしい、そしてこの地から破門されますようにとの呪いの言葉も記されている。興味深い事には、この願いもかなわず1898年に中世アストゥリアス金細工の傑作のひとつである教会の行列用十字架が略奪され、回りまわってニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されていることである。

ちなみに、1985年に歴史的芸術建造物に指定されている。

・ビニョンのサン・フリアン 教会(Iglesia de San Julián de Viñón)

中まで見れなかったことが残念。(写真:筆者撮影)

アストゥリアス中東部の田園ロマネスク様式の最も重要な寺院のひとつで、1985年に歴史的芸術建造物に指定された。

この教会は11世紀初頭に造られ、スペインのロマネスクが始まる以前のものであり、ロマネスク様式以前のアストゥリアス美術とその後の時代のロマネスク様式の結合(つながり)を見て取ることができる。つまりスペインロマネスクの原型を見ることができる貴重な教会として重要視されている教会である。

・バルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)

調和のとれたリズミカルで存在感のあるその姿は、見る人を飽きさせない。(写真:筆者撮影)

「神の谷」を意味する「Valdedios」に建てられた教会は、俗世から離れた神聖な美しい自然の中にある。訪れた日は雨が降り、緑が濃く感じられる神秘的な場所であった。

9世紀に建てられたこの教会は、アストゥリアス王国の最後の王アルフォンソ3世によって建てられ、ロマネスク以前のアストゥリアス芸術の最後の作品の一つである。小規模の教会にもかかわらず、威風堂々としていて、かつ、シンプルな線の建築の中にリズムを感じ取れる。

この教会は今回の旅のメインだったが、期待にたがわないその姿を見た時は、震える喜びを感じた。

・サンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)

鳥の声、雨の音しか聞こえな静寂な場所で800年以上も修道士たちは神に祈りを捧げ、静かに暮らしていた。(写真:筆者撮影)

上記バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の敷地内には、シトー会修道士達によるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)が建っている。この修道院は1200年に設立され建築様式はロマネスク様式で造られた。2020年までは少数の修道士たちが居たが、今は完全に観光のみとなりガイド案内が行われている。

・アマンディのサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan de Amandi)

祭壇を含む頭部 (Cabecera) は息を吞む美しさが!(写真:筆者撮影)

今回の旅で美しいロマネスク様式教会の発見!と感じたアマンディ (Amandi) のサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan)は、13世紀の初めにロマネスク時代最後の教会として造られた。後陣の美しさと、優雅で多様な彫刻装飾はこの教会特有のものであり、17世紀に増築された出入口を守るための大きな半円形木造の柱廊(pórtico)は、雨の多いこの地方において重要な役割を果たしている。その土地に適した建築構造は、様式のみにとらわれない柔軟な考えを持った人たちによって造られたのであろう。

アストゥリアス地方全体の豊富なロマネスク建築の中でも特別な繊細さと美しさを持ち、1931年に国定史跡に指定されている。

・アビレスのサン・アントニオ・デ・パドゥア教会 (Iglesia de San Antonio de Padua de Avilés)

アビレス (Avilés) の街の中心地にある。(写真:筆者撮影)

12世紀に建てられたロマネスク様式の教会で、アビレス (Avilés) の街の中では中世の城壁内に存在した唯一の教会として知られており、アビレスの街における宝の一つ。長い歴史の中で数々の改築が行われ、教会の原型であったロマネスク様式はファサードに残存しているのみである。その後15世紀にはゴシック様式で増築され、更にキリスト礼拝堂がバロック様式で建てられている。

面白い事にこの教会は3つの名前を持っていて、建設された当初は、船乗りと商人の守護聖人であるサン・ニコラス・デ・バリ教会 (Iglesia de San Nicolás de Bali) の名を冠しており、その後、1919年にフランシスコ会が到着すると、フランシスコ会の神父たちの教会 (Iglesia de los padres franciscanos) となった。そして、フランシスコ会の修道士たちが2013年に教会を去った後は、サン・アントニオ・デ・パドゥア教会 (Iglesia de San Antonio de Padua) となっている。

・サブコのサント・トマス教会 (Iglesia de Santo Tomás de Sabuco)

ライトアップされた美しいファサード。(写真:筆者撮影)

アビレス (Avilés) の街に13世紀半ばに建てられたこの教会は、基本的にはロマネスク様式だが、時代はゴシック様式の波が押し寄せていたことを反映し、入口は先が尖ったアーチでゴシック様式を取り入れているのが見受けられる。南側にある入口は典型的なロマネスク様式の特徴である半円形アーチである。

この教会は、イギリスのカンタベリー大司教で殉教したサント・トマスに捧げられた教会でアビレスの街のサブコ地区にあったため、サブコのサント・トマス教会と呼ばれている。

第4日目: ピエデロロのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Piedeloro)からレナのサンタ・クリスティーナ教会 (Santa Cristina de Lena)まで

第4日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、もう1ヵ所はロマネスク建築だった。

・ピエデロロのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Piedeloro)

国の文化財に指定されているこの教会は、13世紀初頭に造られた後期ロマネスク様式である。17世紀から18世紀にかけて祭壇を含む頭部 (Cabecera) が改築され、20世紀のスペイン市民戦争では大きな被害を受けている。残存するロマネスク様式は、3つの入口と主要アーチ(arco triunfal)のみである。

訪れた日が11月1日で、この日は「諸聖人の日(万聖節)」で教会ではミサが行われていて多くの人達が参列していたため、残念ながら教会に入ることはできなかった。写真からもお分かりになるように、沢山の車が教会の周りに止められていた。かなり田舎の村の教会だったので、この車の多さには驚いたが、「諸聖人の日(万聖節)」ということを思い出して納得した次第。

・レナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)

まるで中世の一コマのよう。(写真:筆者撮影)

9世紀半ばに造られたプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の教会は、人里離れた雄大な自然の中に根を下ろす孤高の教会である。19世紀末と1930年代に行われた修復の成功により見事に保存されたレナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)は、1885年に歴史的芸術建造物に指定され、その1世紀後(1985年)、冒頭に言及した通り、アストゥリアスの他のプレ・ロマネスク様式の建造物とともに、「オビエドおよびアストゥリアス王国のモニュメント」としてユネスコの世界遺産に登録された。

残念ながら訪問時間外に着いたので、今回は内部を見ることができなかった。またの機会に訪ねてみたい。

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