ロマネスクへのいざない (13)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (10)– モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)

ピクニックでもできそうな気持のよい場所にヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) はある (写真: 筆者撮影)

スペインの文化遺産にも指定されているヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)は、12世紀後半(1170年以降)に建てられたロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)の古い教会である。現在、この修道院は存在せず、その名前だけがこの土地の名前となって残っているにすぎない。

10世紀頃からこの土地に修道士たちが住み始め、ローマ街道から少し離れた、泉のそばにこのロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)が建てられたが、ここから40km程離れたオニャ修道院(Monasterio de Oña)に1063年に併合された。

今回、事前予約など無しでこの礼拝堂を訪れたため、礼拝堂自体は閉まっていて中には入ることはできず残念だった。ここでは、礼拝堂の外観について見てみる。

オリジナルな礼拝堂

モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)は、「スペインで建設されたロマネスク様式のバシリカの中で最も優れた例である」、とウィキペディアには紹介されている。更には、「東洋と西ゴートの影響を受けた12世紀の無名の芸術家たちの優しい手から生まれたままの姿で、きれいに保存されている」と続く。

ここで言う「バシリカ」とは、長方形の建物でキリスト教の教会堂の建築形式である。特徴としては、身廊、側廊があり、入口から入って身廊に入りその突き当りにアプス(後陣)と呼ばれる祭壇がある部分がある。基本的には、アプス(後陣)は、イエスが生まれた方向であり、イエスの「私は光である」という言葉から光(太陽)が生まれる方向、つまり東側に位置するように造られ、教会への入口は西側に位置していた。

ところが、理由は分かっていないらしいが、このヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)の礼拝堂への入口は西側ではなく、北側に位置している。

まるで大きな半円の素描のような三つのアーチ(写真: 筆者撮影)

また、アプス(後陣)は半円形の形をしている。ここの礼拝堂も通常の半円形を成しているが、その半円形に三つの大きなアーチ型をした線が描かれ、各々のアーチの中に細長い窓が造られていて、とても動きのある軽快なイメージを受ける。一般的なアプス(後陣)がもっとどっしりとしたイメージを与えているだけに、この礼拝堂のアプス(後陣)のオリジナル性は際立っている。

幾つか他のロマネスク様式のアプス(後陣)も紹介して比較してみよう。

こちらは、同じブルゴス県にあるサン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)。途中から柱が細くなっていてほっそり感かつ優雅な雰囲気が出ている。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

こちらも同じブルゴス県にあるビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)。もっとでシンプルかつ重厚感を与えている。

ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

最後に比較してみるのは、アストゥリアス地方にあるアマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)。こちらも上のビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)に似ていて、重厚感を与えている。三層に区切ってあるのは、ここのアプス(後陣)の特徴でもある。

アマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

比較してみるとお分かりになると思うが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)はロマネスク様式のアプス(後陣)の中でも新奇な趣向を見て取ることができる。

北側にある入口

北側にある入口を見てみよう。

北側に位置する教会の入口(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

入口のアーキボルトは三層から成っていて、ほんの少し先が尖っているのが見える。これは、この後に訪れる初期ゴシック様式への過渡期であり、黎明期の到来を表している。実際、この入口は12世紀後半のもので、この頃にはスペインにも少しづつゴシック様式の波が押し寄せていた。しかしその装飾は、ビザンチン文化の影響を受けたロマネスク様式のものである。

円柱の4つの柱頭は、ロマネスクではお馴染みの鳥とライオンの姿が見える。そして入口を見てまず目に留まるのは、矢張り入口の左右に彫られているライオンの頭部だろう。なかなか表情豊かで印象的である。これは、「教会の番人としてのライオン」を表していて、教会に入る人々に、神聖な場所にいることを警告し、態度を改め、適切な態度を取らなければならないことを示している。

ライオンというよりまるで鬼の顔のよう(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この教会の番人としてのライオンは、あまりに実際のライオンとはかけ離れた顔つきのような気もするが、忘れてはいけないことは、ロマネスクの時代には、本物のライオンを見たことがある人はおそらく一人もいなかったであろうことだ。というのも、ヨーロッパには今も昔もライオンはいない。今のようにテレビやインターネットでライオンの姿を見ることが容易であったわけではない。まして、動物園等ない当時、本物のライオンにお目にかかれる機会など全くなかったのである。全てのこのような動物は石工達の想像上の動物、またはそれ以前に描かれていた絵等の資料を基にして作られたのであった。

魅力的な持ち送り(Canecillos または Modillones)

前述の北側の入口の屋根部分にも見えるが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)には、スペイン語でカネシージョス(Canecillos)またはモディジョネス(Modillones)と呼ばれる24の持ち送りがある。通常、ロマネスク様式における持ち送りは身廊や後陣、入口の瓦屋根の下にあり、張り出した屋根部分を支える機能を担っていると同時に、装飾としての役目も担っていた。

ロマネスクにおけるライオンに与えられた象徴的な意味は多岐にわたっている。その上、前述した「教会の番人としてのライオン」というような良い意味だけではなく、悪い意味を象徴するものとしてもその姿が用いられてきた。例えば、「悪魔の化身」としてのライオンや貪食な動物であるというイメージからくる「死」や「精神的な死」をも意味していた。(「ロマネスクの図像と象徴(筆者訳: Iconografía y Simbolismo Románico de David de la Garma ramíez、出版社: arteguias)」より)

ライオンだろうか。歯を見せて笑っているようなユーモラスな表情は魅力的。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
鋭い嘴からワシではないかと思われる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
流石に犬は本物の犬の姿をしていて分かりやすい(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

人間を描いた持ち送りも多数見られる。

人間の胸像、職業や活動を示すもの(ハンマーを持った鍛冶屋や大工、バイオリンを持った音楽家、裸の男(おそらく男根)などがそれに当たる。

ハンマーを持った鍛冶屋(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
背中合わせの男女だろうか?小首をかしげる女性の姿は惹きつけられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
楽器を弾く男。バイオリンだろうか?(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
こちらは裸の男。破損しているが男根とみられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

東方の影響

南側の浮き彫りには、聖母マリアと幼子イエスが描かれており、マリアが戴冠する「知恵の王座(ラテン語ではセデス・サピエンティアエ(Sedes Sapientiae))」というビザンチン様式の伝統的な正面配置になっている。残念ながら幼子イエスの彫刻は事実上失われている。

東方のビザンチン文化の影響を受けた聖母マリアと失われた幼子イエス
(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

一つの建築物の中に様々な文化・様式が融合され、調和を持った教会へと仕上げられている所はこのヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂の魅力の一つであろう。

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

・youtubeでいろんな角度から見たヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂が見えます。

・こちらは、礼拝堂の中も見れる youtube。

参考

・カステージャ・イ・レオン州の公式観光案内ウエブサイトには、コンタクトの電話番号があります。内部も見学したい方は、事前に連絡されて訪ねることをお勧めします。2023年11月現在で確認した限りは、冬の期間11月~3月くらいまでは基本的には中を訪れることはできないとのことでした。冬の季節以外は、週末にガイド付き(今のところスペイン語のみ)で中を見学できるが、事前予約が必要とのことでした。

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-senora-valle

ロマネスクへのいざない (12)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (9)– ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)

16世紀に再建されたので外観はロマネスク様式のものとは異なる

ブルゴス市から約20㎞、ミニョン・デ・サンティバニェスという村に聖ペドロ教会はある。この同じブルゴス県にある1011年に設立されたベネディクト会修道院の聖サルバドール・デ・オーニャ修道院に残っている文書によると、ミニョン・デ・サンティバニェスという村の起源は11世紀まで遡る

聖ペドロ教会は、後期ロマネスク様式時代に当たる12世紀の終わりから13世紀の初めにかけて建設された。そのため、ロマネスク様式とは言え、入口の門部分がゴシック様式の影響も受けてわずかながら尖っている。そして、教会は16世紀に再建され、ロマネスク様式はこの入り口部分と教会の中にある洗礼盤のみが残っているのみである。再建された際、出入り口に厚いバットレスが建てられたため、アーキボルトを支える柱頭や入口の門の一部が切断された。もう少し、オリジナルであったロマネスク様式の入口を尊重して完全な形で保存してほしかったと惜しまれるが、今ではなすすべもない。

ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会は、1983年にはスペインの文化財に指定されている。

なんて漫画チック‼

入口の前に来て、入口に彫られているモチーフを見て「なんて漫画チックな彫り物!」というのが第一印象だった。百聞は一見に如かず、とにかく下の写真をご覧いただきたい。

ロマネスク様式の特徴の一つである半円形の入口のとっぺんが心持ち尖っているのはゴシック様式への過渡期であったため

今まで見てきたロマネスク様式の彫り物の中でも、これほど漫画チックなものは見たことはない。今回のブルゴス県のロマネスク様式の旅の中で見た彫り物の中でも異彩を放っている。一見稚拙な印象さえも与える。アーキボルトに施されている18人の姿は、日本の漫画で見たことがあるようなユーモラスで他のものとは一味違うものだ。もう少し近くから見てみよう。

日本の漫画に出てくるような彫り物でちょっと親近感を覚える (笑)

一般的にロマネスク様式の人物像は、施されている場所の空間による制限もあり、極端にバランスが取れていないものも見受けられるが、ここに彫られている楽師たちや書物を持つ人物像等はあまりにも頭でっかちで丸みを帯び漫画チックである。

一見稚拙だが一人一人存在感がありユーモラスな人たち

また、顔つきもちょっと現実離れしたまるでお化けのような顔つきだ。ちなみに、同じブルゴス県にあり同じく12世紀末に造られたアエド・デ・ブトロン村にある聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)に施されている楽師たちを紹介しよう。

こちらは天使の羽、洋服の襞(ひだ)、表情など細部にわたり緻密な彫り物が施されていて石工達の高度な技術が一目でわかる

同じ時代の、同じ地方の、同じロマネスク様式のものとはかなり違っていることがお分かりになるだろう。

これが何を意味するのか。この入り口を造った石工達が意図的にこのようなユニークな彫り物を施したのか、単に石工達の技術が未熟であったためこのような稚拙ではあるが面白み溢れる独創的な作品になったのか、色んな文献を当たってみたが答えになるものは見つからなかった。ただ、この漫画チックで一度見たら忘れられない入口を造った石工達は、後世に名前を残すこともなかった名もなき、しかし当時人気のあった地元の石工達によって造られたことだけは確かなようだ。

(アエド・デ・ブトロン村の聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)についてもっと知りたい方はこちらもどうぞ。)

ゾディアック-12個の神秘的なメダイヨン

もう一つ目を引くのは、入り口のアーチとして機能しているアーチボルトに施されている12個のメダイヨンだ。メダイヨンとは円形の浮彫装飾である。

1139年の第2ラテラン公会議で教会自身がモチーフを禁じることに決めた、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手の姿も見える。「射手座」を表しているのか?

それらの装飾は、四足獣、爬虫類、そして人間の姿を、常に円形の枠の形に合わせて描かれており、己の四肢の先端をつかまえたり噛んだりしているもの、S字型にデザイン化しているものなどが見られる。

ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会のすぐ近くにある家の教会管理人の方が、教会の簡単な説明が書かれた紙を1枚くれたが、その説明文の中には、装飾的発想に従ってこのようなモチーフを選択したのだろうとあった。

しかし他の研究者たちの意見として、天球上の12星座を示すゾディアックだろうという説もある。例えば、ライオンは「獅子座」、女性は「乙女座」、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手は「射手座」を意味する。だが、その他のモチーフについては説明できないものもあるとのことだった。

実際、ロマネスク様式の教会にはゾディアックが描かれていることがある。興味深いことは、星によって影響を受けるという占星術は、キリスト教の中では軽蔑すべき異教徒たちの迷信と考えられていた。では何故、天球上の12星座を示すゾディアックを教会の入口の装飾に使ったのだろうか?これは、天球上の12星座を示すゾディアックが示すものは、農業暦のようなものを指していると考えられている。つまり、ロマネスク芸術では、神が絶対的な支配者である1年の月の時系列的なサイクルであり、「時間の支配者である神」という意味が与えられていたのだ。(「Iconografía y Simbolismo Románico 」(「ロマネスク様式 図像と象徴」筆者訳) David de la Garma Ramíez 著 出版社 Arteguias より)

円形の枠の中に合わせたデザインの模様は緻密だ

最後に

アーキボルトに施されている18人のユーモラスで独創的な姿を彫った石工と、12個のメダイヨンのデザインし彫った石工は、全く異なる別の石工達の手による作品だと思われる。何故なら双方のスタイルがあまりにも異なるものだからだ。詳しいことは分からないが、当時の教会装飾に対する考え方や同時代・同地域であっても様々なモチーフが用いられてことは興味深い。

特筆すべき点として、前述した説明書によると、埃除け用覆いの役割を果たしている入口の最後のアーキボルトは3本の細いアーチ型で、ロマネスク様式としては珍しいタイプのアーキボルトで、ブルゴス県では唯一の例だとのこと。

まるで歯のような長方形の飾りの上に3本のアーキボルトがあるが、このようなタイプのアーキボルトはブルゴス県では唯一の例

私の注意を引いた別の点は、ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会の入口の柱の高さが他のものよりもかなり低いことである。私の背の高さ位だったので、160㎝程の高さだ。当時の人達にとっても、ちょっと背をかがめて教会に入らなけらばならない高さだったのではないだろうか。

18人の漫画チックな人物像にしても12個のメダイヨンに彫られているモチーフにしても謎だらけだが、何世紀にも亘りこの不思議なモチーフの門をくぐって教会に礼拝してきた村人たちの姿を想像したり、16世紀に再建した際、この入り口だけは壊さず残しておいたその当時の人達のこのモチーフに対する愛情などに想いをはせ、800年以上も昔に名も無き石工達が残した作品を歳月を超えて実際に自分の目で見れる幸運を感じた。

柱頭は劣化が激しいが、肉厚の葉や人魚が二股に分かれた尾をつかんでいる姿をかろうじて認識できる

情報

ここで紹介したミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方は下のブログを参考にして頂きたい。

・スペイン語だが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れる。最初に述べた、ロマネスク様式の洗礼盤の写真も掲載されている。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/MI%C3%91ON%20DE%20SANTIBA%C3%91EZ.pdf

ロマネスクへのいざない (11)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (8)– ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)

ブルゴス県のデマンダ連峰にある小さなビスカイーノス村は、ペドロソ川のそばにあり、標高1000mを超える所にある。私が目指したサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)は村へ入る道路に隣接して立っているので、すらっとした鐘楼がいきなり目の前に現れた。

アーチ型夫婦窓が美しい教会だ(写真: 筆者撮影)

この村は、この町を囲む広大な山岳地帯全体と同様に、9世紀末から10世紀にかけて政治的にも人口の面でも重要な位置を占めていた。そして、この時代はアストゥリアス-レオン王国とカスティージャ伯爵領の人口補充が進んだ時期とも重なる。(「arteguias」ウエブサイトより)

シエラ派 (Escuela de la Sierra) の職人たち

以前紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の最後にも言及したが、この地方には、シエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰があり、そこから由来する名前でシエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った職人たちがいた。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)についてはこちらをどうぞ。

このシエラ派(La escuela de la Sierra)の職人たちは、主に10世紀、11世紀、12世紀にかけて活躍した。そして12世紀にはその姿が消え始める。理由は、シロス修道院の回廊を作った4人の親方職人たちの覇権が強かったことに由来する。

水平な教会の単調さを破る高い塔、そして特にその彫塑的な造形(escultura monumental)はシエラ派(La escuela de la Sierra)の特徴として挙げられる。また、現在鐘楼としての役割を果たしている塔が、建設当初は防御の役割を担っていたことも特筆すべき点である

その他のシエラ派(La escuela de la Sierra)の教会について興味のある方はこちらもどうぞ。

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)の最初の教会は、プレロマネスク様式で9~10世紀に建てられたが、11世紀の終わりまたは12世紀の初めに、シエラ派 (La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスク様式のものに取って代わった。そして、12世紀後半には、同じロマネスク様式ではあるが別の流派であるシレンセ派(La escuela de la Silense)により、柱廊のある玄関(La galería porticada)と、鐘楼(La torre)が追加された。

近代に入り、何度か改修工事が行われた。最も重要なのは18世紀のことで、前述の回廊のある玄関(La galería porticada)が解体され、再建された

車を降りて教会の入口へ歩いていくと、先程目の前に現れたすらっとした鐘楼の姿のイメージとは全く異なる堂々とした姿が現れた。ただ、他のシエラ派(La escuela de la Sierra)による教会に比べ柱廊のある玄関(La galería porticada)は簡素だ。それでも、横の広がりと高い塔による縦への広がりの調和が美しい教会だ。

砂岩の石組みは濃い褐色、または深い紫がかったトーンもある色で、落ち着いた雰囲気がある(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

シエラ派(La escuela de la Sierra)特有の彫刻

コーニス(軒蛇腹)部分にある持ち送りには、シエラ派特有の自然主義ではないが原始的で表情豊かな様々な彫刻が施されている。

2頭のライオンの首をロープで掴んでいる人物が描かれた彫刻は面白いモチーフで注目に値する。

なんとなく漫画チック。2頭のライオンはちょっととぼけた顔をしていて迫力には欠けるが、憎めない(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらは猿だろうか。歯を食いしばって立派な歯を見せているところは笑いを誘われる。

確かに原始的だがとても親しみを持てる彫刻ばかり(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

性を示す男性。頭でっかちでこちらも笑いを誘う。それにしても教会も以前は性に対してもっと寛容だったのだろうか。ロマネスクでは時々見るモチーフである。

教会に想像上の動物などが彫られていてるのは不思議だが、性を示す男性が彫られているのはもっと不思議だ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

arteguias のウエブサイトには、「これは、メソポタミアから中世ヨーロッパに伝わった古代の図像であろう。」と言及されていました。そうだとすると、これらの彫刻たちは長い時間をかけて遠いところからやって来たんだ、お疲れ様、と労をねぎらいたくなってしまう。(笑)

シレンセ派(Escuela de la Silense) の彫刻

ここから近いサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)で活躍した職人達がシレンセ派(La escuela de la Silense)である。前述したように12世紀末にシレンセ派(La escuela de la Silens)の職人たちが、柱廊のある玄関(La galería porticada)と鐘楼(La torre)を造った。彼らが彫った柱廊のある玄関(La galería porticada)の柱頭などはかなりシエラ派(La escuela de la Sierra)のものとは趣を異にしてる。

ロマネスクでは好んで用いられたモチーフの女の頭を持つ鳥ハイピュリアとドラゴンが見える。シレンセ派(La escuela de la Silens)の方が緻密かつ高度な技術があることが分かる。ただ、シレンセ派(Escuela de la Silens)の彫刻のようなユーモラスさ、温かみのある表情には欠ける。

木の実またはブドウを食べるドラゴン(左側の柱頭)と向い合せに配置されているハイピュリア(右側の柱頭)(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(La galería porticada)の入口の両側にある柱頭には、右側にはライオン、左側にはドラゴンが彫られているが、シエラ派(La escuela de la Sierra)のようなおとぼけライオンではなく、歯をむき出した凶暴な雰囲気を現し毛並みも細かく彫ってあり迫力満点。

同じ教会に施された彫刻も、異なる派の職人の手によるとこんなにも趣の異なるものになるのかと驚かされる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

鐘楼(La torre)

鐘楼も同じシエラ派(La escuela de la Sierra)が12世紀後半に造ったものだ。この鐘楼は3層から成り、下の層は上層部の構造部分を支える高台としての役目を持ち、南北方向に完璧な半円筒形ヴォールトで覆われている。真ん中の層は、四方にアーチ状夫婦窓があり開口している。上の層は、真ん中の層よりも幅の狭い小窓があり、これもアーチ状夫婦窓である。このアーチ状夫婦窓は、2本の外柱に半円形のアーチで囲まれた中にあるという特徴があり、更にリズミカルな印象を私たちに与える。

上層部分のアーチ状夫婦窓が小さくなることにより、まるで天に昇っているような錯覚も与えられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーチ状夫婦窓の柱頭には、小型の果実、シダのような葉、人の頭、四足獣、ハイピュリア、ワシなどが描かれている。(「arteguias」ウエブサイトより)

小型の果実がぶら下がっている柱頭(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

四足獣がみえる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

全く異なる時代の様式で改築されている教会や建物は多いが、このビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、同じロマネスク期の中で職人たちが属する派の相違により異なる特徴を持った彫刻や石組みの仕方などがひとつの教会の中に見られる貴重な教会の一つだろう。

洗練されたシレンセ派(La esuela de la Silense)が、温かみがあり表情豊かではあるものの原始的なシエラ派(La escuela de la Sierra)を席巻し、遂には消滅させてしまったというこの地方の歴史から、当時の職人たちの市場獲得の激しさを垣間見たような気がした。

こちらは、造られた時期によって石の組み方の違いや、教会内部にある西ゴード時代の洗礼盤等も見れるので見逃すにはもったいない動画。

デマンダ連峰(Sierra de la Demanda)にあるシエラ派 (Escuela de la Sierra) の建物

今から約1ヵ月ほど前に、ブルゴス県観光課によりシエラ派 (La escuela de la Sierra) の教会を紹介する動画が計10本 youtube にアップされた。その中から幾つか紹介する。残念ながらスペイン語のみだが、内部や教会の周囲などの様子が分かり興味深い動画だ。

・12世紀に造られたバルバディージョ・デ・エレーロスの聖コスメ&聖ダミアン礼拝堂 (Ermita de los Santos Cosme y Damián de Barbadillo de Herreros)を紹介した youtube 。

・プレロマネスク時代の10世紀~11世紀に造られ、その後12世紀に増築されたトルバーニョス・デ・アバホの聖キルコ&聖フリタ教会 (Iglesia San Quirco y Santa Julita de Tolbaños de Abajo)を紹介した youtube 。

・12世紀末に造られたアルランソンの聖大天使ミカエル教会 (Iglesia de San Miguel Arcángel de Alranzón)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリオカバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma de Riocavado de la Sierra)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリコバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de San Millán Obispo de San Millán de Lara)を紹介した youtube 。

参考

ここで紹介したビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_VIZACA%C3%8DNOS_DE_LA_SIERRA.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/vizcainosdelasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

https://goo.gl/maps/JdMPigBAKd1zY3pD8?coh=178573&entry=tt

レオン(León)へ行こう!(5)―ナショナル ジオグラフィック トラベル リーダーズ チョイス アワード 2023

去る2023年4月25日、ナショナル ジオグラフィック トラベル マガジンで、スペイン国内ベスト デスティネーションを読者の方々に選んでもらうという第1回読者賞「ナショナル ジオグラフィック トラベル リーダーズ チョイス アワード 2023(Premios de los Lectores 2023 de Viajes Nacional Geographic)」の授賞式が行われました。そして、私が大好きなレオン市が栄えある「ベスト アーバン デスティネーション賞」に輝きました!

夜になるとレオン大聖堂の中の照明が美しいステンドグラスを浮かび上がらせます。鮮明に撮れず残念ですが、雰囲気だけでもお届けします(写真:筆者撮影)

ベスト アーバン デスティネーション賞 (Mejor Destino Urbano Nacional)

この賞は、ナショナルジオグラフィックトラベルマガジンの読者数千人の投票によって選ばれました。これは、歴史的遺産と文化的生活という面において、レオン市が「スペインの中で最も重要な都市のひとつ」という理由でこの賞に選ばれました。このブログでもレオン市の魅力についての記事があります。興味のある方はこちらもどうぞ。

レオン市内には、2000年の歳月をレオンの街と共に経てきた「ローマ時代の城壁(Muralla Romana)」、スペインの精神的バックボーンを作ってきたキリスト教の建築物でもあり、レオン王国の歴代王が埋葬されている霊廟がある「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」、レオン市民の誇りでもありレオン市民の心の拠り所でもある「レオン大聖堂(Catedral de León)」、修道院、病院、刑務所、パラドールと使用目的が変遷していった「サン・マルコス教会(Iglesia de San Marcos)」、日本人でも知らない人はいないくらい有名なアント二・ガウディが建築した「カサ・ボティネス (Casa Botines)」、2005年に開館した現代美術館「ムサク(MSAC)」という、時代ごとの素晴らしい建築物をまるでタイムスリップして楽しめるように見て回ることができます。これが受賞理由の一つ「歴史的遺産」に当たるものです。

ガウディ建築「カサ・ボティネス」とベンチに座るガウディ。
ガウディの隣には地元のおばあちゃんとお孫さんが散歩の休憩中でした。(写真:筆者撮影)

もう一つの理由「文化的生活」の中の重要な要素として含まれていることに、レオンの街にある「バル」と呼ばれる多くタパスバーがあります。スペイン人にとって、「バル」のない生活は考えられません。どんなに小さな村でも必ずと言っていいほど「バル」はあります。数多くの「バル」で出される様々なタパスの質の高さもレオンの魅力の一つです。地元の食材を使った伝統的なタパスや家庭的なタパス、前衛的なタパスや切ったフランスパンを軽く焼き、その上に様々な料理を載せて食べる「トスタ」と呼ばれるものなど、実に色んな種類の美味しいタパスがレオンでは食べれます。「食」は旅の喜びの一つ、発見の一つ、そしてそこに住む人の生活様式や文化を知るすべとなるものの一つです。実は、スペインの中で、住民一人当たりのバルが最も多い都市はこのレオン市なのです!人口1,000人当たり5.03軒のバルがあるということ。確かに、ウメド地区(Barrio Húmedo)やロマンティコ地区 (Barrio Romántico)には沢山の「バル」が軒を争っており、どこに入ろうか?と、迷ってしまうほどです。

ロマンティコ地区(Barrio Romántico)にあるバル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」。ここは手作りトルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)がタパス。(写真:筆者撮影)
バル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」の看板タパス、トルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)美味しいですよ!(写真:筆者撮影)

「住民一人当たりのバルが最も多い都市はどこ?」というタイトルで「ラ・ラソン(La Razón)」という新聞に記事(2023年2月8日付)が載っています。スペイン語ですが、こちらです。

https://www.larazon.es/castilla-y-leon/cual-ciudad-espana-mas-bares-habitante_2023020863e13c3c308cc00001feb77b.html

レオンの魅力をもっと知りたい方は、こちらもどうぞ。

こちらがナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトに出ている「ベスト アーバン デスティネーション賞」の内容です。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/48-horas-sorprendentes-leon_12963

カスティージャ・イ・レオン州は観光の穴場!

今回の第1回読者賞「ナショナル ジオグラフィック トラベル リーダーズ チョイスアワード2023」の中では、カスティージャ・イ・レオン州の活躍が目立ちました。

「スペイン ベスト ガストロノミー デスティネーション賞 (Mejor Destino Gastronómico de España)」にはブルゴス市が、そして「ベスト ガストロノミック ルート賞(Mejor Ruta Gastronómica)」の最終候補に残りながら惜しくも賞を逃した「リベラ・デ・ドゥエロのワインルート(Ruta del Vino Ribera de Duero)」が特別賞 (Mención especial) を獲得しました。

カスティージャ・イ・レオン州は、美味しいワインあり、料理あり、歴史あり、文化ありの観光にはうってつけの場所なのです。その上、バルセロナやグラナダのように常に多くの観光客でにぎわっている所と異なり、もっとゆっくりと静かに自分のペースでまるでそこで生活しているように旅を楽しめる所です。

リベラ・デ・ドゥエロのワイン(Ribera de Duero)「マタロメラ(Matarromera)」
マドリッドにあるティッセン-ボルネミッサ美術館とのコラボで絵画がラベルに使われています(写真:筆者撮影)

ナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトに出ている「スペイン ベスト ガストロノミー デスティネーション賞 (Mejor Destino Gastronómico de España)」を受賞したブルゴスの記事です。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/burgos-sin-salir-ciudad_16573

こちらがナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトに出ている「リベラ・デ・ドゥエロのワインルート(Ruta del Vino Ribera de Duero)」の記事。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/ruta-por-ribera-duero_8054

「リベラ・デ・ドゥエロのワインルート(Ruta del Vino Ribera de Duero)」のウエブサイトです。興味のある方はこちらもどうぞ。英語版もあります。

https://www.rutadelvinoriberadelduero.es/

日本は大人気

「海外のベスト デスティネーション賞 (Mejor Destino Internacional)」では、日本が選ばれました!

最近、スペインでの日本人気は高いなと実感していただけに「やっぱり!」という感想です。私の周りでも日本を訪れたことがある人、訪れてみたいと考えている人は多く、和食レストランがどんどん増えてきていることからも、スペインから日本への旅行者がしばらくは増え続けそうですね。それに、若者の間で日本の漫画やアニメのポップカルチャーも根強い人気で、若者層から中年層まで幅広く層の厚い日本大好きスペイン人がいます。(笑)

ただ、日本も東京浅草や京都などの人気観光地は、外国人観光客が増えて一体ここは日本なの?というような状況だと聞いています。ある程度人数を制限するなどの対策を取っていかないと、スペイン語でもよく使われる「Morir de éxito (成功による死)」という表現のように、あまりに人気があり観光客が増えすぎて逆に観光客から避けられることになり遂には観光客が大幅に減るという事態が起こる可能性も起こりうるなという危機感を覚えています。住む人も、訪れる人たちも皆が心地よく過ごせるような工夫を民間共に知恵を絞って実行していかなければならないターニングポイントに来ていると思います。

最後に

ナショナル ジオグラフィック トラベル マガジンのスペイン語版は、スペイン国内だけではなく、スペイン語語圏の中南米の国々でも読まれている非常にポピュラーな雑誌です。スペイン国内を対象にした賞を中心に行われた読者投票なので、投票した人はスペインに住む人々が多かったと推測されますが、今回の受賞内容を見て分かることは、一般的な観光地や観光客でごった返している所ではなく、地元の人達から愛されている場所、居心地の良い場所、今もスペインらしさが残されている場所などが選ばれているということです。「観光地」という仮面を被ったまるで人工的でよそよそしく、地元の人々の日常からかけ離れてしまった場所ではなく、もっと地に足のついた「地元の人達が住みやすい場所、地元の人達のための場所」を見てみたいという方には、レオンはお薦めの街です。是非、次の旅行にレオンを加えて計画を立ててみてくださいね。

最近ファザード部分がきれいになって、華麗な姿を現したサン・マルコス教会(写真:筆者撮影)

今回の内容の元となったナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトはこちらです。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/asi-fue-la-entrega-de-los-i-premios-de-los-lectores-2023-de-viajes-national-geographic_19258

ロマネスクへのいざない (10)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(7) – ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)

柱廊のある玄関部分から(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(Galería porticada)の中から見える風景

キリスト教最初の殉教者聖ステファノ(エステバン)に捧げられたこの教会は、12世紀前半に第一期の建設が始められ、半円形の後陣、プレスビテリオ(Presbiterio)と呼ばれる祭壇、正門を含む身廊の最初の二つの部分(主扉を含む)が造られた。12世紀末には、柱廊のある玄関が造られ、最終的には16世紀に教会の拡張並びに修復工事が行われ、塔が造り替えられた。

この教会を見た時、がっしりとした、力強い教会という印象を抱いた。近くにあるハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente) のような調和の取れた美しさには欠けるが、柱廊のある玄関の中に入り、そこから見る村は、いくつものアーチとその間に村の家々、山々がある周りの自然が溶け込んだ美しく、心落ち着く風景だった。

ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)についてはこちらをどうぞ。

教会の入口(Portada)

柱廊のある玄関(Galería porticada)部分に入ると、教会の入口(Portada)がある。半円形の5層から成るアーキボルトは、教会の中へいざなうかのように立体的だ。

自然と教会の中に足を踏み入れたくなるような入口(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

教会が建てられている地形の傾斜のため入口には数段の階段があるが、5層のアーキボルトとこの階段がまるで教会の中の祭壇部分の一点に導いているような錯覚を受ける。

左右の柱頭には様々な彫刻が施されているが、建築当初から柱廊のある玄関(Galería porticada)によって入口(Portada)部分は風雪から守られてきたこともあり、比較的保存状態は良い。900年という歳月を経ていることを考えると保存状態の良さは驚きでもある。

興味深い彫刻としては、石棺に納められた遺体を見守る二人の女性の姿と、それを祝福する教会関係者の姿が三面的に構成されているシーンがある。これは、今も何を表現しているのか議論が分かれているようだ。一説によると聖ニコラウスの生涯の一つのシーンに関連していると言われているが、他の説では地元の伝統的なものを表現しているのではないかとも言われている。(arteguias.com より)

遺体が横たわる石棺を飾る布の襞(ひだ)の表現は素晴らしいものだ。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

他にも保存状態の良い「東方三博士(三賢王)の礼拝」場面を確認することができる。聖母マリアの膝に抱かれ贈り物に興味を抱く幼子イエスを見ると、普通の子供と同じようで微笑ましくなる。贈り物を捧げる博士の後ろで、もう二人の博士が軽い雑談でもしながら順番待ちしている姿も、見る私たちに親近感を抱かせる構図だ。それにしても、まるで自分は関係ないよとでも言いそうな聖ヨゼフはちょっと気になる。

ロマネスクで特に好まれた「三方博士の礼拝」の構図。白髭をたくわえた跪く老人、その後ろに後ろを向く若者、最後が老人でも若者でもない成人男性の姿をした三方博士たち。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

ロマネスクの彫刻によくみられる二つに分かれた尾の部分を握る人魚やその人魚に弓を向けているケンタウロスの姿もある。手元にある「Iconografía y simbolismo Románico」(「ロマネスク 図像と象徴(筆者訳)」 出版社 arteguias)によると、男性を象徴するケンタウロスと女性を象徴する人魚という観点から、生殖性やエロチシズムを表現している。その一方で他の解釈として、罪深いものとしての象徴である人魚に対してケンタウロスが信仰の矢を放つことで、人魚を回心させる役割を担っているという。

ロマネスクの彫刻で人気があった人魚とケンタウロス(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらもロマネスクの彫刻によくみられる旧約聖書の中の登場人物として、怪力の持ち主サムソンがいる

怪力サムソンは、古代イスラエル人にとっては英雄的な存在の士師で、髪の毛に力が宿っていた。サムソンは、サムソンの妻デリラに口説かれ、彼の怪力はどこから来るのかを尋ねられて最終的には怪力の秘密を明かしてしまい、デリラに寝ている間に髪の毛を切られて宿っていた力を抜き取られる。こうして金に目がくらんだデリラはサムソンを裏切り、サムソンは敵のペレシテ人達に捕らえられ悲劇的な最期を遂げる。サムソンとデリラを扱った絵やオペラ、小説、映画など多数あるので、ご存じの方も多いかもしれない。

ロマネスクの彫刻では、ライオンにまたがったり、組み伏せたりした長い髪の男として描かれているが、ここでは怪力サムソンがライオンの顎を掴んで倒す場面が描かれている。

狭い柱頭の中に見る人たちがすぐ認識できる構図に上手くまとめられている(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーキボルトの外側に左右二つの浅浮彫りがある。左側の浅浮彫りは不思議な生き物と何を意味しているのか分からない場面で、これについて言及しているものを見つけることができなかったのは残念だ。マントを羽織った聖職者(?)がまるで1982年のアメリカのSF映画「E.T.」に出てくる迷子の宇宙人そっくり!な生き物に何か与えているようだ。左側にはオオトカゲのような生き物が逆立ちしたような状態で描かれている。うーん、なんとも言えない不思議な場面だ。

謎の多い浅浮彫り。実は聖女ユリアナとドラゴン、そしてもう一つの生物は…?(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

このブログを公開した後、ブルゴスの観光部に別の件で質問した際、つい最近デマンダ連峰にあるロマネスク建築についての動画を youtube にアップしたということでその動画が送られてきた。その動画の中で簡単にアーキボルトの外側にある左右二つの浅浮彫りについて言及されていた。この謎の人物はマントを羽織った「聖職者」ではなく、聖女ユリアナ(Santa Juliana)だと判明。そして、この聖女ユリアナを中世の絵画や教会の中では、翼のあるドラゴンと戦っている姿や足元にドラゴンを従えている姿で描かれているとのこと。(ウィキペディアより)ということは、左側の逆立ちしたオオトカゲのような生き物は聖女ユリアナに服従するドラゴンを表しているようだ。しかし、右側の「E.T.」に出てくる迷子の宇宙人の正体はまだ不明なままなので、今後正体が判明したら報告したいと思う。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の動画。中も少し見れる。

柱廊のある玄関(Galería porticada)

サン・エステバン・プロトマルティール教会の特徴である柱廊のある玄関(Galería porticada)は、前述したように12世紀末の第2次工事で建てられたものだ。同地方のビスカイノス・デ・ラ・シエラにあるトゥールの聖マルタン教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)やハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)との、様式的な同一性が見られる。これは、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)の影響を受けているからだという。(arteguias.com より)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)についてはこちらをどうぞ。

外から見た柱廊のある玄関。矢張りこの教会の一番美しい部分だろう。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊部分は、向かって右側(東側)に5つ、左側(西側)には6つ、合計11のアーチから成り、ほぼ中央に入口用のアーチがある。柱頭の装飾は植物の装飾が中心で、アカンサスの葉、パルメットと呼ばれる棕櫚葉文、果実がぶら下がっているものなど、さまざまな種類のものがある。

果実がぶら下がっている植物(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

参考

ここで紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・ブルゴスの観光サイト。英語もあります。

https://turismoburgos.org/iglesia-de-san-esteban-protomartir-de-pineda-de-la-sierra/

・arteguias のウエブサイト。スペイン語ですが、詳しく説明されています。

https://www.arteguias.com/iglesia/pinedasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

参考文献:

-「Rutas románicas en Castilla y León 2 (Provincia de Burgos)」出版社:Encuentro Ediciones

– 「Iconografía y simbolismo Románico」 出版社: arteguias)

ロマネスクへのいざない (9)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(6) – モラディージャ・デ・セダノのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Moradilla de Sedano)

キリスト教最初の殉教者聖ステファノ(エステバン)に捧げられた教会

県庁所在地ブルゴス市から北へ約50㎞、一年を通して常住している村人の数が10人ちょっとという村というより小集落とでもいった方がぴったりな所に、一見あまり装飾のない直線的な教会があった。モラディージャ・デ・セダノ村にあるサン・エステバン・プロトマルティル教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir)だ。プロトマルティル(Prótomartir)とは、(キリスト教)最初の殉教者という意味。聖人ステファノ(スペイン語名ではエステバン)は、紀元35年または36年頃に石打の刑によって殉教したギリシア系ユダヤ人だった。(ウィキペディアより)

最初の殉教者聖ステファノ(エステバン)に捧げられたこの教会は、1188年に建てられたとガイドブックには書いてあったが、外見はもっと時代が下った様式のようだ。17世紀末または18世紀初頭に後陣(アプス)と翼廊部分の一部が火事で焼け落ちたといわれている (きちんとした文書としては残っていない)。ブルゴス県の中だけではなく、カスティージャ・イ・レオン州の中でも後期ロマネスクの最も優れた教会の一つと言われているのでここまで訪ねてきたが、ロマネスクにしては装飾があまりない外見は、ちょっと期待外れだったというのが第一印象だった。教会の入口は鍵で閉ざされており、中も見れないらしい…。

教会の周りを繁々と見ていると、この教会を見に来たという親子二人に出会った。この二人は、事前にこの教会の管理人と連絡を取っていたので、もうすぐ管理人が来て教会を開けて見せてくれるとのこと。なんて、運がいいんだろう!と喜び、私たちも管理人が来るのをしばらく一緒に待っていた。

村の高台にあるこの教会から見るセダノ谷の景色は美しい。この教会が建てられた12世紀とあまり変わらない景色が広がっているのではないだろうか。

教会の敷地内に十字架があった。(写真:筆者撮影)

教会入口に入るとそこには・・・!

管理人が来て、鍵を開けて中に入れてくれた。中に入った途端、素晴らしいタンパンが目に飛び込んできた。12世紀に作られた教会の玄関は、20世紀に作られた覆いにより風雪から保護されていたのだ。ロマネスクの宝のようなこのタンパンは、アーモンド型の中に座っているキリストを中心に沢山の人物や天使、植物などが所狭しと彫られていてる。キリストが左手に持っている本は、この地上に誕生したすべての人の名が記された「命の書」だ。そして、アーモンド型の枠部分に “vicit leo de tribu iuda, radix David, alelluia” という文字が見える。これは、「ユダ族の獅子。
ダビデの子孫が征服したのだ! アレルヤ!」という旧約聖書の言葉が刻んである。旧約聖書には救世主はダビデ王の子孫から現れるという記述があり、そこから、キリスト教において「ダビデの子孫」とは救世主イエス・キリストを意味する。他には、アーモンド型の外側にカーブを描くように4人の天使が見られるが、これは新約聖書の4つの福音書を書いた、ルカ、マタイ、マルコ、ヨハネを表している。

タンパンを囲む繰り型(縁取り)のアーキボルトは3本ある。下から見ていくと、最初のアーキボルトには真ん中に天使が座りその両側にそれぞれ黙示録の12人の長老たちが楽器を弾いているが、聖書の記述にあるように、キリストこそが「命の書」を閉じている封印を解くことができると祝っている姿を現しているとか。24人の長老たちの頭には光輪がみえる。(「Portadas románicos de Castilla y León formas, imágenes y significados」 Marta Poza Yague, Fundación Santa María la Real del Patrimonio Histórico より)

天使の羽が赤いのは12世紀に作られた当時は多彩色で装飾されていたため。
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

真ん中のアーキボルトには、新たにユダヤ人の王となる子(イエズス)が生まれたと聞いてヘロデ王がベツレヘムで2歳以下の男児をすべて殺した「幼児虐殺」(La matanza de los inocentes)大天使ミカエルによるマリアに神の子を身ごもったという知らせをする「受胎告知」(La anunciaióm)聖母マリアがエリザベトを訪問する「エリザベトご訪問」 (La visitación)天使によってヘロデ王が幼子イエズスを殺す企てがあると知らされたマリアとヨゼフがエジプトへ逃れる「エジプトへの逃避」 (La huida a Egipto)ロマネスクでよく見られる場面が描かれている。

また、上半身に鷲の翼を持ち下半身がライオンである伝説上の生物グリフィンギリシア神話に登場する半人半獣の種族ケンタウロスが矢を持つ姿、ライオンの首を切る人物(サムソンか?)なども描かれている。宗教的なモチーフと伝説や神話の生き物などが同じアーキボルトに関係性もなく描かれているのは興味深い。12世紀のロマネスク時代にはまだまだキリスト教一色ではなく、伝説や神話が宗教と共存してもっと自由に表現できたんだろう。

そして一番上のアーキボルトには、生命力の象徴である植物アカントスが施されている。

ケンタウロスやグリフィンの姿も見える。中央に女性が抱き合って再会を喜んでいるのが「マリアのエリザベトご訪問」、その隣に天使と両手を広げている女性は「受胎告知」、左手には「幼児虐殺」の場面も。(写真:アルベルト・F・メダルデ)

入口の両側に柱があるが、左側の柱頭には「最後の晩餐」の場面があり、右側の柱頭には「馬上槍試合」まるで日本の狛犬のような生物などが描かれている。

最後の晩餐(写真:アルベルト・F・メダルデ)
右端が「馬上槍試合」、その隣はまるで狛犬!(写真:アルベルト・F・メダルデ)

珍しいことに、この入口の両側には、しゃがみこんでいる人物の上に立つ2人の大きな像がある。こういった像は初めて見たので、管理人の方に何を表しているのかと尋ねてみると、「下にいるのが悪魔で上にいるのがその悪魔を退治しているとか、下は旧約聖書を表し上は新約聖書を表している等いろいろ言われているが、本当のところはまだわかっていない」との説明があった。

家に戻って本やインターネットでも探してみたが、「預言者に寄りかかる福音史家を表していると思われる」(Rutas románicas en Castilla y León 2 (Provincia de Burgos)より)とか、「しゃがんだ姿勢の悪魔のようなものを槍で突く天使とされ、罪に対するキリストの勝利と解釈できる寓意的表現である」(arteguia.com より)等と、全く異なる説明がしてあった。

こちらが問題の二人?! (笑) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

教会の内部

素晴らしい装飾と未だに謎に包まれた入口を見た後に教会の内部へと入ると、3本の柱が束ねられたように立っており、その柱3本ともがジグザグ状に造られている!!! 今から800年以上も前に建てられた教会の中で、まるで現代建築のような斬新なデザインの柱に遭遇しようとは夢にも思っていなかった。管理人によると、世界で唯一だという。何故このデザインなのかということは分かっていないが、たぶんオリエントの影響だろうということだった。

まるで現代建築のような新鮮さ!(写真:アルベルト・F・メダルデ)

3本の束になっている柱の柱頭部分には主に植物のモチーフが施されていたが、神話に出てくる女の頭を持つ鳥ハイピュリアも見られる。装飾技術の高さやモチーフ等から、同じブルゴス県にあるサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(Monasterio de Santo Domingo de Silos)の石工の棟梁の弟子たちによって造られたと考えられている。(サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院については、こちらもどうぞ)

このブログの最後に載せている動画の中で、「この時代には『ドラゴンを教会の中に入れる』ことは禁止されていたが、ある柱頭部分にはドラゴンの姿が見られ、『ドラゴンが紛れ込んでいるよ』」という説明部分がある。教会内部にドラゴンがいるのは珍しいことだという。空想上の生物ドラゴンが、まるで実在するかのような説明に思わず吹き出してしまった。コッソリとそしてひっそりと800年以上も居座っているドラゴンを愛おしくも感じた。残念ながら、私が訪れた時にはドラゴンの説明がなく、教会を住まいとする「紛れ込んだドラゴン」を見つけることはできなかったので、写真はない。それにしても、禁止されていたドラゴンを教会の中に入れ込んだ石工は冗談でやったのか、それとも禁止されていたことへの抗議か、はたまたドラゴンの姿をしてドラゴンに非ずで別の生物として描かれたのか、今となっては謎だ。

石工による装飾技術の高さが窺える(写真:アルベルト・F・メダルデ)
神話に出てくる女の頭を持つ鳥ハイピュリア(写真:アルベルト・F・メダルデ)
「威厳」「尊厳」を意味するクジャクが2羽(写真:アルベルト・F・メダルデ)
祭壇部分は14世紀に造られたゴシック様式(写真:アルベルト・F・メダルデ)

教会の外

教会の入口がある南側の壁には、20世紀にタンパンを守るように作られた覆い兼入口の左側には3つのアーチが、右側には二つのアーチがある。これは、ロマネスク様式のポーチ型回廊を数世紀後に解体し、壁に取り付けたものである可能性が高い。(arteguia.com より)

解体前のポーチ型回廊は、さぞ美しいものだっただろう。ロマネスク後期の作品でゴシック様式の影響を受けているのか、アーチはロマネスク特有の完全な半円形ではなく、若干頭の部分が尖っているのが分かる。

左側にある3つのアーチ。先がちょっと尖り気味(写真:アルベルト・F・メダルデ)
ドラゴンとハイピュリアの姿が見える(写真:アルベルト・F・メダルデ)

最後に

教会に着いた時のちょっと期待外れ…という気持ちは一気に吹き飛び、入口のタンパンやアーキボルトの素晴らしさ、内部にある忘れられない印象的なジグザグ状の柱など、ブルゴス県の中だけではなく、カスティージャ・イ・レオン州の中でも後期ロマネスクの最も優れた教会の一つと言われていることに納得した。

もし興味のある方は、事前に連絡してから行くべきだろう。扉を開けてもらい、アッと驚かされる素晴らしい装飾や斬新なジグザグ状の柱などがあるロマネスクの魅力一杯の教会内部を見ずして帰ってしまうことだけは避けたいものだ。

ジグザグ状の柱や禁止されていたドラゴンを教会内に施した石工達の考え方や意図するもの等を色々想像しながら、答えのない答えの推理を自分なりに巡らすことも、ロマネスク訪問の楽しみの一つだと改めて実感した。

参考

ここで紹介したモラディージャ・デ・セダノのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Moradilla de Sedano)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・スペイン語ですが説明が詳しいので、興味のある方はどうぞ。

https://www.arteguias.com/iglesia/moradillodesedano.htm

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_MORADILLO_DE_SEDANO.pdf

・スペイン語による説明ですが、教会の中も見れます。ここで説明している人物は、私たちにも説明してくださった管理人の方のようです。

・ブルゴス県の観光案内。英語もあるのでここから教会へ入るための予約をするとよいでしょう。

https://turismoburgos.org/iglesia-de-san-esteban-de-moradillo-de-sedano/#

・参考文献:

-「Rutas románicas en Castilla y León 2 (Provincia de Burgos)」出版社:Encuentro Ediciones

– 「Portadas románicos de Castilla y León formas, imágenes y significados」 著者: Marta Poza Yague, 出版社: Fundación Santa María la Real del Patrimonio Histórico

レオン(León)へ行こう!(4)―クリスマスツリーの前身か⁈「クリスマスのラモ・レオネス(Ramo leonés de Navidad)」

12月に入り、スペインの街は一気に賑やか、華やかになってきています。街には色鮮やかなクリスマス・イルミネーションが始まり、クリスマスの飾り付けがお店屋さんや街角でもお目見えしてきています。最近のスペインの傾向としては、伝統的ないわゆるキリスト教に関係するイエス誕生にまつわる場面の飾り付け等はどんどん影をひそめ、もっと商業的でニュートラルなデザインのイルミネーションや飾り付けが幅を利かせています。個人的には華やかなイルミネーションではなく、原点に立ち返ったイエス誕生を祝う喜びの祭典、長く寒く暗い冬を生活する庶民の楽しみでもあり喜びでもあったクリスマスを祝うもっと素朴で精神的で伝統的な飾り付けの方に心を惹かれます。

古くて新しいクリスマスの飾り

実は、レオン市ではここ20~25年位前からお目見えした古くて新しいレオン特有のクリスマスの飾り付けがあります。「クリスマスのラモ・レオネス(Ramo leonés de Navidad)」と呼ばれる飾り付けです。最近では、レオンの街中に大きなこの飾り付けが立てられたり、街中を歩いていると様々な店先でこの飾り付けを見ることができます。私が最初に留学した90年代前半には見たことも聞いたこともないものでしたが、今ではとてもポピュラーな飾り付けとなっています。

レオン街中の公園に今年も現れた巨大なレオンのラモ・レオネス (写真: 筆者撮影)

クリスマスのラモ・レオネスは木製のフレームを使用しますが、その形は日本の相合傘のイラストを思い出していただくとわかりやすいかと思います。三角形の真ん中から出ている木製の一本足が台に乗っているというイメージです。上の写真をご覧ください。百聞は一見に如かずですね。三角形部分は、半円形や四角形のものもありますが、私が実際に見たものは殆ど三角形のものでした。そして、その三角形の2等辺部分には1年12ヶ月を表す12本のロウソクを飾り、三角形の底辺部分にはリボン、毛糸、刺繍、レース、果物、ビスケットなど、さまざまな種類の供物を吊るします。一本足が乗る台には、栗や木の実を入れた籠などが飾れれていることもあります。

クリスマスのラモ・レオネスの起源

クリスマスのラモ・レオネスの起源は、キリスト教以前の時代まで遡ります。「ラモ・レオネス」の「ラモ(ramo)」とはスペイン語では木の枝という意味の言葉ですが、「Ramo leonés de Navidad」を直訳すると「クリスマスのレオンの枝」という意味です。つまりその起源には、キリスト教以前のヨーロッパ諸国で一般的だった自然崇拝があり、特に樹木崇拝があります。樹木崇拝は、春を迎える前兆としてまた冬至にまつわる祭事で豊穣の象徴として一般的なものでした。レオンにおける「ラモ・レオネス」も、豊穣を祈り春への序曲として捧げられていたものだったと考えられています。

約200年ほど前に作られた「ラモ・レオネス」現存するものでは最も古いものだとか(写真: 筆者撮影)

そして時代が下り、キリスト教がこの地にもたらされた時には「ラモ・レオネス」は異教徒のシンボルとされましたが、だんだん教会に適応されていきました。これは、キリスト教がヨーロッパ全土に広がっていく過程ですべての地域で行われた適応の一つで、もともと古くからその土地で祝われていた儀式やお祭りを異教徒のものとして切って捨ててしまうのではなく、上手くキリスト教儀式の中に取り込む形で融合させていき、人々の反発を買うことなく、人々の心をつなぎとめ、キリスト教の布教を助ける働きをしていったのです。

クリスマスのラモ・レオネスは、クリスマスツリーの前身とも言われているそうです。

クリスマスのラモ・レオネスの種類

レオン地方の村々には、色んな種類の「ラモ・レオネス」があります。代表的なものをいくつか見てみましょう。

植物の枝で作られたもの。これは、キリスト教以前にあった最も古い原型に近いものです。常緑樹の植物から採取するのが一般的だったようで、月桂樹、ヒイラギ、松などの枝を使用していました。

偏菱形 (へんりょうけい)のもの。これは、先端が上向きと下向きの2つの三角形で形成されているものです。

キュービックのもの。これは、2つの正方形がマストと互いに結合して形成されているため、立方体状になっています。

円筒形のもの。2本の水平な木の輪を重ねたもので、マストに取り付けられています。

ラストル。草を集めるための農具に形が似ているためこの名がつきました。長方形です。

他にも様々にアレンジされたものがあるようですが、やはり一般的には相合傘のやつが主流のようですね。

売られていた様々な「ラモ・レオネス」(写真: 筆者撮影)

蘇ったクリスマスのラモ・レオネス

長い伝統を持ち、キリスト教にも上手く融合しながら生きながらえてきたこのクリスマスの飾り付け「ラモ・レオネス」は、私たちがよく知っている姿のヨーロッパ他国の伝統であるクリスマスツリーがスペインに入ってくると、だんだんと姿を消していきました。実際、今から約20年ほど前までは、私の知っているレオンの友人や家族などほとんどの人達は「ラモ・レオネス」について見たことも聞いたことなかったそうです。

1996年のクリスマスに、レオン伝統文化協会(La asociación ‘Facendera pola Llingua’)が、レオン語(ラテン語から派生した一つで、カスティージャ・イ・レオン州のレオン県とサモラ県の一部で話されている-ウィキペディアより)で書いたクリスマスカードに「クリスマスのラモ・レオネス」の絵を描き入れて大量に印刷して配ったことから、このレオンの伝統的な飾り付けが一般的に知られることになりました。

それ以来少しずつ市民権を回復していき、私が調べた限りでは、2014年よりレオン市内の広場に8メートルもの巨大な「ラモ・レオネス」が飾られています。それ以前の2010年のレオンの新聞記事には、レオンにある大手デパート「エル・コルテ・イングレス(El Corte Ingés)」にこの飾り付けを売るコーナーが登場したり、街中の店のショーウインドーに飾り付けられていることが載っていました。また、2005年のレオンの新聞「ディアリオ・デ・レオン」には、広場に飾られている「ラモ・レオネス」に毎日2000人の人が見に来ていると報じています。

最後に

クリスマスの飾り付け「ラモ・レオネス」が復活してきた90年代後半といえば、スペインの経済は好景気が始まりどんどんグローバル化が進み、他のヨーロッパ諸国に追いつけ追い抜けの時代でした。 スペイン国外のクリスマス様式や飾り付けもどんどん導入され、画一的かつ商業的なものへと急速に変化していったこの時期に、もっと自分たちだけのローカルなもの、自分たちの起源となるものに目を向けるようになり、レオンの人々から忘れ去られた飾り付けが復活し、現代に生きるレオンの人々に受け入れられたことは面白いことです。グローバル化が進むことで逆にアイデンティティーを求める機運が高まったのでしょう。一方で、多くの若者にとって宗教というものが遠い存在になっている今、また、キリスト教という宗教に反発・反感を抱く広い世代の人々にとっても、キリスト教が入ってくる以前から存在していたこの飾り付け「ラモ・レオネス」は、もっとニュートラルで宗教色の薄いクリスマスの飾り付けとしてすんなり抵抗なく受け入れられたのでしょう。

クリスマスの飾り付け一つからでも、その時代に生きる人々の考え方や生き方、時代の流れ、主張とてもいうべき声なき声などが聞こえてきそうで、興味深いものです。

もし、クリスマスの時期にスペインを訪れる機会があれば、是非レオンまで足を延ばしてこのクリスマスツリーの原型といわれている「ラモ・レオネス」を見に来てくださいね。

情報

・2020年12月18日付け「ディアリオ・デ・レオン (Diario de León)」という地方新聞に、レオンのクリスマスブーケについて詳しく報道されています。このブログの内容もこの記事を参考にしてます。

https://www.diariodeleon.es/articulo/navidad-leon/ramo-leones-navidad-tradicion-leon/202012181539372071100.html

ロマネスクへのいざない (8)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(5) – ハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)

ハラミーリョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教は、調和のとれた気品あるロマネスク建築の一例だ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ハラミージョ・デ・ラ・フエンテという村に着き、聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora-ラ・アスンシオン・デ・ヌエストラ・セニョーラ教会)を見たとき、青い空と前庭の緑の芝生、そして太陽の光を浴びた黄金色の石と赤い屋根がとても素敵な色のコントラストをなしていて目を奪われた。とても調和のとれた美しいロマネスク様式の教会だ。

ちょうどスペインではお食事時間の午後2時半ごろに着いたので、殆ど村には人がいなかったが、一人おじいさんが教会の前を通ったので、「教会には入れますか?」と尋ねると、「あー、今は昼ご飯の時間なので4時以降だったら教会の近くに住む神父に頼めるよ。」と教えてくれた。そして、教会を見上げながら、「わしらの教会はとっても美しいだろう?」と誇らしげに言っていたのが印象的だった。こんな小さな村に、ロマネスク様式の宝物のような教会があることに本当に驚きを感じた。

スペインの文化財

ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村の聖母被昇天教会に関する最古の記録は982年まで遡り、このブログでも紹介したことのあるサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)の管轄範囲にあったことが、約100年後の1119年にウラカ女王自らが確認している。(https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_JARAMILLO_DE_LA_FUENTE.pdf より)

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)について興味のある方はこちらをどうぞ。

約1000年の時を経た1991年に、スペインの文化財として歴史的・芸術的モニュメント(Bien de Interés Cultural)に指定された。この辺りには、ブルゴス地方にあるシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)と呼ばれる山脈全地域に存在していた「山の学校 (Escuela serrana)」と呼ばれたロマネスク建築群があるが、その中でもハラミーリョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会は、特に気品があり興味深いロマネスク建築の一例として知られている。

裏側に回って見る鐘楼(写真:アルベルト・F・メダルデ)

柱廊玄関(La galería porticada)

ガレリア・ポルティカーダ(Galería porticada)と呼ばれる柱廊のある玄関は、計7つの半円形アーチで構成され、左側(東側)は2つのアーチ、右側(西側)には4つのアーチがあり、左右対称ではないが不思議ととても調和がとれている。

ガレリア・ポルティカーダ(Galería porticada)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

この「7つ」のアーチの数字の「7」には、初期キリスト教における7つの主要教会として、新約聖書ヨハネの黙示録の中で言及されている教会(エフェソス、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオディキア)を指し、完全な数を表している。(「Rutas Romanicas en Castilla y León/2 (provincia de Burgos) (カスティージャ・イ・レオン州のロマネスク・ルート 2 ブルゴス県編)」Luis María de Lojendio(ルイス・マリア・デ・ロヘンディオ)著, Abundio Rodriguez(アブンディオ・ロドリゲス)著、 Ediciones Encuentro, S.A. (エンクエントロ出版社) より参照)

「7」という数字には、キリスト教の中で「完全、完璧に終わる」という意味が込められている。神はこの世界を「7日」で創造した(「7日」で完成した)。キリスト教には、洗礼、聖体、堅信、告解、病者の塗油、叙階、婚姻と呼ばれる「7つ」の秘跡がある。これらの「7」の数字のシンボルとして「完成、完全」などの意味を含んでいるのである。(「Iconografía y Simbolismo Románico (ロマネスクの図像とシンボリズム)」より。David de la Garma Ramírez (ダビッド・デ・ラ・ガルマ・ラミレス)著、Arteguias(アルテギアス)発行)

これら7つの各アーチには2本の柱がそれぞれあり、その柱頭には興味深い彫り物が施されている。いくつか見てみよう。

教会に向かって左側(東側)には、まるで2つの肖像画のように頭部が描かれているが、一つは巻き毛の人、もう一つは怪物のような顔が見える

二つの頭部の髪の毛部分の細かな彫りに注目(写真:アルベルト・F・メダルデ)

次の柱頭には、ギリシャ神話に出てくるお馴染みのケンタウロス(半人半獣の種族)とハイピュイア(女面鳥身の生物)が見える。

ケンタウロス(半人半獣の種族)とハイピュイア(女面鳥身の伝説の生物)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

右側(西側)のアーチに目を向けると、王と王妃の頭が見える。王の顎髭のカールした描写や王妃の冠の細かい模様は素晴らしい

王と王妃の頭(写真:アルベルト・F・メダルデ)

その隣の柱頭には、図案化された植物の模様が見られる。

図案化された植物(写真:アルベルト・F・メダルデ)

鐘楼(La torre)

3層から成る鐘楼(写真:アルベルト・F・メダルデ)

角形の鐘楼は3層から成る。下から2層目と3層目に半円形の大きなアーチがあり、そのアーチの中に同じようには半円形の小さな双子型のアーチがある。このタイプの鐘楼はハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村のこの教会だけではなく、近隣の町のいくつかの教会でも繰り返し用いられているタイプの鐘楼である。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )

後陣またはアプス(El ábside)

愛嬌のある生き物たちや神話の生き物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)

後陣またはアプス(ábside)と呼ばれる部分の中央には、細長い採光窓がある。上の写真で見てもらえるが、半円形のアーチの右上には四足を持つ動物と左上には鳥が描かれていて、二つとも愛嬌のある姿である。また、2本の柱頭には、素人目にもはっきりと、ハイピュイア(女面鳥身の伝説上の生物)とグリフォン(鷲の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物)の姿を確認することができる。質の高い出来と石材が周りの部分と異なることから、この教会の聖堂や身廊の他の部分を手がけていた工房とは別の工房で作られたと思われる。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )

見れば見るほど面白いモチーフ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

後陣またはアプス(ábside)の装飾には、ヤギ、熊等の動物や、読書する僧、天を見上げる二人の男性、アクロバット(?)をする男性または恥部を露出している(?)男性等、好奇心を掻き立てられるモチーフがある。

出入口(La puerta

教会の出入口(写真:アルベルト・F・メダルデ)

柱廊玄関(La galería porticada)を入ると、教会への出入口がある。柱廊玄関(La galería porticada)の庇によって雨風等から守られたためか12世紀の教会としては保存状態が良く、多彩色で装飾された痕跡も見て取られる。そして、5つの半円形のアーチボルト、左右2本ずつ丸い柱とその上に柱頭があり、柱頭には下の写真のように興味深い装飾が施されている。

向かって左側から見てみよう。二股に分かれた尾鰭を持つ人魚。次は、両手を膝の上に合わせて両側からライオンに襲われている人。右側の柱では、旧約聖書の士師記の中で語られる怪力の持ち主サムソンを題材とした「ライオンと戦うサムソン」。そして、最も右側にある柱頭には、後脚で立つライオンが描かれている。

ロマネスクによくみられる二股に分かれた尾鰭を持つ人魚(写真:アルベルト・F・メダルデ)
両肩をライオンから嚙みつかれている人(写真:アルベルト・F・メダルデ)
ロマネスク彫刻に特に好まれて描かれたライオンと戦うサムソン(写真:アルベルト・F・メダルデ)
後脚で立つライオン(写真:アルベルト・F・メダルデ)

最後に

今回は、時間の都合で教会の中に入ることはできなかったので、帰ってきてこの教会の内部についても調べてみたが、ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村の聖母被昇天教会の見どころは外観にあることが分かった。

こちらの動画に教会の中が少し見える。教会内部は、後期ゴシック様式だという。

それにしても、ロマネスク建築の装飾のモチーフは面白く、飽きさせない。旧約聖書に出てくる場面を装飾にしたものは、識字率が極端に低かった当時、教会へ訪れる信者たちへビジュアルで理解を助けていただろうということはよくわかるが、何故、アクロバットだの、ライオンから嚙まれている人だのが教会の出入り口などのモチーフに使われたのか理解に苦しむ。と同時に、だからロマネスクの教会を訪れるのはとても楽しく、笑ってしまうモチーフ探しをやめられない

別の機会に、ロマネスク装飾のモチーフについても紹介しよう。

参考

ここで紹介したハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_JARAMILLO_DE_LA_FUENTE.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/jaramillofuente.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

ロマネスクへのいざない (7)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (4)– サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)

正面からみたサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada) / 写真:筆者撮影

ロマネスク様式の絶頂期に造られたサン・ペドロ・デ・テハダ教会

カスティージャ・イ・レオン州のブルゴスから北へ車で約1時間程に行くと、スペインで2番目に長く大きな河川であるエブロ川流域の村にこのサン・ペドロ・デ・テハダ教会はある。静寂に包まれているサン・ペドロ・デ・テハダ教会は、周囲の景色と溶け込んでまるで今にも修道士たちが教会から出てくるような錯覚に陥らせてくれる。

車は教会の下方にある村に停めてなだらかな坂を上っていくと、すらりとしたサン・ペドロ・デ・テハダ教会の姿が現れる。ロマネスク様式によくみられるずんぐりとした雰囲気はない。伸びた鐘楼部分と入口の三角の屋根は神の国を目指しているような印象を与える。

教会の敷地の前にある柵の前で、事前に電話予約していた管理人の方が鍵をもって待っていて下さった。

横から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、セノビオ(cenobio)と呼ばれる共住苦行者たち(初期修道士たち)が作った修道院を受け継いだものだが、修道院自体は紀元850年まで遡る。現在の教会は12世紀前半に造られ、12世紀といえばロマネスク様式の絶頂期であった。このサン・ペドロ・デ・テハダ教会はこの地方特有のロマネスク様式の特徴を併せ持つ、最も完全で保存状態の良いロマネスク様式の教会の一つだ。他のロマネスク様式の教会によくみられる時代ごとの改修などもなく、12世紀そのままの姿を21世紀に生きる私たちの目の前に現してくれている。ちなみに、原型となった修道院は今は全く存在せず、教会のみが残っている。しかし、この修道院は当時この地方で重要な役割を果たし、サン・ペドロ・デ・テハダ修道院の修道士たちの中から、同じ今のブルゴス県にあるオーニャという町に1011年に設立され19世紀まで続いたたベネディクト会のサン・サルバドール・デ・オーニャ修道院 (Monasterio de San Salvador de Oña)の設立者たちがでたという記録が残っている。

教会の入口(Portada)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口には、特徴のある刳(く)り型彫刻や飾り持ち送りが見られる。スペイン語ではモディジョン(modillón)またはカネシージョ(canecillo)と呼ばれる8つの飾り持ち送りがあり、左右両側の二つは羽のあるマタイ(Mateo)、マルコ(Marcos)、ルカ(Lucas)、ヨハネ(Juan)の4人の姿が表してある。この4人は、福音書を書いた4人である。そして、残りの四つはテトラモルフ(tetramorfo)と呼ばれるこの4人の福音記者を象徴する形象が施してある福音記者4人とテトラモルフによる福音記者4人の形象が同じところにあるのは珍しいということだった。ちなみに、左から鷲の姿をしたヨハネ、雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイである。飾り持ち送りの真ん中には、上昇するキリストの姿が見て取れ、キリストの昇天を表している

8つの飾り持ち送りの下には左右両側に刳(く)り型彫刻が見えるが、キリストの12人の弟子が6名づつ彫られている幾人かの弟子は両手を上に広げた姿をしており、これは「オランス(=祈る人)」の姿勢と呼ばれるものであり、ここでは弟子たちがキリストに対する期待、望みなどを表しているのだという

更に、両端の刳(く)り型彫刻の下には、キリストの「最後の晩餐」と「人間の上にライオンが押し乗っている姿」が表してあるが、これについては未だにその解釈ははっきりされていないとのことだった。

上段:福音記者の2人(右端と右から2番目)とテトラモルフで左から雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイ 
ルカとマルコの間に両手を広げたキリストの姿が見える
中段 :キリストの12人の弟子のうちの6人 
下段:人間の上にライオンが押し乗っている姿 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

石材と飾り持ち送りのモチーフ

サン・ペドロ・デ・テハダ教会に使われた石は、下層部分は石灰岩(piedra de caliza)で上層部は凝灰岩(piedra de toba)である。凝灰岩は石材としては軽いもので、まだ建築技術が発達していなかったロマネスク時代において負担を軽くするためにこの石材が選ばれたという。

ユーモラスな動物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)

さて、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口だけではなく、教会の側面部分や鐘楼部分にも飾り持ち送りが施されている。その一つ一つを見ていくと、笑いを誘うものや不思議なもの、楽器を弾く人やもしかしたらこの教会に携わったのかもしれないと想像させられる石工の姿、ユニークな動物たちや扇情的な人物像等々、実に様々な飾り持ち送りが施されていて、見ていて飽きない

人を踏みつけている悪魔?楽器を弾く人等(写真:アルベルト・F・メダルデ)
聖職者、淑女またはシスターの隣には陰部を見せる男女が!(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部

管理人の方に案内され、教会の内部へと足を入れると想像以上に広く高く感じた。塔部分は17メートルあるということで、現代の建物でいえば5階建てというところだろうか。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は唯一の身廊が3つの部分を成していて、翼のない公差部(crucero sin alas)の上に二層からなる塔が建造され、突き当りに祭壇がある半円形の後陣(ábside)がある。祭壇の壁部分に5つのアーチと柱頭(capitel)がある柱がある。その5つのアーチのうち真ん中のアーチの上には窓がある。現在はミサ等の宗教的な儀式は行われていないので、十字架や聖人の像などもなく至ってシンプルだ。

しかし、祭壇部分に入るアーチ(arco de triunfo)の柱頭部分を見上げると、その細かな彫刻に目を引かれる。4人の聖人と5人の聖人から構成された図柄で、5人の聖人たちはテーブルに集い宴のためのグラスを用意しているかのようだ。4人の聖人の方はそれぞれ手にグラスを持ち、まるで誰かに差し出しているかのようだ。そして、それらの緻密な彫刻の上の部分には市松模様(ajedrezado)で飾られている。この聖人たちの彫刻は、カスティーリャ地方のロマネスク様式の彫刻の中でも最も素晴らしい彫刻の一つだということだった。内部の写真撮影は許されなかったので、教会内部やこの素晴らしい彫刻の写真がなく、紹介できないのは残念だ。

後陣から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会(写真:アルベルト・F・メダルデ)
鐘楼部分とその左側にはこの地方特有のウシ―ジャ(usilla)と呼ばれる螺旋階段が見える

最後に

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、様々な本にはブルゴス地方に残るロマネスク様式の教会でも最も美しい教会の一つとして紹介されているが、私はブルゴス地方のみならずスペイン国内に残るロマネスク様式の教会の中で最も美しい教会の一つだと思う。その姿は、堅固かつ調和のとれたものであり、天へ昇る精神性を体現するかのようだ。ロマネスク様式の教会に興味ある方にもそうでない方にも是非訪れてほしい教会の一つである。

現在は個人の所有物となっているが、前述したように事前に予約を取っていけば管理人の方が敷地内に案内してくださり、教会の内部も見せてもらえる。説明もしてくださり、様々な質問にも答えてくださった。説明してもらえるロマネスク様式の教会はなかなかないので、この機会に色んな事を尋ねてみるとよいだろう。(管理人の方には、心付けを忘れずに!)

約900年もの長い歳月、ここにすっくと立つさまは周りの景色と融合し、当時の修道士たちの祈りやこの教会を建設し、様々な楽しい飾り持ち送りを作った石工などの話し声が聞こえてきそうだ。遠くから聞こえてくる鳥の声を聴きながら、サン・ペドロ・デ・テハダ教会を後にすることが名残惜しく感じた。

参考

ここで紹介しサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。サン・ペドロ・デ・テハダ教会がある役所の連絡先が載っているので、事前に確認してから訪ねることをお薦めします。 スペイン語が話せる方は直接こちらへ連絡されるといいです。 947 303200 y 652641079                    英語で予約したい方はこちらからどうぞ。ブルゴス地方観光局:(Oficina de Turismo Regional de Burgos)947 203 125 または 947 276 529。メールアドレス: oficinadeturismodeburgos@jcyl.es

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-san-pedro-tejada?isprediction=1

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。こちらは英語版。

Hermitage of San Pedro de Tejada – Official Portal of Tourism. Junta de Castilla y Leon (turismocastillayleon.com)

・youtube でも紹介されています。残念ながらスペイン語のみです。

Iglesia Románica de San Pedro de Tejada (Merindad de Valdivieso) – YouTube

・エンリケ・デ・リベロ(Enrique de Rivero)という方のウエブサイトの中に、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部の写真があります。興味のある方はどうぞ。

http://www.burgossinirmaslejos.com/blog/san-pedro-de-tejada-el-escondido-tesoro-de-valdivielso/

ロマネスクへのいざない (6)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (3)- サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Alranza)

屋根部分はないがロマネスク建築が見られる教会部分(写真:アルベルト・F・メダルデ)

「カスティージャのゆりかご(Cuna de Castilla)」

アルランサ川が岩を削って作った壮大な峡谷にあるこのサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、緑深き自然の中に姿を現した。素晴らしい景色の中、突如廃墟となったサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院が現れたとき、人里離れたこの場所を選んだことに納得できた。「スペインで最も美しい村」という協会に認定され登録されている村の一つであるコバルビアス(Cobarrubias)から7~8km程の距離にあり、修道院に着くまでカーブの多い道で距離的には近いが車で10分位かかった。

今は廃墟となっているサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、スペインの重要文化財に指定されている。912年に設立されたベネディクト会修道院で、当時約50人程度の隠者たちがこの庵に住んでいたことが記録に残っている。そして1080年にロマネスク様式の教会が建設された。その後「カスティージャのゆりかご(揺籃・ようらん)」と呼ばれ、カステージャ王国の重要な修道院と発展し、修道士たちの数も増えていった。それに伴い、拡張工事も行われ、ゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式が加わり、時代ごとに異なる様式の建物部分を含む修道院となっていった。

メンディサバル法によって解体される前のサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院の模型(写真:アルベルト・F・メダルデ)

「メンディサバル法(Desamortización Eclesiástica de Mendizabal)」による明け渡し

約900年間も修道士たちが暮らし修道院としての機能を果たしていたが、1835年の通称「メンディサバル法」と呼ばれる主にカトリック教会を対象に行われた「永代所有財産解放令」によって解体されてしまった。これは、スペイン国内の修道院や教会が所有していた土地を没収し、競売にかけ、教会権力をそぎ、公的債務を解消し国富を増やしたが、このメンディサバル法によって由緒ある修道院等が明け渡されることになり、一気に廃墟となって、修道院や教会にあった建築的、美術的な価値あるものが次々と国内外に流出することにもなった

スペイン国内に散在するサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院のものとしては、次のようなものが挙げられる。

教会のファサード。1895年にマドリッドの国立考古学博物館に移された。

カスティージャ王国のフェルナン・ゴンサレス伯爵と妻サンチャとムダーラのロマネスク様式の墓。同県のブルゴス大聖堂に移された。

図書館にあった古代の膨大な量の写本。隣接するサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院に重要な部分が残されている。

11世紀末から12世紀初頭の見事な教会の側の扉。マドリードの国立考古学博物館に展示されている。

後期ロマネスク建築の傑作である「ララの7人の王子」の異母兄弟である「ムダラの墓」。これもブルゴス大聖堂の回廊に移された。

修道院総会会議室に描かれていた13世紀初頭の壁画の様々な断片。カタルーニャ国立美術館にある。

最後のカタルーニャ国立美術館にある修道院総会会議室に描かれていた13世紀初頭の壁画の断片については、残りの壁画の断片はハーバード大学フォッグ美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館に分散されている。

ちなみに、当たり前のことだがアメリカにはロマネスク様式は存在しないので、ロマネスク様式の教会等の建物部分、壁画等、あらゆるものが買い取られて海を渡っていった。オリジナルの場所から引き離されて美術館や博物館に展示してある全ての芸術品を見るに度に思うことは、残念だという気持ちと幸いだったという複雑な二つの気持ちである。例えばこのサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院について思いを巡らすと、修道士たちが居なくなった修道院が荒れ果てていったあとで、芸術や美術的価値もわからぬ輩たちの手によって心なく荒らされたり、残っていたものも雨露に打たれ朽ち果てていったであろうということは容易に想像がつく。そう考えると、価値を認められ、学術的にも研究され、誰でも見ることができ、保存状態を最良に保つことができる美術館や博物館に移動されたことは幸いだったのだろう。だが、それでもなお、オリジナルの場所から離れ、分断されることにより、周りとの関係性、調和、存在理由、歴史的な流れ、その土地の人々の思い、その建物、絵画、彫刻、教会などに携わっていた人たちの物語と歴史等々が失われてしまうことになると思うと、残念である。サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院を見学中、そんなことをずっと思っていた。

今では廃墟となり、教会内部の床には草が生えている(写真:アルベルト・F・メダルデ)

中世期からバロック期へ

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、現在は廃墟になっていて失われた部分も多く、その全貌をつかむことは難しいが、旺盛を極めた17世紀から19世紀にはかなりの規模に発展していた。下の写真は修道院の中にあった説明板である。英語版はなかったが、珍しく点字での説明があった。日本でも観光地の案内板や説明板に多言語対応のみではなく、点字による説明があるといいなと考えさせられた。

後述する修復工事に携わった建築家マリア・デ・アラナ・アロカ(María de Arana Aroca)によると、この修道院は二つの時期に分かれるという。それは、中世期とバロック期である。中世期に当たる11世紀から15世紀のロマネスク様式やバロック様式の時代に、教会(Iglesia)、塔 (Torre) 、聖歌隊席 (Coro) 、内庭大回廊 (Claustro mayor)、修道院総会会議室(Sala capitular)、食堂 (Refectorio)が造られた。16世記、17世紀のバロック期になると大々的な増改築が行われ、内庭大回廊 (Claustro mayor)はスペインルネサンス様式(エレリアーノ様式-Herreriano)に取って代わられ、 修道院総会会議室(Sala capitular)は改装され、聖具納室 (Sacristía)、廊 (Claustro menor)が増築された。

修道院の中にあった説明板(写真:筆者撮影)

1. 教会(Iglesia)-ロマネスク様式で造られ、中央の礼拝堂は後期ゴシック様式の拡張工事が行われた。興味深いことに、ロマネスク様式の教会の屋根は石造りのアーチ型ではなく、木製の屋根で覆われていたようだ。その後、石造りのアーチ型屋根が造られた。今は屋根部分は消失している。

教会内の柱(写真:筆者撮影)

2. 塔 (Torre) -サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院に個性的なアクセントを加えている塔。二層構造で、下段は13世紀初頭のもので、上段と鐘楼は15世紀末から16世紀初頭のもの。

修道院に近づくと最初に見える塔(写真:アルベルト・F・メダルデ)

3. 聖歌隊席 (Coro) -名前こそ聖歌隊席だが、聖歌隊席というより埋葬の部屋として造られたようだ。事実、カスティージャ王国の王家の霊廟という役割を担っていた。

4. 内庭大回廊 (Claustro mayor) -最初はロマネスク様式の内庭大回廊として造られ、その後ゴシック様式に改築された。そして、16世紀末から17世紀初頭にかけてスペインルネサンス様式(エレリアーノ様式-Herreriano)に取って代わられた。一般的に教会の南側に内庭回廊は造られ、その周りが修道士たちの生活の場だった。祈りをささげる場所だけでなく、会議室、食堂なども内庭回廊の周りに造られていた。

内庭大回廊(写真:アルベルト・F・メダルデ)

5. 聖具納室 (Sacristía) -貝殻の形をした格間(ごうま-casetón)を持つ入隅迫持(いりすみせりもち)または半円錐状のスキンチ(trampa)の上にドームがある。

貝殻の形をした格間(ごうま-casetón)を持つ入隅迫持またはスキンチ(trampa)の上にドームがある(写真:アルベルト・F・メダルデ)

6. 修道院総会会議室 (Sala capitular) -ロマネスク様式の柱を使ったアーチが残っている。薄っすらと壁画らしきもの見られた。

修道院総会会議室 へ続く廊下。左手に内庭大回廊が見える(写真:アルベルト・F・メダルデ)

7. 食堂 (Refectorio)-15世紀末から16世紀初頭にかけての改修工事により、ゴシック様式の食堂に生まれ変わった。現在では個人所有となっている。

個人所有のためか、まるで新しく作ったようだ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

8. 内庭小回廊 (Claustro menor)-内庭大回廊に比べると、かなり小さなものである。17世紀半ばに造られ垂直に空へ伸びていくモミの木が1本ある。その隣には、井戸もあった。

約400年間、修道院を見守ってきたモミの木(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ロマネスク様式を探して

前述したように、900年を超える歴史の中で修道院は増築改築工事の手が入れられ、ロマネスク様式だけではなくゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式もみられるが、ロマネスク様式が今も残っているのは、1080年に建設が始まった教会、12世紀末に造られた塔、修道院総会会議室(Sala capitular)であり、パッと見た限りではロマネスク様式だとはあまり感じさせられない。ただ、よく見てみるとあちこちにロマネスクの面影を見つけることができた。

今は廃墟となっている教会は、十字形のない3つの身廊とアプスからなるバシリカ式で、40メートルの長さがあったとされる。また、扉の前にはナルテックス(教会本堂前の広場)と聖歌隊席があった。

スペインのアルテギアス(Arteguias)というロマネスクやゴシックのウエッブガイド (Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com))によると、この教会のシュヴェ(cabecera)にはいくつかの特異な点が指摘されている。そのひとつが、床から始まって1本の柱が続くダブルコラムの採用。これは、アストゥリアス建築(サンタ・マリア・デル・ナランコ、サンタ・クリスティーナ・デ・レナ)や、12~13世紀のスペイン国内でのシトー派修道院に数多く見られるもので、年代的に離れた時代に見られるスペイン中世建築の特殊性であるらしい。

また前述したように、教会の北側にあった扉は、マドリードの国立考古学博物館に移され展示されている。

柱頭には、ロマネスク様式の装飾が施されていて、ゴシック様式での拡張工事部分との違いが見て取れた。

ロマネスク様式の柱がみえる(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀末に造られた塔は、要塞としての機能も持っていただけに、殆んど飾りという飾りもなく、細長いたふさがれた尖頭アーチがあるのみだ。教会の北側に接し、ウシ―ジョ(usillo)と呼ばれるブルゴス地方特有の螺旋階段が塔の外側に見える。

12世紀末に造られた塔(写真:アルベルト・F・メダルデ)

修道院総会会議室(Sala capitular)とは、大修道院長が毎日修道士たちを集めて話をした場所である。12世紀にロマネスク様式で造られ、13世紀、17世紀、19世紀に改築されている。修道院総会会議室は二層構造で、下層階は12世紀前半に、上層階はその数十年後に建てられた。ロマネスク様式の柱を使ったアーチが残っている。更に13世紀半ばには、壁に頭がワシで体に羽のあるライオンや想像上の動物であるドラゴンの絵が施されたが、前述の通り修道院以外の場所に散在している。(こちらのサイトに、写真がでている。Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com

スペイン900年の建築様式-ロマネスク様式から古典主義様式まで

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、スペインの文化・スポーツ省のスペイン文化遺産協会 (Instituto del Patrimonio Cultural de España-IPCE) という政府機関が主催した一般コンクールにより選ばれた建築家によって、2015年から2019年まで4年間にわたる修復工事が行われた。(修復工事の様子などが見れるビデオはこちら La mirada experta – La restauración del Monasterio de San Pedro de Arlanza – YouTube)

この修復工事によって、バロック期には修道院総会会議室 (Sala capitular)から聖具納室 (Sacristía)へ行く階段があったことが分かり、失われた階段を新しく作ることによって修道院総会会議室 (Sala capitular)から聖具納室 (Sacristía)へ行けるようになった

毎夏、スペインの有名な劇作家ロペ・デ・ベガ(Lope de Vega)の作品「フェルナン・ゴンサレス伯爵(El conde Fernán González)」がこの修道院の中で上演されている。フェルナン・ゴンサレス伯爵は、この修道院の創設者とされている。

ほぼ廃墟ともいえる修道院を観光地として訪れる場所の一つとするだけではなく、積極的に劇場として使用して新しい命を吹き込んでいることに好感を覚えた。

二層構造の古典主義的な建物である修道院の入口を抜けて外に出て、改めてファサードを振り返って見てみると、900年間のスペインの様々な建築様式を一つの修道院の中で見ることができ、まるでタイムマシンの中から出てきたような錯覚を覚えた。

古典主義的な修道院の入り口(写真:アルベルト・F・メダルデ)

参考

ここで紹介したサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Alranza)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・現在の様子を窺えるビデオです。 

  Monasterio de San Pedro de Arlanza Burgos – YouTube

・ブルゴス県のツーリストウエッブページ。英語版もあります。修道院を訪ねたい方はこちらで時間等をチェックしてください。

  Monasterio de San Pedro de Arlanza | Turismo de Burgos (turismoburgos.org)

・Arteguias のウエッブページです。スペイン語ですが、写真が充実しています。国内外に散在しているロマネスク様式の壁画の写真も見られますよ。

Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com)/

・スペインの文化・スポーツ省のスペイン文化遺産協会 (Instituto del Patrimonio Cultural de España-IPCE) のウエッブページ。

La mirada experta. Los proyectos de conservación-restauración del IPCE – Instituto del Patrimonio Cultural de España | Ministerio de Cultura y Deporte

・サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院から、海を渡りニューヨークのメトロポリタン美術館にあるライオンのフレスコ画です。説明は日本語です。

https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/471061