ロマネスクへのいざない (15)- アストゥリアス州 (3)– バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)

文化
秋雨の降る中、訪れたサン・サルバドール教会は周りの風景ともピッタリ溶け合っていた。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

「神の谷」に佇むアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)の教会

サン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador)は、バルディオス(Valdediós)という場所にあるが、日本語に訳すと「神の谷」という意味である。その名にふさわしく人里から離れた神聖な場所にこの教会はひっそりと、しかし存在感をもって威風堂々と佇んでいた。「神の谷」全体が平安、調和、そしてその長い歴史や様々な記憶を喚起させるもので覆われていると感じさせられる、そんな場所である。

アストゥリアス王家の教会

アストゥリアス王国は718年から924年まで約200年間栄えた王国であるが、バルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)は、このアストゥリアス王国の王家の教会として最後の王アルフォンソ3世(Alfonso III)によって893年に献堂された。アルフォンソ3世(Alfonso III)の祖父ラミロ1世(Ramiro I)は、現在のアストゥリアス州の州都であるオビエド(Oviedo)近郊のモンテ・ナランコにサンタ・マリア・デル・ナランコ宮殿(Palacio de Santa María del Naranco)、そしてより大きな複合施設の一部として宮殿から100m程離れた場所にサン・ミゲル・デ・リージョ教会(Iglesia de San Miguel de Lillo)を建設したが、今回訪れたバルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador)は、これらの夏の宮殿群の神殿である。

当時イスラム教勢力がイベリア半島の大部分を征服していたが、アストゥリアス王国最後の王アルフォンソ3世(Alfonso III)は、イスラム教から解放されキリスト教勢力への奪回を目指すレコンキスタ(国土回復運動)を精力的に推進した王で良く知られている。しかし、晩年には3人の息子たちと対立するようになり、このバルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)がある修道院に幽閉される身となった。

アストゥリアス王家の教会を示すものとして、教会の入口の上に「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」が刻まれていることでもわかる。この「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」は、レコンキスタの出発点となったコバドンガの戦いでアストゥリアス王国の建国者ペラヨが掲げた木の十字架のことで、アルフォンソ3世はこれを王国の紋章としていた。

キリスト教の中で最も頻繁に用いられる十字架の形「ラテン十字(Cruz latina)」。万物の最初と最後を意味し、永遠の存在者である神とイエスを示す「アルファ(A)」と「オメガ(ω)」が刻まれているが、アストゥリアス王国の紋章「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」では、写真でお分かりいただけるようにオメガは「Ω」ではなく「ω」で表されている。 (写真: アルベルト・F・メダルデ)

昔もリサイクル活用!

この教会にはローマ時代の遺跡のリサイクルがなされていて興味深い。まず、入口の2本の柱は斑岩(はんがん-Pórfido)でできているが、この石はアストゥリアス地方にはない岩で、ローマ時代に使われていた物をリサイクル活用されているとのことだった。そして、この斑岩(Pórfido)という赤い石は、花崗岩よりも硬くどんな気候条件にも永久的に耐える事ができ、ローマ時代には大きな権威と真の品位の象徴であった。サン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)では、王家の教会の入口の柱に使われていることは注目に値するだろう。

石の色が赤いローマ時代の物をリサイクルした2本の柱は、他の部分に使われている石の種類とは異なっていることが一目瞭然。 (写真: アルベルト・F・メダルデ)

祭壇に使われている柱は大理石(mármol)で、こちらもローマ時代の物をリサイクル活用したもの。柱頭は時代が下りロマネスク時代のもので、大きなシダの葉の模様が見られる。

教会内の祭壇部分の上部には、3つの十字架が描かれている。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

上の写真を見ていただくと分かるが、3つの十字架が描かれている。これは、キリスト教の原点と言われるキリストが磔刑に処せられたゴルゴダの丘に立った十字架を表している。キリストの左右には犯罪者が磔刑に処せられていて3つの十字架が立っていたのである。

そして、真ん中のキリストの十字架には、上の写真ではよく見えないが、万物の最初と最後を意味し永遠の存在者である神とイエスを示す「アルファ(A)」と「オメガ(Ω)」が描かれている。

また、祭壇の後部が窓になっており光が差し込む造りになっているが、光は神を意味し神を体現化していたのである。これら、キリスト教におけるシンボルがちりばめられていることは、非常に重要かつ興味深いものである。

教会の内部

バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)は、アストゥリアス文化(プレロマネスク様式)建築の好例であり、半円アーチ型天井で覆われた3つの身廊、東向きの3つの礼拝堂、同じくアーチ型天井の3部の玄関の上に位置するトリビューン(教会内の解放された二階部分で、階上廊とも呼ばれる)から成るバシリカ間取りである。

祭壇部分とは丁度反対側、教会入口の二階部分のトリビューンには王と王妃がミサに出席するための特別な場所が設けられていた。これは王家の教会だったことを思い出させてくれる。今も二人のために椅子が2客用意されていて、1000年もの昔、二人揃ってミサに出席していた姿を想像すると微笑ましい。

教会の正面玄関の真上にトリビューンがある。この窓の上にも3つの十字架が見える。今も椅子が2客置かれているのは心憎い演出。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

上の写真でもわかるように、身廊は半円アーチで区切られ、中央身廊の高い壁を支えている。これらのアーチは四角い柱の上にあり、スペイン式典礼に必要とされた扉が取り付けられた窪みが見られる。

側廊(El pórtico lateral)

教会のやや後方、南壁の横に建てられた側廊(El pórtico lateral)は非常に興味深い。

南壁の側廊は、透かし窓のある大きな切り石建築の建物。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

ガイドの説明によると、葬儀用又は典礼用に使われていたものと考えられている。この教会より後世に建てられたロマネスク様式の教会ではよく見られるようになり、集会所など他の目的にも機能性は拡張されていったとのことだった。

内部は思ったより大きく、透かし窓が美しい。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

この側廊(El pórtico lateral)の高さは、主身廊( La nave principal)、南側通路( La lateral sur)、そしてこの側廊(El pórtico lateral)から減少していく量感のバランスの取れた相互作用を生み出すために完璧に計算されていた。(arteguia参照)確かに、外から見た教会の全体像が見れる上の写真でよくわかるように、三層の高さの異なる建築により安定感や躍動感を見る人に与えてくれる。

多様な文化の融合

前述の側廊(El pórtico lateral)に施された透かし彫りの窓は、私たちの目を引かずにはいられない。

1000年以上、風雪に耐え忍んでなお美しい彫刻装飾に感動させられる。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

透かし彫りで彫られたこの窓は、スペインが当時イスラム支配に置かれていたこともあり(アストゥリアス地方は別)、イスラム文化やモサラベ文化、そして地元のアストゥリアス文化と、多様な文化の融合を垣間見ることができる貴重な証人だ。

「モサラべ文化」という名前を聞いたことがない方も多いだろう。これは、中世キリスト教美術・建築で用いられた様式の一つであるが、8世紀初頭以来イスラム統治下のスペインはイスラム教徒の治下に混在してキリスト教徒たちが暮らしていたが、イスラム文化の影響を受けながら独自の文化を形成したキリスト教徒(モサラべ)の文化が「モサラべ文化」であり、スペイン特有の文化である。

スペイン語では Celosía(セロシーア=格子窓)と呼ばれるこの透かし彫り入りの窓は、明かり取りや通気性のためにガラスをはめないタイプのものだ。

下の写真で見える屋根の上に凸型の突起のようなものがあり、これは、スペイン語では Almena(アルメナ=のこぎり壁、鋸壁(きょへき))と呼ばれるものだとのこと。そして、これはイスラム文化が華咲いていたスペイン南コルドバのメスキータにも見られるものだということだった。

主身廊( La nave principal)部分の屋根の上にはAlmena(アルメナ=のこぎり壁、鋸壁(きょへき))がみえる。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

比べてみると確かに共通点があるようだ。

メスキータの建物の中でも最も古いものの一つ、サン・エステバン門。凸型の突起のようなAlmena(アルメナ=のこぎり壁、鋸壁(きょへき))が見られる。(写真: ウィキペディアドメイン)

そして、バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の透かし窓、鋸壁等の彫刻装飾は、モサラべの巨匠によるものだろうということだった。

教会の建築物自体は前述の如くアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)建築の好例であり、その細部の彫刻装飾にモサラべ文化を取り入れたハイブリッドなものになっており、その当時のスペインで定着していた多様な文化の融合を目の当たりにできる教会でもある

最新の研究

今回の訪問でとても興味深かったものの一つに、ガイドが説明してくれた最新の研究の説明があげられる。様々な研究が進み、建築当時の内部の想像図を再現したものをタブレットで見せてもらった。

基本的に、ロマネスク時代の教会内部は美しい色で装飾されていたものが多かったが、現在までその装飾が鮮明な形で保存されている例は数少ない。バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)も他のスペイン各地の教会・大聖堂等と同様に、ペスト時代に教会内部を石灰(Cal)で覆われた。それは、石灰は消毒剤の効果があると考えられていたからである。

しかしテクノロジーの進化に伴い失われた当時の姿を再現することができるようになっているのは、現代に生きる私たちの特権だなと感じた。

建築当時の教会内部装飾の想像図。赤褐色を基調とする幾何学模様が施されていたと考えられている。(写真: 筆者撮影)

現在の教会内部の写真と比べてみたいところだが、手元によく映っている写真がないので、こちらのサイトにある教会内部の写真を参考にして頂きたい。正面に見えるアーチの左側部分は現在も少し残っている装飾が見える。

San Salvador de Valdediós
Guía de San Salvador de Valdediós. Iglesia aúlica de la Arquitectura Prerrománica Asturiana. ARTEGUIAS

現在の教会内部とはかなり異なり賑やかな装飾に溢れていたようだ。

最後に

バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の敷地内には、シトー会修道士達によるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)が建っている。この修道院には、2020年までは少数の修道士たちが居たが、今は完全に観光のみとなり、ガイド案内が行われている。今後は、巡礼者のためのゲストハウスとして開かれることが考えられているそうだ。

サン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvado)から見えるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María) (写真: アルベルト・F・メダルデ)

バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)並びにサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)がある「神の谷」と呼ばれるバルディオス(Valdediós)渓谷は、1000年を超えるオークや栗の木が生い茂り、川のせせらぎと鳥のさえずりが私たちの聴覚を刺激し、この世俗から離れた神聖な場所に1000年以上時が止まったがごとく建つ建物は、私たちの五感に特別な何かを感じさせてくれる。

参考

・サン・サルバドール教会の横にあるサンタ・マリア修道院の公式ウエブサイトは次の通り。サン・サルバドール教会とサンタ・マリア修道院の両方を見学できるが、このサイトから時間帯等を確認及び予約できる。

https://monasteriovaldedios.com/en/home-english

・ここで紹介したバルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)は、アストゥリアス州のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。このルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

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