もし余ったら、トルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)ならぬトルティージャ・デ・ギサンテス(Tortilla de guisantes)を作ってもとっても美味しいですよ。我が家はいつも多めに作ってトルティージャ・デ・ギサンテス(グリーンピースのオムレツ)を作ってこの生ハム入りグリンピース料理を二度楽しんでいます。(笑)
プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、このアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)の教会として、921年に献堂されたが、この年は既に首都がアストゥリアスのオビエドから現在のカステージャ・イ・レオン州のレオン市に遷都され、アストゥリアス王国ではなくレオン王国になっていたという時代背景がある。
プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、アストゥリアス文化最後の建築時代の最も興味深い例のひとつであると言われている。
手元にあるオビエド大学の美術史教授カルメン・アダムス・フェルナンデス(Carmen Adams Fernández)著「El Arte Asturiano Prerrománico・Románico・Gótico(アストゥリアス文化 プレロマネスク・ロマネスク・ゴシック)(筆者訳)」では、プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、「彫刻装飾はバルデディオスのサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)をモデルとしているが、建築の間取りについては、リージョのサン・ミゲル教会(Iglesia de San Miguel de Lillo)やバルデディオスのサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador de Valdedós)といったより近い時代の建築よりも、バシリカ・サントゥジャノ(Santullano または Basilica de San Julián de los Prados) との類似性が確立されていることから、そのモデルはアストゥリアス文化の初期、特にアルフォンソ2世(Alfonso II)の時代にある(筆者訳)」と指摘している。
下記参考に、プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)を訪れたい方のためにアストゥリアス州の観光サイトを紹介しているが、私が10月末に訪れた際には、教会の前の家に住んでいらっしゃる管理人の方が教会の入口を開けて見せてくれた。事前予約もなく無料で観覧できたが、やはり事前に連絡をして日時を予約して行った方が賢明であろう。
通称「クネ」と呼ばれているワイナリーの正式名称はコンパニア・ビニコラ・デル・ノルテ・デ・エスパーニャ(Compañía Vinícola del Norte de España )で、その頭文字を取って「C.V.N.E」です。日本語に訳すと「スペイン北部のワイン醸造会社(筆者訳)」となり、えらく抽象的な名前の会社だなというのが私の最初の印象でした。(笑) 「クネ(Cune)」と呼ばれている理由は、「V」を「U」にする方が呼び名として洒落た感じだったからだとか。上の写真でもワイナリーの名前「クネ(Cune)」の文字が見えます。
ワイナリーの敷地内は、ちょっとレトロな雰囲気が漂っていました(写真: 筆者撮影)
前述したようにこのワイナリーは、1879年リオハ州にあるアロ(Haro)という街にレアル・デ・アスーア兄弟(Real de Asúa)によって設立されました。もともとはリオハ州出身ではない二人でしたが、健康上の理由からこの地に移り住むことを決め、家族経営のワイナリーを始めることにしたとのこと。今も同じレアル・デ・アスーア家の人達の手により、質の高い、職人的かつ伝統的なワインを生産し続けています。
スペイン語圏で最も権威の高いスペイン王立アカデミー(Real Academia Española)が発行している辞書によると、「Tener tela marinera」は「Tener gran dificultad」という説明があります。つまり、「大きな困難を伴う」という意味で、「厄介である、手間がかかる、大変な苦労をする」ということです。「Tela」は「布」、「Marinera」は「船舶の」という意味があり、直訳すると「船舶の布を所持する」ということですが、この言い回しは船の帆に使われる布地を指しているようです。船の帆に使われる布は高価なうえ大量の布が必要であり、作るのが大変だったので、こういう言い回しができたと言われています。その意味から派生して、「とても難しいこと」「骨の折れる事」の他にも「大量のもの」という意味にも口語ではよく使われています。
Después de trabajar 8 horas ir a la autoescuela tiene tela marinera.
8時間仕事した後に自動車学校に行くのは大変だよ。
¿Cuántas horas te quedan las clases de la práctica?
スペインの修道院で作られる食べ物は主にお菓子類ですが、スペインでは11月1日の諸聖人の日(Día de Todos los Santos)頃からクリスマス、2月のカーニバル、そして3月から4月にかかるイースターの頃まで約半年間はそれぞれの祝日に合わせたお菓子を食べる習慣があります。その他の時期は確かにクッキーなどを食べる機会はグッと減ってしまいます。夏の間はやはりアイスクリームをよく食べますし、毎週末に家族で集まってお昼ご飯を食べた後のデザートには、小さなニミケーキを買ってきて食べることが多いようです。
跣足カルメル修道院は、修道院の中から出ず禁域生活を送っているシスター達の修道院です。500年間そして今も修道院のお菓子を買いたいグラナダの人達が修道院の入口へ来てベルを鳴らし、格子窓の向こうにいるシスターが「Ave María Purísima(アベ・マリア・プリッシマ=至聖なるマリア様)」と問いかけ「Sin pecado concebida(シン・ぺカード・コンセビーダ=無原罪)」と訪問者が答えると格子窓が少し開くようになっています。これは、罪なくして宿られた最も清らかなマリア様という意味のスペイン語を二つに区切って合言葉の一種として使われているもので、スペイン中の修道院で共通な合言葉です。
サン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador)は、バルディオス(Valdediós)という場所にあるが、日本語に訳すと「神の谷」という意味である。その名にふさわしく人里から離れた神聖な場所にこの教会はひっそりと、しかし存在感をもって威風堂々と佇んでいた。「神の谷」全体が平安、調和、そしてその長い歴史や様々な記憶を喚起させるもので覆われていると感じさせられる、そんな場所である。
アストゥリアス王家の教会
アストゥリアス王国は718年から924年まで約200年間栄えた王国であるが、バルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)は、このアストゥリアス王国の王家の教会として最後の王アルフォンソ3世(Alfonso III)によって893年に献堂された。アルフォンソ3世(Alfonso III)の祖父ラミロ1世(Ramiro I)は、現在のアストゥリアス州の州都であるオビエド(Oviedo)近郊のモンテ・ナランコにサンタ・マリア・デル・ナランコ宮殿(Palacio de Santa María del Naranco)、そしてより大きな複合施設の一部として宮殿から100m程離れた場所にサン・ミゲル・デ・リージョ教会(Iglesia de San Miguel de Lillo)を建設したが、今回訪れたバルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador)は、これらの夏の宮殿群の神殿である。
当時イスラム教勢力がイベリア半島の大部分を征服していたが、アストゥリアス王国最後の王アルフォンソ3世(Alfonso III)は、イスラム教から解放されキリスト教勢力への奪回を目指すレコンキスタ(国土回復運動)を精力的に推進した王で良く知られている。しかし、晩年には3人の息子たちと対立するようになり、このバルデディオス(Valdediós)のサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)がある修道院に幽閉される身となった。
アストゥリアス王家の教会を示すものとして、教会の入口の上に「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」が刻まれていることでもわかる。この「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」は、レコンキスタの出発点となったコバドンガの戦いでアストゥリアス王国の建国者ペラヨが掲げた木の十字架のことで、アルフォンソ3世はこれを王国の紋章としていた。
キリスト教の中で最も頻繁に用いられる十字架の形「ラテン十字(Cruz latina)」。万物の最初と最後を意味し、永遠の存在者である神とイエスを示す「アルファ(A)」と「オメガ(ω)」が刻まれているが、アストゥリアス王国の紋章「勝利の十字架(Cruz de la Victoria)」では、写真でお分かりいただけるようにオメガは「Ω」ではなく「ω」で表されている。 (写真: アルベルト・F・メダルデ)
昔もリサイクル活用!
この教会にはローマ時代の遺跡のリサイクルがなされていて興味深い。まず、入口の2本の柱は斑岩(はんがん-Pórfido)でできているが、この石はアストゥリアス地方にはない岩で、ローマ時代に使われていた物をリサイクル活用されているとのことだった。そして、この斑岩(Pórfido)という赤い石は、花崗岩よりも硬くどんな気候条件にも永久的に耐える事ができ、ローマ時代には大きな権威と真の品位の象徴であった。サン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador)では、王家の教会の入口の柱に使われていることは注目に値するだろう。
バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)は、アストゥリアス文化(プレロマネスク様式)建築の好例であり、半円アーチ型天井で覆われた3つの身廊、東向きの3つの礼拝堂、同じくアーチ型天井の3部の玄関の上に位置するトリビューン(教会内の解放された二階部分で、階上廊とも呼ばれる)から成るバシリカ間取りである。
基本的に、ロマネスク時代の教会内部は美しい色で装飾されていたものが多かったが、現在までその装飾が鮮明な形で保存されている例は数少ない。バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)も他のスペイン各地の教会・大聖堂等と同様に、ペスト時代に教会内部を石灰(Cal)で覆われた。それは、石灰は消毒剤の効果があると考えられていたからである。
バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の敷地内には、シトー会修道士達によるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)が建っている。この修道院には、2020年までは少数の修道士たちが居たが、今は完全に観光のみとなり、ガイド案内が行われている。今後は、巡礼者のためのゲストハウスとして開かれることが考えられているそうだ。
サン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvado)から見えるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María) (写真: アルベルト・F・メダルデ)
バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)並びにサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)がある「神の谷」と呼ばれるバルディオス(Valdediós)渓谷は、1000年を超えるオークや栗の木が生い茂り、川のせせらぎと鳥のさえずりが私たちの聴覚を刺激し、この世俗から離れた神聖な場所に1000年以上時が止まったがごとく建つ建物は、私たちの五感に特別な何かを感じさせてくれる。
3月も終盤となり、日本では卒業式や異動の時期となりました。こちらでは、明日22日は「悲しみの聖母の金曜日(Viernes de dolores)」と呼ばれ、いよいよ聖週間(イースター週間)が本格的に始まります。と同時に、学校ではイースター休暇に入ります。会社では聖木曜日と聖金曜日だけが休みという所も多いのですが、有給休暇を取って1週間程の休みにする人も多いですね。