スペイン、カステージャ・イ・レオン州のレオン県に位置するアストルガ (Astorga) という街をご存じですか?人口1万1千人程の小さな街ですが、ここにはアントニオ・ガウディの設計によるモデルニスモ建築の「アストルガ司教館 (Palacio Episcopal de Astorga)」があるので、ガウディ建築のファンの方はご存じかもしれません。ガウディ建築のほとんどがバルセロナに集中していて、数少ないバルセロナ以外にあるガウディ建築の一つがこの「アストルガ司教館 (Palacio Episcopal de Astorga)」です。
その素晴らしいガウディ建築から歩いて10分程の所に、今回紹介する「アストルガ チョコレート博物館(Museo de Chocolate de Astorga)」はあります。では一緒に博物館を訪れてみましょう!
神の食物
チョコレートの原料であるカカオは、南米オリノコ川とアマゾン川流域が起源の植物です。高い温度と湿度が成長の条件で、二つの大きな川の流域はカカオが成長するのに理想的な場所でした。
そして、最初にカカオを栽培し、飲み物にしたのは、メキシコ湾やジャングルに住むマヤ文明(紀元前1000年頃~16世紀頃)やオルメカ文明(紀元前1200年頃~紀元前200年頃)の人達でした。紀元前1750年頃の器にカカオの残滓が付いていたものが発見されていて、これが最も古いカカオの記録とされているようです。本当に長い長い歴史を持っていたことがわかりますね。これは、豪奢な品物の数々と共にメキシコで見つかっており、カカオの飲み物はマヤ文明社会において、高貴な階級の人達のみが飲める飲み物であったことを推定することができます。
というのも、カカオはマヤ文明やアステカ文明の人達にとっては、神の食物と考えられていたのです。カカオは神聖な食物だったのです。
ケツァルコアトル (Quezalcoatl) という神の伝説
伝説によると、羽のある蛇ケツァルコアトル(Quezalcoatl) という神が、「ショコラトル(xocolotl)」と呼ばれていたカカオの植物を知恵を授けるために人間に贈ったのだとか。しかし、神の食物であるこの植物を、死すべき人間に与えたことにより他の神々の怒りを買い、ケツァルコアトル(Quezalcoatl)は神の国から追放される羽目になりました。
カカオの用途
神の食物と考えられていたカカオには様々な用途やシンボルが与えられていました。この「チョコレート博物館」の中にあった説明書によると、鎮痛剤、奉納物、貢物、貨幣、滋養食、強壮剤、媚薬、祭儀用の道具、交換するための高価な品物、豊穣の象徴、権力の象徴、そして社会的特権の象徴等々。これを見ると、マヤ文明やオルメカ文明の人達にとって必要不可欠な存在であったことが容易に想像できます。
マヤ文明やオルメカ文明で貨幣としての価値があったカカオの種は、面白い事に贋金ならぬ偽種まであったそうで、ソラマメの中に泥などを入れてカカオの種に似せていたとか。これらの偽種のことを「カチュアチチウア(cachuachichiua)」と呼んでいたらしいので、偽種の名前まで付くほど出回っていたのかもしれませんね。
スペインにやって来たカカオ
中南米でのカカオは、前述したように「神の食物」と考えられていましたが、基本的には、カカオを粉にしてトウモロコシの粉や唐辛子、バニラなどの香料と共に水や湯に溶かして、食べ物というより飲み物として食されていました。今のチョコレートドリンクとは全く異なり、甘くなく、辛くて苦い飲み物だったようです。
そして、スペインに最初にこのカカオドリンクのレシピを紹介したのは、アステカ帝国を征服したスペインの征服者エルナン・コルテスに同行していたヘロニモ・アギラル修道士だと言われています。このヘロニモ・アギラル修道士は、1534年スペインのアラゴン州にあるピエドラ修道院の修道院長にカカオドリンクのレシピを送りました。
ところが、中南米で好まれていたカカオドリンクの辛くて苦い味は、スペイン人の口には合わず、修道士たちの工夫により蜂蜜・バニラ・シナモンを入れて飲みやすくアレンジされていきました。
チョコレートは飲み物?それとも食べ物?
さて、スペインの修道士たちによってアレンジされたカカオドリンク(飲むチョコレート)は、100年位門外不出のものとしてスペインでのみ飲まれていました。主に、修道院や貴族、王族等、特権階級の人達だけが飲めるとても貴重な飲み物でした。
ここで、特に修道院の中で積極的に飲まれていたというこのカカオドリンク(飲むチョコレート)の面白いお話があります。キリスト教では、イースター前の四旬節に断食する習慣があります。スペイン版カカオドリンク(飲むチョコレート)の発明は16世紀なので、この頃には初期キリスト教の時代よりもかなり緩い断食スタイルになっていたようですが、修道院内では一般家庭よりも厳しい断食が行われていました。しかし飲み物は断食の対象になっていなかったため、修道士の中にはカカオドリンクを飲み断食を乗り切っている人もいて、それが物議を醸したのです。一体、カカオドリンク(飲むチョコレート)は飲み物なのか、それとも食べ物なのかと!結局、ローマ法王庁は、四旬節の間、カカオドリンク(飲むチョコレート)を食べても断食を破ることはない、カカオドリンク(飲むチョコレート)は飲み物であって食べ物ではないとする勅令を出したことで四旬節の断食中にも飲むことが許され、これを機に、修道士の間での需要が高まったそうです。
アストルガの街とチョコレートの出会い
「チョコレート博物館」のあるアストルガ市とチョコレート製造の関係は、16世紀、エルナン・コルテスが中米を征服して帰還したときにまで遡ります。1545年、エルナン・コルテスの娘とアストルガ侯爵の相続人との間で結婚の合意がなされました。その後、アストルガ侯爵と君主カルロス1世(神聖ローマ帝国カール5世)の関係によって、カカオの導入が可能になりました。
アストルガの街で何故チョコレート製造が盛んになったのか
当時、アストルガには、アストルガ侯爵家お抱えの荷馬車屋を営む組織がありましたが、この荷馬車屋の組織は、メキシコから送られてくるカカオを、港から内陸部へスペイン各地と取引し、カカオを含む海外産品の輸送を独占していました。彼らはまた、アストルガで作られたチョコレートをスペイン各地に流通させる役割を担い、アストルガの名声に貢献しました。
また、アストルガには、チョコレート購入者である病院、薬局、修道院、教会が広く存在していたこともの、アストルガでのチョコレート生産を決定づけた要因だそうです。病院や薬局では、チョコレートはお薬の役目を果たしていたようです。こんなおいしいお薬だったら、病気の人達も喜んで飲んでいたことでしょう。
そして、このアストルガの街は寒く乾燥した気候なので、チョコレートがすぐに冷えて扱いやすかったことも、この街でチョコレート製造が盛んになった要因といえます。
沢山のチョコレート製造メーカー
「チョコレート博物館」には、17世紀から始まったと言われるアストルガでのチョコレート製造について詳しく説明する展示室がありました。
19世紀から20世紀初頭まで、最大のチョコレート・ブームが起こり機械が導入されました。記録によると、1925年には51のチョコレート・メーカーがあったらしく、2024年現在でのアストルガの人口が1万人ちょっとなので、この小さな街にこんなにチョコレート・メーカーがあったなんてビックリです。チョコレートの街としての歴史を通じて、アストルガには400を超えるチョコレート・メーカーが存在したそうなので、正しく「チョコレートの街」と呼んでも過言ではないでしょう。
チョコレートにまつわる宣伝広告
こちらの展示室には、チョコレートの包み紙や、チョコレートが入っていた缶、チョコレートのおまけとしてついてきていたブロマイドやカード等、当時を思い起こさせる色んな物が展示してありました。
お土産にはアストルガのチョコレートを!
「チョコレート博物館」の最後の楽しみは、矢張りチョコレートを試食することです!お土産用の様々なチョコレートも売ってありますが、3種類のチョコレートの試食ができました。ナッツチョコ・ミルクチョコ・ダークチョコの試食をさせてもらい、私も我が家のお土産にダークチョコを一つ買って帰りました。味も濃厚な食べ応えのあるチョコレートで、とても美味しいですよ。
現在、日本国内でもアマゾンなどのネット販売で世界中の物が日本の自宅に居ながら手に入る時代ですが、アストルガのチョコレートは全く紹介されていないので、アストルガまでいらっしゃった方にはお土産にお勧めです!せっかく遠いスペインの地元で買い求めてお土産にした品物が、日本でも売っていたら残念ですよね!でもアストルガのチョコレートだったらそんなことはないですよ。
アストルガの「チョコレート博物館」情報
住所:エスタシオン通り16番地(Avd. de la Estación 16)
電話:(34)987 616 220 E-mail:museochocolate@astorga.es /reservasmucha@astorga.es
開館時間:火~土 10:00~14:00(13.30まで入館) 16:30~19:00(18:30まで入館) 日曜日・祭日 10:30~14:30 *月曜日は休館/休館休館日: 12月24・25・31日、1月1日・5日・6日、5月22日 入場料:4€ 11 ~18歳 3€ 無料-10歳までの子供
参考
・アストルガ市役所の「チョコレート博物館」のサイト。
・カステージャ・イ・レオン州のサイト。