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娼婦とピクニック⁈ サラマンカの楽しいお祭り「ルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)」

今日はサラマンカの人にとって特別な日。ルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)と呼ばれるお祭りの日です。このお祭り、現代に生きる私達にはビックリするようなルーツを持つお祭りですが、地元の人達は自分たちの伝統文化に誇りをもって楽しんでいるようです。

サラマンカ大聖堂(写真: 筆者撮影)

イースターの後のお祭り

キリスト教徒の国スペインでは、他のキリスト教徒の国々と同様に復活祭を祝う様々なお祭りがあります。サラマンカのルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)は復活祭の月曜日の次の月曜日に祝われ、一般的には復活祭の翌日の月曜日にお祭りが多いので、ひと呼吸おいてこのお祭りが行われることも特徴の一つかもしれません。

というのも、ひと呼吸おかなければならない理由がこのお祭りの起源にありそうです。

聖週間中には聖母マリアやキリストの受難等を表した山車が街を練り歩きます(写真: 筆者撮影)

フェリペ王子の結婚式

1543年11月12日、16歳だった王子フェリペ2世とポルトガルのマリア・マヌエラ王女はサラマンカの街で結婚することになっていました。サラマンカには、1218年にスペイン最古の大学であるサラマンカ大学が設立され、フェリペ王子の結婚式が行われた16世紀にはスペイン国内のみならず、世界中の学生がサラマンカ大学で勉強していました。当時、サラマンカには8千人以上の学生が住んでいたらしく、同じ時期のマドリードの人口が1万1千人だった(ウィキペディア参照)ことを鑑みると、驚くほど多くの学生たちがこの街に住んでいたようです。

サラマンカ大学ファサード(写真: 筆者撮影)

結婚式の祝賀は14日の夜から19日まで行われ、その間街中で様々なパーティー、お祭り、馬上槍試合、伝統的な両陣営によるトーナメントなどが途切れることなく続きました。淫らな酒場や売春宿などでのお祭り騒ぎに、敬虔かつ厳格な若きフェリペ2世は驚愕します。それもそのはず。サラマンカ大学は、知識の殿堂として、またヨーロッパのキリスト教の光として、神学・哲学・法学の研究を進めていたので、サラマンカは荘厳な街というイメージをフェリペ王子は抱いていたのです。ところが、その荘厳な街サラマンカには別の顔も兼ね備えていました。それは、ありとあらゆる娯楽を無制限にそして無秩序に楽しめるというものでした。

フェリペ2世の勅令

このことがよっぽど衝撃的なものだったのか、フィリッペ2世は、四旬節と聖週間の間、娼婦たちはサラマンカを離れ、対岸にある売春宿に閉じこもらなければならないという勅令を出します。つまり、娼婦たちは1ヶ月以上サラマンカの街から追い出され、学生等の男性たちは復活祭の月曜日の次の月曜日(ルーネス・デ・アグアス)まではジッと我慢していなければならなかったという訳です。そして、ルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)の月曜日には、堰を切ったように娼婦たちはボートで街に戻りました。

貝の家の窓(写真: 筆者撮影)

ルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)のお祭りに欠かせないオルナッソ(Hornazo)

彼女たちの帰還は、学生たちの間でお祭り騒ぎとなり、彼女たちを歓迎するために川までやってきて、酒を飲んだり、サラマンカの特産品であるチョリソやスペインソーセージ、ハムやゆで卵を詰めた人気のオルナッソ(Hornazo)と呼ばれる食べ物を振る舞い、彼女たちの帰還を大いに祝い楽しんだそうです。

これが、ルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)のお祭りのルーツです。

復活祭の翌日の月曜日はまだキリスト復活を祝う宗教的な意味合いの強いお祭りが多かった中、このような宗教的道徳に反するお祭りを祝うにはフィリッペ2世も躊躇したのでしょう。きっと、内心はこのような破廉恥なお祭りは禁止してしまいたかったというのがフィリッペ2世の本音だったと推測されますが、流石にこれほど熱狂的に祝い、民衆から支持されていたお祭りを完全に禁止することは統治をする上でも得策ではないと考えたに違いありません。そのため、せめて復活祭からもう少し時間が経った次の月曜日までのひと呼吸をおくことになったのでしょう。

オルナッソ(Hornazo)(写真: 筆者撮影)

現在のルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)のお祭り

流石に、21世紀の今日ではサラマンカの街から追い出される娼婦もいませんし、娼婦たちとどんちゃん騒ぎをする男性も居ませんが、お祭りは無形文化財としても指定され、復活祭の月曜日の次の月曜日(ルーネス・デ・アグアス)の午後は、サラマンカ中の市民が思い思いにオルナッソ(Hornazo)と呼ばれるチョリソやスペインソーセージ、ハムやゆで卵を詰めたパイ持参で川沿いにてピクニックをしてお祝いしています。生憎お天気に恵まれない時は、ピクニックではなく友人や家族の家に集まってオルナッソ(Hornazo)を食べます。

オルナッソ(Hornazo)の中身は具が詰まっていて食べ応え十分です(写真: 筆者撮影)

ルーネス・デ・アグアス(Lunes de Aguas)の午後は、学校は勿論のこと様々な職場もお店も全て休みとなり、街中には人っ子一人いません。サラマンカの人達は皆、トルメス川沿いの原っぱでオルナッソ(Hornazo)を囲んで家族や友人たちとのピクニックを楽しんでいるからです。

皆さんも来年の復活祭の月曜日の次の月曜日には、是非オルナッソ(Hornazo)持参でトルメス川沿いへ行ってピクニックを楽しんでみませんか。

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