
今回は、ロマネスク様式以前にスペイン独自のモサラべ様式によって造られた教会を紹介しよう。ロマネスク様式以前の芸術様式をプレロマネスク様式と呼ぶが、スペインにおけるプレロマネスクには西ゴート文化、アストゥリアス文化、そしてモサラベ文化という三つのスペイン独自の文化様式が知られている。以前、スペイン北部アストゥリアス地方にあったアストゥリアス王国時代のプレロマネスク様式の教会についていくつか紹介したことがあるが、そちらはアストゥリアス文化によって造られた教会だった。アストゥリアス文化の教会については、こちらを見ていただきたい。
モサラべ文化(プレロマネスク様式)とは
まずは、日本人には聞きなれないモサラべ様式についてみていこう。手元にある「ブリタニカ国際大百科事典」には、以下のように記されている。
スペインにおける中世キリスト教美術の一様式。イスラム統治下のスペイン(711年以降)で、イスラム文化の影響を受けながら、独自の文化を形成したキリスト教徒(モサラべ)の美術。建築のうえでは、9世紀頃からレオンやトレドを中心に馬蹄形アーチの様なサラセン的建築モチーフを使った聖堂が建てられ、11世紀以降も特異なロマネスク建築の聖堂が建てられた。絵画では、各種の写本挿絵が8世紀後半から描かれたが、特に10世紀中頃、修道士マギウスの手になるベアトゥスの黙示録注解本挿絵は、スペイン各地とフランスで多数の写本がつくられた。北アフリカ、東ゴートの伝統に加えて、平面的構図法、大胆に原色を用いた色彩法には東方文化の強い影響がうかがわれる。工芸作品にも同様の特色がみられる。11世紀末以降、西ヨーロッパのキリスト教勢力によるスペインの「再征服」後、モサラべ様式は各地に広がり、ロマネスク様式形成の重要な一因となった。

このようにイベリア半島の広範囲に亘って、イスラム支配が始まる711年より、キリスト教徒によりイスラム教徒を駆逐したレコンキススタ(国土回復運動)と呼ばれる再征服が行われ、スペインにおける最後のイスラム王朝「ナスル朝グラナダ王国」がカスティージャ王国とアラゴン王国の連合王国によって降伏・無血開城させられ(グラナダの陥落)、滅亡させられた1492年までの約800年間、スペインでは、イスラム文化の影響を受けながら独自の文化を形成したキリスト教徒(モサラべ)の文化(モサラべ文化)があり、これはイスラム教文化とキリスト教文化のハイブリッドでスペイン特有の文化であった。
ペニャルバ・デ・サンティアゴの サンティアゴ教会 (Iglesia de Santiago en Peñalba de Santiago)の歴史
1931年6月に国定史跡に指定されたペニャルバ・デ・サンティアゴにある サンティアゴ教会の歴史は、10世紀に聖ヘナディオ(San Genadio)によって設立された修道院に端を発している。聖ヘナディオは、人里から遠く離れた、今でも辿り着くには細い車道を上っていくかなり辺鄙な場所に、孤独を求めて隠遁するためにこの場所へやってきた。

現在、聖ヘナディオが設立した修道院の建物は残存せず、修道院に併設されていた教会のみが残っている。937年に完成したサンティアゴ教会は、サロモン大修道院長によって造られたが、一見外観はとても質素なもので人目を引くような教会ではない。一般的に、大聖堂などが教会の勢力を誇示し、街のシンボルとして威風堂々たる姿で街のどこからでも見えるように意図されていたものとは異なり、ペニャルバ・デ・サンティアゴ村のサンティアゴ教会は、小さな村の中に完全に溶け込み、そして周囲の岩山の風景にも溶け込んでいる教会の一つだ。この教会に寄り添うように少しづつ村が発展していったのだろうと思わせるような印象を受ける。

はっきりとは分かっていないらしいが、12世紀以降、修道院について言及している資料は残っておらず、修道共同体は存在していなかったものと考えられている。ただ、同じレオン県にあるアストルガという街のアストルガ大聖堂の管理下に置かれていたので、この地方における重要な教会とみなされていたようだ。
現在も村の教会として活躍しているが、現在の村の人口はたったの16人のみ(2024年統計)らしいので、他の教会のように司祭がこの村に駐在しているわけではない。
モサラベ建築の至宝
外見はとても簡素な造りだが、南側にある入口には、3本の大理石の柱に支えられた、美しい二重の馬蹄形アーチのある扉がイスラム文化の影響を如実に表している。大理石は、現在のスペインでも多く産出されているが、この辺りでも当時から産出されていたのだろうか。

教会内部に入ると、馬蹄型アーチが目を引く。こじんまりとした大きさで心地よい空間だが、この馬蹄形アーチによって単一の身廊が二つの部分に分けられている。これは、モサラベ様式の教会によくみられる聖職者と信者たちが居れる場所を明確に区別していたためと思われる。

内部には、コリント式の柱頭を持つ柱で支えられた馬蹄形のアーチと、中央身廊の両端にある2つの後陣が見られる。不規則なラテン十字平面を有し、腕部分への入口もコリント式の柱頭を持つ柱で支えられた馬蹄形アーチで、キリスト教の教会であるにもかかわらず、一瞬、イスラム教のモスクを彷彿させられた。
天井を見上げると、モサラベ建築における最も重要な技術的進歩の一つと考えられているヴォールト(穹窿(きゅうりゅう))が見れる。この技術を用いることで天井の重みを分散させ、ドームの頂部に大きな窓を開けることや、入口ようの大きな馬蹄形アーチを設けることを可能にすることができるようになったのだ。

封印が解かれた壁
スペインの教会を訪れると、多くの教会の内部は白い漆喰で覆われていることが多い。これは、ペストが流行した際、衛生上の点から施されたものである。このペニャルバ・デ・サンティアゴ村のサンティアゴ教会もスペインの多くの教会と同様に壁に漆喰が塗られていたが、20世紀半ばに最初に修復された際に壁画が調査された。そして、2002年9月から2004年4月にかけて壁画の第一段階の修復が行われたが、漆喰の封印が解かれたその壁には興味深い絵が多数描かれていたのである。

これらの壁画には3つの異なる制作時期があり、最も古いものは教会建設と同時期の10世紀のものである。絵画的モチーフの中では、レンガ模様に加え、人間、動物、植物、幾何学模様、特に狩猟の場面、修道士の姿、ヘナディオの名前などが漆喰に刻まれていたが、中には中世の落書きとみられるものもあった。最近の研究によれば、これらは紙が非常に貴重な品であったため、修道士たちがこれらの図案を紙に写し取る前に試作として描いたものだったということだ。一方、別の最近の説では、修道士たちが気晴らしとして、あるいは自己のアイデンティティを再確認するために描いた単なる落書きであるとも言われているらしい。どちらにしても、聖なる神の家である教会内部に試作品や落書きを描いたとは、私にはにわかには信じがたい説である。今も壁の修復作業や研究が続けられているので、今後の新しい説を期待したい。

教会外部分
教会から出て、入口とは反対側の裏側に行ってみると、取ってつけたようなロマネスク様式アーチ型の入口を持つ部分がある。これは、聖ヘナディオの弟子でアストルガの修道院長であった聖フォルティスの墓だったが、17世紀にその遺骨は掘り起こされ、別の修道院へと移され、更にはアストルガの大聖堂に移されたという。(ウィキペディアより)

最後に
標高1100mにあるたった人口15人の村であるペニャルバ・デ・サンティアゴ (Peñalba de Santiago)は、1000年以上の歴史を持つ教会と共にひっそりと息づいている。秋の紅葉が始まった10月中旬ごろに訪れたが、村には殆ど観光客もなく、村人たちが時々散歩していた。2025年現在も聖ヘナディオが求めた隠棲生活を可能にする環境が整っている村だといえる。

サンティアゴ教会自体の装飾と構造は、イスラム教徒の影響を受けたモサラべ様式に限らず、月や星を象徴する意匠が残るケルト文化の要素も融合している。この小さな、隠れるようにひっそりと1000年以上もの歳月を経ている村に、様々な文化が融合した教会が残され、現在もなお村人たちの信仰を支える場として使われていることは驚きに値する。
ペニャルバ・デ・サンティアゴはスペインで最も美しい村々(Los pueblos más bonitos de España)の一つとして指定されている。かなり辺鄙な場所にあるという理由から、今も観光客が少ない村の一つであり、1000年前にタイムスリップしたような感覚になる。スペインに旅行される方で機会があれば是非訪れてほしい所である。
・ペニャルバ・デ・サンティアゴの サンティアゴの村の様子やその環境そして教会内部等が見れる