「カスティージャのゆりかご(Cuna de Castilla)」
アルランサ川が岩を削って作った壮大な峡谷にあるこのサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、緑深き自然の中に姿を現した。素晴らしい景色の中、突如廃墟となったサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院が現れたとき、人里離れたこの場所を選んだことに納得できた。「スペインで最も美しい村」という協会に認定され登録されている村の一つであるコバルビアス(Cobarrubias)から7~8km程の距離にあり、修道院に着くまでカーブの多い道で距離的には近いが車で10分位かかった。
今は廃墟となっているサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、スペインの重要文化財に指定されている。912年に設立されたベネディクト会修道院で、当時約50人程度の隠者たちがこの庵に住んでいたことが記録に残っている。そして1080年にロマネスク様式の教会が建設された。その後「カスティージャのゆりかご(揺籃・ようらん)」と呼ばれ、カステージャ王国の重要な修道院と発展し、修道士たちの数も増えていった。それに伴い、拡張工事も行われ、ゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式が加わり、時代ごとに異なる様式の建物部分を含む修道院となっていった。
「メンディサバル法(Desamortización Eclesiástica de Mendizabal)」による明け渡し
約900年間も修道士たちが暮らし修道院としての機能を果たしていたが、1835年の通称「メンディサバル法」と呼ばれる主にカトリック教会を対象に行われた「永代所有財産解放令」によって解体されてしまった。これは、スペイン国内の修道院や教会が所有していた土地を没収し、競売にかけ、教会権力をそぎ、公的債務を解消し国富を増やしたが、このメンディサバル法によって由緒ある修道院等が明け渡されることになり、一気に廃墟となって、修道院や教会にあった建築的、美術的な価値あるものが次々と国内外に流出することにもなった。
スペイン国内に散在するサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院のものとしては、次のようなものが挙げられる。
・教会のファサード。1895年にマドリッドの国立考古学博物館に移された。
・カスティージャ王国のフェルナン・ゴンサレス伯爵と妻サンチャとムダーラのロマネスク様式の墓。同県のブルゴス大聖堂に移された。
・図書館にあった古代の膨大な量の写本。隣接するサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院に重要な部分が残されている。
・11世紀末から12世紀初頭の見事な教会の北側の扉。マドリードの国立考古学博物館に展示されている。
・後期ロマネスク建築の傑作である「ララの7人の王子」の異母兄弟である「ムダラの墓」。これもブルゴス大聖堂の回廊に移された。
・修道院総会会議室に描かれていた13世紀初頭の壁画の様々な断片。カタルーニャ国立美術館にある。
最後のカタルーニャ国立美術館にある修道院総会会議室に描かれていた13世紀初頭の壁画の断片については、残りの壁画の断片はハーバード大学フォッグ美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館に分散されている。
ちなみに、当たり前のことだがアメリカにはロマネスク様式は存在しないので、ロマネスク様式の教会等の建物部分、壁画等、あらゆるものが買い取られて海を渡っていった。オリジナルの場所から引き離されて美術館や博物館に展示してある全ての芸術品を見るに度に思うことは、残念だという気持ちと幸いだったという複雑な二つの気持ちである。例えばこのサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院について思いを巡らすと、修道士たちが居なくなった修道院が荒れ果てていったあとで、芸術や美術的価値もわからぬ輩たちの手によって心なく荒らされたり、残っていたものも雨露に打たれ朽ち果てていったであろうということは容易に想像がつく。そう考えると、価値を認められ、学術的にも研究され、誰でも見ることができ、保存状態を最良に保つことができる美術館や博物館に移動されたことは幸いだったのだろう。だが、それでもなお、オリジナルの場所から離れ、分断されることにより、周りとの関係性、調和、存在理由、歴史的な流れ、その土地の人々の思い、その建物、絵画、彫刻、教会などに携わっていた人たちの物語と歴史等々が失われてしまうことになると思うと、残念である。サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院を見学中、そんなことをずっと思っていた。
中世期からバロック期へ
サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、現在は廃墟になっていて失われた部分も多く、その全貌をつかむことは難しいが、旺盛を極めた17世紀から19世紀にはかなりの規模に発展していた。下の写真は修道院の中にあった説明板である。英語版はなかったが、珍しく点字での説明があった。日本でも観光地の案内板や説明板に多言語対応のみではなく、点字による説明があるといいなと考えさせられた。
後述する修復工事に携わった建築家マリア・デ・アラナ・アロカ(María de Arana Aroca)によると、この修道院は二つの時期に分かれるという。それは、中世期とバロック期である。中世期に当たる11世紀から15世紀のロマネスク様式やバロック様式の時代に、教会(Iglesia)、塔 (Torre) 、聖歌隊席 (Coro) 、内庭大回廊 (Claustro mayor)、修道院総会会議室(Sala capitular)、食堂 (Refectorio)が造られた。16世記、17世紀のバロック期になると大々的な増改築が行われ、内庭大回廊 (Claustro mayor)はスペインルネサンス様式(エレリアーノ様式-Herreriano)に取って代わられ、 修道院総会会議室(Sala capitular)は改装され、聖具納室 (Sacristía)、廊 (Claustro menor)が増築された。
1. 教会(Iglesia)-ロマネスク様式で造られ、中央の礼拝堂は後期ゴシック様式の拡張工事が行われた。興味深いことに、ロマネスク様式の教会の屋根は石造りのアーチ型ではなく、木製の屋根で覆われていたようだ。その後、石造りのアーチ型屋根が造られた。今は屋根部分は消失している。
2. 塔 (Torre) -サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院に個性的なアクセントを加えている塔。二層構造で、下段は13世紀初頭のもので、上段と鐘楼は15世紀末から16世紀初頭のもの。
3. 聖歌隊席 (Coro) -名前こそ聖歌隊席だが、聖歌隊席というより埋葬の部屋として造られたようだ。事実、カスティージャ王国の王家の霊廟という役割を担っていた。
4. 内庭大回廊 (Claustro mayor) -最初はロマネスク様式の内庭大回廊として造られ、その後ゴシック様式に改築された。そして、16世紀末から17世紀初頭にかけてスペインルネサンス様式(エレリアーノ様式-Herreriano)に取って代わられた。一般的に教会の南側に内庭回廊は造られ、その周りが修道士たちの生活の場だった。祈りをささげる場所だけでなく、会議室、食堂なども内庭回廊の周りに造られていた。
5. 聖具納室 (Sacristía) -貝殻の形をした格間(ごうま-casetón)を持つ入隅迫持(いりすみせりもち)または半円錐状のスキンチ(trampa)の上にドームがある。
6. 修道院総会会議室 (Sala capitular) -ロマネスク様式の柱を使ったアーチが残っている。薄っすらと壁画らしきもの見られた。
7. 食堂 (Refectorio)-15世紀末から16世紀初頭にかけての改修工事により、ゴシック様式の食堂に生まれ変わった。現在では個人所有となっている。
8. 内庭小回廊 (Claustro menor)-内庭大回廊に比べると、かなり小さなものである。17世紀半ばに造られ垂直に空へ伸びていくモミの木が1本ある。その隣には、井戸もあった。
ロマネスク様式を探して
前述したように、900年を超える歴史の中で修道院は増築改築工事の手が入れられ、ロマネスク様式だけではなくゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式もみられるが、ロマネスク様式が今も残っているのは、1080年に建設が始まった教会、12世紀末に造られた塔、修道院総会会議室(Sala capitular)であり、パッと見た限りではロマネスク様式だとはあまり感じさせられない。ただ、よく見てみるとあちこちにロマネスクの面影を見つけることができた。
今は廃墟となっている教会は、十字形のない3つの身廊とアプスからなるバシリカ式で、40メートルの長さがあったとされる。また、扉の前にはナルテックス(教会本堂前の広場)と聖歌隊席があった。
スペインのアルテギアス(Arteguias)というロマネスクやゴシックのウエッブガイド (Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com))によると、この教会のシュヴェ(cabecera)にはいくつかの特異な点が指摘されている。そのひとつが、床から始まって1本の柱が続くダブルコラムの採用。これは、アストゥリアス建築(サンタ・マリア・デル・ナランコ、サンタ・クリスティーナ・デ・レナ)や、12~13世紀のスペイン国内でのシトー派修道院に数多く見られるもので、年代的に離れた時代に見られるスペイン中世建築の特殊性であるらしい。
また前述したように、教会の北側にあった扉は、マドリードの国立考古学博物館に移され展示されている。
柱頭には、ロマネスク様式の装飾が施されていて、ゴシック様式での拡張工事部分との違いが見て取れた。
12世紀末に造られた塔は、要塞としての機能も持っていただけに、殆んど飾りという飾りもなく、細長いたふさがれた尖頭アーチがあるのみだ。教会の北側に接し、ウシ―ジョ(usillo)と呼ばれるブルゴス地方特有の螺旋階段が塔の外側に見える。
修道院総会会議室(Sala capitular)とは、大修道院長が毎日修道士たちを集めて話をした場所である。12世紀にロマネスク様式で造られ、13世紀、17世紀、19世紀に改築されている。修道院総会会議室は二層構造で、下層階は12世紀前半に、上層階はその数十年後に建てられた。ロマネスク様式の柱を使ったアーチが残っている。更に13世紀半ばには、壁に頭がワシで体に羽のあるライオンや想像上の動物であるドラゴンの絵が施されたが、前述の通り修道院以外の場所に散在している。(こちらのサイトに、写真がでている。Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com)
スペイン900年の建築様式-ロマネスク様式から古典主義様式まで
サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、スペインの文化・スポーツ省のスペイン文化遺産協会 (Instituto del Patrimonio Cultural de España-IPCE) という政府機関が主催した一般コンクールにより選ばれた建築家によって、2015年から2019年まで4年間にわたる修復工事が行われた。(修復工事の様子などが見れるビデオはこちら La mirada experta – La restauración del Monasterio de San Pedro de Arlanza – YouTube)
この修復工事によって、バロック期には修道院総会会議室 (Sala capitular)から聖具納室 (Sacristía)へ行く階段があったことが分かり、失われた階段を新しく作ることによって修道院総会会議室 (Sala capitular)から聖具納室 (Sacristía)へ行けるようになった。
毎夏、スペインの有名な劇作家ロペ・デ・ベガ(Lope de Vega)の作品「フェルナン・ゴンサレス伯爵(El conde Fernán González)」がこの修道院の中で上演されている。フェルナン・ゴンサレス伯爵は、この修道院の創設者とされている。
ほぼ廃墟ともいえる修道院を観光地として訪れる場所の一つとするだけではなく、積極的に劇場として使用して新しい命を吹き込んでいることに好感を覚えた。
二層構造の古典主義的な建物である修道院の入口を抜けて外に出て、改めてファサードを振り返って見てみると、900年間のスペインの様々な建築様式を一つの修道院の中で見ることができ、まるでタイムマシンの中から出てきたような錯覚を覚えた。
参考
ここで紹介したサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Alranza)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。
・現在の様子を窺えるビデオです。
Monasterio de San Pedro de Arlanza Burgos – YouTube
・ブルゴス県のツーリストウエッブページ。英語版もあります。修道院を訪ねたい方はこちらで時間等をチェックしてください。
Monasterio de San Pedro de Arlanza | Turismo de Burgos (turismoburgos.org)
・Arteguias のウエッブページです。スペイン語ですが、写真が充実しています。国内外に散在しているロマネスク様式の壁画の写真も見られますよ。
Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com)/
・スペインの文化・スポーツ省のスペイン文化遺産協会 (Instituto del Patrimonio Cultural de España-IPCE) のウエッブページ。
・サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院から、海を渡りニューヨークのメトロポリタン美術館にあるライオンのフレスコ画です。説明は日本語です。
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