ビゲラのサン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban de Viguera)は、前述したように、その起源は10世紀頃まで遡ると言われている。10世紀のスペインは、南はイスラム教徒に支配されており、北部では盛んにキリスト教徒がイスラム教徒から土地を奪回するレコンキスタ(国土回復運動)が行われていた。そして、丁度アストゥリアス王国の首都オビエドからレオンへと遷都され、レオン王国が誕生していた。
もし余ったら、トルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)ならぬトルティージャ・デ・ギサンテス(Tortilla de guisantes)を作ってもとっても美味しいですよ。我が家はいつも多めに作ってトルティージャ・デ・ギサンテス(グリーンピースのオムレツ)を作ってこの生ハム入りグリンピース料理を二度楽しんでいます。(笑)
プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、このアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)の教会として、921年に献堂されたが、この年は既に首都がアストゥリアスのオビエドから現在のカステージャ・イ・レオン州のレオン市に遷都され、アストゥリアス王国ではなくレオン王国になっていたという時代背景がある。
プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、アストゥリアス文化最後の建築時代の最も興味深い例のひとつであると言われている。
手元にあるオビエド大学の美術史教授カルメン・アダムス・フェルナンデス(Carmen Adams Fernández)著「El Arte Asturiano Prerrománico・Románico・Gótico(アストゥリアス文化 プレロマネスク・ロマネスク・ゴシック)(筆者訳)」では、プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、「彫刻装飾はバルデディオスのサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)をモデルとしているが、建築の間取りについては、リージョのサン・ミゲル教会(Iglesia de San Miguel de Lillo)やバルデディオスのサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador de Valdedós)といったより近い時代の建築よりも、バシリカ・サントゥジャノ(Santullano または Basilica de San Julián de los Prados) との類似性が確立されていることから、そのモデルはアストゥリアス文化の初期、特にアルフォンソ2世(Alfonso II)の時代にある(筆者訳)」と指摘している。
下記参考に、プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)を訪れたい方のためにアストゥリアス州の観光サイトを紹介しているが、私が10月末に訪れた際には、教会の前の家に住んでいらっしゃる管理人の方が教会の入口を開けて見せてくれた。事前予約もなく無料で観覧できたが、やはり事前に連絡をして日時を予約して行った方が賢明であろう。