今回は、サラマンカにあるアングリカン・チャーチ(聖公会)のプロテスタント系の教会として使われている12世紀に建造されたカンタベリーの聖トマス教会(Iglesia de San Tomás de Cantuariense)について紹介する。

美しく調和のとれた後陣(写真: 筆者撮影)

カンタベリーの聖トマスとは?

カンタベリーの聖トマスに捧げられている教会だが、一体この人物は誰だったのか。彼は12世紀に活躍したイングランドの聖職者で、カンタベリー大司教トマス・ベケット(Thomas Becket)という人物だった。イングランドには6世紀頃からキリスト教が伝えられ、このカンタベリー大司教トマス・ベケットが活躍した12世紀は、アングリカン・チャーチ(聖公会)ではなく、まだローマカトリック教会に属する王国の一つであった。

カンタベリー大司教トマス・ベケットはプランタジネット朝初代のイングランド王ヘンリー2世と密な関係にあったものの、次第に教会の自由を求めるトマス・ベケットと王権を宗教の領域まで強めたいと考えていたヘンリー2世との間に確執が生まれてきた。そして、ベケットは国外逃亡することになる。1164年のことであった。

カンタベリー大司教トマス・ベケット(写真: ウィキペディアドメイン)

その後ヘンリー2世との和解が成立し、1170年にはカンタベリーに戻ってきたが、ヘンリー2世の息のかかった司教に対しベケットが懲戒を与え、ヘンリー2世の逆鱗に触れることとなる。そして、遂に1170年12月29日、イングランド国王ヘンリー2世に仕える騎士4人が、カンタベリー大司教のトマス・ベケットを暗殺するという事件が起きた。ヘンリー2世が、「わしの目の上のたん瘤の様なベケットが居なくなればどんなに良いか・・・。」と言ったその言葉の額面通りに受け止めた近習がバケットを暗殺してしまったのだ。4人の騎士がヘンリー2世に忖度したものと考えられる。

聖人となったトマス・ベケット

ベケットが暗殺された際、一羽のカラスが聖堂に飛び込み、聖人の血をくちばしでかき混ぜ、聖人の血の上を歩き回り、ベニハシガラスに変貌したという伝説が残っている。ベニハシガラスは日本には分布していないので馴染みのない鳥だが、体全体は日本のカラスと同様に真っ黒だが嘴と足が赤いという特徴がある鳥だ。この伝説によるとベケットの流した血によって赤くなったということだ。

教会の中にベニハシガラスの絵が参考資料として置かれていた(写真: 筆者撮影)

殉死した聖職者としてベケットはヨーロッパ中に周知されることとなり、その死は多くの人々を憤慨させるとともに、ベケットには奇跡的な治癒の力があるという伝説が生まれた。そして、多くの人達がその力にあやかるためにベケットの墓があるカンタベリー大聖堂を巡礼の地として訪ねるようになったのだ。その人気の高さから、ローマ法王はベケットの死後たった2年で、聖人に加えたのだった。

ヘンリー2世の懺悔

最初はベケットの暗殺を否定していたヘンリー2世だったが、トマス・ベケットがローマ法王から聖人として列聖され、民衆に絶大な人気が出てくると、ヘンリー2世の立場はどんどん不利な状況に陥いっていった。そして遂に、1172年には、衆人環視の中でベケット暗殺には無関係だと宣言しつつも、鞭打たれ、懺悔をする羽目になり、カンタベリー大聖堂の復権や教皇への服従など教会に譲歩しなければならなくなった。(ウィキペディアより)

そして、プランタジネット王朝の王室の女性たちは、統治する地で聖トマス・ベケットに対して敬意を捧げることを義務づけられたのであった。

サラマンカにあるカンタベリーの聖トマス教会(Iglesia de San Tomás de Cantuariense)の歴史

では、何故イングランドから遠く離れたスペイン、それもサラマンカにカンタベリーで殉教した聖トマスに捧げる教会ができたのだろうか。

サラマンカのこの教会の設立は1175年。1173年2月にベケットは列聖されているので、僅か2年後にこの遠い地サラマンカにカンタベリーの聖トマスの教会が建てられたという訳だ。この教会は、イギリス国外のみならず、キリスト教世界で初めてカンタベリー大司教トマス・ベケットに捧げられた教会という重要な意味を持っている。

アングリカン・チャーチ(聖公会)らしく祭壇は至ってシンプル(写真: 筆者撮影)

サラマンカ大聖堂に残されている資料によると、12世紀にイングランドから来た2人の兄弟がここサラマンカに居たことが残されている。兄弟の名はリチャードとランドルフ、実はヘンリー2世の側近であったようだ。ヘンリー2世は懺悔の際、カンタベリーの聖トマスのために祈ることをイングランドの人々に約束し、この教会を建立したということだ。

聖トマスとベニハシガラス

今回、カンタベリーの聖トマス教会(Iglesia de San Tomás de Cantuariense)について、現在アングリカン・チャーチ(聖公会)の司祭であるフアン・フェルナンデス(Juan Fernández)氏のガイドで教会の歴史や背景、建築様式、教会内部・外部の装飾についての象徴的な意味などを詳しく聴く機会に恵まれた。

その中の一つが教会の壁画の説明である。オリジナルの壁画は劣化していてハッキリと見えない部分もあるが、聖トマスの姿がハッキリと見ることができる。そして説明によれば、赤い上祭服は暗殺された際に流れた血を表し、その血の上にベニハシガラスの姿を確認することができる。

分かりやすいように、別の絵が置いてあった(写真: 筆者撮影)

因みに、カンタベリーの街の紋章(Arms of Canterbury)はトマス・ベケットの紋章である三匹のベニハシガラスとイングランドの獅子を合わせたものだ。

いつの時代も富を誇示する者が

フアン・フェルナンデス(Juan Fernández)氏のガイドによると、祭壇に向かって右側部分にある墓はルイス・デ・ラ・ペーニャ(Luis de la Peña)という人物のものであり、その上には彼のために建てられた祭壇がある。

ルイス・デ・ラ・ペーニャの墓にある紋章。当時の教会や大聖堂の床下には聖職者や地元の有力者などの墓があり、その死者や家族のための小さな祭壇や礼拝堂が造られていた(写真: 筆者撮影)

上の写真でもわかるように、左上には角笛と犬が描かれているが、これは「狩猟」を意味している。その下には、中央に大木がありその果実を動物が食べている。また、その横右下には、動物が2匹描かれている。これらは、サラマンカに広がるデエサ(Dehesa)と呼ばれる牧草地にエンシーナ(Encina)の木(セイヨウヒイラギガシ)と、その実(ドングリ)を食べる豚や牧草地で飼われている家畜を表しているという説明だった。右上の5つの波打っている図像は、「炎の舌」を表現している。神の愛の火である炎と神の言葉を表す舌である「炎の舌」は、聖霊の力と神の言葉の力の比喩としてキリスト教世界では表されているものだった。その意図するところは、自分が神と聖霊に見守られ、豊かで広大な土地を持つ裕福な大地主であることを自慢しているということだ。

「いつの時代も自分の富をひけらかす人がいるものです」とガイドは締めくくり、教会という精神性の高い場所に世俗性の強い人間の性を見たようで面白かった。

慰めの聖母

前述のルイス・デ・ラ・ペーニャは、誇示するだけの富があっただけに立派な祭壇を建てている。その祭壇には、16世紀後半の絵画で「慰めの聖母(Virgen de la Consolación)」という名の聖母マリアが描かれている。これは、疲れ果て、苦しみに苛まれる人々を受け入れる姿を現しているそうだ。聖母マリアは、彼らに救いとして御子キリストを差し出し、もう一方の手には果物の籠を持ち、その中から二つのサクランボを選び取っている。その言わんとするところは、キリストの慰めの道は、その受難と献身にあるということらしい。矢張り、説明があると分かりやすい。

人々との表情とは対照的に、聖母マリアの温かくも静かな表情が印象的だ(写真: 筆者撮影)

建築様式について

前述したように、1175年にこの教会は建設されており、12世紀後半はスペインではロマネスク後期とも呼ばれる時期に相当する。そのため、教会入口部分等にはロマネスク様式の特徴である半円形のアーチが見られ、窓は小さい。しかし、教会内に入ると主要アーチ(arco triumfal)と呼ばれる聖壇と身廊の間にあるアーチ等は、先のとがった尖頭アーチ、天井や屋根構造にはかなりシンプルであはあるがクロスボールト(bóveda de crucería)と呼ばれるゴシック様式に見られる建築様式だ。つまり、「ロマネスク様式からゴシック様式への移行期」を象徴する建築様式が、この教会の特徴といえる。

ラテン十字がクロスする部分の天井。クロスボールトと4つの尖頭アーチが見て取れる(写真: 筆者撮影)

荒石積みでラテン十字の平面図を持ち、木造の屋根で覆われた単一の身廊を備えているこの教会は、小さいながらも調和がとれている。外観では、ロマネスク様式でよくみられる3つの半円形の段になった後陣が際立っているが、3つの後陣は、「父である神」と「子であるキリスト」と「神の働きである聖霊」の三位一体を表している。3つの後陣は丁度祭壇がある部分になるが、春分の日と秋分の日にはこの祭壇の後ろの中央の窓から光が入ってくるように設計して造られているという。また、ガイドの説明によると、鐘楼がある塔は教会入口として機能しており、サラマンカにある幾つかの教会に共通する典型的な特徴だということだった。

教会の入口と鐘楼(写真: 筆者撮影)

スペイン・フランドル様式の聖櫃

祭壇に向かって左側に、シンプルな教会の内部なだけにひと際目を引く浅浮彫りがある。これは、15世紀のスペイン・フランドル様式の石造りの聖櫃(Sagrario)だ。説明によると、オリジナルは彩色された美しいものだったようだ。表情豊かな天使が描かれていて、教会の宝である聖遺物(Reliquia)が保管されていた場所にふさわしい。そして、鞭、三本の釘、冠といったキリストの受難の道具を手に持つ天使たちは、キリストが今も生きて存在していることを私たちに伝えている。

どのような色で彩色されていたのだろうかと興味をそそられる(写真: 筆者撮影)

様々な謎とシンボル

教会入口から右側に出ると北側の入口がある。キリスト教のロマネスク様式やゴシック様式の教会は、一般的には、祭壇はエルサレムの方向である東側に位置し、入口は西側に位置していた。北側は、「寒い、悪」等のイメージがあり、「罪の門(Puerta de pecar)」として、信者達に霊的な鍛錬を通じて誘惑や罪への「扉を閉ざす」ことを教えるために用いられていた。このサラマンカにあるカンタベリーの聖トマス教会(Iglesia de San Tomás de Cantuariense)では、門の中央部分の持ち送りに樽(Tonel)のシンボルが飾られているが、「酒の飲みすぎは罪だよ」と戒めているのだ。

雨除けを支える持ち送りの中央には円柱形の樽が大酒飲み達を戒めている。「罪の門」はわずかに先が尖った尖頭アーチだ(写真: 筆者撮影)

さて上の写真で、入口の右下や左側の石が細長く削られているのが見えるだろうか。これが一体何なのかは今も謎に包まれていて、「悪魔の爪痕」と呼ばれたりしていたらしい。この門の前は長い間市場が開かれていた場所だったので、市場で使っていたナイフを研ぐために研ぎ石の役割を果たしていたのではないか、と言う研究者もいる。しかし、実際のところは今も謎のままのようだ。

謎と言えば、次の写真の装飾の意味も謎のままのようだ。

下の写真の丸いものは、太陽の光の一日の動きを表しているケルト文化のシンボルだと言われているが、普通は墓石に彫られているものらしく、ここで込められている意味は不明だということだった。

紀元前にイベリア半島に住んでいたケルト人達はスペイン各地でその足跡を残しているが、これもその一つなのだろうか?(写真: 筆者撮影)

こちらの丸いものは、「顔のない顔(Rostro sin rostro)」とも呼ばれているらしく、一体何を表しているのかは謎のままのようだ。ただ、この顔はプリスシリアノ・デ・アビラ(Prisciliano de Ávila)ではないかとも言われているらしい。因みに、プリスシリアノ・デ・アビラ(Prisciliano de Ávila)とは、4世紀の禁欲主義運動の創始者でマグヌス・クレメンティウス・マクシムス政権によって処刑され、キリスト教世界では、プリスキリアヌスの処刑は、世俗の司法が教会問題に関与して死刑判決を下した最初の事例と見なされている。(ウィキペディア参照)

一見、顔とは思えない丸いものが装飾されている(写真: 筆者撮影)

下の写真の左側の壁に長細いギザギザしたものが見えるだろうか。これは、曜日が分かるようにその日の曜日に合わせて印をつける場所だったそうだ。また。下の写真の半円形の部分の下部に穴が開いているのが見えるだろうか。こちらは、市場のために必要だった棒を入れる穴だったとのこと。なかなか興味深いものだ。

教会と市場は人が集まる所だった(写真: 筆者撮影)

「火の花(Flor de fuego)」と4つの顔

教会内部の丁度ラテン十字が交差する四隅には、人の顔が施されている。この4つの顔が何を象徴しているのかは様々な学説があった。つい数年前までは、「東西南北」の方向を表す4つの顔だと言われていたが、最近は、世界を構成する物質である「四元素」を表しているという説が有力だという。つまり、「火(fuego)」「空気(aire)」「水(agua)」「土(tierra)」を4つの顔で表現しているのだ。そして、アリストテレスが唱えた第五元素としての「エーテル(天空)」が、天井の真ん中の交差している部分にある「火の花(Flor de fuego)」として表現されているというのである。因みに、「エーテル」は光を伝える媒質を表す専門用語だが、キリスト教において「光」は神を表すものとしてよく使われるシンボルでもある。つまり、「四元素」によって私たちが住んでいる世界を表し、死後は神のいる天空(エーテル)に行き神=光(エーテル)に会うという、信者たちの願いを表しているのである。

これからも4つの顔が意味するものの新しい学説が出てくるかもしれない。何世紀にも亘り謎解きをしているようだ(写真: 筆者撮影)

最後に

アングリカン・チャーチ(聖公会)として現在使われているカンタベリーの聖トマス教会(Iglesia de San Tomás de Cantuariense)は、ミサ以外で中に入れる機会は普段は無いが、今回は、毎年10月末から12月中旬頃まで行われる「ラス・ジャベス・デ・ラ・シウダッド(Las Llaves de la Ciudad)」と呼ばれるサラマンカ市が主催している街の主な史跡や教会などを一般市民に無料で開放するという企画によって、教会の中に入れるのみならず、ガイドを教会司祭がしてくれるという絶好の機会に恵まれた。充実した内容で、様々な興味深いことを知り得ることができた。小さな教会だが、歴史・建築様式・シンボル等を詳しく説明して下さり、中身の濃い1時間半であった。

今年の企画は終了したが、もし、来年のこの時期にサラマンカへ訪れる人にはお薦めの教会の一つだ。英語のガイドもある。是非チェックしてほしい。

・今年の「ラス・ジャベス・デ・ラ・シウダッド(Las Llaves de la Ciudad)」の公式サイト

https://salamancaymas.es/las-llaves-de-la-ciudad