スペインの文化遺産にも指定されているヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)は、12世紀後半(1170年以降)に建てられたロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)の古い教会である。現在、この修道院は存在せず、その名前だけがこの土地の名前となって残っているにすぎない。
10世紀頃からこの土地に修道士たちが住み始め、ローマ街道から少し離れた、泉のそばにこのロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)が建てられたが、ここから40km程離れたオニャ修道院(Monasterio de Oña)に1063年に併合された。
今回、事前予約など無しでこの礼拝堂を訪れたため、礼拝堂自体は閉まっていて中には入ることはできず残念だった。ここでは、礼拝堂の外観について見てみる。
オリジナルな礼拝堂
モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)は、「スペインで建設されたロマネスク様式のバシリカの中で最も優れた例である」、とウィキペディアには紹介されている。更には、「東洋と西ゴートの影響を受けた12世紀の無名の芸術家たちの優しい手から生まれたままの姿で、きれいに保存されている」と続く。
ここで言う「バシリカ」とは、長方形の建物でキリスト教の教会堂の建築形式である。特徴としては、身廊、側廊があり、入口から入って身廊に入りその突き当りにアプス(後陣)と呼ばれる祭壇がある部分がある。基本的には、アプス(後陣)は、イエスが生まれた方向であり、イエスの「私は光である」という言葉から光(太陽)が生まれる方向、つまり東側に位置するように造られ、教会への入口は西側に位置していた。
ところが、理由は分かっていないらしいが、このヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)の礼拝堂への入口は西側ではなく、北側に位置している。
また、アプス(後陣)は半円形の形をしている。ここの礼拝堂も通常の半円形を成しているが、その半円形に三つの大きなアーチ型をした線が描かれ、各々のアーチの中に細長い窓が造られていて、とても動きのある軽快なイメージを受ける。一般的なアプス(後陣)がもっとどっしりとしたイメージを与えているだけに、この礼拝堂のアプス(後陣)のオリジナル性は際立っている。
幾つか他のロマネスク様式のアプス(後陣)も紹介して比較してみよう。
こちらは、同じブルゴス県にあるサン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)。途中から柱が細くなっていてほっそり感かつ優雅な雰囲気が出ている。
こちらも同じブルゴス県にあるビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)。もっとでシンプルかつ重厚感を与えている。
最後に比較してみるのは、アストゥリアス地方にあるアマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)。こちらも上のビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)に似ていて、重厚感を与えている。三層に区切ってあるのは、ここのアプス(後陣)の特徴でもある。
比較してみるとお分かりになると思うが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)はロマネスク様式のアプス(後陣)の中でも新奇な趣向を見て取ることができる。
北側にある入口
北側にある入口を見てみよう。
入口のアーキボルトは三層から成っていて、ほんの少し先が尖っているのが見える。これは、この後に訪れる初期ゴシック様式への過渡期であり、黎明期の到来を表している。実際、この入口は12世紀後半のもので、この頃にはスペインにも少しづつゴシック様式の波が押し寄せていた。しかしその装飾は、ビザンチン文化の影響を受けたロマネスク様式のものである。
円柱の4つの柱頭は、ロマネスクではお馴染みの鳥とライオンの姿が見える。そして入口を見てまず目に留まるのは、矢張り入口の左右に彫られているライオンの頭部だろう。なかなか表情豊かで印象的である。これは、「教会の番人としてのライオン」を表していて、教会に入る人々に、神聖な場所にいることを警告し、態度を改め、適切な態度を取らなければならないことを示している。
この教会の番人としてのライオンは、あまりに実際のライオンとはかけ離れた顔つきのような気もするが、忘れてはいけないことは、ロマネスクの時代には、本物のライオンを見たことがある人はおそらく一人もいなかったであろうことだ。というのも、ヨーロッパには今も昔もライオンはいない。今のようにテレビやインターネットでライオンの姿を見ることが容易であったわけではない。まして、動物園等ない当時、本物のライオンにお目にかかれる機会など全くなかったのである。全てのこのような動物は石工達の想像上の動物、またはそれ以前に描かれていた絵等の資料を基にして作られたのであった。
魅力的な持ち送り(Canecillos または Modillones)
前述の北側の入口の屋根部分にも見えるが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)には、スペイン語でカネシージョス(Canecillos)またはモディジョネス(Modillones)と呼ばれる24の持ち送りがある。通常、ロマネスク様式における持ち送りは身廊や後陣、入口の瓦屋根の下にあり、張り出した屋根部分を支える機能を担っていると同時に、装飾としての役目も担っていた。
ロマネスクにおけるライオンに与えられた象徴的な意味は多岐にわたっている。その上、前述した「教会の番人としてのライオン」というような良い意味だけではなく、悪い意味を象徴するものとしてもその姿が用いられてきた。例えば、「悪魔の化身」としてのライオンや貪食な動物であるというイメージからくる「死」や「精神的な死」をも意味していた。(「ロマネスクの図像と象徴(筆者訳: Iconografía y Simbolismo Románico de David de la Garma ramíez、出版社: arteguias)」より)
人間を描いた持ち送りも多数見られる。
人間の胸像、職業や活動を示すもの(ハンマーを持った鍛冶屋や大工、バイオリンを持った音楽家、裸の男(おそらく男根)などがそれに当たる。
東方の影響
南側の浮き彫りには、聖母マリアと幼子イエスが描かれており、マリアが戴冠する「知恵の王座(ラテン語ではセデス・サピエンティアエ(Sedes Sapientiae))」というビザンチン様式の伝統的な正面配置になっている。残念ながら幼子イエスの彫刻は事実上失われている。
一つの建築物の中に様々な文化・様式が融合され、調和を持った教会へと仕上げられている所はこのヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂の魅力の一つであろう。
最後に
この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。
このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。
・youtubeでいろんな角度から見たヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂が見えます。
・こちらは、礼拝堂の中も見れる youtube。
参考
・カステージャ・イ・レオン州の公式観光案内ウエブサイトには、コンタクトの電話番号があります。内部も見学したい方は、事前に連絡されて訪ねることをお勧めします。2023年11月現在で確認した限りは、冬の期間11月~3月くらいまでは基本的には中を訪れることはできないとのことでした。冬の季節以外は、週末にガイド付き(今のところスペイン語のみ)で中を見学できるが、事前予約が必要とのことでした。