”Renacer” 希望の光 - ア・カペラのコンサートを教会にて開催!!!

新型肺炎コロナウイルスCOVID-19が世界中を駆け巡り、あっという間に私たちの日常生活がどこか遠い所へ押しやられてしまいました。1年以上が経つ今もこの未知なるウイルスに世界中の人たちが右往左往させられています。

ここスペインでは、2020年3月15日から同年6月21日までの3ヶ月以上も、医療関係者や食料品店、薬局などの最低限必要な物を売る店、警察、消防、銀行等生活するうえでの基本サービス以外は、教育機関、役所などを代表するオフィス、観光関係、バルやレストラン等が全て閉まり、国境も封鎖され、国を挙げての大掛かりなロックダウンが続きました。

私も、必需品は村にある唯一のスーパーに日本のラインにあたるワッツアップを使って注文し、家まで配達してもらっていました。村に週2回来てくれる移動魚屋さんにもワッツアップにて事前に注文し、移動店まで受取り&支払いをしに行き、ごみ出し、銀行での現金引き出しといった最低限必要なこと以外は全く家から一歩も出れない毎日でした。私は、それら必要最低限の外出の機会がありましたが、夫や子供たちは3ヶ月間全く家の敷地から出ませんでした。それでも、我が家は小さいながらも庭があるので、皆、庭をぐるぐる周ったりして憂さ晴らしをしていました。お天気が良い日は、テーブルを出して庭でご飯を食べたり、お茶をしたりして気分転換をしていました。

しかし、街の中に住む多くのスペインの人たちは、あまり広いとも言えないアパートで一歩も外に出られず、息苦しい生活を余儀なくされる毎日でした。マドリッドの街中のアパートでは、一人暮らしの老人や若者が窓から空も見えない部屋で全く外に出られず不安な気持ちで暮らし、子供たちは一日中外遊びもできず何が何だかわからないながらに、外に出たら怖い「COVID-19」という名前のモンスターが歩き回っているかのような恐怖を植え付けられ、オンライン授業にオンラインの仕事と、子供も親も疲れ果てて精神的にも肉体的にも追い込まれていく状況の中で、皆それぞれがグッと我慢して「COVID-19」という名の嵐が去るのを待ちました。

一人暮らしの人たちは全く人と話す機会がなくなり、精神的なダメージを受けたり、お年寄りの方々は家から出れないために足腰が弱り、家の中で転んで怪我をする事例が増えたりしました。その間も、愛する親、妻、夫、子供、友人、職場の仲間等が次々とCOVID-19に襲われ、亡くなった彼らはたった一人でこの世を去っていかなければならない状況に置かれ、残された人はさよならも言えず、見送りもできず、悲しみとやるせない気持ちで苦しみました。

医療現場では、過酷な労働、冷徹な命の選択に迫られる医師たちの苦悶、対応しても対応しても連日増え続ける患者たちを目の前にして無力感を覚えざるを得ない状況に追い込まれる看護師たち、情報が全くないまま手探りの状況で消毒や清掃を命の危険に晒されながらも黙々と使命感を持ってやり続ける病院の清掃係の方々、まるで地獄のようだと嘆きながらも隔離された患者たちを励ますその一人一人の医療現場の人たちの真摯な姿は、私たち全ての人たちの心を動かしました。その現場で頑張っている人たちに敬意の念を伝えるため、そして感謝の気持ちを伝えるため、スペイン全土で毎日、バルコニーから、窓から、家の前から拍手がおこりました。一日中家の中にこもりきりで人の姿も殆んど見られない毎日でしたが、午後8時になると拍手する人たちの姿で一杯となりました。私も毎日午後8時になると玄関前に出て道路にむかって手のひらが痛くなるくらい拍手して感謝の気持ちを表しました。そして、ご近所さん達と「みんな元気?」「ご両親はどうしてる?」「お互い感染しないよう気を付けて頑張ろうね!」と励ましあっていた毎日でした。

長かったロックダウンが終わり、ほっと一息付けたのもつかの間、気の緩みと9月の新学年の始まりによる人の移動のためか、10月に入った途端に再び感染者数が増加し、同月25日から2021年5月9日までの半年間継続的な警戒事態宣言が出されました。今回は昨年3月のようなロックダウンではなかったのですが、ほとんどの大学は完全なオンライン授業、レストランやバルなどはしょっちゅう営業停止へと追い込まれ、州や県をまたいでの移動禁止、夜間外出禁止令なども出て、観光業は閑古鳥が鳴く状況が続き、スペイン経済への大きな打撃は避けられず、多くのお店や飲食店、観光業者の人たちが店じまいを余儀なくされました。

スペインの人たちが一年の中で楽しみにしている、クリスマス休暇に家族と集まり食事を共にして家族のきずなを確かめ合うという例年のクリスマスの過ごし方は皆あきらめ、とても寂しいクリスマスを過ごしました。大晦日の夜中、12個のブドウを鐘の音と共に食べて新年をお祝いするいつもの年の瀬の姿も今年は見れませんでした。それなのに、クリスマス休暇が終わったと同時に爆発的な感染状況に追い込まれ、暗澹たる気持ちで1月、2月を過ごしました。

唯一の望みは、2020年12月27日から始まったワクチン接種。スペインは、第1波で老人ホームなどの施設にいる高齢者の方たちの感染・死亡が多く、私が住むカステーリャ・イ・レオン州での死亡者数の70%は施設に住む高齢者の方々でした。そのため、まずはCOVID-19の一番の弱者である高齢者の命を優先にと、高齢者へのワクチン接種が最初に行われました。その後、医療関係者や警察・消防関係者等にワクチン接種が行われました。また、学校閉鎖を回避する対策として幼稚園、小学校、中学校、高校の教師の方たちへのワクチン接種が優先されました。

ワクチン接種が始まって以来、劇的に高齢者の死亡率が減り、感染者数もどんどん減少していきました。

イースター休暇後にまた感染者数が増えるんだろうな、と皆で心配していましたが、心配していたほどには厳しい状況に追い込まれることはなく、「ワクチン効果が表れてきているみたいだね」と少しずつ皆の気持ちの中で明るいものが湧いてきているのを感じ始めていました。

そして、ついに5月9日に緊急事態宣言が解除され、長い長い暗い暗いトンネルの出口が少し見えてきたような気分でした。

そんな中で、私が所属する合唱団では、天候や状況が許す限り、村の広場を練習場にする許可をもらい細々と練習を再開し始めました。10月から11月、クリスマス休暇後からイースター休暇後までは感染者数が増加したので練習には6人までしか集まれず、また練習場の使用許可が下りず練習できない状況でしたが、5月の警戒事態宣言が解除された後は、それまでの失われた時を回復するかのように練習回数を増やして皆で練習に励んできました。

そして、2021年6月27日にサラマンカ市内のサン・フアン・デ・サグン教会にてコンサートを開催することができました。団員はマスク着用で歌い、観客者数は1/3に減らすという内容でしたが、屋内、それも教会という屋内で再び歌えることに心から感謝しました。教会は、信者の方々の年齢層が高いこともあって色んな意味で厳しい条件下に置かれていたので、まさか教会でのコンサート開催に許可が出るとは思っていなかったのです。

私たちの合唱団は団員数21名の室内合唱団で、「デ・ムシカ・アンティクワ(De Musica Antiqua)」という名前の通りルネッサンス音楽を中心にア・カペラで歌うグループなので、曲のレパートリーからも矢張り教会で歌うような宗教音楽が多く教会の音響に合う曲ばかりなので、私たち団員にとって教会で歌うということには大きな意味がありました。

コンサート後に、私たちの指揮者が「まるで”生き返った(renacer)”ような気持ちになったコンサートだった」と語りましたが、私も同感でした。まるで全ての芸術や様々な活動が制限され、”死んだ”ような状況下にあった中、こうやって教会でコンサートが開けるところまで来たことに対し、まだまだコロナが収束したわけではないけれど、やっと少しでも日常が取り戻せるようになることへの希望の光が見えてきたという感じを、歌った団員の私たちみんなと、聞きに来てくださった観客の皆さんとで共有できたコンサートでした。

元気で歌えること、コロナ感染に至らなかったこと又はコロナから回復できたこと、この教会でのコンサートに一緒に居れること(ずっと、多くの人たちの集まりが禁止されてきたので)、生きていることを感謝して思い切り歌いました。そして、COVID-19のために命を失くした人々、後遺症で苦しんでいる人々、大切な人を亡くして哀しみを背負っている人々、仕事を失くし途方に暮れている人々、今も現場で戦っている様々な職業の人々、移動制限のため離れ離れで会いたい人にも会えない人々等々・・・一人一人の団員がそういう人々に思いを馳せながら心を一つにして歌いました。本当に、今回のコンサート程心待ちにしていたコンサートは今までなかったと思います。と同時に、団員の一人一人の思いが一つの方向に一致したコンサートも今までなかったと思います。

今回のコンサートは録音して私たちの合唱団の youtube のチャンネルにアップしています。ご興味のある方はどうぞお聴きください。

Northern Lights Ola Gjeilo – YouTube

Ave Verum Corpus William Byrd 2 – YouTube

Ubi Caritas Ola Gjeilo – YouTube

今回のコンサート以前のものもお聞きになりたい方はこちらからどうぞ。

Coro De Mvsica Antiqva – YouTube

2021年7月21日現在、スペインはCOVID-19の第5波に襲われています。まだワクチン接種を受けていない10代、20代の若者達の感染率が高く、感染力の強い変異株が蔓延しているということもあり、連日2万人以上の感染者が出ていて再び医療関係者の負担が大きくなってきています。

一体いつになったらこの長い長いトンネルから抜け出せるのでしょうか。

まだまだ収束までの道のりは遠いようですが、日常に感謝しつつ前向きに希望を失うことなく一日一日を生きていきたいものです。

レオン(León)へ行こう!(2)―2000年のタイムスリップ

レオン県は、スペイン北西部のガリシア州とアストゥリアス州に隣接する県で、レオン市はその県庁所在地です。2019年のデータになりますが、前年比で22%も観光客が増えている観光発展都市でもあります。新型肺炎コロナウイルスによる影響で、観光業界はスペイン全国大打撃を被っていますが、ポストコロナで自由に旅行ができるようになったら、是非一度は訪れたい街の一つです。実際、市内を歩いていると中世の香り漂う魅力的な街で、食べ物や地元のワインも美味です。

レオン大聖堂(写真:筆者撮影)

2000年の歴史

レオン市の始まりは、約2000年前のローマ時代にまでさかのぼります。68年にガルバ皇帝によって第7ローマ軍団ヘミナ(Legio VII Gemina)として、現在のレオン市内を流れるベルネスガ川とトリオ川の間に陣を構えたのが起源です。「レオン(León)」という名前は、動物のライオン(スペイン語では同じく「レオン(león)」と言います)のことではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきています。

その後は一時期イスラム教徒に占領されますが、アストゥリアス王国のオルドーニョ1世によって奪回され、914年にオルドーニョ2世がアストゥリアス王国のオビエドからレオンに首都を移し、レオン・アストゥリアス王国又はレオン王国となります。しかし、10世紀末にはイスラムの将軍アルマンソールによってレオンの街は壊滅状態になります。その壊滅状態にあったレオンの街を復興し、ローマ時代に造られていた城壁の修復を行い、「良き法典(los Buenos Fueros)」と呼ばれる、スペイン最初の市の法令を公布したのがアルフォンソ5世です。

レオン王国の王 アルフォンソ5世の銅像
「1017年6月30日 王国と市に法令を発布した。1000年を記念して 2017年レオン市」(写真:筆者撮影)

10世紀からレオン王国は、イスラムに対してのレコンキスタ(キリスト教徒によるアラビア人からのスペイン国土回復運動)を先頭に立って行い、スペインの歴史舞台に登場していきます。更に中世においては、サンティアゴ巡礼の道上の街として多くの巡礼者たちが訪れる大いに活気のある街でした。11世紀にはロマネスク建築の「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」が建設されました。

1188年、アルフォンソ9世はヨーロッパ史上初の3つの身分から成る王国会議をサン・イシドロ王立参事会教会にて招集しましたが、これが現在の議会代表制や民主主義システムの原型といわれ、2013年にはレオン市に対して「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」とユネスコが宣言しました。

13世紀にはゴシック様式の大聖堂が造られ、16世紀にはサン・マルコス修道院(Convento de San Marcos)が建設されます。19世紀には、サグラダファミリアの建築家として有名なガウディによるカサ・ボティネス(Casa Botines)が造られました。

現在は1983年に隣接するカスティーリャ地方と合併し、新設された9県から構成されるカスティーリャ・イ・レオン州に含まれています。人口約14万人(レオン市役所オフィシャルウエッブサイト)、1979年にはレオン大学が創設された学生の街でもあります。

べルネスガ川にかかる橋(写真:筆者撮影)

このように、2000年の歴史を持ちロマネスク建築のサン・イシドロ王立参事会教会、ゴシック建築のレオン大聖堂、ルネッサンス建築のサン・マルコス修道院、モデルニズム建築のカサ・ボティネス、現代建築のカスティーリャ・イ・レオン州現代美術館と、様々な様式の建築物が同じレオン市の中にあるので、それぞれの様式を見比べてみるのも一興です。レオン市の旧市街地はあまり大きくないので、ぶらぶらと歩いて周るのにとても楽しい街です。(レオン(León)へいこう! -1- | おいでよ!スペイン (shiroyshishi.com) こちらもご参照ください。)

「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地

前述の1188年にアルフォンソ9世が招集した王国会議とは一体どういうものだったのでしょうか。それは、特権階級である聖職者と貴族、そして非特権階級である主要都市の代表者の3つの身分の人々が王に召集され、それら各々の声が聞き入れられ、投票によって法規又は政令(Decreto)を定めて行ったものです。これは、正しく現在の議会代表制や民主主義に通じるものでした。

他のヨーロッパ諸国では、13世紀に入るまではこのような投票権を持つ一般民衆参加の会議は行われていなかったので、「レオン王国の1188年政令」が「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地と宣言されたというわけです。

この「非特権階級である主要都市の代表者」とはどのような代表者だったのかというと、レオン、サラマンカ、サモーラ、オビエド、アストルガ、トロ、シウダッド・ロドリーゴ、ベナベンテ、レデスマのレオン王国内にある9つの主要都市の中で特権を持たない一般民衆から選出された代表者達でした。貴族や聖職者が自分たちに都合の良い人を民衆の代表者として名指しで選ぶというものではなく、一般民衆自らが自分たちの代表を選ぶという本当の意味での一般民衆の代表者として、自分たちの意見を議会へ持ち込んで反映してくれる人だったのです。

宗教色濃く、貴族、そして聖職者が幅を利かせ、一般民衆には「権利」というものが不在していたヨーロッパの中世時代に、それぞれの都市から選ばれた代表者を王国会議に送り出すことができたこと、そして非特権階級の彼らにも投票権があったことは、驚きに値します。それは、きっと一般民衆の人たちにとっては一筋の光だったと言えるでしょう。それ以前も非特権階級の人たちが会議に参加することはあったようですが、1188年の王国会議では、「革命的(Revolucionaria)」な民衆の代表が王国会議に参加するという新しい状況が確認され、新しい習慣を生み出し、王国の制度的構造に重要な変更をもたらしたのです。

この王国会議(Curia regia)によって議決された政令(Decretos)は、17条から成り、それは王国全体の法による正義と平和を維持するための一連の法規でした。また、アルフォンソ9世の父であるフェルナンド2世がその長い治世の間に惜しみなく行った寄付の多くが取り消される内容も記されていました。気前の良い父のために国庫の財源が空っぽになっていて、アルフォンソ9世は財政を立て直す必要に迫られていました。つまり、1188年王国会議では、法的側面と経済力の向上について議決され、将来の安定のためには王国の社会的平和を確立する必要があったので、人々の生活に影響を与える不安感に終止符を打つ立法政策が求められてもいたのです。そして、そのためには特権階級の聖職者、貴族だけではなく、一般民衆の協力が必要だったのです。

さて、実はこの1188年王国会議で発布されたオリジナル政令の文書は現存しません。しかし、 スペインではカルトゥラリオス(cartularios)と呼ばれる中世の外交文書の写本記録簿をスペイン公文書館・図書館に保存する伝統があり、この1188年の政令(Decretos)も写本し保存されていたことから、その正真性が証明されたということです。(以上、レオン大学のウエッブサイトより)

800年以上も経った後で、まさか写本の保存が「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」と宣言されることに一役買うことになろうとは、当時の人たちは考えも及ばなかったことでしょうが、一国の公的な記録というものは、何時必要になるのか、後世重要性を帯びてくるものなのかは作成当時はわからないので、きちんと記録し保存していかなければならないものだと思いました。

サン・マルティーノ広場(Plaza de San Martino)にあるアルフォンソ9世のブロンズ像(写真:筆者撮影)

レオン市の紋章

後脚で立つ深紅色のライオンが現在のレオン市の紋章です。前述したようにレオン市の名前はライオンの「León」ではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきていますが、ライオンを紋章に用いています。レオン王国ができたころからしばらくは「十字架」の絵が紋章や硬貨に使われていましたが、12世紀に君主アルフォンソ7世によって鋳造した硬貨に初めて動物のライオンの絵が刻印されました。そして、アルフォンソ7世自身のシンボルマークとして使われるようになり、続くレオンの君主フェルナンド2世、アルフォンソ9世もこれに倣いました。レオン王国が使った紋章としてのライオンは、ヨーロッパの中でも最も古いシンボルの一つです。アルフォンソ7世は、軍旗、盾、鎖帷子(くさりかたびら)の上に着た袖無しの上着などにこのライオンの紋章を用いました。(ウィキペディアより)

きっとライオンは強さの象徴だったのでしょう。イギリスやデンマークの紋章にも3頭のライオンがあしらわれています。その他ワシなどがあしらわれていた紋章もありますが、いずれにしても猛々しいですね。猛々しいのとは正反対な、優雅な雰囲気があるフランスのユリの花型の紋章も有名です。

さて、2020年10月にサン・マルセロ広場にお目見えしたのは、なんと下水口から這い出てきているライオンの像!! 300キログラムもあるブロンズ像です。私は、最初見たときに笑ってしまいました。なかなかユーモアがありますよね。レオン王国時代に比べると華々しさを欠いている現在のレオン(ライオン)が、「これから這い上がってくるぞ! これからは俺の時代だ! 」とても言いたそうな勇ましい雰囲気です。今では市民の人気者になっているようで、子供たちが触りに来たり、一緒に写真を撮ったりと、レオンの新しい観光スポットの一つになりました。それにしても、ローマ時代の人たちは、まさか「軍団=レヒオ(Legio)」が「ライオン=レオン(león)」となるなんて、夢にも思わなかったことでしょうね。

大人気の下水口から這い出すライオン(写真:筆者撮影)

情報

・サン・イシドロ王立参事会教会のウエッブサイト。スペイン語の他に英語とフランス語もあります。

Inicio | Museo de San Isidoro – Real Colegiata (museosanisidorodeleon.com)

・カスティーリャ・イ・レオン州の観光案内ウエッブサイト。こちらもスペイン語の他に英語とフランス語もあります。

León – Portal de Turismo de la Junta de Castilla y León (turismocastillayleon.com)

・レオン市内だけではなくレオン県の観光案内。嬉しい日本語版です。

レオン観光協会 – 日西観光協会 Asociación Hispano Japonesa de Turismo (travelinfospain.net)

・ローマ時代の遺跡や当時の生活の様子などが窺えるレオン・ローマ時代博物館:

レオン・ローマ時代博物館-カソーナ・デ・プエルタ・カスティーリャ(CENTRO DE INTERPRETACIÓN DEL LEÓN ROMANO – CASONA DE PUERTA CASTILLO)

住所:プエルタ・カスティーリャ広場 無番地(Plaza Puerta Castillo, s/n.)

郵便番号24003( C.P.: 24003)レオン市( León)

電話番号:987-878 238

開館時間:月~日 10:00~14:00、17:00~20:00

*14時から17時までは昼休憩のため閉館

Centro de Interpretación del León Romano – Casona de Puerta Castillo (León) | Cultura | Junta de Castilla y León (jcyl.es)

・ユネスコが宣言した「議会主義制度発祥の地」に関するもの。スペイン語のみですが、ビデオなどもあります。

Los Decreta de la Curia Regia de León del año 1188 – registro-memoria-unesco | Ministerio de Cultura y Deporte

Los “Decreta” de León de 1188 – El testimonio documental más antiguo del sistema parlamentario europeo | Organización de las Naciones Unidas para la Educación, la Ciencia y la Cultura (unesco.org)

cuna del Parlamentarismo Archives – tULEctura (unileon.es)

¿Por qué León es la cuna del parlamentarismo mundial según la UNESCO? (europapress.es)

サラマンカの隠れスポット-カリスト&メリベアの庭(Huerto de Calixto & Melibea)

石畳の通り、石造りの建物の多いサラマンカの街の中にある「カリスト&メリベアの庭」は気持ちを和ませてくれる憩いのスポットです。ここに入ると季節の花の香りやさまざまな色彩の花たちが暖かく迎えてくれます。暑い夏には、木陰の下でホッと一息つける場所でもあります。

カリスト&メリベアの庭の入口(写真:筆者撮影)

ラ・セレスティーナ(La Celestina)の舞台

この庭の名前になっている「カリスト」と「メリベア」は、15世紀末に出版されたスペインの悲喜劇「ラ・セレスティーナ(La Celestina)」(原題は「カリストとメリベアの悲喜劇」)の主人公です。そしてこの庭がその戯曲の舞台といわれています。この戯曲を書いたフェルナンド・デ・ロハス(Fernando de Rojas)は、サラマンカ大学で法学を学んだと言われ、「ラ・セレスティーナ」の本の中で「アルセディア―ノ通り」の名前が出ていて、サラマンカに実在する「アルセディア―ノ通り」の突き当りにあるこの庭が舞台だろうと言われているわけです。

原題を見るとわかるように主人公はカリストとメリベアでしたが、二人の悲しい恋の仲立ちをした老女セレスティーナがあまりにもやり手婆さんで主人公よりも強烈な登場人物だったので、今では彼女の名前がこの本の題名になっているほどです。

「ラ・セレスティーナ(La Celestina)」はスペインの学校でも必ず勉強する本の一冊で、スペイン人にとってはセルバンテスの「ドン・キホーテ」と同じように知らない人のいないスペイン文学を代表する一冊です。奸智に長けたやり手婆さんのセレスティーナをはじめとするすべての登場人物の性格を鋭く描写し、身分階級に適した言葉使いや表現を駆使して、一人一人をくっきりと浮き彫りにしているところが何といってもこの本の醍醐味だと言えるでしょう。

3月にはプリムラの花が植えられ、眼を楽しませてくれます(写真:筆者撮影)

ラ・セレスティーナ(La Celestina)から生まれた言葉と絵画

このやり手婆さんの名前「セレスティーナ」から、「セレスティーナ(celestina)」という言葉が生まれました。「セレスティーナ(celestina)」の意味は、【売春斡旋業者、売春宿の主人、やり手ばばあ】と手元のスペイン語辞書には出ています。同じスペインの戯曲「セビリアの色事と石の招客」に出てくる「ドン・フアン」が【プレイボーイ、女たらし】の代名詞として知られているように、「セレスティーナ(celestina)」は【男女の仲介をする人、やり手婆さん】などの代名詞として使われるようになりました。

また、スペイン語に llevar (a alguien) al huerto という遠回しな表現があります。これは、性的関係を結ぶという意味です。最初の写真を見て頂くとわかりますが、「カリスト&メリベアの庭」はスペイン語では「Huerto de Calixto y Melibea」で、「Huerto」は本来の意味では「菜園、果樹園、畑」などの意味があります。この「Huerto」にカリストがメリベアを連れて行って逢引きしたという「ラ・セレスティーナ」の本からこの表現は生まれました。

そして「ラ・セレスティーナ」から生まれた絵画と言えば、宮廷画家として活躍したフランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)が描いた「マハとセレスティーナ」とパブロ・ピカソのその名もずばり「ラ・セレスティーナ」です

どちらの作品もいかにもやり手婆さん、一癖も二癖もありそうな感じに描かれていますね。

Francisco de Goya:

             ゴヤの「マハとセレスティーナ」

パブロ・ピカソ、【ラ・セレスティーナ】、希少画集画、新品高級額・額装付、状態良好、送料無料、Pablo Picasso_画像1

    ピカソ 「ラ・セレスティーナ」

こんな「ラ・セレスティーナ」に思いを馳せながら、今では「菜園」ではなく「庭、公園」になっている「カリスト&メリベアの庭」をゆっくり散歩してみてくださいね。

ここからサラマンカ郊外も見渡せ、サラマンカ大聖堂やサン・エステバン修道院なども見れます。

是非、サラマンカに訪れた際はどうぞ。

サン・エステバン修道院。手前は城壁にある塔。(写真:筆者撮影)

カリスト&メリベアの庭 情報

カリスト&メリベアの庭(Huerto de Calixto y Melibea)

開園時間:10時~日没まで

入園料:無料

住所:サラマンカ市アルセディア―ノ通り12番地 郵便番号 37001(C/ Arcediano, 12. Salamanca. 37001 Salamanca)

サラマンカ観光案内所

住所:サラマンカ市マヨール広場32番地 郵便番号 37002 (P/ Mayor, 32. Salamanca. 37002 Salamanca)

電話番号:902 302 002 / 923 218 342

FAX:923 263 409

E-Mail:informacion@turismodesalamanca.com

Webページ:http:/www.salamanca.es

・スペイン演劇の研究・紹介をされている古屋雄一郎氏のウエブページに「ラ・セレスティーナ」について出ています。興味のある方はどうぞ。

theatrum mundi | スペイン文学史上の怪物 (theatrum-mundi.net)

カリスト&メリベアの庭から見える大聖堂(写真:筆者撮影)

スペインの楽しい数え歌-(Un elefante se balanceaba-1頭のゾウがユラユラと)

スペインの童謡を聞いたことがありますか? 

私は、スペインで結婚して子供ができてからスペインの童謡をたくさん聞く機会がありました。

その中でも、まだ結婚前で留学生だった時代にスペインの友人たちに教えてもらい一緒に歌ったこの歌は、今も大好きなスペイン童謡の一つです。

あまりスペイン語が上手くなかった私にとって、わかりやすく歌詞も簡単なこの歌はみんなと一緒に歌える唯一の歌でした。歌詞は簡単なはずで、この歌は数え歌なので、1,2,3・・・と続いていくだけなのです。でも、日本人でスペイン語を勉強し始めたばかりの私にとって、2頭以上になると複数形になり、動詞の活用も変化するこの歌は良い勉強になりました。

歌詞はこんな感じです。

Un elefante se balanceaba
Sobre la tela de una araña
Como veía que no se caía
Fue a buscar otro elefante.

1頭のゾウがクモの巣の上でユラユラ揺り動いてたよ

クモの巣から落っこちないので仲間を呼びに行ったよ

Dos elefantes se balanceaban
Sobre la tela de una araña
Como veían que no se caían
Fueron a buscar otro elefante

2頭のゾウがクモの巣の上でユラユラ揺り動いてたよ

クモの巣から落っこちないので仲間を呼びに行ったよ

Tres elefantes se balanceaban
Sobre la tela de una araña
Como veían que no se caían
Fueron a buscar otro elefante

3頭のゾウがクモの巣の上でユラユラ揺り動いてたよ

クモの巣から落っこちないので仲間を呼びに行ったよ

Cuatro elefantes se balanceaban

Sobre la tela ・・・

4頭のゾウがクモの巣の上で・・・

                (歌詞訳:筆者)

歌うたびに、大きなゾウがクモの巣の上で楽しげにブランコのようにユラユラ揺れて、落っこちないのをいいことに仲間のゾウを次々と呼びに行って一緒に遊ぶ姿が目の前に浮かび、可笑しくなってしまいます。

去年、私が所属する合唱団は南のセビリアの音楽院のギターの生徒さん達と一緒に合同コンサートを開きましたが、コンサートが終わり帰りのバスの中で、学生さんたちと一緒にこの歌を一緒に歌いました。さすがにゾウが30頭ぐらいまで来たら皆で歌い疲れてしまいましたけどね。でも、年齢の差や住んでいる地方が違っても、同じ歌で盛り上がることができて童謡の良さを改めて実感しました。

セビリアの街のクリスマスイルミネーション(写真:筆者撮影)

どんな歌かお聞きになりたい方はこちらから聞けます。

Un elefante se balanceaba sobre la tela de una araña con letra – YouTube

なかなかスペイン語が上手くならず落ち込むことも多かったあの頃、この歌は2番目の歌詞も3番目の歌詞も、ズーッと全歌詞歌える唯一の歌で、皆と歌うことで少しだけでもスペイン生活に溶け込んだような気持ちやスペイン語がチョッピリ上達したような気持にさせてくれていたことを、懐かしく思い出されます。

おいでよ!スペインの素敵な村(2)-カスティーリャ・イ・レオン州-ラ・アルベルカ(La Alberca)

アルベルカ (La Alberca) のマヨール広場 (Plaza Mayor) にある十字架 (写真:筆者撮影)

スペインで最も美しい村

サラマンカから車で1時間半程で行けるアルベルカの村は、「スペインで最も美しい村」という協会に認定され登録されている村の一つです。「日本で最も美しい村」という日本版の協会もあるのでご存知の方も多いかもしれません。ちなみに、この「スペインで最も美しい村」という協会は2011年に設立され、人口1万5000人以下(歴史地区の人口は5000人以下)であること、建築的遺産または自然遺産があることなどを条件に、村内の環境、宿泊施設、案内板に至るまで厳正に審査し、登録を認定しています。2020年12月末時点で、105村が認定されています。(ウィキペディアより)

そして、このアルベルカは1940年に歴史的・芸術的な村としてスペインで宣言された最初の村でもあります。これは、アルベルカの村があるシエラ・デ・フランシア(Sierra de Francia)地方の伝統的な建物によるものです。

この村は、ただただぶらぶらと歩きまわって見るだけでもとても美しい村です

イグレシア広場にある家々。夏になるとベランダの花が咲いて目を楽しませてくれます。(写真:筆者撮影)

また、この村からバトゥエカスと呼ばれる場所まで行くと、新石器時代の岩画が残っていて、歴史的にも古い地方です。バトゥエカスは、散歩道沿いに川が流れていて夏になると川遊びができ、涼しいので週末ともなると家族連れでにぎわいます。

また、カルメル会のバトゥエカス修道院(Monasterio de Las Batuecas)があり、現在も少人数の修道士達が静かに瞑想の生活を送っているそうです。一般観光客には公開されていませんが、一定の期間、世俗を離れて瞑想の生活を送りたい人々のための宿泊所として開かれています。

このアルベルカ辺りに住む人が増えてくるのは12~13世紀ころからです。そして、シエラ・デ・フランシア(Sierra de Francia)地方にある大きな岩の上であるペーニャ・デ・フランシア(Peña de Francia)にて聖母像が発見されると、礼拝堂が建てられ巡礼者が訪れるようになりました。15世紀のことです。「銀の道」というスペインのサンティアゴ巡礼の道の一つがこの礼拝堂を通り、南からの巡礼者たちの巡礼の道となっていたところでもあります。ちなみにこの礼拝堂は、標高1727mの岩山の上にあり、世界で最も高い位置にある礼拝堂です。冬になると雪のため通行不能になるような場所ですが、ここの修道士たちは南米やフィリピンへ宣教師として派遣されていたとのことです。

現在のようなアルベルカの村が作られていくのは16世紀末以降ですが、それまでアルベルカの村があるこの地方には、ローマ人、西ゴード人、ユダヤ人、アラビア人と様々な文化を持つ人々が綿綿と暮らしてきました

建物の特徴

この村の建物の特徴は、石と木材を使い、柱が見える真壁造り(しんかべづくり)となっていることです。

また、一階部分は石造りで二階から上が張り出した形になっていて、屋根に至っては向かいの建物の軒に届きそうなくらい張り出しています。この狭い通りの両側にある家々が作り出す光と影は、この村を散歩する際に是非楽しんでいただきたい点の一つです。

アルベルカの家々(写真:筆者撮影)

アルベルカの村を歩いていると、まるで迷路に迷い込んでしまったような錯覚を起こさせます。まるでユダヤ人街の中にいるようです。実際、アルベルカの村にはユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ系の人が多く住んでいたとか。

アルベルカの村の中心はマヨール広場です。花崗岩でできたアーケード、古いバルコニー、石灰によって白塗りされた壁に光が当たるとまばゆいばかりの白です。白壁と横木のこげ茶色のコントラストが奏でる軽快なリズムを是非自分自身で感じてみてください。

夏になると、バルコニーに色とりどりの花が飾られて私たちの目を楽しませてくれます。

まるで集合写真を撮るかのように十字架の足元に集まる若者たち(写真:筆者撮影)

家の扉の上にある様々なしるし

村の道を歩きながら家々を見ていくと、扉の上にその家が建てられた年や紋章のようなものが彫られていることにすぐ気づくことでしょう。

これらは、キリスト教ドミニコ会の紋章や異端尋問であるインキシシオン(Inquisición)の紋章等やアナグラムが刻まれています。なぜこのような宗教的な紋章を刻んだのでしょうか。ここアルベルカは前述したようにユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ系の人や、またイスラム教からキリスト教に改宗した人も多かったのですが、自分たちはちゃんと改宗していますよという信仰の目じるしとして、自分の家の扉の上に刻み込んで信仰を表明したと言われています。

ちなみに、ドミニコ会はスペインにおいて異端の改宗と取り締まりを先頭に立って活動していた修道会です。スペインカトリックの暗い時代の片鱗をこの村の家々に見るような気がしました。

ドミニコ会紋章(写真:筆者撮影)
インキシシオン(Inquisición)紋章(写真:筆者撮影)))

手工芸品・お土産

今回、私は有名なアルベルカの蜂蜜を自宅用のお土産に買って帰りました。周囲を山で囲まれたこのアルベルカは、特に栗の花の蜂蜜が有名です。実はまだ栗の花の蜂蜜を食べたことがなかったのですが、濃厚でちょっとビターな今まで食べた蜂蜜とは全く違う味でとても美味しいものでした。また、美味しいだけではなく、栗の花の蜂蜜には様々な効能があるとのこと。含有するタンニンが、動静脈にくっつこうとする脂肪を回避する働きをしてコレステロールを下げたり、酸化防止によるアンチエイジングの効能もあります。その他、血の巡りを良くしたり、鉄欠乏性貧血の方には鉄分補給にも役立ち、抗菌等の効能もあり、蜂蜜の中でも特に体に良い蜂蜜だそうです。

他に、私の好きなラベンダーの蜂蜜とクリーム状の蜂蜜も買ってきました。お土産に良いサイズでラベルも可愛くて、お友達にプレゼントしても喜ばれそうです。日本ではあまり売ってない蜂蜜もいろいろありますよ。イグレシア広場にある今年オープンしたてのお洒落なお店「レイナ・シエラ・デ・フランシア(Reina Sierra de Francia)」を見つけたので紹介します。現在(2021年1月)はコロナウイルスのため行われていませんが、蜂蜜採集などを体験するツアーなども開催したいとのことでしたので、コロナ収束後が楽しみです。

お洒落なハチの巣形の棚(写真:筆者撮影)
右から栗・クリーム・ラベンダーの蜂蜜(写真:筆者撮影)
試食用の蜂蜜(写真:筆者撮影)

他にアルベルカのお土産でお薦めなのは、伝統手工芸品である刺繍が施されている布ものです。

色彩豊かで見ているだけで気持ちが明るくなるようなその素晴らしい刺繍は、母から娘へ、娘から孫へと伝わってきた伝統的なものです。モチーフとしては鳥や魚、ライオンや双頭の鳥、花柄に宗教的な絵柄等です。それぞれに意味があるそうで、鳥は女性、ライオンは男性を表し、双頭の鳥は結婚を意味するとか。また、色合いにも意味があり、全体の柄を青色で刺繍する場合は「死」を表し、故人と共に棺に入れて埋葬していたそうです。大きなテーブルクロスなどはちょっと手が出ないくらい高価なものも多いのですが、花瓶敷きなど小物であれば手ごろな値段で買えるので、お土産にはもってこいですね。

また、同じ柄の陶器もアルベルカの工芸品の一つです。

私も次回アルベルカへ行ったときは、サラダボールを買いたいなと思っています。陶器は割れる心配もあるのでお土産にはためらわれるかもしれませんが、小さな指ぬきや小皿等だったら割れる心配はないかもしれません。こんな素敵な柄のカップでお茶を飲みながらアルベルカの村の思い出に浸るのもいいですね!

Artesanía
「La Alberca」ウエブサイトより

お薦め

アルベルカには是非一泊することをお薦めします!

何故なら、陽が沈み、空気が冷たくなる時刻には街灯がつき始め、お昼とは全く異なる顔のアルベルカを見せてくれるからです。夜になると多かった観光客もグッと少なくなり、お昼に歩いた通りをもう一度歩いてみると、まるでタイムスリップしたような錯覚に陥ります。300年以上も前に同じ石畳の道を改宗したユダヤ系の人たちやアラビア系の人たち、そしてローマ人や西ゴード人の末裔の人たちが、おしゃべりしながら闊歩していたことを想像するのは楽しいものです。流石に、その頃は東洋人は居なかっただろうななどと思いながら歩いていると、ついついもし当時の人が私に出会ったらどんな顔するかしら、などと勝手な想像が膨らんできます。スペインの保存状態の良い村々を訪れる機会があれば、是非一泊されて時空の旅を楽しまれることをお薦めします

オレンジ色の街灯は暖かいイメージを抱かせてくれて、今回冬に訪れた際もかなり寒さが厳しかったにも拘わらず、心はほっこりと暖かくなりました。コロナウイルスの影響で泊まることはできませんでしたが、朝日を浴びたアルベルカの村もきっと素晴らしく、別の印象を与えてくれることでしょう。

オレンジ色の街灯がついたマヨール広場(写真:筆者撮影)

食べ物では、アルベルカの村でリモン・セラーノ(Limón Serrano)と呼ばれるこの地方の名物料理やオルナッソ(Hornazo)を是非お試しください。

また、アルベルカの村から近いサン・マルティン・デル・カスタニャル(San Martín del Castañar)モガラス (Mogarraz)にもぜひ足を延ばしてほしいですね。サン・マルティン・デル・カスタニャル(San Martín del Castañar)とモガラス (Mogarraz)も「スペインで最も美しい村」という協会に認定され登録されている村です。

このシエラ・デ・フランシア(Sierra de Francia)地方は、遊歩道もいろいろあり、散歩するのにもいい場所です。是非、一度訪れてみてくださいね!

アルベルカと周辺 情報

La Alberca :日本語版もあります!アルベルカがざっくり紹介されています。

Historia – La Alberca :アルベルカの歴史について。残念ながらスペイン語のみです。

Oficina de Turismo Municipal de la Alberca – Portal de Turismo de la Junta de Castilla y León (turismocastillayleon.com):カスティーリャ・イ・レオン州のオフィシャルサイト。日本語はありませんが、英語はあります。

Mancomunidad de la Sierra de Francia(サラマンカ)の観光ポータル (turismosierradefrancia.es) :シエラ・デ・フランシア(Sierra de Francia)地方全体を紹介したウエブサイト。日本語版もあります。

レイナ・シエラ・デ・フランシア(Reina Sierra de Francia) Reina Sierra de Francia – ホーム | Facebook:このブログで紹介した蜂蜜のお店。教会の前にあります。

住所:ラ・イグレシア通り32番地 アルベルカ サラマンカ県(C/La Iglesia, 32 La Alberca)   TEL:(34)675 394 593 / (34) 639 180 852  E-mail:reinasierradefrancia@hotmail.com

スペイン クリスマスのお菓子たち

もうすぐクリスマスです! スペインの人たちにとってとても大切な時期がやってきました。残念ながら今年はコロナウイルスの影響で、例年のようなクリスマスは過ごせませんが、クリスマスを彩るお菓子たちは皆楽しみの一つです。今回は、スペインのクリスマスのお菓子たちを紹介します。

スペインに来るまでは、世界中どこでもクリスマスケーキを食べるものだと思ってました。ところが、ここスペインに来たら、「クリスマスケーキ?」「なにそれ?」「クリスマスにはトゥロンだよ」というから驚きました。素直にカルチャーショックでしたね。まあ、私が初めてスペインのクリスマスを体験したのは、遥か30年近く前のことなので、今のようにインターネットでいろんな国のことを調べたり、外国製品のネット購入などもできない時代だったので、私のようにスペインに来て初めてスペインのクリスマスのお菓子を知ったという人がほどんどでした。

我が家では、クリスマスツリーのサンタさんの靴下の中にクリスマスのお菓子を入れて各々食べています。
何が入っているかはお楽しみです! /(写真:筆者撮影)

日本では、クリスマスの日やイブの夜にクリスマスケーキを買ってきて食べるのが一般的ですが、スペインでは、クリスマス期間中ずっと食べ続けるのがクリスマスのお菓子です。つまり、12月24日のイブの夜ご飯のデザートに始まり、年が明けて1月6日の「三賢王の日」まで、約2週間にわたり食事の後に出てきます。気の早い人たちは、12月8日の無原罪の御宿りの祝日から食べ始めるとか。2週間以上、どうかすると1か月も食べ続けて食べ飽きないのかしら?という疑問が湧くかもしれませんが、このクリスマスのお菓子は種類が幾つかあり、この間にいろんなクリスマスのお菓子を食べているのがスペイン風です。

トゥロン(Turrón)

まず、何といってもクリスマスのお菓子の代表格はトゥロン(Turrón)です。様々なトゥロンがありますが、スーパーなどでも手に入る代表的なものは、柔らかいトゥロン・デ・ヒホナ(Turrón de Jijona)と固いトゥロン・デ・アリカンテ (Turron de Alicante)があります。また、その他にも、街のお菓子屋さんが作るお店独特のトゥロンもいろいろあります。お菓子屋さんのお手製のトゥロンは、チョコレート味、コーヒー味、オレンジ味等様々で、飾りつけもきれいです。切り売りしてくれます。

今年は、サラマンカの村ラ・アルベルカのハンド・メイドのトゥロン(Turrón)にしました。/(写真:筆者撮影)

街のお菓子屋さんのショーケース。真ん中に二つのトゥロンがあります。/(写真:筆者撮影)

ポルボロン(Polvorón)& マンテカート (Mantecado)

次に一般的なクリスマスのお菓子といえば、ポルボロン(Polvorón)でしょう。ポルボロンは、一つ一つ紙に包んであります。このポルボロン、食べ方を知らないで包み紙から出してそのまま食べると、ポロポロと形が崩れて食べずらいです。というのも、包み紙から出す前に、手でしっかり握り固めてから口に入れなければなりません。そうするとポルボロンを一口噛んだ時、ポロポロ、ボロボロになることはないわけです。

ポルボロンは、スペイン南部アンダルシア地方のセビージャ県、エステパという所の物が有名です。16世紀の文献に既にポルボロンの名前が出てくるとのことで、かなり伝統的なお菓子ですね。

我が家での一番人気がこのポルボロンで、毎年色んなポルボロンを買って食べ比べてみましたが、数年前からバスク地方の「フェリッペ・セグンド(Felipe II)」を気に入って買っています。厳密には、ポルボロンという名前ではなくマンテカード(Mantecado)という名前のお菓子で売ってありますが、皆、ポルボロンと呼んでいます。元々、ポルボロンはマンテカートの一種なので、間違いではないのでしょうが、お菓子自体にはマンテカートの名前がついています。

この「フェリッペ・セグンド(Felipe II)」は、ブルッセルに本部がある国際味覚審査機構(I.T.Q.I)から8年連続で(2013年から2020年)、「食品のミッシェラン・ガイド」と呼ばれる「優秀味覚賞」を受賞しているという輝かしい功績を持つお菓子です。また、その他の様々な賞を受賞していて、「受賞数が一番多いマンテカート」としても知られています。

九州出身の私は、福岡名物「ひよこ」のあんこを思い出します。味はもちろんちょっと違いますが・・・。是非、食べ比べてみてください!

「フェリッペ・セグンド(Felipe II)」 一つ一つハンドメイドで、番号までついています! /(写真:筆者撮影)

マサパン(Mazapan)& パン・デ・カディス(Pan de Cádiz)& ピニョナーダ(Piñonada)

クリスマスのお菓子の多くは、アーモンドが入っていますが、スペインのマサパン(Mazapan)ことマジパンもその一つです。そのマジパンの仲間にパン・デ・カディス(Pan de Cádiz)やピニョナーダ(Piñonada)があります。パン・デ・カディスの方はしっとりとした感じですが、ピニョナーダのほうはちょっと堅めです。ピニョン(Piñon)というのはスペイン語で松の実のことですが、マジパンに松の実が一杯!のお菓子です。個人的にはピニョナーダが好きです。

パン・デ・カディス(Pan de Cádiz)は羊羹のように切って食べます。/(写真:筆者撮影)

松の実一杯のピニョナーダ(Piñonada)/(写真:筆者撮影)

ロスコン・デ・レージェス (Roscón de Reyes)

ロスコン・デ・レージェス(Roscón de Reyes)は、1月6日のみに食べるクリスマス最後のお菓子です。ケーキに近い感じですね。1月6日は、スペインでは「東方の三賢王の日」つまりカトリックの「公現祭」に当たる日で祭日です。この日は、幼子イエスの誕生をしり贈り物を持って拝みに来たと言われる「東方の三賢王」の日に当たり、この日をもってスペインの長いクリスマスが終わります。この日は、三人の王様達がみんなにクリスマスプレゼントを持ってきてくれる日にも当たり、スペインの家庭、特に小さい子供がいる家庭では、プレゼントが来たかどうかを知りたくてワクワクしながら朝早くから目を覚まし、プレゼントを楽しみにしている待ちに待った一日なのです。そして、夕方家族みんなや友人たちもよんで、このロスコン・デ・レージェス(Roscón de Reyes)と飲むチョコレートを食べながらワイワイおしゃべりに花が咲きます。このロスコン・デ・レージェス(Roscón de Reyes)は、生クリームやカスタードクリームが入っている物もありますが、基本的にはちょっとパサッとした感じで、砂糖漬けの果物が入っている菓子パンのようなものです。ちょっとしっとり感が足りないので、これを飲むチョコレートに付けながら食べると丁度良い感じですね!

面白いことは、ロスコン・デ・レージェス(Roscón de Reyes)の中には必ず人形や乾燥豆(乾燥ソラマメやひよこ豆など)が隠されています。切り分けられたとき、人形が当たった人はその年は良い年だとか。でも乾燥豆が当たった人は、次の年のロスコン・デ・レージェス(Roscón de Reyes)を買ってきて皆にごちそうしなければならない、といわれています。いかにも集まってワイワイすることが好きなスペイン人の都合の良い来年の約束って感じですよね! 「わー、私が当たっちゃった! じゃ、来年はロスコン・デ・レージェス持ってくるから、またみんなで集まろうね!」というわけです。

(写真:Wikipedia Public Domain)

お土産にお薦めのクリスマスのお菓子

もし、11月の半ばくらいからスペインにいらっしゃる機会がある方には、是非スペインの色々なクリスマス限定のお菓子をお土産にされることをお薦めします!この時期には、ここで紹介したお菓子以外にも色んな種類のお菓子が季節限定で出てきます。

普通のスーパーによく売られている「トルタ・インペリアル(Torta Imperial)」は、普通のトゥロンに比べると軽く、甘すぎないので日本人の口にも合うアーモンド菓子です。日本の私の家族も大好きなお菓子です。

トルタ・インペリアル(Torta Imperial)/(写真:筆者撮影)

この時期、スーパーに行くと、パッケージが昔懐かしいお菓子も出てきます。この「ラ・エステペーニャ(La Estepeña)」はポルボロンで有名なエステパの会社で、ポルボロンの他にも色んなお菓子があります。

レトロなパッケージ「ラ・エステペーニャ(La Estepeña)」のお菓子 /(写真:筆者撮影)

チョコレートのトゥロンならこれ!「スチャー(Suchard)」なら色んな種類のチョコレートのトゥロンの品揃えが豊富です。子供から大人まで楽しめます!

私のお薦めはこれ!ビターチョコにオレンジが入っています。/(写真:筆者撮影)
こちらはクラッシック。ミルクチョコレートです。/(写真:筆者撮影)

そして、数々の賞に輝くマンテカード「フィリッペ・セグンド(Felipe II)」はやっぱり一度は食べたいクリスマスのお菓子です。ただ、大量生産していないので普通のスーパーなどでは買えず、手に入りずらいかもしれません。興味のある方はウエブサイトをご覧ください。

一押しのフィリッペ・セグンド(Felipe II) /(写真:筆者撮影)

フェリッペ・セグンドの公式サイト:PÁGINA OFICIAL del obrador de Mantecados Felipe Segundo – los polvorones más premiados del mundo (reyfelipe.com)

様々な種類があるスペインのクリスマスのお菓子、スーパーや街のお菓子屋さんなどを見て歩くだけでも楽しくなりますよ。

今年は、残念ながらコロナウイルスのせいで日本からスペインに訪れる機会もないかもしれませんが、来年のクリスマス時期にはコロナウイルスが終息していることを願っています。その時は、是非クリスマスのお菓子を楽しんでくださいね!

スペインのワイナリー見学(1)-テーラス・ガウダ(Terras Gauda)

スペインを訪れる楽しみの一つは、何といってもその食事とワイン!きちんとしたレストランに行かなくても、街のちょっとしたバルでおいしいおつまみ(タパス)と豊富なワインが気軽に楽しめます。今回は、スペインの白ワインでは絶大な人気を誇るガリシア地方にある「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」というワイナリー見学を報告します。

「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)グループ」の紹介

リアス・バイシャスと呼ばれるスペイン、ガリシア州の南、ポルトガルとの国境近くのオ・ロサルという所にこのワイナリーはあります。ローマ、エルサレムと並びキリスト教の三大巡礼地に数えられるサンティアゴ・デ・コンポステーラからは、車で約1時間半。大西洋からは8Km程離れたところに位置し、年間平均温度は15℃。ここは、ガリシア州の中では比較的天気に恵まれており、ぶどうの糖度を高めた状態で成熟させることができる理想的な土地です。

1990年、今からちょうど30年前に最初のワインを造り始めました。最初の年のヴィンテージは3万7千本だったのが、今では150万本を生産し、日本も含め世界45か国に輸出するほどの会社に成長しています。スペイン国内でも絶大な人気があり、今年3月から5月にかけてコロナウイルスによるロックダウンになっていたスペインで、インターネットを通して最もヒットしたワインのベスト10に唯一白ワインで入っていたのがこの「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)グループ」のワイン、テーラス・ガウダ(Terras Gauda)です。

1992年バルセロナ五輪のマスコット「コビー」の生みの親ハビエル・マリスカル氏の絵      
「テーラス・ガウダの友達たちへ愛情をこめて」という献辞が見える(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)

魚介類が豊富で、食べ物がおいしいガリシア州。このワイナリーの白ワインも魚介類との相性抜群!ワインだけでもおいしいですが、食事を引き立ててくれる陰の立役者とでも言えるのがこの「Terras Gauda(テーラス・ガウダ)グループ」のワインです。

今回は、グループ発祥の白ワインのワイナリー「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」について紹介していきます。

ユニークなブドウ畑とブドウの種類

2020年9月18日、午前11時にワイナリー見学が始まりました。1週間程前に予約の電話を入れると、「丁度ブドウの収穫真っ盛りなので、普段見れない光景も見学できますね!」と言われ楽しみにしていました。ただ、雨が降るという天気予報だったのでちょっと心配しましたが、最終的には雨も降らず気持ちの良い一日でした。

予定の時刻にワイナリーまで行くと、エノツーリズム(ワインツーリズム)担当のベゴーニャが迎えてくれました。彼女がバンでブドウ畑まで連れて行ってくれます。バンに乗り込むと、まず、名前の由来の説明がありました。「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」の「Gauda(ガウダ)」の意味には、二通りの説があるとのことで、一つ目は、守り人に対して与えたゴード人のことだという説と、二つ目は、ラテン語の意味である「Tierra de Alegría」、「歓喜の土地」という意味。この辺りは肥沃な土地で、今でも果物、野菜、花や鑑賞用の植物の栽培が盛んなところだそうです。作物に恵まれた「喜びの土地」、素敵な名前ですね。

車でしばらく行くと、両側にブドウ畑が広がってきました。早速、車を降りてベゴーニャの説明がありました。「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」では、垣根仕立て(スペイン語では”Espaldera”といいます)によるブドウの栽培が行われています。垣根仕立てによるメリットは、垂直に伸びていくので雨が降っても水はけがよく菌が発生しにくいということと、棚仕立て(”Parra”)のように陰を作らないので、全てのブドウの実に太陽の光が行き届いて実が完熟し、ムラのないブドウの実を収穫することができ、ワインを造る段階で高品質かつムラのない品質を保つことができること。デメリットとしては、棚仕立てに比べると、収穫量が40%ほど少ないということ。「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」では、プレミアムワインやウルトラプレミアムワインを主に生産することを目的としているため、この垣根仕立てによる高品質を追求したブドウの栽培が採用されている訳です。

垣根仕立て(”Espaldera”)のブドウ畑(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)

更に、車で移動しながらベゴーニャが「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」で栽培されているブドウの種類についても説明してくれました。ここでは、アルバリーニョ種(Albariño)、ロウレイラ種(Loureira)、カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)の3種類のブドウが栽培されています。原産地がここガリシア州で、ガリシア州白ワインの代名詞ともいえるアルバリーニョ種(Albariño)が一番多く栽培されていますが、「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」が特に力を入れて栽培数を増やしているのが、カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)。この品種は病気にかかりやすくデリケートな株で、アルバリーニョ種(Albariño)に比べても収穫量が少ないことを理由に、今から約20年前までは殆んどワイン用のブドウとしては使われていない廃れたブドウの種類だったとか。今では、「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」は、97%がこのカイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)である「La Mar(ラ・マール)」というワインを造っていて、カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)を主にしたワインはスペインでも唯一だそうです。ブドウを植えてから4~5年間は収穫せず、その後やっと収穫が始まりワインが造られるそうで、1株のブドウの木は、30~32年程を過ぎると新しいブドウの木に植え替えるという作業が続けられています。車からも2~3年前に植えたばかりというまだまだひ弱いブドウの木が見えました。

左側に見えるブドウの木はまだ植えて2~3年(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)
2021年8月に再度訪問した際、ブドウ園での試飲が楽しめる場所が新しく設置されていました!(写真:筆者撮影)

公務員からワイナリーのオーナーに

「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」は、会社名でもあり、会社を代表するワインの名前でもあります。この会社を約30年前に設立したホセ・マリア・フォンセカ氏は、もともとは日本でいう職業訓練校などで様々な講習などを企画するような仕事をされていた公務員だったそうです。仕事柄、地元の農家や企業等とも交流があり、ご本人がワイン好きということもあり、友人を募ってワイナリーを作ることにしたという、異色の人物。スペインでは、今も昔も安定している職業の一つである公務員は人気があり、公務員試験にパスするのもかなりの競争率をくぐり抜けなければならず、その公務員の仕事を捨てて未知の世界に飛び込むという勇気ある行動、そして現在、スペインの中で有名なワイナリーとして成功を修めているその経営力、自分達が求めるワインを追求し、質の高いワインを作り出しているその感性と情熱に、強い感銘を受け魅かれました。現在も、オーナーとして様々な企画を提案し、ご活躍中です。今回のワイナリー見学ではお会いする機会に恵まれませんでしたが、お父様の意思を受け継いでセールス部門で活躍されている息子さんのアントン・フォンセカ氏とはお話する機会がありました。アントン氏もワイン好き、料理好きで、和食も大好きだとか。今では、日本でも「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」のワインが販売されているので是非試してみてくださいね!

粒の揃ったブドウの実(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)

ブドウの収穫真っ盛り

さて、3種類のブドウを栽培するブドウ畑を見て回り、丁度、今年のブドウ収穫真っ盛りということもあり、ブドウの収穫をしている様子も見せていただきました。地元の学生や失業中の方なども含め200人の人たちが、会社が所有する160ヘクタールのブドウ畑のブドウ収穫に勤しんでいました。山を切り開いて作られているぶどう畑は急勾配(20%)で、収穫作業はかなりの重労働です。その斜面に広がるブドウを一つ一つ丁寧に手作業にて箱に入れる姿は印象的でした。箱には、ブドウを8㎏までしか入れず、ブドウの実が重みでつぶれないよう細心の注意をもって摘み取られていました。今年は、暑い日が多かったせいか、例年より早く熟しているので、私が訪れた9月18日は最終日だったようです。例年ならば、10月の頭まで終わらない収穫らしいので、かなり早い収穫です。オーナーの娘さんカルメンさんが、「今週は、天気予報では強風を伴う雨だったので心配していたけれど、何とかお天気にも恵まれ無事に全部を収穫できそうだ。雨に打たれず品質の良いワインが造れそうだ。」と、ほっとした表情で話してくれました。今年のワインが出来上がるのが楽しみです!クリスマスシーズンには、今年のワインがリリースされるので、今年は「テーラス・ガウダ(Terras Gauda )」の白ワインでクリスマス・ディナーを楽しめますね!

ブドウの房一つ一つを丁寧に収穫していく(写真:筆者撮影)

固有種カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)の復活と新しいワイン作りへの挑戦-研究開発(I+D)-

その後、再びバンに乗って出発地点まで戻りました。その間にも、ベゴーニャが説明をしてくれます。その中で特に印象深かったのが、カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)の話でした。前述したように、このカイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)はデリケートで収穫量が少ないという理由で、この地方固有のブドウでありながらも忘れられていた種類のブドウでした。ワイナリー設立者であるホセ・マリア・フォンセカ氏は、それぞれのその土地が持つ特異な気質を柱として育っていく固有種の復活、その固有種から作り出されるその土地のワイン、それも質の高いワイン造りを目標に掲げ、今から訳20年前から自社の畑にカイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)を栽培し続けています。

政府機関であるCSIC(Consejo Superior de Investigaciones Científicas「科学研究高等評議会」)と共同にて、I+D(Investigación y Desarrollo「研究開発」)の企画の一つとして研究を始めました。そして、長い研究開発の末、前述した「La Mar」というカイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)のワインを造りだしたのです。今では、「La Mar」は「Terras Gauda 」と並ぶ代表ワインとなっています。このI+D(Investigación y Desarrollo「研究開発」)は現在も様々な企画で行われており、ブドウの木の肥料について、ブドウ畑の土壌について等を、アルゼンチンのワイナリーと共同研究中とのことです。

ワイナリーの中を見学して驚くことは、34のタンクの説明です。これは、ガリシア地方固有のブドウそのものの素晴らしさを追求していくことを会社理念としていたホセ・マリア・フォンセカ氏の情熱が形となっているものです。ワイン造りを始めようと決心したホセ・マリア・フォンセカ氏は、まず研究のために試験場を作り、全ガリシア地方のから115のアルバリーニョ種(Albariño)の株を集め、その中から厳選して34株に絞り、それぞれの成長や品質に合わせてワインを造ってみました。その34株から造られたワインがこのタンクに入っているとのことです。現在ではこのワインのモデルは、I+D(Investigación y Desarrollo「研究開発」)に使用されているそうです。そして、最終的には、「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」の土壌に適した、「Terras Gauda (テーラス・ガウダ)」が求めるワインに理想的な5つの株を選び抜き、実際に栽培始めたとのことです。

研究用にガリシア地方全土から集められたブドウの木34株から造られたワインのタンク(写真:筆者撮影)

地道な努力、科学に裏打ちされた研究、そして決して消えることの無いワイン造り情熱がこのワイナリーのワインに凝縮されています。

収穫されてきたブドウは除梗破砕機(実と茎を分ける機械)へ。ワイナリー内ではブドウの香りが広がっています。(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)

試飲

いよいよ楽しみにしていた試飲です!ワイナリーの工場から出て、お店の横にテイスティング・スペースが設けられていました。

スペイン美人ベゴーニャ(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)

まずは、アルバリーニョ種(Albariño)100%のアバディア・デ・サン・カンピオ(Abadía de San Campio)。口に含むとフルーティで爽やかな甘みが広がってきました。次は、「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)」の顔とでもいうべきテーラス・ガウダ(Terras Gauda)。アルバリーニョ種(Albariño)70%、カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)22%、ロウレイラ種(Loureira)8%のこのワインは、アバディア・デ・サン・カンピオに比べると濃厚で複雑な味。柑橘系の香りがして、しっかりとした味わいがあります。次は、黒ラベルテーラス・ガウダ(Terras Gauda Etiqueta Negra)。テーラス・ガウダをフランス産オークの樽に5ヶ月寝かしている熟成ワインで、普通のテーラス・ガウダに比べると、こくがあります。一般的に白ワインは次の年の白ワインが出るまでに飲んでしまう方が良いと言われていますが、この黒ラベルテーラス・ガウダは15年位までなら寝かして飲んでも味に深みが加わり美味しく飲めるとのことでした。そして、最後にカイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)97%と残りの3%は、ロウレイラ種(Loureira)とアルバリーニョ種(Albariño)で造られているラ・マール(La Mar)。こちらのワインは、全く口当たりの異なるワインです。果物の柿やリーチを彷彿させる香りと、成熟感やコクも兼ね備えたこのワインは、1年程寝かせた後にリリースするとのこと。研究と情熱をもって造り上げた新しいテーラス・ガウダの代表ワインへと成長しています。

黒ラベル テーラス・ガウダ(Terras Gauda Etiqueta Negra) が寝かされているオーク樽(写真:筆者撮影)

試飲は、まずはワインのみでそれぞれを味わい、ベゴーニャとアントンの説明があり、その後、チーズとドライフルーツのおつまみが出てきて、おつまみを食べた後に再びワインを飲んでみました。不思議なことには、ワインのみで飲んだ時と、おつまみを食べた後に飲んだ時では、微妙に感じる味が変わったことです。個人的には、最初にワインのみを飲み比べたときは、テーラス・ガウダが一番気に入ったのですが、チーズと一緒に飲み始めると、ラ・マールもチーズとよく合い、甲乙付け難くなってしまいました。

白ワインだけではなく、個性的な新しいワインを求めて

最後に、ご子息のアントン・フォンセカ氏に今後の会社の抱負をお聞きしました。「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)グループ」として、白ワインだけではなく、スペイン中にある新しいブドウの原産地を開拓していき、高品質で個性的なワインを造っていくことだそうです。実際、ビエルソ地方のメンシア種(mencía)100%のピタクン・アウレア(Pittacum Aurea)という赤ワインや、有機栽培・自然栽培の一種であるバイオダイナミック農法によるブドウ栽培と持続可能な環境のパイオニアであるキンタ・サルドニア(Quinta Sardonia)というワイナリーや、スペインの赤ワインを代表するリオハ地方の赤ワインのエラクリオ・アルファロ(Heraclio Alfaro)という赤ワインも、この「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)グループ」が手掛けています。多様性とそれぞれの土地が持つ特異な気質を柱として、経験と知識を共有かつ利用しながら、個性的で高品質なワインを追求していく、それが、「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)グループ」の設立から変わらぬワイン造りに対する姿勢です。

笑顔が素敵なアントン・フォンセカ氏(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)

おすすめ!ワイナリー見学

ブドウ畑から収穫、ワイナリー内の見学、そしてそれぞれのワインの飲み比べなど、本当に楽しく充実したひと時を過ごせました。何気なく飲んでいたワインも、造り手の思いや情熱、そして研究・開発などを知ったうえでもう一度飲んでみると、そのワインに対する愛着がグッと湧き、一緒に飲むお友達にもそのワインの物語を話すことによって会話が盛り上がります。スペインにいらっしゃる際は、是非、ワイナリー見学をお薦めします!

また、テイスティング・スペースの隣にはお店もあり、お土産用のワインを購入できますよ。 「テーラス・ガウダ(Terras Gauda )グループ」では、ワインだけではなく、ハーブの蒸留酒やこの地方でとれる野菜や果物の保存食品(缶詰や瓶詰)も販売しています。日本への美味しいお土産がここで見つかるかもしれませんね

ここ「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)」では、幾つかのコースがありますが、おすすめのコースは、「Terras Gauda para 2(二人のためのテーラス・ガウダ)」です。このコースには、アルバリーニョ種(Albariño)100%のアバディア・デ・サン・カンピオ(Aabadía de San Campio)、テーラス・ガウダ(Terras Gauda)、カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)97%のラ・マール(La Mar)の3種類のワインを試飲できます。カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)の白ワインはここのワイナリーでしか造っていないので、カイーニョ・ブランコ種(Caiño Blanco)とアルバリーニョ種(Albariño)の味の違いを是非とも味わってほしいものです。

もしお子様連れの家族でワイナリー見学をされる方の場合は、お薦めコースは、「Plan familiar(ファミリー・プラン)」です。年齢別に2つのワークショップが用意されています。10歳までの子供たちには、創造的なワイン・ワールドを体験するワークショップ、11歳以上のの子供たちには、ストップ・モーション技法を使いワイナリーで見学したことをストーリーとして作成するワークショップがあります。きっと子供たちにとってもスペインのワイナリー見学は、忘れがたい旅の思い出になること間違いなしです。

大人も子供も楽しめる「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)」のワイナリー見学。是非スペイン旅行のコースに入れてみてはいかがでしょうか。

Terras Gauda (テーラス・ガウダ)が造っているワイン。左からアバディア・デ・サン・カンピオ、テーラス・ガウダ、黒ラベルテーラス・ガウダ、ラ・マール。(写真:アルベルト・F・メダルデ撮影)

参考

・「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)グループ」の公式サイト。個人でワイナリー見学を予約される方はこちらからどうぞ。:https://www.terrasgauda.com/ 

・残念ながら「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)」のワイナリーは紹介されていませんが、ガリシア州リアス・バイシャスのワイナリー見学ルートが紹介されています。スペイン観光公式サイト:https://www.spain.info/ja/waingaku/wain-ruto-riasu-baishasu/

・日本人向けにワイナリーツアーを企画している会社(スペインワインのプロフェッショナルである、バルセロナのOFFICE SATAKEと、バリャドリッドのBUDO YAを中心にスペイン各地のプロフェッショナルが、ワイナリーを本格的に案内)。「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)」も訪問可能ですよ!:http://enoturismo.jp/?page_id=703

・ガリシア州公式観光サイト。ガリシア州の素晴らしい魅力を発見できるサイト。日本語版があるのも嬉しいですね!:https://www.turismo.gal/homu/kanko-hissu-supotto?langId=ja_JP

マドリード観光-カルロス3世なしにはマドリードは語れない!

スペインの首都マドリッド。欧州の首都にふさわしく堂々たる建物や大きな通りがあり、ぶらぶら散歩するだけでも楽しい街。美術館あり、噴水あり、並木道あり、カフェテリアあり、エンブレム的な建物ありと、マドリッドの街の風景はとても魅力的です。18世紀のスペイン王カルロス3世は、「マドリッド最良の市長」(El mejor alcalde de Madrid)と言われています。それは、現在のマドリッドの街の風景を彼がつくったからです。

1750年 アルカラ通りから見たマドリード / Wikipedia Public Domain

カルロス3世、ナポリからマドリードへ

カルロス3世は、1716年1月20日スペイン国王フェリッペ5世の三男としてマドリードで生まれました。その後しばらくスペイン南部の街セビリアに暮らしていた時期もありましたが、15歳の時スペインを去ってナポリ王となり、その後シチリア王として24年間シチリアを統治していました。三男という立場から、スペイン国王としては生まれなかったカルロス3世は、シチリア王としてイタリアに生涯暮らすつもりでいたようです。

ところが、子がないまま二人の兄達が死に、思いがけずスペイン国王になることに。本人は、スペイン国王になる気はさらさらなかったようで、病床に付す兄の回復を毎日祈っていたとか。そんなカルロス3世の祈りも神には届かず、1759年12月9日にスペイン国王としてマドリードに戻ることになります。

カルロス3世、マドリードの街を見て嘆く

カルロス3世はマドリードに着いたとき、マドリードの街のあまりの汚さ、不衛生で美しさのない街並みを見て嘆いたと言われています。

その頃のマドリードの街には下水の処理システムなどなく、マドリード市民は各家庭で出る汚水(尿から便に至るまで)をバケツに溜め、家の窓から汚物を投げ捨てる(!!!)習慣がありました。今では考えられないことですが、頭の上から汚物が降ってきたり、歩く道には汚物が悪臭を伴いそこかしこにまかれていて、のんびり通りを歩くこともできないような状況でした。汚物を窓から捨てるときは、「水がいくよ!」「あぶないよ!」という意味で 「¡Agua Va! (アグア・バ!)」と注意を促していたとか。この習慣から、「予告なしに突然」「出し抜けに」などという意味で使われる「Sin decir agua va 」という表現も生まれました。

また、家畜なども我が物顔に通りを歩いていたらしく、彼らもまた所構わず用を足していたので、その当時イタリアからきた旅人たちによる、「なんて臭くて汚い街だ!」という文書が残されているくらいです。

マドリードの街のあまりの悲惨な状態を嘆いたカルロス3世は、マドリードをヨーロッパの首都にふさわしい美しく近代的かつ衛生的な街に整備するため様々な法律や建築計画等を打ち出していきます。

カルロス3世、マドリード大改造

フランチェスコ・サバティーニ / Wikipedia Public Domain

早速、シシリアからフランチェスコ・サバティーニという建築家を呼び寄せ、下水道網の敷設に取り掛かります。また、新しく敷石を敷き、通りの清掃についての計画を次々に実行していきます。その内容は、馬車道には敷石を敷き、歩道を舗装し、家庭から出る汚水は腐敗槽や汚水溜めに誘導し、ごみ収集を行うという画期的な内容でした。これによって、窓から汚水を投げ捨てることも禁じられ、マドリードの街から「アグア・バ!(¡Agua va!)」の声が聞こえなくなりました。ちなみに、この腐敗槽や汚水溜めの汚物は、夜のうちに街の外に運ばれていました。

数年後には、マドリード市民に、自分の家の前の道を朝一番に清掃することや5月から10月までは打ち水をすることを義務付ける命令まで出すという徹底したものでした。また、街の中を勝手に歩き回っていた家畜たちも取り締まりの対象になりました。

その他、カルロス3世は、マドリードの夜の街に街灯をともしました。その数4000本以上あったというから驚きです。また、通りを広くし、広場や噴水などを作り、マドリードの市民が気持ち良く散歩できる環境を作っていきました。通りの代表的なものには、プラド通り (Paseo del Prado)デリシアス通り (Paseo de Delicias)カステジャーナ通り (Paseo de la Castellana) があります。さらに、墓地を街の外れに作ったり、通りや広場に木や植物を大量に植えたりしました。

18世紀のヨーロッパは、聖書や神学など今までの権威から離れて、理性による知によって世界を把握しようとする啓蒙思想が主流となっていた啓蒙時代でした。この啓蒙思想の波はスペインにも押し寄せていて、カルロス3世もこれに従い、歴史学院(Academia de Historia)、言語学院(Academia de Lengua)、法学院(Academia de la Jurispurdencia)、芸術学院(Academia de Bellas Artes)等を次々に開設します。

マドリードにあるカルロス3世ゆかりの建物や通り

カルロス3世が造ったプラド通り (Paseo del Prado) は、マドリードを訪れたら絶対に外せない観光ルートの一つです。この通りは幅広く、並木道で、夏の日差しが強いマドリードでも気持ちよく散歩できる絶好の通りです。そして、マドリード観光お目当てのプラド美術館やティッセン・ボルネミッサ美術館もこのプラド通りにあります

プラド通り (Paseo del Prado) / 筆者撮影

このプラド通りには、カルロス3世が手掛けた建物があります。まず代表的なものは、プラド美術館 (Museo del Prado) です。本来は、自然科学博物館としてカルロス3世が建築家フアン・デ・ビジャヌエバに造らせたものです。そのため、同時に自然科学博物館の隣にマドリード王立植物園 (Real Jardín Botánico) も造らせました。

更に、このプラド通りが始まる場所にシベーレスの噴水 (Fuente de Cibeles) があり、通りを歩いていく途中にアポロの噴水 (Fuente de Apolo) または四季の噴水 (Fuente de las Cuatro Estaciones) があります。ちなみに、シベーレスの噴水があるシベーレス広場は、スペインサッカーチームのレアル・マドリードが勝利した際にパレードが行われる場所で有名です。スペインサッカーファンには見逃せない場所でしょう。さらに歩いていくとホテルリッツ前にネプチューンの噴水 (Fuente de Nepturno) があります。これらの噴水もカルロス3世が造らせたものです。カルロス3世がマドリードの街を美しく、魅力的で、マドリード市民だけではなくマドリード以外から訪れる人たちをも魅了する街にしようという心意気が伝わってくるのが、このプラド通りといえるでしょう。

Archivo:Cibeles con Palacio de Linares closeup.jpg
シベーレスの噴水 (Fuente de Cibeles) / Wikipedia Public Domain

また、マドリードの代名詞ともいえるソル広場 (Puerta del Sol) にもカルロス3世が造ったエンブレム的建物があります。それは、ソル広場の中では最も古い建物で時計台がある王立郵便局 (Real Casa de Correos) です。毎年、大晦日の夜、多くの市民がこの時計台の前に集まります。というのも、年が替わる12時の鐘の音に合わせて、ブドウを12個食べるためです。もし、鐘の音が終わるまでに12個のブドウを食べてしまったら、新年は良い年になるといわれています。もし大晦日の日にマドリードに滞在する機会があれば、あなたも是非12個のブドウ持参で王立郵便局前でスペイン式に新年をお祝いしてみてはいかがでしょうか。きっと忘れられない一生の楽しい思い出になること間違いなしです!

王立郵便局 (Real Casa de Correos) / 大晦日の夜には、12個のブドウ持参の人たちで賑わう / 筆者撮影

その他にカルロス3世の建造物としては、アルカラの門 (Puerta de Alcalá)サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂 (La iglesia de San Antonio de la Florida)カバジェロ・デ・グラシア王立礼拝堂 (Real Oratorio de Caballero de Gracia) などが挙げられます。サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂 は、通称ゴヤのパンテオン (Panteón de Goya) と呼ばれ、スペインの偉大なる宮廷画家ゴヤはこの教会に眠っています。この教会にある天井のフレスコ画「聖アントニオの奇跡」はほかでもないゴヤの作品で、一見の価値がありお薦めです。

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂 (La iglesia de San Antonio de la Florida) / ゴヤが描いた天井のフレスコ画「聖アントニオの奇跡」/ Wikipedia Public Domain

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂についてはこちらもどうぞ。

マドリード市民の反応

さて、1760年から精力的にマドリードの改造を推し進めてきたカルロス3世ですが、改造当初はマドリード市民にはあまり受けが良くなかったとのこと。自宅前の道の清掃や打ち水の義務まで課せられた市民は、しぶしぶ実行していたのでしょう。そのことを側近が報告すると、カルロス3世は「わが市民は、体を洗うと泣く子供のようだな。( Mis vasallos son como los niños: lloran cuando se les lava.)」と答えたといいます。言い得て妙とはこのことですね。

この時代、カフェテリアや劇場が現れ、闘牛、ダンス、コンサート等、マドリード庶民の新しい楽しみや習慣が生まれていきましたが、それも皆カルロス3世のお陰です。マドリード市民は、プラド通りなどを散歩し、カフェテリアに入ってその頃人気だった飲むチョコレートとスポンジケーキ(bizcocho)を楽しんだのです。日本の庶民が楽しんだ江戸文化に近いものがあったかもしれません。

そしてついには、1797年にマドリードにやってきたフランス外交官に、「ヨーロッパの中で最も清潔な街の一つだ」と言わしめるほど、カルロス3世が改造したマドリードは、衛生的かつ近代的な街へと変貌を遂げ、21世紀の現在でも魅力的な街となりました

カルロス3世に会いに行こう!

プエルタ・デル・ソル広場 (Puerta del Sol) にある騎馬像は18世紀のスペイン王カルロス3世です。1994年、マドリードの都市改造、近代化を行った「マドリッド最良の市長」(El mejor alcalde de Madrid)」であるカルロス3世の偉業を讃えこの騎馬像が建てられました。カルロス3世は、スペイン国の王であり「市長」ではなかったのですが、、、。300年経った現在、カルロス3世はマドリード市民、ひいてはスペイン人から最も好意を持たれている王の一人です。

狩猟をこよなく愛していたというカルロス3世。別名「狩猟家 (El Cazador)」とも呼ばれています。馬にまたがる姿は一番彼らしい姿かもしれません。プラド美術館には、ゴヤが描いた「カルロス3世、狩猟家 (Carlos III, Cazador)」という作品があります。残念ながら馬上姿ではありませんが。

ゴヤ 「カルロス3世、狩猟家」/ プラド美術館

また、チョコレートが大好きだったようで、毎日同じカップに入れて飲んでいたとか。

カルロス3世が造ったプラド通りを散歩し、プラド美術館や様々な建造物、威厳のある噴水などを鑑賞したら、カフェテリアに入って彼の時代に流行っていた、そして今も多くのスペイン人が大好きな、飲むチョコレートとスポンジケーキ(bizcocho)を楽しんで18世紀のカルロス3世時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。300年以上経った今も、カルロス3世が望んだ美しく、近代的で魅力的なマドリードをあなたも実際に堪能してみてください。

マドリード 情報

・マドリードの観光ガイドはこちらにお任せ!

  -マドリード観光オフィシャルサイト(日本語)   https://www.esmadrid.com/ja

・上記サイトの中にお得なマドリードの美術館、博物館カード情報があります。ちなみに、「美術館通りカード (Abono Paseo del Arte)」は、人気のプラド美術館・ティッセン・ボルネミッサ美術館・ソフィア王妃美術館の3つの美術館が対象のお得なパス。30,40ユーロで通常よリ20%お得ですよ。「国立美術館・博物館年間カード (Tarjeta anual de Museos Estatales」は、かなりお得な36,06ユーロ。「国立考古学博物館 (Museo Arqueológico Nacional)」、「ソロージャ美術館 (Museo Sorolla)」等多くの美術館・博物館が含まれている欲張りなカードです。ただ、ティッセン・ボルネミッサ美術館は含まれていないのでご注意を!

  -マドリード観光オフィシャルサイト(日本語)/観光カード     https://www.esmadrid.com/ja/kanko-card

・マドリードの歴史に興味がある方は、是非「マドリード歴史博物館」へ!サーモンピンクの建物で、バロック様式のファサードも一見の価値ありです。

-マドリード歴史博物館 (Museo de Historia de Madrid) 住所:フエンカラル通り 78番 マドリード (C/ Fuencarral, 78 Madrid) 最寄りのメトロ:トリブナル (Tribunal 1号線 水色ライン、10号線 紺色ライン) 電話番号:91-701 18 63  Fax:91-701 16 86  開館時間:火~土 10:00~20:00 / 日・祝 10:00~20:00 *月曜日・1月1日・5月1日・12月25日は休館  入場料:無料

スペインの春を呼ぶ花アーモンド

パッと見は桜と見間違う

今年のスペインは記録的な暖冬で、ここサラマンカではしばらく20度近い気温が続いていました。その暖かな気候に誘われて、一気にアーモンドの花があちこちで咲き誇っています。

20年以上前に初めてここスペインにやってきて、サラマンカでスペイン語を勉強し始めたのも丁度2月の寒い時期でした。あの頃は、もっと寒くてかなり雪が降ったりして、もっと温暖なスペインの冬を想像していた私は、あまりの寒さに毎日震えていたのを思い出します。そして、3月に入りサラマンカからちょっと田舎に足を延ばしたら、なだらかな丘に桜の花が咲いているのが見え、「えー!サラマンカでも桜が咲くんだ!でもまだ3月の頭なのに、まだまだ寒いのに・・・?」と不思議に思い友人のスペイン人に尋ねると、「あれはアーモンドの花だよ。」と教えてくれました。「へー、アーモンドの花って桜の花そっくり!」と驚いたことを今も鮮明に覚えています。

アーモンドの花と桜の花の見分け方

アーモンドの花と桜の花がよく似ているのもそのはず。アーモンドは、バラ科さくら属の落葉樹です。桜とは従妹同士のようなもの。似ているはずです。我が家のお向いさんの庭にも立派なアーモンドの木があり、花を楽しんだ後はアーモンドの実も楽しめる、”花も団子も楽しめる”楽しみの多い木です。アーモンドの花は、桜と同じように花弁が5枚あり、花弁の先が少し割れています。色も白っぽいものからピンクのものまでありますが、我が家付近のアーモンドの花は、日本の桜の花より薄いピンク色のものが多いようです。本当に、パッと見ただけまたは遠目に見ただけではアーモンドと桜の花の違いを見分けるのは難しいでしょう。では、どうやって見分けたらよいのでしょうか。桜の花はご存知の通り、枝から花柄(かへい)が出てその先に花が咲きます。しかし、アーモンドには花柄がないか極端に短く、枝から直接花が咲いています。一般的に、アーモンドのほうが桜より1か月以上前に花が咲き始めるので、今の時期に桜そっくりの花をスペインで見かけたら、アーモンドの花に間違いないです。

花弁がなく直接枝に花が咲いている

アーモンド栽培

アーモンドの木がスペインで栽培されるようになったのは、なんと2000年以上も前から。東から交易などできた人-フェニキア人-によって、中央アジア原産のアーモンドがペルシャやメソポタミアを通って西の果てスペインまでもたらされたらしい。その後は、ローマ人がさらに広めていったとのこと。

2018年のデータでは、スペインは米国に次ぐ世界第2位のアーモンド生産国です。それだけに、もしこのアーモンドの花の時期にスペインを訪れる機会がある方は、きっと色んな所でこの桜によく似たアーモンドの花を見ることができますよ。

色々なアーモンド製品

お菓子に飲み物、肌のクリームなど、スペインでは色んなアーモンド製品を見ることができます。クリスマスの時期に必ずスペイン中の家庭で食べられるお菓子トゥロン(Turrón)。アーモンドの実から作るこのトゥロンは、アーモンドの実が丸ごとたっぷり入っているハードタイプと、アーモンドの実をすりつぶしてペースト状にし、油を加えて柔らかでかつチョット粘り気のあるソフトタイプの2種類があります。個人的には、ハードタイプのものが大好きですね。他には、やはりクリスマスによく食べられるマジパン(Mazapan)。巡礼の街サンティアゴ・デ・コンポステーラのお菓子タルタ・デ・サンティアゴ(Tarta de Santiago)は、アーモンドを粉状にしたアーモンド・プードルで作られていて、しっとりとした口触りが何とも言えず美味!是非、サンティアゴ・デ・コンポステーラに行く方は試食していただきたいお薦めのお菓子です。日持ちも良いので、お土産にも喜ばれますよ。

飲み物では、アーモンドのオルチャータ(Horchata de almendra)と呼ばれるアイスドリンクも夏場にはお薦め。また、アーモンドオイルもシャワー後に全身に塗ると保湿効果抜群、低刺激なので赤ちゃんに塗っている人も多いですね。日本ではあまり見られないかもしれませんが、アーモンドオイル入りのシャンプーなども多いです。アーモンドオイル物をお土産にするのもいいかもしれません。

チョコレートのトゥロン、丸ごとアーモンドが使われています

美術におけるアーモンド

キリスト教の国スペインを旅していると、度々Mandorla(マンドルラ)と呼ばれるアーモンド形の光輪を見ます。もともとイタリア語でアーモンドという意味だとか。ロマネスク様式やビザンチン様式の美術品によくみられ、特に復活したキリストを表現する際にこのマンドルラが使われています。また、聖母マリアや聖人にも使われています。下の写真でも、アーモンド形のマンドルラの中にキリストが座っています。このような彫刻、絵画はロマネスク様式が多く存在するスペイン北部ではよくみられるので、注意して見てくださいね。

モアルべス・デ・オヘダの聖ヨハネ教会(パレンシア県)

アーモンドのお花見

至る所にアーモンドの木があり、花真っ盛り(ラ・フラヘネーダ(La Frageneda)

ここサラマンカ県にあるラ・フラヘネーダ(La Frageneda)という村には村の人口の何倍ものアーモンドの木が栽培されています。ポルトガルとの国境をなすドゥエロ川とアゲダ川の合流点にあるこの村は、2月末から3月頭はアーモンドの花盛りです。アーモンドのお花見に行くにはもってこい。お弁当ならぬスペインのボカディージョ(フランスパンで作ったスペイン式サンドイッチ)を持って、是非ラ・フラヘネーダ(La Frageneda)までお花見をしにぶらぶら散策しませんか。きっと、お決まりの観光コースだけでは味わえない、ディープな旅が楽しめること間違いなしです!

かせいた―ドュルセ・デ・メンブリージョ(Dulce de Membrillo) スペインと日本の出会い

スペイン名ドュルセ・デ・メンブリージョ(Dulce de Membrillo)は、マルメロのジャムを煮詰めてかため羊羹のようにしたスペイン・ポルトガル特産の甘い保存食です。メンブリージョは、日本ではマルメロと呼ばれる果物です。渋みが強いので生で食することはできませんが、砂糖で煮て美味しいジャムまたはお菓子になります。実はこのお菓子、17世紀(1634年)に長崎に渡ってきました。そして、日本では「かせいた」と呼ばれるようになりました。なんでも、ポルトガル語の名前であるCaixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)から”カセイタ”という名前が生まれたと言われています。ちなみにCaixa da Marmeladaは、「マルメラーダの箱」という意味です。スペインのドュルセ・デ・メンブリージョ(Dulce de Membrillo)が日本の羊羹のように長方形の形をしていることを鑑みると、「箱型のマルメロ菓子」とでもいう意味だったのでしょう。

マルメロの果実。友人宅庭の収穫をお裾分けしていただきました。

この「かせいた」というお菓子、肥後細川家の初代細川忠興が気に入り、徳川幕府や京都の公卿たちへの献上品として用いられたとのことです。以後、肥後藩主細川家は「かせいた」を毎年4月に幕府へ献上し、この習わしは幕末まで継続されたそうです。そして、江戸時代から戦前まで現熊本県宇土市走潟町の現浜戸川河岸段丘地に、「かせいた」の原材料として使われていたマルメロが栽培され、肥後藩の貴重な献上品として「かせいた」を製造していたということ。

スペイン国内どこにでもあるごく普通の、全く飾り気のない庶民の食べ物が、日本、熊本に渡り、徳川幕府や京都の公卿たちへの献上品という上級社会の限られた人たちのみが食することができる特別な食べ物となり、まるで肥後細川ブランド品ともいえる高級な食べ物に変わったことに、好奇心をそそられます。

日本にポルトガル人がはじめて漂流したのが、1543年。そして、1580年から1640年までは、スペイン王がポルトガル王を兼ねる同君連合が成立していたので、1634年に「かせいた」がポルトガル人によって日本にもたらされたときは、正しくスペインとポルトガルがお互いに影響しあっていた時期です。

スペイン・ポルトガル人はその後日本国内から追放されますが、彼らが残したこの甘い食べ物は幕末まで200年以上「かせいた」として生き残り、当時の重要人物たちが喜んで食べていたことやお茶の際のお菓子として重宝がられたこと等を想像し、きっとその200年の間に「かせいた」の原型である「ドュルセ・デ・メンブリージョ」のことやポルトガル・スペイン人のことはすっかり忘れられていたのだろうな、などと色んなことに思いをはせることは興味深いものです。

実は、今から10年ほど前に熊本城内の城彩苑にある熊本城ミュージアムを訪れた際、スペインでよく食べ親しんでいたドュルセ・デ・メンブリージョ(Dulce de Membrillo)にそっくりなお菓子が展示されていることに気づき、ビックリして説明を読み、調べてみてこのことを知りました。カステラが、ポルトガル人たちによって「カスティージャ地方のお菓子」と呼ばれていたスペインのお菓子だということは結構知られていますが、この「かせいた」については全く初耳だったので驚いたのを覚えています。

さて、この「かせいた」は、明治以降すっかり忘れられていましたが、現在は細川家秘伝の銘菓を復元するという目的で、「加勢伊多」という名前で復活し、熊本市水前寺成趣園内にある古今伝授之間と隣接する茶屋で有料にて味わうことができます。最中の皮で薄く切った濃厚なジャムを挟んであり、上品なお菓子になっていました。ちなみに、マルメロとは言いますが、熊本ではすでに藩御用のマルメロ栽培は無くなったので、原料はカリンだそうです。

もしスペインにいらっしゃることがあれば、ぜひこのドュルセ・デ・メンブリージョ(Dulce de Membrillo)をご賞味ください。真空パック入りのものもスーパーなどで手軽に購入できるので、お土産にも喜ばれると思いますよ。お土産にされる際、是非肥後細川藩の「かせいた」のお話をされると更に話に花が咲くこと間違いなしです!

ここでは、ドュルセ・デ・メンブリージョ(Dulce de Membrillo)のスペイン版のレシピを紹介します。

さっそく我が家でもドュルセ・デ・メンブリージョを作ってみました

ドュルセ・デ・メンブリージョ(Dulce de Membrillo)

材料

・マルメロ(なければカリン)  1㎏(正味)                    

・砂糖             1㎏

・レモン汁           1個分

作り方

1、マルメロの皮をむき芯をとり、ザクザク小さく切る。

2、鍋に1のマルメロと、砂糖、レモン汁、水をヒタヒタに入れる。最初は強火で、煮立ったら中弱火でマルメロが柔らかくなるまで約15分ほど煮る。水分が多いようであれば、水分をきる。

3、2のマルメロをミキサーにかける。

4、ここで砂糖を入れ、もう一度火にかける。弱火で約一時間ほど時々かき混ぜながら煮詰める。

5、モッタリした感じになり、キャラメル色に近い色になったら火を消す。

6、熱いうちに長細い型に入れて、そのまま冷やす。冷えたら固まるので、好みの厚さに切ってパンに乗せたり、チーズと一緒に食べる。

スペイン式の食べ方は、チーズを切ってその上にのせて食べます。カナッペの上にチーズと一緒に乗せると美味!単にパンに塗って食べても美味しいですよ。

チーズと一緒にクルミものせて

切って容器に入れ、冷凍することもできます。是非、このスペインと日本の出会いの物語ある「かせいた」を作ってみてくださいね。

江戸時代の徳川幕府の面々や京都の公卿のみが食べられた肥後細川ブランド品の原型「ドュルセ・デ・メンブリージョ」(Dulce de Membrillo)を是非お試しください!

追記

この南蛮菓子の日本版「かせいた」についての動画があります。現在唯一、「かせいた」の由緒正しい技術を継承されてご自身で作られ、お茶会でお茶菓子として出されている茶道の村上美枝子先生にインタビューした貴重な動画です。雅美な菓子として復刻したこの「かせいた」についてのいきさつなども興味深いものです。是非、ご覧ください。

熊本と言えば「くまモン」!と肥後細川家の九曜紋の入ったお菓子(写真: 筆者撮影)