スペインのワイナリー見学(3)-クネ(CVNE)

イースター休暇を利用してラ・リオハ州にあるクーネ(CVNE)というワイナリー見学に行ってきました。スペインワインと聞いて一番有名なワインの産地はやはりリオハワインだと思います。その中でも、クネ(CVNE)は1879年から140年以上も続く伝統あるワイナリーでまさしくスペインを代表するワイナリーと言えます。

ワイナリー見学はこちらから!(写真: 筆者撮影)

「クネ(CVNE)」ワイナリーの歴史

通称「クネ」と呼ばれているワイナリーの正式名称はコンパニア・ビニコラ・デル・ノルテ・デ・エスパーニャ(Compañía Vinícola del Norte de España )で、その頭文字を取って「C.V.N.E」です。日本語に訳すと「スペイン北部のワイン醸造会社(筆者訳)」となり、えらく抽象的な名前の会社だなというのが私の最初の印象でした。(笑) 「クネ(Cune)」と呼ばれている理由は、「V」を「U」にする方が呼び名として洒落た感じだったからだとか。上の写真でもワイナリーの名前「クネ(Cune)」の文字が見えます。

ワイナリーの敷地内は、ちょっとレトロな雰囲気が漂っていました(写真: 筆者撮影)

前述したようにこのワイナリーは、1879年リオハ州にあるアロ(Haro)という街にレアル・デ・アスーア兄弟(Real de Asúa)によって設立されました。もともとはリオハ州出身ではない二人でしたが、健康上の理由からこの地に移り住むことを決め、家族経営のワイナリーを始めることにしたとのこと。今も同じレアル・デ・アスーア家の人達の手により、質の高い、職人的かつ伝統的なワインを生産し続けています。

アロ(Haro)にはクネ(CVNE)以外にも有名なワイナリーが沢山あります(写真: 筆者撮影)

クネ(Cune)と言えばインペリアル(Imperial)!!

スペイン人にクネ(Cune)の代表的なワインは何?と尋ねると、必ず帰ってくる答えは「インペリアル・レセルバ(Imperial Reserva)!!」。このワインは、良質なぶどうが収穫され、優良なヴィンテージが期待出来る年にのみ造られる特別なワインです。

私の義母はリオハ州出身ですが、クリスマスプレゼントの定番がこの「インペリアル・レセルバ(Imperial Reserva)」。「このワインを嫌いな人なんていないわよ!」と言っている通り、地元の人達にも圧倒的な信頼を置かれているワインなのです。それもそのはず。このインペリアルワインはスペイン国王が毎年樽で購入しているプレミアムスペインワインなのです!

更に、「インペリアル ・グラン・レセルバ 2004(Imperial Gran Reserva 2004)」はアメリカのワイン専門誌『ワイン・スペクテーター』が選ぶ2013年世界のTOP100ワインランキングにて堂々【第一位】に輝き、スペインワイン初の快挙、まさに革命的な出来事となりました。

マグヌム (magnum) と呼ばれる1.5L入りのワインと3L入りの巨大ワインが売ってありました。うーん、3Lのワインを注ぐのはかなり大変そう…(写真: 筆者撮影)

スペインフェリペ国王とレティシア王女は2004年5月22日に結婚式を挙げられたので丁度今年は20周年という記念の年です。その壮麗な儀式の後で、披露宴の食事に振舞われた赤ワインがクネ(Cune)の「インペリアル ・グラン・レセルバ 1994(Imperial Gran Reserva 1994)」でした。前述のワイン・スペクテーター』が選ぶ2013年世界のTOP100ワインランキングにて堂々【第一位】に輝いた「インペリアル グラン・レセルバ 2004(Imperial Gran Reserva 2004)」は、奇しくもお二人が結婚された年のワインなので、今年5月22日の結婚記念日にはこの「インペリアル グラン・レセルバ 2004(Imperial Gran Reserva 2004)」でお祝いされるかもしれませんね。

ちなみに、結婚式に振舞われた白ワインは「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)」でした。このワインのワイナリーについて興味がある方は、こちらもご覧ください。

エッフェル設計のワイン倉庫

樽詰めしたワインを寝かす倉庫は、伝説の建築家アレクサンドル・グスタフ・エッフェルのスタジオが設計したもので、1890年から1909年にかけて建てられました。建築家アレクサンドル・グスタフ・エッフェルと言えば、パリのエッフェル塔が有名ですよね。

約17mx47mの長方形の間取りで、その広さは800㎡というかなり大きな倉庫(写真: 筆者撮影)

上の写真を見てお分かりになるように、これだけ大きな倉庫に柱が1本もありません。屋根は壁から壁へと走る金属製のトラスで支えられ、革新的な固定方式を採用した堂々たる構造となっていて、空間革命となりました。

この大きく開放的な空間は、建物内の樽の管理を大幅に最適化し、ワインの棚入れ、メンテナンス、管理を容易にしました。エッフェルが設計した倉庫と整然と並べられた大量のワイン樽は必見の価値ありです。

「インペリアル(IMPERIAL)」ワインの樽(写真: 筆者撮影)

ワインの墓場(Cementerio)⁉

次に、ワイナリーの見学の最大のミステリーとなる「墓場(Cementerio)」と呼ばれる地下室へと誘引されました。ガイドさんの懐中電灯の明かりだけを頼りに「墓場(Cementerio)」へと入ると、まるでミステリー映画かヨーロッパの中世にでもタイムスリップしたかのような錯覚を覚えました。

まるでワインのカタコンベのよう!(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

ここには、ワイナリー創立以来最も古いワインから今日のワインまでを保管してあります。ここの暗闇・温度・湿度といった理想的な条件下で、生き物であるワインは瓶詰めされた後も熟成し続けるのです、という説明がありました。「ワインが生き物」ということを考えたこともなかった私にとっては、真っ暗で湿気のあるこの地下室でいつか栓を抜かれ外界の空気と触れ合うまで、この「生き物」は息をひそめてジッと横たわって待ち続けているんだ、という背筋がゾワッとするような想像をかき立てられました。

少なくとも8万本の瓶が横たわっている(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この後、ガイドさんがこの「墓場(Cementerio)」のある伝説を語ってくれました。1979年、クネ(CVNE)の創立100周年を記念して、設立者のレアル・デ・アスーア兄弟の子孫たちは、1888年のワインや、スペイン市民戦争が始まった1936年のワインなど重要なヴィンテージのボトルを、閉ざされた立ち入り禁止の門の奥に保管するという協定に署名しました。そして伝説によると、1979年に門を閉じた鍵は川に投げ込まれ、次の100周年にあたる2079年に、その協定に署名したレアル・デ・アスーア兄弟の子孫たちが再び集まれば、門は再び開くのだそうです。

写真では見えずらいですが、閉ざされた立ち入り禁止の門のこの中に、100年間の重要なヴィンテージのボトルが保管されています(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

テイスティング タイム 

まるで小説にでも出てきそうな伝説と「ワインの墓場」を後にして、湿気のある肌寒い地下から再び光射す地上に戻ってきました。なんともホッしました。(笑)

そして、楽しみにしていた試飲タイム!ここでは、一般には市販されていない、限定ワインの試飲ができました。深い赤色、深い味わい、両方ともとても美味しく頂けました。ただ、インペリアル(Imperial)の試飲もあるのかなーなんて期待していましたが、残念ながら出てきませんでした。(笑)

ほのぼのとした絵が描かれているラベルも素敵!(写真: 筆者撮影)

ガイドをしてくれた可愛いマリア(María)のワイナリーへの愛情や誇りが私たちにも伝わってきて、とても楽しいワイナリー見学ができました。

もし、ワイナリー見学に興味のある方はラ・リオハ州アロ(Haro)に是非足を運んでみてください。この町には沢山の有名どころワイナリーがツアーを開催しているので、参加されるときっと旅の良い思い出になること間違いなしです。

テイスティングの説明をするガイドのマリア(María)(写真: 筆者撮影)

参考

・「クネ(Cune)グループ」の公式サイト。個人でワイナリー見学を予約される方はこちらからどうぞ。https://cvne.com/visitas-home/

・ラ・リオハ州のワインを楽しむスペイン観光公式サイト。https://www.spain.info/ja/supein-tankyuu/rioha-ekusuperientu-wain-tanoshimu

・同じラ・リオハ州のワイナリー見学の別の記事はこちらからどうぞ。

ちょっとスペイン語 -29-  (Tener tela marinera-厄介である、手間がかかる、大変な苦労をする)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

写真: ウィキペディアドメイン

スペイン語圏で最も権威の高いスペイン王立アカデミー(Real Academia Española)が発行している辞書によると、「Tener tela marinera」は「Tener gran dificultad」という説明があります。つまり、「大きな困難を伴う」という意味で、「厄介である、手間がかかる、大変な苦労をする」ということです。「Tela」は「布」、「Marinera」は「船舶の」という意味があり、直訳すると「船舶の布を所持する」ということですが、この言い回しは船の帆に使われる布地を指しているようです。船の帆に使われる布は高価なうえ大量の布が必要であり、作るのが大変だったので、こういう言い回しができたと言われています。その意味から派生して、「とても難しいこと」「骨の折れる事」の他にも「大量のもの」という意味にも口語ではよく使われています。

Después de trabajar 8 horas ir a la autoescuela tiene tela marinera.

8時間仕事した後に自動車学校に行くのは大変だよ

¿Cuántas horas te quedan las clases de la práctica?

実習クラスはあと何時間残っているの?

Me queda aún por lo menos 20 horas…

少なくとも20時間は残っているよ…

¡Vaya tela marinera!/¡Vaya tela!/¡Tela!

そんなに残ってるの!

上の例文でお分かりの様に、「Tela marinera」や「Tela」だけでも使えます。場面によって意味が少し異なり、「量が多い」という意味で使われたり「大変だ」という意味でも使われたりします。単に「¡Tela!」と言ったり、驚嘆を表す「Vaya」を付けて「¡Vaya tela!」と言ったりもします。

それにしても、16世紀に世界で初めて地球を一周する貿易路を開拓・支配した歴史を持つ海洋国スペインならではの言い回しかもしれませんね。

ピリ辛!煮込み鶏肉料理 (Pollo cabreado)

家計に優しい鶏肉は普段料理で活躍してくれる主婦の味方です。私が住むサラマンカのレストランでは地元のイベリコ豚を使った豚肉料理が多いのですが、一般家庭では鶏肉料理もよく食べられています。今回の鶏肉の煮込み料理は、知人の神父様から頂いたオリジナルレシピです。辛いスペイン料理は珍しいのですが、スペインでは辛くするために辛いパプリカや唐辛子、ピパーラ(Piparra)と呼ばれるバスク地方名産の唐辛子等を使った料理が一般的です。今回の料理は唐辛子が使われています。

ピリ辛!煮込み鶏肉料理 (Pollo cabreado)

材料:4人分

・鶏ぶつ切り肉     600~800g

・玉葱         1個

・ニンニク       2~3片(お好みで)

・唐辛子        1~2本(お好みで)

・白ワイン       100ml    

・塩          適宜

・オリーブ油      大さじ4杯(できればエキストラ・バージンオリーブ油)

作り方

1.ニンニクを切りすり鉢で軽く擦る。

私はニンニクたっぷり味が好きなので表示分量より少し多めに入れています。(写真: 筆者撮影)

2.1のニンニクにオリーブ油大さじ2杯と白ワインを100ml程入れて、更に軽く擦り混ぜる。

エキストラバージンオリーブオイルを使うとこんな感じの色になります。(写真: 筆者撮影)

3.鍋にオリーブ油大さじ2杯を敷き、熱くなったら鶏ぶつ切り肉を入れて中強火で焦げ目をつけていく。その後火力を弱中火に下げ、やや大きめに切った玉ねぎを鍋に入れて鶏ぶつ切り肉と一緒に炒める。

玉ねぎは俎板の上で切るのではなく、直接鍋の上でペティナイフを使いながら適当に切っていくのがスペイン風。(写真: 筆者撮影)

4.玉ねぎが少しクタッとなってきたら、予め種を取り除き適当にちぎった唐辛子をいれ更に炒める。

唐辛子はお好みで。(写真: 筆者撮影)

5.2の擦ったニンニク・エクストラバージンオリーブ・白ワインを4の鍋に入れて、鶏ぶつ切り肉に絡ませる。塩もお好みで入れる。鶏肉が柔らかくなるまで煮込む。水分が足りなくなったら、途中で水を差す。最後に味を見て塩味が足りなければ塩を足して出来上がり。

ソースをたっぷりかけてパンに付けながら食べると更に美味!(写真: 筆者撮影)

神父様が教えて下さった「祝福された」ピリ辛の鶏肉の煮込み料理です。ちなみにスペイン語の名前はポージョ・カブレアード(Pollo cabreado)ですが、直訳すると「怒っている鶏肉」という意味で、ピリッと辛い味を「怒っている」と表現しているスペイン人の感覚が面白いですね。この名前も神父様ご自身が名付けられたものです。

日本でも手軽に材料調達できて至ってシンプルな料理ですので、是非ご家庭で試されてくださいね。

修道院のシスターが作る「SUSHI」が大人気!!

スペイン各地にある修道院のシスター達が作って販売する食べ物は、お菓子類やリキュール類、ジャム類やチョコレートなど色々ありますが、今回は、なんとお寿司のテイクアウトを始めたグラナダの跣足(せんそく)カルメル修道院(Carmelitas descalzos)を紹介します。

修道院生活を維持するために

日本でも北海道にあるトラピスト修道院で作られているトラピストバターやクッキーなどは有名ですが、ソフトクリームも売っていて人気だとか。添加物やトランス脂肪酸等が入っていない安心・安全材料を使って作られているお菓子や食べ物っていうイメージが強いですよね。

こちらスペインでも、修道院のシスター達が作るお菓子は昔から自然素材の材料や修道院の中で栽培している果物などを使ってありとても人気があります。観光などで訪れた修道院に売店があると私もつい覗いてお土産や自宅用に買っています。スペイン観光にいらして各地の修道院のお菓子をお土産に買われた経験がある方もいらっしゃることでしょう。

スペインの修道院で作られる食べ物は主にお菓子類ですが、スペインでは11月1日の諸聖人の日(Día de Todos los Santos)頃からクリスマス、2月のカーニバル、そして3月から4月にかかるイースターの頃まで約半年間はそれぞれの祝日に合わせたお菓子を食べる習慣があります。その他の時期は確かにクッキーなどを食べる機会はグッと減ってしまいます。夏の間はやはりアイスクリームをよく食べますし、毎週末に家族で集まってお昼ご飯を食べた後のデザートには、小さなニミケーキを買ってきて食べることが多いようです。

今回話題になっているグラナダの修道院は500年という長い歴史があり、その間シスター達はその土地の伝統的なお菓子を作ってきました。ところが修道院生活を維持するために伝統的なお菓子の販売だけでは経済的にままならなくなってきていたため、ここ数年スペインで大人気の日本の「寿司」をテイクアウトで販売するようになったとのことです。時代の要請にこたえる形で伝統を守るだけではなく柔軟に時代への適応を図っている点は素晴らしいことです。スペインの新聞でも、グラナダの修道院で隠遁生活を送る修道女が作る「祝福された」寿司を食べることができますよ、と記事になって紹介されています。

修道院内に吹く新しい風

現在7名のシスターが修道院内に暮らしていますが、そのうち5人はフィリピンから来た比較的若いシスターです。そのフィリピンの若いシスター達が修道院存続のため、知恵を出し合って伝統的なお菓子だけではなく新しい味を提供することにしました。

跣足カルメル修道院は、修道院の中から出ず禁域生活を送っているシスター達の修道院です。500年間そして今も修道院のお菓子を買いたいグラナダの人達が修道院の入口へ来てベルを鳴らし、格子窓の向こうにいるシスターが「Ave María Purísima(アベ・マリア・プリッシマ=至聖なるマリア様)」と問いかけ「Sin pecado concebida(シン・ぺカード・コンセビーダ=無原罪)」と訪問者が答えると格子窓が少し開くようになっています。これは、罪なくして宿られた最も清らかなマリア様という意味のスペイン語を二つに区切って合言葉の一種として使われているもので、スペイン中の修道院で共通な合言葉です。

ところが、今回はテイクアウトができるように電話応対という現代的な方法も加えたところ、注文の電話が殺到したそうです。お陰で、今では何とか修道院生活を維持することができるようになったとのこと。スペインの修道院に若くて新しい風が吹いたと言えそうです。

Sushi だけじゃない!

フィリピンから来たシスター達は、最初はフィリピン料理の麺類やソータンホン(=sotanghon)、スパイシーなスープ、エキゾチックなマンゴーとパッションフルーツのスムージーなどを作っていましたが、お寿司も加えることにしたそうです。すると、このお寿司が爆発的な人気となったというわけです。

驚くことに30種類ものメニューがあり、まるでレストランのように修道院の売店の入口には写真入りのメニューが張り出してあります。残念ながら私はグラナダには住んでいないので直接見たことはありませんが、下の記事の中の動画で見ることができますのでご覧ください。

https://www.ideal.es/granada/sushi-famoso-espana-monjas-carmelitas-granada-20231030111748-nt.html

それにしても、昨今の和食-特に寿司-の人気には驚かされます。そして、日本では見たこともないようなカラフルな巻き寿司や日本では使わないような食材を使ったヌーベルキュイジーヌ (=新しい料理)がスペインで花開いている感じです。逆に本場日本で一般的な巻き寿司を食べたら、地味で種類が少ないと感じてしまうスペイン人も多いんじゃないかと心配してしまうほどです。(笑)

遠く離れたスペインで500年も続いている修道院の財政再建に一役買っている「SUSHI」、考えてみれば面白いですね。

写真: ウィキペディアドメイン

参考

・今回の内容は、スペインの様々なメディアが取り上げているニュースを基に書いたものです。興味のある方はスペイン語ですがこちらの記事も読まれてください。写真や動画もあるので分かりやすいと思います。

こちらは、修道院長へのインタビューやシスター達がお寿司を作るビデオを見ることができます。

https://www.ideal.es/granada/sushi-famoso-espana-monjas-carmelitas-granada-20231030111748-nt.html

4番目に大きな通信社であるスペインのEFE通信社のデジタル新聞でも取り上げられています。

https://www.elperiodico.com/es/cata-mayor/actualidad-gastronomica/20231102/monjas-clausura-carmelitas-granada-sushi-94037639

https://www.granadahoy.com/granada/monjas-clausura-Granada-encargo-receta-celestial_0_1843617036.html

https://www.lavanguardia.com/comer/al-dia/20231031/9340437/monjas-clausura-sushi-encargo-receta-celestial-agenciaslv20231030.html

*アイキャッチの写真はウィキペディアドメイン写真です。

ロマネスクへのいざない (15)- アストゥリアス州 (3)– バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)

秋雨の降る中、訪れたサン・サルバドール教会は周りの風景ともピッタリ溶け合っていた。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

神の谷」に佇むアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)の教会

サン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador)は、バルディオス(Valdediós)という場所にあるが、日本語に訳すと「神の谷」という意味である。その名にふさわしく人里から離れた神聖な場所にこの教会はひっそりと、しかし存在感をもって威風堂々と佇んでいた。「神の谷」全体が平安、調和、そしてその長い歴史や様々な記憶を喚起させるもので覆われていると感じさせられる、そんな場所である。

アストゥリアス王家の教会

アストゥリアス王国は718年から924年まで約200年間栄えた王国であるが、バルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)は、このアストゥリアス王国の王家の教会として最後の王アルフォンソ3世(Alfonso III)によって893年に献堂された。アルフォンソ3世(Alfonso III)の祖父ラミロ1世(Ramiro I)は、現在のアストゥリアス州の州都であるオビエド(Oviedo)近郊のモンテ・ナランコにサンタ・マリア・デル・ナランコ宮殿(Palacio de Santa María del Naranco)、そしてより大きな複合施設の一部として宮殿から100m程離れた場所にサン・ミゲル・デ・リージョ教会(Iglesia de San Miguel de Lillo)を建設したが、今回訪れたバルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador)は、これらの夏の宮殿群の神殿である。

当時イスラム教勢力がイベリア半島の大部分を征服していたが、アストゥリアス王国最後の王アルフォンソ3世(Alfonso III)は、イスラム教から解放されキリスト教勢力への奪回を目指すレコンキスタ(国土回復運動)を精力的に推進した王で良く知られている。しかし、晩年には3人の息子たちと対立するようになり、このバルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)がある修道院に幽閉される身となった。

アストゥリアス王家の教会を示すものとして、教会の入口の上に「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」が刻まれていることでもわかる。この「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」は、レコンキスタの出発点となったコバドンガの戦いでアストゥリアス王国の建国者ペラヨが掲げた木の十字架のことで、アルフォンソ3世はこれを王国の紋章としていた。

キリスト教の中で最も頻繁に用いられる十字架の形「ラテン十字(Cruz latina)」。万物の最初と最後を意味し、永遠の存在者である神とイエスを示す「アルファ(A)」と「オメガ(ω)」が刻まれているが、アストゥリアス王国の紋章「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」では、写真でお分かりいただけるようにオメガは「Ω」ではなく「ω」で表されている。 (写真: アルベルト・F・メダルデ)

昔もリサイクル活用!

この教会にはローマ時代の遺跡のリサイクルがなされていて興味深い。まず、入口の2本の柱は斑岩(はんがん-Pórfido)でできているが、この石はアストゥリアス地方にはない岩で、ローマ時代に使われていた物をリサイクル活用されているとのことだった。そして、この斑岩(Pórfido)という赤い石は、花崗岩よりも硬くどんな気候条件にも永久的に耐える事ができ、ローマ時代には大きな権威と真の品位の象徴であった。サン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)では、王家の教会の入口の柱に使われていることは注目に値するだろう。

石の色が赤いローマ時代の物をリサイクルした2本の柱は、他の部分に使われている石の種類とは異なっていることが一目瞭然。 (写真: アルベルト・F・メダルデ)

祭壇に使われている柱は大理石(mármol)で、こちらもローマ時代の物をリサイクル活用したもの。柱頭は時代が下りロマネスク時代のもので、大きなシダの葉の模様が見られる。

教会内の祭壇部分の上部には、3つの十字架が描かれている。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

上の写真を見ていただくと分かるが、3つの十字架が描かれている。これは、キリスト教の原点と言われるキリストが磔刑に処せられたゴルゴダの丘に立った十字架を表している。キリストの左右には犯罪者が磔刑に処せられていて3つの十字架が立っていたのである。

そして、真ん中のキリストの十字架には、上の写真ではよく見えないが、万物の最初と最後を意味し永遠の存在者である神とイエスを示す「アルファ(A)」と「オメガ(Ω)」が描かれている。

また、祭壇の後部が窓になっており光が差し込む造りになっているが、光は神を意味し神を体現化していたのである。これら、キリスト教におけるシンボルがちりばめられていることは、非常に重要かつ興味深いものである。

教会の内部

バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)は、アストゥリアス文化(プレロマネスク様式)建築の好例であり、半円アーチ型天井で覆われた3つの身廊、東向きの3つの礼拝堂、同じくアーチ型天井の3部の玄関の上に位置するトリビューン(教会内の解放された二階部分で、階上廊とも呼ばれる)から成るバシリカ間取りである。

祭壇部分とは丁度反対側、教会入口の二階部分のトリビューンには王と王妃がミサに出席するための特別な場所が設けられていた。これは王家の教会だったことを思い出させてくれる。今も二人のために椅子が2客用意されていて、1000年もの昔、二人揃ってミサに出席していた姿を想像すると微笑ましい。

教会の正面玄関の真上にトリビューンがある。この窓の上にも3つの十字架が見える。今も椅子が2客置かれているのは心憎い演出。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

上の写真でもわかるように、身廊は半円アーチで区切られ、中央身廊の高い壁を支えている。これらのアーチは四角い柱の上にあり、スペイン式典礼に必要とされた扉が取り付けられた窪みが見られる。

側廊(El pórtico lateral)

教会のやや後方、南壁の横に建てられた側廊(El pórtico lateral)は非常に興味深い。

南壁の側廊は、透かし窓のある大きな切り石建築の建物。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

ガイドの説明によると、葬儀用又は典礼用に使われていたものと考えられている。この教会より後世に建てられたロマネスク様式の教会ではよく見られるようになり、集会所など他の目的にも機能性は拡張されていったとのことだった。

内部は思ったより大きく、透かし窓が美しい。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

この側廊(El pórtico lateral)の高さは、主身廊( La nave principal)、南側通路( La lateral sur)、そしてこの側廊(El pórtico lateral)から減少していく量感のバランスの取れた相互作用を生み出すために完璧に計算されていた。(arteguia参照)確かに、外から見た教会の全体像が見れる上の写真でよくわかるように、三層の高さの異なる建築により安定感や躍動感を見る人に与えてくれる。

多様な文化の融合

前述の側廊(El pórtico lateral)に施された透かし彫りの窓は、私たちの目を引かずにはいられない。

1000年以上、風雪に耐え忍んでなお美しい彫刻装飾に感動させられる。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

透かし彫りで彫られたこの窓は、スペインが当時イスラム支配に置かれていたこともあり(アストゥリアス地方は別)、イスラム文化やモサラベ文化、そして地元のアストゥリアス文化と、多様な文化の融合を垣間見ることができる貴重な証人だ。

「モサラべ文化」という名前を聞いたことがない方も多いだろう。これは、中世キリスト教美術・建築で用いられた様式の一つであるが、8世紀初頭以来イスラム統治下のスペインはイスラム教徒の治下に混在してキリスト教徒たちが暮らしていたが、イスラム文化の影響を受けながら独自の文化を形成したキリスト教徒(モサラべ)の文化が「モサラべ文化」であり、スペイン特有の文化である。

スペイン語では Celosía(セロシーア=格子窓)と呼ばれるこの透かし彫り入りの窓は、明かり取りや通気性のためにガラスをはめないタイプのものだ。

下の写真で見える屋根の上に凸型の突起のようなものがあり、これは、スペイン語では Almena(アルメナ=のこぎり壁、鋸壁(きょへき))と呼ばれるものだとのこと。そして、これはイスラム文化が華咲いていたスペイン南コルドバのメスキータにも見られるものだということだった。

主身廊( La nave principal)部分の屋根の上にはAlmena(アルメナ=のこぎり壁、鋸壁(きょへき))がみえる。(写真: アルベルト・F・メダルデ)

比べてみると確かに共通点があるようだ。

メスキータの建物の中でも最も古いものの一つ、サン・エステバン門。凸型の突起のようなAlmena(アルメナ=のこぎり壁、鋸壁(きょへき))が見られる。(写真: ウィキペディアドメイン)

そして、バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の透かし窓、鋸壁等の彫刻装飾は、モサラべの巨匠によるものだろうということだった。

教会の建築物自体は前述の如くアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)建築の好例であり、その細部の彫刻装飾にモサラべ文化を取り入れたハイブリッドなものになっており、その当時のスペインで定着していた多様な文化の融合を目の当たりにできる教会でもある

最新の研究

今回の訪問でとても興味深かったものの一つに、ガイドが説明してくれた最新の研究の説明があげられる。様々な研究が進み、建築当時の内部の想像図を再現したものをタブレットで見せてもらった。

基本的に、ロマネスク時代の教会内部は美しい色で装飾されていたものが多かったが、現在までその装飾が鮮明な形で保存されている例は数少ない。バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)も他のスペイン各地の教会・大聖堂等と同様に、ペスト時代に教会内部を石灰(Cal)で覆われた。それは、石灰は消毒剤の効果があると考えられていたからである。

しかしテクノロジーの進化に伴い失われた当時の姿を再現することができるようになっているのは、現代に生きる私たちの特権だなと感じた。

建築当時の教会内部装飾の想像図。赤褐色を基調とする幾何学模様が施されていたと考えられている。(写真: 筆者撮影)

現在の教会内部の写真と比べてみたいところだが、手元によく映っている写真がないので、こちらのサイトにある教会内部の写真を参考にして頂きたい。正面に見えるアーチの左側部分は現在も少し残っている装飾が見える。

https://www.arteguias.com/iglesia/sansalvadorvaldedios.htm

現在の教会内部とはかなり異なり賑やかな装飾に溢れていたようだ。

最後に

バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の敷地内には、シトー会修道士達によるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)が建っている。この修道院には、2020年までは少数の修道士たちが居たが、今は完全に観光のみとなり、ガイド案内が行われている。今後は、巡礼者のためのゲストハウスとして開かれることが考えられているそうだ。

サン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvado)から見えるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María) (写真: アルベルト・F・メダルデ)

バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)並びにサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)がある「神の谷」と呼ばれるバルディオス(Valdediós)渓谷は、1000年を超えるオークや栗の木が生い茂り、川のせせらぎと鳥のさえずりが私たちの聴覚を刺激し、この世俗から離れた神聖な場所に1000年以上時が止まったがごとく建つ建物は、私たちの五感に特別な何かを感じさせてくれる。

参考

・サン・サルバドール教会の横にあるサンタ・マリア修道院の公式ウエブサイトは次の通り。サン・サルバドール教会とサンタ・マリア修道院の両方を見学できるが、このサイトから時間帯等を確認及び予約できる。

https://monasteriovaldedios.com/en/home-english

・ここで紹介したバルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)は、アストゥリアス州のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。このルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

スペインでバードウォッチング!-種類別 スペインの野鳥 日本語名(ハト科)

ここでは、スペインに生息する野鳥の名前を、種類別に集めてみました。スペイン語名をクリックしてもらうと、スペイン鳥学会のホームページに飛びます。残念ながら日本語版はありませんが、英語での鳥の名前は出ています。スペインで野鳥観察されるとき、またはスペインの旅の途中で見かけた鳥のスペイン語名を知りたいときに、少しでもお役に立てれば幸いです。

モリバト(Paloma Torcaz)/ (写真: アルベルト・F・メダルデ)

Palomas = ハト科

スペイン語日本語ラテン語//常駐/偶然
Paloma bravíaドバトColumba livia常駐
Paloma zuritaヒメモリバトColumba oenas常駐
Paloma torcazモリバトColumba palumbus常駐
Paloma rabicheゲッケイジュバトColumba junionae常駐 (Canarias)
Paloma turquéカナリーバトColumba bollii常駐 (Canarias)
Tórtola turcaシラコバトStreptopelia decaocto常駐
Tórtola europeaコキジバトStreptopelia turtur
Tórtola orientalキジバトStreptopelia orientalis偶然
Tórtola senegalesaワライバトStreptopelia senegalensis偶然

ちょっとスペイン語 -28-  (¡Buen viaje!-[旅立つ人への挨拶]ご無事で、いってらっしゃい、良い旅を)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

3月も終盤となり、日本では卒業式や異動の時期となりました。こちらでは、明日22日は「悲しみの聖母の金曜日(Viernes de dolores)」と呼ばれ、いよいよ聖週間(イースター週間)が本格的に始まります。と同時に、学校ではイースター休暇に入ります。会社では聖木曜日と聖金曜日だけが休みという所も多いのですが、有給休暇を取って1週間程の休みにする人も多いですね。

旅立ちの人達への送り言葉に「¡Buen viaje!」というスペイン語があります。これは、「ご無事で、いってらっしゃい、良い旅を」という意味ですが、スペインではよく使う言葉です。

Mañana ya me voy de vacaciones. Este año iré de viaje a Japón. Imagino que ésta época Japón estaría muy bonito por las flores de cerezos.

明日はもう休暇に入るよ。今年は、日本旅行に行く予定さ。今頃はきっと桜の花が咲いていてきれいだろうな。

¡Qué bien! ¡Qué envidia! Seguro que te lo vas a pasar muy bien y un viaje muy bonito.

いいなー!うらやましい!きっと素晴らしい時間を過ごし、とても素敵な旅になると思うよ。

Eso espero. Ya contaré cuando vuelva.

そう願うよ。戻ったら旅の話を聞かせるね。

Sí, por favor. ¡Buen viaje!

うん、お願い。気を付けていってらっしゃい!

¡Muchas gracias!

どうもありがとう!

スペイン旅行をされた方は、きっといろんな場面でスペイン人の人達から「¡Buen viaje!」と声をかけられたことでしょう。もし、日本国内で旅行しているスペイン人(中南米のスペイン語圏の人達も含めて)に出会ったら、気軽に「¡Buen viaje!」と声をかけてみてくださいね。きっと彼らにとっても素敵な旅の思い出となること間違いなしです!

ピカーダ (picada) で味付けしたコウイカと肉団子 (Sepia con albóndigas)

ピカーダ (picada) と呼ばれる調理技法をご存じでしょうか?カタルーニャ地方料理には欠かせない調味料のようなソースです。ソースと言っても単品で使うマヨネーズなどとは異なり、調理の中で使われるものです。私が住むカステージャ・イ・レオン州では全く使われない調理技法で、ピカーダ(Picada)入りの料理を作ると一気に地中海沿岸を連想させてくれます。

今回は、日本でも簡単に材料が手に入るコウイカと肉団子 (Sepia con albóndigas) のレシピを紹介します。

コウイカと肉団子 (Sepia con albóndigas)

材料:食欲旺盛な人4人分

・コウイカ             800g

・玉葱                1個

・トマト              2~3個

・魚の骨のだし           1/2ℓ

・小麦粉              150g          

・塩                 適宜

・オリーブ油             大さじ 4杯

肉団子用の材料

・豚挽き肉             250g

・卵                1個

・ニンニク             1片

・イタリアンパセリ          少々

・牛乳に浸したパン          一切れ 

・塩胡椒               適宜

ピカーダ (picada) 用の材料

・ニンニク             1片

・トーストしたアーモンド      20粒

・ハーゼルナッツ          4粒

・松の実               小匙1杯

・白ワイン             125㎖

作り方

1.コウイカを一口大の大きさに切り、鍋にオリーブオイル少々をひいて中火で炒める。炒めたら一旦鍋から取り出しておく。

一口大の大きさに切ったコウイカ

2.みじん切りにした玉ねぎを同じ鍋に入れて中火で炒める。更に、皮と種を取りみじん切りしたトマトを入れて炒める。

みじん切りにした玉ねぎとトマトを炒め、トマトの水分が無くなるまで気長に煮詰めてください。

3.トマトの水分が無くなったら、1のコウイカを鍋に戻し入れる。10分ほど弱火で炒めたら魚の骨のだしと塩少々を加え、更に25分間煮る。

コウイカを戻し入れて、みじん切りにした玉ねぎとトマトとよく混ぜます。

4.その間、肉団子用の材料をボールに入れて全てをよく混ぜ合わせる。小さめのコップに小麦粉を少し入れて、一口大の大きさの肉団子を作ってコップに入れて小麦粉をまぶす。

小さなコップに少量の小麦粉をいれ、一口大の大きさの肉団子を入れて小麦粉にまぶしながら形を整えます。こんな感じです。

5.小麦粉をまぶした肉団子を、オリーブオイルを敷いたフライパンに入れて万遍なく焼く。焼いた肉団子の油をよく切り、3の鍋に入れ中火で10分間煮る。

肉団子を上手に動かしながら、全面を焼いていきます。この段階では中まで火が通る必要はなく、肉団子の形が壊れないように焼き付ければ大丈夫です。

6.煮ている間にピカーダ (picada) を作る。ニンニクは小さく切り、すり鉢に白ワイン以外のピカーダ (picada) 用の材料を全て入れて潰し、少しづつ白ワインを加えながら、ソース状になるまですり潰していく。

少しずつ白ワインを加えながら、この写真の様にソース状にします。

7.5の鍋に6のピカーダ (picada) を入れて、更に5分間煮る。味見して味を調える。

味見をして、塩加減が丁度良ければ出来上がりです。

肉団子とコウイカの絶妙のコンビ、そして最後に入れるピカーダ (picada) によってスペインの地中海料理独特の味を楽しむことができます。是非、作ってみてくださいね。

ちょっとスペイン語 -27-  (Media naranja-[理想的な]伴侶、夫、妻、ソウルメイト) 

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

Media naranja-[理想的な]伴侶、夫、妻、ソウルメイト

「Naranja」は「オレンジ」のことです。「Media」が「半分の」という形容詞の女性形で、直訳すると「Media naranja」は「半分のオレンジ」という意味になりますが、これは「[理想的な]伴侶、夫、妻、ソウルメイト」を言い表しています。

「ソウルメイト」という意味では、「Alma gemela (同じ精神の人)」という言い方もでき、共通の趣味、好み、価値観などを持ち、深い親和性のある相手で、気性の合った人、初対面でも直感的に懐かしさを感じる人等、相手を自分の半分のように見ている人のことを指します。

スペインでは、話し言葉としてこの言葉は使われています。「ソウルメイト」という意味もありますが、「Encontrar a su media naranja」という言い回しで「理想の伴侶が見つかる」という意味で使われることが多いようです。

¡Enhorabuena! Me han dicho que te vas a casar en este verano.

おめでとう! 今年の夏結婚するって聞いたよ。

Gracias. Sí, al final he encontrado a mi media naranja de mi vida.

ありがとう。そうなの。やっと人生の伴侶が見つかったわ。

¡Ay, qué bien! Me alegro de que seas muy feliz.

おー!よかったね!幸せそうで嬉しいよ。

Sí, estoy muy feliz. Ya te mandaré la invitación de nuestra boda.

ええ、とっても幸せよ。そのうち結婚式の招待状を送るわね。

¡Vale! Me hace ilusión.

了解!楽しみにしてるよ。

バレンシアオレンジで有名なスペインなので、スペインらしい表現だなって思っていましたが、実は「Media naranja」の語源は紀元前のギリシャ時代まで遡るらしく、また、「Naranja」という語源も14世紀末にアラビア語からきていました。

ロマネスクへのいざない (14)- アストゥリアス州 (2)– ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

ファサードだけを見るとゴシック様式の教会のよう(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ロマネスク様式からゴシック様式への過渡期に建てられた教会

スペイン北部のビジャビシオサ(Villaviiosa)の街の中にあり、1270年に建てられたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、スペインでロマネスク様式がまさに終焉しようとしていた頃、かつ、既に他のヨーロッパ諸国やスペインの他の街ではゴシック様式が建築の新しい主流となりつつあった頃に建てられたものだ。上の写真をご覧いただくとお気づきになる方も多いと思うが、入口の門のアーチは純ロマネスク様式の半円アーチではなく、ゴシック様式の特徴である尖ったアーチで造られ、ロマネスク様式にはなかったバラ窓が施され、そのファサードは鉛直性が見て取れる。これらの特徴はロマネスク後期に見られるもので、完全なゴシック様式ではないもののゴシック様式の原型となるものであった。

このような、二つの建築様式が融合している教会は興味深いものがある。改築や増築されたために異なる建築様式を持つ教会とは違い、取ってつけたような印象はなく、調和のとれた安心感を与える美しい建築だ。

アストゥリアス芸術が残るプレ・ロマネスク

サンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)を受け継いだ正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)を持つバシリカ間取りで、長方形の身廊と聖堂、聖具保管室、南壁に取り付けられた開口柱廊で構成されている。

祭壇を含む頭部 (Cabecera)部分が正方形なのは、この地方のプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の特徴の一つ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

教会の内部の身廊は露出した木造建築で覆われ、尖ったアーチが聖堂の2つのセクションを隔ている。ゴシック様式への過渡期の尖ったアーチが見られるものの、全体的にはロマネスク様式の至ってシンプルな造りである。

祭壇を含む頭部 (Cabecera)へと導く主要アーチ(arco de trinumfo)はゴシック様式(写真:アルベルト・F・メダルデ)

プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)とは、一般的にはロマネスク様式が伝わってくる以前にアストゥリアス地方で造られてきた教会や修道院などの建築様式で、この地方独特の特徴を持っていた。11世紀にはいるとロマネスク様式がスペイン北部全域そしてアストゥリアス地方でも席捲し始め、それまでの様式に取って代わられた。それ故、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は11世紀以前に造られた建物が殆どだが、この教会は13世紀後半という後期ロマネスク様式時代に造られたにもかかわらず、まるで数世紀前の自分たちのアイデンティティーを懐かしむがごとく、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の特徴である正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)が造られたりしていて興味深い。

オリジナルなモチーフが施された柱頭

自分たちのアイデンティティーを再確認するようだと思わせる他の例として、ファサードの出入り口にある柱頭の彫り物のモチーフが挙げられる。

・アストゥリアスで初めてのバグパイプ奏者(Gaitero)

「バグパイプ」と聞くと日本では真っ先にスコットランド・バグパイプが思い浮かぶが、実は「バグパイプ」は中世ヨーロッパではポピュラーな楽器の一つで、スコットランドだけではなく各国で演奏されていた。スペインでは「ガイタ(Gaita)」と呼ばれ、現在でもアストゥリアス州やガリシア州ではお馴染みの楽器の一つだ。キリスト教三大巡礼地の一つガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラという街では、今でも「ガイテーロ(Gaitero)」と呼ばれるバグパイプ奏者がストリート・ミュージシャンとして活躍していて、その音色を気軽に楽しむことができる。

アストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」は、旋律を演奏する主唱管(チャンター chanter)の他に、1本の通奏管(ドローン drone)が付いている。ちなみに、日本で知られているスコットランド・バグパイプはこの通奏管(ドローン drone)が3本付いている。

下の絵はアストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」である。スコットランドのものよりシンプルな形をしている。

1吹口管 (ブローパイプ Blow pipe)2 主唱管(チャンター Chanter)3 通奏管(Bass drone) 4 バグパイプの袋(バッグ Bag) (絵: Wikipedia domain)

欧州では、14世紀~15世紀にかけて最も盛んにこの楽器が用いられていたらしいが、今回訪れたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)のファサード出入り口の柱頭には、この「ガイテーロ(Gaitero)=バグパイプ奏者」の姿を見ることができる。地元のガイドであるアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、これはアストゥリアス地方の教会の装飾として初めて施されたものだという。教会は1270年建設なので、かなり早い時期から「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」がアストゥリアスではポピュラーな楽器だったことが推測される。ロマネスク様式では珍しい図像である。

アストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」を引く人「ガイテーロ(Gaitero)=バグパイプ奏者」(写真:アルベルト・F・メダルデ)

・豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)

 こちらの図像もアストゥリアスならではのもので、前述のガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、この柱頭の彫り物は豚の屠殺(とさつ)行事を表現している。中央の女性はアストゥリアス地方の代表的な飲み物「シードラ」と呼ばれるリンゴ酒(Sidra)を飲み、左側の女性はタンバリンをたたいてお祭り気分を表し、右側の男性は大きなナイフを持って豚をつぶそうと身構えている。

中央の女性の左手の下にはシードルが入った樽があり、樽からシードルが流れ出している。右側の男性は豚の屠殺(とさつ)の目的である保存食のハムやソーセージを作るという美味しい行事の始まりの期待感を感じさせる顔つきだ。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

この豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)は現在も行われており、特に地方の村々では11月末から2月にかけてこの「マタンサ(Matanza)」が開催されており、村を挙げての行事でありお祭りでもある。村のみんなが集まり共同して豚をつぶし、1年分のハムやソーセージを作ったり、肉を焼いて村人みなで食べたりして、食べ物が少なく貴重だった当時は、豪華な食べ物にありつける有難いお祭りだったのだ。

・妊娠姿のマリア像

次に紹介するのは、お腹が大きいマリア像である。教会の石像等でマリア像は沢山あるが、妊娠中のお腹が大きいマリア像は殆ど見ることができない貴重なものである。

左から2番目の像がマリア像。お腹が膨れているのがわかる。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

その他のさまざまな図像

狩りをした後に城へ帰る騎馬の姿も見られる。

左側には城、右側には騎馬で狩りをした後に帰城する姿が見られる(写真:アルベルト・F・メダルデ)

こちらは、教会南側出入り口の柱頭に施されている図像で、子羊または豚を殺そうとしている場面である。

左側は化け物が鳥を食べている(写真:アルベルト・F・メダルデ)

怪物が人間を食べている場面も見られる。一般的に、ロマネスク様式の柱頭では「善」と「悪」を表現していることが多いが、これらは「悪」を表していた。

哀れにも下半身を怪物に食べられ、頭が下向きになっている姿が見て取れる。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

最後に

既述の「妊娠姿のマリア像」の写真でお気づきになった方もいらっしゃると思うが、ファサードの8本の柱に施された人物像全ての首が失われている。これは、正確に言うと失われたのではなく、首を切り取られてしまったのである。

スペインでは、1936年から3年間にわたって左派の共和国人民戦線政府と右派の反乱軍が戦った、今もスペイン人の心の傷となって深く残る、スペイン内戦があった。同じ国の同士達がイデオロギーの違いによって、場合によっては親子や兄弟で敵同士となり戦った悲しい歴史だ。その内戦中、左派の社会労働党や共和主義者達は暴力革命志向が強く、そのためカトリック教会の施設破壊や略奪が公然のこととして横行した。アストゥリアス地方は、左派勢力が強かったため、前述したような教会のファサードに施された聖人像などの首が全て恣意的に切り落とされたのである。

中央のマリアと幼子イエスの像も破壊されたが修復されている。しかし、幼子イエスの首とマリアの手は今も失われたままだ。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

一度、破壊された歴史的建造物を破壊される以前の姿に再現することは難しい。ここでもその例を見ることができる。そして、戦争の愚かさ、無意味さを考えさせられた。イデオロギーの違いを超えて、自分たちの祖先が築いた文化を守ることの大切さも考えさせられるものとなった。

顔や首のない石像たちの声なき声を聴いたような気がした。

参考

・デジタル版のビジャビシオサ(Villaviciosa)の街のニュースなどを提供している「ビジャビシオサ・エルモサ」の中に、今回登場したガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)の説明動画がある。残念ながら映像と音響の質がいまいちでスペイン語しかないが、興味がある方はこちらをどうぞ。

・ここで紹介したビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)は、アストゥリアス州のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。このルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

情報

ビジャビシオサ(Villaviciosa)ウエブサイト。教会が見れる時間帯などの情報が得られる。

https://www.turismovillaviciosa.es/iglesia/romanico/santa-maria-de-la-oliva/villaviciosa