カスティーリャ・イ・レオン州はロマネスク建築の宝庫だ。ここサラマンカの旧大聖堂こと「サンタ・マリア大聖堂(Catedral de Santa María)」はイチオシのロマネスク建築である。このサラマンカ旧大聖堂とゴシック様式のサラマンカ新大聖堂は、二つの大聖堂がまるで新大聖堂が旧大聖堂を包み込むように建っている。正面からではなく、アールヌーボー&アールデコの「カサ・リス美術館(Museo Casa Lis)」前のパチィオ・チコ広場(Plaza de Patio Chico)から右に曲がりエル・アルセディアノ通り(Calle El Arcediano)から見上げると、二つの大聖堂の様式の違いがよく見て取れとても興味深いものだ。サラマンカに訪れる人には是非見てほしいアングルだ。
建設時の時代背景
サラマンカ旧大聖堂は、12世紀前半に造り始め13世紀に完成した。
12世紀前半とは1100年から1130年位だと言われている。その当時のスペインはまだ統一されておらず、8世紀からイスラムの支配を受けていた時代だ。そして11世紀後半からキリスト教の軍勢によるコンキスタ(国土回復運動)が進んでいた。
ここサラマンカは、1085年キリスト教側の王アルフォンソ6世によって完全にイスラム王国から取り戻されたが、それまでのサラマンカはキリスト教王国とイスラム教王国の境界地帯であったため、それぞれの王国によって何度も解放されたり征服されたりしていて、街は多くの戦いによって破壊され悲惨な状態だったようだ。荒れ果てた廃墟の如き街に再入植して活気を取り戻すために、アルフォンソ6世は、娘婿のフランス人ブルゴーニュ伯ライムンドに助けを求めた。ライムンド伯爵は、色んな所からやってきた多くの人を連れてサラマンカの街にやってきた。フランス人をはじめ、ポルトガル人、カスティーリャ人、山岳民族セラーノ人など、様々な人たちが新しい土地をもらえるという約束のもとに喜びいさんでやってきた。そして、新しい共同体を治める法律家や裁判官などもサラマンカに移り住んだ。
興味深いことに、その当時サラマンカに住む人々はキリスト教徒の人たちばかりではなく、キリスト教徒でありながらイスラム教徒の治下にいたモサラべと呼ばれる人たち、ユダヤ教を信仰するユダヤ人たち、この街に残ることにしたイスラム教徒(ムスリム)の人たちがいて、文化や宗教が異なる全ての人たちが皆一緒にサラマンカの街興しに参加して仲良く暮らしていた時代だった。
そういう街の雰囲気の中で、サラマンカ旧大聖堂の建設は始まった。
ロマネスク様式の大聖堂
その当時、ヨーロッパのなかで後に「ローマ風の建物」と呼ばれるロマネスク建築が主流になっていた。サラマンカ旧大聖堂は、建築当初は純粋なロマネスク建築による大聖堂を作ることを目的とされた。しかし建築期間が長くなり、12世紀後半にはフランスから入ってきたゴシック建築がスペインでも取り入れられ、このサラマンカ旧大聖堂でも最終段階で建築された身廊部分では、尖頭アーチで交差リブの丸天井部分等でゴシック様式を見ることができる。
また、サラマンカの街が発展し大きくなってくると、さらに大きな大聖堂を造ることになった。
そして新大聖堂が造られた際、旧大聖堂北側の外陣の一部と北側の翼廊が壊された。通常は旧大聖堂を完全に取り壊し新大聖堂を造り直すことが多かった中で、サラマンカの場合は、新大聖堂の建築に長い歳月が費やされ、旧大聖堂を残してミサを行う必要があったため崩壊を免れたと言われている。そのおかげで、ヨーロッパの中でも最も美しいロマネスク建築の大聖堂の一つといわれるサラマンカ旧大聖堂が今日まで残ったのである。
雄鶏をかたどった風見を戴く塔を外から見ると、まるで魚の鱗で覆われ、ほぼ円錐形をした4つの小さい塔や窓の周りに規則正しく丸い飾りがある細長い窓や屋根に施されたカールした飾り等々、そのオリジナルで美しい姿は、一目見たら忘れられない。初めてこの塔を見たとき、幼い頃に読んだヘンゼルとグレーテルの物語に出てくるお菓子の家を思い出し、可愛い塔だなと思って顔がほころんだことを思い出す。ゴシック建築のあまりにも壮大で威厳のある姿とは異なり、ロマネスク建築には丸味や温かさを感じさせられる。
大聖堂の役割
街の歴史を学ぶ上で、建築の歴史は、その当時の人々のニーズ、思想、宗教、生活の基盤、衛生状態、生活の知恵等々色々なものが見えてきて面白い。
サラマンカ旧大聖堂は、イスラム教徒の王国からキリスト教徒の王国へと奪回された後にキリスト教を中心にこれから街興しを行っていくという希望、キリスト教の誇示、そして中世の建築精神に基づき戦いの際の防御となる役目も担わされていた。実際、窓はまるで矢狭間(やざま)のようである。
大聖堂は、平和時にも戦争時にも人々の心を一つにする役割を担っていた。
サラマンカ旧大聖堂の建築には、キリスト教徒だけが参加したのではなく、前述のようにキリスト教徒でありながらイスラム教徒の治下にいたモサラべと呼ばれる人たち、ユダヤ教を信仰するユダヤ人たち、この街に残ることにしたイスラム教徒(ムスリム)の人たち全てが皆一緒にこの建築に携わった。全ての人は皆「神の子」であると言われ、宗教に関係なくサラマンカの町興しに精を出した。
昔も今も大聖堂はそこに住む人たちの心の拠り所となっているのである。
祭壇画
サラマンカ旧大聖堂の中に入ると、目を奪われ釘付けにさせられるのが祭壇画だ。これは15世紀のゴシック様式美術で、聖母マリアとキリストの生涯を絵で表している。世界的に見ても素晴らしい祭壇画の一つと言えるものだ。
アプス(後陣)に取り付けるため壁に沿って半円状に53枚の絵が縦に11列、横に5段あり、そして下から1階と2階の中央には、サラマンカの守護聖人である聖女ベガ(Virgen de la Vega)の像がある。
祭壇画の上にはキリストを中心とする「最後の審判」が壁に直接描かれている。この祭壇画の美しさときらびやかさはそれだけでただただ祭壇画の前でいつまでもいつまでも見ていて飽きないものがある。しかし、その一つ一つの絵の意味が解るとまるで聖母マリアとキリスト二人の人生の壮大な蒔絵を見ているような、又は人生劇を見ているような感覚になる。この世界の宝ともいえる祭壇画を見ずにサラマンカを離れた人は一生後悔するだろう。
雄鶏の塔(Torre de Gallo)
ロマネスク様式には珍しく、ビザンチン帝国の伝統で東洋的要素である雄鶏を塔の上に飾ってある。これは、スペインの南部から来た東洋の建築様式の知識があった、キリスト教徒でありながらイスラム教徒の治下にいたモサラべ達がもたらしたものである。
雄鶏の形をした風見からこの塔の名前は付けられたが、雄鶏は魂を監視し、終末にキリストが再来するというシンボルであった。
サラマンカ旧大聖堂といえばこの「雄鶏の塔」と言われるほどシンボリックなものである。
「イエロ二ムス」(Ieronimus)
このサラマンカ旧大聖堂はゴシック建築の新大聖堂の隣に建っているので、ロマネスク建築とゴシック建築の相違が一目でわかる。また、旧大聖堂の入口の右手に行くと小さな入口があり「イエロ二ムス」という大聖堂の屋根を歩けるコースが設けられている。これに参加してみると、間近で「雄鶏の塔」や新大聖堂の上部を見ることができ、お薦めのコースだ。大聖堂を見るにはいつも見上げるものだが、このコースを回ると視線の位置が平行や下方へと変わり、距離もグッと近くなるので、新しい発見、予期せぬ感動や驚きを体験できる。そして、大聖堂の高い部分から大聖堂の内部を見下ろせるというなかなかできない体験ができる。
サラッと外や中から大聖堂を見るだけではなく、もっとゆっくり時間をかけて二つの大聖堂と祭壇画を見て感じてほしい。
情報・お薦め動画
・サラマンカ大聖堂のオフィシャルサイト。旧大聖堂の紹介がある。日本語はないが、グーグル翻訳での英語版あり。
La Catedral Vieja – Catedral de Salamanca (catedralsalamanca.org)
・こちらは、スペイン語での解説だが、サラマンカ旧大聖堂の中の映像などが見れる。
La Catedral Vieja de Salamanca – YouTube
・説明はスペイン語だが、1枚1枚の祭壇画が紹介されていて興味深い。
El retablo del altar mayor de la Catedral Vieja de Salamanca – YouTube
・旧大聖堂の「雄鶏の塔」が間近で見ることができる。サラマンカに訪れる方には絶対体験していただきたい「イエロ二ムス」。
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