ピカーダ (picada) で味付けしたコウイカと肉団子 (Sepia con albóndigas)

ピカーダ (picada) と呼ばれる調理技法をご存じでしょうか?カタルーニャ地方料理には欠かせない調味料のようなソースです。ソースと言っても単品で使うマヨネーズなどとは異なり、調理の中で使われるものです。私が住むカステージャ・イ・レオン州では全く使われない調理技法で、ピカーダ(Picada)入りの料理を作ると一気に地中海沿岸を連想させてくれます。

今回は、日本でも簡単に材料が手に入るコウイカと肉団子 (Sepia con albóndigas) のレシピを紹介します。

コウイカと肉団子 (Sepia con albóndigas)

材料:食欲旺盛な人4人分

・コウイカ             800g

・玉葱                1個

・トマト              2~3個

・魚の骨のだし           1/2ℓ

・小麦粉              150g          

・塩                 適宜

・オリーブ油             大さじ 4杯

肉団子用の材料

・豚挽き肉             250g

・卵                1個

・ニンニク             1片

・イタリアンパセリ          少々

・牛乳に浸したパン          一切れ 

・塩胡椒               適宜

ピカーダ (picada) 用の材料

・ニンニク             1片

・トーストしたアーモンド      20粒

・ハーゼルナッツ          4粒

・松の実               小匙1杯

・白ワイン             125㎖

作り方

1.コウイカを一口大の大きさに切り、鍋にオリーブオイル少々をひいて中火で炒める。炒めたら一旦鍋から取り出しておく。

一口大の大きさに切ったコウイカ

2.みじん切りにした玉ねぎを同じ鍋に入れて中火で炒める。更に、皮と種を取りみじん切りしたトマトを入れて炒める。

みじん切りにした玉ねぎとトマトを炒め、トマトの水分が無くなるまで気長に煮詰めてください。

3.トマトの水分が無くなったら、1のコウイカを鍋に戻し入れる。10分ほど弱火で炒めたら魚の骨のだしと塩少々を加え、更に25分間煮る。

コウイカを戻し入れて、みじん切りにした玉ねぎとトマトとよく混ぜます。

4.その間、肉団子用の材料をボールに入れて全てをよく混ぜ合わせる。小さめのコップに小麦粉を少し入れて、一口大の大きさの肉団子を作ってコップに入れて小麦粉をまぶす。

小さなコップに少量の小麦粉をいれ、一口大の大きさの肉団子を入れて小麦粉にまぶしながら形を整えます。こんな感じです。

5.小麦粉をまぶした肉団子を、オリーブオイルを敷いたフライパンに入れて万遍なく焼く。焼いた肉団子の油をよく切り、3の鍋に入れ中火で10分間煮る。

肉団子を上手に動かしながら、全面を焼いていきます。この段階では中まで火が通る必要はなく、肉団子の形が壊れないように焼き付ければ大丈夫です。

6.煮ている間にピカーダ (picada) を作る。ニンニクは小さく切り、すり鉢に白ワイン以外のピカーダ (picada) 用の材料を全て入れて潰し、少しづつ白ワインを加えながら、ソース状になるまですり潰していく。

少しずつ白ワインを加えながら、この写真の様にソース状にします。

7.5の鍋に6のピカーダ (picada) を入れて、更に5分間煮る。味見して味を調える。

味見をして、塩加減が丁度良ければ出来上がりです。

肉団子とコウイカの絶妙のコンビ、そして最後に入れるピカーダ (picada) によってスペインの地中海料理独特の味を楽しむことができます。是非、作ってみてくださいね。

ちょっとスペイン語 -27-  (Media naranja-[理想的な]伴侶、夫、妻、ソウルメイト) 

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

Media naranja-[理想的な]伴侶、夫、妻、ソウルメイト

「Naranja」は「オレンジ」のことです。「Media」が「半分の」という形容詞の女性形で、直訳すると「Media naranja」は「半分のオレンジ」という意味になりますが、これは「[理想的な]伴侶、夫、妻、ソウルメイト」を言い表しています。

「ソウルメイト」という意味では、「Alma gemela (同じ精神の人)」という言い方もでき、共通の趣味、好み、価値観などを持ち、深い親和性のある相手で、気性の合った人、初対面でも直感的に懐かしさを感じる人等、相手を自分の半分のように見ている人のことを指します。

スペインでは、話し言葉としてこの言葉は使われています。「ソウルメイト」という意味もありますが、「Encontrar a su media naranja」という言い回しで「理想の伴侶が見つかる」という意味で使われることが多いようです。

¡Enhorabuena! Me han dicho que te vas a casar en este verano.

おめでとう! 今年の夏結婚するって聞いたよ。

Gracias. Sí, al final he encontrado a mi media naranja de mi vida.

ありがとう。そうなの。やっと人生の伴侶が見つかったわ。

¡Ay, qué bien! Me alegro de que seas muy feliz.

おー!よかったね!幸せそうで嬉しいよ。

Sí, estoy muy feliz. Ya te mandaré la invitación de nuestra boda.

ええ、とっても幸せよ。そのうち結婚式の招待状を送るわね。

¡Vale! Me hace ilusión.

了解!楽しみにしてるよ。

バレンシアオレンジで有名なスペインなので、スペインらしい表現だなって思っていましたが、実は「Media naranja」の語源は紀元前のギリシャ時代まで遡るらしく、また、「Naranja」という語源も14世紀末にアラビア語からきていました。

ロマネスクへのいざない (14)- アストゥリアス州 (2)– ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

ファサードだけを見るとゴシック様式の教会のよう(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ロマネスク様式からゴシック様式への過渡期に建てられた教会

スペイン北部のビジャビシオサ(Villaviiosa)の街の中にあり、1270年に建てられたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、スペインでロマネスク様式がまさに終焉しようとしていた頃、かつ、既に他のヨーロッパ諸国やスペインの他の街ではゴシック様式が建築の新しい主流となりつつあった頃に建てられたものだ。上の写真をご覧いただくとお気づきになる方も多いと思うが、入口の門のアーチは純ロマネスク様式の半円アーチではなく、ゴシック様式の特徴である尖ったアーチで造られ、ロマネスク様式にはなかったバラ窓が施され、そのファサードは鉛直性が見て取れる。これらの特徴はロマネスク後期に見られるもので、完全なゴシック様式ではないもののゴシック様式の原型となるものであった。

このような、二つの建築様式が融合している教会は興味深いものがある。改築や増築されたために異なる建築様式を持つ教会とは違い、取ってつけたような印象はなく、調和のとれた安心感を与える美しい建築だ。

アストゥリアス芸術が残るプレ・ロマネスク

サンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)を受け継いだ正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)を持つバシリカ間取りで、長方形の身廊と聖堂、聖具保管室、南壁に取り付けられた開口柱廊で構成されている。

祭壇を含む頭部 (Cabecera)部分が正方形なのは、この地方のプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の特徴の一つ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

教会の内部の身廊は露出した木造建築で覆われ、尖ったアーチが聖堂の2つのセクションを隔ている。ゴシック様式への過渡期の尖ったアーチが見られるものの、全体的にはロマネスク様式の至ってシンプルな造りである。

祭壇を含む頭部 (Cabecera)へと導く主要アーチ(arco de trinumfo)はゴシック様式(写真:アルベルト・F・メダルデ)

プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)とは、一般的にはロマネスク様式が伝わってくる以前にアストゥリアス地方で造られてきた教会や修道院などの建築様式で、この地方独特の特徴を持っていた。11世紀にはいるとロマネスク様式がスペイン北部全域そしてアストゥリアス地方でも席捲し始め、それまでの様式に取って代わられた。それ故、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は11世紀以前に造られた建物が殆どだが、この教会は13世紀後半という後期ロマネスク様式時代に造られたにもかかわらず、まるで数世紀前の自分たちのアイデンティティーを懐かしむがごとく、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の特徴である正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)が造られたりしていて興味深い。

オリジナルなモチーフが施された柱頭

自分たちのアイデンティティーを再確認するようだと思わせる他の例として、ファサードの出入り口にある柱頭の彫り物のモチーフが挙げられる。

・アストゥリアスで初めてのバグパイプ奏者(Gaitero)

「バグパイプ」と聞くと日本では真っ先にスコットランド・バグパイプが思い浮かぶが、実は「バグパイプ」は中世ヨーロッパではポピュラーな楽器の一つで、スコットランドだけではなく各国で演奏されていた。スペインでは「ガイタ(Gaita)」と呼ばれ、現在でもアストゥリアス州やガリシア州ではお馴染みの楽器の一つだ。キリスト教三大巡礼地の一つガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラという街では、今でも「ガイテーロ(Gaitero)」と呼ばれるバグパイプ奏者がストリート・ミュージシャンとして活躍していて、その音色を気軽に楽しむことができる。

アストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」は、旋律を演奏する主唱管(チャンター chanter)の他に、1本の通奏管(ドローン drone)が付いている。ちなみに、日本で知られているスコットランド・バグパイプはこの通奏管(ドローン drone)が3本付いている。

下の絵はアストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」である。スコットランドのものよりシンプルな形をしている。

1吹口管 (ブローパイプ Blow pipe)2 主唱管(チャンター Chanter)3 通奏管(Bass drone) 4 バグパイプの袋(バッグ Bag) (絵: Wikipedia domain)

欧州では、14世紀~15世紀にかけて最も盛んにこの楽器が用いられていたらしいが、今回訪れたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)のファサード出入り口の柱頭には、この「ガイテーロ(Gaitero)=バグパイプ奏者」の姿を見ることができる。地元のガイドであるアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、これはアストゥリアス地方の教会の装飾として初めて施されたものだという。教会は1270年建設なので、かなり早い時期から「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」がアストゥリアスではポピュラーな楽器だったことが推測される。ロマネスク様式では珍しい図像である。

アストゥリアスの「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」を引く人「ガイテーロ(Gaitero)=バグパイプ奏者」(写真:アルベルト・F・メダルデ)

・豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)

 こちらの図像もアストゥリアスならではのもので、前述のガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、この柱頭の彫り物は豚の屠殺(とさつ)行事を表現している。中央の女性はアストゥリアス地方の代表的な飲み物「シードラ」と呼ばれるリンゴ酒(Sidra)を飲み、左側の女性はタンバリンをたたいてお祭り気分を表し、右側の男性は大きなナイフを持って豚をつぶそうと身構えている。

中央の女性の左手の下にはシードルが入った樽があり、樽からシードルが流れ出している。右側の男性は豚の屠殺(とさつ)の目的である保存食のハムやソーセージを作るという美味しい行事の始まりの期待感を感じさせる顔つきだ。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

この豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)は現在も行われており、特に地方の村々では11月末から2月にかけてこの「マタンサ(Matanza)」が開催されており、村を挙げての行事でありお祭りでもある。村のみんなが集まり共同して豚をつぶし、1年分のハムやソーセージを作ったり、肉を焼いて村人みなで食べたりして、食べ物が少なく貴重だった当時は、豪華な食べ物にありつける有難いお祭りだったのだ。

・妊娠姿のマリア像

次に紹介するのは、お腹が大きいマリア像である。教会の石像等でマリア像は沢山あるが、妊娠中のお腹が大きいマリア像は殆ど見ることができない貴重なものである。

左から2番目の像がマリア像。お腹が膨れているのがわかる。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

その他のさまざまな図像

狩りをした後に城へ帰る騎馬の姿も見られる。

左側には城、右側には騎馬で狩りをした後に帰城する姿が見られる(写真:アルベルト・F・メダルデ)

こちらは、教会南側出入り口の柱頭に施されている図像で、子羊または豚を殺そうとしている場面である。

左側は化け物が鳥を食べている(写真:アルベルト・F・メダルデ)

怪物が人間を食べている場面も見られる。一般的に、ロマネスク様式の柱頭では「善」と「悪」を表現していることが多いが、これらは「悪」を表していた。

哀れにも下半身を怪物に食べられ、頭が下向きになっている姿が見て取れる。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

最後に

既述の「妊娠姿のマリア像」の写真でお気づきになった方もいらっしゃると思うが、ファサードの8本の柱に施された人物像全ての首が失われている。これは、正確に言うと失われたのではなく、首を切り取られてしまったのである。

スペインでは、1936年から3年間にわたって左派の共和国人民戦線政府と右派の反乱軍が戦った、今もスペイン人の心の傷となって深く残る、スペイン内戦があった。同じ国の同士達がイデオロギーの違いによって、場合によっては親子や兄弟で敵同士となり戦った悲しい歴史だ。その内戦中、左派の社会労働党や共和主義者達は暴力革命志向が強く、そのためカトリック教会の施設破壊や略奪が公然のこととして横行した。アストゥリアス地方は、左派勢力が強かったため、前述したような教会のファサードに施された聖人像などの首が全て恣意的に切り落とされたのである。

中央のマリアと幼子イエスの像も破壊されたが修復されている。しかし、幼子イエスの首とマリアの手は今も失われたままだ。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

一度、破壊された歴史的建造物を破壊される以前の姿に再現することは難しい。ここでもその例を見ることができる。そして、戦争の愚かさ、無意味さを考えさせられた。イデオロギーの違いを超えて、自分たちの祖先が築いた文化を守ることの大切さも考えさせられるものとなった。

顔や首のない石像たちの声なき声を聴いたような気がした。

参考

・デジタル版のビジャビシオサ(Villaviciosa)の街のニュースなどを提供している「ビジャビシオサ・エルモサ」の中に、今回登場したガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)の説明動画がある。残念ながら映像と音響の質がいまいちでスペイン語しかないが、興味がある方はこちらをどうぞ。

・ここで紹介したビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)は、アストゥリアス州のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。このルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

情報

ビジャビシオサ(Villaviciosa)ウエブサイト。教会が見れる時間帯などの情報が得られる。

https://www.turismovillaviciosa.es/iglesia/romanico/santa-maria-de-la-oliva/villaviciosa

スペインのカーニバルのお菓子いろいろ

今年は、2月9日(金)から13日(火)まではカーニバルです。このお祭りは太陰暦で行われるため、イースター(復活祭)の時期によって毎年日付が変わります。具体的には、イースター(復活祭)の日曜日から遡って47日目の火曜日です。イースター(復活祭)は、春分の日以降の満月の日の次に来る日曜日と定められていて、毎年少しずつ当たる日が違います。今年は、3月31日(日)がイースター(復活祭)です。

さて、カーニバルと聞いて何を想像しますか?一番有名なカーニバルのお祭りはやはりブラジルの「リオのカーニバル」でしょうか。スペイン国内では、アフリカ大陸の横に位置するスペイン南部の諸島サンタ・クルス・デ・テネリフェのカーニバルが一番有名かもしれません。気候的にもスペイン本土とは異なり暖かい気候ということも手伝って、ブラジル的なリズミカルで奔放かつスペクタクルなカーニバルです。こちらは15日間に亘ってお祭りが開催されます。

クライマックスの日は火曜日のカーニバル(Martes de Carnaval)と呼ばれる最後の日です。ただ、学校以外の普通の社会人や大学生はその日は休日ではないので、その前の土曜日や日曜日に仮装して出かける人も多いですね。

その華やかなカーニバルの期間前から、街のお菓子屋さんでは地方色豊かなカーニバルのお菓子が出回ります。今回は、それらのお菓子について紹介します。

・オレハス・デ・カルナバル(Orejas de Carnaval)

パリパリっとした食感も楽しめる(写真: 筆者撮影)

オレハス・デ・カルナバル(Orejas de Carnaval)という名前の通り、スペイン西北部のレオン県やガリシア州でポピュラーなカーニバルの時期に食べるお菓子です。オレハス(orejas)というのは、スペイン語では「耳」を意味する「Oreja(オレハ)」の複数形です。「カーニバルの耳」というのがこのお菓子の名前ですが、一体何の耳を指しているのでしょうか?実は、豚の耳をかたどったものだと言われています。

カーニバルは、毎年日にちは異なるものの2月に行われます。昔からスペインでは、2月に豚を殺しその肉を使ってチョリソー(Chorizo)等のいわゆるソーセージやサラミを作ってきました。これは、農作物が少ない冬の間の貴重な食糧、保存食として昔から行われているスペイン語ではマタンサ(Matanza)と呼ばれる豚の屠殺です。

また、カーニバルの最終日が終わる次の日からは、キリスト教徒の間では復活祭(イースター)に向けて四旬節と呼ばれる断食の犠牲を伴う時期に入ります。基本的には、肉食を絶つ、食事の量を控えるということでしたが、キリスト教では主日(日曜日)には断食をしない習慣なので日曜日には普通に食事をしていました。

ただ、「肉食」の中には豚足や豚の耳は含まれておらず、「肉」の代用食として四旬節中にも食べられていました。そして、カーニバルの時期に重なるマタンサ(Matanza)-豚の屠殺-の習慣とこれから始まる四旬節中の断食の時期でも「肉」の代用として食べることができた豚の耳が民衆の間で上手く融合したことにより、カーニバルの時期に食べる「豚の耳」をかたどったお菓子が登場してきたという訳です。(ディアリオ・デ・レオン「Diario de Leon」2021年2月10日付新聞記事より)

この説がどこまで本当なのかは分かりませんが、このお菓子はとても素朴で美味しいので、カーニバルの時期は勿論、お菓子屋さんによっては1年中販売しているところもあります。是非、お試しください!

・フローレス・デ・カルナバル(Flores de Carnaval)

花の形が可愛い!(写真: 筆者撮影)

こちらは、花をかたどったお菓子で名前も「カーニバルの花」という可憐な名前です。オレハス・デ・カルナバル(Orejas de Carnaval)と同様に揚げ菓子です。

可愛い花をかたどった型。お菓子作りが大好きなお友達にはお土産にしても喜ばれそう!(写真: 筆者撮影)

カステージャ・ラ・マンチャ州やガリシア州、エクストレマドゥーラ州など、スペイン各地で見られるお菓子です。上の写真はレオン市のお菓子屋さんで買い求めたもので、「レオン市でもカーニバルの時期に食べるお菓子の一つだよ」と教えてくれました。レオン市は、今はカステージャ・イ・レオン州の中の一つですが、歴史的にはカステージャ王国とは別のレオン王国が存在していて、当時のレオン王国は今のガリシア州も領土の一部として統治していたこともあり、今のガリシア州と共通する食べ物や習慣も多々あります。

スペイン近代化の中で、歴史的には同じ王国だった場所が分裂されたり統合されたりして今の州制度が成立していますが、長い間培われた食文化は人々の生活の中ではしっかりと根ざしていて、今現在も食され、人々から愛され続けていることは興味深く、脈々と受け継がれてきた伝統文化を感じさせられます。

・カサディエージェス(Casadielles)

こちらは揚げ菓子バージョンではなく、パイ生地バージョンの「カサディエージェス(casadielles)」(写真: 筆者撮影)

最後に紹介するカーニバルの時期に食べるお菓子は、スペイン北部のアストゥリアス州の「カサディエージェス(casadielles)」です。こちらは、クルミを中に詰めた包み揚げ菓子で、アストゥリアス地方のある地域ではクリスマスに広く食べられ、他の地域ではカーニバルのお祭りで食べられています。どちらにしても、アストゥリアス州ではそのシンプルさと味の両方で人気のあるデザートの一つです。

その起源については、ローマ時代以前にアストゥリアス人が作り始めたとする説があります。アストゥリアス人(astur)はナッツ類を集める民族であったため、レシピにこれらの食材を多く使っていたと考えられているからです。

こちらのお菓子はスペインの他の州では食べれないお菓子なので、もしスペイン北部のアストゥリアス州に訪れる機会がある方は、食べてみられることをお薦めします!

ロマネスクへのいざない (13)- アストゥリアス州(1)

アマンディのサン・フアン教会(Iglesia de San Juan de Amandi) の正面 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

アストゥリアス州のロマネスクを訪ねて

アストゥリアス州にあるロマネスク巡りの旅に3泊4日で行ってきた。アストゥリアス州はスペイン北部に位置し、8世紀初頭にはイベリア半島がイスラム化され、イベリア南部・中部からイスラム軍勢の攻撃を逃れたキリスト教徒たちがこの地方に避難していた。その後、スペインのレコンキスタ(キリスト教勢力がイスラム教勢力に対して領土を取り戻そうとする運動)のきっかけとなる722年のコバドンガの戦い(アストゥリアスにあるコバドンガという場所で戦われた)に勝利し、アストゥリアス王国の端緒となった。

8世紀にアストゥリアス王国が建設され、910年に今のカステージャ・イ・レオン州のレオン市に王国が遷都しレオン王国が建設されるまでの約200年弱アストゥリアス王国は繁栄していた。この王国はキリスト教と密接に結びついていたため、11世紀から12世紀後半にかけてヨーロッパ中を席巻したロマネスク様式以前に建てられた教会がこの地方には多く残されており、アストゥリアス芸術とも呼ばれる建築様式が起こりこの地方の芸術において最も特徴的な象徴の一つとなっている。

その中でも、「オビエドおよびアストゥリアス王国のモニュメント」の名前でユネスコの世界遺産に登録されているアストゥリアスのプレ・ロマネスク芸術(アストゥリアス芸術)の建築は有名だが、今回の旅ではオビエドは含まれていない。オビエドについては別の機会に紹介するつもりだ。今回のロマネスク巡りでは、アストゥリアス芸術のプレ・ロマネスク芸術だけではなく、有名どころではない日本人にはほとんど知られていないロマネスク様式の教会等を訪ねたので紹介しよう。

アストゥリアス州 - Wikipedia
山あり海ありと風光明媚なアストゥリアス州。食べ物も美味!

ちなみに、今ではスペインの中では小さな州の一つとなっているが、アストゥリアス王国の最盛期には、ご存じの方も多いキリスト教三大巡礼地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラがあるスペイン西部のガリシア地方へと版図を拡大していた。

また、スペイン皇太子の称号は「Príncipe de Asturias(アストゥリアスの王子)」というが、これはこのアストゥリアス王国がキリスト教の最後の牙城となり、その後レオン王国、カステージャ王国、そしてスペイン統一へと発展していった直接の母体となったという歴史にちなんでこの名前からとられており、1388年に設けられた。(ウィキペディアより)

今回の旅行では、最初の2泊はビジャビシオサ(Villaviciosa)に泊まり、残りの1泊はアビレス(Avilés)に泊まった。ちなみにマドリードからは車で5時間程かかる。列車だと3時間40分~4時間程でヒホン(Gijón)まで着く。ヒホン(Gijón)は、今回泊まったビジャビシオサ(Villaviciosa)とアビレス(Avilés)のほぼ中間地点にある海沿いのアストゥリアス州で一番人口の多い街であり、アストゥリアス州の州都はオビエド(Oviedo)である。

第1日目: ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

第1日目に訪れたロマネスク建築は、ビジャビシオサ(Villaviiosa)にあるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)。

・ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

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ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会の正面玄関(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ビジャビシオサ (Villaviiosa)の街の中心地にある今も街の人達に愛されている教会。ゴシック様式の原型となる後期ロマネスク様式と呼ばれている13世紀末に造られた教会で、バシリカの間取り、幾つかの矢狭間(やざま)、側面の出入口、殆どの装飾がロマネスク様式として残っている。ゴシック様式としては、ファサードのこころもち尖ったアーチ、バラ窓、図像等に現れている。

ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

第2日目: プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)からカモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)まで

第2日目に訪れたロマネスク建築並びにプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は次の通り。6ヵ所の教会を回り、そのうち1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、残りの5ヵ所はロマネスク建築だった。

プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)

正面玄関の入口はロマネスク様式等に比べると至って簡素。(写真:筆者撮影)

10世紀に造られたプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の教会。アストゥリアス美術を踏襲する半円筒ボールトで覆われ、祭壇を含む頭部 (Cabecera) が3つの部分に分かれたバシリカ間取りの教会。

3日目に訪れたバルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)をモデルとして造られたが、バルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)と同様に内部の装飾画は保存状態が悪い。それでも教会内にかすかに残る多色装飾は興味深いものだった。

プリエスカのサン・サルバドール教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・セブラジョのサンタ・マリア聖堂(Templo de Santa María de Sebrayo)

入口は後世に増築された雨除けで覆われている。(写真:筆者撮影)

12世紀に建てられたこの教会は、身廊は一つで長方形の間取りであり、祭壇を含む頭部 (Cabecera) は正方形であまり高さはない。教会の聖具納室と柱廊は後の時代に付け加えられている。内部は見ることができなかったが、ビジャビシオサの観光ウエブサイト(Turismo Villaviciosa)によると、身廊は木造の露出した構造で、祭壇を含む頭部 (Cabecera) は樽型アーチで覆われている。両者は、植物の柱頭で装飾された両側の柱に支えられた二重アーキボルトの主要門 (arco de triunfo) で隔てられている。

ビジャビシオサの街からは車で15分位だが、途中の道が細くかなり孤立した場所にひっそりと建っていたのが印象的だった。

・セロリオのサンタ・エウラリア教会 (Iglesia de Santa Eulalia de Selorio)

様々な様式が一つの教会に収斂されている。(写真:筆者撮影)

905年には既にこの教会が存在していたことが記録として残されているが、その当時のプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は何も残存していない。ロマネスク様式のものは、主要アーチ(arco de triunfal)、後陣、出入口等があり、特に持ち送りに施されている動物のをかたどったもの等は保存状態は良い。記録には残っていないが、12世紀末から13世紀初めにかけて造られた教会だと考えられている。

現代的な時計がファサードに組み込まれているのは印象的だった。

・ルガスのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Lugás)

雨の多いアストゥリアスではよくみられる雨除け。(写真:筆者撮影)

ルガス ( Lugás)にあるのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María) の始まりは13世紀に遡り、2つの出入口と主要アーチ (arco de triunfo) はロマネスク時代のものが残存する。他の部分は17世紀以降度々改築や増築が行われ、その結果、残念なことにロマネスク様式は覆い隠されてしまった。興味深いことは、解釈の違いはあるものの、ここの教会の門に施されている嘴の生えた頭部が連なっている模様は、イングランド・フランス・アイルランド等でもよく見られる模様で、アストゥリアス地方でも見られる模様だということ。この模様は、今回訪れることができなかったこの近くにあるアラミルにあるサン・エステバン教会にも見られるということだ。

ルガスのサンタ・マリア教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・バルデバルセナスのサン・アンドレス教会 (Iglesia de San Andrés de Valdebarcenas)

一見シンプルな教会のようだが主要アーチ等見どころが多い。(写真:筆者撮影)

バルデバルセナス (Valdebarcenas) のサン・アンドレス教会 (Iglesia de San Andrés)は12世紀に建てられた、典型的なプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の要素を残すアストゥリアス初のロマネスク建築の一つである。1965年に国定史跡に指定され、アストゥリアスで最も興味深い教会の一つと専門家の間でもみなされている。

・カモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)

白く塗られた壁が印象的。(写真:筆者撮影)

13世紀に建てられた教会で、ロマネスク時代のものとしては主要アーチ (arco de triunfo) があり、南玄関の半円アーチは非常にシンプルで、植物と動物の装飾が施された柱頭を持つ左右3本の柱の上に、2本の無地のアーキボルト、いくつかの持ち送り、そして刳り型装飾を施したアーチの迫元を伴う無地のアーキボルトから成る。

第3日目: フエンテスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Fuentes) からアビレスのカンタベリーのサント・トマス教会 (Iglesia de Santo Tomás de Canterbury en Avilés)まで

第3日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。7ヵ所の教会を回り、そのうち1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、残りの6ヵ所はロマネスク建築だった。

フエンテスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Fuentes)

景色の良い高台に建てられていた。(写真:筆者撮影)

11世紀に造られたこの教会は、19世紀に発見された膨大な碑文のおかげで、その歴史の詳細の多くが知られている。この碑文には教会の創設者であるディエゴ・ペレスとその妻マンスアラが、魂の救済を目的として創設したことや、寺院創設のために寄付した品物の詳細が記されていると同時に、この教会から何かを持ち出すような者があれば、その者に永遠の責め苦を受けさせてほしい、そしてこの地から破門されますようにとの呪いの言葉も記されている。興味深い事には、この願いもかなわず1898年に中世アストゥリアス金細工の傑作のひとつである教会の行列用十字架が略奪され、回りまわってニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されていることである。

ちなみに、1985年に歴史的芸術建造物に指定されている。

・ビニョンのサン・フリアン 教会(Iglesia de San Julián de Viñón)

中まで見れなかったことが残念。(写真:筆者撮影)

アストゥリアス中東部の田園ロマネスク様式の最も重要な寺院のひとつで、1985年に歴史的芸術建造物に指定された。

この教会は11世紀初頭に造られ、スペインのロマネスクが始まる以前のものであり、ロマネスク様式以前のアストゥリアス美術とその後の時代のロマネスク様式の結合(つながり)を見て取ることができる。つまりスペインロマネスクの原型を見ることができる貴重な教会として重要視されている教会である。

・バルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)

調和のとれたリズミカルで存在感のあるその姿は、見る人を飽きさせない。(写真:筆者撮影)

「神の谷」を意味する「Valdedios」に建てられた教会は、俗世から離れた神聖な美しい自然の中にある。訪れた日は雨が降り、緑が濃く感じられる神秘的な場所であった。

9世紀に建てられたこの教会は、アストゥリアス王国の最後の王アルフォンソ3世によって建てられ、ロマネスク以前のアストゥリアス芸術の最後の作品の一つである。小規模の教会にもかかわらず、威風堂々としていて、かつ、シンプルな線の建築の中にリズムを感じ取れる。

この教会は今回の旅のメインだったが、期待にたがわないその姿を見た時は、震える喜びを感じた。

バルデディオスのサン・サルバドール 教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・サンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)

鳥の声、雨の音しか聞こえな静寂な場所で800年以上も修道士たちは神に祈りを捧げ、静かに暮らしていた。(写真:筆者撮影)

上記バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の敷地内には、シトー会修道士達によるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)が建っている。この修道院は1200年に設立され建築様式はロマネスク様式で造られた。2020年までは少数の修道士たちが居たが、今は完全に観光のみとなりガイド案内が行われている。

・アマンディのサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan de Amandi)

祭壇を含む頭部 (Cabecera) は息を吞む美しさが!(写真:筆者撮影)

今回の旅で美しいロマネスク様式教会の発見!と感じたアマンディ (Amandi) のサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan)は、13世紀の初めにロマネスク時代最後の教会として造られた。後陣の美しさと、優雅で多様な彫刻装飾はこの教会特有のものであり、17世紀に増築された出入口を守るための大きな半円形木造の柱廊(pórtico)は、雨の多いこの地方において重要な役割を果たしている。その土地に適した建築構造は、様式のみにとらわれない柔軟な考えを持った人たちによって造られたのであろう。

アストゥリアス地方全体の豊富なロマネスク建築の中でも特別な繊細さと美しさを持ち、1931年に国定史跡に指定されている。

・アビレスのサン・アントニオ・デ・パドゥア教会 (Iglesia de San Antonio de Padua de Avilés)

アビレス (Avilés) の街の中心地にある。(写真:筆者撮影)

12世紀に建てられたロマネスク様式の教会で、アビレス (Avilés) の街の中では中世の城壁内に存在した唯一の教会として知られており、アビレスの街における宝の一つ。長い歴史の中で数々の改築が行われ、教会の原型であったロマネスク様式はファサードに残存しているのみである。その後15世紀にはゴシック様式で増築され、更にキリスト礼拝堂がバロック様式で建てられている。

面白い事にこの教会は3つの名前を持っていて、建設された当初は、船乗りと商人の守護聖人であるサン・ニコラス・デ・バリ教会 (Iglesia de San Nicolás de Bali) の名を冠しており、その後、1919年にフランシスコ会が到着すると、フランシスコ会の神父たちの教会 (Iglesia de los padres franciscanos) となった。そして、フランシスコ会の修道士たちが2013年に教会を去った後は、サン・アントニオ・デ・パドゥア教会 (Iglesia de San Antonio de Padua) となっている。

・サブコのサント・トマス教会 (Iglesia de Santo Tomás de Sabuco)

ライトアップされた美しいファサード。(写真:筆者撮影)

アビレス (Avilés) の街に13世紀半ばに建てられたこの教会は、基本的にはロマネスク様式だが、時代はゴシック様式の波が押し寄せていたことを反映し、入口は先が尖ったアーチでゴシック様式を取り入れているのが見受けられる。南側にある入口は典型的なロマネスク様式の特徴である半円形アーチである。

この教会は、イギリスのカンタベリー大司教で殉教したサント・トマスに捧げられた教会でアビレスの街のサブコ地区にあったため、サブコのサント・トマス教会と呼ばれている。

第4日目: ピエデロロのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Piedeloro)からレナのサンタ・クリスティーナ教会 (Santa Cristina de Lena)まで

第4日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、もう1ヵ所はロマネスク建築だった。

・ピエデロロのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Piedeloro)

国の文化財に指定されているこの教会は、13世紀初頭に造られた後期ロマネスク様式である。17世紀から18世紀にかけて祭壇を含む頭部 (Cabecera) が改築され、20世紀のスペイン市民戦争では大きな被害を受けている。残存するロマネスク様式は、3つの入口と主要アーチ(arco triunfal)のみである。

訪れた日が11月1日で、この日は「諸聖人の日(万聖節)」で教会ではミサが行われていて多くの人達が参列していたため、残念ながら教会に入ることはできなかった。写真からもお分かりになるように、沢山の車が教会の周りに止められていた。かなり田舎の村の教会だったので、この車の多さには驚いたが、「諸聖人の日(万聖節)」ということを思い出して納得した次第。

・レナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)

まるで中世の一コマのよう。(写真:筆者撮影)

9世紀半ばに造られたプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の教会は、人里離れた雄大な自然の中に根を下ろす孤高の教会である。19世紀末と1930年代に行われた修復の成功により見事に保存されたレナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)は、1885年に歴史的芸術建造物に指定され、その1世紀後(1985年)、冒頭に言及した通り、アストゥリアスの他のプレ・ロマネスク様式の建造物とともに、「オビエドおよびアストゥリアス王国のモニュメント」としてユネスコの世界遺産に登録された。

残念ながら訪問時間外に着いたので、今回は内部を見ることができなかった。またの機会に訪ねてみたい。

ちょっとスペイン語 -26-  (Que sueñes con los angelitos.-いい夢みてね。おやすみなさい。)

ここでは、ちょっとしたスペイン語の言い回しや、ことわざ、話し言葉など、辞書には載っていない単語も含めて紹介していきます。スペイン語を勉強している方には言葉の幅が広がるお手伝いができればいいなと、スペイン語には興味ないという方には雑学として楽しんでいただければいいなと思っています。

Que sueñes con los angelitos.-いい夢みてね。おやすみなさい。

スペイン語には、小さいものや親愛の情を表す示小語または縮小辞(diminutivo)と呼ばれる「-ito」「-illo」がありますが、この「angelitos」は「ángel」の示小語または縮小辞(diminutivo)に当たります。「ángel」の意味は「天使」で、「angelitos」は「小さな天使たち」という意味です。

「sueñes 」は動詞「soñar」の2人称で、この動詞の後に前置詞「con」を付けて「夢をみる」という意味になります。

「Que sueñes con los angelitos」の意味を直訳すると「小さな天使たちの夢をみてね」ということです。つまり、「いい夢見てね」「よく眠ってね」という意味なのです。

スペインでは、親が子供に寝る前に言う言葉の一つでよく使われているようです。

Mamá, estoy muy cansado.

ママ、ぼく疲れちゃった。

Vete a la cama pronto y que descanses bien.

早く寝て休んだら。

Sí, creo que me voy a la cama ya.

うん、もう寝るよ。

Que sueñes con los angelitos.

いい夢みてね。

Gracias, mamá.

ママ、ありがとう。

スペイン王立アカデミーのスペイン語辞書には載っていない言い回しですが、日常の会話では、特に親が子供に寝る前によく使う言い回しです。小さな可愛らしい天使たちの夢をみている小さな愛らしい子供たちの情景が目に見えてくるような言い回しで、私も寝る前の自分の子供たちによく言っていました。この言い回しは、別に子供相手限定というものではないので、気軽に恋人や仲の良い友人に対して使っても問題はありませんので、使ってみてくださいね。

スペインでバードウォッチング!-種類別 スペインの野鳥 日本語名(サケイ科)

ここでは、スペインに生息する野鳥の名前を、種類別に集めてみました。スペイン語名をクリックしてもらうと、スペイン鳥学会のホームページに飛びます。残念ながら日本語版はありませんが、英語での鳥の名前は出ています。スペインで野鳥観察されるとき、またはスペインの旅の途中で見かけた鳥のスペイン語名を知りたいときに、少しでもお役に立てれば幸いです。

シロハラサケイ (Ganga ibérica) /(写真: ウィキペディアドメイン)

Gangas = サケイ科

スペイン語日本語ラテン語//常駐/偶然
Ganga ortegaクロハラサケイPterocles orientalis常駐
Ganga ibericaシロハラサケイPterocles alchata常駐

クリスマスディナーにどうぞ!豚肩ロースのハーブオーブン焼き(Lomo de cerdo con hierbas al horno)

もうすぐクリスマスです。今年のクリスマスイブは日曜日に当たるので、自宅でちょっぴり豪華な夕食を楽しんでみませんか。この料理はスペインの典型的なクリスマス料理ではなく、普段に食べるものですが、勿論クリスマスでも食べれます。スペインではクリスマスで食べる時は、普通の豚肉ではなくイベリコ豚の肩ロースを使ってちょっと贅沢な気分を味わったりします。また、最後にお洒落なポルトーワインソースのレシピも紹介しますので、最後までお楽しみに!

豚肩ロースのハーブオーブン焼き(Lomo de cerdo con hierbas al horno )

材料:4人分

・豚肩ロースかたまり        600~800g

・玉葱                 1個

・ローズマリー           小さじ1/2杯

・タイム              小さじ1/2杯     

・塩                 適宜

・オリーブ油             大さじ 4杯

作り方

1.玉ねぎは半分に切り、薄切りにする。玉ねぎが大きい場合は、更に半分に切ったうえで薄切りにする。

ちょっと大きめの玉ねぎだったので半分の半分に切っています

2.オーブンを180℃に温めておく。

3.豚肩ロースかたまりをオーブン用の耐熱容器にいれ、軽く塩を振り、オリーブ油大さじ1杯を刷り込む。ローズマリー、タイムも満遍なく振りかけておく。

肉の下に薄くオリーブ油(分量外)を引いておくと焦げにくくなります

4.1の切った玉ねぎを肉の周りに置き、玉ねぎにも軽く塩を振り、残りオリーブ油大さじ3杯を上からかける。

まるで玉ねぎのベッドにお肉が寝ているよう(笑)

5.4をオーブンに入れて20分程焼く。その後肉をひっくり返し、玉ねぎが焦げないように軽く混ぜる。更に、20分程焼く。

6.竹ぐしを刺して赤い汁が出なければ、オーブンの火を消す。まだ赤い汁が出るようであれば、もうしばらく焼く。焼きすぎると肉がパサつくので、焼きすぎないよう気を付けて!

切った後、玉ねぎと混ぜ合わせても良し、切ったままの状態でテーブルに出すのも良し

7.食べやすい厚さに切り分け、リンゴのコンポートや焼きピーマンと一緒にどうぞ。

このままでも十分美味しいですが、付け合わせにりんごのコンポートや焼き赤ピーマンもよく合います。この写真ではリンゴのコンサートを添えています

今回はクリスマス用ということで、豚肩ロースのオーブン焼きによく合うお洒落なポルトーワインソースも紹介します。

ポルトーワインソース(Salsa de oporto )

材料:作りやすい分量

・ポルトーワイン          220㏄

・砂糖           150g

作り方

1.鍋に砂糖を入れ、その上からポルトーワイン150㏄を入れて、最初は強火、沸騰後は弱火にかけ、30分程煮詰める。

2.煮詰まったら、残りのポルトーワイン70㏄を入れ、更に10分程度煮詰めて火を止める。

作り方は至って簡単ですが、ササっと塩焼きした豚肉や鶏肉にかけて食べると相性良く、グレードアップされます。このソースは、瓶に入れて冷蔵庫で保存すると半年はもちます。冷やしていると固まるので、使う前に少し湯煎するか、電子レンジで温めることをお薦めします。

ロマネスクへのいざない (13)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (10)– モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)

ピクニックでもできそうな気持のよい場所にヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) はある (写真: 筆者撮影)

スペインの文化遺産にも指定されているヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)は、12世紀後半(1170年以降)に建てられたロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)の古い教会である。現在、この修道院は存在せず、その名前だけがこの土地の名前となって残っているにすぎない。

10世紀頃からこの土地に修道士たちが住み始め、ローマ街道から少し離れた、泉のそばにこのロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)が建てられたが、ここから40km程離れたオニャ修道院(Monasterio de Oña)に1063年に併合された。

今回、事前予約など無しでこの礼拝堂を訪れたため、礼拝堂自体は閉まっていて中には入ることはできず残念だった。ここでは、礼拝堂の外観について見てみる。

オリジナルな礼拝堂

モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)は、「スペインで建設されたロマネスク様式のバシリカの中で最も優れた例である」、とウィキペディアには紹介されている。更には、「東洋と西ゴートの影響を受けた12世紀の無名の芸術家たちの優しい手から生まれたままの姿で、きれいに保存されている」と続く。

ここで言う「バシリカ」とは、長方形の建物でキリスト教の教会堂の建築形式である。特徴としては、身廊、側廊があり、入口から入って身廊に入りその突き当りにアプス(後陣)と呼ばれる祭壇がある部分がある。基本的には、アプス(後陣)は、イエスが生まれた方向であり、イエスの「私は光である」という言葉から光(太陽)が生まれる方向、つまり東側に位置するように造られ、教会への入口は西側に位置していた。

ところが、理由は分かっていないらしいが、このヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)の礼拝堂への入口は西側ではなく、北側に位置している。

まるで大きな半円の素描のような三つのアーチ(写真: 筆者撮影)

また、アプス(後陣)は半円形の形をしている。ここの礼拝堂も通常の半円形を成しているが、その半円形に三つの大きなアーチ型をした線が描かれ、各々のアーチの中に細長い窓が造られていて、とても動きのある軽快なイメージを受ける。一般的なアプス(後陣)がもっとどっしりとしたイメージを与えているだけに、この礼拝堂のアプス(後陣)のオリジナル性は際立っている。

幾つか他のロマネスク様式のアプス(後陣)も紹介して比較してみよう。

こちらは、同じブルゴス県にあるサン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)。途中から柱が細くなっていてほっそり感かつ優雅な雰囲気が出ている。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

こちらも同じブルゴス県にあるビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)。もっとでシンプルかつ重厚感を与えている。

ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

最後に比較してみるのは、アストゥリアス地方にあるアマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)。こちらも上のビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)に似ていて、重厚感を与えている。三層に区切ってあるのは、ここのアプス(後陣)の特徴でもある。

アマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

比較してみるとお分かりになると思うが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)はロマネスク様式のアプス(後陣)の中でも新奇な趣向を見て取ることができる。

北側にある入口

北側にある入口を見てみよう。

北側に位置する教会の入口(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

入口のアーキボルトは三層から成っていて、ほんの少し先が尖っているのが見える。これは、この後に訪れる初期ゴシック様式への過渡期であり、黎明期の到来を表している。実際、この入口は12世紀後半のもので、この頃にはスペインにも少しづつゴシック様式の波が押し寄せていた。しかしその装飾は、ビザンチン文化の影響を受けたロマネスク様式のものである。

円柱の4つの柱頭は、ロマネスクではお馴染みの鳥とライオンの姿が見える。そして入口を見てまず目に留まるのは、矢張り入口の左右に彫られているライオンの頭部だろう。なかなか表情豊かで印象的である。これは、「教会の番人としてのライオン」を表していて、教会に入る人々に、神聖な場所にいることを警告し、態度を改め、適切な態度を取らなければならないことを示している。

ライオンというよりまるで鬼の顔のよう(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この教会の番人としてのライオンは、あまりに実際のライオンとはかけ離れた顔つきのような気もするが、忘れてはいけないことは、ロマネスクの時代には、本物のライオンを見たことがある人はおそらく一人もいなかったであろうことだ。というのも、ヨーロッパには今も昔もライオンはいない。今のようにテレビやインターネットでライオンの姿を見ることが容易であったわけではない。まして、動物園等ない当時、本物のライオンにお目にかかれる機会など全くなかったのである。全てのこのような動物は石工達の想像上の動物、またはそれ以前に描かれていた絵等の資料を基にして作られたのであった。

魅力的な持ち送り(Canecillos または Modillones)

前述の北側の入口の屋根部分にも見えるが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)には、スペイン語でカネシージョス(Canecillos)またはモディジョネス(Modillones)と呼ばれる24の持ち送りがある。通常、ロマネスク様式における持ち送りは身廊や後陣、入口の瓦屋根の下にあり、張り出した屋根部分を支える機能を担っていると同時に、装飾としての役目も担っていた。

ロマネスクにおけるライオンに与えられた象徴的な意味は多岐にわたっている。その上、前述した「教会の番人としてのライオン」というような良い意味だけではなく、悪い意味を象徴するものとしてもその姿が用いられてきた。例えば、「悪魔の化身」としてのライオンや貪食な動物であるというイメージからくる「死」や「精神的な死」をも意味していた。(「ロマネスクの図像と象徴(筆者訳: Iconografía y Simbolismo Románico de David de la Garma ramíez、出版社: arteguias)」より)

ライオンだろうか。歯を見せて笑っているようなユーモラスな表情は魅力的。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
鋭い嘴からワシではないかと思われる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
流石に犬は本物の犬の姿をしていて分かりやすい(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

人間を描いた持ち送りも多数見られる。

人間の胸像、職業や活動を示すもの(ハンマーを持った鍛冶屋や大工、バイオリンを持った音楽家、裸の男(おそらく男根)などがそれに当たる。

ハンマーを持った鍛冶屋(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
背中合わせの男女だろうか?小首をかしげる女性の姿は惹きつけられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
楽器を弾く男。バイオリンだろうか?(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
こちらは裸の男。破損しているが男根とみられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

東方の影響

南側の浮き彫りには、聖母マリアと幼子イエスが描かれており、マリアが戴冠する「知恵の王座(ラテン語ではセデス・サピエンティアエ(Sedes Sapientiae))」というビザンチン様式の伝統的な正面配置になっている。残念ながら幼子イエスの彫刻は事実上失われている。

東方のビザンチン文化の影響を受けた聖母マリアと失われた幼子イエス
(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

一つの建築物の中に様々な文化・様式が融合され、調和を持った教会へと仕上げられている所はこのヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂の魅力の一つであろう。

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

・youtubeでいろんな角度から見たヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂が見えます。

・こちらは、礼拝堂の中も見れる youtube。

参考

・カステージャ・イ・レオン州の公式観光案内ウエブサイトには、コンタクトの電話番号があります。内部も見学したい方は、事前に連絡されて訪ねることをお勧めします。2023年11月現在で確認した限りは、冬の期間11月~3月くらいまでは基本的には中を訪れることはできないとのことでした。冬の季節以外は、週末にガイド付き(今のところスペイン語のみ)で中を見学できるが、事前予約が必要とのことでした。

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-senora-valle

スペインでバードウォッチング!-種類別 スペインの野鳥 日本語名(ウミスズメ科)

ここでは、スペインに生息する野鳥の名前を、種類別に集めてみました。スペイン語名をクリックしてもらうと、スペイン鳥学会のホームページに飛びます。残念ながら日本語版はありませんが、英語での鳥の名前は出ています。スペインで野鳥観察されるとき、またはスペインの旅の途中で見かけた鳥のスペイン語名を知りたいときに、少しでもお役に立てれば幸いです。

ハジロウミバト (Arao aliblanco) /(写真: アルベルト・F・メダルデ)

Alcas, araos, etc. = ウミスズメ科

スペイン語日本語ラテン語//常駐/偶然
Mérgulo atlánticoヒメウミスズメAlle alle
Frailecillo atlánticoパフィンFratercula arctica
Arao aliblancoハジロウミバトCepphus grylle偶然
Arao comúnウミカラスUria aalge
Alca comúnオオハシウミガラスAlca torda
オオハシウミガラス(Alca común) /(写真: アルベルト・F・メダルデ)