ゴヤを探して-リリア宮殿(Palacio de Liria)&サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂(Ermita de San Antonio de la Florida)

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂の前にあるゴヤの像 (写真:筆者撮影)

 

リリア宮殿(Palacio de Liria)

スペインでコロナが始まる半年ほど前、2019年9月19日にこのリリア宮殿(Palacio de Liria)の一般公開が始まりました。この宮殿の所有者であるアルバ公爵へのインタビューラジオを偶然聴いていた私は、是非この宮殿を訪ねてみたいと思い、チケット購入のためにインターネットにアクセスしてみたのですが、既に翌年2020年2月一杯まで予約は一杯でした。その後、コロナがスペインでも猛威を振るい、ロックダウンを経てワクチン接種も受け、今回やっとマドリードまで行って訪ねる機会に恵まれました!

リリア宮殿(写真:筆者撮影)

アルバ公爵とは?

アルバ公爵について簡単に説明すると、初代アルバ公ガルシア・アルバレス・デ・トレド(Garía Álvares de Toledo)はカスティージャ王国の貴族でアルバ・デ・トルメスという伯爵領を持つアルバ伯爵でしたが、1472年にカスティージャ王エンリケ4世からアルバ公爵へと昇格されます。ちなみに、このアルバ・デ・トルメスという名前の街は今もあり、実は私が住むサラマンカ市から20km程離れたところにあります。その息子ファブリケ・アルバレス・デ・トレド・イ・エンリケス(Fadrique Álvarez de Toledo y Enríquez )は1492年の有名なグラナダ陥落で活躍し、初代アルバ公の孫にあたるフェルナンド・アルバレス・デ・トレド・イ・ピメンテル(Fernando Álvarez de Toledo y Pimentel)はスペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)やその息子フェリッペ2世に重用され、後世の歴史家からスペイン史の中でも第一級の軍師だと言われているほどです。

18世紀に下ると、マリア・デル・ピラール・テレサ・カジェターナ・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド(María del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo)が、自身の権利-アルバ公位の継承者であることを意味する公爵夫人-として、13代アルバ公爵夫人(Duquesa de Alba)となりました。あまりに長い名前なので、一般的にはマリア・テレサ・デ・シルバ(María Teresa de Silva)と略されていますが、彼女は、1776年に14歳でアルバ家の爵位を継いでから1802年に亡くなるまで、なんと56もの爵位を受け次ぎました。スペインの中で一番多くの爵位を持っている公爵夫人だったのです。しかし、彼女には跡継ぎの子供がいなかったので、親戚であるカルロス・ミゲル・フィッツ・ジェームズ・スチュアート・イ・シルバ(Carlos Miguel Fitz-James Stuart y Silva)が跡を継ぐことになり、名前からもわかるように英国人との共同での家になりました。と同時に、スペイン国内だけの爵位だけではなく、英国の爵位もアルバ家は相続していくことになり、ヨーロッパの中でも最も多くの爵位を保持する家となったのです。

そして、アルバ家は今もスペインに残る名門です。スペイン各地に所有する宮廷や土地も数多く、代々芸術に造詣深い一族は、数々の美術作品を所蔵しています。ただ、膨大な歴史的遺産を所有するアルバ家が毎年支払わなければならない税金もかなりの額で、アルバ家は所有する建物を一般公開することで維持を図っています。今回訪れたリリア宮殿以外にも、私が住むサラマンカ市のモンテレイ宮殿(Palacio de Monterrey)、セビージャ市にあるラス・ドゥエニャス宮殿(Palacio de Las Dueñas)が現在一般公開されています。

サラマンカ市内にあるモンテレイ宮殿(写真:筆者撮影)

リリア宮殿(Palacio de Liria)見学

なんといっても、この宮殿は今現在もアルバ公爵一家が住む住居でもあることに驚かされます。2019年9月に一般公開が始まりましたが、一般公開部分は宮殿のほんの一角で12室訪れることができます。ちなみに200室以上の部屋があるとのこと!!!

18世紀に造られたこの宮殿は、スペイン市民戦争の際に火災が起き、かなりの被害を受けました。しかし、その後、莫大な私財を投資して元の通りに再建して今も住居として使われています。ここが住居であることを思い出させるものとして、各部屋に思い出の写真等が飾ってありました。

スペイン屈指のプライベートアートコレクションは、アルバ家の歴史と共に500年以上にわたって収集されてきたもので、絵画のみならず、彫刻、タペストリー、家具、書籍等、多岐にわたる芸術作品におよびます。特に、フランドル地方(今のオランダ・ベルギー)のバロック絵画の巨匠ルーベンスが描いた神聖ローマ帝国の皇帝カール5世(スペイン国王カルロス1世)やスペイン国王フェリッペ4世の絵は素晴らしいものです。また、「スペインの間(Salón de España)」には、まるでプラド美術館のようにベラスケス、エル・グレコ、スルバラン、リベラ、ムリーリョ等が所狭しと壁にかけてあり圧巻です。「イタリアの間(Salón de Italia)」には、ティツィアーノの「最後の晩餐」等があり、必見の価値大です。この「イタリアの間」にも家具の上にもさりげなく写真立てが置いてありましたが、私の目を引いたのは、その中にまだ天皇に即位されていらっしゃった頃の上皇さま、上皇后さまがこのリリア宮殿をご訪問された際の記念の写真立てが飾られてあったことです!

その他、「ゴヤの間(Salón de Goya)」、「踊りの間 (Salón de Baile)」「皇后の間(Salón de Emperatriz)」、「ダイニングルーム(Salón de comedor)」、「図書室(Biblioteca)」等があります。残念ながら、宮殿の中の写真撮影は禁止されていて、写真を撮影することはできませんでした。

ラジオで聞いたアルバ公爵のインタビューでは、小さい頃はかくれんぼをしたりして遊んだというエピソードを紹介されていました。こんなに広くて値段が付けられないような超豪華なコレクションが所狭しとある宮殿でも、アルバ公爵にとっては、子供のころは自分の祖先の肖像画を見たり、かくれんぼをしたりして楽しい思い出が詰まった「我が家」だったそうです。うーん、何千万とする花瓶をひっくり返して壊したり、様々な巨匠の絵を傷つけたりしたりしたら、それこそ取り返しのつかないことで、さぞかしスリルあるかくれんぼ遊びだったんだろうな……なんて想像してしまいました。(笑)

ベラスケスが描いたマルガリータ王女もリリア宮殿にいました!(Wikipedia Public Domain)

ゴヤの間(Salón de Goya)

リリア宮殿ではゴヤの絵が幾つか見れると思って期待していましたが、この「ゴヤの間(Salón de Goya)」は期待を裏切らない素晴らしいものでした。

ゴヤの絵で一番最初に思い浮かべるものは何でしょうか? やはり「着衣のマハ」と「裸のマハ」ではないでしょうか。「マハ(maja)」とは、人の名前ではなく、「小粋な女」という意味のスペイン語です。このモデルは前述したあの長い名前の13代アルバ公爵夫人マリア・デル・ピラール・テレサ・カジェターナ・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド(María del Pilar Teresa Cayetana de Silva y Álvarez de Toledo)だったのではないかと言われています。このマリア・テレサとその夫はゴヤのパトロンであり、彼女とゴヤは親密な交際があったとの推測が絶えないようです。実際にゴヤは彼女から様々な絵の依頼を受けて彼女のために絵を描いています。

この「ゴヤの間」には、アルバ家の人々の肖像画が多く飾られていましたが、中でも一際目を引くのが18世紀ファッションの先端を行く白いドレスに身を包んだアルバ公爵夫人マリア・テレサの肖像画です。赤い帯、赤いリボン、赤い髪飾り、赤いネックレスで、赤と白のコントラストが印象的です。白い子犬の足に赤いリボンをつけているのは、「お揃い」って感じでほほえましくなりました。

ゴヤが描いた白いドレスを着たアルバ公爵夫人(Wikipedia Public Domain)

図書室

図書室には書籍だけではなく、手紙や歴史的文書等が展示してあります。その数1万8,000冊もの蔵書があるとのこと!その中でも、1605年に出版されたセルバンテス著「ドン・キホーテ」の初版や、1422年~1431年のヘブライ語からスペイン語に訳された聖書,フェルナンド王の遺言書、クリストファー・コロンブスの第1回目の新大陸への旅の直筆の手紙の数々は必見です。

この聖書は、「アルバ家の聖書」とも呼ばれ、最初にスペイン語に訳された聖書の一つです。興味深いのは、ラテン語からの翻訳ではなくヘブライ語からスペイン語への翻訳本でした。フェルナンド王はグラナダ陥落でレコンキスタを成し遂げたアラゴン王ですが、この遺言書は死の前日に遺言されたもので、1516年1月22日の日付がありました。この遺言で後継者を後の神聖ローマ帝国の皇帝カール5世(スペイン国王カルロス1世)に定めています。本来ならば、娘のフアナが後継者になるところでしたが、気がふれて幽閉されていたフアナにはせっかくレコンキスタを成し遂げた後の国を治めることは無理とみなしたフェルナンド王は、フアナの息子、自分の孫にあたるカルロスに位を譲ることをこの遺言書の中で明確に示したものでした。この遺言書は、スペインの歴史文書の中でもかなり重要なものです。コロンブスが書いた手紙は結構な数があります。その中には、コロンブスが自分で描いた島の輪郭を示す絵がありますが、これがコロンブスが「イスパニョーラ島(La Española)」と命名した島で現在のハイチとドミニカ共和国に当たることろです。

それにしても、スペイン500年の歴史絵巻を見ているような錯覚に陥るアルバ家の図書室でした。ただ、あまりに歴史的史料価値の高い資料や書籍が多いだけに、実際に蔵書を手に取って手軽に読書を楽しむという感じではないですね。(笑)

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂(Ermita de San Antonio de la Florida)

美術館の中に飾ってある絵画鑑賞も悪くないのですが、特に宗教画に関してはやはり宗教的な場所-教会・修道院等-で観賞すると、見る印象が随分変わります。画家が宗教的な建物のどの位置にどのような宗教的な場面を配置するかは、識字率が低かった時代においてはとても大切なことでした。現代のように視覚的な物があふれている世界に住んでいなかった当時の人々にとって、「絵画」はとても心に響き、そして宗教の持つ意味を理解する助けでもありました。

このサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂内を装飾するフレスコ画はゴヤが描いたものです。美術館以外にあるゴヤのオリジナルの絵が見れる数少ない場所の一つですが、マドリード観光でも訪れる人が少ない穴場的な場所でもあります。ここには、ゴヤが埋葬されていて、「ゴヤのパンテオン」とも呼ばれています。

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂(写真:筆者撮影)

「聖アントニオの奇跡」

礼拝堂の天井を飾るフレスコ画のモチーフとなったのは「聖アントニオの奇跡」です。これは、聖アントニオの父が殺人の罪に問われ、ポルトガルのリスボンで死刑になることを知った聖アントニオは、裁判官の前に殺された被害者の遺体を運んでくるように頼みます。そして、運ばれてきた遺体に向かって殺した犯人は自分の父かどうかを尋ねると、死人は一時的に蘇りはっきりした声で「あなたの父ではありません」と答えました。そうして、聖アントニオは父の無実を晴らしたと伝えられている奇跡です。

ゴヤが描いた「聖アントニオの奇跡」(Wikipedia Public Domain)

ゴヤの斬新さ

このゴヤのフレスコ画を見て面白いなと思ったのが、描かれている人達でした。私が今までよく目にしていた教会や礼拝堂の中にある宗教画とは異なり、聖アントニオ以外は、偉い司教や聖人、その時代の王や有力貴族、12使徒や聖書に登場する人々ではなく、無名の庶民-村の男や女たち、乞食、野次馬たち、遊んでいる子供たち-それもその当時のマドリードの庶民の姿が生き生きと描かれていることです。マドリードの人たちはこの絵が描かれた当時から「聖アントニオ」に親しみを感じている人が多かったらしく、数ある聖人の中でも人気がありました(聖人の中で人気者とそうでないものがあるのは面白いことですが、日本の布袋尊のようなものでしょうか)。ゴヤはその民衆の心を代表してこの絵を描いたんじゃないかなと思いました。この礼拝堂を訪れるマドリードの人たちは、自分の姿をこのフレスコ画の中に見つけ出し、親近感を抱き、聖人との距離ひいては神との距離がグッと近くなったんじゃないかと感じながらこのフレスコ画を見ました。

もう一つ興味深かったことは、描かれている天使たちです。「天使」のことをスペイン語では「Ángel(アンヘル)」と言います。全ての名詞に性があるスペイン語では「天使」-「Ángel(アンヘル)」-は男性名詞です。スペインのゴシック様式やバロック様式の教会などでは、まるで中性的な子供のような顔つきの「天使」たちであふれています。でも、このゴヤの描く「天使」たちは、マドリードの若い女性たちの顔を持つ「天使」-「Ángela(アンヘラ)」(女性名詞形)-たちなのです。そして、その「天使」-「Ángela(アンヘラ)」たちがドームの下部分や側面部分にも描かれていて、その点でも新しいゴヤの試みが見えてきます。

ゴヤの自由な筆づかい、グレース技巧、透明感のある絵は豊かな色調を生み出し、ゴヤの絵の特徴でもある「魔法的な雰囲気」を醸し出しています。

礼拝堂の内部の写真が撮れなかったので、この「Ángela(アンヘラ)」たちをこのブログで紹介できず残念です。マドリードに行く機会がある方は、是非この女性の天使「Ángela(アンヘラ)」たちに会いに行ってみてくださいね!

美術館の外にあるゴヤの絵に会いに行こう!

ゴヤの絵-美術館の中にはない、絵の依頼者とゴヤ自身とゴヤの絵が直接つながっていることを感じられるような絵-に会いに行きたい方は是非このリリア宮殿とサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂まで足を延ばしてみることをお薦めします。

リリア宮殿もサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂もマドリード観光では定番のコースには入っていない所ですが、どちらも一見の価値は大いにありますよ。

リリア宮殿 開館情報

住所:プリンセサ通り 20番地( C. de la Princesa, 20)

電話番号:(+34) 915 90 84 54 (対応時間:9:00~20:00)

ウエブサイト:https://www.palaciodeliria.com/
最寄り駅:スペイン広場(Plaza de España 2号線 赤色/3号線・黄色/10号線・紺色) 、

     ベントゥーラ・ロドリゲス(Ventura Rodríguez 3号線・黄色)      
開館時間:リリア宮殿 (Palacio de Liria) | マドリード観光 (esmadrid.com) 参照 

休館日:1月1日、1月5日、1月6日、12月24日、12月25日、12月31日      

入場料:一般-15€ (スペイン語・英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語の音声ガイド付き、)

    割引料金-13€(6歳~12歳、失業者、25歳以下の学生、65歳以上、身分を証明する書類提示)

    公式ガイド付き-35€(10人~15人)

    無料-6歳未満、祭日ではない月曜日 9:15 a.m. & 9:45 a.m. (一週間前にオンライン販売のみ)

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂 開館情報

住所:サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ ロータリー 5番地( Gta. San Antonio de la Florida, 5)

電話番号:(+34) 915 420 722

ウエブサイト:http://www.madrid.es/ermita
最寄り駅:プリンシペ・ピオ(Príncipe Pío 6号線 灰色/10号線・紺色/R線) 、

     ベントゥーラ・ロドリゲス(Ventura Rodríguez 3号線・黄色)      
開館時間:火曜日~日曜日 9:30~20:00 (最終入館時間 19:40) サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂(Ermita de San Antonio de la Florida) | マドリード観光 (esmadrid.com) 参照 

休館日:月曜日(祝日も含む)1月1日、1月5日、1月6日、12月24日、12月25日、12月31日      入場料:無料

リリア宮殿&サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂 情報

・リリア宮殿オフィシャルサイト。スペイン語。

Información (palaciodeliria.com)

・マドリード観光オフィシャルサイト。日本語もあります。youtubeでは宮殿の内部を垣間見れます。

リリア宮殿 (Palacio de Liria) | マドリード観光 (esmadrid.com)

・スペイン観光公式サイト。日本語もあります。

リリア宮殿のMadrid | spain.info 日本語

・リリア宮殿の内部は写真撮影が禁止されているますが、スペインの新聞に宮殿内部の写真が出ていました。

Fotos: El interior del Palacio de Liria, en imágenes | Cultura | EL PAÍS (elpais.com)

・スペイン観光公式サイト。日本語もあります。

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂のMadrid | spain.info 日本語

・マドリード観光オフィシャルサイト。日本語もあります。

サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂(Ermita de San Antonio de la Florida) | マドリード観光 (esmadrid.com)

ロマネスクへのいざない (5)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (2)- サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)

楽しみにしていたサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) へ向かった。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院は、ヨーロッパ最古の音楽と言われる「グレゴリオ聖歌」を今も修道士たちがミサや祈りの時間の中で歌い続けていることで有名だ。日本でもCDが売られているので聴いたことがある人も多いと思う。

この修道院は、21世紀の今日まで活動し続けているカトリック教会最古のベネディクト修道会の修道院だ。そして、 サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院自体は954年に設立されたことが、当院の文献資料として残っている。まさしく、この修道院設立時期はロマネスク建築がヨーロッパで始まった頃と重なる。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院にあるロマネスク建築の回廊は素晴らしく、スペイン人の中で知らない人はいないほど。ロマネスク回廊の傑作と言われている。回廊は2階建てで、1階部分の東側と北側は11世紀半ばに造られ、西側と南側は12世紀のものだ。長方形の回廊は、北側と南側には16のアーチが、東側と西側には14のアーチがあり、柱頭は64本ある。そして回廊の2階部分は、12世紀末に造られた。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の回廊(写真:アルベルト・F・メダルデ)

回廊1階部分の控え壁にある8つの浅彫き彫りは一つ一つが素晴らしいロマネスクの傑作。簡単に紹介していくことにする。

受胎告知と聖母戴冠(La Anunciación y La Coronación de la Virgen)

受胎告知と聖母戴冠(Anunciación y Coronación de la Virgen)(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

「神の母」である聖母マリアが大天使ガブリエルのお告げによって神の子「イエス」を身ごもることを知る瞬間の場面と「天の女王」である聖母マリアが神から冠を授けられる場面を同じ構図の中に描かれている。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の建設期間は約200年かかったが、この「受胎告知と聖母戴冠(Anunciación y Coronación de la Virgen)」は建設完了時期12世紀末に造られたものだ。 12世紀末といえばゴシック様式初期に当たり、この浅浮き彫りにもゴシック様式である自然的で人間的な表現の萌芽が見られる。大天使ガブリエルと聖母マリアの二人のまなざしはまるで知り合い同士のようで、心なしか口元にはかすかに笑みを浮かべているように見える。と同時に、聖母マリアの堂々として自然な雰囲気が漂っている。聖母マリアの左手に持っている布は何か意味があるのか気になるところ。

エッサイの木 (EL ÁRBOL DE JESÉ

エッサイの木(El Árbol de Jesé )(写真:筆者撮影)

「エッサイの木」はイエスの家系図とも言われ、統一イスラエル王国(イスラエルとユダ連合王国)の王で、ユダヤ教を確立したダビデの父エッサイから幹が伸び、ダビデ家より生ずべき未来の救世主(イエス・キリスト)を生んだ聖母マリア、イエス、そして精霊を示す鳩が描かれていることが多い。これは、旧約聖書のイザヤ書11の言葉をもとにしてロマネスク時代に始まった表現である。その言葉とは、「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。(参照:イザヤ書 11 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com))」である。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の浅浮き彫りには、横になって右手で頭を支えているエッサイの横腹から2本の枝が交差しながら力強くそして躍動感に満ちながら上に上に伸びている。その2本の枝は二つのマンドルラ(アーモンド形の光輪)を形作り、更に、周りの6人の人物を包み込むようにまるで生きているかの如き動きを表現している。最初のマンドルラには聖母マリアが描かれ、その上のマンドルラには幼子イエスを膝の上に乗せた神が描かれ、その更に上には精霊を示す鳩が描かれている。浅浮き彫り独特の立体感と躍動感は、一度見たら忘れられないものだった。ちなみに、イエスを膝の上に載せ父である神という形で表現されている神の姿は、ロマネスク美術には珍しいものだったらしい

周りにいる人物は、偉大な予言者であるイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルの4人とヘブライ人の王ダビデ王とサロモン王である。

イエスの死と降架(Muerte en cruz del Señor y descendimiento

イエスの死と降架(Muerte en cruz del Señor y descendimiento) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

あばら骨がリアルに表現され、キリストの顔は苦しみの後に解放された静かな表情だ。興味深いのは、十字架の木の節が見られること。今まで、この十字架のようにはっきりと木の節が描かれている十字架を見たことはなかったと思う。

音声ガイドの説明では、アダムとイブのアダムがそのゴルゴダの丘(キリストが十字架に磔にされた丘)に葬られたという伝説から、キリストの足元には、キリストによって原罪から救済されたアダムが墓から這い上がっている姿が表されている、ということだった。(私には、アダムの姿を認識することはできなかったが・・・。)また、十字架は香炉を振る天使が天上と地上とを結び付けており、全体の構成に調和がとれている。

左側の女性は聖母マリア、キリストを十字架から降ろしているのは2人の弟子、そして右側の手に紙とペン(?)を持つのが福音書を書いた「イエスの愛する弟子」だ。淡々と死んだキリストを十字架から降ろす弟子たち、息絶えた我が子の手に顔を押し付ける聖母マリア、ロマネスク様式の特徴でもあるが、宗教的伝統によって形式が決まっているヒエラティックなものが返って彼らの深い悲しみを痛いほどまっすぐに伝えているドラマチックな場面である。

聖母マリアや弟子たちの足の下にある波のような形が、何を意味しているのか気になった。

墓とイエスの復活(Sepultura y resurrección del Señor

墓とイエスの復活(Sepultura y resurrección del Señor) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

キリストの復活は、キリスト教の教理の根本にかかわることなので、絵や彫刻など様々な方法で視覚的に表現されている。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の浅浮き彫りには、十字架にかけられ死したキリストの遺体が丁寧に二人の弟子により埋葬される「墓」の場面と、上部には、過越(すぎこし)の祭りの朝にマグダラのマリアをはじめとする3人のマリアが墓を訪ねると、墓石の蓋が取り除かれたその上に美しいプリーツのある服を着た天使が座っていて、キリストが復活したことを告げる場面が同じ空間の中に描かれている。

開いた墓石の蓋が斜めに走り、その下に横たわるキリストの構図が素晴らしい。また、3人のマリアや天使の折りひだが細かに表現され、動きもありとても美しい。天使の足の動きも自然な感じだ。

キリストが横たわる墓の下には、7人の兵士の姿が見える。これは、キリストの復活に対してひどく恐れている様子が描かれたものらしい。また、宗教画などでもよくあることだが、ここでもキリストが死んだローマ時代の兵士の服装ではなく、この浅浮き彫りが造られた中世ヨーロッパ時代の兵士の服装で描かれている。

エマオへの道(Camino de Emaús

エマオへの道(Camino de Emaús)(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

イエスは復活後エマオに行く途中の道で、話しながら歩いている弟子のクレオパに近づいて、彼らと語りながら一緒に歩いた。そして、イエスは食事の招待を受けて感謝してパンを裂いた時に、クレオパたちはその人がイエスだと分かったが、その時イエスは見えなくなった。このエマオへの道の途中の場面。

感情を押し隠し、豊かな表情に欠けると言われるロマネスク様式の中で、「エマオへの道(Camino de Emaús)」の場面の3人の表情はとても豊かだ。歩きながら話す3人の動きも見て取れる。3人で信仰の話等に花が咲き、イエスとは気づかない弟子たちがこの”見知らぬイエス”との道中を楽しんでいる様子がうかがえる。

ここでもイエスは高位の人であることを表現するために弟子よりも背が高く、アーチの外に頭が出ている。面白いのは、イエスの右足の不自然さ。思わず私自身でもこんな足の格好ができるかどうか試してみたくらいだ。(笑)

他の浅浮き彫りにはみられなかったが、この3人の眼は深めに彫ってあり、黒玉(こくぎょく)が目にはめ込まれていたらしく、確かに左側の弟子の眼には黒玉(こくぎょく)が今もはめ込まれていた。

イエスの肩から下げられた皮袋には、この浅浮き彫りが造られた11世紀末には盛んであったサンティアゴ巡礼のシンボルであるホタテ貝が見られる。これは、この修道院を通る巡礼者たちへの配慮であり、多くの巡礼者たちがそこに自分を映していたに違いない。

復活とトマス(El resucitado y Tomás

復活とトマス(El resucitado y Tomás) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

イエスの復活を聞いて「手に釘の跡を見てそこに指を入れてみなければ信じない」と言ったことから、「不信トマス」と呼ばれているイエズスの弟子の一人であるトマス。そのトマスにイエズスは自分の傷口に指を入れさせ、「あなたは、わたしを見たので信じた。しかし見なくても信じる人々は幸いである」と言ったその場面である。この浅浮き彫りは12世紀初頭の作品。

大きさの違いによって場面の中での重要性を表現していて、一番背の高いキリスト、次に背が高いのがトマスである。枠の中で13人の人物が描かれているが、キリストとトマスの他には、他の10人の弟子たちと、弟子ではなかったが新約聖書の著者の一人であるパウロが描かれている。鍵を持っている聖ペトロの左側に居る額が禿げ上がっている人物がパウロ。

キリストの右側に描かれている弟子たちが心持ち左側に傾いていることによって、トマスがイエズスの傷口に指を入れる場面に緊張感が漂ってくる。見ている私たちも思わずトマスの指に視線を向ける。ロマネスク様式の人物像の顔にはあまり表情がないものがその特徴の一つでもあるが、このキリストの顔には信仰についての重要なメッセージが込められている。

アーチ型の外側には、この重要な場面を祝う音楽家たちの姿が見える。また、建物も見えるので「天上のエルサレム」を表現しているとも言われている。

この「復活とトマス(El resucitado y Tomás)」 の場面は、修道院の修道士たちに信仰について熟考するこを促す役目を果たしていた。 「あなたは、わたしを見たので信じた。しかし見なくても信じる人々は幸いである」 というイエズスの言葉を思い出させ、自分の信仰について反省する修道士たちも多かったと思われる。

キリストの昇天(Ascensión del Señor

キリストの昇天(Ascensión del Señor) (写真:Arte magistral より)

復活したキリストは、エマオへの道で弟子と信仰について語ったり、復活を信じないトマスに傷口を触らせたり、自分が生きていることを数多くの証拠をもって多くの弟子たちに示したり、神の国について語ったりした。復活から40日目に、弟子たちの目の前で天に上げられ雲に覆われて見えなくなったが、それがキリストの昇天である。

キリストを頂点とするピラミッド型構図で、キリストの体の部分は「教会」を表している。その「教会」の代表者として描かれた聖母マリアと聖ヨセフ、そして「天の国の鍵」を持つ聖ペトロと3人の弟子たちの姿が見える。残りの7人の弟子たちは下段に配置され、皆一様に天に昇っていくキリストを見上げている。それは私たちも同様に彼らの視線をたどって天に昇るキリストを見上げることを誘い出す構図だ。

聖母マリアの隣にいる聖ヨセフが、そっとマリアを支えているところに聖ヨセフの愛情が感じられる。

ペンテコステ(聖霊降臨)(Pentecostes)

ペンテコステ(聖霊降臨)(Pentecostes) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事である「ペンテコステ(聖霊降臨)(Pentecostes )」の場面。

キリストの昇天(Ascensión del Señor)と同様にピラミッド型構図で、下から6人の弟子、その上に別の6人の弟子、そして頭一個分上にマリアが描かれ、更にその上には左右に天使、そして頂点に神の手が雲から出てきている。皆、神の手である精霊を見上げる劇的な構図である。尚、 キリストの昇天(Ascensión del Señor)と異なりマリアが使徒たちよりちょっと上に描かれているのは、神と人との仲介者としてのマリアという意味付けで中間に位置しているものである。

エッサイの木の中で描かれたような伝統的な図像である鳩や火の舌ではなく、神の手、神の指で精霊を表していることは注目に値する。また、上段の弟子6人の中に天の国の鍵を持ったペトロが見える。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のこれらの浅浮き彫りに共通する素足のポーズがとても気になった。全体的には内股で、不自然なポーズも見られ、何か意味が込められていたのだろうかとも思ったりした。手については、基本的に手を広げているポーズでは手のひらを私たちの方に見せている格好だ。 キリストの昇天(Ascensión del Señor) でみられる聖母マリアの両手を開いた格好は、オランスと呼ばれるこの当時(11世紀)に始まった紙を讃える祈りのポーズである。(参照:「キリスト教美術を楽しむ 新約聖書編 受胎告知1」金沢百枝著 )

ねじれた柱(Columnas torsas

ねじれた柱(Columnas torsas)(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊を歩いていてすぐに目に留まるのがこのねじれた柱(Columnas torsas)だ。4本の柱をを束ねてねじったような形の柱は、整然と柱が連なり美しくもあるが単調でもある回廊のアクセントになっている。

どうしてこの柱だけねじれて造られたのかは、今でも様々な想像力を働かせる原動力ともなっているようだ。一般的には、時代によって石工が代わっていたので、新しい石工の登場を後世につたえようとしてものだ、というものや、柱頭に彫られている内容が、他の柱頭のそれに比べて重要な内容だったので、見る人の注意を引くようにこのような奇抜なものにした、というもの、そして、単純に回廊の中央に4本を組み合わせた柱を据えることで、技術的な問題を解決するものだったというものが言われている。

柱頭の彫はかなり傷んでいるが、「エルサレム入城」、「洗足式」、「最後の晩餐」キリストの事跡が描かれている。ちなみに「エルサレム入城」は、キリストが復活する前の週にキリストがエルサレムに入城したこと。「洗足式」は、最後の晩餐のとき、イエズスが自ら弟子たちの足を洗ったこと。そして、「最後の晩餐」は、イエズスが処刑される前夜に12人の弟子たちと摂った夕食のこと。ここでもまた、修道士たちや訪れる者たちにキリストの事跡を通してキリストの教えを胸に刻ませるという役目を担っている

その他にもこの柱が造られた理由について、単なる石工の芸術的気まぐれであるとか、呪術的なおまじないの意味があるとか、石工たちの斬新な新しい技術への挑戦であるとか、様々な想像がなされている。

私が調べた限りでは、スペイン国内に現存するロマネスク様式のねじれた柱は5例あった。

  • サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(Santo Domingo de Silos)、ブルゴス県(Burgos)
  • サンタ・マリア・デ・ラ・ビッド修道院(Monasterio de Sta. Maria de La Vid)、ブルゴス県(Burgos)
  • アスンシォン・デ・エル・ブルゴ・デ・オスマ聖堂(Catedral de la Asuncion Burgo de Osma)、ソリア県(Soria)
  • サン・ペドロ・デ・カラセナ教会(San Pedro de Caracena)、ソリア県(Soria)
  • サン・ペドロ・デ・ラ・ルア(San Pedro de la Rua)、ナバーラ州エステ―ジャ(Estella)

    理由はどうあれ、あれこれと想像を膨らませてロマネスク様式の芸術を見ていくことは楽しいものだ。これも、ロマネスクを見る際の醍醐味の一つだろう。

糸杉(Ciprés

中庭にある糸杉(写真:筆者撮影)

30メートルもあるこの糸杉は、樹齢130年を超える。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のシンボルともいえる。昔、天と地をつなげるものとして糸杉は捉えられていた。そして、天に向かって伸びる糸杉とまるで地球の中心と繋がるように地下深く掘られている井戸は、ロマネスク様式の中では世界軸(Axis mundi)を構成するものとして位置づけられ、天上の世界を希求する象徴的なものだった。(参照:「Iconografía y Simbolismo Románico」Devid de la Garma Ramírez著)また、永遠かつ超越した神の愛のシンボルでもある。天を目指してまっすぐに伸びていく糸杉に、修道士たちの信仰や希望を感じた。

最後に

以上、これら8つの場面は、まるで聖書の蒔絵でも見ているかのような錯覚を私に与えた。様々な回廊をこれまでも見たことがあるが、これほど印象的で視覚に訴えてくる回廊は初めて出会ったと思う。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊の細部を詳細に見ていくにつれて、芸術や建築ががいかに人間の心の琴線に触れることのできるものなのかを、実際に体験できる。ロマネスク様式における回廊が持つ象徴的な意味は、「地上の楽園」である。それは、神と接近し、神を迎え入れる特別な場所であった(参照:「Iconografía y Simbolismo Románico」Devid de la Garma Ramírez著)。修道士や巡礼者たちは、この静かな空間の中で祈り、神と出会い、信仰を深めていったのだろう。

参考

ここで紹介した サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・スペイン観光公式サイト。日本語があるのはうれしい限り。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のSanto Domingo de Silos | spain.info 日本語

・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の公式サイト。スペイン語のみ。

https://www.abadiadesilos.es/

・キリストの昇天(Ascensión del Señor)の写真はこちらのブログのもの。

Arte magistral: Relieves del claustro de Santo Domingo de Silos

・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の音声ガイド。スペイン語の他に、英語、フランス語、ポルトガル語でも聞ける。

Museo de la Asociación Retógenes (qrednomenclator.net)

・美術や歴史の本を出版するグループで、ロマネスク様式を詳しく説明しているウエッブサイト。

Monasterio Santo Domingo Silos (arteguias.com)

・ロマネスクのシンボルや図像の意味を解説している本。スペイン語。

「Iconografía y Simbolismo Románico」 Devid de la Garma Ramírez 著

ロマネスクへのいざない (4)- もうすぐクリスマス!ロマネスクにみるキリスト誕生

12月に入りました。今年もCOVID-19の影響で一体どんなクリスマスとなるのか。スペインではワクチン接種が進み(接種率約80%)、皆楽しみにしていたクリスマス。オミクロン株のせいで今年もいつものような楽しいクリスマスが過ごせないのではないかと気をもんでいます。

スペインの人たちにとってはクリスマスは特別な時期です。家族や遠く離れた友人が地元に里帰りしてきて再会したり、子供たちはサンタクロースや三賢王(マギ)に頼むプレゼントのリストを手紙にして送ったりと、本当に賑やかな時期です。

スペインのクリスマスを、「マラソン・クリスマス」と私は呼んでいます。というのも、12月24日のクリスマス・イブから1月6日の東方三賢王の日まで、2週間くらいずーとクリスマスの行事が続くからです。12月24日イブの夜の夕食会、25日の昼食会、12月31日大晦日の夕食会とパーティー、1月1日のお正月の昼食会、1月6日の朝には三賢王のプレゼントを開け、その後昼食会や夕食会があります。とにかく、家族や友人同士で集まる機会がやたらと多く、そのたびに飲んだり食べたりと、胃腸にとってもかなりハードな時期になります。

去年のクリスマスは、移動制限、人数制限などもあり、寂しいクリスマスでしたが、今年は無事に皆でお祝いできることを祈りながら、今回は、クリスマス、キリスト誕生にちなむロマネスクの装飾を紹介していきます。

受胎告知(La Anunciación )

「受胎告知」とは、新約聖書に書かれているエピソードの1つで、処女マリアに天使ガブリエルが訪れ、マリアが聖霊によってイエスを懐妊したことを知らせる場面です。そして、マリアがその神の意志を受け入れることを告げる出来事です

フラ・アンジェリコやレオナルド・ダ・ビンチ等が描いた「受胎告知」の絵は有名ですね。

「PINTURA ROMANICA PANTEON REAL DE SAN ISIDORO」ANTONIO VIÑAYO GONZALES Y MANUEL VIÑAYO GONZALEZ (Fotogragía) Edición de 1971, CATEDRA DE SAN ISIDORO Y EDITORIAL EVERESTO より

これは、レオン市にあるサン・イシドロ王立参事会教会(11世紀)の天井画にある「受胎告知」の場面です。

まるで驚きためらうマリアに対し、天使ガブリエルは笑みをたたえ明るい表情で未来の救世主の懐妊を告げるこの天井画は、二人の対照的でとても人間的な豊かな心情の表現に惹かれます。まるで、マリアは告げられた内容があまりのことに怖気づいて逃げ腰になっているようです。マリアは、両手を大きく広げ驚いたような仕草に見えますが、これは、11世紀から見られるようになった神を讃える祈りのポーズで、オランス(ORANS)というそうです。(「キリスト教美術を楽しむ 新約聖書編 受胎告知1」金沢百枝 より)

受胎告知と聖母戴冠(Anunciación y Coronación de la Virgen)(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらは、「受胎告知」と「天の女王」である聖母マリアが神から冠を授けられた「聖母戴冠」を同じ場面の中に描いています。 ブルゴス県にあるサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊にある浅浮き彫りの一つです。

ロマネスク美術の中でもゴシック様式初期に当たる12世紀末に造られたものですが、こちらは天使ガブリエルが跪いてマリアに告げ知らせるというポーズになっています。「聖母戴冠」の場面も兼ねているせいか、マリアは堂々としていて、ちょっと上から視線に見えるのは、私の気のせいでしょうか。

羊飼いへのお告げ (El Anuncio a los Pastores)

救い主イエスが誕生したことを真っ先に知らされたのがこの羊飼いたちでした。ベツレヘムの町で救い主が生まれたと告げられ、幼子イエスを探しに行き、マリア、ホセ、そしてイエスを探し出します。

「PINTURA ROMANICA PANTEON REAL DE SAN ISIDORO」ANTONIO VIÑAYO GONZALES Y MANUEL VIÑAYO GONZALEZ (Fotogragía) Edición de 1971, CATEDRA DE SAN ISIDORO Y EDITORIAL EVERESTO より

この絵は、 レオン市にあるサン・イシドロ王立参事会教会(11世紀)の天井画にある「羊飼いへのお告げ」の場面です。

パンフルートのような笛を吹いている羊飼い、角笛を吹く羊飼い、レオン・マスティフ犬に水を与える羊飼い、誕生を告げる天使、羊、山羊、牛などの動物、そして植物が描かれています。パンフルートのような笛を吹く羊飼いと、天使の服の襞、そしてカーブした草がこの天井画全体に動きを感じさせ、動物たちの姿が生き生きと描かれ、その表情はそれぞれ異なっています。上部に描かれている3頭の牛たちのちょっとキョトンとした顔つきが笑いを誘います。そして何よりも、牧歌的でのんびりとした雰囲気が伝わってきます。

キリスト誕生(El nacimiento de Jesus)と東方三賢王の礼拝(La adoración de los Tres Reyes Magos)

幼子イエスが生まれると、東方でユダヤ人の王として生まれたイエスの星を見た3人の賢王がヘロデ王のもとに行き、幼子がどこにいるのか尋ねました。ヘロデ王は祭司長や律法学者を集めてそのユダヤ人の王となる子がどこで生またかを問いただします。そして彼らはベツレヘムでその子供が生まれたと答えました。そこで3人の賢王たちが幼子イエスを探しに出かけると、星が彼らを導き、イエスの居る場所で星が止まりました。賢王たちはイエスが生まれた馬小屋に入り、幼子イエスを拝み、捧げものを送りました。その場面が「東方三賢王の礼拝」と呼ばれるものです。

アエド・デ・ブトロン村にある聖母の被昇天教会(Iglesia de Nuestra Señora de Asunción) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらは、ブルゴス県のアエド・デ・ブトロン村にある聖母の被昇天教会(12世紀)の入口のタンパンに彫られている「東方三賢王の礼拝」場面です。

マリアの膝に座るイエスは、東方三賢王の一人とまるで何か話しているよう。マリアは誇らしげに堂々としますが、面白いのがヨゼフ。ヨゼフは肘を膝についてまるで居眠りしているようです。素晴らしいのは、東方三賢王の礼拝に花を添える楽士たち。一人一人の楽器を眺めていると、まるで幼子イエスを讃える宗教音楽が聞こえてきそうです。

アエド・デ・ブトロン村にある聖母の被昇天教会(Iglesia de Nuestra Señora de Asunción) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

幼子イエスのいないキリスト誕生場面 エル・サルバドール教会 (Iglesia de El Salvador) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に、ロマネスク美術ではないのですが、珍しいキリスト誕生の場面があったので紹介します。

この珍しいキリスト誕生場面は、パレンシア県ポサンコス村のロマネスク様式の教会エル・サルバドール教会の中にあったものですが、なんと、主役である幼子イエス不在!!のキリスト誕生場面なのです。説明してくださったガイドさんによると、幼子イエスが長い歳月の中で失われてしまった可能性もあるけれど、幼子イエスがいたであろう場所の破損等がないことから、もしかしたら最初から幼子イエスは不在だった可能性もありますとのこと。

左上には幼子イエスを寝かせるベットを天使が運んできています。中央上にはあの幼児虐殺で有名なヘロデ王がイエスの誕生を盗み見しています。ヘロデ王が出るキリスト誕生場面も珍しいものです。

日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、スペインではクリスマスをモチーフにした美術品は多数あります。今回はロマネスク様式のものを紹介しましたが、時代が変わると同じモチーフでも少々異なるものもあり、その違いを見分けたりするのは楽しみの一つです。自分の美術の楽しみ方を見つけてることも旅の喜びの一つでしょう。

参考

・金沢百枝氏が綴る「キリスト教美術を楽しむ 新約聖書編」というブログ。とても興味深いブログです。興味のある方は、是非一読されることをお薦めします。

https://www.kogei-seika.jp/blog/kanazawa/001.html

・同じ金沢百枝氏著書に、『ロマネスク美術革命』(新潮社)があります。これもお薦めの本です。

・スペインロマネスク美術のキリスト誕生場面にまつわるビデオ。

EL NACIMIENTO DE JESÚS DE NAZARET. EL CICLO DE LA NAVIDAD ROMÁNICA – YouTube

ロマネスクへのいざない (3)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(1)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の浅浮き彫り(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ブルゴス県のロマネスクを訪ねて

今回、カステーリャ・イ・レオン州のブルゴス県にあるロマネスク巡りの旅に2泊3日で行ってきた。代表的なロマネスク建築だけではなく、まるで忘れられたような小さな村にひっそりと建てられているロマネスク建築や今も村の教会として活躍しているロマネスク建築、スペインのブルゴス県特有(ロマネスク建築が建てられた当時はブルゴス県という概念はなかったが・・・)のロマネスク建築も含めた多くのロマネスク建築を見ることができた。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の柱頭(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サント・ドミンゴ・デ・シロス(Santo Domingo de Silos)からピネダ・デ・ラ・シエラ(Pineda de la Sierra)まで

第1日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。7ヶ所のロマネスク建築を見ることができた

・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の回廊(写真:アルベルト・F・メダルデ)

11世紀から12世紀末に造られたロマネスク回廊の傑作。長方形の回廊には、北側と南側に16のアーチが、東側と西側に14のアーチがある。回廊の角にある浅浮き彫りの中でも、大天使ガブリエルによる「聖母マリアへの受胎告知(La anunciación a María)」は特に名作として有名。これは12世紀末のものだ。また、「エッサイの木(El árbol de Jesé)」と呼ばれるイエス・キリストの祖先の芸術の描写も逸品。ロマネスク建築にあまり興味のない人でも、この回廊の素晴らしさには心打たれるものがある。また、ここの修道士達が歌うヨーロッパ音楽最古と呼ばれるグレゴリオ聖歌は有名で、日本でもCDが売られているので、聞いたことがある人もいるだろう。

浅浮き彫りについてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・サンタ・セシリア礼拝堂 (Ermita de Santa Cecilia)

サンタ・セシリア礼拝堂(Ermita de Santa Cecilia)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の修道士から訪れることを薦められた礼拝堂。音楽の守護聖人として知られる聖セシリアに捧げられている。9世紀末から10世紀初頭に造られたもので、イベリア半島に現存する21あるモサラべ様式の教会・礼拝堂の一つである。光が入るように作られたギリシャ十字は、この辺りでは珍しい

・サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Arlanza)

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Arlanza) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

912年に設立されたサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は今は廃墟となっているが、スペインの重要文化財(Bien de Interés Cultural)に指定されている。11世紀後半にロマネスク建築として建てられ、3つの身廊(三廊式)、3つの後陣(アプス)から成っていた。

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)

ハラミ―リョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

デマンダ山脈地域にあるハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会も重要文化財に指定されている。12世紀に建てられたロマネスク建築部分は、塔、後陣(アプス)、柱廊のある入口(ギャラリー)だが、全体として調和のとれた美しいロマネスクの教会の一つである。

ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

ビスカイノス・デ・ラ・シエラサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours de Vizcaínos de la Sierra)

サン・マルティン・デ・トゥール・デ・ビスカイノス教会 (Iglesia de San Martín de Tours de Vizcaínos de la Sierra)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀に建てられたロマネスク様式ビスカイノス・デ・ラ・シエラ村のサン・マルティン・デ・トゥール教会は、少なくとも外観は完全なロマネスク建築で保存状態もとても良い。颯爽とした外観は、この辺りのデマンダ山脈地域で多くみられるロマネスク建築の特徴の一つである。

サン・マルティン・デ・トゥール教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・ピネダ・デ・ラ・シエラサン・エステバン・プロトマルティル教会 (Iglesia de San Esteban Protomártir de Pineda de la Sierra)

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・ピネダ教会 (Iglesia de San Esteban Protomártir de Pineda de la Sierra)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀から13世紀にかけてに建てられたロマネスク様式 柱廊のある入口(ギャラリー)は、重要かつ豪華なものの一つであり、前述のサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊の影響を受けている。

ピネダ・デ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティル・デ教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

オジュエロス・デ・シエラ教会 (Iglesia de Hoyuelos de sierra)

オジュエロス・デ・シエラ教会 (Iglesia de Hoyuelos de sierra) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

デマンダ山脈地域にあるロマネスク建築の教会。柱頭に施された鳥、動物、アルピア等の彫の図柄から、 サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の影響を受けていると考えられている。

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ(Monasterio de Rodilla)からミニョン・デ・サンティバニェス(Miñon de Santibáñez)まで

第2日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。9ヵ所のロマネスク建築を見ることができた。

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ礼拝堂(Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) (写真:筆者撮影)

12世紀に造られたこの礼拝堂は、スペインにおけるバシリカ型ロマネスク建築の教会の最も優れた一例だと言われている。保存状態も良く、改築や異なる様式による追加建築もない純粋なロマネスク建築である。また、ユネスコの文化遺産にも指定され、スペインの重要文化財でもある。

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) についてもっと知りたい方は、こちらもどうぞ。

サン・ニコラス・デ・エル・アルミニェ教会 (Iglesia de San Nicolás de El Almiñé)

サン・ニコラス・デ・エル・アルミニェ教会 (Iglesia de San Nicolás de El Almiñé) (写真:筆者撮影)

小さな村の教会として今もミサが行われているサン・ニコラス教会は12世紀に建てられ、ロマネスク、ゴシック、バロック様式等が見られる。ロマネスク建築は塔部分で、エル・アルミニェ村のすぐ近くにあるテハダ村のサン・ペドロ教会の模倣が見られ、この地方特有の「ウシ―ジャ(Usilla)」と呼ばれる塔に上るための円柱形の螺旋階段がある

サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀に建てられたロマネスクの教会で、ブルゴス県のなかでも保存状態の良い純粋なロマネスク様式として重要なものの一つである。珍しいことに個人の所有物だが、決められた時間であれば料金を支払い教会の中に入ることができる。周りの景色と融合して建つその様は、印象的だった。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会については、こちらも読んでみてください。

大天使サン・ミゲル・デ・バルデノセダ教会(Iglesia de San Miguel Arcángel de Valdenoceda)

大天使サン・ミゲル・デ・バルデノセダ教会(Iglesia de San Miguel Arcángel de Valdenoceda) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

前述のサン・ニコラス・デ・エル・アルミニェ教会 (Iglesia de San Nicolás de El Almiñé) とサン・ペドロ・デ・テハダ修道院 (San Pedro de Tejada)と共にバルディエルソ盆地にあるロマネスク様式の教会の一つ。 テハダ村のサン・ペドロ教会の模倣が見られ、この地方特有の「ウシ―ジャ(Usilla)」と呼ばれる塔に上るための円柱形の螺旋階段があり、翼のあるライオン(マルコ)、天使(マタイ)の姿が見える。これは、テトラモルフォと呼ばれる新約聖書の4福音書記者を象徴するもので、鷲(ヨハネ)と雄牛(ルカ)は失われていた。

アエダ・デル・ブトロンの聖母の被昇天教会 (Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción de Ahedo del Butrón)

アエダ・デル・ブトロンの聖母の被昇天教会 (Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción de Ahedo del Butrón)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

細い田舎道を車でしばらく走っていくとようやくこのアエダ・デル・ブトロン村に着いた。12世紀に造られたロマネスク様式部分は玄関部分のみで、その他は16世紀に改築されたルネッサンス様式の教会である。しかし、タンパンに彫られた東方三博士の礼拝 (Adoración de los Magos)は、必見の価値あり

アエダ・デル・ブトロン村の聖母の被昇天教会にあるについては、こちらも読んでみてください。

ビルヘン・デ・ラ・オリーバ・デ・エスコバード・デ・アバホ礼拝堂 (Ermita de la Virgen de la Oliva de Escobado de Abajo)

ビルヘン・デ・ラ・オリーバ・デ・エスコバード・デ・アバホ礼拝堂 (Ermita de la Virgen de la Oliva de Escobado de Abajo)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀に建設され、18世紀に拡張工事が行われた。ロマネスク様式の様々なモチーフで飾られた持ち送りは、植物や動物、幾何学模様、人間の半身像、空想上の獣などを見ることができる。

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・モラディジョ・デ・セダノの教会 (Iglesia de San Esteban Protomártir de Moradillo de Sedano)

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・モラディジョ・デ・セダノの教会(Iglesia de San Esteban Protomártir de Moradillo de Sedano) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

運よく教会の内部まで見せてもらった。12世紀に造られた玄関のテンパンは覆われているので外から見えなかったが、中に入って見せてもらうと保存状態の良いロマネスク様式の タンパンが現れた。建設当初に多色装飾した色が薄っすらと残っている部分さえあった。 タンパンと内部にあるジグザク形の柱身は必見

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・モラディジョ・デ・セダノの教会の内部を知りたい方はこちらをどうぞ。

サン・ペド・イ・サン・パブロ・デ・グレディージョ・デ・セダノ教会 ( Iglesia de San Pedro y San Pablo de Gredillo de Sedano)

サン・ペド・イ・サン・パブロ・デ・グレディージョ・デ・セダノ教会 ( Iglesia de San Pedro y San Pablo de Gredillo de Sedano)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀末に建築されたろロマネスク様式。タンパンには、聖母戴冠 (Coronación de la Virgen)の浅浮き彫りがあるが、残念ながらマリアの頭部は後から取って付けたようで違和感を覚えた。しかし、神々しいマリアの隣で、まるで自分は関係ない者のようにうとうととしているヨセフの姿は印象的だった。

サン・ペドロ・デ・ミニョン・デ・サンティバニェス教会 (Iglesia de San Pedro de Miñon de Santibáñez)

サン・ペドロ・デ・ミニョン・デ・サンティバニェス教会 (Iglesia de San Pedro de Miñon de Santibáñez)

スペインの重要文化財の一つ。12世紀末から13世紀初頭にかけて造られたこの教会の入口にある浅浮き彫りには驚かされた。まるで、「千と千尋の神隠し」に出てくるような漫画チックでユーモラスな顔のものが多く、またソディアック・サインと思われる「射手座」や「乙女座」等が見れるのは興味深い。

スペインのワイナリー見学(2)-エラクリオ・アルファロ(Heraclio Alfaro)

スペインでは、ワイナリーを見学してワインを試飲するエノツーリズム(ワインツーリズム)と呼ばれるワイン観光に人気があります。ワイナリー見学&試飲だけでなく、ブドウ畑を馬で周ったり、散策したり、昔ながらのブドウ踏みをする等々体験型のエノツーリズムもあります。また、家族でも楽しめるようにワインではなく、未成年には「モスト」と呼ばれるグレープジュースを出してくれたり、子供用にブドウやワインに関することを学ぶ体験を提供してくれる様々なエノツーリズムがあって、子供やワインに興味のない大人をも巻き込んだ観光が魅力です。今回は、スペインの赤ワインの代表「リオハ」にあるちょっと変わったワイナリー見学を報告します。

スペインのワインと言えば「リオハ、「リオハ」のワインと言えば「テンプラニーリョ種」 (写真:筆者撮影)

「エラクリオ・アルファロ(Heraclio Alfaro)」ワイナリーの歴史

近年、有名ワイナリーのなかで、有名建築家による奇抜なワイナリーが色々と出ていますが、ここのワイナリー程ユニークなワイナリーはそんなにないのではないでしょうか。

現在ワイナリーがあるこの場所は、スペインでは歴史的な場所として知られています。1919年に飛行場がここに作られました。発着場として使われていた土地は、今では見渡す限りのブドウ畑になっています。今使われているワイナリーは飛行機の格納庫として作られた建物を改装したもので、格納庫としての構造は今も残っています。

発酵温度をコントロール「タンク室」 (写真:筆者撮影)

1970年代に、最初のワインを造り始め、2000年には別のファミリーがこのワイナリーを受け継ぎ、近代化して「エゴメイ」という名前で新しいラインのワインを造りました。そして、2018年にテーラス・ガウダ・グループがこのワインに新しい風を吹き込み、2015年に最初のワイン「エラクリオ・アルファロ・クリアンサ」がヴィンテージされました

テーラス・ガウダ・グループは、ガリシア州にある白ワインのワイナリーから発展したグループで、ガリシア州の白ワインワイナリーが赤ワインの代表地ともいえるリオハ州のワイナリーに進出するのはスペインでは初めてのことで、テーラス・ガウダ・グループはその意味でのパイオニアです

スペインのワイナリー見学-テーラス・ガウダ(Terras Gauda) | おいでよ!スペイン (shiroyshishi.com) テーラス・ガウダ・グループについてはこちらもどうぞ。

「木樽熟成庫」木樽はフランス・オーク(写真:筆者撮影)

エラクリオ・アルファロ とは?

さて、このワイナリーの名前「エラクリオ・アルファロ(Heraclio Alfaro)」は、スペインの飛行機パイロット、飛行機製作者としてのパイオニアであるエラクリオ・アルファロ氏に敬意を表して、その名前を冠したものです。

エラクリオ・アルファロ氏は、20世紀初頭において、国境を越えて活躍したまさしく「グローバル」な人物でした。1914年、パイロット資格を取り、世界でも最も若いパイロットの一人で、なんと21歳という若さでした。そして彼は飛行機を操縦するだけではなく、スペインで初めて一から最初の飛行機を作り上げたのです。その後、アメリカに渡り、航空学においていくつも賞を受け、ボストンにあるマサチューセッツ工科大学で教鞭をとり、同時に飛行機設計を続け、多くの特許をアメリカやカナダで取りました。グローバルでパイオニア、自分の夢を追求した人物といえるでしょう。

彼のようにグローバルでパイオニア、そしてこのワイナリーで働く人たちのワイン造りに対する熱い思い、そして夢を追求するという意味を重ね合わせ、ワイナリーの名前、そして最初のワインの名前も彼の名前が付けられました

1914年 自身作成の「アルファロ1号」に乗るエラクリオ・アルファロ氏 (Wikipedia Public Domain)

多様な畑と挑戦

現在、115ヘクタールの畑を所有しており、リオハ地方特有の黒ブドウの3つの品種に割り当て、テンプラニーリョ種、グラシア―ノ種、マスエロ種を栽培しています。ブドウの木は70年代に植えられたもので、樹齢45年ほどです。また、この地方で最も高い地域(海抜750m)にあるブドウ畑もあり、そこではガルナッシュ/ガルナッチャ種を栽培しています。 この品種を加えることで、フレッシュな果実と酸味のある、より調和のとれたワインを造ることができます。

リオハ地方では、この土地のブドウであるテンプラニーリョ種とガルナッシュ/ガルナッチャ種が多く栽培されていましたが、このガルナッシュ/ガルナッチャ種はテンプラニーリョ種と比べ繊細な種類で、花が咲く時期に花が散ってしまうことが多くみられるそうです。そのため、ブドウの房にびっちり実が生らないのでどうしても収穫量が減り、栽培を嫌厭される傾向になり、どんどん地元のブドウであるガルナッシュ/ガルナッチャ種の栽培が減少していたとのこと。しかしこのワイナリーでは、ガルナッシュ/ガルナッチャ種にも力を入れて栽培し、ガルナッシュ/ガルナッチャ種を多く含むワインを造ることにチャレンジしています

調和のとれたワインに仕上げるには欠かせない「ガルナッシュ/ガルナッチャ種」  (写真:筆者撮影)

このワイナリーの特徴の一つとしては、 ブドウ畑だけではなく果樹園とオリーブ畑もあるところでしょうか。12ヘクタールは、果実園とオリーブ畑として割り当てられています。ブドウだけではなく、リオハ州という果実や野菜などにも適した気候・土地を生かし、リンゴやオリーブも栽培しています。

緑色のオリーブの実がたわわに実っていました (写真:筆者撮影)
リンゴの種類はなんと日本の「ふじ」! スペインでも人気のりんごです(写真:筆者撮影)

ここで取れたオリーブの実はエクストラ・バージン・オリーブオイル用に使われていますが、今年リオハ州が主催するコンクールで、エコ栽培を対象にした「オリーブの実」カテゴリーで2位を受賞しました! スペインで栽培されているオリーブの品種は、なんと200種類以上ありますが、ここで栽培されているものはアルベキ―ナ(arbequina)という種類で、苦みや辛みのないサッパリとした口当たりで、オリーブの果実特有のフルーティな香りがするとても美味しいエクストラ・バージン・オリーブオイルです。オリーブオイルになじみのない方にも癖のないすんなりと味あえる種類のオリーブオイルでお薦めです。

ラベルも素敵な「エラクリオ・アルファロ」のエクストラ・バージン・オリーブオイル(写真:筆者撮影)

試飲

一通りワイナリー内を見て回り、説明も聞いた後、試飲です。お店の後ろにテイスティング・スペースが設けられていました。大きなガラス張り窓から見えるザクロの木には赤い実がなっていて、まるで額縁の中の絵のような美しさを感じました。

ザクロの木 (写真:筆者撮影)

色々と説明してくれたホルヘ(Jorge)とイドージャ(Idoya)。本当にワイン造りに対する熱い思いを語ってくれました。リオハ州の赤ワインの代名詞のようなテンプラニーリョ種の ブドウは、荒々しくもがっちりとした味わいが魅力。そこに女性的な繊細でフレッシュなガルナッシュ/ガルナッチャ種を加えることでハーモニーが生まれ、口当たりの良いワインになるとのこと。そしてフランス・オークの木樽で熟成させることにより、バニラのようなちょっと甘い風味になるとのこと。

イドージャは、このワイナリーのワイン造りを直接担当しているエノロゴ(醸造家)で、私が訪れた日も茎がついたままでワインを醸造する「全房発酵」と茎を取る「除梗」を行ってワインを醸造する実験用のワインの準備を忙しく行っていましたが、日々、自分たちの求めるワインを造るために色んな試行錯誤を繰り返していると熱く語ってくれました。

ワイナリーのアルムデナ、ホルヘ、カルメン、イドージャ(写真:筆者撮影)

試飲のワインは、ここのワイナリーで造られている2種類のワイン「エラクリオ・アルファロ」と「エラクリオ・アルファロ・フィンカ・エスタリホ」。この2種類の赤ワインは、両方ともテンプラニーリョ種、 グラシア―ノ種、マスエロ種、ガルナッシュ/ガルナッチャ種の4種類のブドウから造られていますが、割合の違いでかなり口当たりの異なるワインになっています。試飲で、同じ種類のブドウのワインでも割合によって味だけではなく香さえも異なるワインができるということが実感でき、素人の私にとっては驚きの体験でした。

「エラクリオ・アルファロ」は、赤ワインのクリアンサ。フランス・オークの木樽で12ヶ月熟成し、12ヶ月以上貯蔵したもので、テンプラニーリョ種が40%、グラシア―ノ種5%、マスエロ種5%、ガルナッシュ/ガルナッチャ種が50%。このワイナリーが力を入れているガルナッシュ/ガルナッチャ種を多く用いて新しい「リオハワイン」を造りだしています。

「エラクリオ・アルファロ・フィンカ・エスタリホ」赤ワインのクリアンサ。こちらは、フランス・オークの木樽と700Lのフードル(大樽)で16か月熟成した後、12ヶ月以上貯蔵したものです。テンプラニーリョ種が30%、 グラシア―ノ種30%、マスエロ種10%、 ガルナッシュ/ガルナッチャ種が30%。 こちらは「エラクリオ・アルファロ」に比べてヴィンテージ数も少なくリミテッドエディションだそうです。

左がテンプラニーリョ種 右がガルナッシュ/ガルナッチャ種(写真:筆者撮影)

また、丁度収穫前に訪れたので、テンプラニーリョ種とガルナッシュ/ガルナッチャ種のブドウの実を食べ比べさせていただきました。イドージャの説明のように、確かにテンプラニーリョ種はそもままブドウとして食べるにはちょっと大味でイマイチ。でもガルナッシュ/ガルナッチャ種の方はそのまま食べても十分美味しく洗練された味で、なるほどこれらを組み合わせて調和のとれたワインを造っていく難しさと醍醐味を実感できました。

左が「 エラクリオ・アルファロ・フィンカ・エスタリホ 」右が「 エラクリオ・アルファロ 」(写真:筆者撮影)
ワインの箱のデザインも素敵なのでお土産にピッタリ!(写真:筆者撮影)

スペイン初のパイロット兼航空学者であるエラクリオ・アルファロ氏についての歴史や、そのパイオニア精神をワイン造りに引き継いでいこうという心意気にも深く感銘を受け、ワインを通して知ることのできる様々な物語を楽しむことができました。

またワインだけではなく、オリーブやリンゴを栽培している多様な土地柄を目の当たりにして、涼しく比較的乾燥しているこの土地の特性も知ることができました。

試飲の後で (写真:筆者撮影)

おすすめ!ワイナリー見学

「エノツーリズム(ワインツーリズム)では、ワイナリーのワインを味わうだけではなく、ワインを造っている人達の情熱、思想、哲学までも垣間見ることができ、そしてワインを造るブドウを育んだ土地への愛着、その土地特有の文化や自然に対する深い理解も実感できます。

ここのワイナリーのガイドをしてくれるホルヘは英語でのガイドもOKとのこと。是非、スペインにいらっしゃる際は、「エラクリオ・アルファロ」ワイナリーのエノツーリズム(ワインツーリズム)を旅行計画に入れてみてはいかがでしょうか。

追記:「シタデル・デュ・ヴァン」コンクールで「スペインワイン特別賞 グランドゴールドメダル2023」を受賞!!

2021年に「エラクリオ・アルファロ」ワイナリーを訪れましたが、今年2023年に入ってフランス・ボルドーのワインコンクール「シタデル・デュ・ヴァン」にて国別の「特別賞 グランドゴールドメダル2023」を受賞したという、とても嬉しい報告を頂きました。

「シタデル・デュ・ヴァン」は、1992年にボルドーワインで有名なフランス・ボルドーで創設された権威ある国際ワインコンクールで、日本のワインもこのコンクールで金賞や銀賞を受賞しているものがあるので、ご存じの方もいらっしゃると思います。「O.I.V.(国際ブドウ・ワイン機構)」の後援のもとで行われる限られたコンクールの一つですが、五大陸のプレミアムワインの多様性と品質に焦点を当てることを目的として、国際的なワインシーンで最も影響力のあるイベントの一つとして確立しています。

「O.I.V.(国際ブドウ・ワイン機構)」が推薦する最高水準のエノログ(ワイン醸造技術管理士)をはじめとする専門家35名が審査を行い、625本のワインを試飲しました。この世界中からエントリーされた625本のワインの中から、「エラクリオ・アルファロ・フィンカ・エスタリホ 2017(Heraclio Alfaro Finca Estarijo 2017) 」が出品されたスペインワインの中で最高得点を獲得し、「スペインワイン特別賞 グランドゴールドメダル2023」を獲得しました。

この報告を受けたとき、真っ先にイド―ジャ(Idoya)の姿を思い出しました。自分たちの追求するワインを造るために、日々試行錯誤を繰り返していると熱く語ってくれたあの姿を。そして、イド―ジャをはじめとして、ホルヘやアルムデナ、そしてカルメン、スタッフのみんなを思い出し、私もとても嬉しくなりました。これからも、美味しいワインを造ってください!とエールを送ります。おめでとうございます!

受賞に興味のある方は、スペイン語ですがこちらもどうぞ。

https://elcorreodelvino.com/heraclio-alfaro-finca-estarijo-2017-recibe-el-premio-especial-de-espana-en-el-concurso-de-burdeos-citadelles-du-vin/

「シタデル・デュ・ヴァン」のウエブサイトにも出ています。

https://www.citadellesduvin.com/index.php?option=com_content&view=article&id=276&tmpl=index-es&Itemid=209

参考

・「テーラス・ガウダ(Terras Gauda)グループ」の公式サイト。「Enoturismo」をクリックして「Heraclio Alfaro」を見てください。:https://www.terrasgauda.com/ 

・ スペイン観光公式サイトがエノツーリズムについて紹介しています。日本語です。 リオハ・オリエンタルのワインルート。。エノツーリズム | spain.info 日本語

・日本人向けにワイナリーツアーを企画している会社(スペインワインのプロフェッショナルである、バルセロナのOFFICE SATAKEと、バリャドリッドのBUDO YAを中心にスペイン各地のプロフェッショナルが、ワイナリーを本格的に案内)。http://enoturismo.jp/?page_id=703

・ラ・リオハ州公式観光サイト。ラ・リオハ州のエノツーリズムについてのサイト。Enoturismo – La Rioja Turismo

2000年の時を超えてローマ劇場で行われるメリダ古典演劇祭(Festival Internacional de Teatro Clásico de Mérida)

もう、20年以上も前にメリダ(Mérida)を最初に訪れた際、ローマ劇場や円形競技場を観光しました。ローマ時代の建造物の中に足を踏み入れた初体験だったので、とても感動したことを今でも覚えています。まるでタイムスリップしたかのように2000年以上の時を一気に超え、ローマ時代の人たちが実際に居たところに私も居るんだという、とても不思議な気持ちで一杯になりました。そして、その時友人が「毎年夏になるとここで演劇祭が行われていて、誰でも観に来れるんだよ」と説明してくれたました。その時から、”あー、一度でいいから私もこのローマ劇場でローマ時代の人たちのように劇を楽しんでみたいなぁ・・・”と思っていました。そして、やっとその願いが叶いました!!

ローマ劇場&舞台 (写真:筆者撮影)

メリダ古典演劇祭 (Festival Internacional de Teatro Clásico de Mérida)

長い間廃墟となっていたメリダのローマ劇場は、1910年から本格的な発掘が進められ1933年6月に、実にローマ時代以来初めての演劇が開催されました。しかし、スペイン市民戦争 (1936~1939) の前後を含め約20年近くこのローマ劇場で演劇が催されることはありませんでした。その後、1954年から「メリダ古典演劇祭 (Festival Internacional de Teatro Clásico de Mérida)」が開催されるようになり、今年は第67回目のフェスティバルが7月から8月末まで約一ヶ月にわたって催されました。現在は演劇だけではなく、様々なコンサートが開かれ、また映画も上映されています。今年は去年に続きコロナ下での開催でしたが、多少の制限はあったものの多くの人がこのフェスティバルを堪能することができました。

ローマ劇場 観劇席への入口外観(写真:筆者撮影)

私は初めての観劇となりましたが、毎年必ず観に行く常連さんも多いようです。メリダの夏は、日中は40度前後まで気温が上がるので心配していましたが、開演時間が22時45分と日本人の感覚ではかなり遅いこともあり、暑さも感じず気持ちよく観劇できました。作品は全てスペイン語なので、全部を理解するにはかなり難しいとは思いますが、大体のあら筋を下調べしておけば後はローマ劇場の雰囲気を十分楽しむことができます。今回私が観た「愛の市場(Mercado de amores)」は、紀元前約200年の劇作家プラウトゥスの喜劇でした。YouTubeで劇が終わって役者達が挨拶する場面が出ています。雰囲気を知りたい方はどうぞ。

Final de “Mercado de amores” Festival internacional teatro clásico de Mérida. Julio 2021 – YouTube

ちなみに、主人公のパンフィロ(Pánfilo)の名前は、ギリシャ語では「全てを愛する者、誰でも好きになる人」という意味があるそうです。そしてスペイン語で パンフィロ(Pánfilo)は、「無気力な(人)、のろま(な)、お人好し(の)」という意味があり、面白いなと思いました。

ローマ劇場 メインエントランスを入るとトンネルが !(写真:筆者撮影)

メリダのローマ劇場について

さて、このローマ劇場は、ローマ時代はその植民都市として「エメリタ・アウグスタ」と呼ばれた現在のメリダに、紀元前16年から紀元前15年にかけてアウグストゥス帝の娘婿アグリッパ将軍の後援により築かれました。建設当初の観客収容人数は約6千人で、半円形の階段席は、花崗岩で覆われたローマンコンクリート(古代コンクリートとも呼ばれる)で造られています。現在の観客収容人数は3千人です。

ギリシャ劇場と同じように丘の傾斜を上手く利用した抜群の音響効果で、舞台から観客席まで生の声が鮮明に聞き取れます。既にローマ時代には数回の増築工事が行われ、ローマ時代の人たちの娯楽の場として活躍しましたが、その後、演劇は不道徳なものと考えるキリスト教の影響が強い時代へと移ると、4世紀頃にはローマ劇場は打ち捨てられていきました。そして1500年以上の年月は、劇場を土の下へ埋めてしまったのです。発掘が始まる前までは、 ローマンコンクリートで出来ている観客席のみが地上に現れていたそうです。

ウィキペディアには、1867年の発掘並びに再建前の写真がでています。残存していた観客席がまるで椅子のようだったので「七つの椅子( Las Siete Sillas )」と呼ばれていたそうです。現在の様子とはかなり異なることに驚かされます。

「七つの椅子(Las Siete Sillas)」Wikipedia Domain

そして前述したように、 1910年から本格的な発掘が進められ全容が現れました。実に発掘するため地下9メートルまで掘ったという記録が残っています。地中深く埋まってしまいすっかり忘れられてしまったローマ劇場の真上に、ジャガイモ畑があったり、闘牛場として使っていた時期もあったとか。

ローマ劇場 観劇席の入口から舞台を見る(写真:筆者撮影)

もし、7月から8月にかけてスペインを訪れるなら、旅のルートにこの2000年以上も前に建築されたローマ劇場で行われる 「メリダ古典演劇祭 (Festival Internacional de Teatro Clásico de Mérida)」 を加えて、ローマ時代の人たちのようにローマ劇場での演劇やコンサート等を是非楽しんでみてください。きっと、観光のみでは味わえない旅の思い出になること間違いなしです!

情報

・残念ながらスペイン語のみのサイトです。

Festival Internacional de Teatro Clásico de Mérida – (festivaldemerida.es)

・ スペイン観光公式サイトが日本語で「メリダ古典演劇祭」を紹介しています。

メリダ古典演劇祭。Mérida | spain.info 日本語

・ ローマ劇場について。英語版もあります。

レオン(León)へ行こう!(3)― グルッとローマ時代の城壁巡り

ローマ時代の城壁巡りの説明版

グルッとローマ時代の城壁巡り

同じカスティーリャ・イ・レオン州にあるアビラ市の城壁は11世紀の終わりに造られた中世の城壁ですが、こちらレオン市の城壁は、1世紀からのローマ時代のものと12世紀から14世紀に造られた中世のものとが混在しています。今回は、ご一緒にローマ時代の城壁をぐるっと周ってみましょう。

まずマヨール広場から出発です。 マヨール広場の時計台がある市役所を背にして左側にあるスクエアーからマヨール広場を出ると、左側に「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」 があります。ここから左手に曲がりセラドーレス通り(Calle Serradores)を大聖堂に向かって歩いていきます。この道沿いには後述するクーボス通り(Avenida de los Cubos) と同じように城壁の円柱形の小塔(Cubo)と小塔の間に家が建っている面白い通りです。

「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」マヨール広場からすぐ
「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」 から大聖堂へ。左側にある円柱形の小塔と小塔の間には家が !

セラドーレス通り(Calle Serradores) の突き当りがプエルタ・オビスポ広場になり、レオン大聖堂の横に着きます。そのまま真っ直ぐ行くと階段があるのでのぼり、そこにはローマ時代の城壁巡りの説明版があり、右側の足元にはガラス張りを通してローマ時代の「テルマエ」が見えます。これは、その構造からプールまたは貯水槽だったと考えられています。大聖堂に圧倒されて見失いがちですが、大聖堂の横の地下部分にはローマ時代の遺跡が発見されているのです。ローマ時代には両側に塔と木製の開き扉がある東門のオビスポ門(Puerta Obispo) がここにあり、そこからローマ軍の駐屯地に入って行きました。

横から見たレオン大聖堂 ローマ時代のテルマエの遺跡をお見逃しなく!
門の両側に塔があったオビスポ門(Puerta Obispo)

さて、ローマ時代の遺跡テルマエを見たら階段を下りて大聖堂からすぐ左に曲がり、クーボス通り(Avenida de los Cubos)に入り歩いていきます。この「小塔の城壁 (muralla de cubos) 」は、3世紀から4世紀初めにかけて造られたもので、建設当初に造られた約半数に当たる36の小塔が今日まで残存しています。この小塔は、高半円式で直径が約8メートル、高さは約10メートル、城壁自体は約5メートルの厚みがあります。

クーボス通り(Avenida de los Cubos) 奥にレオン大聖堂が見える

そのままクーボス通りをまっすぐ道なりに歩いていくと、左手に曲がっていきます。城壁が続いていますが、左手に門が見えてきます。これがアルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel)またはカスティージョ 門(Puerta Castillo )です。ローマ時代には、東にオビスポ門(Puerta Obispo )、西にカウリエンセ門(Puerta Cauriense )、南にアルコ・デル・レイ門(Puerta del Arco del Rey )、そして北にこのカスティー ジョ 門 (Puerta Castillo)がありましたが、今日ではその当時の姿が見れる門は残念ながら北門のみです。

アルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel) またはカスティーリョ門(Puerta Castillo)

この門から城壁内には入らずに、そのまま城壁に沿ってラモン・イ・カハル通り(Calle de Ramón y Cajal) を歩いていき、突き当りを左側に曲がります。少し歩くとサン・イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)の後ろに着きます

このように「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」と呼ばれるマヨール広場の後側にある塔から「カスティージョ門( Puerta Castillo )」または 「アルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel)」、そして 「 サン・イシドロ王立参事会教会の塔(Torre de la Basílica de San Isidoro )」までローマ時代の小塔を含む城壁が規則正しく残存しています。

城壁が終わった先にはサン・イシドロ王立参事会教会が

レオン市の城壁は、現存するローマ時代のローマ軍城壁としては、スペインの中ではおそらく最も古いものの一つだと言えます。ローマ時代は、城壁を四辺形にとり、その内部にローマ軍団の駐屯地が作られていました。その中には、兵舎、指令本部、古代ローマの護民官、地方総督の家々や、倉庫、井戸、テルマエ、そして城壁の外側に円形競技場がありました。

そして、現在のアンチャ通り(Calle Ancha)がローマ時代のメインストリートでした。

アンチャ通り(Calle Ancha) ローマ時代も現在もレオン市のメインストリート

コーヒータイム&ランチタイム

さて、サン・イシドロ王立参事会教会まできたら城壁巡りはここまでにして、ここからはルイス・デ・サラサール通り(Calle de Ruíz de Zarazar)に入り、コーヒータイム。

ルイス・デ・サラサール通り(Calle de Ruíz de Zarazar)
奥左側はグスマン宮殿(Palacio de los Gusmanes)、右側はガウディ建築のカサ・デ・ロス・ボティネ(Casa de los Botines)

ルイス・デ・サラサール通りには、私のお気に入りのカフェ書店 「トゥラ・バロナ(Tula Varona)」 があります。お茶もできますが、本屋さんでもあります。古本が主で、スペイン語だけではなく英語の本も置いてあります。本好きな弁護士である女主人の夢を体現した本屋さんで、2020年にオープンしました。店内は本に囲まれゆったりした気分でお茶が楽しめます。店の外でもコーヒーが飲めるので、コロナの今は安心ですね。コーヒーを飲みながら、ガウディ建築の カサ・デ・ロス・ボティネス(Casa de los Botines) が見えるのも嬉しいです。

お店の外でもお茶できます
お店の中はこんな感じです

このほか、この城壁巡りコース途中のクーボス通りにある、ミッシェラン1つ星のレストラン「パブロ(Pablo)」はお昼ご飯にお薦めです。テイスティングメニュー(Menú de degustación)とそのメニューに合うマッチングワイン(Maridaje)がありますが、テイスティングメニューは10種類以上の小ぶりな料理がでてきて、次にどんな料理が出てくるのかというサプライズと見た目にも美しい創作料理は、食事時間が楽しいものになること間違いなし! また、ふんだんに地元の食材を使った料理や郷土料理もしっかり含まれていて、旅行者にも嬉しいメニューです。お勧めの数種類のパンは全種類美味しい! 是非、全種類を食べ比べてみてください。ちなみにお値段の方は、2021年8月現在で、 テイスティングメニュー(Menú de degustación) が65ユーロ、 マッチングワイン(Maridaje)が35ユーロです。(ともに税込料金)

ちょっと奮発して、地方で活躍しているミッシェラン・シェフの料理を堪能してみるのも悪くないですね! スペインのレストランは一皿一皿が、ゆったりした時間で提供されるので、余裕を持たせてお昼ご飯の時間を2時間位確保してください。地方都市では、観光できる所は2時から4時くらいまでお昼休みに入ってどこも見れない所が多いので、ゆっくりお昼ご飯に時間をかけても大丈夫ですね。

レストラン「パブロ」大胆かつシンプルなデザインの店構え
色彩が美しい庭園を連想させられる肉料理の一品

ローマ時代の城壁に沿ってグルッと街を歩いていくと、点と点との観光が線の観光へとステップアップされて、街の様子がもっとリアルに実感できると思います。是非、レオン観光に行かれたら試して歩いてみてくださいね。そして、マドリッドやバルセロナ等の大都市とは異なる時間の流れを体験してみてください。きっと別の顔のスペインを発見できることでしょう。 

情報

・レオン市役所のサイト。英語版もありますが、内容は残念ながらスペイン語に比べて充実していないようです。

    Ayuntamiento de León – ruta romana (aytoleon.es)

・レストラン「パブロ」のサイト。”Reservas”から予約できます。

  住所: アベニーダ・ロス・クーボス(Avenida los Cubos)、8番地、レオン市

  郵便番号:24007

  メールアドレス: info@restaurantepablo.es

  電話番号:987 216 562 

    Restaurante pablo |

・ カフェ書店 「トゥラ・バロナ(Tula Varona)」

   住所:  ルイス・デ・サラサール通り (Calle Ruiz de Salazar)、18番地、レオン市

 

”Renacer” 希望の光 - ア・カペラのコンサートを教会にて開催!!!

新型肺炎コロナウイルスCOVID-19が世界中を駆け巡り、あっという間に私たちの日常生活がどこか遠い所へ押しやられてしまいました。1年以上が経つ今もこの未知なるウイルスに世界中の人たちが右往左往させられています。

ここスペインでは、2020年3月15日から同年6月21日までの3ヶ月以上も、医療関係者や食料品店、薬局などの最低限必要な物を売る店、警察、消防、銀行等生活するうえでの基本サービス以外は、教育機関、役所などを代表するオフィス、観光関係、バルやレストラン等が全て閉まり、国境も封鎖され、国を挙げての大掛かりなロックダウンが続きました。

私も、必需品は村にある唯一のスーパーに日本のラインにあたるワッツアップを使って注文し、家まで配達してもらっていました。村に週2回来てくれる移動魚屋さんにもワッツアップにて事前に注文し、移動店まで受取り&支払いをしに行き、ごみ出し、銀行での現金引き出しといった最低限必要なこと以外は全く家から一歩も出れない毎日でした。私は、それら必要最低限の外出の機会がありましたが、夫や子供たちは3ヶ月間全く家の敷地から出ませんでした。それでも、我が家は小さいながらも庭があるので、皆、庭をぐるぐる周ったりして憂さ晴らしをしていました。お天気が良い日は、テーブルを出して庭でご飯を食べたり、お茶をしたりして気分転換をしていました。

しかし、街の中に住む多くのスペインの人たちは、あまり広いとも言えないアパートで一歩も外に出られず、息苦しい生活を余儀なくされる毎日でした。マドリッドの街中のアパートでは、一人暮らしの老人や若者が窓から空も見えない部屋で全く外に出られず不安な気持ちで暮らし、子供たちは一日中外遊びもできず何が何だかわからないながらに、外に出たら怖い「COVID-19」という名前のモンスターが歩き回っているかのような恐怖を植え付けられ、オンライン授業にオンラインの仕事と、子供も親も疲れ果てて精神的にも肉体的にも追い込まれていく状況の中で、皆それぞれがグッと我慢して「COVID-19」という名の嵐が去るのを待ちました。

一人暮らしの人たちは全く人と話す機会がなくなり、精神的なダメージを受けたり、お年寄りの方々は家から出れないために足腰が弱り、家の中で転んで怪我をする事例が増えたりしました。その間も、愛する親、妻、夫、子供、友人、職場の仲間等が次々とCOVID-19に襲われ、亡くなった彼らはたった一人でこの世を去っていかなければならない状況に置かれ、残された人はさよならも言えず、見送りもできず、悲しみとやるせない気持ちで苦しみました。

医療現場では、過酷な労働、冷徹な命の選択に迫られる医師たちの苦悶、対応しても対応しても連日増え続ける患者たちを目の前にして無力感を覚えざるを得ない状況に追い込まれる看護師たち、情報が全くないまま手探りの状況で消毒や清掃を命の危険に晒されながらも黙々と使命感を持ってやり続ける病院の清掃係の方々、まるで地獄のようだと嘆きながらも隔離された患者たちを励ますその一人一人の医療現場の人たちの真摯な姿は、私たち全ての人たちの心を動かしました。その現場で頑張っている人たちに敬意の念を伝えるため、そして感謝の気持ちを伝えるため、スペイン全土で毎日、バルコニーから、窓から、家の前から拍手がおこりました。一日中家の中にこもりきりで人の姿も殆んど見られない毎日でしたが、午後8時になると拍手する人たちの姿で一杯となりました。私も毎日午後8時になると玄関前に出て道路にむかって手のひらが痛くなるくらい拍手して感謝の気持ちを表しました。そして、ご近所さん達と「みんな元気?」「ご両親はどうしてる?」「お互い感染しないよう気を付けて頑張ろうね!」と励ましあっていた毎日でした。

長かったロックダウンが終わり、ほっと一息付けたのもつかの間、気の緩みと9月の新学年の始まりによる人の移動のためか、10月に入った途端に再び感染者数が増加し、同月25日から2021年5月9日までの半年間継続的な警戒事態宣言が出されました。今回は昨年3月のようなロックダウンではなかったのですが、ほとんどの大学は完全なオンライン授業、レストランやバルなどはしょっちゅう営業停止へと追い込まれ、州や県をまたいでの移動禁止、夜間外出禁止令なども出て、観光業は閑古鳥が鳴く状況が続き、スペイン経済への大きな打撃は避けられず、多くのお店や飲食店、観光業者の人たちが店じまいを余儀なくされました。

スペインの人たちが一年の中で楽しみにしている、クリスマス休暇に家族と集まり食事を共にして家族のきずなを確かめ合うという例年のクリスマスの過ごし方は皆あきらめ、とても寂しいクリスマスを過ごしました。大晦日の夜中、12個のブドウを鐘の音と共に食べて新年をお祝いするいつもの年の瀬の姿も今年は見れませんでした。それなのに、クリスマス休暇が終わったと同時に爆発的な感染状況に追い込まれ、暗澹たる気持ちで1月、2月を過ごしました。

唯一の望みは、2020年12月27日から始まったワクチン接種。スペインは、第1波で老人ホームなどの施設にいる高齢者の方たちの感染・死亡が多く、私が住むカステーリャ・イ・レオン州での死亡者数の70%は施設に住む高齢者の方々でした。そのため、まずはCOVID-19の一番の弱者である高齢者の命を優先にと、高齢者へのワクチン接種が最初に行われました。その後、医療関係者や警察・消防関係者等にワクチン接種が行われました。また、学校閉鎖を回避する対策として幼稚園、小学校、中学校、高校の教師の方たちへのワクチン接種が優先されました。

ワクチン接種が始まって以来、劇的に高齢者の死亡率が減り、感染者数もどんどん減少していきました。

イースター休暇後にまた感染者数が増えるんだろうな、と皆で心配していましたが、心配していたほどには厳しい状況に追い込まれることはなく、「ワクチン効果が表れてきているみたいだね」と少しずつ皆の気持ちの中で明るいものが湧いてきているのを感じ始めていました。

そして、ついに5月9日に緊急事態宣言が解除され、長い長い暗い暗いトンネルの出口が少し見えてきたような気分でした。

そんな中で、私が所属する合唱団では、天候や状況が許す限り、村の広場を練習場にする許可をもらい細々と練習を再開し始めました。10月から11月、クリスマス休暇後からイースター休暇後までは感染者数が増加したので練習には6人までしか集まれず、また練習場の使用許可が下りず練習できない状況でしたが、5月の警戒事態宣言が解除された後は、それまでの失われた時を回復するかのように練習回数を増やして皆で練習に励んできました。

そして、2021年6月27日にサラマンカ市内のサン・フアン・デ・サグン教会にてコンサートを開催することができました。団員はマスク着用で歌い、観客者数は1/3に減らすという内容でしたが、屋内、それも教会という屋内で再び歌えることに心から感謝しました。教会は、信者の方々の年齢層が高いこともあって色んな意味で厳しい条件下に置かれていたので、まさか教会でのコンサート開催に許可が出るとは思っていなかったのです。

私たちの合唱団は団員数21名の室内合唱団で、「デ・ムシカ・アンティクワ(De Musica Antiqua)」という名前の通りルネッサンス音楽を中心にア・カペラで歌うグループなので、曲のレパートリーからも矢張り教会で歌うような宗教音楽が多く教会の音響に合う曲ばかりなので、私たち団員にとって教会で歌うということには大きな意味がありました。

コンサート後に、私たちの指揮者が「まるで”生き返った(renacer)”ような気持ちになったコンサートだった」と語りましたが、私も同感でした。まるで全ての芸術や様々な活動が制限され、”死んだ”ような状況下にあった中、こうやって教会でコンサートが開けるところまで来たことに対し、まだまだコロナが収束したわけではないけれど、やっと少しでも日常が取り戻せるようになることへの希望の光が見えてきたという感じを、歌った団員の私たちみんなと、聞きに来てくださった観客の皆さんとで共有できたコンサートでした。

元気で歌えること、コロナ感染に至らなかったこと又はコロナから回復できたこと、この教会でのコンサートに一緒に居れること(ずっと、多くの人たちの集まりが禁止されてきたので)、生きていることを感謝して思い切り歌いました。そして、COVID-19のために命を失くした人々、後遺症で苦しんでいる人々、大切な人を亡くして哀しみを背負っている人々、仕事を失くし途方に暮れている人々、今も現場で戦っている様々な職業の人々、移動制限のため離れ離れで会いたい人にも会えない人々等々・・・一人一人の団員がそういう人々に思いを馳せながら心を一つにして歌いました。本当に、今回のコンサート程心待ちにしていたコンサートは今までなかったと思います。と同時に、団員の一人一人の思いが一つの方向に一致したコンサートも今までなかったと思います。

今回のコンサートは録音して私たちの合唱団の youtube のチャンネルにアップしています。ご興味のある方はどうぞお聴きください。

Northern Lights Ola Gjeilo – YouTube

Ave Verum Corpus William Byrd 2 – YouTube

Ubi Caritas Ola Gjeilo – YouTube

今回のコンサート以前のものもお聞きになりたい方はこちらからどうぞ。

Coro De Mvsica Antiqva – YouTube

2021年7月21日現在、スペインはCOVID-19の第5波に襲われています。まだワクチン接種を受けていない10代、20代の若者達の感染率が高く、感染力の強い変異株が蔓延しているということもあり、連日2万人以上の感染者が出ていて再び医療関係者の負担が大きくなってきています。

一体いつになったらこの長い長いトンネルから抜け出せるのでしょうか。

まだまだ収束までの道のりは遠いようですが、日常に感謝しつつ前向きに希望を失うことなく一日一日を生きていきたいものです。

レオン(León)へ行こう!(2)―2000年のタイムスリップ

レオン県は、スペイン北西部のガリシア州とアストゥリアス州に隣接する県で、レオン市はその県庁所在地です。2019年のデータになりますが、前年比で22%も観光客が増えている観光発展都市でもあります。新型肺炎コロナウイルスによる影響で、観光業界はスペイン全国大打撃を被っていますが、ポストコロナで自由に旅行ができるようになったら、是非一度は訪れたい街の一つです。実際、市内を歩いていると中世の香り漂う魅力的な街で、食べ物や地元のワインも美味です。

レオン大聖堂(写真:筆者撮影)

2000年の歴史

レオン市の始まりは、約2000年前のローマ時代にまでさかのぼります。68年にガルバ皇帝によって第7ローマ軍団ヘミナ(Legio VII Gemina)として、現在のレオン市内を流れるベルネスガ川とトリオ川の間に陣を構えたのが起源です。「レオン(León)」という名前は、動物のライオン(スペイン語では同じく「レオン(león)」と言います)のことではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきています。

その後は一時期イスラム教徒に占領されますが、アストゥリアス王国のオルドーニョ1世によって奪回され、914年にオルドーニョ2世がアストゥリアス王国のオビエドからレオンに首都を移し、レオン・アストゥリアス王国又はレオン王国となります。しかし、10世紀末にはイスラムの将軍アルマンソールによってレオンの街は壊滅状態になります。その壊滅状態にあったレオンの街を復興し、ローマ時代に造られていた城壁の修復を行い、「良き法典(los Buenos Fueros)」と呼ばれる、スペイン最初の市の法令を公布したのがアルフォンソ5世です。

レオン王国の王 アルフォンソ5世の銅像
「1017年6月30日 王国と市に法令を発布した。1000年を記念して 2017年レオン市」(写真:筆者撮影)

10世紀からレオン王国は、イスラムに対してのレコンキスタ(キリスト教徒によるアラビア人からのスペイン国土回復運動)を先頭に立って行い、スペインの歴史舞台に登場していきます。更に中世においては、サンティアゴ巡礼の道上の街として多くの巡礼者たちが訪れる大いに活気のある街でした。11世紀にはロマネスク建築の「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」が建設されました。

1188年、アルフォンソ9世はヨーロッパ史上初の3つの身分から成る王国会議をサン・イシドロ王立参事会教会にて招集しましたが、これが現在の議会代表制や民主主義システムの原型といわれ、2013年にはレオン市に対して「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」とユネスコが宣言しました。

13世紀にはゴシック様式の大聖堂が造られ、16世紀にはサン・マルコス修道院(Convento de San Marcos)が建設されます。19世紀には、サグラダファミリアの建築家として有名なガウディによるカサ・ボティネス(Casa Botines)が造られました。

現在は1983年に隣接するカスティーリャ地方と合併し、新設された9県から構成されるカスティーリャ・イ・レオン州に含まれています。人口約14万人(レオン市役所オフィシャルウエッブサイト)、1979年にはレオン大学が創設された学生の街でもあります。

べルネスガ川にかかる橋(写真:筆者撮影)

このように、2000年の歴史を持ちロマネスク建築のサン・イシドロ王立参事会教会、ゴシック建築のレオン大聖堂、ルネッサンス建築のサン・マルコス修道院、モデルニズム建築のカサ・ボティネス、現代建築のカスティーリャ・イ・レオン州現代美術館と、様々な様式の建築物が同じレオン市の中にあるので、それぞれの様式を見比べてみるのも一興です。レオン市の旧市街地はあまり大きくないので、ぶらぶらと歩いて周るのにとても楽しい街です。(レオン(León)へいこう! -1- | おいでよ!スペイン (shiroyshishi.com) こちらもご参照ください。)

「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地

前述の1188年にアルフォンソ9世が招集した王国会議とは一体どういうものだったのでしょうか。それは、特権階級である聖職者と貴族、そして非特権階級である主要都市の代表者の3つの身分の人々が王に召集され、それら各々の声が聞き入れられ、投票によって法規又は政令(Decreto)を定めて行ったものです。これは、正しく現在の議会代表制や民主主義に通じるものでした。

他のヨーロッパ諸国では、13世紀に入るまではこのような投票権を持つ一般民衆参加の会議は行われていなかったので、「レオン王国の1188年政令」が「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地と宣言されたというわけです。

この「非特権階級である主要都市の代表者」とはどのような代表者だったのかというと、レオン、サラマンカ、サモーラ、オビエド、アストルガ、トロ、シウダッド・ロドリーゴ、ベナベンテ、レデスマのレオン王国内にある9つの主要都市の中で特権を持たない一般民衆から選出された代表者達でした。貴族や聖職者が自分たちに都合の良い人を民衆の代表者として名指しで選ぶというものではなく、一般民衆自らが自分たちの代表を選ぶという本当の意味での一般民衆の代表者として、自分たちの意見を議会へ持ち込んで反映してくれる人だったのです。

宗教色濃く、貴族、そして聖職者が幅を利かせ、一般民衆には「権利」というものが不在していたヨーロッパの中世時代に、それぞれの都市から選ばれた代表者を王国会議に送り出すことができたこと、そして非特権階級の彼らにも投票権があったことは、驚きに値します。それは、きっと一般民衆の人たちにとっては一筋の光だったと言えるでしょう。それ以前も非特権階級の人たちが会議に参加することはあったようですが、1188年の王国会議では、「革命的(Revolucionaria)」な民衆の代表が王国会議に参加するという新しい状況が確認され、新しい習慣を生み出し、王国の制度的構造に重要な変更をもたらしたのです。

この王国会議(Curia regia)によって議決された政令(Decretos)は、17条から成り、それは王国全体の法による正義と平和を維持するための一連の法規でした。また、アルフォンソ9世の父であるフェルナンド2世がその長い治世の間に惜しみなく行った寄付の多くが取り消される内容も記されていました。気前の良い父のために国庫の財源が空っぽになっていて、アルフォンソ9世は財政を立て直す必要に迫られていました。つまり、1188年王国会議では、法的側面と経済力の向上について議決され、将来の安定のためには王国の社会的平和を確立する必要があったので、人々の生活に影響を与える不安感に終止符を打つ立法政策が求められてもいたのです。そして、そのためには特権階級の聖職者、貴族だけではなく、一般民衆の協力が必要だったのです。

さて、実はこの1188年王国会議で発布されたオリジナル政令の文書は現存しません。しかし、 スペインではカルトゥラリオス(cartularios)と呼ばれる中世の外交文書の写本記録簿をスペイン公文書館・図書館に保存する伝統があり、この1188年の政令(Decretos)も写本し保存されていたことから、その正真性が証明されたということです。(以上、レオン大学のウエッブサイトより)

800年以上も経った後で、まさか写本の保存が「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」と宣言されることに一役買うことになろうとは、当時の人たちは考えも及ばなかったことでしょうが、一国の公的な記録というものは、何時必要になるのか、後世重要性を帯びてくるものなのかは作成当時はわからないので、きちんと記録し保存していかなければならないものだと思いました。

サン・マルティーノ広場(Plaza de San Martino)にあるアルフォンソ9世のブロンズ像(写真:筆者撮影)

レオン市の紋章

後脚で立つ深紅色のライオンが現在のレオン市の紋章です。前述したようにレオン市の名前はライオンの「León」ではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきていますが、ライオンを紋章に用いています。レオン王国ができたころからしばらくは「十字架」の絵が紋章や硬貨に使われていましたが、12世紀に君主アルフォンソ7世によって鋳造した硬貨に初めて動物のライオンの絵が刻印されました。そして、アルフォンソ7世自身のシンボルマークとして使われるようになり、続くレオンの君主フェルナンド2世、アルフォンソ9世もこれに倣いました。レオン王国が使った紋章としてのライオンは、ヨーロッパの中でも最も古いシンボルの一つです。アルフォンソ7世は、軍旗、盾、鎖帷子(くさりかたびら)の上に着た袖無しの上着などにこのライオンの紋章を用いました。(ウィキペディアより)

きっとライオンは強さの象徴だったのでしょう。イギリスやデンマークの紋章にも3頭のライオンがあしらわれています。その他ワシなどがあしらわれていた紋章もありますが、いずれにしても猛々しいですね。猛々しいのとは正反対な、優雅な雰囲気があるフランスのユリの花型の紋章も有名です。

さて、2020年10月にサン・マルセロ広場にお目見えしたのは、なんと下水口から這い出てきているライオンの像!! 300キログラムもあるブロンズ像です。私は、最初見たときに笑ってしまいました。なかなかユーモアがありますよね。レオン王国時代に比べると華々しさを欠いている現在のレオン(ライオン)が、「これから這い上がってくるぞ! これからは俺の時代だ! 」とても言いたそうな勇ましい雰囲気です。今では市民の人気者になっているようで、子供たちが触りに来たり、一緒に写真を撮ったりと、レオンの新しい観光スポットの一つになりました。それにしても、ローマ時代の人たちは、まさか「軍団=レヒオ(Legio)」が「ライオン=レオン(león)」となるなんて、夢にも思わなかったことでしょうね。

大人気の下水口から這い出すライオン(写真:筆者撮影)

情報

・サン・イシドロ王立参事会教会のウエッブサイト。スペイン語の他に英語とフランス語もあります。

Inicio | Museo de San Isidoro – Real Colegiata (museosanisidorodeleon.com)

・カスティーリャ・イ・レオン州の観光案内ウエッブサイト。こちらもスペイン語の他に英語とフランス語もあります。

León – Portal de Turismo de la Junta de Castilla y León (turismocastillayleon.com)

・レオン市内だけではなくレオン県の観光案内。嬉しい日本語版です。

レオン観光協会 – 日西観光協会 Asociación Hispano Japonesa de Turismo (travelinfospain.net)

・ローマ時代の遺跡や当時の生活の様子などが窺えるレオン・ローマ時代博物館:

レオン・ローマ時代博物館-カソーナ・デ・プエルタ・カスティーリャ(CENTRO DE INTERPRETACIÓN DEL LEÓN ROMANO – CASONA DE PUERTA CASTILLO)

住所:プエルタ・カスティーリャ広場 無番地(Plaza Puerta Castillo, s/n.)

郵便番号24003( C.P.: 24003)レオン市( León)

電話番号:987-878 238

開館時間:月~日 10:00~14:00、17:00~20:00

*14時から17時までは昼休憩のため閉館

Centro de Interpretación del León Romano – Casona de Puerta Castillo (León) | Cultura | Junta de Castilla y León (jcyl.es)

・ユネスコが宣言した「議会主義制度発祥の地」に関するもの。スペイン語のみですが、ビデオなどもあります。

Los Decreta de la Curia Regia de León del año 1188 – registro-memoria-unesco | Ministerio de Cultura y Deporte

Los “Decreta” de León de 1188 – El testimonio documental más antiguo del sistema parlamentario europeo | Organización de las Naciones Unidas para la Educación, la Ciencia y la Cultura (unesco.org)

cuna del Parlamentarismo Archives – tULEctura (unileon.es)

¿Por qué León es la cuna del parlamentarismo mundial según la UNESCO? (europapress.es)

サラマンカの隠れスポット-カリスト&メリベアの庭(Huerto de Calixto & Melibea)

石畳の通り、石造りの建物の多いサラマンカの街の中にある「カリスト&メリベアの庭」は気持ちを和ませてくれる憩いのスポットです。ここに入ると季節の花の香りやさまざまな色彩の花たちが暖かく迎えてくれます。暑い夏には、木陰の下でホッと一息つける場所でもあります。

カリスト&メリベアの庭の入口(写真:筆者撮影)

ラ・セレスティーナ(La Celestina)の舞台

この庭の名前になっている「カリスト」と「メリベア」は、15世紀末に出版されたスペインの悲喜劇「ラ・セレスティーナ(La Celestina)」(原題は「カリストとメリベアの悲喜劇」)の主人公です。そしてこの庭がその戯曲の舞台といわれています。この戯曲を書いたフェルナンド・デ・ロハス(Fernando de Rojas)は、サラマンカ大学で法学を学んだと言われ、「ラ・セレスティーナ」の本の中で「アルセディア―ノ通り」の名前が出ていて、サラマンカに実在する「アルセディア―ノ通り」の突き当りにあるこの庭が舞台だろうと言われているわけです。

原題を見るとわかるように主人公はカリストとメリベアでしたが、二人の悲しい恋の仲立ちをした老女セレスティーナがあまりにもやり手婆さんで主人公よりも強烈な登場人物だったので、今では彼女の名前がこの本の題名になっているほどです。

「ラ・セレスティーナ(La Celestina)」はスペインの学校でも必ず勉強する本の一冊で、スペイン人にとってはセルバンテスの「ドン・キホーテ」と同じように知らない人のいないスペイン文学を代表する一冊です。奸智に長けたやり手婆さんのセレスティーナをはじめとするすべての登場人物の性格を鋭く描写し、身分階級に適した言葉使いや表現を駆使して、一人一人をくっきりと浮き彫りにしているところが何といってもこの本の醍醐味だと言えるでしょう。

3月にはプリムラの花が植えられ、眼を楽しませてくれます(写真:筆者撮影)

ラ・セレスティーナ(La Celestina)から生まれた言葉と絵画

このやり手婆さんの名前「セレスティーナ」から、「セレスティーナ(celestina)」という言葉が生まれました。「セレスティーナ(celestina)」の意味は、【売春斡旋業者、売春宿の主人、やり手ばばあ】と手元のスペイン語辞書には出ています。同じスペインの戯曲「セビリアの色事と石の招客」に出てくる「ドン・フアン」が【プレイボーイ、女たらし】の代名詞として知られているように、「セレスティーナ(celestina)」は【男女の仲介をする人、やり手婆さん】などの代名詞として使われるようになりました。

また、スペイン語に llevar (a alguien) al huerto という遠回しな表現があります。これは、性的関係を結ぶという意味です。最初の写真を見て頂くとわかりますが、「カリスト&メリベアの庭」はスペイン語では「Huerto de Calixto y Melibea」で、「Huerto」は本来の意味では「菜園、果樹園、畑」などの意味があります。この「Huerto」にカリストがメリベアを連れて行って逢引きしたという「ラ・セレスティーナ」の本からこの表現は生まれました。

そして「ラ・セレスティーナ」から生まれた絵画と言えば、宮廷画家として活躍したフランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)が描いた「マハとセレスティーナ」とパブロ・ピカソのその名もずばり「ラ・セレスティーナ」です

どちらの作品もいかにもやり手婆さん、一癖も二癖もありそうな感じに描かれていますね。

Francisco de Goya:

             ゴヤの「マハとセレスティーナ」

パブロ・ピカソ、【ラ・セレスティーナ】、希少画集画、新品高級額・額装付、状態良好、送料無料、Pablo Picasso_画像1

    ピカソ 「ラ・セレスティーナ」

こんな「ラ・セレスティーナ」に思いを馳せながら、今では「菜園」ではなく「庭、公園」になっている「カリスト&メリベアの庭」をゆっくり散歩してみてくださいね。

ここからサラマンカ郊外も見渡せ、サラマンカ大聖堂やサン・エステバン修道院なども見れます。

是非、サラマンカに訪れた際はどうぞ。

サン・エステバン修道院。手前は城壁にある塔。(写真:筆者撮影)

カリスト&メリベアの庭 情報

カリスト&メリベアの庭(Huerto de Calixto y Melibea)

開園時間:10時~日没まで

入園料:無料

住所:サラマンカ市アルセディア―ノ通り12番地 郵便番号 37001(C/ Arcediano, 12. Salamanca. 37001 Salamanca)

サラマンカ観光案内所

住所:サラマンカ市マヨール広場32番地 郵便番号 37002 (P/ Mayor, 32. Salamanca. 37002 Salamanca)

電話番号:902 302 002 / 923 218 342

FAX:923 263 409

E-Mail:informacion@turismodesalamanca.com

Webページ:http:/www.salamanca.es

・スペイン演劇の研究・紹介をされている古屋雄一郎氏のウエブページに「ラ・セレスティーナ」について出ています。興味のある方はどうぞ。

theatrum mundi | スペイン文学史上の怪物 (theatrum-mundi.net)

カリスト&メリベアの庭から見える大聖堂(写真:筆者撮影)