セラルボ美術館(Museo Cerralbo)とは
マドリードのスペイン広場からすぐ近くに知る人ぞ知る邸宅美術館があります。マドリードには、かつて「住まい」として使われていた建物が美術館になっているものがいくつかありますが、その中の一つがセラルボ侯爵家の邸宅を開放して作られたセラルボ美術館です。(スペインの画家ホワキン・ソロージャの美術館もソロージャの邸宅でした。ソロージャ美術館については、こちらからどうぞ。スペインの画家ホワキン・ソローリャ(1863-1923)とソローリャ美術館 | おいでよ!スペイン)
この美術館はあまり知られていないようで、スペイン人の友人・知人の中でも知っている人、知っていても訪れたことのある人はあまりいませんでした。実は、私も今回初めてこの美術館の中に入りました。見どころは、なんといっても19世紀から20世紀初頭にかけてのマドリードの貴族たちの生活様式を垣間見ることができることです。建物自体は4階建てでそのうち1階と2階が公開されていますが、1階は侯爵家の日常生活の空間、2階は社会生活における職務空間や社交空間に使われていました。
興味深いことには、もともと考古学に造詣が深い侯爵が、考古遺物なども展示する博物館としての機能も考慮に入れてこの邸宅を建てたそうです。実際、2階にある舞踏室は、踊るだけではなく考古学の展示会や数学、文学の夕べなどが開催される場所として使われていました。
建物は、1883年から1893年に住居として設計されて建てられましたが、現在では外見のみがオリジナルで、内部は大掛かりかつ細かな作業が行われて改修されました。当時の貴族邸宅の典型的な装飾は丹念に復元されてその部屋に展示してあり、スペイン19世紀当時の生活様式を知ることができるマドリードでも珍しい美術館です。
セラルボ侯爵とは
この邸宅に住んでいたのはエンリケ・デ・アギレラ・イ・ガンボア(Enrique de Aguilera y Gamboa)侯爵とその家族でした。彼は第17代セラルボ侯爵で、この美術館の名前もセラルボ侯爵の名前から付けられています。
セラルボ侯爵は政治家でしたが、歴史家、考古学者としても活躍しました。スペインの王立歴史アカデミーの会員で、スペイン国内のソリア県にあるトラルバ遺跡やアンブロ―ナ遺跡の発掘をしたり、自分が発掘した遺跡についての本を書いたりしました。この発掘した考古遺物などを前述したように舞踏室に展示して、当時の貴族階級の人々やエリート階層の人々に紹介していたそうです。
1922年、77歳で亡くなった彼は、すべての考古学的発見物をスペイン国立考古学博物館と国立自然科学博物館に遺贈し、マドリードのベントゥーラ・ロドリゲス通りの自邸にセラルボ美術館の創設を命じました。(Wikipedia 参照)
15世紀から19世紀にかけての絵画が充実!
16世紀から17世紀にかけてスペインにて活躍した有名な画家エル・グレコ (El Greco) の作品「聖フランシスコの法悦 (San Francisco en éxtasis)」やイタリアルネサンス期の画家ティントレット (Tintoretto) の「紳士の肖像 (Retrato de Caballero)」をはじめ、スペイン画家の黄金時代(15世-17世紀)に活躍したバロック期(16世紀末-17世紀初頭)のスペインを代表する画家のひとりフランシスコ・デ・スルバラン (Francisco de Surbarán) の「無原罪の聖母 (Inmaculada Concepción)」とホセ・デ・リベーラ (José de Ribera) の「ヤコブとラバンの群れ (Jacob con los rebaños de Labán)」、そして17世紀に活躍しスペインのバロック絵画の進展において重要な画家であったアロンソ・カーノ (Alonso Cano) の「悲しみの聖母 (La Piedad)」等、プラド美術館でお馴染みの画家たちの絵画がこのセラルボ美術館でも見ることができます。
その他にも、動物や狩猟の情景、静物画を描くのを得意としたポール・デ・フォス (Paul de Vos) の「狩りの風景」、17世紀に活躍したフランツ・スナイデルス (Frans Snyder) の「ヤマアラシと毒蛇 (Puercoespines y víboras)」、同じく17世紀に活躍したヴァン・ダイク (Van Dyck) の「聖母子像 (La Virgen con el Niño)」等、フランドル(今のオランダ)出身の画家たちの絵画も多く見ることができます。
沢山の絵画が所狭しと廊下や部屋の壁に掛けられていて、絵画好きな方には見逃せない美術館だといえるでしょう。
日本の甲冑が!
19世紀、ヨーロッパの貴族や金持ちの間で東洋等の戦用の武器や甲冑などをコレクションすることが流行しました。これは、18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで起こった精神運動の一つロマン主義の影響を強く受けているものです。このロマン主義は、エキゾチシズム、オリエンタリズム、神秘主義、中世への憧憬といった特徴がありますが、スペインのセラルボ侯爵家でも例に漏れることなく、東洋的でエキゾチックな日本の甲冑や脇差しをはじめ、フィリピン、ボルネオ島、インド、マレーシア、トルコ、モロッコ、オセアニアの武具など700点ほどをコレクションしています。
2階の武具展示室には、セラルボ侯爵の先祖が活躍した中世への憧憬も重なり、旧家主の高貴な歴史を物語る様々な武器や甲冑のコレクションが飾られています。また、天井を見上げると、セラルボ侯爵が持つ13の爵位を表す家紋入りの盾型紋章が見られます。ちなみに、招待客はまず中世の武具が並ぶこのスペースへ招かれ、紳士がレディの手の甲にキスをする挨拶の儀式が行われていたそうです(スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。セラルボ侯爵家の先祖がそうしたように、まるで中世へタイムスリップしたかのような儀式が19世紀に行われていたようです。
同じ2階の部屋に「アラビアンルーム 」と呼ばれる部屋があります。これは喫煙ルームで、基本的に男性専用の空間でした。このタイプの部屋は19世紀ヨーロッパでとても流行し、オリエンタルキャビン、トルコ風ルームなどと呼ばれていました。この「アラビアンルーム 」に前述の日本の甲冑や中国、フィリピン、モロッコ、ニュージーランドの骨董品が飾られています(スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。洋館の中にエキゾチックな空間が演出されていて、なんとも不思議な気持ちにさせられました。
19世紀までのバスルームとは?
面白いことに、仰々しい挨拶の儀式が行われていた武具展示室はバスルーム とつながっています。侯爵家の先祖が使っていた西洋の甲冑などが展示してあるその一角に、なんと大理石!!で作ったバスタブが備え付けてあるバスルームがあるのは、えっ?!って感じです。
スペインでは19世紀後半に水道が(agua corriente)が通り始めました。それまでは、どんなに金持ちの家でもバスルームという部屋は存在しませんでした。基本的には、寝室にて沸かしたお湯を洗面器に入れて体を拭いていたようです。セラルボ侯爵家の大理石のバスタブや温水と冷水の蛇口があり排水口がついているバスルームという特別な部屋は、実際には主に招待客に見せるためのものだったとのこと (スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。なんだか日本人からすると、19世紀までお風呂がなかったのが普通だということ自体信じられない気もします。ちなみに、スペインではこの水道が通ったおかげで今までの生活スタイルが一変したとのことです。
興味深いことは、日本の入浴文化は、神道の習慣だった川や滝で行ってきた禊(みそぎ)の習慣があったところに6世紀の仏教伝来とともに入ってきた沐浴の功徳-病を退けて福を招来するもの-という仏教の教えが広まって、身体を洗い清めることは仏に使える者の大切な業と考えられるようになり、庶民にもどんどん入浴文化が広まってきたとか (Wikipedia より)。ところが、仏教では入浴を奨励したのとは反対に、キリスト教では、裸で集まるローマ式の風呂は退廃的だということや、風呂にも入りよく手洗いをする清潔好きだったユダヤ人と区別をするため、キリスト教信者には風呂に入る習慣や体を清潔に保つことを許さなかったようです。ローマ時代にはあれだけお風呂大好きだったローマ人たちの子孫は、キリスト教が広まるに従い風呂嫌いな人たちになっていったようです。今のスペインでは、殆どの人が毎日シャワーを浴びていますが、つい100年ほど前までは今では当たり前のことも当たり前ではなかったようですね。普段当たり前だと思っている習慣も、時代と場所が変われば当たり前じゃなかったんだな、と改めて当たり前のことを考えさせられたセラルボ侯爵家のバスルームでした。(笑)
19世紀のスペイン貴族・知識階級の暮らしをのぞいてみよう!
紳士の集会や娯楽のためのや喫煙ルーム、侯爵夫人が親しい人を迎えるための秘密のキャビネット、セラルボ侯爵の寝室、家族用のこじんまりとした祈祷室、食事以外でも読書、裁縫、トランプゲームなどにスペースを利用できた家族用の食堂兼居間、前述の武具展示室、バスルーム、アラビアンルーム、悪天候から植物を保護するためや観葉植物を維持するための温室として作られたサンルーム、晩餐会や豪華なビュッフェの舞台となった広いバンケットルーム、19世紀の男性に好まれたビリアードを楽しめるビリアードルーム、セラルボ侯爵の執務室、簡素であまり広くはないながらもおよそ1万冊の蔵書を誇る図書室、中庭を囲むように設計され、招待客が簡単に行き来しながら壁にある貴重な絵画の数々や天井画を鑑賞できるようにとイタリアの宮殿を模倣して造られた3つのギャラリールーム、招待客が踊れるだけではなく、考古学の展示会や数学、文学の夕べなどが開催された舞踏室等々、このセラルボ美術館では、日常使いの部屋や社交・交流の場としての部屋などが多様かつ不統一ながらも、当時の流行とセラルボ侯爵個人の好みが組み合わされ、19世紀スペインの貴族・知識階級の生活を垣間見ることができます。
日々の応接間として使われていた談話室は、様々な訪問者を招く部屋として想定してあり、暖炉のそばに座って談笑したり、トランプをしたり、軽食をとったりするための家具が多くあります。また、侯爵夫妻がイタリア旅行の際にもとめられたムラノのクリスタル製の大きなシャンデリアは、イタリアのゴンドラの形をしているうえにその色合いもシャンデリアとしてはかなり派手で個性的です。中央のテーブルには19世紀のマイセン磁器の2脚の水差しと水、火、大地、空気という4つの自然がモチーフになった2点の大きな壺が飾られたり、とにかく目立つ調度品が飾られています。(スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)
面白いことには、ガラス張りのサンルームは、夏の酷暑と冬が厳しいマドリードの気候には合わなかったらしく、最終的にはガラス面はカーテンで覆い、コレクション展示室として使われていたそうです (スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。マドリードに夏訪れたことのある方には理解できるかもしれませんが、あの日差しの強いマドリードの夏の間、ガラス張りの温室ではとてもとても暑くてくつろぐことなんてできないですよね。
最後に
19世紀のスペインは、イサベル2世が統治する絶対王政から短いながらも共和制に移行し、そして再び王政復古を迎えて、政治的には国を二分するような様々な問題に直面した変動の時代でした。このセラルボ侯爵は、1845年に出生し1922年に没しているので、政治家としてかなり厳しい時期に生きてきた人でもあります。ヨーロッパを見てみても、1914年には第一次世界大戦が勃発しています。スペインは中立の立場をとりましたが、それでも激動の時代を生きてきた侯爵であったことは間違いないようです。
セラルボ美術館を見てみると、華やかな貴族・知識階級の生活スタイルを見ることができますが、きっと、セラルボ侯爵邸の中では激動の時代に相応しい緊張した会話が交わされていたことでしょう。そういった歴史的背景も思い浮かべながら美術館を訪ねると、ますます感慨深いものです。
セラルボ美術館 開館情報
住所:ベントゥーラ・ロドリゲス通り1番地(C. de Ventura Rodríguez, 17)
最寄り駅:プラサ・デ・エスパーニャ(Plaza de España 3号線・黄色、10号線・紺色) ベントゥー ラ・ロドリゲス(Ventura Rodríguez 3号線・黄色) 、ノビシアード (Noviciado 2号線・赤色) 、プリンシペ・ピオ(Príncipe Pío 6号線・灰色、10号線・紺色)
開館時間:火~土 9:30~15:00(最終入館 14:30)日・祝 10:00~15:00 木 17:00~20:00(但し、木曜日が祝日の場合は休み)
*月曜日・1月1日・1月6日・5月1日・12月24日・12月25日・12月31日・マドリードの祝日(2022年は11月9日)は休館 入場料:3€ 無料-祝日を除く木曜17:30~20:00・日曜・4月18日・5月18日・10月12日・12月6日、18歳未満、25歳未満の大学生(国際学生証必要)、65歳以上、教師(国際証明書必要) *バッグ、リュック、傘、かさばる物、荷物は、美術館のロッカーに預けなければなりません。
セラルボ美術館 情報
・スペイン文化・スポーツ省が作成した日本語版ガイドブック。興味がある方はどうぞ。もし、セラルボ美術館に行く機会があれば、ダウンロードしてこのガイドブックを見ながらゆっくり鑑賞するとより理解が深くなること間違いなし!ダウンロードはこちらから。
・セラルボ美術館公式ウェブサイト。英語版があります。
https://www.culturaydeporte.gob.es/mcerralbo/informacion/visita.html
・SouthernValleyDiary という方がアップされているYouTubeには、美術館の中が見れますよ。
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