ロマネスク様式からゴシック様式への過渡期に建てられた教会
スペイン北部のビジャビシオサ(Villaviiosa)の街の中にあり、1270年に建てられたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、スペインでロマネスク様式がまさに終焉しようとしていた頃、かつ、既に他のヨーロッパ諸国やスペインの他の街ではゴシック様式が建築の新しい主流となりつつあった頃に建てられたものだ。上の写真をご覧いただくとお気づきになる方も多いと思うが、入口の門のアーチは純ロマネスク様式の半円アーチではなく、ゴシック様式の特徴である尖ったアーチで造られ、ロマネスク様式にはなかったバラ窓が施され、そのファサードは鉛直性が見て取れる。これらの特徴はロマネスク後期に見られるもので、完全なゴシック様式ではないもののゴシック様式の原型となるものであった。
このような、二つの建築様式が融合している教会は興味深いものがある。改築や増築されたために異なる建築様式を持つ教会とは違い、取ってつけたような印象はなく、調和のとれた安心感を与える美しい建築だ。
アストゥリアス芸術が残るプレ・ロマネスク
サンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)を受け継いだ正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)を持つバシリカ間取りで、長方形の身廊と聖堂、聖具保管室、南壁に取り付けられた開口柱廊で構成されている。
教会の内部の身廊は露出した木造建築で覆われ、尖ったアーチが聖堂の2つのセクションを隔ている。ゴシック様式への過渡期の尖ったアーチが見られるものの、全体的にはロマネスク様式の至ってシンプルな造りである。
プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)とは、一般的にはロマネスク様式が伝わってくる以前にアストゥリアス地方で造られてきた教会や修道院などの建築様式で、この地方独特の特徴を持っていた。11世紀にはいるとロマネスク様式がスペイン北部全域そしてアストゥリアス地方でも席捲し始め、それまでの様式に取って代わられた。それ故、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は11世紀以前に造られた建物が殆どだが、この教会は13世紀後半という後期ロマネスク様式時代に造られたにもかかわらず、まるで数世紀前の自分たちのアイデンティティーを懐かしむがごとく、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の特徴である正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)が造られたりしていて興味深い。
オリジナルなモチーフが施された柱頭
自分たちのアイデンティティーを再確認するようだと思わせる他の例として、ファサードの出入り口にある柱頭の彫り物のモチーフが挙げられる。
・アストゥリアスで初めてのバグパイプ奏者(Gaitero)
「バグパイプ」と聞くと日本では真っ先にスコットランド・バグパイプが思い浮かぶが、実は「バグパイプ」は中世ヨーロッパではポピュラーな楽器の一つで、スコットランドだけではなく各国で演奏されていた。スペインでは「ガイタ(Gaita)」と呼ばれ、現在でもアストゥリアス州やガリシア州ではお馴染みの楽器の一つだ。キリスト教三大巡礼地の一つガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラという街では、今でも「ガイテーロ(Gaitero)」と呼ばれるバグパイプ奏者がストリート・ミュージシャンとして活躍していて、その音色を気軽に楽しむことができる。
アストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」は、旋律を演奏する主唱管(チャンター chanter)の他に、1本の通奏管(ドローン drone)が付いている。ちなみに、日本で知られているスコットランド・バグパイプはこの通奏管(ドローン drone)が3本付いている。
下の絵はアストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」である。スコットランドのものよりシンプルな形をしている。
欧州では、14世紀~15世紀にかけて最も盛んにこの楽器が用いられていたらしいが、今回訪れたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)のファサード出入り口の柱頭には、この「ガイテーロ(Gaitero)=バグパイプ奏者」の姿を見ることができる。地元のガイドであるアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、これはアストゥリアス地方の教会の装飾として初めて施されたものだという。教会は1270年建設なので、かなり早い時期から「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」がアストゥリアスではポピュラーな楽器だったことが推測される。ロマネスク様式では珍しい図像である。
・豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)
こちらの図像もアストゥリアスならではのもので、前述のガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、この柱頭の彫り物は豚の屠殺(とさつ)行事を表現している。中央の女性はアストゥリアス地方の代表的な飲み物「シードラ」と呼ばれるリンゴ酒(Sidra)を飲み、左側の女性はタンバリンをたたいてお祭り気分を表し、右側の男性は大きなナイフを持って豚をつぶそうと身構えている。
この豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)は現在も行われており、特に地方の村々では11月末から2月にかけてこの「マタンサ(Matanza)」が開催されており、村を挙げての行事でありお祭りでもある。村のみんなが集まり共同して豚をつぶし、1年分のハムやソーセージを作ったり、肉を焼いて村人みなで食べたりして、食べ物が少なく貴重だった当時は、豪華な食べ物にありつける有難いお祭りだったのだ。
・妊娠姿のマリア像
次に紹介するのは、お腹が大きいマリア像である。教会の石像等でマリア像は沢山あるが、妊娠中のお腹が大きいマリア像は殆ど見ることができない貴重なものである。
・その他のさまざまな図像
狩りをした後に城へ帰る騎馬の姿も見られる。
こちらは、教会南側出入り口の柱頭に施されている図像で、子羊または豚を殺そうとしている場面である。
怪物が人間を食べている場面も見られる。一般的に、ロマネスク様式の柱頭では「善」と「悪」を表現していることが多いが、これらは「悪」を表していた。
最後に
既述の「妊娠姿のマリア像」の写真でお気づきになった方もいらっしゃると思うが、ファサードの8本の柱に施された人物像全ての首が失われている。これは、正確に言うと失われたのではなく、首を切り取られてしまったのである。
スペインでは、1936年から3年間にわたって左派の共和国人民戦線政府と右派の反乱軍が戦った、今もスペイン人の心の傷となって深く残る、スペイン内戦があった。同じ国の同士達がイデオロギーの違いによって、場合によっては親子や兄弟で敵同士となり戦った悲しい歴史だ。その内戦中、左派の社会労働党や共和主義者達は暴力革命志向が強く、そのためカトリック教会の施設破壊や略奪が公然のこととして横行した。アストゥリアス地方は、左派勢力が強かったため、前述したような教会のファサードに施された聖人像などの首が全て恣意的に切り落とされたのである。
一度、破壊された歴史的建造物を破壊される以前の姿に再現することは難しい。ここでもその例を見ることができる。そして、戦争の愚かさ、無意味さを考えさせられた。イデオロギーの違いを超えて、自分たちの祖先が築いた文化を守ることの大切さも考えさせられるものとなった。
顔や首のない石像たちの声なき声を聴いたような気がした。
参考
・デジタル版のビジャビシオサ(Villaviciosa)の街のニュースなどを提供している「ビジャビシオサ・エルモサ」の中に、今回登場したガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)の説明動画がある。残念ながら映像と音響の質がいまいちでスペイン語しかないが、興味がある方はこちらをどうぞ。
・ここで紹介したビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)は、アストゥリアス州のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。このルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。
情報
ビジャビシオサ(Villaviciosa)ウエブサイト。教会が見れる時間帯などの情報が得られる。
https://www.turismovillaviciosa.es/iglesia/romanico/santa-maria-de-la-oliva/villaviciosa