レオン市の始まりは、約2000年前のローマ時代にまでさかのぼります。68年にガルバ皇帝によって第7ローマ軍団ヘミナ(Legio VII Gemina)として、現在のレオン市内を流れるベルネスガ川とトリオ川の間に陣を構えたのが起源です。「レオン(León)」という名前は、動物のライオン(スペイン語では同じく「レオン(león)」と言います)のことではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきています。
その後は一時期イスラム教徒に占領されますが、アストゥリアス王国のオルドーニョ1世によって奪回され、914年にオルドーニョ2世がアストゥリアス王国のオビエドからレオンに首都を移し、レオン・アストゥリアス王国又はレオン王国となります。しかし、10世紀末にはイスラムの将軍アルマンソールによってレオンの街は壊滅状態になります。その壊滅状態にあったレオンの街を復興し、ローマ時代に造られていた城壁の修復を行い、「良き法典(los Buenos Fueros)」と呼ばれる、スペイン最初の市の法令を公布したのがアルフォンソ5世です。
10世紀からレオン王国は、イスラムに対してのレコンキスタ(キリスト教徒によるアラビア人からのスペイン国土回復運動)を先頭に立って行い、スペインの歴史舞台に登場していきます。更に中世においては、サンティアゴ巡礼の道上の街として多くの巡礼者たちが訪れる大いに活気のある街でした。11世紀にはロマネスク建築の「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」が建設されました。
ドゥエロ川はスペイン国内で3番目に長い川で、カスティーリャ・イ・レオン州ソリア県にあるピコス・デ・ウルビオン(Picos de Urbión)を水源地とし、全長約897km、そのうち213kmはポルトガルを流れています。ポルトーワインで有名なポルトーを流れる川でもあり、大西洋に流れ込んでいます。ドゥエロ川が流れるスペインとポルトガルの国境地帯がロス・アリーベス(Los arribes)と呼ばれる地帯です。ここはカスティーリャ・イ・レオン地方の中でも比較的低いところにあるため、気候も温暖です。3月14日に行ってきましたが、ミモザの花も終わり、場所によってはアマポーラの花が咲いていたのでびっくりしました。同じサラマンカ県とはいえ、サラマンカ市内ではアマポーラの花は4月から5月にかけて咲く花です。1ヶ月くらい早いですね。今回は、ドゥエロ・ロス・アリーベス自然公園内にあるバードウォッチングスポットを紹介します。
バードウォッチャーにとっても、あまりバードウォッチングに興味のない人にとっても、お薦めの野鳥観察スポットは、ピコン・デ・フェリペ展望台(Mirador del Picón de Felipe)とフライレ展望台(Mirador del Fraile)です。かなりの数のシロエリハゲワシ(Buitre Leonado)が、切り立った断崖を背にして飛び交ったり、私たちの頭上または眼下で飛び交う姿は、鳥に興味がない人にとっても忘れられない思い出になること間違いなしです。なんせ、普通シロエリハゲワシを見ることができても遠い空のかなたを飛んでいる鳥なので、ここの展望台から見れるようにすぐ目の前でそれも眼下に見れる場所はそうそうないからです。今回は日が暮れる前の6時から7時(3月14日はまだスペインでは冬時間です)にかけて見に行きましたが、30~40羽のシロエリハゲワシ(Buitre Leonado)がどこからともなく現れて空を飛んでいました。この時間帯には風の流れに乗って飛べるため、本当に沢山のシロエリハゲワシが悠々と飛び交い、なかなか見れない光景でした。肉眼でもシロエリハゲワシの顔や翼の模様まで見えて、訪れていた家族連れなどから感嘆の声があがっていました。バードウォッチャーやシロエリハゲワシの写真を撮りたい方には絶好のスポットです。
フライレ展望台は車で近くまで行くことができますが、ピコン・デ・フェリペ展望台へは、駐車場から1km以上歩いたところにあります。途中歩きにくいところもあるので、できれば歩きやすい靴を履いていくことをお薦めします。ここからは雄大なドゥエロ川とスペイン領、ポルトガル領が見渡せます。また、1960年代にスペインとポルトガル両国共同で造られたアルデアダビラダム(Presa de Aldeadávila)があり、両国の技術の粋を尽くして建設したダムのある風景も一見の価値があります。車がないと行くのは難しいですが、レンタカーでスペインを旅行される場合は、是非足を延ばして頂きたい場所の一つです。勿論、バードウォッチングするにはとてもお薦めスポットです。