レオン県は、スペイン北西部のガリシア州とアストゥリアス州に隣接する県で、レオン市はその県庁所在地です。2019年のデータになりますが、前年比で22%も観光客が増えている観光発展都市でもあります。新型肺炎コロナウイルスによる影響で、観光業界はスペイン全国大打撃を被っていますが、ポストコロナで自由に旅行ができるようになったら、是非一度は訪れたい街の一つです。実際、市内を歩いていると中世の香り漂う魅力的な街で、食べ物や地元のワインも美味です。
2000年の歴史
レオン市の始まりは、約2000年前のローマ時代にまでさかのぼります。68年にガルバ皇帝によって第7ローマ軍団ヘミナ(Legio VII Gemina)として、現在のレオン市内を流れるベルネスガ川とトリオ川の間に陣を構えたのが起源です。「レオン(León)」という名前は、動物のライオン(スペイン語では同じく「レオン(león)」と言います)のことではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきています。
その後は一時期イスラム教徒に占領されますが、アストゥリアス王国のオルドーニョ1世によって奪回され、914年にオルドーニョ2世がアストゥリアス王国のオビエドからレオンに首都を移し、レオン・アストゥリアス王国又はレオン王国となります。しかし、10世紀末にはイスラムの将軍アルマンソールによってレオンの街は壊滅状態になります。その壊滅状態にあったレオンの街を復興し、ローマ時代に造られていた城壁の修復を行い、「良き法典(los Buenos Fueros)」と呼ばれる、スペイン最初の市の法令を公布したのがアルフォンソ5世です。
10世紀からレオン王国は、イスラムに対してのレコンキスタ(キリスト教徒によるアラビア人からのスペイン国土回復運動)を先頭に立って行い、スペインの歴史舞台に登場していきます。更に中世においては、サンティアゴ巡礼の道上の街として多くの巡礼者たちが訪れる大いに活気のある街でした。11世紀にはロマネスク建築の「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」が建設されました。
1188年、アルフォンソ9世はヨーロッパ史上初の3つの身分から成る王国会議をサン・イシドロ王立参事会教会にて招集しましたが、これが現在の議会代表制や民主主義システムの原型といわれ、2013年にはレオン市に対して「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」とユネスコが宣言しました。
13世紀にはゴシック様式の大聖堂が造られ、16世紀にはサン・マルコス修道院(Convento de San Marcos)が建設されます。19世紀には、サグラダファミリアの建築家として有名なガウディによるカサ・ボティネス(Casa Botines)が造られました。
現在は1983年に隣接するカスティーリャ地方と合併し、新設された9県から構成されるカスティーリャ・イ・レオン州に含まれています。人口約14万人(レオン市役所オフィシャルウエッブサイト)、1979年にはレオン大学が創設された学生の街でもあります。
このように、2000年の歴史を持ち、ロマネスク建築のサン・イシドロ王立参事会教会、ゴシック建築のレオン大聖堂、ルネッサンス建築のサン・マルコス修道院、モデルニズム建築のカサ・ボティネス、現代建築のカスティーリャ・イ・レオン州現代美術館と、様々な様式の建築物が同じレオン市の中にあるので、それぞれの様式を見比べてみるのも一興です。レオン市の旧市街地はあまり大きくないので、ぶらぶらと歩いて周るのにとても楽しい街です。(レオン(León)へいこう! -1- | おいでよ!スペイン (shiroyshishi.com) こちらもご参照ください。)
「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地
前述の1188年にアルフォンソ9世が招集した王国会議とは一体どういうものだったのでしょうか。それは、特権階級である聖職者と貴族、そして非特権階級である主要都市の代表者の3つの身分の人々が王に召集され、それら各々の声が聞き入れられ、投票によって法規又は政令(Decreto)を定めて行ったものです。これは、正しく現在の議会代表制や民主主義に通じるものでした。
他のヨーロッパ諸国では、13世紀に入るまではこのような投票権を持つ一般民衆参加の会議は行われていなかったので、「レオン王国の1188年政令」が「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地と宣言されたというわけです。
この「非特権階級である主要都市の代表者」とはどのような代表者だったのかというと、レオン、サラマンカ、サモーラ、オビエド、アストルガ、トロ、シウダッド・ロドリーゴ、ベナベンテ、レデスマのレオン王国内にある9つの主要都市の中で特権を持たない一般民衆から選出された代表者達でした。貴族や聖職者が自分たちに都合の良い人を民衆の代表者として名指しで選ぶというものではなく、一般民衆自らが自分たちの代表を選ぶという本当の意味での一般民衆の代表者として、自分たちの意見を議会へ持ち込んで反映してくれる人だったのです。
宗教色濃く、貴族、そして聖職者が幅を利かせ、一般民衆には「権利」というものが不在していたヨーロッパの中世時代に、それぞれの都市から選ばれた代表者を王国会議に送り出すことができたこと、そして非特権階級の彼らにも投票権があったことは、驚きに値します。それは、きっと一般民衆の人たちにとっては一筋の光だったと言えるでしょう。それ以前も非特権階級の人たちが会議に参加することはあったようですが、1188年の王国会議では、「革命的(Revolucionaria)」な民衆の代表が王国会議に参加するという新しい状況が確認され、新しい習慣を生み出し、王国の制度的構造に重要な変更をもたらしたのです。
この王国会議(Curia regia)によって議決された政令(Decretos)は、17条から成り、それは王国全体の法による正義と平和を維持するための一連の法規でした。また、アルフォンソ9世の父であるフェルナンド2世がその長い治世の間に惜しみなく行った寄付の多くが取り消される内容も記されていました。気前の良い父のために国庫の財源が空っぽになっていて、アルフォンソ9世は財政を立て直す必要に迫られていました。つまり、1188年王国会議では、法的側面と経済力の向上について議決され、将来の安定のためには王国の社会的平和を確立する必要があったので、人々の生活に影響を与える不安感に終止符を打つ立法政策が求められてもいたのです。そして、そのためには特権階級の聖職者、貴族だけではなく、一般民衆の協力が必要だったのです。
さて、実はこの1188年王国会議で発布されたオリジナル政令の文書は現存しません。しかし、 スペインではカルトゥラリオス(cartularios)と呼ばれる中世の外交文書の写本記録簿をスペイン公文書館・図書館に保存する伝統があり、この1188年の政令(Decretos)も写本し保存されていたことから、その正真性が証明されたということです。(以上、レオン大学のウエッブサイトより)
800年以上も経った後で、まさか写本の保存が「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」と宣言されることに一役買うことになろうとは、当時の人たちは考えも及ばなかったことでしょうが、一国の公的な記録というものは、何時必要になるのか、後世重要性を帯びてくるものなのかは作成当時はわからないので、きちんと記録し保存していかなければならないものだと思いました。
レオン市の紋章
後脚で立つ深紅色のライオンが現在のレオン市の紋章です。前述したようにレオン市の名前はライオンの「León」ではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきていますが、ライオンを紋章に用いています。レオン王国ができたころからしばらくは「十字架」の絵が紋章や硬貨に使われていましたが、12世紀に君主アルフォンソ7世によって鋳造した硬貨に初めて動物のライオンの絵が刻印されました。そして、アルフォンソ7世自身のシンボルマークとして使われるようになり、続くレオンの君主フェルナンド2世、アルフォンソ9世もこれに倣いました。レオン王国が使った紋章としてのライオンは、ヨーロッパの中でも最も古いシンボルの一つです。アルフォンソ7世は、軍旗、盾、鎖帷子(くさりかたびら)の上に着た袖無しの上着などにこのライオンの紋章を用いました。(ウィキペディアより)
きっとライオンは強さの象徴だったのでしょう。イギリスやデンマークの紋章にも3頭のライオンがあしらわれています。その他ワシなどがあしらわれていた紋章もありますが、いずれにしても猛々しいですね。猛々しいのとは正反対な、優雅な雰囲気があるフランスのユリの花型の紋章も有名です。
さて、2020年10月にサン・マルセロ広場にお目見えしたのは、なんと下水口から這い出てきているライオンの像!! 300キログラムもあるブロンズ像です。私は、最初見たときに笑ってしまいました。なかなかユーモアがありますよね。レオン王国時代に比べると華々しさを欠いている現在のレオン(ライオン)が、「これから這い上がってくるぞ! これからは俺の時代だ! 」とても言いたそうな勇ましい雰囲気です。今では市民の人気者になっているようで、子供たちが触りに来たり、一緒に写真を撮ったりと、レオンの新しい観光スポットの一つになりました。それにしても、ローマ時代の人たちは、まさか「軍団=レヒオ(Legio)」が「ライオン=レオン(león)」となるなんて、夢にも思わなかったことでしょうね。
情報
・サン・イシドロ王立参事会教会のウエッブサイト。スペイン語の他に英語とフランス語もあります。
Inicio | Museo de San Isidoro – Real Colegiata (museosanisidorodeleon.com)
・カスティーリャ・イ・レオン州の観光案内ウエッブサイト。こちらもスペイン語の他に英語とフランス語もあります。
León – Portal de Turismo de la Junta de Castilla y León (turismocastillayleon.com)
・レオン市内だけではなくレオン県の観光案内。嬉しい日本語版です。
レオン観光協会 – 日西観光協会 Asociación Hispano Japonesa de Turismo (travelinfospain.net)
・ローマ時代の遺跡や当時の生活の様子などが窺えるレオン・ローマ時代博物館:
レオン・ローマ時代博物館-カソーナ・デ・プエルタ・カスティーリャ(CENTRO DE INTERPRETACIÓN DEL LEÓN ROMANO – CASONA DE PUERTA CASTILLO)
住所:プエルタ・カスティーリャ広場 無番地(Plaza Puerta Castillo, s/n.)
郵便番号24003( C.P.: 24003)レオン市( León)
電話番号:987-878 238
開館時間:月~日 10:00~14:00、17:00~20:00
*14時から17時までは昼休憩のため閉館
・ユネスコが宣言した「議会主義制度発祥の地」に関するもの。スペイン語のみですが、ビデオなどもあります。
cuna del Parlamentarismo Archives – tULEctura (unileon.es)
¿Por qué León es la cuna del parlamentarismo mundial según la UNESCO? (europapress.es)
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