この島には、「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」と呼ばれる石組みの円形城塞形の塔があることでも有名です。ブロッホ(Broch)は、鉄器時代(紀元前700年~紀元200年)にスコットランド北部と西部に数多く作られていたものですが、「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」は、その中でも最も保存状態が良く最も大きいもので、高さ13メートルにも及びます。
船から降りてモウサ島に着き、案内人の説明を聞きながら「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」へ向かいました / 写真: 筆者撮影
夜10時半にメインランドを出発しましたが、こちらはまだ明るく島へ上陸した後もしばらくは光がありましたが、「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」に着くころにはもうかなり暗くなっていました。案内人は、所々で止まって島の歴史などの紹介をしてくれましたが、スコットランド訛りが強く理解するのに苦労しました。(笑)
前回はラーウィックではB&Bに泊まったのですが、今回はメインストリートにある由緒ある「グランド・ホテル(The Grand Hotel Lerwick)」に泊り、時代を感じさせる建物の中を見ることができました。口コミではあまり高い評価をされていなかったのですが、スタッフ皆とても温かく迎えてくれ、居心地の良いホテルでした。ただ、古い建物の改装などがなかなか行き届いていないようで、エレベーターやエスカレーターはなく階段のみなので大きな荷物を持っている人にとってはちょっと大変かもしれません。朝食は希望を尋ねられ、英国特有の朝食がでてきました。ビーンズやブラックプディングもおいしくて大満足!
この島には、多様な動植物や野生生物が生息していて、島の3分の2は特別科学保護区(SSSI)、自然保護特別地域(SAC)、英国王立鳥類保護協会(RSPB)の保護区など、何らかの形で保護区や特別地域として指定されています。(フェルター島公式サイトより)また、土壌肥沃度が高く、200種以上の野花が確認されていて、「シェットランドの庭 (The Garden of Shetland)」と呼ばれています。
「シェットランドの庭 (The Garden of Shetland)」と呼ばれるフェトラー島には、可憐な花が沢山咲いていました。(写真: 筆者撮影)
今回この島へ足を延ばした目的は、アカエリヒレアシシギ(Falaropo picofino)に会うためです。島の東にあるファンジー湖(Loch of Funzie)は、アカエリヒレアシシギの繁殖地があります。他にも、チョウシャクシギ(Zarapito Trinador)やクロトウゾクカモメ(Págalo parásito)の繁殖地があるとのことですが、残念ながら、チョウシャクシギとクロトウゾクカモメを見ることはできませんでした。
アカエリヒレアシシギ(Falaropo picofino)は、ファンジー湖(Loch of Funzie)へ行く途中の道の右側の海辺で見ることができました。丁度、別のバードウオッチャーが車を止めて、海辺で大きなカメラを据えて写真を撮っている姿が見えたので、私たちも車を止めて海辺へ降りていくと、数羽のアカエリヒレアシシギ(Falaropo picofino)の姿が見えました。かなり近い場所で見ることができ、大満足でした!もっと大きな鳥かと想像していたら、とても小さく20cmにも満たない大きさです。
ブルゴス県のデマンダ連峰にある小さなビスカイーノス村は、ペドロソ川のそばにあり、標高1000mを超える所にある。私が目指したサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)は村へ入る道路に隣接して立っているので、すらっとした鐘楼がいきなり目の前に現れた。
以前紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の最後にも言及したが、この地方には、シエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰があり、そこから由来する名前でシエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った職人たちがいた。
ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)についてはこちらをどうぞ。
サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)
サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)の最初の教会は、プレロマネスク様式で9~10世紀に建てられたが、11世紀の終わりまたは12世紀の初めに、シエラ派 (La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスク様式のものに取って代わった。そして、12世紀後半には、同じロマネスク様式ではあるが別の流派であるシレンセ派(La escuela de la Silense)により、柱廊のある玄関(La galería porticada)と、鐘楼(La torre)が追加された。
車を降りて教会の入口へ歩いていくと、先程目の前に現れたすらっとした鐘楼の姿のイメージとは全く異なる堂々とした姿が現れた。ただ、他のシエラ派(La escuela de la Sierra)による教会に比べ柱廊のある玄関(La galería porticada)は簡素だ。それでも、横の広がりと高い塔による縦への広がりの調和が美しい教会だ。
ここから近いサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)で活躍した職人達がシレンセ派(La escuela de la Silense)である。前述したように12世紀末にシレンセ派(La escuela de la Silens)の職人たちが、柱廊のある玄関(La galería porticada)と鐘楼(La torre)を造った。彼らが彫った柱廊のある玄関(La galería porticada)の柱頭などはかなりシエラ派(La escuela de la Sierra)のものとは趣を異にしてる。
ロマネスクでは好んで用いられたモチーフの女の頭を持つ鳥ハイピュリアとドラゴンが見える。シレンセ派(La escuela de la Silens)の方が緻密かつ高度な技術があることが分かる。ただ、シレンセ派(Escuela de la Silens)の彫刻のようなユーモラスさ、温かみのある表情には欠ける。
鐘楼も同じシエラ派(La escuela de la Sierra)が12世紀後半に造ったものだ。この鐘楼は3層から成り、下の層は上層部の構造部分を支える高台としての役目を持ち、南北方向に完璧な半円筒形ヴォールトで覆われている。真ん中の層は、四方にアーチ状夫婦窓があり開口している。上の層は、真ん中の層よりも幅の狭い小窓があり、これもアーチ状夫婦窓である。このアーチ状夫婦窓は、2本の外柱に半円形のアーチで囲まれた中にあるという特徴があり、更にリズミカルな印象を私たちに与える。
全く異なる時代の様式で改築されている教会や建物は多いが、このビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、同じロマネスク期の中で職人たちが属する派の相違により異なる特徴を持った彫刻や石組みの仕方などがひとつの教会の中に見られる貴重な教会の一つだろう。
洗練されたシレンセ派(La esuela de la Silense)が、温かみがあり表情豊かではあるものの原始的なシエラ派(La escuela de la Sierra)を席巻し、遂には消滅させてしまったというこの地方の歴史から、当時の職人たちの市場獲得の激しさを垣間見たような気がした。
デマンダ連峰(Sierra de la Demanda)にあるシエラ派 (Escuela de la Sierra) の建物
今から約1ヵ月ほど前に、ブルゴス県観光課によりシエラ派 (La escuela de la Sierra) の教会を紹介する動画が計10本 youtube にアップされた。その中から幾つか紹介する。残念ながらスペイン語のみだが、内部や教会の周囲などの様子が分かり興味深い動画だ。
・12世紀に造られたバルバディージョ・デ・エレーロスの聖コスメ&聖ダミアン礼拝堂 (Ermita de los Santos Cosme y Damián de Barbadillo de Herreros)を紹介した youtube 。
・プレロマネスク時代の10世紀~11世紀に造られ、その後12世紀に増築されたトルバーニョス・デ・アバホの聖キルコ&聖フリタ教会 (Iglesia San Quirco y Santa Julita de Tolbaños de Abajo)を紹介した youtube 。
・12世紀末に造られたアルランソンの聖大天使ミカエル教会 (Iglesia de San Miguel Arcángel de Alranzón)を紹介した youtube 。
・12世紀に造られたリオカバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma de Riocavado de la Sierra)を紹介した youtube 。
・12世紀に造られたリコバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de San Millán Obispo de San Millán de Lara)を紹介した youtube 。
参考
ここで紹介したビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。
アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)(Wikipedia Public Domain)
アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)とは
「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」は、現在のスペイン国王フェリペ6世が皇太子だった1980年に、皇太子の称号を冠して設立されたアストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)により創設され、「コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)」、「社会科学部門(Premio Príncipe de Asturias de Ciencias Sociales)」、「芸術部門(Premio Príncipe de Asturias de las Artes)」、「文学部門(Premio Príncipe de Asturias de las Letras)」、「学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)」、「国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)」、「共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)」、「スポーツ部門(Premio Príncipe de Asturias de los Deportes)」の8部門の賞があります。
今でも鮮明に記憶にあるのが、福島第一原発の事故で放水作業や住民の避難誘導に当たった、自衛隊と警察、消防の部隊フクシマ50の方々に送られた2011年の共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)です。その時のフクシマ50のスペイン語名称は、「フクシマの英雄たち(Héroes de Fukushima)」というものでした。
さて、スペイン語を勉強している皆さん、またはスペイン語をご存じの方は、この「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」を見て、疑問に思われたことと思います。というのも、スペイン語の「Premios Princesa de Asturias」を日本語に訳すと、実は、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」となるからです。
アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の名称は現在、アストゥリアス王女財団(Fundación Princesa de Asturias)と改称されています。何故なら、2014年に皇太子から国王フェリペ6世として即位されたことにより、長子である王女レオノールがアストゥリアス公を継承しました。そのため、現在の名称は「アストゥリアス女王財団(Fundación Princesa de Asturias)」となったという訳です。本来ならば、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」とするべきですが、日本の報道機関で使われている従来の「アストゥリアス皇太子賞」という名前でこのブログの記事も統一しています。
「ハベアの恋人たち(筆者訳)(Idilio, Jávea)」という作品がありました。まだ年若い少年が少女に話しかけています。少女は恥ずかしそうにでも嬉しそうに下を向いて座っています。なんと初々しく、見る人がまだ若かったころの自分の思い出とオーバーラップするような美しい絵でしょう。説明板に、この絵は9月の昼下がりに描かれ、ソロージャ自身が若くして妻クロティルデに恋した思い出を表現したものかもしれないと書かれていました。題名の「Idilio」には「田園恋愛詩、恋愛関係、牧歌的(幸福)な時期」という意味が手元の辞書には出てきますが、この作品は1901年の「国内絵画展(Exposición Nacional de Bellas Artes)」に出展され売れました。その時には「Los novios(恋人たち)」という名前がついていたそうです。
マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz)」の展示会は、2023年6月30日まで開催されています。もし、それまでにマドリッドに行かれる機会がある方は、是非この展示会にも寄られることをお薦めします。その際は、下の公式サイトで事前に入場券を買われた方が良いでしょう。
次に紹介する絵画展は、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」です。
この展覧会は、まだピカソやダリ等が活躍する以前、スペイン国内でも国際的にも最も成功したスペイン画家の原点を探っていく内容の展示会として構成されています。まだ21歳だったソロージャが「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在する直前の1878年から1884年までの6年間の軌跡をたどります。あまり知られていない初期の絵画、水彩画、素描、ソロージャの若いころの写真、資料が一堂に展示されていてとても興味深いものです。
「グレーのドレスを着たクロティルデ(筆者訳)(Clotilde con traje gris)」ソロージャが深く愛した妻クロティルデ。心を打つものを感じます(写真: 筆者撮影)
ソロージャが描いたグレーという色は現代的な色として描かれていて、静寂や平穏を表現していたそうですが、この「グレーのドレスを着たクロティルデ(Clotilde con traje gris)」には、グレーのドレスがクロティルデの美しさのみではなく洗練された雰囲気を醸し出し、と同時に内面的な静穏と深い愛情が伝わってきます。
展覧会は、「黒とグレーの調和(筆者訳)(Armonías en negro y gris)」、「象徴的な黒(筆者訳)(Negro simbólico)」、「黒と暗い表面(筆者訳)(Superficies negras y oscuras)」、「モノクローム(筆者訳)(Monocromías)」の4つのセクションで構成されています。ソロージャの絵に特別な個性を与えている肖像画の黒とグレーの色彩和音から始まり、時代や自然主義画家の作品に浸透している黒という色の象徴性や文化的意義について見ていきます。更に、19世紀に急進的なコントラストを生み出し、他の色を引き立てる存在として形作られた黒の新しい使い方についても検証していきます。展覧会の最後には、グレーや青みがかった色調に包まれたモノクローム作品が展示されていますが、これは複雑でないどころか、卓越した技術を駆使した特異な作品です。(バンカハ財団のウエブサイトより)
「エンリケタ・ガルシア・デル・カスティージョ(筆者訳)(Retrato de Enriqueta García del Casitillo)」こちらは雄弁に語る黒!という感じ(写真: 筆者撮影)
・2023年6月2日まで開催-「ローマのソロージャ。芸術家ソロージャとバレンシア州議会奨学金(筆者訳)(Sorolla en Roma. El artista y la pensión de la Diptación de Valencia (1884-1889))」バテリア宮殿 (Palacio de Batlia)
ソロージャが前述の「パジェテルの叫び(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在した21歳から26歳まで絵画の勉強と訓練を積んだ時期の芸術生活に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。
・2023年12月まで開催-「芸術家たちの街。フアキン・ソロージャとバレンシア芸術産業宮殿(筆者訳) (La Ciudad de los artistas. Juaquín Sorolla y el Palacio de los Artes e Industrias de Valencia)」バレンシア市立博物館(Museo de la Ciudad de Valencia)
レオン市内には、2000年の歳月をレオンの街と共に経てきた「ローマ時代の城壁(Muralla Romana)」、スペインの精神的バックボーンを作ってきたキリスト教の建築物でもあり、レオン王国の歴代王が埋葬されている霊廟がある「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」、レオン市民の誇りでもありレオン市民の心の拠り所でもある「レオン大聖堂(Catedral de León)」、修道院、病院、刑務所、パラドールと使用目的が変遷していった「サン・マルコス教会(Iglesia de San Marcos)」、日本人でも知らない人はいないくらい有名なアント二・ガウディが建築した「カサ・ボティネス (Casa Botines)」、2005年に開館した現代美術館「ムサク(MSAC)」という、時代ごとの素晴らしい建築物をまるでタイムスリップして楽しめるように見て回ることができます。これが受賞理由の一つ「歴史的遺産」に当たるものです。
ロマンティコ地区(Barrio Romántico)にあるバル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」。ここは手作りトルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)がタパス。(写真:筆者撮影)バル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」の看板タパス、トルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)美味しいですよ!(写真:筆者撮影)
ただ、日本も東京浅草や京都などの人気観光地は、外国人観光客が増えて一体ここは日本なの?というような状況だと聞いています。ある程度人数を制限するなどの対策を取っていかないと、スペイン語でもよく使われる「Morir de éxito (成功による死)」という表現のように、あまりに人気があり観光客が増えすぎて逆に観光客から避けられることになり遂には観光客が大幅に減るという事態が起こる可能性も起こりうるなという危機感を覚えています。住む人も、訪れる人たちも皆が心地よく過ごせるような工夫を民間共に知恵を絞って実行していかなければならないターニングポイントに来ていると思います。
この教会を見た時、がっしりとした、力強い教会という印象を抱いた。近くにあるハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente) のような調和の取れた美しさには欠けるが、柱廊のある玄関の中に入り、そこから見る村は、いくつものアーチとその間に村の家々、山々がある周りの自然が溶け込んだ美しく、心落ち着く風景だった。
ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)についてはこちらをどうぞ。
ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の動画。中も少し見れる。
柱廊のある玄関(Galería porticada)
サン・エステバン・プロトマルティール教会の特徴である柱廊のある玄関(Galería porticada)は、前述したように12世紀末の第2次工事で建てられたものだ。同地方のビスカイノス・デ・ラ・シエラにあるトゥールの聖マルタン教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)やハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)との、様式的な同一性が見られる。これは、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)の影響を受けているからだという。(arteguias.com より)
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)についてはこちらをどうぞ。
この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。
ここで紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。