ロマネスクへのいざない (16)- アストゥリアス州 (4)– プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)

宿泊していたビジャビシオサ(Villaviciosa)の街から車で20分とかからない所にサン・サルバドール教会はあった。

この教会は、1913年2月5日に国定史跡(Monumento Nacional)に指定されたが、2015年には、ユネスコが「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道である、フランスからの巡礼の道並びにスペイン北部経由の巡礼の道(筆者訳)(«Caminos de Santiago de Compostela: Camino francés y Caminos del Norte de España» 」に承認した際、海岸沿いの道の個別資産(参照番号669bis-013)の一つとして含まれた。(ウィキベテアより)

切り石建築ではなく、漆喰と塗装が施されている(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アストゥリアス文化(プレロマネスク様式)とは

10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地でロマネスク様式の教会や修道院が盛んに建設されたが、スペインにはロマネスク様式への架け橋となった西ゴード、アストゥリアス、モサラベの3種類のプレロマネスク様式がある。ここでは現在スペインのアストゥリアス州にのみ現存するその土地に根差したアストゥリアス建築を中心とするアストゥリアス文化の教会を見てみる。

アストゥリアス文化は、8世紀から10世紀の頭まで200年ちょっとの間に花開いた文化であり、それはアルフォンソ2世(Alfonso II)が統治していた791年から842年、ラミノ1世(Ramino I)とオルドーニョ1世(Ordoño I)が統治していた842年から866年、アルフォンソ3世(Alfonso III)が統治していた866年から910年までの3段階の発展があった。

プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、このアストゥリアス文化(プレロマネスク様式)の教会として、921年に献堂されたが、この年は既に首都がアストゥリアスのオビエドから現在のカステージャ・イ・レオン州のレオン市に遷都され、アストゥリアス王国ではなくレオン王国になっていたという時代背景がある。

後陣を外側から見た教会。窓はまだ小さいもので格子窓が使われているのはアストゥリアス文化の特徴の一つ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

色濃く残るアストゥリアス文化の特徴

この教会はアストゥリアス文化の特徴を兼ね備えた教会である。

バシリカ間取り、身廊(Nave principal)と身廊の両側の外廊(Nave)の3つから成り、教会の祭壇を含む頭部(Cabecera)は3つの部分に分かれ、その天井は半円形ボールトで覆われている。身廊は外廊に比べより高くより広くなっており、身廊と外廊は半円アーチの柱で区切られている。そして入り口のホール部分からトリビューン階上廊へ上っていく造りになっていた。これは、君主がミサに出席する際に二階にある席に座るためのものであり、そこには衝立等が置かれていて、ミサに出席している他の一般の信者たちからは見えないような配慮がなされていた。この部分は現在では焼失されてしまったのが残念だ。

プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、アストゥリアス文化最後の建築時代の最も興味深い例のひとつであると言われている。

手元にあるオビエド大学の美術史教授カルメン・アダムス・フェルナンデス(Carmen Adams Fernández)著「El Arte Asturiano Prerrománico・Románico・Gótico(アストゥリアス文化 プレロマネスク・ロマネスク・ゴシック)(筆者訳)」では、プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)は、「彫刻装飾はバルデディオスのサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)をモデルとしているが、建築の間取りについては、リージョのサン・ミゲル教会(Iglesia de San Miguel de Lillo)やバルデディオスのサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador de Valdedós)といったより近い時代の建築よりも、バシリカ・サントゥジャノ(Santullano または Basilica de San Julián de los Prados) との類似性が確立されていることから、そのモデルはアストゥリアス文化の初期、特にアルフォンソ2世(Alfonso II)の時代にある(筆者訳)」と指摘している。

前述したように、この教会が献堂された921年は、910年にレオンに遷都されてから既に10年の歳月が過ぎていた。アストゥリアスの人々はアストゥリアス王国の繁栄時代を懐かしみ、復古主義的になっていたのだろうか。アルフォンソ2世(Alfonso II)の時代と言えば前述したように791年から842年なので、60年から100年近く時代を遡っていることになる。興味深いものだ。

半円アーチで区切られた身廊と外廊。今もミサがあげられるため長椅子が置いてある(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

モデルとなったバルデディオスのサン・サルバドール教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)についてはこちらをどうぞ。

1000年の重みを感じさせられる内部

下の写真を見てお分かりになるように、後陣の祭壇部は半円アーチと柱にて3つの部分に区切られており、中央部分にはアストゥリアス文化の特徴の一つである格子窓が明り取りとなっている。原始キリスト教時代から「3」という数字には特別な宗教的意味が込められていた。それは、「三位一体」を具象化していたのである。「三位一体」とは、325年に開かれたニケーア公会議に始まり数回の公会議を経てキリスト教の正当教義となった、「神とキリストと聖霊の三者はそれぞれ別な位格(ペルソナ)をもつが、実体は一体である」という教義のことである。また、キリストが磔刑に処せられた時の年齢が33歳であったことや、その際午後3時に息を引き取ったということからも「3」という数字にキリストを重ね合わせたとも言われている。

薄っすらと幾何学的な絵の跡が見られる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらの写真は身廊の両側の外廊(Nave)に当たる後陣部分である。ここにもアストゥリアス文化の特徴の一つである格子窓があるが、これは10世紀当時のオリジナルなものだという説明を教会を開けて見せて下さった管理人の方から聞き、1000年以上の歳月に耐えられる当時の建築技術の高さを改めて感じさせられた。

こちらの天井にも幾何学模様が見える(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

次の写真は、後陣の祭壇部と身廊の両側の外廊(Nave)に当たる後陣部分を隔てている塞がった半円アーチと柱がある壁。これも大変保存状態の良いオリジナルの一つだ。

塞がれた半円アーチと柱によって後陣を3つに分ける壁(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

また、教会内部の床部分はコンクリートでできているが、これは中世初期スペイン建築の特徴の一つである。これもオリジナルだ。

見えずらいが、10世紀から1000年以上も多くの信者たちを迎えてきた床(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

不思議な窓とその小部屋

教会の外に出て、外から後陣を見てみると、前述の明り取りの格子窓の上に下の写真のような2つの小さな馬蹄形アーチを載せた窓がある。

スペイン建築の特徴の一つ、馬蹄形アーチ窓(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

実は、祭壇部分がある中央後陣の上には小部屋が設けられている。この小部屋は、アストゥリア文化の教会建築の特徴の一つである。不思議なことに、内部からこの小部屋に入ることはできず、外部からもこの2つの小さな馬蹄形アーチを載せた窓からしか入れないのである。しかも、この窓から入るための足場も何もない上に、この窓はかなり小さいので大人が一人やっと入れるくらいの幅しか無い。

中央の格子窓の下に足場があるが、格子窓の上にある2つの小さな馬蹄形アーチ窓までは到底届かない高さ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この謎の小部屋についてアルテギア(arteguia)のサイトに、「この小部屋の起源や機能については、研究者の間でも意見が一致していない。構造的、美的機能を果たしていることは間違いないが、他の目的、おそらく聖遺物を保管する場所として、あるいは穀物貯蔵庫として使われた可能性もある。(筆者訳)」と説明されている。内部からも外部からも侵入が困難であったこの小部屋は、大切なものを保管する場所として使われていたのであろうが、謎が解決することはないのだろうと思った。それだけに色々な想像をかきたてくれる。

最後に

下記参考に、プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)を訪れたい方のためにアストゥリアス州の観光サイトを紹介しているが、私が10月末に訪れた際には、教会の前の家に住んでいらっしゃる管理人の方が教会の入口を開けて見せてくれた。事前予約もなく無料で観覧できたが、やはり事前に連絡をして日時を予約して行った方が賢明であろう。

スペインの中でも特にアストゥリアス州でしか見れない-実際には、現在のアストゥリアス州以外でも数件残存するが-特殊なアストゥリアス文化、そして1000以上の気の遠くなるような長い年月をタイムスリップするかのような錯覚を与えてくれる教会を是非、訪れてほしい。

このアストゥリアスのプレロマネスクとロマネスクを訪ねた旅のルートを知りたい方はこちらをどうぞ。

参考

・アストゥリアス建築について、建築家丹下敏明氏が直截簡明に説明してあるお薦めのエッセイ。

http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53485769.html

・アルテギア(arteguia)のウエブサイト。スペインロマネスク美術と中世美術を紹介するサイト。本も多数出版している。

https://www.arteguias.com/iglesia/sansalvadorpriesca.htm

・アストゥリアス州の観光サイト。こちらには連絡先などの基本情報がある。

https://www.turismoasturias.es/descubre/cultura/prerromanico/iglesia-de-san-salvador-de-priesca

・スペイン中世初期美術友の会(筆者訳 Asociación de Amigos del Arte Altomedieval Español)のウエブサイト。アストゥリアス文化についても出ている。