前回に続き、ガリシア州バイヨーナにあるコロンブスの大航海等に関する博物館を紹介します。
コロンブスの第一次航海(1492年)で使われたカラベラ船のうち、ヨーロッパに最初に新大陸発見のニュースをもたらしたピンタ号のレプリカに乗れる水上博物館(Museo la Carabela Pinta)に、実際に乗ってみて船底の中まで入って見学したら、次は水上博物館から徒歩5分、バイヨーナの街の中心地にある航海博物館(Casa de la Navegación)に立ち寄ってみてください。それほど大きな博物館ではありませんが、気軽な文化観光にはうってつけですよ。
前回のカラベラ船ピンタ号博物館(Museo la Carabela Pinta)はこちらからどうぞ。
コロンブスの第一次航海資料の展示
航海博物館(Casa de la Navegación)の中には、コロンブスの第一次航海に関する資料や説明がなされています。コロンブス直筆の書簡も展示されていました。


下の写真のような航路の図などもあり、分かりやすい展示になっています。
黒で塗られた3隻の船が水色①パロス・デ・ラ・フロンテラ港を1492年8月3日出発しましたが、最初にカナリア諸島に立ち寄ってピンタ号の舵を修理をしました。そして、36日間の航海を経て、バハマのグアナハニ島(現在のサン・サルバドル島)に到着し、この島を「サン・サルバドル」と名付けました。(説明板より)
1492年のクリスマスの夜、ハイチで指令船サンタ・マリア号が座礁し破壊したので、コロンブスはサンタ・マリア号の乗組員を島に残すことを決め、そのために船を解体して「ナビダ要塞(fuerte Navidad)」を建設しました(ナビダ(Navidad)とはスペイン語でクリスマスのことです)。そして1493年1月16日、コロンブスは帰還を命じました。(説明板より)

コロンブスはお気に入りだったニーニャ号(上の図の水色の船「La Niña」)に乗って、水色③リスボン港に1493年3月4日に到着しました。一方、マルティン・アロンソ・ピンソン(Martín Alonso Pinzón)が船長として載っていたピンタ号(上の図もう一方の水色の船「La Pinta」)は、水色②バイヨーナ港に1493年3月1日に到着しました。
他の港ではなくこのバイヨーナ港に入港したことで、発見の知らせが王たちに直接届くことが保証されました。というのも、バイヨーナは1201年以来、王室の管轄下にある港だったからです。こうして、ここバイヨーナからスペイン王室、ひいてはヨーロッパ全土に新大陸発見の知らせが届くことになったという訳です。(説明板より)
航海技術一般に関する展示
この航海博物館には、その名の通り航海一般に関する資料も展示されています。
15世紀以降の大航海時代によって、それまでは地中海航路やヨーロッパ沿岸に限定されていた航海の歴史を一転させることになりました。そして、大西洋横断に伴い、天文航法が発展していきます。これは、太陽、北極星、月といった天体の観測に基づく計算によって、外洋での航路を定めることを可能にしたもので、天体観測器、表示盤、天文・航海観測器具などの観測器具が、海図作成技術と並行して改良されていきました。こうした進歩は航海書にまとめられ、船長たちのための手引書として役立てられました。(説明板より)



3Dによるビジュアル体験
博物館の受付の人に頼めば、バーチャルリアリティ体験「カラベラ船ピンタ号」が楽しめます。ゴーグルの様なVRヘッドセットを頭に装着し、ディスプレイに映る立体的な映像を両目で見るのですが、15世紀末の航海の様子や、ピンタ号のバイヨーナ港への到着の様子を没入感あふれる形で体感することができます。航海博物館に来る前にカラベラ船ピンタ号博物館を訪れていたので、さっき見たばかりの船の中に自分も他の船員と一緒に乗っている不思議で楽しい体験ができました。きっと、子供たちやティーンエイジャーも楽しめること間違いなしです。

バイヨーナについては、こちらもどうぞ。
最後に
現在、「コロンブスの新大陸発見」という表現方法はあまり使われなくなりました。というのも、実際大陸には人が住んでいたので「発見」という言い方は相応しくないものとされ、と同時に、あまりにもヨーロッパ中心の視点であるという批判が生まれたからです。また、歴史的にもバイキング達がコロンブスより先に北米に到達していたということもわかってきました。しかし、コロンブスが発見した西廻り航路は、ヨーロッパのみならず世界が変わったと言っても過言ではないでしょう。
因みに、コロンブスは死ぬまで発見した土地をインドだと信じていたらしく、それ故原住民をインディオと呼んでいました。
さて、当時の貿易について、本航海博物館の説明板にはこう説明されていました。
香辛料の貿易は、東地中海から統制されていた。ベネチアはその立地を活かしてこの市場への参入に成功したが、西ヨーロッパは依然としてその蚊帳の外に置かれたままであった。特に1453年にトルコ軍がコンスタンティノープルを陥落させ、ヨーロッパとの貿易が遮断された後はなおさらであった。この経済圏における地理的限界により、西洋は、食品の保存や料理、医療に不可欠な香辛料など、貨幣としての価値を持つ商品の実入りの良い取引に関して、経済的に不安定な状況に置かれていた。ポルトガル王室は、ヴァスコ・ダ・ガマが「嵐の岬」、すなわち「喜望峰」を回り込み、インドに到達したことで、アフリカを周回する東方への航路を確保した。しかし、1479年のアルカコバス=トレド条約(Tratado de Alcacobas-Toledo)により、この航路はポルトガル専用となっっていた。そして、スペイン王室に残された手段は、地球が丸いという事実をもはや躊躇なく受け入れた上で、香辛料の産地に到達しようと、西へ向かう別の航路を探すことだけだった。(筆者翻訳)

実際は香辛料を求めて行った目的地インドに到着したわけではなかったのですが、その後新大陸から金や銀が大量にスペインに流入することになり、経済的に大きな富をもたらすことになりました。そして、新大陸から持ち帰られたトウモロコシ、ジャガイモ、トマト、タバコ、カカオ等の作物は、スペインだけではなくヨーロッパ中の食生活や農業を一変することになりました。19世紀末にアイルランドで起きた「ジャガイモ飢饉」を聞いたことがある方も多いと思いますが、16世紀に新大陸から導入されたジャガイモが、一国の主要作物となり疫病により枯死したことで大飢饉が起き、約100万人もの人が死に、アメリカ合衆国に大量の移民を生むことになったのです。ジャガイモがスペインに持ち込まれた時点で、一体誰がそんな状況を想像することができたでしょうか。
そして、有名なエルナン・コルテスによるアステカ文明の滅亡、フランシスコ・ピサロによるインカ文明の滅亡、マヤ文明の滅亡などや、その後大々的な奴隷貿易が展開されていくことを考えると、「コロンブスの新大陸発見」がもたらした負の財産についてもきちんと知る必要があると痛感しました。それは、文化を破壊し、人々の生活を一転させ、死に追いやることさえあったという非情な過去でもあるからです。
今回、心地よい海風に吹かれながら訪れたコロンブスの第1回航海に関連する二つの博物館は、単に過去のことを知るだけではなく、過去から現在にまで受け継がれている良い財産も悪い財産も全て含めて歴史について改めて見直し、そこから何を学ぶべきかということを考える良い機会となりました。

航海博物館(Casa de la Navegación)の情報
住所:ポンテベドラ県バイヨーナ市ベントゥラ・ミサ通り17番地 郵便番号 36300 (Rúa Ventura Misa, 17 36300 Baiona Pontevedra)
電話番号:+34 986 356 688
開館時間:日曜日と月曜日閉館、火~金 10:00~13:00, 16:00~19:00
入場料:2ユーロ(カサ・デ・ラ・ナベガシオンとのセット券の場合は3ユーロ)
*2026年8月現在の情報ですので、訪れる方は事前に確認されるようお願いいたします。
参考
・英語版もある博物館に関するサイト
https://museos.xunta.gal/es/museos/casa-navegacion
https://www.turismo.gal/recurso/-/detalle/200707000128/casa-da-navegacion?langId=es_ES&tp=13&ctre=75