ハラミージョ・デ・ラ・フエンテという村に着き、聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora-ラ・アスンシオン・デ・ヌエストラ・セニョーラ教会)を見たとき、青い空と前庭の緑の芝生、そして太陽の光を浴びた黄金色の石と赤い屋根がとても素敵な色のコントラストをなしていて目を奪われた。とても調和のとれた美しいロマネスク様式の教会だ。
ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村の聖母被昇天教会に関する最古の記録は982年まで遡り、このブログでも紹介したことのあるサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)の管轄範囲にあったことが、約100年後の1119年にウラカ女王自らが確認している。(https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_JARAMILLO_DE_LA_FUENTE.pdf より)
サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)について興味のある方はこちらをどうぞ。
約1000年の時を経た1991年に、スペインの文化財として歴史的・芸術的モニュメント(Bien de Interés Cultural)に指定された。この辺りには、ブルゴス地方にあるシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)と呼ばれる山脈全地域に存在していた「山の学校 (Escuela serrana)」と呼ばれたロマネスク建築群があるが、その中でもハラミーリョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会は、特に気品があり興味深いロマネスク建築の一例として知られている。
この「7つ」のアーチの数字の「7」には、初期キリスト教における7つの主要教会として、新約聖書ヨハネの黙示録の中で言及されている教会(エフェソス、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオディキア)を指し、完全な数を表している。(「Rutas Romanicas en Castilla y León/2 (provincia de Burgos) (カスティージャ・イ・レオン州のロマネスク・ルート 2 ブルゴス県編)」Luis María de Lojendio(ルイス・マリア・デ・ロヘンディオ)著, Abundio Rodriguez(アブンディオ・ロドリゲス)著、 Ediciones Encuentro, S.A. (エンクエントロ出版社) より参照)
「7」という数字には、キリスト教の中で「完全、完璧に終わる」という意味が込められている。神はこの世界を「7日」で創造した(「7日」で完成した)。キリスト教には、洗礼、聖体、堅信、告解、病者の塗油、叙階、婚姻と呼ばれる「7つ」の秘跡がある。これらの「7」の数字のシンボルとして「完成、完全」などの意味を含んでいるのである。(「Iconografía y Simbolismo Románico (ロマネスクの図像とシンボリズム)」より。David de la Garma Ramírez (ダビッド・デ・ラ・ガルマ・ラミレス)著、Arteguias(アルテギアス)発行)
角形の鐘楼は3層から成る。下から2層目と3層目に半円形の大きなアーチがあり、そのアーチの中に同じようには半円形の小さな双子型のアーチがある。このタイプの鐘楼はハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村のこの教会だけではなく、近隣の町のいくつかの教会でも繰り返し用いられているタイプの鐘楼である。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )
後陣またはアプス(El ábside)
愛嬌のある生き物たちや神話の生き物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)
後陣またはアプス(ábside)と呼ばれる部分の中央には、細長い採光窓がある。上の写真で見てもらえるが、半円形のアーチの右上には四足を持つ動物と左上には鳥が描かれていて、二つとも愛嬌のある姿である。また、2本の柱頭には、素人目にもはっきりと、ハイピュイア(女面鳥身の伝説上の生物)とグリフォン(鷲の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物)の姿を確認することができる。質の高い出来と石材が周りの部分と異なることから、この教会の聖堂や身廊の他の部分を手がけていた工房とは別の工房で作られたと思われる。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )
ここで紹介したハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。
サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、セノビオ(cenobio)と呼ばれる共住苦行者たち(初期修道士たち)が作った修道院を受け継いだものだが、修道院自体は紀元850年まで遡る。現在の教会は12世紀前半に造られ、12世紀といえばロマネスク様式の絶頂期であった。このサン・ペドロ・デ・テハダ教会はこの地方特有のロマネスク様式の特徴を併せ持つ、最も完全で保存状態の良いロマネスク様式の教会の一つだ。他のロマネスク様式の教会によくみられる時代ごとの改修などもなく、12世紀そのままの姿を21世紀に生きる私たちの目の前に現してくれている。ちなみに、原型となった修道院は今は全く存在せず、教会のみが残っている。しかし、この修道院は当時この地方で重要な役割を果たし、サン・ペドロ・デ・テハダ修道院の修道士たちの中から、同じ今のブルゴス県にあるオーニャという町に1011年に設立され19世紀まで続いたたベネディクト会のサン・サルバドール・デ・オーニャ修道院 (Monasterio de San Salvador de Oña)の設立者たちがでたという記録が残っている。
サン・ペドロ・デ・テハダ教会は唯一の身廊が3つの部分を成していて、翼のない公差部(crucero sin alas)の上に二層からなる塔が建造され、突き当りに祭壇がある半円形の後陣(ábside)がある。祭壇の壁部分に5つのアーチと柱頭(capitel)がある柱がある。その5つのアーチのうち真ん中のアーチの上には窓がある。現在はミサ等の宗教的な儀式は行われていないので、十字架や聖人の像などもなく至ってシンプルだ。
しかし、祭壇部分に入るアーチ(arco de triunfo)の柱頭部分を見上げると、その細かな彫刻に目を引かれる。4人の聖人と5人の聖人から構成された図柄で、5人の聖人たちはテーブルに集い宴のためのグラスを用意しているかのようだ。4人の聖人の方はそれぞれ手にグラスを持ち、まるで誰かに差し出しているかのようだ。そして、それらの緻密な彫刻の上の部分には市松模様(ajedrezado)で飾られている。この聖人たちの彫刻は、カスティーリャ地方のロマネスク様式の彫刻の中でも最も素晴らしい彫刻の一つだということだった。内部の写真撮影は許されなかったので、教会内部やこの素晴らしい彫刻の写真がなく、紹介できないのは残念だ。
スペインのアルテギアス(Arteguias)というロマネスクやゴシックのウエッブガイド (Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com))によると、この教会のシュヴェ(cabecera)にはいくつかの特異な点が指摘されている。そのひとつが、床から始まって1本の柱が続くダブルコラムの採用。これは、アストゥリアス建築(サンタ・マリア・デル・ナランコ、サンタ・クリスティーナ・デ・レナ)や、12~13世紀のスペイン国内でのシトー派修道院に数多く見られるもので、年代的に離れた時代に見られるスペイン中世建築の特殊性であるらしい。
修道院総会会議室(Sala capitular)とは、大修道院長が毎日修道士たちを集めて話をした場所である。12世紀にロマネスク様式で造られ、13世紀、17世紀、19世紀に改築されている。修道院総会会議室は二層構造で、下層階は12世紀前半に、上層階はその数十年後に建てられた。ロマネスク様式の柱を使ったアーチが残っている。更に13世紀半ばには、壁に頭がワシで体に羽のあるライオンや想像上の動物であるドラゴンの絵が施されたが、前述の通り修道院以外の場所に散在している。(こちらのサイトに、写真がでている。Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com)
楽しみにしていたサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) へ向かった。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院は、ヨーロッパ最古の音楽と言われる「グレゴリオ聖歌」を今も修道士たちがミサや祈りの時間の中で歌い続けていることで有名だ。日本でもCDが売られているので聴いたことがある人も多いと思う。
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の建設期間は約200年かかったが、この「受胎告知と聖母戴冠(Anunciación y Coronación de la Virgen)」は建設完了時期12世紀末に造られたものだ。 12世紀末といえばゴシック様式初期に当たり、この浅浮き彫りにもゴシック様式である自然的で人間的な表現の萌芽が見られる。大天使ガブリエルと聖母マリアの二人のまなざしはまるで知り合い同士のようで、心なしか口元にはかすかに笑みを浮かべているように見える。と同時に、聖母マリアの堂々として自然な雰囲気が漂っている。聖母マリアの左手に持っている布は何か意味があるのか気になるところ。
感情を押し隠し、豊かな表情に欠けると言われるロマネスク様式の中で、「エマオへの道(Camino de Emaús)」の場面の3人の表情はとても豊かだ。歩きながら話す3人の動きも見て取れる。3人で信仰の話等に花が咲き、イエスとは気づかない弟子たちがこの”見知らぬイエス”との道中を楽しんでいる様子がうかがえる。
キリストの昇天(Ascensión del Señor)と同様にピラミッド型構図で、下から6人の弟子、その上に別の6人の弟子、そして頭一個分上にマリアが描かれ、更にその上には左右に天使、そして頂点に神の手が雲から出てきている。皆、神の手である精霊を見上げる劇的な構図である。尚、 キリストの昇天(Ascensión del Señor)と異なりマリアが使徒たちよりちょっと上に描かれているのは、神と人との仲介者としてのマリアという意味付けで中間に位置しているものである。
30メートルもあるこの糸杉は、樹齢130年を超える。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のシンボルともいえる。昔、天と地をつなげるものとして糸杉は捉えられていた。そして、天に向かって伸びる糸杉とまるで地球の中心と繋がるように地下深く掘られている井戸は、ロマネスク様式の中では世界軸(Axis mundi)を構成するものとして位置づけられ、天上の世界を希求する象徴的なものだった。(参照:「Iconografía y Simbolismo Románico」Devid de la Garma Ramírez著)また、永遠かつ超越した神の愛のシンボルでもある。天を目指してまっすぐに伸びていく糸杉に、修道士たちの信仰や希望を感じた。
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊の細部を詳細に見ていくにつれて、芸術や建築ががいかに人間の心の琴線に触れることのできるものなのかを、実際に体験できる。ロマネスク様式における回廊が持つ象徴的な意味は、「地上の楽園」である。それは、神と接近し、神を迎え入れる特別な場所であった(参照:「Iconografía y Simbolismo Románico」Devid de la Garma Ramírez著)。修道士や巡礼者たちは、この静かな空間の中で祈り、神と出会い、信仰を深めていったのだろう。
参考
ここで紹介した サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の柱頭(写真:アルベルト・F・メダルデ)
サント・ドミンゴ・デ・シロス(Santo Domingo de Silos)からピネダ・デ・ラ・シエラ(Pineda de la Sierra)まで
第1日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。7ヶ所のロマネスク建築を見ることができた。
・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の回廊(写真:アルベルト・F・メダルデ)
11世紀から12世紀末に造られたロマネスク回廊の傑作。長方形の回廊には、北側と南側に16のアーチが、東側と西側に14のアーチがある。回廊の角にある浅浮き彫りの中でも、大天使ガブリエルによる「聖母マリアへの受胎告知(La anunciación a María)」は特に名作として有名。これは12世紀末のものだ。また、「エッサイの木(El árbol de Jesé)」と呼ばれるイエス・キリストの祖先の芸術の描写も逸品。ロマネスク建築にあまり興味のない人でも、この回廊の素晴らしさには心打たれるものがある。また、ここの修道士達が歌うヨーロッパ音楽最古と呼ばれるグレゴリオ聖歌は有名で、日本でもCDが売られているので、聞いたことがある人もいるだろう。
・大天使サン・ミゲル・デ・バルデノセダ教会(Iglesia de San Miguel Arcángel de Valdenoceda)
大天使サン・ミゲル・デ・バルデノセダ教会(Iglesia de San Miguel Arcángel de Valdenoceda) (写真:アルベルト・F・メダルデ)
前述のサン・ニコラス・デ・エル・アルミニェ教会 (Iglesia de San Nicolás de El Almiñé) とサン・ペドロ・デ・テハダ修道院 (San Pedro de Tejada)と共にバルディエルソ盆地にあるロマネスク様式の教会の一つ。 テハダ村のサン・ペドロ教会の模倣が見られ、この地方特有の「ウシ―ジャ(Usilla)」と呼ばれる塔に上るための円柱形の螺旋階段があり、翼のあるライオン(マルコ)、天使(マタイ)の姿が見える。これは、テトラモルフォと呼ばれる新約聖書の4福音書記者を象徴するもので、鷲(ヨハネ)と雄牛(ルカ)は失われていた。
・アエダ・デル・ブトロンの聖母の被昇天教会 (Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción de Ahedo del Butrón)
アエダ・デル・ブトロンの聖母の被昇天教会 (Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción de Ahedo del Butrón) (写真:アルベルト・F・メダルデ)
細い田舎道を車でしばらく走っていくとようやくこのアエダ・デル・ブトロン村に着いた。12世紀に造られたロマネスク様式部分は玄関部分のみで、その他は16世紀に改築されたルネッサンス様式の教会である。しかし、タンパンに彫られた東方三博士の礼拝 (Adoración de los Magos)は、必見の価値あり。
・サン・ペド・イ・サン・パブロ・デ・グレディージョ・デ・セダノ教会 ( Iglesia de San Pedro y San Pablo de Gredillo de Sedano)
サン・ペド・イ・サン・パブロ・デ・グレディージョ・デ・セダノ教会 ( Iglesia de San Pedro y San Pablo de Gredillo de Sedano) (写真:アルベルト・F・メダルデ)
12世紀末に建築されたろロマネスク様式。タンパンには、聖母戴冠 (Coronación de la Virgen)の浅浮き彫りがあるが、残念ながらマリアの頭部は後から取って付けたようで違和感を覚えた。しかし、神々しいマリアの隣で、まるで自分は関係ない者のようにうとうととしているヨセフの姿は印象的だった。
・サン・ペドロ・デ・ミニョン・デ・サンティバニェス教会 (Iglesia de San Pedro de Miñon de Santibáñez)
サン・ペドロ・デ・ミニョン・デ・サンティバニェス教会 (Iglesia de San Pedro de Miñon de Santibáñez)
まずマヨール広場から出発です。 マヨール広場の時計台がある市役所を背にして左側にあるスクエアーからマヨール広場を出ると、左側に「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」 があります。ここから左手に曲がりセラドーレス通り(Calle Serradores)を大聖堂に向かって歩いていきます。この道沿いには後述するクーボス通り(Avenida de los Cubos) と同じように城壁の円柱形の小塔(Cubo)と小塔の間に家が建っている面白い通りです。
「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」マヨール広場からすぐ 「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」 から大聖堂へ。左側にある円柱形の小塔と小塔の間には家が !
さて、ローマ時代の遺跡テルマエを見たら階段を下りて大聖堂からすぐ左に曲がり、クーボス通り(Avenida de los Cubos)に入り歩いていきます。この「小塔の城壁 (muralla de cubos) 」は、3世紀から4世紀初めにかけて造られたもので、建設当初に造られた約半数に当たる36の小塔が今日まで残存しています。この小塔は、高半円式で直径が約8メートル、高さは約10メートル、城壁自体は約5メートルの厚みがあります。
クーボス通り(Avenida de los Cubos) 奥にレオン大聖堂が見える
そのままクーボス通りをまっすぐ道なりに歩いていくと、左手に曲がっていきます。城壁が続いていますが、左手に門が見えてきます。これがアルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel)またはカスティージョ 門(Puerta Castillo )です。ローマ時代には、東にオビスポ門(Puerta Obispo )、西にカウリエンセ門(Puerta Cauriense )、南にアルコ・デル・レイ門(Puerta del Arco del Rey )、そして北にこのカスティー ジョ 門 (Puerta Castillo)がありましたが、今日ではその当時の姿が見れる門は残念ながら北門のみです。
アルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel) またはカスティーリョ門(Puerta Castillo)
この門から城壁内には入らずに、そのまま城壁に沿ってラモン・イ・カハル通り(Calle de Ramón y Cajal) を歩いていき、突き当りを左側に曲がります。少し歩くとサン・イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)の後ろに着きます。
このように「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」と呼ばれるマヨール広場の後側にある塔から「カスティージョ門( Puerta Castillo )」または 「アルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel)」、そして 「 サン・イシドロ王立参事会教会の塔(Torre de la Basílica de San Isidoro )」までローマ時代の小塔を含む城壁が規則正しく残存しています。
さて、サン・イシドロ王立参事会教会まできたら城壁巡りはここまでにして、ここからはルイス・デ・サラサール通り(Calle de Ruíz de Zarazar)に入り、コーヒータイム。
ルイス・デ・サラサール通り(Calle de Ruíz de Zarazar) 奥左側はグスマン宮殿(Palacio de los Gusmanes)、右側はガウディ建築のカサ・デ・ロス・ボティネ(Casa de los Botines)
ルイス・デ・サラサール通りには、私のお気に入りのカフェ書店 「トゥラ・バロナ(Tula Varona)」 があります。お茶もできますが、本屋さんでもあります。古本が主で、スペイン語だけではなく英語の本も置いてあります。本好きな弁護士である女主人の夢を体現した本屋さんで、2020年にオープンしました。店内は本に囲まれゆったりした気分でお茶が楽しめます。店の外でもコーヒーが飲めるので、コロナの今は安心ですね。コーヒーを飲みながら、ガウディ建築の カサ・デ・ロス・ボティネス(Casa de los Botines) が見えるのも嬉しいです。
お店の外でもお茶できますお店の中はこんな感じです
このほか、この城壁巡りコース途中のクーボス通りにある、ミッシェラン1つ星のレストラン「パブロ(Pablo)」はお昼ご飯にお薦めです。テイスティングメニュー(Menú de degustación)とそのメニューに合うマッチングワイン(Maridaje)がありますが、テイスティングメニューは10種類以上の小ぶりな料理がでてきて、次にどんな料理が出てくるのかというサプライズと見た目にも美しい創作料理は、食事時間が楽しいものになること間違いなし! また、ふんだんに地元の食材を使った料理や郷土料理もしっかり含まれていて、旅行者にも嬉しいメニューです。お勧めの数種類のパンは全種類美味しい! 是非、全種類を食べ比べてみてください。ちなみにお値段の方は、2021年8月現在で、 テイスティングメニュー(Menú de degustación) が65ユーロ、 マッチングワイン(Maridaje)が35ユーロです。(ともに税込料金)
カスティーリャ・イ・レオン州のサモーラ県にある自然保護区で、ラムサール条約登録地でもある、「ビジャファフィラ・ラグーン(Lagunas de Villafafila)」に行ってきました。ここは、地球上にいる飛べる鳥類としては世界一大きな鳥「ノガン(Avutarda)」が生息していることで有名で、ヨーロッパ中のバードウォッチャーがやってきます。
レオン市の始まりは、約2000年前のローマ時代にまでさかのぼります。68年にガルバ皇帝によって第7ローマ軍団ヘミナ(Legio VII Gemina)として、現在のレオン市内を流れるベルネスガ川とトリオ川の間に陣を構えたのが起源です。「レオン(León)」という名前は、動物のライオン(スペイン語では同じく「レオン(león)」と言います)のことではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきています。
その後は一時期イスラム教徒に占領されますが、アストゥリアス王国のオルドーニョ1世によって奪回され、914年にオルドーニョ2世がアストゥリアス王国のオビエドからレオンに首都を移し、レオン・アストゥリアス王国又はレオン王国となります。しかし、10世紀末にはイスラムの将軍アルマンソールによってレオンの街は壊滅状態になります。その壊滅状態にあったレオンの街を復興し、ローマ時代に造られていた城壁の修復を行い、「良き法典(los Buenos Fueros)」と呼ばれる、スペイン最初の市の法令を公布したのがアルフォンソ5世です。
10世紀からレオン王国は、イスラムに対してのレコンキスタ(キリスト教徒によるアラビア人からのスペイン国土回復運動)を先頭に立って行い、スペインの歴史舞台に登場していきます。更に中世においては、サンティアゴ巡礼の道上の街として多くの巡礼者たちが訪れる大いに活気のある街でした。11世紀にはロマネスク建築の「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」が建設されました。
ドゥエロ川はスペイン国内で3番目に長い川で、カスティーリャ・イ・レオン州ソリア県にあるピコス・デ・ウルビオン(Picos de Urbión)を水源地とし、全長約897km、そのうち213kmはポルトガルを流れています。ポルトーワインで有名なポルトーを流れる川でもあり、大西洋に流れ込んでいます。ドゥエロ川が流れるスペインとポルトガルの国境地帯がロス・アリーベス(Los arribes)と呼ばれる地帯です。ここはカスティーリャ・イ・レオン地方の中でも比較的低いところにあるため、気候も温暖です。3月14日に行ってきましたが、ミモザの花も終わり、場所によってはアマポーラの花が咲いていたのでびっくりしました。同じサラマンカ県とはいえ、サラマンカ市内ではアマポーラの花は4月から5月にかけて咲く花です。1ヶ月くらい早いですね。今回は、ドゥエロ・ロス・アリーベス自然公園内にあるバードウォッチングスポットを紹介します。
バードウォッチャーにとっても、あまりバードウォッチングに興味のない人にとっても、お薦めの野鳥観察スポットは、ピコン・デ・フェリペ展望台(Mirador del Picón de Felipe)とフライレ展望台(Mirador del Fraile)です。かなりの数のシロエリハゲワシ(Buitre Leonado)が、切り立った断崖を背にして飛び交ったり、私たちの頭上または眼下で飛び交う姿は、鳥に興味がない人にとっても忘れられない思い出になること間違いなしです。なんせ、普通シロエリハゲワシを見ることができても遠い空のかなたを飛んでいる鳥なので、ここの展望台から見れるようにすぐ目の前でそれも眼下に見れる場所はそうそうないからです。今回は日が暮れる前の6時から7時(3月14日はまだスペインでは冬時間です)にかけて見に行きましたが、30~40羽のシロエリハゲワシ(Buitre Leonado)がどこからともなく現れて空を飛んでいました。この時間帯には風の流れに乗って飛べるため、本当に沢山のシロエリハゲワシが悠々と飛び交い、なかなか見れない光景でした。肉眼でもシロエリハゲワシの顔や翼の模様まで見えて、訪れていた家族連れなどから感嘆の声があがっていました。バードウォッチャーやシロエリハゲワシの写真を撮りたい方には絶好のスポットです。
フライレ展望台は車で近くまで行くことができますが、ピコン・デ・フェリペ展望台へは、駐車場から1km以上歩いたところにあります。途中歩きにくいところもあるので、できれば歩きやすい靴を履いていくことをお薦めします。ここからは雄大なドゥエロ川とスペイン領、ポルトガル領が見渡せます。また、1960年代にスペインとポルトガル両国共同で造られたアルデアダビラダム(Presa de Aldeadávila)があり、両国の技術の粋を尽くして建設したダムのある風景も一見の価値があります。車がないと行くのは難しいですが、レンタカーでスペインを旅行される場合は、是非足を延ばして頂きたい場所の一つです。勿論、バードウォッチングするにはとてもお薦めスポットです。