ロマネスクへのいざない (19)- ガリシア州 (1)–ア・コルーニャのサンティアゴ教会 (Iglesia de Santiago de A Coruña)

スペイン西北部にあるガリシア州のア・コルーニャに行ってきた。大西洋沿いでローマ時代の灯台「ヘラクレスの塔」がある街。マリーナ通りは海が見える海岸沿いの通りで、海風が気持ちよく散歩するにはもってこいの通りだ。

白い枠にガラスの窓がある建物が並び建ち、「ガラスの街」とも呼ばれている(写真: 筆者撮影)

今回は、ア・コルーニャの中でも最も古い教会であり、1972年以来文化財に指定されているサンティアゴ教会(Iglesia de Santiago)を紹介する。

教会の歴史

ヴァイキングによるノルマン人の襲撃によって、ローマ時代以前からこの地に存在していたケルト人の居住地の全部または一部分から住民が減っていったことがわかっている。(arteguias より)

そして、12世紀から13世紀の頭にこのロマネスク様式の教会が建てられた。しかし、度々の火事に見舞われ何度も改修・改造工事が行われたため、ゴシック様式等、その時々の様式に建て替えられた。

1521年当時、この教会には2つの塔があり、一方には鐘と時計が、もう一方には証書、火薬、弾薬、その他市に属するものが保管されていた。サンティアゴ教会の役割は宗教的なものだけでなく、少なくとも1380年から市庁舎が建設される15世紀までは、その玄関の広間で議会が開かれていた。(Galicia Pueblo a Pueblo より)

元々は、海路で巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れた巡礼者達に捧げられた教会だった。

三廊から成るロマネスク様式の教会

ア・コルーニャから70km程離れたサンティアゴ・デ・コンポステーラは、キリストの12人の弟子の一人聖ヤコブの墓がある巡礼地であることから、この教会が建設された当時、多くの巡礼者が訪れていた。そして「コンポステーラ派(Escuela Compostelana)筆者訳」と呼ばれる人たちの手によって、ア・コルーニャのサンティアゴ教会は造られた。

建設された当時は三廊から成るロマネスク様式の教会だったが、15世紀には、スペインのロマネスク教会で多く見られたように、教会を3つの身廊で連結していたアーチと柱を取り除き、1つの大きな身廊にすることが決定され、現在の様な教会内部になっている。

三廊を広げて一つの大きな身廊になり、多くの信者がミサに参加できるようになった(写真: 筆者撮影)

しかし、教会から出て外から教会の後陣を見てみると、ロマネスク様式時代の姿が残存している。

ロマネスク様式の典型的な後陣の形をしている(写真: 筆者撮影)

持ち送りには、動物の頭や人間をモチーフにした具象的なものが残っている。そのうちの一つに保存状態の良い人間の頭部が彫られているが、ドリオと呼ばれた空気の塊を振動させることによって音を出す気鳴楽器を吹いている姿が見られる。このドリオは、中世時代にイベリア半島北部、特にガリシア地方で使用されていたが、その後使われなくなった楽器である。音の高低を変化させるシステムが無かったので、ドリオは短期間のみで使用され、その後は別の楽器、例えばガイタとよばれるガリシア・バグパイプに取って代わられていったという。(ウィキペディア参照)

ドリオを吹く頭部(写真: 筆者撮影)
持ち送りには、動物の頭や人間の姿も見える(写真: 筆者撮影)

ロマネスク様式の北側の扉口

何度も改装・増築が行われたにもかかわらず、北側の扉口は元のままの純粋なロマネスク様式である。

下の写真でも見えるように、二つのアーキボルトにはまるで沢山の指輪を通しているかのように環状に飾られた植物の葉が特徴的な装飾と、4枚の花弁がある大きな花の装飾とが施されており、とても印象的である。

北側の扉口からも教会に入れた(写真: 筆者撮影)

もう少しアップで見てみよう。700年以上風雪にさらされながらも、ほぼ当時のままの姿を見れることに感謝したくなるような美しい模様だ。

細かく植物の葉が描かれており、花びらの襞も美しい(写真: 筆者撮影)
対の雄牛が扉口の両側にまるで入ってくる人たちを見守るかのように私たちを見下ろしている(写真: 筆者撮影)

神秘の神の子羊「Agnus Dei(アニュス・デイ)」

この北側の扉口には、「神の子羊(アニュス・デイ)」が施されている。これは、ロマネスク様式によくみられる図像であるが、人間の罪に対する贖いとして、イエスが生贄の役割を果たすことを踏まえて、イエスを子羊として描いた視覚的表象である。

十字架が付けられた旗竿や旗を持ち、旗竿は子羊の肩にかかり、右前足で十字架の土台を支えるように曲げられている(写真: 筆者撮影)

興味深いのは、子羊の両側に施された二つの大輪の花。神秘の神の子羊の脇には、それぞれ7枚と12枚の花弁を持つ2つの花がある。何故花びらの数が異なる2つの花が施されているのかは調べてみても分からなかった。

正門について

西側の正門はゴシック様式である。14世紀末のバラ窓とサンティアゴが描かれたタンパンがある。先が尖ったアーキボルトはゴシックの特徴の一つである。

段差のある土地に建てられた教会の正門には、階段を上って教会に入る(写真: 筆者撮影)

柱頭にはロマネスクの伝統を図像的に継承しており、旧約聖書に書かれている「イサクのいけにえ」と「ライオンの穴に投げ込まれたダニエル」が彫られている。「ライオンの穴に投げ込まれたダニエル」と同じ場面中に、「天使に担がれたハバクク」も描かれている。

ハバククはユダヤの預言者とされ、バビロンのライオンの洞窟にいるダニエルのために天使に担がれて食事を届けたと言われ、ロマネスク以降の美術の世界でも「ライオンの穴に投げ込まれたダニエル」と「天使とハバクク」は対で描かれていることが多いようだ。ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会にあるバロック様式のベルニーニの作品で、この二つのモチーフの彫刻があり有名である。

残念ながらダニエルの頭部が消失しているが、右端「ライオンの穴に投げ込まれたダニエル」の右側にはライオンが左側には天使に担がれダニエルに食料を届けるハバククが描かれている。左端は、一対のドラゴン(写真: 筆者撮影)
植物の葉をモチーフとした装飾(写真: 筆者撮影)

興味深いのは入口の両脇に、12使徒の聖ヤコブ(左側)と福音記者聖ヨハネ(右側)の像が施されていることだろう。

聖ヤコブ。頭の上には本と天使が載っている(写真: 筆者撮影)
聖ヨハネ(写真: 筆者撮影)

そしてタンパンには、13世紀から15世紀に施された馬に乗った聖ヤコブの浮彫がある。

アーキボルトに彫られている人たちには羽がある。天使だろうか(写真: 筆者撮影)

聖ヤコブの頭上のアーキボルトには、黙示録の24人の長老の姿が描かれていると言われているが、全ての人達に翼があるので天使の聖歌隊ではないかとも言われている。

教会内部

教会に入るとすぐに目を引くのが巡礼者の格好をしたイエスの12使徒の一人聖ヤコブの彫刻である。

これは、14世紀に石で作られたもので多色装飾されている。

長い長い道のりを歩く巡礼者が少し疲れて座って休んでいる姿と重ね合わされた聖ヤコブの顔は、とても穏やかだ(写真: 筆者撮影)

教会内の柱頭にはロマネスク時代の典型的な古風な動物が描かれているが、全てゴシック時代のものである。

同じ頭を持つ2匹のドラゴン(?)と女の頭を持つ鳥ハイピュリア(?)(写真: 筆者撮影)
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者のシンボルであるホタテ貝(写真: 筆者撮影)

もう一つ目を引いたのが17世紀の説教壇。説教壇を支える部分には人魚が4人描かれている。アルベルト・ガルシア・ロルダン氏(Alberto García Roldán)のブログサイト「GALICIA PUEBLO A PUEBLO」によると、この人魚の2人は女性であるが、もう2人は男性の人魚だそうだ。男性の人魚は初めて見たので驚きであった。

今はもう使われていない説教壇は、教会の隅に置かれていた(写真: 筆者撮影)
左側の人魚には胸はなく男性の人魚、4人の人魚が腕組みしている姿も珍しい(写真: 筆者撮影)

最後に

後で知ったことだが、この教会にはスペインで唯一、身ごもった聖母の彫刻と、赤ん坊のイエスに授乳する彫刻の両方がある教会で、芸術的価値が高い(ウィキペディア参照)と言われている。赤ん坊のイエスに授乳する彫刻は17世紀のものらしい。

何世紀のものかは分からなかったが、半円アーチの模式的な柱を持つ小さな洗礼盤も保存されている。前述のアルベルト・ガルシア・ロルダン氏によると洗礼式を行う際に今も使用されているとのこと。

こちらも教会の隅っこに置かれていて詳しく見ることができなかった(写真: 筆者撮影)

今も多くの人が訪れ、ミサも行われている活躍中の教会の一つである。ロマネスクからゴシックへ、更にバロック等の彫刻も残存し、様式は変化しながら今も地元の人々に愛されている。ロマネスクの教会は、ともすれば忘れ去られてしまったり、教会がある所にもう人が住んでいない場合も多い。そういう中で、ア・コルーニャで一番古い教会でありながらも今も教会として、人々の心の支柱として活躍しているサンティアゴ教会は幸せな教会であると感じた。

参考

・サンティアゴ教会の住所・電話番号・時間帯等の情報サイト

https://www.coruna.gal/web/es/temas/sociedad-y-bienestar/ocio-y-cultura/equipamientos-de-ocio/equipamiento/iglesia-de-santiago/entidad/1149056044903?argIdioma=es

・「アルテギア」というロマネスクに関するサイト。

https://www.arteguias.com/monumentos/iglesia-santiago-coruna.htm

・本ブログで紹介したアルベルト・ガルシア・ロルダン氏(Alberto García Roldán)のブログサイト「GALICIA PUEBLO A PUEBLO」

https://galiciapuebloapueblo.blogspot.com/2015/05/iglesia-de-santiago-coruna.html

ちょっとスペイン語 -33-  (Tentempié-1. 間食、軽食 2. 起き上がり小法師)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

ウィキペディアドメイン写真

今回は、いかにもスペインらしい単語を紹介します。

Tentempié-1. 間食、軽食 2. 起き上がり小法師

この「Tentempié」という言葉の由来を調べてみると「tente en pié」、日本語で言えば「立っていなさい」という命令形の言葉からきたようです。「pié」という単語は「【足首から下をさす】足」という意味で、「tente」は動詞「tener」の命令形で、この場合は「状態」を表す使い方がされていています。

この意味から、玩具の「起き上がり子法師」を指すことは何となく分かりますが、「間食、軽食」という意味になるのはずっと不思議な気がしていました。今回調べてみると、「少ない量の食べ物を摂ることにより、元気になり、立っていることができるようになる」という説明が語源辞書に載っていて納得しました。

なるほど、腹が減っては戦ができないどころか、自分の足で立っていることもできなくなるほどの空腹状態を解決するための「軽食、間食」が「Tentempié」ということのようです。長年の疑問が解決してスッキリしました。(笑)

¡Hola! ¿Tomamos un tentenpié?

ねえ!軽く食べに行かない?

Sí, estaría bien. Es que ya es la hora y tengo un poco de hambre.

うん、いいね。もうそういう時間だよね、それにちょっとお腹もすいてるし。

Entonces, vamos al bar de la esquina donde nos dan buen picho de tortilla de patatas.

じゃ、トルティージャ・デ・パタタス(ジャガイモ入りスペインオムレツ)がおいしい角のバルに行こう。

Me parece buena idea. ¡Vamos!

いいね。行こう!

どこへ行っても必ずバルがあるスペイン。バルのない街や村はスペインには存在しないよ!とスペイン人たちが言う通り、どんな小さな村でも必ずバルはあります。朝からコーヒーを飲みながら新聞をのんびり読むおじいさんや、正午前後で職場の休憩時間があるので、その際バルに行って同僚と「Tentempié」を楽しむサラリーマン達、仕事が終わって帰宅前の時間(午後8時過ぎごろ)に待ち合わせてピンチョを楽しむご夫婦や友人同士等、スペイン人にとってバルはとても身近で生活に密着した無くてはならない存在です。

人生を食べて飲んで謳歌するスペイン人が愛するバル。バルのない生活はスペインじゃないですね!皆さんもスペインにいらっしゃったらバルを思いきり楽しんでください!

スペインのイチオシお菓子-カスティジェハ・デ・ラ・クエスタの焼き菓子 (Tortas de Aceite de Castilleja de la Cuesta)

美食の国スペイン。スペインと言えばバル!バルと言えばピンチョ!ピンチョと言えばトルティージャ・デ・パタタ(スペインオムレツ)!と連想ゲームの様に次々と出てきますが、スペインのお菓子と言えば何が思い浮かびますか?数年前に日本ではちょっとしたブームになった「バスクチーズケーキ」が思い浮かぶ人もいるかもしれません。でも実はこの「バスクチーズケーキ」ってスペイン人の中では全く知られていないお菓子です。サンセバスチャン発祥のお菓子ですが、スペイン国内ではサンセバスチャンでしか食べれないお菓子かもしれません。遠い東の果ての国日本でブームになったのは奇跡かも⁈

欧州連合(EU)のTSG – 伝統的特産品保証付きのお菓子

さて、今回紹介するスペインの一押しお菓子は、欧州連合(EU)の品質認証に登録され、スペインの「本物の美味しさ」を保証している「伝統的特産品で美味しいもの」の一つに認証されている「トルタス・デ・アセイテ・デ・カスティジェハ・デ・ラ・クエスタ(Tortas de Aceite de Castilleja de la Cuesta)」というお菓子です。

日本語に訳すと「カスティジェハ・デ・ラ・クエスタの焼き菓子(筆者訳)」という意味。「カスティジェハ・デ・ラ・クエスタ」は、スペイン南部アンダルシア地方のセビージャの街の中にある地区の名前です。セビージャのカスティジェハ・デ・ラ・クエスタという地区の伝統菓子になります。

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6枚入りのシンプルなパッケージ(写真: 筆者撮影)

「トルタス・デ・アセイテ・デ・カスティジェハ・デ・ラ・クエスタ(Tortas de Aceite de Castilleja de la Cuesta)」の特徴

上の写真でもお分かりになるかもしれませんが、材料にエキストラバージンオリーブオイルが24%も使われている贅沢なお菓子です。

材料は、小麦粉、砂糖、ゴマ、アニス、塩、アニスエッセンス、そしてエキストラバージンオリーブオイルです。ゴマやアニスが入っているため風味も良く、薄く伸ばした生地を焼いてあり、パイ生地の様なサクサク感が特徴です。

エキストラバージンオリーブオイルの割合が多いので扱いにくいのが特徴で、なんと一つ一つ丁寧に手作業で生地を練り、熟練した作り手が丸い形に伸ばして焼いていきます。

一枚一枚、油紙に包んで食べやすいようにしてあります(写真: 筆者撮影)

「トルタス・デ・アセイテ・デ・カスティジェハ・デ・ラ・クエスタ(Tortas de Aceite de Castilleja de la Cuesta)」の歴史

前述したように、元々はセビージャの街のカスティジェハ・デ・ラ・クエスタ地区の伝統的で家庭で作られていたお菓子で、徐々にアンダルシア西部にも広まっていきました。特に、復活祭の間に作られていたらしく、きっと卵が入っていないお菓子なのでその時期に食べられていたのでしょう。というのも、スペインでは9世紀から18世紀にかけて、教会が聖週間の間肉や卵を食べることを禁じていたのです。

そして1910年、セビージャに住むイネス・ロサレス(Inés Rosales)という名前の女性が、セビージャの街のカスティジェハ・デ・ラ・クエスタ地区から約30㎞ほど離れたアルハラフェ(Aljarafe)という町にあった自分の家のレシピ本からこの伝統的なお菓子のレシピを救い出して、製造・販売を始めました。名前も「イネス・ロサーレスの焼き菓子(筆者訳)」と命名され、この女性起業家の名前が冠されています。

レトロなパッケージ

上の写真を見てください。「イネス・ロサーレスの焼き菓子(筆者訳)」は、一枚一枚丁寧に油紙に包まれています。これは、パイ生地の様に壊れやすいお菓子を守るため、油脂の配分が多いお菓子なので手が脂っこくならないため、食べやすくするために工夫されたパッケージです。

製造・販売当時からこのスタイルで包装されていたのかどうかは分かりませんが、会社の所在住所と電話番号が包装油紙に印刷されています。そして、電話番号(TELÉFONO)が「30」と印刷されているのが見えます。1910年当時、まだまだ電話を所有する人が稀だったので、電話番号が30という、今では驚くような番号でした。今も当時のままのレトロなパッケージ、包み方にとてもほっこりさせられますね。

色んなフレイバーを楽しもう!

オリジナルレシピの他にも色んなフレイバーが楽しめます。

まずこちらはオレンジ。

スペイン語でオレンジは、「ナランハ(Naranja)」といいます(写真: 筆者撮影)

こちらはレモン。

レモンは、スペイン語でも似た発音「リモン(Limón)」(写真: 筆者撮影)

そして、シナモンもあります。

シナモンは、スペイン語では「カネラ(Canela)」と言います(写真: 筆者撮影)

個人的にはアニスとゴマの風味たっぷりなオリジナルレシピの味が一番お薦めですが、他の味のお菓子もとっても美味しいですよ!残念なのは、スペインから日本へのお土産にするにはあまりにも壊れやすい繊細なお菓子だということ!それでも、わざわざ箱に入れて緩衝材を詰め日本にお土産として持っていき家族や友人に渡すと、皆口をそろえて「これ、美味しいね!」って言われるお菓子の一つです。

是非、スペインにいらっしゃったら食べてみてください!手軽にスーパー等でも手に入りますよ。ただ気を付けてほしいことは、似たようなお菓子が他にも売っていますが「イネス・ロサーレスの焼き菓子(筆者訳)」ほどおいしいのは無いので、このレトロなパッケージを忘れずにお買い求めください。

参考

・イネス・ロサレス(Inés Rosales)社のウエブサイト

https://www.inesrosales.com/tortas-de-aceite-dulces-ines-rosales/torta-aceite-original

・「TSG – 伝統的特産品保証」についての説明があるイネス・ロサレス(Inés Rosales)社のサイト

https://www.tortasdeaceite.com/selloetg.php

・在日欧州連合部の公式ウエブマガジンに「TSG – 伝統的特産品保証」についての説明があります。

ロマネスクへのいざない (18)- アストゥリアス州 (5)–ルガスのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Lugás)

3泊4日でアストゥリアス州のロマネスクとプレロマネスクを訪れた第2日目。中には入れなかったが、「ルガス(Lugás)」という村にある12世紀末に建てられた当時のロマネスク様式の正面玄関入口と南門が残るサンタ・マリア教会(Iglesia de Santa María)を訪れた。

ロマネスク様式が残存する教会の正面玄関入口(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この旅程を知りたい方はこちらをどうぞ。

このルガス(Lugás)村でお祝いされていた聖母マリア祭は、何世紀もの間アストゥリアス地方での重要なお祭りだったという。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道「サンティアゴの道(Camino de Santiago)」の一つである「カミーノ・デル・ノルテ(北の道 Camino del Norte)」と呼ばれる海沿いを歩く巡礼者たちが、ルガス村の聖マリア祭に訪れていた。中世を生きる人たちにとってここは巡礼と信仰を具体化する特別な場所、神聖な場所だったようだ。

ロマネスク様式が残る正面玄関入口と南口

サンタ・マリア教会(Iglesia de Santa María)は12世紀末に建設されたが、その後何度も改築・増築されてきた。特に1690年に行われた増築工事により、前述した二つの入口を除き、バロック様式の教会として生まれ変わっている。

正面玄関入口

正面玄関入口には3つの半円形のアーキボルトがあり、柱頭には美しい植物の装飾が施してある。

入口への床はまるでチェス盤の様な白と赤の石畳。その斬新さはお洒落な雰囲気を醸し出している(写真: 筆者撮影)

サンティアゴ巡礼の道の模様

一番外側のアーキボルトには、ここから500km以上離れたフランスとの国境に近い所にあるハカ(Jaca)という場所で最初に始まった「アへドレサード(ajedrezado)」と呼ばれる市松模様が見られる。この模様は、サンティアゴ巡礼の道沿いの教会等に多く用いられているものだ。この模様からもサンティアゴ巡礼の道を通して文化が伝わっていった証明を目にすることができる。

次のアーキボルトは大胆なジグザク模様で、私たちの目を引く。

向かって左側の柱頭に、下の写真に見られる一つだけ植物ではない装飾がある。

柱頭の上部のアーキボルト部分には、当時の青い色彩が残っている(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

これは、旧約聖書のダニエル書に出てくる一場面「ライオンの穴に投げ込まれたダニエル」である。ダニエルはイスラエルの重要な預言者のひとりだが、ベルシア王が自分ではなく神を崇拝するダニエルに腹を立て、腹を空かせているライオンがいる洞窟の中でダニエルを一晩過ごさせた。翌朝ライオンに食われていると思っていたダニエルが、無傷で神に祈っていること見たペルシア王は驚いた。この話がサンタ・マリア教会(Iglesia de Santa María)の柱頭に描かれている。あまりライオンぽくないが、まるでダニエルに甘えるようにダニエルの両肩に前足を載せるライオンの姿が描かれている。

一般的なロマネスクスタイルの「ライオンの穴に投げ込まれたダニエル」では、ダニエルは両手を合わせるか両手を広げて上に揚げている姿で現され、そのダニエルの足元にライオンが描かれ、服従の意を表していることが多い。しかし、ルガスのサンタ・マリア教会では、確かにダニエルは両手を合わせて祈っている様子だが、前述のようにライオンがダニエルの両肩に前足を載せていて、珍しいスタイルの一つだといえるだろう。

教会の入口にあった説明書によると、「ライオンの穴に投げ込まれたダニエル」は、罪や悪霊や悪魔によって束縛されている人間の魂を象徴している。無実の罪によって死刑に課され復活したイエスと、ライオンに食われる刑を課され穴に投げ込まれたにもかかわらず食われることなく無事に穴から出てくるダニエルは、重ね合わされてロマネスクでは表現されていると一般的には解釈されているようだ。(「Iconografía y Simbolismo Románico」より)

柱頭には美しい植物の装飾が施されている(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

様々なの影響を受けた装飾

南口のアーキボルトは2本あり、その装飾は興味深い。

シンプルな中にも存在感があるアーキボルトの模様(写真: 筆者撮影)

上の写真でもよく分かるが、外側のアーキボルトには、嘴のある鳥のモチーフが施されているのが見える。これは、入口の説明書によると、サクソン人からの影響を受けているらしい。サクソン人は北ドイツで形成されたゲルマン系の部族で、4~5世紀にはイギリスにわたってアングロサクソン人となった人たちだ。そして、この嘴のある鳥の模様は、イングランド・フランス・アイルランド等でもよく見られる模様で、アストゥリアス地方でも見られる模様だということ。これも北の巡礼の道を通って様々な文化が伝わってきた証拠の一つだろう。

内側のアーキボルトは、まるで小文字のオメガ「ω」が連なっているような模様だ。入口の説明書によると、「ロージョス・サモラ―ノス(rollos zamoranos)」と呼ばれる「サモーラの円筒状に巻いた形(筆者訳)」で、名前の通りカスティージャ・イ・レオン州のサモーラという街が起源のイスラム文化のオリエンタルな影響を受けた形だとか。

嘴のある鳥と円筒状の模様があるアーキボルト(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

グリーンマン

下の写真は、大きな口を開けて植物の茎や葉を出す擬人化された仮面を持つグリーンマン。

口の中から大きな葉っぱが飛び出してくる動きがある模様だ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

グリーンマンと呼ばれる植物を吐き出す仮面は、ロマネスクでは頻繁にみられるモチーフの一つであり、生命の無限の再生サイクルに関連する大地から生じた宗教に由来する。何故グリーンマンをロマネスク教会の装飾に多用したのだろうか。今も専門家たちの意見が分かれハッキリした意味は定説としては無いようだ。ただ、生命の無限の再生を表す、すなわち、「再び生まれる、よみがえる」という意味がキリストの復活に結びつけられたのではないかという説もあり、これは納得いく説だと思われる。

最後に

現在は小さな村でひっそりと佇むルガスのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Lugás)。しかしその装飾を一つひとつ見ていくと、同じスペイン国内で始まったアへドレサード(ajedrezado)」と呼ばれる市松模様や、遠くドイツ北部のサラセン人を起源とする人たちがイングランド・フランス・アイルランド等へ渡りそこで使い始めた嘴のある鳥の模様、そして異教徒文化であるイスラム文化の影響を受けた模様など、距離・文化・宗教を超えてサンティアゴ巡礼の道を通して様々な交流が行われていたこと、伝達されていた証拠となる模様を見ることができたことはとても興味深く、貴重なものであった。

参考

・アルテギア(arteguia)のウエブサイト。スペインロマネスク美術と中世美術を紹介するサイト。本も多数出版している。

https://www.arteguias.com/santuario/santamarialugas.htm

・Youtube でもルガスのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Lugás)が見れます。

ちょっとスペイン語 -32-  (a la vuelta de la esquina-1. もうすぐ、ごく近くに、目と鼻の先に、2. 角を曲がったところに)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

a la vuelta de la esquina-1. もうすぐ、ごく近くに、目と鼻の先に、2. 角を曲がったところに

スペインでよく使われる表現の一つに「a la vuelta de la esquina」があります。「もうすぐ、ごく近くに、目と鼻の先に」という意味と「角を曲がったところに」という意味で使われ、時間や空間的な距離を表現しています。

先日も、新学年が始まる9月の頭に、近所のお母さんとこんな会話がありました。

Por fin termina las vacaciones largas de verano. El colegio empieza a la vuelta de la esquina.

長い夏休みもやっと終わり。学校が始まるのも直ぐだね。

スペインの幼稚園から高校までの夏休みは6月末から9月頭まで約2ヵ月半‼ 共働きのご夫婦にとってこんなに長い夏休みは悩みの種。やっともうすぐ学校が始まるからホッとするよ、という感じがよく出ていました。(笑)

Mañana empieza diciembre. ¡Qué rápido pasa el tiempo!

明日は12月だ。時が経つのは速いね!

La verdad que sí. La Navidad está a la vuelta de la esquina.

本当だね。クリスマスはもうすぐだよ。

こちらは毎年クリスマスが近づくとスペイン中で必ず交わされる会話の一コマです。

このように、時間的に近いという意味で使われることが多いのですが、空間的な近さ、距離の近さで使われることも多くあります。

¡Qué bonitos zapatos!

その靴、素敵ね!

Gracias. Los compré en rebajas.

ありがとう。バーゲンでお買い得だったのよ。

Bien, ¿dónde los compraste?

そう、どこで買ったの?

En la “Zapatería Cabrerizos”.

「カブレリソス靴店」よ。

¿Dónde está?

どこにあるの?

Está a la vuelta de la esquina desde aquí.

ここからすぐ近くよ。

Pues, ¡voy ahora mismo!

じゃ、今から行ってみるわ!

この表現、スペイン人との会話の中で頻繁に出てくる表現なので、覚えていると便利な表現の一つです。スペイン人と話す機会のある方は、是非一度使ってみてください。「estar cerca -近くに」という表現よりも更にグッと距離や時間が縮まって「すごく近い」感じが表されますよ。

スペインでバードウォッチング!-種類別 スペインの野鳥 日本語名(フクロウ科)

ここでは、スペインに生息する野鳥の名前を、種類別に集めてみました。スペイン語名をクリックしてもらうと、スペイン鳥学会のホームページに飛びます。残念ながら日本語版はありませんが、英語での鳥の名前は出ています。スペインで野鳥観察されるとき、またはスペインの旅の途中で見かけた鳥のスペイン語名を知りたいときに、少しでもお役に立てれば幸いです。

Búhos  = フクロウ科

スペイン語日本語ラテン語//常駐/偶然
Búho realワシミミズクBubo bubo常駐
Mochuelo borealキンメフクロウAegolius funereus常駐
Búho chicoトラフズクAsio otus常駐
Búho campestreコミミズクAsio flammeus常駐
Cárabo comúnモリフクロウStrix aluco常駐
Lechuza comúnメンフクロウTyto alba常駐
Mochuelo europeoコキンメフクロウAthene noctua常駐
Autillo europeoコノハズクOtus scops常駐
コノハズク(ウィキペディアドメイン写真)

ちょっとスペイン語 -31-  (Chachi-素晴らしい、とても良い)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

この「素晴らしい」「とても良い」という表現「Chachi(チャチ)」は、スペインでよく使われる口語表現の一つです。最初にこの言葉を聞いたとき、どうしても日本語の「ちゃち」と同じ音に引っ張られて、「安っぽい、見劣りする、つまらない」という意味が一番に頭に浮かんできて、どうも相手が言っている言葉のシチュエーションは正反対のようだが…と違和感を持って話を聞いていたのを思い出します。(笑)

Chachi-素晴らしい、とても良い

Decías que ibas al festival de verano, y ¿qué tal fue?

サマーフェスに行くって言ってたけど、どうだった?

¡Chachi! y fue la primera experiencia.

初めて行ったけどとっても良かった

また、この「Chachi」は、「pirulí(ピルリ)=円錐形の棒付きキャンディー」を伴い、「Chachi pirulí(チャチ・ピルリ)」ということもあります。ここで「棒付きのキャンディー」が何故出てくるんだろう⁈と疑問がわきますが、語源はよくわからないようですね。きっと、音の響きが良いから使われるようになったんじゃないかな、と。これは勝手な憶測にすぎませんが。

¿Vamos al cine mañana para ver la película que querías ver?

明日、お前がが見たかった映画を観にいこうか。

¡Chachi pirulí! ¡Gracias, papá!

やったー!パパ、ありがとう!

日本人にとっては、「ちゃち」は真逆の意味になるので変な感じですが、同じ発音の語彙ということもあって覚えやすい単語ではありますね。是非、使って試してみてください。

お手軽ランチにももってこい!ツナ缶のクリームチーズディップ(Dasha Dip)

このディップはチェコ人の友人から教えてもらったものなので、スペイン料理ではないのですが、手軽に作れて私の周りの日本人もスペイン人も皆大好きなディップなので、公開しちゃいます!私はチェコの友人の名前を付けて「ダーシャ・ディップ」と呼んでいます。(^^♪

材料:4人分

・ツナ缶               1缶(80g)

・玉ねぎ               少々

・クリームチーズ           6 個 (100~110g)

・小ねぎ               少々 

・塩                 適宜

・エキストラバージンオリーブオイル  大さじ1~2杯

作り方

  1. 玉ねぎと小ねぎははみじん切りにする。
醤油さし小皿にいれたもので、こんな感じの量です

2. ツナ缶の水分は良く切っておく。

3. ボールにクリームチーズとツナ缶を入れてフォークを使って潰しながらよく混ぜる。

お薦めのクリームチーズは「Kiri」日本にも売っています(^^♪

4. 塩、エキストラバージンオリーブオイルを適宜入れクリーム状にし、1の玉ねぎと小葱のみじん切りを入れて味を見て、出来上がり。

よく混ぜ合わせクリーム状になったら出来上がりです

軽く焼いたフランスパンでサンドウィッチにしたり、カナッペにして食べると美味しいですよー!

カナッペだといくつでもパクパクと食べれます(笑)

超簡単、超おいしい!ムルシア風ズッキーニの卵とじ(Zarangollo murciano)

我が家の畑は、連日食べきれないほどの大量のズッキーニの収穫で大変!ズッキーニの大量消費レシピがないかなと思っていたら、スペイン人の友人がこのレシピを教えてくれました。スペイン南部ムルシア地方の郷土料理だそうです。名前はサランゴージョ・ムルシアーノです。サランゴージョという名前の料理はエストレマドゥーラ地方の郷土料理もあるそうですが、こちらはムルシア地方の料理です。早速作ってみると、とっても素朴な味でした。集まりの料理にももってこいです!

材料:4人分

・ズッキーニ           2~3本

・玉ねぎ             1/2~1 個(中)

・卵               3 個  

・塩               適宜

・黒胡椒             好みで

・オリーブ油           大さじ4杯

作り方

  1. 玉ねぎは薄切りにする。
切った玉ねぎの薄切り

2. ズッキーニは縦半分に切り、薄切りにする。

皮はむかずにそのままでもO.K. 今回はピーラーを使って部分的に皮をむきました

3. フライパンにオリーブ油大さじ4を入れる。温まったら1の玉ねぎの薄切りを入れて中強火で約1分間炒める。

しっかり油をなじませて

4. その後、2のズッキーニの薄切りを入れてさらに中強火で約5分間炒める。

結構な量なので大きめのフライパンで炒めてください

5. 塩をして、火を中弱火にして20分~30分程気長に炒める。

野菜のかさが減ってクタッとなってくるまで、気長に炒めることがポイント

6. 野菜のかさが減りかなりクタクタになってきたら、卵を割り入れ、黄身を混ぜながら卵とじを作る。

直接フライパンの中に卵を割り入れるところがとてもスペインらしい!
木べらで卵の黄身を崩しながら混ぜて、卵とじにしていく

7. 味見をして、塩が足りなければ足し、好みで黒胡椒を入れる。

黒胡椒はお好みで。黒胡椒を入れない人も多いそうです

8. トロトロっとクリームっぽくなったら出来上がり。

¡Qué aproveche!

別のバージョンで、ジャガイモを入れる「サランゴージョ・ムルシアーノ」もあるそうです。ボリューム感が欲しい方にはジャガイモ入りもいいかもしれませんね。

フランスパンを薄切りにして、その上にのせてカナッペの様にして食べても美味しいですよ!

焦らずゆっくりと野菜がクタクタになるまで炒めるのがポイントです!簡単なので是非挑戦してみてくださいね!

ロマネスクへのいざない (17)- ラ・リオハ州(1)-ビゲラのサン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban de Viguera)

今回は、ラ・リオハ州にあるロマネスクを紹介する。ラ・リオハ州と言えば、まず最初にスペインワインを思い浮かべる方も多いだろう。スペインを代表する赤ワインとして有名なクネ(Cune)ワイナリーが造っているインペリアル(Imperial)もラ・リオハ州にある。

クネワイナリーに興味のある方はこちらもどうぞ。

今回紹介するビゲラ(Viguera)は、ワイナリーの街アロ(Haro)から東南に60㎞程、州都であるログローニョ(Logroño)からは20㎞程に位置する小さな村だ。

たまたまこの村に宿をとり、ラ・リオハ州の観光旅行をしようとしていたのだが、宿主から「ここからすぐ近くにサン・エステバンというロマネスク様式の礼拝堂があるから、訪れてみることをお薦めするわよ。」と言われて初めてその存在を知った。サン・エステバン礼拝堂を訪れるには、村の中心部にあるバルに寄って礼拝堂の鍵を借りてから行かなければならないとの助言もあり、正直言って、村のバルの人が礼拝堂の鍵を管理しているくらいなので、文化的価値はあまり高いものではないのだろうと高をくくっていた。まさかロマネスクの珠玉が隠されているとも知らずに・・・。

まるでイグルー!

ビゲラ(Viguera)を出て、急な斜面を登っていくと、まるでイグルーの様な不思議な建物が見えてくる。えっ、これが礼拝堂⁈ というのが最初の印象だった。普通、私がこれまで見てきたロマネスク様式の教会には、鐘楼部分があり、十字架があり、瓦屋根があり、入口はロマネスク様式特有の半円アーチがあり、一目でその建物が宗教的な建物であることが分かるようなものばかりだった。

しかし、サン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban)は、失礼を承知で敢えて言うならば、まるで避難場所、しっかりとした羊飼い達の雨宿り場所、という感じで、とても粗末で原始的なものだった。

とてもとても、キリスト教の礼拝堂とは考えられないような外観(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

そそり立った岩山の足元にひっそりと

写真を見ていただくとお分かりになるように、このサン・エステバン礼拝堂がある場所は、そそり立つ岩の穿った部分にあり、礼拝堂の横から見える景色も岩山やその側面にある洞窟の様な部分が多くある。

この礼拝堂の起源を示す文献が残っていないので、ハッキリとしたことは分かっていないらしいが、その起源は10世紀頃まで遡ると考えられている。この地方は、イスラム教徒支配を受けた後、再びキリスト教徒たちが奪回した(レコンキスタ)歴史がある。サン・エステバン礼拝堂は、レコンキスタ後にキリスト教徒によって建てられたロマネスク様式(11~12世紀)以前の建築物である。

多くの研究者たちは、この礼拝堂は建設当時、渓谷を構成する崖や岩山の多くの洞窟や窪みに定住していた、様々な隠遁者たちが集まって祈りを捧げていた修道院のような場所だと考えている。あるいは、長さ8メートル、幅4メートルほどの小さな建物であることから、修道院ではなく、隠遁者たちの祈りの場所、と同時に軍事的な要塞を兼ねた場所だったのではないかという説もある。

12世紀になり、この礼拝堂は改修工事が行われた。ロマネスク様式の特徴の一つである半円形ボールトに置き換えられ、プレ・ロマネスクによくみられる直線的なものから現在の半円形の外観になった。(ビゲラ市役所のウエブサイトより)

ビゲラの村から見た礼拝堂周辺のそそり立つ岩山(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

内部には素晴らしい壁画が!

ビゲラ村のバルから借りてきた鍵で入口を開けて中に入ってみた。初めは暗くてあまりよく見えず、教会とは思えないほど簡素な、ハッキリ言って何も無いような印象だった。

入口から左手の奥に祭壇や主要アーチが見える(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

入口のドアを開けたままにして光を入れ、少しづつ薄暗い光に目も慣れてきたその時、ビックリするようなものが目の前に広がっていた。

保存状態は決して良好とは言えず、また多くの壁画は消失してしまっているにもかかわらず、力強い壁画が描かれている。

入口の右側と天井部分に残る壁画(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この壁画はラ・リオハ州の中でほぼ唯一の貴重なロマネスク絵画であり、外観からの予想から大きく外れた嬉しい驚きであった。人里離れたかなり急な斜面を登って辿り着き、壮大な景色を見ることができる場所に建てられたこのとても粗末な建物の中に、魅力的かつ神秘的な壁画が待ち受けているなんて、だれが想像できるだろうか。

かなりの急斜面を見上げると、岩山にぽっかり空いた口に礼拝堂はあった(写真. 筆者撮影)

壁画のテーマは黙示録

壁面を飾るほとんどの絵画のテーマは、聖書の黙示録の記述に基づいている。「生ける者にエスコートされる玉座」、「神秘の子羊と香炉を持つ天使」、「琴と杯を持つ24人の長老」。さらに、「戦士の衣装をまとった騎士」、マンドラと呼ばれるアーモンド型の中で天使に囲まれて座っている「威厳あるマリア」、10世紀後半にこの辺りのイレグア渓谷とレザ渓谷に君臨したビゲラの君主の称号を持つラミロ・ガルセス夫妻と同一視する人もいる「王と王妃の像」などがある。また、イエスの12使徒と考えられる一群の人の姿も見える。(ビゲラ市役所のウエブサイトより)

「香炉を持つ天使」服には十字架が入った模様が描かれている(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
「神秘の子羊」十字架をもっている(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

 上の写真「神秘の子羊と香炉を持つ天使」は、イコノスタシスまたは聖障(せいしょう)と呼ばれるミサが行われる祭壇がある聖なる場所と信者達がミサに参加する場所を隔てる壁にあるアーチの内部に施されている壁画である。

ビゲラのサン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban de Viguera)は、前述したようにロマネスク様式以前のプレ・ロマネスク様式と呼ばれるものであるが、特にイスラム文化の影響を色濃く受け継ぐモサラベ様式の影響を受けている。

イコノスタシスまたは聖障(せいしょう)はモサラベ様式の特徴の一つであり、この礼拝堂の重要な特徴でもある。当時、モサラベ式ミサでは、参加する一般信者たちはこの壁から先の神聖な領域には立ち入ることができず、祭壇から離れた所に居なければならなかった。

モサラベ様式の重要な特徴であるイコノスタシスまたは聖障(せいしょう)。この真ん中のアーチの内側に「神秘の子羊と香炉を持つ天使」は描かれている(写真. 筆者撮影)

イコノスタシスまたは聖障(せいしょう)の左側上部には、小姓の様な子供(?)、女性、そして中央には王冠を被り剣を手に持つ王の姿が見える。描かれている3人が一体誰なのか、何を表しているのか、調べてみたが分からなかった。

右側の女性の何か伺うような目つき、手には何か隠し持っているような仕草、どれも謎だらけ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

次に、マンドラと呼ばれるアーモンド型の中で天使に囲まれて座っている「威厳あるマリア」を見てみよう。「威厳あるマリア」の左側には女性、右側には王の姿がみえる。

下の写真ではよく見えないが、向かって左側の王の耳元に何やら不気味な黒い動物の姿がある。これは、「悪魔から助言される王」を表現している。(サン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban)への登り口の説明板より)

マンドラと呼ばれるアーモンド型の中にはマリアではなくイエスを描いたものが一般的だが、ここではマリアが描かれている(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アップにした写真で見てみよう。確かに耳元に悪魔らしき生き物が何かをささやいているようだ。

「悪魔から助言される王」(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

モサラベ様式の影響

ビゲラのサン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban de Viguera)は、前述したように、その起源は10世紀頃まで遡ると言われている。10世紀のスペインは、南はイスラム教徒に支配されており、北部では盛んにキリスト教徒がイスラム教徒から土地を奪回するレコンキスタ(国土回復運動)が行われていた。そして、丁度アストゥリアス王国の首都オビエドからレオンへと遷都され、レオン王国が誕生していた。

アストゥリアス王国の簡単な歴史については、こちらを参照してください。

今はラ・リオハ州の中にビゲラ村は位置しているが、10世紀にはレオン王国に属していた。この頃レオン王国内では、イスラム教徒が支配するスペイン南部アンダルシアに影響を受け、キリスト教文化と融合した多様な芸術表現が現れた。これが「モサラべ様式」である。建築、絵画、銀細工品、象牙彫など、東方的装飾性が濃いのも特徴の一つである。

ビゲラのサン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban de Viguera)の壁画は赤、黄土色、白、黒の4色で描かれているが、ある部分の背景は黄土色で、別の部分の背景は赤色で塗られており、太く黒い線描の人物像が生き生きと描かれている。

「戦士の衣装をまとった騎士」アーモンド型の目とくびれたウエスト、腰に巻いた服はエジプトの壁画を彷彿とさせる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

人間は細長く描かれ、動きだしそうな印象を見る人に与える。一人一人の顔は、どれもよく似た特徴を持ち、横顔は楕円形で、反対側の耳まで一直線に伸びている。目は2つの弧型で形成され、大きな丸い瞳孔は常に黒く、眉毛は鼻の直線で終わる2本の線である。また、太い黒の線描で人物を構成し、その上に彩色を施す方法がとられており、これらはモサラベ様式の影響を強く受けている。(アルテギアより)

「イエスの12使徒」の一部分。手が体に比べて大きいが、動きを表現しているようだ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

下の写真は「琴と杯を持つ24人の長老」。残念ながら24人全員の人物像は残存していないが、わずかにこれらの長老たちの頭上に残りの長老たちの足と服のすそ部分が見える。興味深い事には、この写真の長老たちの背景は赤色だが、上の層の背景は黄土色で色分けがしてある。何か意味があったのだろうか、それとも構図の工夫の観点から色分けしたのだろうか。今となっては分からない。

「琴と杯を持つ24人の長老」三日月模様の服は、イスラム文化の影響だろうか(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

長老たちは各々中世フィドル(Giga)と呼ばれる現代のバイオリンのような弦楽器をと軟膏や香水が入った球状のフラスコを手に持っている。

中世フィドル(Giga)(ウィキペディアドメイン写真)

最後に

興味深い事は、この礼拝堂は何世紀にも亘り完全に忘却の彼方に消え去っていたことだ。確かにかなり近づかないと礼拝堂の姿は見えない。更に、礼拝堂に近づくにはかなり急な傾斜面を登っていかなくてはいけない。しかし、ビゲラ村からはそう離れてもいないし、この礼拝堂近くを散歩していた村人たちはいただろう。ただ、あまりにもその粗末な外見から、中に入ってみようという興味をそそられるような人がいなかったのだろう。1950年代に「再発見」され、修復工事が行われたという話を聞いて驚いた。そして、その修復工事の際にこのフレスコ画が見つかった。それが前述したように聖書の黙示録の一説を描いたものである。

ビゲラの村から少し離れていて、かなり急な斜面を登らなければならないとしても、十分に訪れる価値があるもので、もっと大々的にアピールすればよいのにと、少し残念でもある。

サン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban)の素晴らしい壁画は、スペインプレ・ロマネスクの至宝といえよう。もしかすると、他の小さな村にも忘れ去られた至宝が眠っているかもしれない。

参考

・ビゲラ市役所のウエブサイト

https://aytoviguera.larioja.org/descubre-viguera/ermita-de-san-esteban

・アルテギアのウエブサイト

https://www.arteguias.com/ermita/viguera.htm

・ビゲラのサン・エステバン礼拝堂 (La ermita de San Esteban de Viguera)を扱った動画が幾つかあったのでこの場で紹介する。