スペイン版除夜の鐘と年越しそば?大晦日の12個のブドウとは?

今年も残すところ2週間をきりました。スペインに住んでいると12月24日のクリスマス・イブを皮切りに、年が明けて1月6日までの三賢王の日までの2週間は、何かと家族や友人が集まり食べて飲んで歌って踊ってと、賑やかかつ胃腸にはハードな時期です。私は「マラソン・クリスマス」と勝手に呼んでいます。(笑)

「マラソン・クリスマス」の丁度中間地点にあたる大晦日。スペインでは、大晦日の夜は家族みんなや友人たちと一緒にワイワイといつもより豪華な食事をとるのが一般的です。普段はスペインの夜ご飯が始まる時間は遅いのですが、この日は0時の鐘の音とともに12個のブドウを食べなければならないので、余裕をもって夕食会を始めるスペイン人が多いようです。

大晦日の12時の鐘に合わせて食べる12個のブドウ

ひとしきり大晦日の夜ご飯が終わると、各人が12個のブドウを手にしてテレビの前に集まります。遅くても0時15分前にはテレビにスイッチを入れます。テレビをつけると、スペイン国営放送がマドリードのソル広場(Puerta del Sol) にある王立郵便局 (Real Casa de Correos) の時計台と、新年を迎えようとソル広場に詰め掛けている人々の姿が映し出されます。

ソル広場(Puerta del Sol) にある王立郵便局 (Real Casa de Correos) の時計台(写真: 筆者撮影)

12時の鐘が鳴る直前には、鐘が鳴ると同時に食べ始められるように、皆テレビの前でブドウを手にして待ち構えています。そして、鐘が鳴り始めると一斉に12個のブドウを次々と口の中に入れていくのです。最初の2~3個を食べている間は、「今年はいけるかも!!」と思うのですが、どんどん口に入れるにつれ、噛んで飲み込む時間が無くなってきて、口いっぱいに頬張りながら10個目くらいで12の鐘が鳴り終わってしまうことが多いですね。スペインのブドウは大粒なものが多く、皮と種もそのまま全部食べるのが一般的です。私は、これでは絶対無理!と悟り、ここ数年は事前に皮をむいて種もとった12個のブドウを自分用に用意しています。(笑) 最近では、種無し皮をむいたブドウの入った缶詰が売られていますよ。皆、考えることは同じですね。(笑)

そして、12の鐘が鳴り終わってブドウ12個を食べ終わったらすぐに、皆で抱き合って、両方の頬にキスをして「新年おめでとう!(¡Feliz año nuevo!)」と言いながら、シャンパンでお祝いします。

その始まり

この12個のブドウを鐘の音と一緒に食べて新年を迎えるという習慣は、一体いつ頃どういう理由で誕生したのでしょうか。

1895年、ブドウ農家の人達がその年特に豊作だったブドウを売りさばくために始めたという説や、フランスから輸入された習慣だという説、12粒のブドウを食べると1年の幸運と繁栄につながるという、もともと古くからの言い伝えがあったという説、地域によってはブドウを食べることで魔女や悪一般を追い払うと信じられていたという説など、いろいろな説があるようです

(写真: 筆者撮影)

何はともあれ、今は12個のブドウを12の鐘の音が鳴り終わるまでに食べてしまうと、新年は豊作、良い年、幸せになると言われていて、皆12の鐘の音が鳴り終わるまでに12個のブドウを食べ終わられるよう懸命です。今年も12個のブドウの皮と種を取って準備万端で大晦日を迎えるつもりです。(笑)

終わりに

もし大晦日の日にマドリードに滞在する機会があれば、あなたも是非12個のブドウ持参で王立郵便局 (Real Casa de Correos) 前でスペイン式に新年をお祝いしてみてはいかがでしょうか。きっと忘れられない一生の楽しい思い出になること間違いなしです!ブドウの皮をむいて種を取っておく準備をお忘れなく!

ちょっとスペイン語-19-(¡Manda narices!)嫌になる、不快な、腹が立つ

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

もうすっかり冬ですね(写真: アルベルト・F・メダルデ )

¡Manda narices! 、manda narices~- 嫌になる、不快な、腹が立つ

前回に続き、話し言葉(coloquial)でのみ使われている表現の一つを紹介します。

スペインに長く住んでいるとよく耳にする話し言葉ですが、スペイン王立アカデミー編纂の西西辞典(Real Academia Española)には載っていない表現です。

基本的には、怒りや腹立たしさ、不快感を表したり、非難する時などに使われる言い回しです。

1.Era un trabajo del grupo pero mis compañeros no han hecho nada, ¡manda narices que tengo que hacer todo yo solito!

グループでやる仕事だったのに、他の奴らは何もやってない。なんで俺が一人でやんなきゃいけないだ!

2.¡Manda narices! Otra vez hay una caca de un perro delante de mi casa.

嫌になまたうちの前に犬のうんちがある。

1の文は、何にも仕事をやっていない怠け者の同僚を非難し、腹立たしさを言い含めた言い方です。

2の文は、不快感と怒りを表しています。

この言い回しを使うと、本当に不快な思いをしている、腹を立てているということが表現できて結構使い勝手の良い言い回しです。発音する時は、ちょっと大げさに言ってください。そうすると一層不快な気持ち、非難する気持ちが伝わりますよ。どうぞ、使ってみてくださいね。

レオン(León)へ行こう!(4)―クリスマスツリーの前身か⁈「クリスマスのラモ・レオネス(Ramo leonés de Navidad)」

12月に入り、スペインの街は一気に賑やか、華やかになってきています。街には色鮮やかなクリスマス・イルミネーションが始まり、クリスマスの飾り付けがお店屋さんや街角でもお目見えしてきています。最近のスペインの傾向としては、伝統的ないわゆるキリスト教に関係するイエス誕生にまつわる場面の飾り付け等はどんどん影をひそめ、もっと商業的でニュートラルなデザインのイルミネーションや飾り付けが幅を利かせています。個人的には華やかなイルミネーションではなく、原点に立ち返ったイエス誕生を祝う喜びの祭典、長く寒く暗い冬を生活する庶民の楽しみでもあり喜びでもあったクリスマスを祝うもっと素朴で精神的で伝統的な飾り付けの方に心を惹かれます。

古くて新しいクリスマスの飾り

実は、レオン市ではここ20~25年位前からお目見えした古くて新しいレオン特有のクリスマスの飾り付けがあります。「クリスマスのラモ・レオネス(Ramo leonés de Navidad)」と呼ばれる飾り付けです。最近では、レオンの街中に大きなこの飾り付けが立てられたり、街中を歩いていると様々な店先でこの飾り付けを見ることができます。私が最初に留学した90年代前半には見たことも聞いたこともないものでしたが、今ではとてもポピュラーな飾り付けとなっています。

レオン街中の公園に今年も現れた巨大なレオンのラモ・レオネス (写真: 筆者撮影)

クリスマスのラモ・レオネスは木製のフレームを使用しますが、その形は日本の相合傘のイラストを思い出していただくとわかりやすいかと思います。三角形の真ん中から出ている木製の一本足が台に乗っているというイメージです。上の写真をご覧ください。百聞は一見に如かずですね。三角形部分は、半円形や四角形のものもありますが、私が実際に見たものは殆ど三角形のものでした。そして、その三角形の2等辺部分には1年12ヶ月を表す12本のロウソクを飾り、三角形の底辺部分にはリボン、毛糸、刺繍、レース、果物、ビスケットなど、さまざまな種類の供物を吊るします。一本足が乗る台には、栗や木の実を入れた籠などが飾れれていることもあります。

クリスマスのラモ・レオネスの起源

クリスマスのラモ・レオネスの起源は、キリスト教以前の時代まで遡ります。「ラモ・レオネス」の「ラモ(ramo)」とはスペイン語では木の枝という意味の言葉ですが、「Ramo leonés de Navidad」を直訳すると「クリスマスのレオンの枝」という意味です。つまりその起源には、キリスト教以前のヨーロッパ諸国で一般的だった自然崇拝があり、特に樹木崇拝があります。樹木崇拝は、春を迎える前兆としてまた冬至にまつわる祭事で豊穣の象徴として一般的なものでした。レオンにおける「ラモ・レオネス」も、豊穣を祈り春への序曲として捧げられていたものだったと考えられています。

約200年ほど前に作られた「ラモ・レオネス」現存するものでは最も古いものだとか(写真: 筆者撮影)

そして時代が下り、キリスト教がこの地にもたらされた時には「ラモ・レオネス」は異教徒のシンボルとされましたが、だんだん教会に適応されていきました。これは、キリスト教がヨーロッパ全土に広がっていく過程ですべての地域で行われた適応の一つで、もともと古くからその土地で祝われていた儀式やお祭りを異教徒のものとして切って捨ててしまうのではなく、上手くキリスト教儀式の中に取り込む形で融合させていき、人々の反発を買うことなく、人々の心をつなぎとめ、キリスト教の布教を助ける働きをしていったのです。

クリスマスのラモ・レオネスは、クリスマスツリーの前身とも言われているそうです。

クリスマスのラモ・レオネスの種類

レオン地方の村々には、色んな種類の「ラモ・レオネス」があります。代表的なものをいくつか見てみましょう。

植物の枝で作られたもの。これは、キリスト教以前にあった最も古い原型に近いものです。常緑樹の植物から採取するのが一般的だったようで、月桂樹、ヒイラギ、松などの枝を使用していました。

偏菱形 (へんりょうけい)のもの。これは、先端が上向きと下向きの2つの三角形で形成されているものです。

キュービックのもの。これは、2つの正方形がマストと互いに結合して形成されているため、立方体状になっています。

円筒形のもの。2本の水平な木の輪を重ねたもので、マストに取り付けられています。

ラストル。草を集めるための農具に形が似ているためこの名がつきました。長方形です。

他にも様々にアレンジされたものがあるようですが、やはり一般的には相合傘のやつが主流のようですね。

売られていた様々な「ラモ・レオネス」(写真: 筆者撮影)

蘇ったクリスマスのラモ・レオネス

長い伝統を持ち、キリスト教にも上手く融合しながら生きながらえてきたこのクリスマスの飾り付け「ラモ・レオネス」は、私たちがよく知っている姿のヨーロッパ他国の伝統であるクリスマスツリーがスペインに入ってくると、だんだんと姿を消していきました。実際、今から約20年ほど前までは、私の知っているレオンの友人や家族などほとんどの人達は「ラモ・レオネス」について見たことも聞いたことなかったそうです。

1996年のクリスマスに、レオン伝統文化協会(La asociación ‘Facendera pola Llingua’)が、レオン語(ラテン語から派生した一つで、カスティージャ・イ・レオン州のレオン県とサモラ県の一部で話されている-ウィキペディアより)で書いたクリスマスカードに「クリスマスのラモ・レオネス」の絵を描き入れて大量に印刷して配ったことから、このレオンの伝統的な飾り付けが一般的に知られることになりました。

それ以来少しずつ市民権を回復していき、私が調べた限りでは、2014年よりレオン市内の広場に8メートルもの巨大な「ラモ・レオネス」が飾られています。それ以前の2010年のレオンの新聞記事には、レオンにある大手デパート「エル・コルテ・イングレス(El Corte Ingés)」にこの飾り付けを売るコーナーが登場したり、街中の店のショーウインドーに飾り付けられていることが載っていました。また、2005年のレオンの新聞「ディアリオ・デ・レオン」には、広場に飾られている「ラモ・レオネス」に毎日2000人の人が見に来ていると報じています。

最後に

クリスマスの飾り付け「ラモ・レオネス」が復活してきた90年代後半といえば、スペインの経済は好景気が始まりどんどんグローバル化が進み、他のヨーロッパ諸国に追いつけ追い抜けの時代でした。 スペイン国外のクリスマス様式や飾り付けもどんどん導入され、画一的かつ商業的なものへと急速に変化していったこの時期に、もっと自分たちだけのローカルなもの、自分たちの起源となるものに目を向けるようになり、レオンの人々から忘れ去られた飾り付けが復活し、現代に生きるレオンの人々に受け入れられたことは面白いことです。グローバル化が進むことで逆にアイデンティティーを求める機運が高まったのでしょう。一方で、多くの若者にとって宗教というものが遠い存在になっている今、また、キリスト教という宗教に反発・反感を抱く広い世代の人々にとっても、キリスト教が入ってくる以前から存在していたこの飾り付け「ラモ・レオネス」は、もっとニュートラルで宗教色の薄いクリスマスの飾り付けとしてすんなり抵抗なく受け入れられたのでしょう。

クリスマスの飾り付け一つからでも、その時代に生きる人々の考え方や生き方、時代の流れ、主張とてもいうべき声なき声などが聞こえてきそうで、興味深いものです。

もし、クリスマスの時期にスペインを訪れる機会があれば、是非レオンまで足を延ばしてこのクリスマスツリーの原型といわれている「ラモ・レオネス」を見に来てくださいね。

情報

・2020年12月18日付け「ディアリオ・デ・レオン (Diario de León)」という地方新聞に、レオンのクリスマスブーケについて詳しく報道されています。このブログの内容もこの記事を参考にしてます。

https://www.diariodeleon.es/articulo/navidad-leon/ramo-leones-navidad-tradicion-leon/202012181539372071100.html

ちょっとスペイン語-18-(No poner huevo en casa)-(ずっと)家を空けている、家に居ない

卵(Huevo)を使った言葉いろいろあります(写真: 筆者撮影)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

No poner huevo en casa(ずっと)家を空けている、家に居ない

先日、スペイン人の友人とおしゃべりしていたら、次のような言葉が友人の口から聞かれました。

Esta mañana he ido a trabajar, luego por la tarde he ido a hacer las preparaciones del concierto que estamos organizando hasta que he ido al ensayo. Mira qué hora es ya, no he puesto huevo en casa hoy.

朝から仕事に行って、午後は今計画中のコンサートの準備をコンサートの練習に行くまでやってたの。ほら、もうこんな時間よ。今日はずっと家を空けっぱなしだったわ。

スペインに語学留学で来て、結婚してからスペインに住んで、もうかれこれ30年近くになりますが、この表現は初めて聞いたので、思わず、「えっ?ウエボ (huevo=卵) がどうしたって?」と聞いてしまいました。(笑) 友人も大笑いしながらこの文章の意味を教えてくれ、基本的には否定語の「No」と一緒に使われる表現だとか。

「huevo」は卵、「casa」は家のことで、「poner un huevo」で「卵を産む」という意味があります。直訳すると、「No poner huevo en casa」は、「家で卵を産まない」ということ。ひいては、「ずっと家に居ない」という意味になるようです。

家に帰ってから早速、スペイン王立アカデミー編纂の西西辞典(Real Academia Española)でこの表現を探してみましたが、残念ながら載っていませんでした。いわゆる話し言葉(coloquial)でのみ使われている表現なのでしょう。辞書に載っていないとなると、ますます希少価値なる表現を手に入れたような気になり、今からいつこの表現を実際に使おうかとワクワクしながら待ち構えています。(笑) 

ロマネスクへのいざない (8)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(5) – ハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)

ハラミーリョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教は、調和のとれた気品あるロマネスク建築の一例だ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ハラミージョ・デ・ラ・フエンテという村に着き、聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora-ラ・アスンシオン・デ・ヌエストラ・セニョーラ教会)を見たとき、青い空と前庭の緑の芝生、そして太陽の光を浴びた黄金色の石と赤い屋根がとても素敵な色のコントラストをなしていて目を奪われた。とても調和のとれた美しいロマネスク様式の教会だ。

ちょうどスペインではお食事時間の午後2時半ごろに着いたので、殆ど村には人がいなかったが、一人おじいさんが教会の前を通ったので、「教会には入れますか?」と尋ねると、「あー、今は昼ご飯の時間なので4時以降だったら教会の近くに住む神父に頼めるよ。」と教えてくれた。そして、教会を見上げながら、「わしらの教会はとっても美しいだろう?」と誇らしげに言っていたのが印象的だった。こんな小さな村に、ロマネスク様式の宝物のような教会があることに本当に驚きを感じた。

スペインの文化財

ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村の聖母被昇天教会に関する最古の記録は982年まで遡り、このブログでも紹介したことのあるサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)の管轄範囲にあったことが、約100年後の1119年にウラカ女王自らが確認している。(https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_JARAMILLO_DE_LA_FUENTE.pdf より)

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)について興味のある方はこちらをどうぞ。

約1000年の時を経た1991年に、スペインの文化財として歴史的・芸術的モニュメント(Bien de Interés Cultural)に指定された。この辺りには、ブルゴス地方にあるシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)と呼ばれる山脈全地域に存在していた「山の学校 (Escuela serrana)」と呼ばれたロマネスク建築群があるが、その中でもハラミーリョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会は、特に気品があり興味深いロマネスク建築の一例として知られている。

裏側に回って見る鐘楼(写真:アルベルト・F・メダルデ)

柱廊玄関(La galería porticada)

ガレリア・ポルティカーダ(Galería porticada)と呼ばれる柱廊のある玄関は、計7つの半円形アーチで構成され、左側(東側)は2つのアーチ、右側(西側)には4つのアーチがあり、左右対称ではないが不思議ととても調和がとれている。

ガレリア・ポルティカーダ(Galería porticada)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

この「7つ」のアーチの数字の「7」には、初期キリスト教における7つの主要教会として、新約聖書ヨハネの黙示録の中で言及されている教会(エフェソス、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオディキア)を指し、完全な数を表している。(「Rutas Romanicas en Castilla y León/2 (provincia de Burgos) (カスティージャ・イ・レオン州のロマネスク・ルート 2 ブルゴス県編)」Luis María de Lojendio(ルイス・マリア・デ・ロヘンディオ)著, Abundio Rodriguez(アブンディオ・ロドリゲス)著、 Ediciones Encuentro, S.A. (エンクエントロ出版社) より参照)

「7」という数字には、キリスト教の中で「完全、完璧に終わる」という意味が込められている。神はこの世界を「7日」で創造した(「7日」で完成した)。キリスト教には、洗礼、聖体、堅信、告解、病者の塗油、叙階、婚姻と呼ばれる「7つ」の秘跡がある。これらの「7」の数字のシンボルとして「完成、完全」などの意味を含んでいるのである。(「Iconografía y Simbolismo Románico (ロマネスクの図像とシンボリズム)」より。David de la Garma Ramírez (ダビッド・デ・ラ・ガルマ・ラミレス)著、Arteguias(アルテギアス)発行)

これら7つの各アーチには2本の柱がそれぞれあり、その柱頭には興味深い彫り物が施されている。いくつか見てみよう。

教会に向かって左側(東側)には、まるで2つの肖像画のように頭部が描かれているが、一つは巻き毛の人、もう一つは怪物のような顔が見える

二つの頭部の髪の毛部分の細かな彫りに注目(写真:アルベルト・F・メダルデ)

次の柱頭には、ギリシャ神話に出てくるお馴染みのケンタウロス(半人半獣の種族)とハイピュイア(女面鳥身の生物)が見える。

ケンタウロス(半人半獣の種族)とハイピュイア(女面鳥身の伝説の生物)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

右側(西側)のアーチに目を向けると、王と王妃の頭が見える。王の顎髭のカールした描写や王妃の冠の細かい模様は素晴らしい

王と王妃の頭(写真:アルベルト・F・メダルデ)

その隣の柱頭には、図案化された植物の模様が見られる。

図案化された植物(写真:アルベルト・F・メダルデ)

鐘楼(La torre)

3層から成る鐘楼(写真:アルベルト・F・メダルデ)

角形の鐘楼は3層から成る。下から2層目と3層目に半円形の大きなアーチがあり、そのアーチの中に同じようには半円形の小さな双子型のアーチがある。このタイプの鐘楼はハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村のこの教会だけではなく、近隣の町のいくつかの教会でも繰り返し用いられているタイプの鐘楼である。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )

後陣またはアプス(El ábside)

愛嬌のある生き物たちや神話の生き物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)

後陣またはアプス(ábside)と呼ばれる部分の中央には、細長い採光窓がある。上の写真で見てもらえるが、半円形のアーチの右上には四足を持つ動物と左上には鳥が描かれていて、二つとも愛嬌のある姿である。また、2本の柱頭には、素人目にもはっきりと、ハイピュイア(女面鳥身の伝説上の生物)とグリフォン(鷲の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物)の姿を確認することができる。質の高い出来と石材が周りの部分と異なることから、この教会の聖堂や身廊の他の部分を手がけていた工房とは別の工房で作られたと思われる。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )

見れば見るほど面白いモチーフ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

後陣またはアプス(ábside)の装飾には、ヤギ、熊等の動物や、読書する僧、天を見上げる二人の男性、アクロバット(?)をする男性または恥部を露出している(?)男性等、好奇心を掻き立てられるモチーフがある。

出入口(La puerta

教会の出入口(写真:アルベルト・F・メダルデ)

柱廊玄関(La galería porticada)を入ると、教会への出入口がある。柱廊玄関(La galería porticada)の庇によって雨風等から守られたためか12世紀の教会としては保存状態が良く、多彩色で装飾された痕跡も見て取られる。そして、5つの半円形のアーチボルト、左右2本ずつ丸い柱とその上に柱頭があり、柱頭には下の写真のように興味深い装飾が施されている。

向かって左側から見てみよう。二股に分かれた尾鰭を持つ人魚。次は、両手を膝の上に合わせて両側からライオンに襲われている人。右側の柱では、旧約聖書の士師記の中で語られる怪力の持ち主サムソンを題材とした「ライオンと戦うサムソン」。そして、最も右側にある柱頭には、後脚で立つライオンが描かれている。

ロマネスクによくみられる二股に分かれた尾鰭を持つ人魚(写真:アルベルト・F・メダルデ)
両肩をライオンから嚙みつかれている人(写真:アルベルト・F・メダルデ)
ロマネスク彫刻に特に好まれて描かれたライオンと戦うサムソン(写真:アルベルト・F・メダルデ)
後脚で立つライオン(写真:アルベルト・F・メダルデ)

最後に

今回は、時間の都合で教会の中に入ることはできなかったので、帰ってきてこの教会の内部についても調べてみたが、ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村の聖母被昇天教会の見どころは外観にあることが分かった。

こちらの動画に教会の中が少し見える。教会内部は、後期ゴシック様式だという。

それにしても、ロマネスク建築の装飾のモチーフは面白く、飽きさせない。旧約聖書に出てくる場面を装飾にしたものは、識字率が極端に低かった当時、教会へ訪れる信者たちへビジュアルで理解を助けていただろうということはよくわかるが、何故、アクロバットだの、ライオンから嚙まれている人だのが教会の出入り口などのモチーフに使われたのか理解に苦しむ。と同時に、だからロマネスクの教会を訪れるのはとても楽しく、笑ってしまうモチーフ探しをやめられない

別の機会に、ロマネスク装飾のモチーフについても紹介しよう。

参考

ここで紹介したハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_JARAMILLO_DE_LA_FUENTE.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/jaramillofuente.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

ロマネスクへのいざない (7)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (4)– サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)

正面からみたサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada) / 写真:筆者撮影

ロマネスク様式の絶頂期に造られたサン・ペドロ・デ・テハダ教会

カスティージャ・イ・レオン州のブルゴスから北へ車で約1時間程に行くと、スペインで2番目に長く大きな河川であるエブロ川流域の村にこのサン・ペドロ・デ・テハダ教会はある。静寂に包まれているサン・ペドロ・デ・テハダ教会は、周囲の景色と溶け込んでまるで今にも修道士たちが教会から出てくるような錯覚に陥らせてくれる。

車は教会の下方にある村に停めてなだらかな坂を上っていくと、すらりとしたサン・ペドロ・デ・テハダ教会の姿が現れる。ロマネスク様式によくみられるずんぐりとした雰囲気はない。伸びた鐘楼部分と入口の三角の屋根は神の国を目指しているような印象を与える。

教会の敷地の前にある柵の前で、事前に電話予約していた管理人の方が鍵をもって待っていて下さった。

横から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、セノビオ(cenobio)と呼ばれる共住苦行者たち(初期修道士たち)が作った修道院を受け継いだものだが、修道院自体は紀元850年まで遡る。現在の教会は12世紀前半に造られ、12世紀といえばロマネスク様式の絶頂期であった。このサン・ペドロ・デ・テハダ教会はこの地方特有のロマネスク様式の特徴を併せ持つ、最も完全で保存状態の良いロマネスク様式の教会の一つだ。他のロマネスク様式の教会によくみられる時代ごとの改修などもなく、12世紀そのままの姿を21世紀に生きる私たちの目の前に現してくれている。ちなみに、原型となった修道院は今は全く存在せず、教会のみが残っている。しかし、この修道院は当時この地方で重要な役割を果たし、サン・ペドロ・デ・テハダ修道院の修道士たちの中から、同じ今のブルゴス県にあるオーニャという町に1011年に設立され19世紀まで続いたたベネディクト会のサン・サルバドール・デ・オーニャ修道院 (Monasterio de San Salvador de Oña)の設立者たちがでたという記録が残っている。

教会の入口(Portada)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口には、特徴のある刳(く)り型彫刻や飾り持ち送りが見られる。スペイン語ではモディジョン(modillón)またはカネシージョ(canecillo)と呼ばれる8つの飾り持ち送りがあり、左右両側の二つは羽のあるマタイ(Mateo)、マルコ(Marcos)、ルカ(Lucas)、ヨハネ(Juan)の4人の姿が表してある。この4人は、福音書を書いた4人である。そして、残りの四つはテトラモルフ(tetramorfo)と呼ばれるこの4人の福音記者を象徴する形象が施してある福音記者4人とテトラモルフによる福音記者4人の形象が同じところにあるのは珍しいということだった。ちなみに、左から鷲の姿をしたヨハネ、雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイである。飾り持ち送りの真ん中には、上昇するキリストの姿が見て取れ、キリストの昇天を表している

8つの飾り持ち送りの下には左右両側に刳(く)り型彫刻が見えるが、キリストの12人の弟子が6名づつ彫られている幾人かの弟子は両手を上に広げた姿をしており、これは「オランス(=祈る人)」の姿勢と呼ばれるものであり、ここでは弟子たちがキリストに対する期待、望みなどを表しているのだという

更に、両端の刳(く)り型彫刻の下には、キリストの「最後の晩餐」と「人間の上にライオンが押し乗っている姿」が表してあるが、これについては未だにその解釈ははっきりされていないとのことだった。

上段:福音記者の2人(右端と右から2番目)とテトラモルフで左から雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイ 
ルカとマルコの間に両手を広げたキリストの姿が見える
中段 :キリストの12人の弟子のうちの6人 
下段:人間の上にライオンが押し乗っている姿 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

石材と飾り持ち送りのモチーフ

サン・ペドロ・デ・テハダ教会に使われた石は、下層部分は石灰岩(piedra de caliza)で上層部は凝灰岩(piedra de toba)である。凝灰岩は石材としては軽いもので、まだ建築技術が発達していなかったロマネスク時代において負担を軽くするためにこの石材が選ばれたという。

ユーモラスな動物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)

さて、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口だけではなく、教会の側面部分や鐘楼部分にも飾り持ち送りが施されている。その一つ一つを見ていくと、笑いを誘うものや不思議なもの、楽器を弾く人やもしかしたらこの教会に携わったのかもしれないと想像させられる石工の姿、ユニークな動物たちや扇情的な人物像等々、実に様々な飾り持ち送りが施されていて、見ていて飽きない

人を踏みつけている悪魔?楽器を弾く人等(写真:アルベルト・F・メダルデ)
聖職者、淑女またはシスターの隣には陰部を見せる男女が!(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部

管理人の方に案内され、教会の内部へと足を入れると想像以上に広く高く感じた。塔部分は17メートルあるということで、現代の建物でいえば5階建てというところだろうか。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は唯一の身廊が3つの部分を成していて、翼のない公差部(crucero sin alas)の上に二層からなる塔が建造され、突き当りに祭壇がある半円形の後陣(ábside)がある。祭壇の壁部分に5つのアーチと柱頭(capitel)がある柱がある。その5つのアーチのうち真ん中のアーチの上には窓がある。現在はミサ等の宗教的な儀式は行われていないので、十字架や聖人の像などもなく至ってシンプルだ。

しかし、祭壇部分に入るアーチ(arco de triunfo)の柱頭部分を見上げると、その細かな彫刻に目を引かれる。4人の聖人と5人の聖人から構成された図柄で、5人の聖人たちはテーブルに集い宴のためのグラスを用意しているかのようだ。4人の聖人の方はそれぞれ手にグラスを持ち、まるで誰かに差し出しているかのようだ。そして、それらの緻密な彫刻の上の部分には市松模様(ajedrezado)で飾られている。この聖人たちの彫刻は、カスティーリャ地方のロマネスク様式の彫刻の中でも最も素晴らしい彫刻の一つだということだった。内部の写真撮影は許されなかったので、教会内部やこの素晴らしい彫刻の写真がなく、紹介できないのは残念だ。

後陣から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会(写真:アルベルト・F・メダルデ)
鐘楼部分とその左側にはこの地方特有のウシ―ジャ(usilla)と呼ばれる螺旋階段が見える

最後に

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、様々な本にはブルゴス地方に残るロマネスク様式の教会でも最も美しい教会の一つとして紹介されているが、私はブルゴス地方のみならずスペイン国内に残るロマネスク様式の教会の中で最も美しい教会の一つだと思う。その姿は、堅固かつ調和のとれたものであり、天へ昇る精神性を体現するかのようだ。ロマネスク様式の教会に興味ある方にもそうでない方にも是非訪れてほしい教会の一つである。

現在は個人の所有物となっているが、前述したように事前に予約を取っていけば管理人の方が敷地内に案内してくださり、教会の内部も見せてもらえる。説明もしてくださり、様々な質問にも答えてくださった。説明してもらえるロマネスク様式の教会はなかなかないので、この機会に色んな事を尋ねてみるとよいだろう。(管理人の方には、心付けを忘れずに!)

約900年もの長い歳月、ここにすっくと立つさまは周りの景色と融合し、当時の修道士たちの祈りやこの教会を建設し、様々な楽しい飾り持ち送りを作った石工などの話し声が聞こえてきそうだ。遠くから聞こえてくる鳥の声を聴きながら、サン・ペドロ・デ・テハダ教会を後にすることが名残惜しく感じた。

参考

ここで紹介しサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。サン・ペドロ・デ・テハダ教会がある役所の連絡先が載っているので、事前に確認してから訪ねることをお薦めします。 スペイン語が話せる方は直接こちらへ連絡されるといいです。 947 303200 y 652641079                    英語で予約したい方はこちらからどうぞ。ブルゴス地方観光局:(Oficina de Turismo Regional de Burgos)947 203 125 または 947 276 529。メールアドレス: oficinadeturismodeburgos@jcyl.es

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-san-pedro-tejada?isprediction=1

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。こちらは英語版。

Hermitage of San Pedro de Tejada – Official Portal of Tourism. Junta de Castilla y Leon (turismocastillayleon.com)

・youtube でも紹介されています。残念ながらスペイン語のみです。

Iglesia Románica de San Pedro de Tejada (Merindad de Valdivieso) – YouTube

・エンリケ・デ・リベロ(Enrique de Rivero)という方のウエブサイトの中に、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部の写真があります。興味のある方はどうぞ。

http://www.burgossinirmaslejos.com/blog/san-pedro-de-tejada-el-escondido-tesoro-de-valdivielso/

知る人ぞ知るマドリードの隠れ美術館(?!)-セラルボ美術館(Museo Cerralbo)

ベネチア製の大鏡で装飾されている舞踏室(Salón de Baile) (写真:筆者撮影)

セラルボ美術館(Museo Cerralbo)とは

マドリードのスペイン広場からすぐ近くに知る人ぞ知る邸宅美術館があります。マドリードには、かつて「住まい」として使われていた建物が美術館になっているものがいくつかありますが、その中の一つがセラルボ侯爵家の邸宅を開放して作られたセラルボ美術館です。(スペインの画家ホワキン・ソロージャの美術館もソロージャの邸宅でした。ソロージャ美術館については、こちらからどうぞ。スペインの画家ホワキン・ソローリャ(1863-1923)とソローリャ美術館 | おいでよ!スペイン)

この美術館はあまり知られていないようで、スペイン人の友人・知人の中でも知っている人、知っていても訪れたことのある人はあまりいませんでした。実は、私も今回初めてこの美術館の中に入りました。見どころは、なんといっても19世紀から20世紀初頭にかけてのマドリードの貴族たちの生活様式を垣間見ることができることです。建物自体は4階建てでそのうち1階と2階が公開されていますが、1階は侯爵家の日常生活の空間、2階は社会生活における職務空間や社交空間に使われていました。

ピンクの居間(Salón Rosa) 侯爵夫人やその友人たちがおしゃべりする部屋(写真:筆者撮影)

興味深いことには、もともと考古学に造詣が深い侯爵が、考古遺物なども展示する博物館としての機能も考慮に入れてこの邸宅を建てたそうです。実際、2階にある舞踏室は、踊るだけではなく考古学の展示会や数学、文学の夕べなどが開催される場所として使われていました

建物は、1883年から1893年に住居として設計されて建てられましたが、現在では外見のみがオリジナルで、内部は大掛かりかつ細かな作業が行われて改修されました。当時の貴族邸宅の典型的な装飾は丹念に復元されてその部屋に展示してあり、スペイン19世紀当時の生活様式を知ることができるマドリードでも珍しい美術館です。

黄色の間(Salón Amarillo)オリジナルの壁紙。(写真:筆者撮影)
19世紀半ばに流行した機械刷りのプリント壁紙は、室内装飾の工業的進歩を取り入れた良い一例

セラルボ侯爵とは

この邸宅に住んでいたのはエンリケ・デ・アギレラ・イ・ガンボア(Enrique de Aguilera y Gamboa)侯爵とその家族でした。彼は第17代セラルボ侯爵で、この美術館の名前もセラルボ侯爵の名前から付けられています。

セラルボ侯爵は政治家したが、歴史家、考古学者としても活躍しました。スペインの王立歴史アカデミーの会員で、スペイン国内のソリア県にあるトラルバ遺跡やアンブロ―ナ遺跡の発掘をしたり、自分が発掘した遺跡についての本を書いたりしました。この発掘した考古遺物などを前述したように舞踏室に展示して、当時の貴族階級の人々やエリート階層の人々に紹介していたそうです。

1922年、77歳で亡くなった彼は、すべての考古学的発見物をスペイン国立考古学博物館と国立自然科学博物館に遺贈し、マドリードのベントゥーラ・ロドリゲス通りの自邸にセラルボ美術館の創設を命じました。(Wikipedia 参照)

エンリケ・デ・アギレラ・イ・ガンボア(Enrique de Aguilera y Gamboa)氏(第17代セラルボ侯)の肖像画(写真:筆者撮影)

15世紀から19世紀にかけての絵画が充実!

16世紀から17世紀にかけてスペインにて活躍した有名な画家エル・グレコ (El Greco) の作品「聖フランシスコの法悦 (San Francisco en éxtasis)」やイタリアルネサンス期の画家ティントレット (Tintoretto) の「紳士の肖像 (Retrato de Caballero)」をはじめ、スペイン画家の黄金時代(15世-17世紀)に活躍したバロック期(16世紀末-17世紀初頭)のスペインを代表する画家のひとりフランシスコ・デ・スルバラン (Francisco de Surbarán) の「無原罪の聖母 (Inmaculada Concepción)」とホセ・デ・リベーラ (José de Ribera) の「ヤコブとラバンの群れ (Jacob con los rebaños de Labán)」、そして17世紀に活躍しスペインのバロック絵画の進展において重要な画家であったアロンソ・カーノ (Alonso Cano) の「悲しみの聖母 (La Piedad)」等、プラド美術館でお馴染みの画家たちの絵画がこのセラルボ美術館でも見ることができます。

ホセ・デ・リベーラ(José de Ribera)の「ヤコブとラバンの群れ」(Jacob con los rebaños de Labán)(写真:筆者撮影)

その他にも、動物や狩猟の情景、静物画を描くのを得意としたポール・デ・フォス (Paul de Vos) の「狩りの風景」、17世紀に活躍したフランツ・スナイデルス (Frans Snyder) の「ヤマアラシと毒蛇 (Puercoespines y víboras)」、同じく17世紀に活躍したヴァン・ダイク (Van Dyck) の「聖母子像 (La Virgen con el Niño)」等、フランドル(今のオランダ)出身の画家たちの絵画も多く見ることができます。

沢山の絵画が所狭しと廊下や部屋の壁に掛けられていて、絵画好きな方には見逃せない美術館だといえるでしょう。

フランシスコ・デ・スルバラン (Francisco de Surbarán)の「無原罪の聖母」(Inmaculada Concepción)(写真:筆者撮影)

日本の甲冑が!

19世紀、ヨーロッパの貴族や金持ちの間で東洋等の戦用の武器や甲冑などをコレクションすることが流行しました。これは、18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで起こった精神運動の一つロマン主義の影響を強く受けているものです。このロマン主義は、エキゾチシズム、オリエンタリズム、神秘主義、中世への憧憬といった特徴がありますが、スペインのセラルボ侯爵家でも例に漏れることなく、東洋的でエキゾチックな日本の甲冑や脇差しをはじめ、フィリピン、ボルネオ島、インド、マレーシア、トルコ、モロッコ、オセアニアの武具など700点ほどをコレクションしています。

2階の武具展示室には、セラルボ侯爵の先祖が活躍した中世への憧憬も重なり、旧家主の高貴な歴史を物語る様々な武器や甲冑のコレクションが飾られています。また、天井を見上げると、セラルボ侯爵が持つ13の爵位を表す家紋入りの盾型紋章が見られます。ちなみに、招待客はまず中世の武具が並ぶこのスペースへ招かれ、紳士がレディの手の甲にキスをする挨拶の儀式が行われていたそうです(スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。セラルボ侯爵家の先祖がそうしたように、まるで中世へタイムスリップしたかのような儀式が19世紀に行われていたようです。

武具展示室(Armería)の天井には13の家紋入りの盾型紋章が見える(写真:筆者撮影)

同じ2階の部屋に「アラビアンルーム 」と呼ばれる部屋があります。これは喫煙ルームで、基本的に男性専用の空間でした。このタイプの部屋は19世紀ヨーロッパでとても流行し、オリエンタルキャビン、トルコ風ルームなどと呼ばれていました。この「アラビアンルーム 」に前述の日本の甲冑や中国、フィリピン、モロッコ、ニュージーランドの骨董品が飾られています(スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。洋館の中にエキゾチックな空間が演出されていて、なんとも不思議な気持ちにさせられました。

「アラビアンルーム (Sala Árabe)」に飾ってある江戸時代(18世紀)の日本の甲冑(写真:筆者撮影)

19世紀までのバスルームとは?

面白いことに、仰々しい挨拶の儀式が行われていた武具展示室バスルーム とつながっています。侯爵家の先祖が使っていた西洋の甲冑などが展示してあるその一角に、なんと大理石!!で作ったバスタブが備え付けてあるバスルームがあるのは、えっ?!って感じです。

スペインでは19世紀後半に水道が(agua corriente)が通り始めました。それまでは、どんなに金持ちの家でもバスルームという部屋は存在しませんでした。基本的には、寝室にて沸かしたお湯を洗面器に入れて体を拭いていたようです。セラルボ侯爵家の大理石のバスタブや温水と冷水の蛇口があり排水口がついているバスルームという特別な部屋は、実際には主に招待客に見せるためのものだったとのこと (スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。なんだか日本人からすると、19世紀までお風呂がなかったのが普通だということ自体信じられない気もします。ちなみに、スペインではこの水道が通ったおかげで今までの生活スタイルが一変したとのことです。

豪華な大理石のバスタブ(写真:筆者撮影)

興味深いことは、日本の入浴文化は、神道の習慣だった川や滝で行ってきた禊(みそぎ)の習慣があったところに6世紀の仏教伝来とともに入ってきた沐浴の功徳-病を退けて福を招来するもの-という仏教の教えが広まって、身体を洗い清めることは仏に使える者の大切な業と考えられるようになり、庶民にもどんどん入浴文化が広まってきたとか (Wikipedia より)。ところが、仏教では入浴を奨励したのとは反対に、キリスト教では、裸で集まるローマ式の風呂は退廃的だということや、風呂にも入りよく手洗いをする清潔好きだったユダヤ人と区別をするため、キリスト教信者には風呂に入る習慣や体を清潔に保つことを許さなかったようです。ローマ時代にはあれだけお風呂大好きだったローマ人たちの子孫は、キリスト教が広まるに従い風呂嫌いな人たちになっていったようです。今のスペインでは、殆どの人が毎日シャワーを浴びていますが、つい100年ほど前までは今では当たり前のことも当たり前ではなかったようですね。普段当たり前だと思っている習慣も、時代と場所が変われば当たり前じゃなかったんだな、と改めて当たり前のことを考えさせられたセラルボ侯爵家のバスルームでした。(笑)

家族用の食堂兼居間に置いてある召使いを呼ぶための銅鑼(どら)(写真:筆者撮影)

19世紀のスペイン貴族・知識階級の暮らしをのぞいてみよう!

紳士の集会や娯楽のためのや喫煙ルーム、侯爵夫人が親しい人を迎えるための秘密のキャビネット、セラルボ侯爵の寝室、家族用のこじんまりとした祈祷室、食事以外でも読書、裁縫、トランプゲームなどにスペースを利用できた家族用の食堂兼居間、前述の武具展示室バスルームアラビアンルーム、悪天候から植物を保護するためや観葉植物を維持するための温室として作られたサンルーム、晩餐会や豪華なビュッフェの舞台となった広いバンケットルーム、19世紀の男性に好まれたビリアードを楽しめるビリアードルーム、セラルボ侯爵の執務室、簡素であまり広くはないながらもおよそ1万冊の蔵書を誇る図書室、中庭を囲むように設計され、招待客が簡単に行き来しながら壁にある貴重な絵画の数々や天井画を鑑賞できるようにとイタリアの宮殿を模倣して造られた3つのギャラリールーム、招待客が踊れるだけではなく、考古学の展示会や数学、文学の夕べなどが開催された舞踏室等々、このセラルボ美術館では、日常使いの部屋や社交・交流の場としての部屋などが多様かつ不統一ながらも、当時の流行とセラルボ侯爵個人の好みが組み合わされ、19世紀スペインの貴族・知識階級の生活を垣間見ることができます。

壁にかけてある絵画や天井画を鑑賞できる3つのギャラリーのひとつ(写真:筆者撮影)

日々の応接間として使われていた談話室は、様々な訪問者を招く部屋として想定してあり、暖炉のそばに座って談笑したり、トランプをしたり、軽食をとったりするための家具が多くあります。また、侯爵夫妻がイタリア旅行の際にもとめられたムラノのクリスタル製の大きなシャンデリアは、イタリアのゴンドラの形をしているうえにその色合いもシャンデリアとしてはかなり派手で個性的です。中央のテーブルには19世紀のマイセン磁器の2脚の水差しと水、火、大地、空気という4つの自然がモチーフになった2点の大きな壺が飾られたり、とにかく目立つ調度品が飾られています。(スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)

ゴンドラの形をしたムラノのクリスタル製シャンデリア(写真:筆者撮影)

面白いことには、ガラス張りのサンルームは、夏の酷暑と冬が厳しいマドリードの気候には合わなかったらしく、最終的にはガラス面はカーテンで覆い、コレクション展示室として使われていたそうです (スペイン文化・スポーツ省作成 日本語版ガイドブックより)。マドリードに夏訪れたことのある方には理解できるかもしれませんが、あの日差しの強いマドリードの夏の間、ガラス張りの温室ではとてもとても暑くてくつろぐことなんてできないですよね。

大テーブルでの晩餐会はスペインでは19世紀初頭に始まった(写真:筆者撮影)
席に着けない数になった時はブッフェ式(立食パーティー)で行われた

最後に

19世紀のスペインは、イサベル2世が統治する絶対王政から短いながらも共和制に移行し、そして再び王政復古を迎えて、政治的には国を二分するような様々な問題に直面した変動の時代でした。このセラルボ侯爵は、1845年に出生し1922年に没しているので、政治家としてかなり厳しい時期に生きてきた人でもあります。ヨーロッパを見てみても、1914年には第一次世界大戦が勃発しています。スペインは中立の立場をとりましたが、それでも激動の時代を生きてきた侯爵であったことは間違いないようです。

セラルボ美術館を見てみると、華やかな貴族・知識階級の生活スタイルを見ることができますが、きっと、セラルボ侯爵邸の中では激動の時代に相応しい緊張した会話が交わされていたことでしょう。そういった歴史的背景も思い浮かべながら美術館を訪ねると、ますます感慨深いものです。

玄関ホールに入ると左右に階段がある(写真:筆者撮影)

セラルボ美術館 開館情報

住所:ベントゥーラ・ロドリゲス通り1番地(C. de Ventura Rodríguez, 17)
最寄り駅:プラサ・デ・エスパーニャ(Plaza de España 3号線・黄色、10号線・紺色) ベントゥー     ラ・ロドリゲス(Ventura Rodríguez 3号線・黄色) 、ノビシアード (Noviciado 2号線・赤色) 、プリンシペ・ピオ(Príncipe Pío 6号線・灰色、10号線・紺色)     
開館時間:火~土 9:30~15:00(最終入館 14:30)日・祝 10:00~15:00           木 17:00~20:00(但し、木曜日が祝日の場合は休み)
*月曜日・1月1日・1月6日・5月1日・12月24日・12月25日・12月31日・マドリードの祝日(2022年は11月9日)は休館                                    入場料:3€  無料-祝日を除く木曜17:30~20:00・日曜・4月18日・5月18日・10月12日・12月6日、18歳未満、25歳未満の大学生(国際学生証必要)、65歳以上、教師(国際証明書必要)              *バッグ、リュック、傘、かさばる物、荷物は、美術館のロッカーに預けなければなりません。

セラルボ美術館 情報

・スペイン文化・スポーツ省が作成した日本語版ガイドブック。興味がある方はどうぞ。もし、セラルボ美術館に行く機会があれば、ダウンロードしてこのガイドブックを見ながらゆっくり鑑賞するとより理解が深くなること間違いなし!ダウンロードはこちらから。

https://www.culturaydeporte.gob.es/mcerralbo/dam/jcr:e1aeeb17-ca41-4c5f-ace8-838b3fbfa480/2021-cuaderno-salas-cerralbo-japones.pdf

・セラルボ美術館公式ウェブサイト。英語版があります。

https://www.culturaydeporte.gob.es/mcerralbo/informacion/visita.html

SouthernValleyDiary という方がアップされているYouTubeには、美術館の中が見れますよ。

ちょっとスペイン語-17-動物の名前集合!

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

お昼寝中のクーパー(写真:筆者撮影)

今回は動物の名前に挑戦してみてくださいね。スペインでお馴染みのものもそうでないものいますが、皆さんは幾つ名前をご存知でしょうか?

  1. Perro/Perra
  2. Gato/Gata
  3. Ratón/Ratona
  4. León/Leona
  5. Conejo/Coneja
  6. Carnero/Oveja
  7. Caballo/Yegua
  8. Mono/Mona
  9. Jabalí/Jabalina
  10. Burro/Burra
  11. Oso/Osa
  12. Ciervo/Cierva
  13. Elefante/Elefanta
  14. Zorro/Zorra
  15. Tigre/Tigresa
  16. Lobo/Loba
  17. Coala
  18. Ballena
  19. Cebra
  20. Ardilla
  21. Tejón
  22. Cabra
  23. Delfín
  24. Gorila
  25. Jirafa
  26. Rinoceronte
  27. Murciélago
日本シカ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

さて、正解は-

  1. Perro/Perra          犬
  2. Gato/Gata          猫
  3. Ratón/Ratona        ネズミ
  4. León/Leona         ライオン
  5. Conejo/Coneja        ウサギ
  6. Carnero/Oveja        羊
  7. Caballo/Yegua        馬
  8. Mono/Mona         サル
  9. Jabalí/Jabalina        イノシシ
  10. Burro/Burra         ロバ
  11. Oso/Osa           クマ
  12. Ciervo/Cierva         鹿
  13. Elefante/Elefanta       ゾウ
  14. Zorro/Zorra          キツネ
  15. Tigre/Tigresa         トラ
  16. Lobo/Loba          オオカミ
  17. (el) Coala           コアラ
  18. (la) Ballena          クジラ
  19. (la) Cebra           シマウマ
  20. (la) Ardilla           リス
  21. (el) Tejón           タヌキ
  22. (la) Cabra           ヤギ
  23. (el) Delfín           イルカ
  24. (el) Gorila           ゴリラ            
  25. (la) Jirafa           キリン
  26. (el) Rinoceronte        サイ
  27. (el) Murciélago         コウモリ
日本リス(写真:アルベルト・F・メダルデ)

いくつご存じでしたか?動物の名前は意外と難しかったかもしれませんね。

さて、1から16までは二つの単語が並んでいて、17から27までは一つだけですが、これはご存じの通りスペイン語には男性名詞と女性名詞があるからです。左側が男性名詞、右側が女性名詞です。ところが、Coala(コアラ)やBellena(クジラ)などは男性名詞と女性名詞が同じ形のものです。そして、更に気を付けてほしいことは、Coala(コアラ)や Gorila(ゴリラ)は、「a」で終わっているものの、男性名詞だということです。日本語には男性名詞や女性名詞などという名詞に性別がないのでわかりずらいのですよね。スペイン語は基本的には、「o」で終わる名詞は男性名詞、「a」で終わる名詞は女性名詞がほとんどですが、たまに「o」や「a」で終わらない単語もあります。更に、「o」や「a」で終わっていてもこの法則が当てはまらない単語もあり、これはもう覚えるしかないですね。(苦笑)

スペインでバードウォッチング!-種類別 スペインの野鳥 日本語名(ツル科)

ここでは、スペインに生息する野鳥の名前を、種類別に集めてみました。スペイン語名をクリックしてもらうと、スペイン鳥学会のホームページに飛びます。残念ながら日本語版はありませんが、英語での鳥の名前は出ています。スペインで野鳥観察されるとき、またはスペインの旅の途中で見かけた鳥のスペイン語名を知りたいときに、少しでもお役に立てれば幸いです。

Grullas = ツル科

スペイン語日本語ラテン語夏/冬/常駐/偶然
Grulla comúnクロヅルGrus grus
Grulla damiselaアネハヅルGrus virgo偶然
クロヅル (Grulla común) / 写真:アルベルト・F・メダルデ

スペインでバードウォッチング!-種類別 スペインの野鳥 日本語名(クイナ科)

ここでは、スペインに生息する野鳥の名前を、種類別に集めてみました。スペイン語名をクリックしてもらうと、スペイン鳥学会のホームページに飛びます。残念ながら日本語版はありませんが、英語での鳥の名前は出ています。スペインで野鳥観察されるとき、またはスペインの旅の途中で見かけた鳥のスペイン語名を知りたいときに、少しでもお役に立てれば幸いです。

Rascones, gallinetas y fochas = クイナ科

スペイン語日本語ラテン語//常駐/偶然
Rascón europeoクイナRallus aquaticus常駐
Polluela pintojaコモンクイナPorzana porzana
Polluela soraカオグロクイナPorzana carolina偶然
Polluela bastardaコクイナPorzana parva
Polluela chicaヒメクイナPorzana pusilla
Gallineta comúnバンGallinula chloropus常駐
Focha comúnオオバンFulica atra常駐
Focha morunaアフリカオオバンFulica cristata常駐
Calamón comúnセイケイPorphyrio porphyrio常駐
オオバン(Focha común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ