スペイン北部のビジャビシオサ(Villaviiosa)の街の中にあり、1270年に建てられたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、スペインでロマネスク様式がまさに終焉しようとしていた頃、かつ、既に他のヨーロッパ諸国やスペインの他の街ではゴシック様式が建築の新しい主流となりつつあった頃に建てられたものだ。上の写真をご覧いただくとお気づきになる方も多いと思うが、入口の門のアーチは純ロマネスク様式の半円アーチではなく、ゴシック様式の特徴である尖ったアーチで造られ、ロマネスク様式にはなかったバラ窓が施され、そのファサードは鉛直性が見て取れる。これらの特徴はロマネスク後期に見られるもので、完全なゴシック様式ではないもののゴシック様式の原型となるものであった。
サンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)を受け継いだ正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)を持つバシリカ間取りで、長方形の身廊と聖堂、聖具保管室、南壁に取り付けられた開口柱廊で構成されている。
欧州では、14世紀~15世紀にかけて最も盛んにこの楽器が用いられていたらしいが、今回訪れたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)のファサード出入り口の柱頭には、この「ガイテーロ(Gaitero)=バグパイプ奏者」の姿を見ることができる。地元のガイドであるアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、これはアストゥリアス地方の教会の装飾として初めて施されたものだという。教会は1270年建設なので、かなり早い時期から「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」がアストゥリアスではポピュラーな楽器だったことが推測される。ロマネスク様式では珍しい図像である。
この豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)は現在も行われており、特に地方の村々では11月末から2月にかけてこの「マタンサ(Matanza)」が開催されており、村を挙げての行事でありお祭りでもある。村のみんなが集まり共同して豚をつぶし、1年分のハムやソーセージを作ったり、肉を焼いて村人みなで食べたりして、食べ物が少なく貴重だった当時は、豪華な食べ物にありつける有難いお祭りだったのだ。
・デジタル版のビジャビシオサ(Villaviciosa)の街のニュースなどを提供している「ビジャビシオサ・エルモサ」の中に、今回登場したガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)の説明動画がある。残念ながら映像と音響の質がいまいちでスペイン語しかないが、興味がある方はこちらをどうぞ。
・ここで紹介したビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)は、アストゥリアス州のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。このルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。
オレハス・デ・カルナバル(Orejas de Carnaval)という名前の通り、スペイン西北部のレオン県やガリシア州でポピュラーなカーニバルの時期に食べるお菓子です。オレハス(orejas)というのは、スペイン語では「耳」を意味する「Oreja(オレハ)」の複数形です。「カーニバルの耳」というのがこのお菓子の名前ですが、一体何の耳を指しているのでしょうか?実は、豚の耳をかたどったものだと言われています。
ただ、「肉食」の中には豚足や豚の耳は含まれておらず、「肉」の代用食として四旬節中にも食べられていました。そして、カーニバルの時期に重なるマタンサ(Matanza)-豚の屠殺-の習慣とこれから始まる四旬節中の断食の時期でも「肉」の代用として食べることができた豚の耳が民衆の間で上手く融合したことにより、カーニバルの時期に食べる「豚の耳」をかたどったお菓子が登場してきたという訳です。(ディアリオ・デ・レオン「Diario de Leon」2021年2月10日付新聞記事より)
また、スペイン皇太子の称号は「Príncipe de Asturias(アストゥリアスの王子)」というが、これはこのアストゥリアス王国がキリスト教の最後の牙城となり、その後レオン王国、カステージャ王国、そしてスペイン統一へと発展していった直接の母体となったという歴史にちなんでこの名前からとられており、1388年に設けられた。(ウィキペディアより)
3日目に訪れたバルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)をモデルとして造られたが、バルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)と同様に内部の装飾画は保存状態が悪い。それでも教会内にかすかに残る多色装飾は興味深いものだった。
・セロリオのサンタ・エウラリア教会 (Iglesia de Santa Eulalia de Selorio)
様々な様式が一つの教会に収斂されている。(写真:筆者撮影)
905年には既にこの教会が存在していたことが記録として残されているが、その当時のプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は何も残存していない。ロマネスク様式のものは、主要アーチ(arco de triunfal)、後陣、出入口等があり、特に持ち送りに施されている動物のをかたどったもの等は保存状態は良い。記録には残っていないが、12世紀末から13世紀初めにかけて造られた教会だと考えられている。
現代的な時計がファサードに組み込まれているのは印象的だった。
・ルガスのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Lugás)
雨の多いアストゥリアスではよくみられる雨除け。(写真:筆者撮影)
ルガス ( Lugás)にあるのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María) の始まりは13世紀に遡り、2つの出入口と主要アーチ (arco de triunfo) はロマネスク時代のものが残存する。他の部分は17世紀以降度々改築や増築が行われ、その結果、残念なことにロマネスク様式は覆い隠されてしまった。興味深いことは、解釈の違いはあるものの、ここの教会の門に施されている嘴の生えた頭部が連なっている模様は、イングランド・フランス・アイルランド等でもよく見られる模様で、アストゥリアス地方でも見られる模様だということ。この模様は、今回訪れることができなかったこの近くにあるアラミルにあるサン・エステバン教会にも見られるということだ。
・バルデバルセナスのサン・アンドレス教会 (Iglesia deSan Andrés de Valdebarcenas)
一見シンプルな教会のようだが主要アーチ等見どころが多い。(写真:筆者撮影)
バルデバルセナス (Valdebarcenas) のサン・アンドレス教会 (Iglesia de San Andrés)は12世紀に建てられた、典型的なプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の要素を残すアストゥリアス初のロマネスク建築の一つである。1965年に国定史跡に指定され、アストゥリアスで最も興味深い教会の一つと専門家の間でもみなされている。
・カモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)
白く塗られた壁が印象的。(写真:筆者撮影)
13世紀に建てられた教会で、ロマネスク時代のものとしては主要アーチ (arco de triunfo) があり、南玄関の半円アーチは非常にシンプルで、植物と動物の装飾が施された柱頭を持つ左右3本の柱の上に、2本の無地のアーキボルト、いくつかの持ち送り、そして刳り型装飾を施したアーチの迫元を伴う無地のアーキボルトから成る。
第3日目: フエンテスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Fuentes) からアビレスのカンタベリーのサント・トマス教会 (Iglesia de Santo Tomás de Canterbury en Avilés)まで
上記バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の敷地内には、シトー会修道士達によるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)が建っている。この修道院は1200年に設立され建築様式はロマネスク様式で造られた。2020年までは少数の修道士たちが居たが、今は完全に観光のみとなりガイド案内が行われている。
・アマンディのサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan de Amandi)
祭壇を含む頭部 (Cabecera) は息を吞む美しさが!(写真:筆者撮影)
今回の旅で美しいロマネスク様式教会の発見!と感じたアマンディ (Amandi) のサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan)は、13世紀の初めにロマネスク時代最後の教会として造られた。後陣の美しさと、優雅で多様な彫刻装飾はこの教会特有のものであり、17世紀に増築された出入口を守るための大きな半円形木造の柱廊(pórtico)は、雨の多いこの地方において重要な役割を果たしている。その土地に適した建築構造は、様式のみにとらわれない柔軟な考えを持った人たちによって造られたのであろう。
面白い事にこの教会は3つの名前を持っていて、建設された当初は、船乗りと商人の守護聖人であるサン・ニコラス・デ・バリ教会 (Iglesia de San Nicolás de Bali) の名を冠しており、その後、1919年にフランシスコ会が到着すると、フランシスコ会の神父たちの教会 (Iglesia de los padres franciscanos) となった。そして、フランシスコ会の修道士たちが2013年に教会を去った後は、サン・アントニオ・デ・パドゥア教会 (Iglesia de San Antonio de Padua) となっている。
・レナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)
まるで中世の一コマのよう。(写真:筆者撮影)
9世紀半ばに造られたプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の教会は、人里離れた雄大な自然の中に根を下ろす孤高の教会である。19世紀末と1930年代に行われた修復の成功により見事に保存されたレナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)は、1885年に歴史的芸術建造物に指定され、その1世紀後(1985年)、冒頭に言及した通り、アストゥリアスの他のプレ・ロマネスク様式の建造物とともに、「オビエドおよびアストゥリアス王国のモニュメント」としてユネスコの世界遺産に登録された。
ピクニックでもできそうな気持のよい場所にヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) はある (写真: 筆者撮影)
スペインの文化遺産にも指定されているヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)は、12世紀後半(1170年以降)に建てられたロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)の古い教会である。現在、この修道院は存在せず、その名前だけがこの土地の名前となって残っているにすぎない。
10世紀頃からこの土地に修道士たちが住み始め、ローマ街道から少し離れた、泉のそばにこのロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)が建てられたが、ここから40km程離れたオニャ修道院(Monasterio de Oña)に1063年に併合された。
モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)は、「スペインで建設されたロマネスク様式のバシリカの中で最も優れた例である」、とウィキペディアには紹介されている。更には、「東洋と西ゴートの影響を受けた12世紀の無名の芸術家たちの優しい手から生まれたままの姿で、きれいに保存されている」と続く。
こちらは、同じブルゴス県にあるサン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)。途中から柱が細くなっていてほっそり感かつ優雅な雰囲気が出ている。
サン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)
こちらも同じブルゴス県にあるビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)。もっとでシンプルかつ重厚感を与えている。
ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)
最後に比較してみるのは、アストゥリアス地方にあるアマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)。こちらも上のビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)に似ていて、重厚感を与えている。三層に区切ってあるのは、ここのアプス(後陣)の特徴でもある。
アマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)
比較してみるとお分かりになると思うが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)はロマネスク様式のアプス(後陣)の中でも新奇な趣向を見て取ることができる。
前述の北側の入口の屋根部分にも見えるが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)には、スペイン語でカネシージョス(Canecillos)またはモディジョネス(Modillones)と呼ばれる24の持ち送りがある。通常、ロマネスク様式における持ち送りは身廊や後陣、入口の瓦屋根の下にあり、張り出した屋根部分を支える機能を担っていると同時に、装飾としての役目も担っていた。
ロマネスクにおけるライオンに与えられた象徴的な意味は多岐にわたっている。その上、前述した「教会の番人としてのライオン」というような良い意味だけではなく、悪い意味を象徴するものとしてもその姿が用いられてきた。例えば、「悪魔の化身」としてのライオンや貪食な動物であるというイメージからくる「死」や「精神的な死」をも意味していた。(「ロマネスクの図像と象徴(筆者訳: Iconografía y Simbolismo Románico de David de la Garma ramíez、出版社: arteguias)」より)
この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。