ロマネスクへのいざない (8)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(5) – ハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)

ハラミーリョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教は、調和のとれた気品あるロマネスク建築の一例だ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ハラミージョ・デ・ラ・フエンテという村に着き、聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora-ラ・アスンシオン・デ・ヌエストラ・セニョーラ教会)を見たとき、青い空と前庭の緑の芝生、そして太陽の光を浴びた黄金色の石と赤い屋根がとても素敵な色のコントラストをなしていて目を奪われた。とても調和のとれた美しいロマネスク様式の教会だ。

ちょうどスペインではお食事時間の午後2時半ごろに着いたので、殆ど村には人がいなかったが、一人おじいさんが教会の前を通ったので、「教会には入れますか?」と尋ねると、「あー、今は昼ご飯の時間なので4時以降だったら教会の近くに住む神父に頼めるよ。」と教えてくれた。そして、教会を見上げながら、「わしらの教会はとっても美しいだろう?」と誇らしげに言っていたのが印象的だった。こんな小さな村に、ロマネスク様式の宝物のような教会があることに本当に驚きを感じた。

スペインの文化財

ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村の聖母被昇天教会に関する最古の記録は982年まで遡り、このブログでも紹介したことのあるサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)の管轄範囲にあったことが、約100年後の1119年にウラカ女王自らが確認している。(https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_JARAMILLO_DE_LA_FUENTE.pdf より)

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Alranza)について興味のある方はこちらをどうぞ。

約1000年の時を経た1991年に、スペインの文化財として歴史的・芸術的モニュメント(Bien de Interés Cultural)に指定された。この辺りには、ブルゴス地方にあるシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)と呼ばれる山脈全地域に存在していた「山の学校 (Escuela serrana)」と呼ばれたロマネスク建築群があるが、その中でもハラミーリョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会は、特に気品があり興味深いロマネスク建築の一例として知られている。

裏側に回って見る鐘楼(写真:アルベルト・F・メダルデ)

柱廊玄関(La galería porticada)

ガレリア・ポルティカーダ(Galería porticada)と呼ばれる柱廊のある玄関は、計7つの半円形アーチで構成され、左側(東側)は2つのアーチ、右側(西側)には4つのアーチがあり、左右対称ではないが不思議ととても調和がとれている。

ガレリア・ポルティカーダ(Galería porticada)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

この「7つ」のアーチの数字の「7」には、初期キリスト教における7つの主要教会として、新約聖書ヨハネの黙示録の中で言及されている教会(エフェソス、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオディキア)を指し、完全な数を表している。(「Rutas Romanicas en Castilla y León/2 (provincia de Burgos) (カスティージャ・イ・レオン州のロマネスク・ルート 2 ブルゴス県編)」Luis María de Lojendio(ルイス・マリア・デ・ロヘンディオ)著, Abundio Rodriguez(アブンディオ・ロドリゲス)著、 Ediciones Encuentro, S.A. (エンクエントロ出版社) より参照)

「7」という数字には、キリスト教の中で「完全、完璧に終わる」という意味が込められている。神はこの世界を「7日」で創造した(「7日」で完成した)。キリスト教には、洗礼、聖体、堅信、告解、病者の塗油、叙階、婚姻と呼ばれる「7つ」の秘跡がある。これらの「7」の数字のシンボルとして「完成、完全」などの意味を含んでいるのである。(「Iconografía y Simbolismo Románico (ロマネスクの図像とシンボリズム)」より。David de la Garma Ramírez (ダビッド・デ・ラ・ガルマ・ラミレス)著、Arteguias(アルテギアス)発行)

これら7つの各アーチには2本の柱がそれぞれあり、その柱頭には興味深い彫り物が施されている。いくつか見てみよう。

教会に向かって左側(東側)には、まるで2つの肖像画のように頭部が描かれているが、一つは巻き毛の人、もう一つは怪物のような顔が見える

二つの頭部の髪の毛部分の細かな彫りに注目(写真:アルベルト・F・メダルデ)

次の柱頭には、ギリシャ神話に出てくるお馴染みのケンタウロス(半人半獣の種族)とハイピュイア(女面鳥身の生物)が見える。

ケンタウロス(半人半獣の種族)とハイピュイア(女面鳥身の伝説の生物)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

右側(西側)のアーチに目を向けると、王と王妃の頭が見える。王の顎髭のカールした描写や王妃の冠の細かい模様は素晴らしい

王と王妃の頭(写真:アルベルト・F・メダルデ)

その隣の柱頭には、図案化された植物の模様が見られる。

図案化された植物(写真:アルベルト・F・メダルデ)

鐘楼(La torre)

3層から成る鐘楼(写真:アルベルト・F・メダルデ)

角形の鐘楼は3層から成る。下から2層目と3層目に半円形の大きなアーチがあり、そのアーチの中に同じようには半円形の小さな双子型のアーチがある。このタイプの鐘楼はハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村のこの教会だけではなく、近隣の町のいくつかの教会でも繰り返し用いられているタイプの鐘楼である。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )

後陣またはアプス(El ábside)

愛嬌のある生き物たちや神話の生き物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)

後陣またはアプス(ábside)と呼ばれる部分の中央には、細長い採光窓がある。上の写真で見てもらえるが、半円形のアーチの右上には四足を持つ動物と左上には鳥が描かれていて、二つとも愛嬌のある姿である。また、2本の柱頭には、素人目にもはっきりと、ハイピュイア(女面鳥身の伝説上の生物)とグリフォン(鷲の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物)の姿を確認することができる。質の高い出来と石材が周りの部分と異なることから、この教会の聖堂や身廊の他の部分を手がけていた工房とは別の工房で作られたと思われる。(Arteguiaのウエブサイト「Iglesia de Jaramillo de la Fuente 」より )

見れば見るほど面白いモチーフ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

後陣またはアプス(ábside)の装飾には、ヤギ、熊等の動物や、読書する僧、天を見上げる二人の男性、アクロバット(?)をする男性または恥部を露出している(?)男性等、好奇心を掻き立てられるモチーフがある。

出入口(La puerta

教会の出入口(写真:アルベルト・F・メダルデ)

柱廊玄関(La galería porticada)を入ると、教会への出入口がある。柱廊玄関(La galería porticada)の庇によって雨風等から守られたためか12世紀の教会としては保存状態が良く、多彩色で装飾された痕跡も見て取られる。そして、5つの半円形のアーチボルト、左右2本ずつ丸い柱とその上に柱頭があり、柱頭には下の写真のように興味深い装飾が施されている。

向かって左側から見てみよう。二股に分かれた尾鰭を持つ人魚。次は、両手を膝の上に合わせて両側からライオンに襲われている人。右側の柱では、旧約聖書の士師記の中で語られる怪力の持ち主サムソンを題材とした「ライオンと戦うサムソン」。そして、最も右側にある柱頭には、後脚で立つライオンが描かれている。

ロマネスクによくみられる二股に分かれた尾鰭を持つ人魚(写真:アルベルト・F・メダルデ)
両肩をライオンから嚙みつかれている人(写真:アルベルト・F・メダルデ)
ロマネスク彫刻に特に好まれて描かれたライオンと戦うサムソン(写真:アルベルト・F・メダルデ)
後脚で立つライオン(写真:アルベルト・F・メダルデ)

最後に

今回は、時間の都合で教会の中に入ることはできなかったので、帰ってきてこの教会の内部についても調べてみたが、ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ村の聖母被昇天教会の見どころは外観にあることが分かった。

こちらの動画に教会の中が少し見える。教会内部は、後期ゴシック様式だという。

それにしても、ロマネスク建築の装飾のモチーフは面白く、飽きさせない。旧約聖書に出てくる場面を装飾にしたものは、識字率が極端に低かった当時、教会へ訪れる信者たちへビジュアルで理解を助けていただろうということはよくわかるが、何故、アクロバットだの、ライオンから嚙まれている人だのが教会の出入り口などのモチーフに使われたのか理解に苦しむ。と同時に、だからロマネスクの教会を訪れるのはとても楽しく、笑ってしまうモチーフ探しをやめられない

別の機会に、ロマネスク装飾のモチーフについても紹介しよう。

参考

ここで紹介したハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_JARAMILLO_DE_LA_FUENTE.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/jaramillofuente.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

ロマネスクへのいざない (7)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (4)– サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)

正面からみたサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada) / 写真:筆者撮影

ロマネスク様式の絶頂期に造られたサン・ペドロ・デ・テハダ教会

カスティージャ・イ・レオン州のブルゴスから北へ車で約1時間程に行くと、スペインで2番目に長く大きな河川であるエブロ川流域の村にこのサン・ペドロ・デ・テハダ教会はある。静寂に包まれているサン・ペドロ・デ・テハダ教会は、周囲の景色と溶け込んでまるで今にも修道士たちが教会から出てくるような錯覚に陥らせてくれる。

車は教会の下方にある村に停めてなだらかな坂を上っていくと、すらりとしたサン・ペドロ・デ・テハダ教会の姿が現れる。ロマネスク様式によくみられるずんぐりとした雰囲気はない。伸びた鐘楼部分と入口の三角の屋根は神の国を目指しているような印象を与える。

教会の敷地の前にある柵の前で、事前に電話予約していた管理人の方が鍵をもって待っていて下さった。

横から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、セノビオ(cenobio)と呼ばれる共住苦行者たち(初期修道士たち)が作った修道院を受け継いだものだが、修道院自体は紀元850年まで遡る。現在の教会は12世紀前半に造られ、12世紀といえばロマネスク様式の絶頂期であった。このサン・ペドロ・デ・テハダ教会はこの地方特有のロマネスク様式の特徴を併せ持つ、最も完全で保存状態の良いロマネスク様式の教会の一つだ。他のロマネスク様式の教会によくみられる時代ごとの改修などもなく、12世紀そのままの姿を21世紀に生きる私たちの目の前に現してくれている。ちなみに、原型となった修道院は今は全く存在せず、教会のみが残っている。しかし、この修道院は当時この地方で重要な役割を果たし、サン・ペドロ・デ・テハダ修道院の修道士たちの中から、同じ今のブルゴス県にあるオーニャという町に1011年に設立され19世紀まで続いたたベネディクト会のサン・サルバドール・デ・オーニャ修道院 (Monasterio de San Salvador de Oña)の設立者たちがでたという記録が残っている。

教会の入口(Portada)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口には、特徴のある刳(く)り型彫刻や飾り持ち送りが見られる。スペイン語ではモディジョン(modillón)またはカネシージョ(canecillo)と呼ばれる8つの飾り持ち送りがあり、左右両側の二つは羽のあるマタイ(Mateo)、マルコ(Marcos)、ルカ(Lucas)、ヨハネ(Juan)の4人の姿が表してある。この4人は、福音書を書いた4人である。そして、残りの四つはテトラモルフ(tetramorfo)と呼ばれるこの4人の福音記者を象徴する形象が施してある福音記者4人とテトラモルフによる福音記者4人の形象が同じところにあるのは珍しいということだった。ちなみに、左から鷲の姿をしたヨハネ、雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイである。飾り持ち送りの真ん中には、上昇するキリストの姿が見て取れ、キリストの昇天を表している

8つの飾り持ち送りの下には左右両側に刳(く)り型彫刻が見えるが、キリストの12人の弟子が6名づつ彫られている幾人かの弟子は両手を上に広げた姿をしており、これは「オランス(=祈る人)」の姿勢と呼ばれるものであり、ここでは弟子たちがキリストに対する期待、望みなどを表しているのだという

更に、両端の刳(く)り型彫刻の下には、キリストの「最後の晩餐」と「人間の上にライオンが押し乗っている姿」が表してあるが、これについては未だにその解釈ははっきりされていないとのことだった。

上段:福音記者の2人(右端と右から2番目)とテトラモルフで左から雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイ 
ルカとマルコの間に両手を広げたキリストの姿が見える
中段 :キリストの12人の弟子のうちの6人 
下段:人間の上にライオンが押し乗っている姿 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

石材と飾り持ち送りのモチーフ

サン・ペドロ・デ・テハダ教会に使われた石は、下層部分は石灰岩(piedra de caliza)で上層部は凝灰岩(piedra de toba)である。凝灰岩は石材としては軽いもので、まだ建築技術が発達していなかったロマネスク時代において負担を軽くするためにこの石材が選ばれたという。

ユーモラスな動物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)

さて、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口だけではなく、教会の側面部分や鐘楼部分にも飾り持ち送りが施されている。その一つ一つを見ていくと、笑いを誘うものや不思議なもの、楽器を弾く人やもしかしたらこの教会に携わったのかもしれないと想像させられる石工の姿、ユニークな動物たちや扇情的な人物像等々、実に様々な飾り持ち送りが施されていて、見ていて飽きない

人を踏みつけている悪魔?楽器を弾く人等(写真:アルベルト・F・メダルデ)
聖職者、淑女またはシスターの隣には陰部を見せる男女が!(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部

管理人の方に案内され、教会の内部へと足を入れると想像以上に広く高く感じた。塔部分は17メートルあるということで、現代の建物でいえば5階建てというところだろうか。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は唯一の身廊が3つの部分を成していて、翼のない公差部(crucero sin alas)の上に二層からなる塔が建造され、突き当りに祭壇がある半円形の後陣(ábside)がある。祭壇の壁部分に5つのアーチと柱頭(capitel)がある柱がある。その5つのアーチのうち真ん中のアーチの上には窓がある。現在はミサ等の宗教的な儀式は行われていないので、十字架や聖人の像などもなく至ってシンプルだ。

しかし、祭壇部分に入るアーチ(arco de triunfo)の柱頭部分を見上げると、その細かな彫刻に目を引かれる。4人の聖人と5人の聖人から構成された図柄で、5人の聖人たちはテーブルに集い宴のためのグラスを用意しているかのようだ。4人の聖人の方はそれぞれ手にグラスを持ち、まるで誰かに差し出しているかのようだ。そして、それらの緻密な彫刻の上の部分には市松模様(ajedrezado)で飾られている。この聖人たちの彫刻は、カスティーリャ地方のロマネスク様式の彫刻の中でも最も素晴らしい彫刻の一つだということだった。内部の写真撮影は許されなかったので、教会内部やこの素晴らしい彫刻の写真がなく、紹介できないのは残念だ。

後陣から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会(写真:アルベルト・F・メダルデ)
鐘楼部分とその左側にはこの地方特有のウシ―ジャ(usilla)と呼ばれる螺旋階段が見える

最後に

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、様々な本にはブルゴス地方に残るロマネスク様式の教会でも最も美しい教会の一つとして紹介されているが、私はブルゴス地方のみならずスペイン国内に残るロマネスク様式の教会の中で最も美しい教会の一つだと思う。その姿は、堅固かつ調和のとれたものであり、天へ昇る精神性を体現するかのようだ。ロマネスク様式の教会に興味ある方にもそうでない方にも是非訪れてほしい教会の一つである。

現在は個人の所有物となっているが、前述したように事前に予約を取っていけば管理人の方が敷地内に案内してくださり、教会の内部も見せてもらえる。説明もしてくださり、様々な質問にも答えてくださった。説明してもらえるロマネスク様式の教会はなかなかないので、この機会に色んな事を尋ねてみるとよいだろう。(管理人の方には、心付けを忘れずに!)

約900年もの長い歳月、ここにすっくと立つさまは周りの景色と融合し、当時の修道士たちの祈りやこの教会を建設し、様々な楽しい飾り持ち送りを作った石工などの話し声が聞こえてきそうだ。遠くから聞こえてくる鳥の声を聴きながら、サン・ペドロ・デ・テハダ教会を後にすることが名残惜しく感じた。

参考

ここで紹介しサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。サン・ペドロ・デ・テハダ教会がある役所の連絡先が載っているので、事前に確認してから訪ねることをお薦めします。 スペイン語が話せる方は直接こちらへ連絡されるといいです。 947 303200 y 652641079                    英語で予約したい方はこちらからどうぞ。ブルゴス地方観光局:(Oficina de Turismo Regional de Burgos)947 203 125 または 947 276 529。メールアドレス: oficinadeturismodeburgos@jcyl.es

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-san-pedro-tejada?isprediction=1

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。こちらは英語版。

Hermitage of San Pedro de Tejada – Official Portal of Tourism. Junta de Castilla y Leon (turismocastillayleon.com)

・youtube でも紹介されています。残念ながらスペイン語のみです。

Iglesia Románica de San Pedro de Tejada (Merindad de Valdivieso) – YouTube

・エンリケ・デ・リベロ(Enrique de Rivero)という方のウエブサイトの中に、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部の写真があります。興味のある方はどうぞ。

http://www.burgossinirmaslejos.com/blog/san-pedro-de-tejada-el-escondido-tesoro-de-valdivielso/

ロマネスクへのいざない (6)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (3)- サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Alranza)

屋根部分はないがロマネスク建築が見られる教会部分(写真:アルベルト・F・メダルデ)

「カスティージャのゆりかご(Cuna de Castilla)」

アルランサ川が岩を削って作った壮大な峡谷にあるこのサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、緑深き自然の中に姿を現した。素晴らしい景色の中、突如廃墟となったサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院が現れたとき、人里離れたこの場所を選んだことに納得できた。「スペインで最も美しい村」という協会に認定され登録されている村の一つであるコバルビアス(Cobarrubias)から7~8km程の距離にあり、修道院に着くまでカーブの多い道で距離的には近いが車で10分位かかった。

今は廃墟となっているサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、スペインの重要文化財に指定されている。912年に設立されたベネディクト会修道院で、当時約50人程度の隠者たちがこの庵に住んでいたことが記録に残っている。そして1080年にロマネスク様式の教会が建設された。その後「カスティージャのゆりかご(揺籃・ようらん)」と呼ばれ、カステージャ王国の重要な修道院と発展し、修道士たちの数も増えていった。それに伴い、拡張工事も行われ、ゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式が加わり、時代ごとに異なる様式の建物部分を含む修道院となっていった。

メンディサバル法によって解体される前のサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院の模型(写真:アルベルト・F・メダルデ)

「メンディサバル法(Desamortización Eclesiástica de Mendizabal)」による明け渡し

約900年間も修道士たちが暮らし修道院としての機能を果たしていたが、1835年の通称「メンディサバル法」と呼ばれる主にカトリック教会を対象に行われた「永代所有財産解放令」によって解体されてしまった。これは、スペイン国内の修道院や教会が所有していた土地を没収し、競売にかけ、教会権力をそぎ、公的債務を解消し国富を増やしたが、このメンディサバル法によって由緒ある修道院等が明け渡されることになり、一気に廃墟となって、修道院や教会にあった建築的、美術的な価値あるものが次々と国内外に流出することにもなった

スペイン国内に散在するサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院のものとしては、次のようなものが挙げられる。

教会のファサード。1895年にマドリッドの国立考古学博物館に移された。

カスティージャ王国のフェルナン・ゴンサレス伯爵と妻サンチャとムダーラのロマネスク様式の墓。同県のブルゴス大聖堂に移された。

図書館にあった古代の膨大な量の写本。隣接するサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院に重要な部分が残されている。

11世紀末から12世紀初頭の見事な教会の側の扉。マドリードの国立考古学博物館に展示されている。

後期ロマネスク建築の傑作である「ララの7人の王子」の異母兄弟である「ムダラの墓」。これもブルゴス大聖堂の回廊に移された。

修道院総会会議室に描かれていた13世紀初頭の壁画の様々な断片。カタルーニャ国立美術館にある。

最後のカタルーニャ国立美術館にある修道院総会会議室に描かれていた13世紀初頭の壁画の断片については、残りの壁画の断片はハーバード大学フォッグ美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館に分散されている。

ちなみに、当たり前のことだがアメリカにはロマネスク様式は存在しないので、ロマネスク様式の教会等の建物部分、壁画等、あらゆるものが買い取られて海を渡っていった。オリジナルの場所から引き離されて美術館や博物館に展示してある全ての芸術品を見るに度に思うことは、残念だという気持ちと幸いだったという複雑な二つの気持ちである。例えばこのサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院について思いを巡らすと、修道士たちが居なくなった修道院が荒れ果てていったあとで、芸術や美術的価値もわからぬ輩たちの手によって心なく荒らされたり、残っていたものも雨露に打たれ朽ち果てていったであろうということは容易に想像がつく。そう考えると、価値を認められ、学術的にも研究され、誰でも見ることができ、保存状態を最良に保つことができる美術館や博物館に移動されたことは幸いだったのだろう。だが、それでもなお、オリジナルの場所から離れ、分断されることにより、周りとの関係性、調和、存在理由、歴史的な流れ、その土地の人々の思い、その建物、絵画、彫刻、教会などに携わっていた人たちの物語と歴史等々が失われてしまうことになると思うと、残念である。サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院を見学中、そんなことをずっと思っていた。

今では廃墟となり、教会内部の床には草が生えている(写真:アルベルト・F・メダルデ)

中世期からバロック期へ

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、現在は廃墟になっていて失われた部分も多く、その全貌をつかむことは難しいが、旺盛を極めた17世紀から19世紀にはかなりの規模に発展していた。下の写真は修道院の中にあった説明板である。英語版はなかったが、珍しく点字での説明があった。日本でも観光地の案内板や説明板に多言語対応のみではなく、点字による説明があるといいなと考えさせられた。

後述する修復工事に携わった建築家マリア・デ・アラナ・アロカ(María de Arana Aroca)によると、この修道院は二つの時期に分かれるという。それは、中世期とバロック期である。中世期に当たる11世紀から15世紀のロマネスク様式やバロック様式の時代に、教会(Iglesia)、塔 (Torre) 、聖歌隊席 (Coro) 、内庭大回廊 (Claustro mayor)、修道院総会会議室(Sala capitular)、食堂 (Refectorio)が造られた。16世記、17世紀のバロック期になると大々的な増改築が行われ、内庭大回廊 (Claustro mayor)はスペインルネサンス様式(エレリアーノ様式-Herreriano)に取って代わられ、 修道院総会会議室(Sala capitular)は改装され、聖具納室 (Sacristía)、廊 (Claustro menor)が増築された。

修道院の中にあった説明板(写真:筆者撮影)

1. 教会(Iglesia)-ロマネスク様式で造られ、中央の礼拝堂は後期ゴシック様式の拡張工事が行われた。興味深いことに、ロマネスク様式の教会の屋根は石造りのアーチ型ではなく、木製の屋根で覆われていたようだ。その後、石造りのアーチ型屋根が造られた。今は屋根部分は消失している。

教会内の柱(写真:筆者撮影)

2. 塔 (Torre) -サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院に個性的なアクセントを加えている塔。二層構造で、下段は13世紀初頭のもので、上段と鐘楼は15世紀末から16世紀初頭のもの。

修道院に近づくと最初に見える塔(写真:アルベルト・F・メダルデ)

3. 聖歌隊席 (Coro) -名前こそ聖歌隊席だが、聖歌隊席というより埋葬の部屋として造られたようだ。事実、カスティージャ王国の王家の霊廟という役割を担っていた。

4. 内庭大回廊 (Claustro mayor) -最初はロマネスク様式の内庭大回廊として造られ、その後ゴシック様式に改築された。そして、16世紀末から17世紀初頭にかけてスペインルネサンス様式(エレリアーノ様式-Herreriano)に取って代わられた。一般的に教会の南側に内庭回廊は造られ、その周りが修道士たちの生活の場だった。祈りをささげる場所だけでなく、会議室、食堂なども内庭回廊の周りに造られていた。

内庭大回廊(写真:アルベルト・F・メダルデ)

5. 聖具納室 (Sacristía) -貝殻の形をした格間(ごうま-casetón)を持つ入隅迫持(いりすみせりもち)または半円錐状のスキンチ(trampa)の上にドームがある。

貝殻の形をした格間(ごうま-casetón)を持つ入隅迫持またはスキンチ(trampa)の上にドームがある(写真:アルベルト・F・メダルデ)

6. 修道院総会会議室 (Sala capitular) -ロマネスク様式の柱を使ったアーチが残っている。薄っすらと壁画らしきもの見られた。

修道院総会会議室 へ続く廊下。左手に内庭大回廊が見える(写真:アルベルト・F・メダルデ)

7. 食堂 (Refectorio)-15世紀末から16世紀初頭にかけての改修工事により、ゴシック様式の食堂に生まれ変わった。現在では個人所有となっている。

個人所有のためか、まるで新しく作ったようだ(写真:アルベルト・F・メダルデ)

8. 内庭小回廊 (Claustro menor)-内庭大回廊に比べると、かなり小さなものである。17世紀半ばに造られ垂直に空へ伸びていくモミの木が1本ある。その隣には、井戸もあった。

約400年間、修道院を見守ってきたモミの木(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ロマネスク様式を探して

前述したように、900年を超える歴史の中で修道院は増築改築工事の手が入れられ、ロマネスク様式だけではなくゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式もみられるが、ロマネスク様式が今も残っているのは、1080年に建設が始まった教会、12世紀末に造られた塔、修道院総会会議室(Sala capitular)であり、パッと見た限りではロマネスク様式だとはあまり感じさせられない。ただ、よく見てみるとあちこちにロマネスクの面影を見つけることができた。

今は廃墟となっている教会は、十字形のない3つの身廊とアプスからなるバシリカ式で、40メートルの長さがあったとされる。また、扉の前にはナルテックス(教会本堂前の広場)と聖歌隊席があった。

スペインのアルテギアス(Arteguias)というロマネスクやゴシックのウエッブガイド (Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com))によると、この教会のシュヴェ(cabecera)にはいくつかの特異な点が指摘されている。そのひとつが、床から始まって1本の柱が続くダブルコラムの採用。これは、アストゥリアス建築(サンタ・マリア・デル・ナランコ、サンタ・クリスティーナ・デ・レナ)や、12~13世紀のスペイン国内でのシトー派修道院に数多く見られるもので、年代的に離れた時代に見られるスペイン中世建築の特殊性であるらしい。

また前述したように、教会の北側にあった扉は、マドリードの国立考古学博物館に移され展示されている。

柱頭には、ロマネスク様式の装飾が施されていて、ゴシック様式での拡張工事部分との違いが見て取れた。

ロマネスク様式の柱がみえる(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀末に造られた塔は、要塞としての機能も持っていただけに、殆んど飾りという飾りもなく、細長いたふさがれた尖頭アーチがあるのみだ。教会の北側に接し、ウシ―ジョ(usillo)と呼ばれるブルゴス地方特有の螺旋階段が塔の外側に見える。

12世紀末に造られた塔(写真:アルベルト・F・メダルデ)

修道院総会会議室(Sala capitular)とは、大修道院長が毎日修道士たちを集めて話をした場所である。12世紀にロマネスク様式で造られ、13世紀、17世紀、19世紀に改築されている。修道院総会会議室は二層構造で、下層階は12世紀前半に、上層階はその数十年後に建てられた。ロマネスク様式の柱を使ったアーチが残っている。更に13世紀半ばには、壁に頭がワシで体に羽のあるライオンや想像上の動物であるドラゴンの絵が施されたが、前述の通り修道院以外の場所に散在している。(こちらのサイトに、写真がでている。Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com

スペイン900年の建築様式-ロマネスク様式から古典主義様式まで

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は、スペインの文化・スポーツ省のスペイン文化遺産協会 (Instituto del Patrimonio Cultural de España-IPCE) という政府機関が主催した一般コンクールにより選ばれた建築家によって、2015年から2019年まで4年間にわたる修復工事が行われた。(修復工事の様子などが見れるビデオはこちら La mirada experta – La restauración del Monasterio de San Pedro de Arlanza – YouTube)

この修復工事によって、バロック期には修道院総会会議室 (Sala capitular)から聖具納室 (Sacristía)へ行く階段があったことが分かり、失われた階段を新しく作ることによって修道院総会会議室 (Sala capitular)から聖具納室 (Sacristía)へ行けるようになった

毎夏、スペインの有名な劇作家ロペ・デ・ベガ(Lope de Vega)の作品「フェルナン・ゴンサレス伯爵(El conde Fernán González)」がこの修道院の中で上演されている。フェルナン・ゴンサレス伯爵は、この修道院の創設者とされている。

ほぼ廃墟ともいえる修道院を観光地として訪れる場所の一つとするだけではなく、積極的に劇場として使用して新しい命を吹き込んでいることに好感を覚えた。

二層構造の古典主義的な建物である修道院の入口を抜けて外に出て、改めてファサードを振り返って見てみると、900年間のスペインの様々な建築様式を一つの修道院の中で見ることができ、まるでタイムマシンの中から出てきたような錯覚を覚えた。

古典主義的な修道院の入り口(写真:アルベルト・F・メダルデ)

参考

ここで紹介したサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Alranza)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・現在の様子を窺えるビデオです。 

  Monasterio de San Pedro de Arlanza Burgos – YouTube

・ブルゴス県のツーリストウエッブページ。英語版もあります。修道院を訪ねたい方はこちらで時間等をチェックしてください。

  Monasterio de San Pedro de Arlanza | Turismo de Burgos (turismoburgos.org)

・Arteguias のウエッブページです。スペイン語ですが、写真が充実しています。国内外に散在しているロマネスク様式の壁画の写真も見られますよ。

Monasterio de San Pedro de Arlanza (arteguias.com)/

・スペインの文化・スポーツ省のスペイン文化遺産協会 (Instituto del Patrimonio Cultural de España-IPCE) のウエッブページ。

La mirada experta. Los proyectos de conservación-restauración del IPCE – Instituto del Patrimonio Cultural de España | Ministerio de Cultura y Deporte

・サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院から、海を渡りニューヨークのメトロポリタン美術館にあるライオンのフレスコ画です。説明は日本語です。

https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/471061

ロマネスクへのいざない (5)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (2)- サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)

楽しみにしていたサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) へ向かった。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院は、ヨーロッパ最古の音楽と言われる「グレゴリオ聖歌」を今も修道士たちがミサや祈りの時間の中で歌い続けていることで有名だ。日本でもCDが売られているので聴いたことがある人も多いと思う。

この修道院は、21世紀の今日まで活動し続けているカトリック教会最古のベネディクト修道会の修道院だ。そして、 サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院自体は954年に設立されたことが、当院の文献資料として残っている。まさしく、この修道院設立時期はロマネスク建築がヨーロッパで始まった頃と重なる。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院にあるロマネスク建築の回廊は素晴らしく、スペイン人の中で知らない人はいないほど。ロマネスク回廊の傑作と言われている。回廊は2階建てで、1階部分の東側と北側は11世紀半ばに造られ、西側と南側は12世紀のものだ。長方形の回廊は、北側と南側には16のアーチが、東側と西側には14のアーチがあり、柱頭は64本ある。そして回廊の2階部分は、12世紀末に造られた。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の回廊(写真:アルベルト・F・メダルデ)

回廊1階部分の控え壁にある8つの浅彫き彫りは一つ一つが素晴らしいロマネスクの傑作。簡単に紹介していくことにする。

受胎告知と聖母戴冠(La Anunciación y La Coronación de la Virgen)

受胎告知と聖母戴冠(Anunciación y Coronación de la Virgen)(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

「神の母」である聖母マリアが大天使ガブリエルのお告げによって神の子「イエス」を身ごもることを知る瞬間の場面と「天の女王」である聖母マリアが神から冠を授けられる場面を同じ構図の中に描かれている。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の建設期間は約200年かかったが、この「受胎告知と聖母戴冠(Anunciación y Coronación de la Virgen)」は建設完了時期12世紀末に造られたものだ。 12世紀末といえばゴシック様式初期に当たり、この浅浮き彫りにもゴシック様式である自然的で人間的な表現の萌芽が見られる。大天使ガブリエルと聖母マリアの二人のまなざしはまるで知り合い同士のようで、心なしか口元にはかすかに笑みを浮かべているように見える。と同時に、聖母マリアの堂々として自然な雰囲気が漂っている。聖母マリアの左手に持っている布は何か意味があるのか気になるところ。

エッサイの木 (EL ÁRBOL DE JESÉ

エッサイの木(El Árbol de Jesé )(写真:筆者撮影)

「エッサイの木」はイエスの家系図とも言われ、統一イスラエル王国(イスラエルとユダ連合王国)の王で、ユダヤ教を確立したダビデの父エッサイから幹が伸び、ダビデ家より生ずべき未来の救世主(イエス・キリスト)を生んだ聖母マリア、イエス、そして精霊を示す鳩が描かれていることが多い。これは、旧約聖書のイザヤ書11の言葉をもとにしてロマネスク時代に始まった表現である。その言葉とは、「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。(参照:イザヤ書 11 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com))」である。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の浅浮き彫りには、横になって右手で頭を支えているエッサイの横腹から2本の枝が交差しながら力強くそして躍動感に満ちながら上に上に伸びている。その2本の枝は二つのマンドルラ(アーモンド形の光輪)を形作り、更に、周りの6人の人物を包み込むようにまるで生きているかの如き動きを表現している。最初のマンドルラには聖母マリアが描かれ、その上のマンドルラには幼子イエスを膝の上に乗せた神が描かれ、その更に上には精霊を示す鳩が描かれている。浅浮き彫り独特の立体感と躍動感は、一度見たら忘れられないものだった。ちなみに、イエスを膝の上に載せ父である神という形で表現されている神の姿は、ロマネスク美術には珍しいものだったらしい

周りにいる人物は、偉大な予言者であるイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルの4人とヘブライ人の王ダビデ王とサロモン王である。

イエスの死と降架(Muerte en cruz del Señor y descendimiento

イエスの死と降架(Muerte en cruz del Señor y descendimiento) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

あばら骨がリアルに表現され、キリストの顔は苦しみの後に解放された静かな表情だ。興味深いのは、十字架の木の節が見られること。今まで、この十字架のようにはっきりと木の節が描かれている十字架を見たことはなかったと思う。

音声ガイドの説明では、アダムとイブのアダムがそのゴルゴダの丘(キリストが十字架に磔にされた丘)に葬られたという伝説から、キリストの足元には、キリストによって原罪から救済されたアダムが墓から這い上がっている姿が表されている、ということだった。(私には、アダムの姿を認識することはできなかったが・・・。)また、十字架は香炉を振る天使が天上と地上とを結び付けており、全体の構成に調和がとれている。

左側の女性は聖母マリア、キリストを十字架から降ろしているのは2人の弟子、そして右側の手に紙とペン(?)を持つのが福音書を書いた「イエスの愛する弟子」だ。淡々と死んだキリストを十字架から降ろす弟子たち、息絶えた我が子の手に顔を押し付ける聖母マリア、ロマネスク様式の特徴でもあるが、宗教的伝統によって形式が決まっているヒエラティックなものが返って彼らの深い悲しみを痛いほどまっすぐに伝えているドラマチックな場面である。

聖母マリアや弟子たちの足の下にある波のような形が、何を意味しているのか気になった。

墓とイエスの復活(Sepultura y resurrección del Señor

墓とイエスの復活(Sepultura y resurrección del Señor) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

キリストの復活は、キリスト教の教理の根本にかかわることなので、絵や彫刻など様々な方法で視覚的に表現されている。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の浅浮き彫りには、十字架にかけられ死したキリストの遺体が丁寧に二人の弟子により埋葬される「墓」の場面と、上部には、過越(すぎこし)の祭りの朝にマグダラのマリアをはじめとする3人のマリアが墓を訪ねると、墓石の蓋が取り除かれたその上に美しいプリーツのある服を着た天使が座っていて、キリストが復活したことを告げる場面が同じ空間の中に描かれている。

開いた墓石の蓋が斜めに走り、その下に横たわるキリストの構図が素晴らしい。また、3人のマリアや天使の折りひだが細かに表現され、動きもありとても美しい。天使の足の動きも自然な感じだ。

キリストが横たわる墓の下には、7人の兵士の姿が見える。これは、キリストの復活に対してひどく恐れている様子が描かれたものらしい。また、宗教画などでもよくあることだが、ここでもキリストが死んだローマ時代の兵士の服装ではなく、この浅浮き彫りが造られた中世ヨーロッパ時代の兵士の服装で描かれている。

エマオへの道(Camino de Emaús

エマオへの道(Camino de Emaús)(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

イエスは復活後エマオに行く途中の道で、話しながら歩いている弟子のクレオパに近づいて、彼らと語りながら一緒に歩いた。そして、イエスは食事の招待を受けて感謝してパンを裂いた時に、クレオパたちはその人がイエスだと分かったが、その時イエスは見えなくなった。このエマオへの道の途中の場面。

感情を押し隠し、豊かな表情に欠けると言われるロマネスク様式の中で、「エマオへの道(Camino de Emaús)」の場面の3人の表情はとても豊かだ。歩きながら話す3人の動きも見て取れる。3人で信仰の話等に花が咲き、イエスとは気づかない弟子たちがこの”見知らぬイエス”との道中を楽しんでいる様子がうかがえる。

ここでもイエスは高位の人であることを表現するために弟子よりも背が高く、アーチの外に頭が出ている。面白いのは、イエスの右足の不自然さ。思わず私自身でもこんな足の格好ができるかどうか試してみたくらいだ。(笑)

他の浅浮き彫りにはみられなかったが、この3人の眼は深めに彫ってあり、黒玉(こくぎょく)が目にはめ込まれていたらしく、確かに左側の弟子の眼には黒玉(こくぎょく)が今もはめ込まれていた。

イエスの肩から下げられた皮袋には、この浅浮き彫りが造られた11世紀末には盛んであったサンティアゴ巡礼のシンボルであるホタテ貝が見られる。これは、この修道院を通る巡礼者たちへの配慮であり、多くの巡礼者たちがそこに自分を映していたに違いない。

復活とトマス(El resucitado y Tomás

復活とトマス(El resucitado y Tomás) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

イエスの復活を聞いて「手に釘の跡を見てそこに指を入れてみなければ信じない」と言ったことから、「不信トマス」と呼ばれているイエズスの弟子の一人であるトマス。そのトマスにイエズスは自分の傷口に指を入れさせ、「あなたは、わたしを見たので信じた。しかし見なくても信じる人々は幸いである」と言ったその場面である。この浅浮き彫りは12世紀初頭の作品。

大きさの違いによって場面の中での重要性を表現していて、一番背の高いキリスト、次に背が高いのがトマスである。枠の中で13人の人物が描かれているが、キリストとトマスの他には、他の10人の弟子たちと、弟子ではなかったが新約聖書の著者の一人であるパウロが描かれている。鍵を持っている聖ペトロの左側に居る額が禿げ上がっている人物がパウロ。

キリストの右側に描かれている弟子たちが心持ち左側に傾いていることによって、トマスがイエズスの傷口に指を入れる場面に緊張感が漂ってくる。見ている私たちも思わずトマスの指に視線を向ける。ロマネスク様式の人物像の顔にはあまり表情がないものがその特徴の一つでもあるが、このキリストの顔には信仰についての重要なメッセージが込められている。

アーチ型の外側には、この重要な場面を祝う音楽家たちの姿が見える。また、建物も見えるので「天上のエルサレム」を表現しているとも言われている。

この「復活とトマス(El resucitado y Tomás)」 の場面は、修道院の修道士たちに信仰について熟考するこを促す役目を果たしていた。 「あなたは、わたしを見たので信じた。しかし見なくても信じる人々は幸いである」 というイエズスの言葉を思い出させ、自分の信仰について反省する修道士たちも多かったと思われる。

キリストの昇天(Ascensión del Señor

キリストの昇天(Ascensión del Señor) (写真:Arte magistral より)

復活したキリストは、エマオへの道で弟子と信仰について語ったり、復活を信じないトマスに傷口を触らせたり、自分が生きていることを数多くの証拠をもって多くの弟子たちに示したり、神の国について語ったりした。復活から40日目に、弟子たちの目の前で天に上げられ雲に覆われて見えなくなったが、それがキリストの昇天である。

キリストを頂点とするピラミッド型構図で、キリストの体の部分は「教会」を表している。その「教会」の代表者として描かれた聖母マリアと聖ヨセフ、そして「天の国の鍵」を持つ聖ペトロと3人の弟子たちの姿が見える。残りの7人の弟子たちは下段に配置され、皆一様に天に昇っていくキリストを見上げている。それは私たちも同様に彼らの視線をたどって天に昇るキリストを見上げることを誘い出す構図だ。

聖母マリアの隣にいる聖ヨセフが、そっとマリアを支えているところに聖ヨセフの愛情が感じられる。

ペンテコステ(聖霊降臨)(Pentecostes)

ペンテコステ(聖霊降臨)(Pentecostes) (写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事である「ペンテコステ(聖霊降臨)(Pentecostes )」の場面。

キリストの昇天(Ascensión del Señor)と同様にピラミッド型構図で、下から6人の弟子、その上に別の6人の弟子、そして頭一個分上にマリアが描かれ、更にその上には左右に天使、そして頂点に神の手が雲から出てきている。皆、神の手である精霊を見上げる劇的な構図である。尚、 キリストの昇天(Ascensión del Señor)と異なりマリアが使徒たちよりちょっと上に描かれているのは、神と人との仲介者としてのマリアという意味付けで中間に位置しているものである。

エッサイの木の中で描かれたような伝統的な図像である鳩や火の舌ではなく、神の手、神の指で精霊を表していることは注目に値する。また、上段の弟子6人の中に天の国の鍵を持ったペトロが見える。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のこれらの浅浮き彫りに共通する素足のポーズがとても気になった。全体的には内股で、不自然なポーズも見られ、何か意味が込められていたのだろうかとも思ったりした。手については、基本的に手を広げているポーズでは手のひらを私たちの方に見せている格好だ。 キリストの昇天(Ascensión del Señor) でみられる聖母マリアの両手を開いた格好は、オランスと呼ばれるこの当時(11世紀)に始まった紙を讃える祈りのポーズである。(参照:「キリスト教美術を楽しむ 新約聖書編 受胎告知1」金沢百枝著 )

ねじれた柱(Columnas torsas

ねじれた柱(Columnas torsas)(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊を歩いていてすぐに目に留まるのがこのねじれた柱(Columnas torsas)だ。4本の柱をを束ねてねじったような形の柱は、整然と柱が連なり美しくもあるが単調でもある回廊のアクセントになっている。

どうしてこの柱だけねじれて造られたのかは、今でも様々な想像力を働かせる原動力ともなっているようだ。一般的には、時代によって石工が代わっていたので、新しい石工の登場を後世につたえようとしてものだ、というものや、柱頭に彫られている内容が、他の柱頭のそれに比べて重要な内容だったので、見る人の注意を引くようにこのような奇抜なものにした、というもの、そして、単純に回廊の中央に4本を組み合わせた柱を据えることで、技術的な問題を解決するものだったというものが言われている。

柱頭の彫はかなり傷んでいるが、「エルサレム入城」、「洗足式」、「最後の晩餐」キリストの事跡が描かれている。ちなみに「エルサレム入城」は、キリストが復活する前の週にキリストがエルサレムに入城したこと。「洗足式」は、最後の晩餐のとき、イエズスが自ら弟子たちの足を洗ったこと。そして、「最後の晩餐」は、イエズスが処刑される前夜に12人の弟子たちと摂った夕食のこと。ここでもまた、修道士たちや訪れる者たちにキリストの事跡を通してキリストの教えを胸に刻ませるという役目を担っている

その他にもこの柱が造られた理由について、単なる石工の芸術的気まぐれであるとか、呪術的なおまじないの意味があるとか、石工たちの斬新な新しい技術への挑戦であるとか、様々な想像がなされている。

私が調べた限りでは、スペイン国内に現存するロマネスク様式のねじれた柱は5例あった。

  • サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(Santo Domingo de Silos)、ブルゴス県(Burgos)
  • サンタ・マリア・デ・ラ・ビッド修道院(Monasterio de Sta. Maria de La Vid)、ブルゴス県(Burgos)
  • アスンシォン・デ・エル・ブルゴ・デ・オスマ聖堂(Catedral de la Asuncion Burgo de Osma)、ソリア県(Soria)
  • サン・ペドロ・デ・カラセナ教会(San Pedro de Caracena)、ソリア県(Soria)
  • サン・ペドロ・デ・ラ・ルア(San Pedro de la Rua)、ナバーラ州エステ―ジャ(Estella)

    理由はどうあれ、あれこれと想像を膨らませてロマネスク様式の芸術を見ていくことは楽しいものだ。これも、ロマネスクを見る際の醍醐味の一つだろう。

糸杉(Ciprés

中庭にある糸杉(写真:筆者撮影)

30メートルもあるこの糸杉は、樹齢130年を超える。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のシンボルともいえる。昔、天と地をつなげるものとして糸杉は捉えられていた。そして、天に向かって伸びる糸杉とまるで地球の中心と繋がるように地下深く掘られている井戸は、ロマネスク様式の中では世界軸(Axis mundi)を構成するものとして位置づけられ、天上の世界を希求する象徴的なものだった。(参照:「Iconografía y Simbolismo Románico」Devid de la Garma Ramírez著)また、永遠かつ超越した神の愛のシンボルでもある。天を目指してまっすぐに伸びていく糸杉に、修道士たちの信仰や希望を感じた。

最後に

以上、これら8つの場面は、まるで聖書の蒔絵でも見ているかのような錯覚を私に与えた。様々な回廊をこれまでも見たことがあるが、これほど印象的で視覚に訴えてくる回廊は初めて出会ったと思う。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊の細部を詳細に見ていくにつれて、芸術や建築ががいかに人間の心の琴線に触れることのできるものなのかを、実際に体験できる。ロマネスク様式における回廊が持つ象徴的な意味は、「地上の楽園」である。それは、神と接近し、神を迎え入れる特別な場所であった(参照:「Iconografía y Simbolismo Románico」Devid de la Garma Ramírez著)。修道士や巡礼者たちは、この静かな空間の中で祈り、神と出会い、信仰を深めていったのだろう。

参考

ここで紹介した サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・スペイン観光公式サイト。日本語があるのはうれしい限り。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のSanto Domingo de Silos | spain.info 日本語

・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の公式サイト。スペイン語のみ。

https://www.abadiadesilos.es/

・キリストの昇天(Ascensión del Señor)の写真はこちらのブログのもの。

Arte magistral: Relieves del claustro de Santo Domingo de Silos

・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の音声ガイド。スペイン語の他に、英語、フランス語、ポルトガル語でも聞ける。

Museo de la Asociación Retógenes (qrednomenclator.net)

・美術や歴史の本を出版するグループで、ロマネスク様式を詳しく説明しているウエッブサイト。

Monasterio Santo Domingo Silos (arteguias.com)

・ロマネスクのシンボルや図像の意味を解説している本。スペイン語。

「Iconografía y Simbolismo Románico」 Devid de la Garma Ramírez 著

ロマネスクへのいざない (3)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(1)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の浅浮き彫り(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ブルゴス県のロマネスクを訪ねて

今回、カステーリャ・イ・レオン州のブルゴス県にあるロマネスク巡りの旅に2泊3日で行ってきた。代表的なロマネスク建築だけではなく、まるで忘れられたような小さな村にひっそりと建てられているロマネスク建築や今も村の教会として活躍しているロマネスク建築、スペインのブルゴス県特有(ロマネスク建築が建てられた当時はブルゴス県という概念はなかったが・・・)のロマネスク建築も含めた多くのロマネスク建築を見ることができた。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の柱頭(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サント・ドミンゴ・デ・シロス(Santo Domingo de Silos)からピネダ・デ・ラ・シエラ(Pineda de la Sierra)まで

第1日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。7ヶ所のロマネスク建築を見ることができた

・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos) の回廊(写真:アルベルト・F・メダルデ)

11世紀から12世紀末に造られたロマネスク回廊の傑作。長方形の回廊には、北側と南側に16のアーチが、東側と西側に14のアーチがある。回廊の角にある浅浮き彫りの中でも、大天使ガブリエルによる「聖母マリアへの受胎告知(La anunciación a María)」は特に名作として有名。これは12世紀末のものだ。また、「エッサイの木(El árbol de Jesé)」と呼ばれるイエス・キリストの祖先の芸術の描写も逸品。ロマネスク建築にあまり興味のない人でも、この回廊の素晴らしさには心打たれるものがある。また、ここの修道士達が歌うヨーロッパ音楽最古と呼ばれるグレゴリオ聖歌は有名で、日本でもCDが売られているので、聞いたことがある人もいるだろう。

浅浮き彫りについてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・サンタ・セシリア礼拝堂 (Ermita de Santa Cecilia)

サンタ・セシリア礼拝堂(Ermita de Santa Cecilia)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の修道士から訪れることを薦められた礼拝堂。音楽の守護聖人として知られる聖セシリアに捧げられている。9世紀末から10世紀初頭に造られたもので、イベリア半島に現存する21あるモサラべ様式の教会・礼拝堂の一つである。光が入るように作られたギリシャ十字は、この辺りでは珍しい

・サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Arlanza)

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院 (Monasterio de San Pedro de Arlanza) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

912年に設立されたサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院は今は廃墟となっているが、スペインの重要文化財(Bien de Interés Cultural)に指定されている。11世紀後半にロマネスク建築として建てられ、3つの身廊(三廊式)、3つの後陣(アプス)から成っていた。

サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)

ハラミ―リョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

デマンダ山脈地域にあるハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会も重要文化財に指定されている。12世紀に建てられたロマネスク建築部分は、塔、後陣(アプス)、柱廊のある入口(ギャラリー)だが、全体として調和のとれた美しいロマネスクの教会の一つである。

ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

ビスカイノス・デ・ラ・シエラサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours de Vizcaínos de la Sierra)

サン・マルティン・デ・トゥール・デ・ビスカイノス教会 (Iglesia de San Martín de Tours de Vizcaínos de la Sierra)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀に建てられたロマネスク様式ビスカイノス・デ・ラ・シエラ村のサン・マルティン・デ・トゥール教会は、少なくとも外観は完全なロマネスク建築で保存状態もとても良い。颯爽とした外観は、この辺りのデマンダ山脈地域で多くみられるロマネスク建築の特徴の一つである。

サン・マルティン・デ・トゥール教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・ピネダ・デ・ラ・シエラサン・エステバン・プロトマルティル教会 (Iglesia de San Esteban Protomártir de Pineda de la Sierra)

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・ピネダ教会 (Iglesia de San Esteban Protomártir de Pineda de la Sierra)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀から13世紀にかけてに建てられたロマネスク様式 柱廊のある入口(ギャラリー)は、重要かつ豪華なものの一つであり、前述のサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊の影響を受けている。

ピネダ・デ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティル・デ教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

オジュエロス・デ・シエラ教会 (Iglesia de Hoyuelos de sierra)

オジュエロス・デ・シエラ教会 (Iglesia de Hoyuelos de sierra) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

デマンダ山脈地域にあるロマネスク建築の教会。柱頭に施された鳥、動物、アルピア等の彫の図柄から、 サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の影響を受けていると考えられている。

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ(Monasterio de Rodilla)からミニョン・デ・サンティバニェス(Miñon de Santibáñez)まで

第2日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。9ヵ所のロマネスク建築を見ることができた。

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ礼拝堂(Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) (写真:筆者撮影)

12世紀に造られたこの礼拝堂は、スペインにおけるバシリカ型ロマネスク建築の教会の最も優れた一例だと言われている。保存状態も良く、改築や異なる様式による追加建築もない純粋なロマネスク建築である。また、ユネスコの文化遺産にも指定され、スペインの重要文化財でもある。

モナステリオ・デ・ロディ―ジャ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) についてもっと知りたい方は、こちらもどうぞ。

サン・ニコラス・デ・エル・アルミニェ教会 (Iglesia de San Nicolás de El Almiñé)

サン・ニコラス・デ・エル・アルミニェ教会 (Iglesia de San Nicolás de El Almiñé) (写真:筆者撮影)

小さな村の教会として今もミサが行われているサン・ニコラス教会は12世紀に建てられ、ロマネスク、ゴシック、バロック様式等が見られる。ロマネスク建築は塔部分で、エル・アルミニェ村のすぐ近くにあるテハダ村のサン・ペドロ教会の模倣が見られ、この地方特有の「ウシ―ジャ(Usilla)」と呼ばれる塔に上るための円柱形の螺旋階段がある

サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀に建てられたロマネスクの教会で、ブルゴス県のなかでも保存状態の良い純粋なロマネスク様式として重要なものの一つである。珍しいことに個人の所有物だが、決められた時間であれば料金を支払い教会の中に入ることができる。周りの景色と融合して建つその様は、印象的だった。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会については、こちらも読んでみてください。

大天使サン・ミゲル・デ・バルデノセダ教会(Iglesia de San Miguel Arcángel de Valdenoceda)

大天使サン・ミゲル・デ・バルデノセダ教会(Iglesia de San Miguel Arcángel de Valdenoceda) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

前述のサン・ニコラス・デ・エル・アルミニェ教会 (Iglesia de San Nicolás de El Almiñé) とサン・ペドロ・デ・テハダ修道院 (San Pedro de Tejada)と共にバルディエルソ盆地にあるロマネスク様式の教会の一つ。 テハダ村のサン・ペドロ教会の模倣が見られ、この地方特有の「ウシ―ジャ(Usilla)」と呼ばれる塔に上るための円柱形の螺旋階段があり、翼のあるライオン(マルコ)、天使(マタイ)の姿が見える。これは、テトラモルフォと呼ばれる新約聖書の4福音書記者を象徴するもので、鷲(ヨハネ)と雄牛(ルカ)は失われていた。

アエダ・デル・ブトロンの聖母の被昇天教会 (Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción de Ahedo del Butrón)

アエダ・デル・ブトロンの聖母の被昇天教会 (Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción de Ahedo del Butrón)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

細い田舎道を車でしばらく走っていくとようやくこのアエダ・デル・ブトロン村に着いた。12世紀に造られたロマネスク様式部分は玄関部分のみで、その他は16世紀に改築されたルネッサンス様式の教会である。しかし、タンパンに彫られた東方三博士の礼拝 (Adoración de los Magos)は、必見の価値あり

アエダ・デル・ブトロン村の聖母の被昇天教会にあるについては、こちらも読んでみてください。

ビルヘン・デ・ラ・オリーバ・デ・エスコバード・デ・アバホ礼拝堂 (Ermita de la Virgen de la Oliva de Escobado de Abajo)

ビルヘン・デ・ラ・オリーバ・デ・エスコバード・デ・アバホ礼拝堂 (Ermita de la Virgen de la Oliva de Escobado de Abajo)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀に建設され、18世紀に拡張工事が行われた。ロマネスク様式の様々なモチーフで飾られた持ち送りは、植物や動物、幾何学模様、人間の半身像、空想上の獣などを見ることができる。

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・モラディジョ・デ・セダノの教会 (Iglesia de San Esteban Protomártir de Moradillo de Sedano)

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・モラディジョ・デ・セダノの教会(Iglesia de San Esteban Protomártir de Moradillo de Sedano) (写真:アルベルト・F・メダルデ)

運よく教会の内部まで見せてもらった。12世紀に造られた玄関のテンパンは覆われているので外から見えなかったが、中に入って見せてもらうと保存状態の良いロマネスク様式の タンパンが現れた。建設当初に多色装飾した色が薄っすらと残っている部分さえあった。 タンパンと内部にあるジグザク形の柱身は必見

サン・エステバン・プロトマルティル・デ・モラディジョ・デ・セダノの教会の内部を知りたい方はこちらをどうぞ。

サン・ペド・イ・サン・パブロ・デ・グレディージョ・デ・セダノ教会 ( Iglesia de San Pedro y San Pablo de Gredillo de Sedano)

サン・ペド・イ・サン・パブロ・デ・グレディージョ・デ・セダノ教会 ( Iglesia de San Pedro y San Pablo de Gredillo de Sedano)
(写真:アルベルト・F・メダルデ)

12世紀末に建築されたろロマネスク様式。タンパンには、聖母戴冠 (Coronación de la Virgen)の浅浮き彫りがあるが、残念ながらマリアの頭部は後から取って付けたようで違和感を覚えた。しかし、神々しいマリアの隣で、まるで自分は関係ない者のようにうとうととしているヨセフの姿は印象的だった。

サン・ペドロ・デ・ミニョン・デ・サンティバニェス教会 (Iglesia de San Pedro de Miñon de Santibáñez)

サン・ペドロ・デ・ミニョン・デ・サンティバニェス教会 (Iglesia de San Pedro de Miñon de Santibáñez)

スペインの重要文化財の一つ。12世紀末から13世紀初頭にかけて造られたこの教会の入口にある浅浮き彫りには驚かされた。まるで、「千と千尋の神隠し」に出てくるような漫画チックでユーモラスな顔のものが多く、またソディアック・サインと思われる「射手座」や「乙女座」等が見れるのは興味深い。

レオン(León)へ行こう!(3)― グルッとローマ時代の城壁巡り

ローマ時代の城壁巡りの説明版

グルッとローマ時代の城壁巡り

同じカスティーリャ・イ・レオン州にあるアビラ市の城壁は11世紀の終わりに造られた中世の城壁ですが、こちらレオン市の城壁は、1世紀からのローマ時代のものと12世紀から14世紀に造られた中世のものとが混在しています。今回は、ご一緒にローマ時代の城壁をぐるっと周ってみましょう。

まずマヨール広場から出発です。 マヨール広場の時計台がある市役所を背にして左側にあるスクエアーからマヨール広場を出ると、左側に「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」 があります。ここから左手に曲がりセラドーレス通り(Calle Serradores)を大聖堂に向かって歩いていきます。この道沿いには後述するクーボス通り(Avenida de los Cubos) と同じように城壁の円柱形の小塔(Cubo)と小塔の間に家が建っている面白い通りです。

「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」マヨール広場からすぐ
「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」 から大聖堂へ。左側にある円柱形の小塔と小塔の間には家が !

セラドーレス通り(Calle Serradores) の突き当りがプエルタ・オビスポ広場になり、レオン大聖堂の横に着きます。そのまま真っ直ぐ行くと階段があるのでのぼり、そこにはローマ時代の城壁巡りの説明版があり、右側の足元にはガラス張りを通してローマ時代の「テルマエ」が見えます。これは、その構造からプールまたは貯水槽だったと考えられています。大聖堂に圧倒されて見失いがちですが、大聖堂の横の地下部分にはローマ時代の遺跡が発見されているのです。ローマ時代には両側に塔と木製の開き扉がある東門のオビスポ門(Puerta Obispo) がここにあり、そこからローマ軍の駐屯地に入って行きました。

横から見たレオン大聖堂 ローマ時代のテルマエの遺跡をお見逃しなく!
門の両側に塔があったオビスポ門(Puerta Obispo)

さて、ローマ時代の遺跡テルマエを見たら階段を下りて大聖堂からすぐ左に曲がり、クーボス通り(Avenida de los Cubos)に入り歩いていきます。この「小塔の城壁 (muralla de cubos) 」は、3世紀から4世紀初めにかけて造られたもので、建設当初に造られた約半数に当たる36の小塔が今日まで残存しています。この小塔は、高半円式で直径が約8メートル、高さは約10メートル、城壁自体は約5メートルの厚みがあります。

クーボス通り(Avenida de los Cubos) 奥にレオン大聖堂が見える

そのままクーボス通りをまっすぐ道なりに歩いていくと、左手に曲がっていきます。城壁が続いていますが、左手に門が見えてきます。これがアルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel)またはカスティージョ 門(Puerta Castillo )です。ローマ時代には、東にオビスポ門(Puerta Obispo )、西にカウリエンセ門(Puerta Cauriense )、南にアルコ・デル・レイ門(Puerta del Arco del Rey )、そして北にこのカスティー ジョ 門 (Puerta Castillo)がありましたが、今日ではその当時の姿が見れる門は残念ながら北門のみです。

アルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel) またはカスティーリョ門(Puerta Castillo)

この門から城壁内には入らずに、そのまま城壁に沿ってラモン・イ・カハル通り(Calle de Ramón y Cajal) を歩いていき、突き当りを左側に曲がります。少し歩くとサン・イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)の後ろに着きます

このように「ポンセの塔(Torre de los Ponce)」と呼ばれるマヨール広場の後側にある塔から「カスティージョ門( Puerta Castillo )」または 「アルコ・デ・ラ・カルセル門(Arco de la cárcel)」、そして 「 サン・イシドロ王立参事会教会の塔(Torre de la Basílica de San Isidoro )」までローマ時代の小塔を含む城壁が規則正しく残存しています。

城壁が終わった先にはサン・イシドロ王立参事会教会が

レオン市の城壁は、現存するローマ時代のローマ軍城壁としては、スペインの中ではおそらく最も古いものの一つだと言えます。ローマ時代は、城壁を四辺形にとり、その内部にローマ軍団の駐屯地が作られていました。その中には、兵舎、指令本部、古代ローマの護民官、地方総督の家々や、倉庫、井戸、テルマエ、そして城壁の外側に円形競技場がありました。

そして、現在のアンチャ通り(Calle Ancha)がローマ時代のメインストリートでした。

アンチャ通り(Calle Ancha) ローマ時代も現在もレオン市のメインストリート

コーヒータイム&ランチタイム

さて、サン・イシドロ王立参事会教会まできたら城壁巡りはここまでにして、ここからはルイス・デ・サラサール通り(Calle de Ruíz de Zarazar)に入り、コーヒータイム。

ルイス・デ・サラサール通り(Calle de Ruíz de Zarazar)
奥左側はグスマン宮殿(Palacio de los Gusmanes)、右側はガウディ建築のカサ・デ・ロス・ボティネ(Casa de los Botines)

ルイス・デ・サラサール通りには、私のお気に入りのカフェ書店 「トゥラ・バロナ(Tula Varona)」 があります。お茶もできますが、本屋さんでもあります。古本が主で、スペイン語だけではなく英語の本も置いてあります。本好きな弁護士である女主人の夢を体現した本屋さんで、2020年にオープンしました。店内は本に囲まれゆったりした気分でお茶が楽しめます。店の外でもコーヒーが飲めるので、コロナの今は安心ですね。コーヒーを飲みながら、ガウディ建築の カサ・デ・ロス・ボティネス(Casa de los Botines) が見えるのも嬉しいです。

お店の外でもお茶できます
お店の中はこんな感じです

このほか、この城壁巡りコース途中のクーボス通りにある、ミッシェラン1つ星のレストラン「パブロ(Pablo)」はお昼ご飯にお薦めです。テイスティングメニュー(Menú de degustación)とそのメニューに合うマッチングワイン(Maridaje)がありますが、テイスティングメニューは10種類以上の小ぶりな料理がでてきて、次にどんな料理が出てくるのかというサプライズと見た目にも美しい創作料理は、食事時間が楽しいものになること間違いなし! また、ふんだんに地元の食材を使った料理や郷土料理もしっかり含まれていて、旅行者にも嬉しいメニューです。お勧めの数種類のパンは全種類美味しい! 是非、全種類を食べ比べてみてください。ちなみにお値段の方は、2021年8月現在で、 テイスティングメニュー(Menú de degustación) が65ユーロ、 マッチングワイン(Maridaje)が35ユーロです。(ともに税込料金)

ちょっと奮発して、地方で活躍しているミッシェラン・シェフの料理を堪能してみるのも悪くないですね! スペインのレストランは一皿一皿が、ゆったりした時間で提供されるので、余裕を持たせてお昼ご飯の時間を2時間位確保してください。地方都市では、観光できる所は2時から4時くらいまでお昼休みに入ってどこも見れない所が多いので、ゆっくりお昼ご飯に時間をかけても大丈夫ですね。

レストラン「パブロ」大胆かつシンプルなデザインの店構え
色彩が美しい庭園を連想させられる肉料理の一品

ローマ時代の城壁に沿ってグルッと街を歩いていくと、点と点との観光が線の観光へとステップアップされて、街の様子がもっとリアルに実感できると思います。是非、レオン観光に行かれたら試して歩いてみてくださいね。そして、マドリッドやバルセロナ等の大都市とは異なる時間の流れを体験してみてください。きっと別の顔のスペインを発見できることでしょう。 

情報

・レオン市役所のサイト。英語版もありますが、内容は残念ながらスペイン語に比べて充実していないようです。

    Ayuntamiento de León – ruta romana (aytoleon.es)

・レストラン「パブロ」のサイト。”Reservas”から予約できます。

  住所: アベニーダ・ロス・クーボス(Avenida los Cubos)、8番地、レオン市

  郵便番号:24007

  メールアドレス: info@restaurantepablo.es

  電話番号:987 216 562 

    Restaurante pablo |

・ カフェ書店 「トゥラ・バロナ(Tula Varona)」

   住所:  ルイス・デ・サラサール通り (Calle Ruiz de Salazar)、18番地、レオン市

 

スペインでバードウォッチング-カスティーリャ・イ・レオン州「ビジャファフィラ・ラグーン(Lagunas de Villafafila)」

                               観察日:2021年4月10日

                               観察した鳥の種類:51種類

バードウォッチャーの聖地

カスティーリャ・イ・レオン州のサモーラ県にある自然保護区で、ラムサール条約登録地でもある、「ビジャファフィラ・ラグーン(Lagunas de Villafafila)」に行ってきました。ここは、地球上にいる飛べる鳥類としては世界一大きな鳥「ノガン(Avutarda)」が生息していることで有名で、ヨーロッパ中のバードウォッチャーがやってきます。

生息数が激減している「ヒメチョウゲンボウ」もよく見れます。世界の約40%に当たるヒメチョウゲンボウが、ここカスティーリャ・イ・レオン州に生息し、そのうちの半分がこの野鳥保護区にいるとのこと!

充実したビジターセンターや「ハイド」と呼ばれる野鳥観察小屋(casetas)も数ヶ所にあり、家族連れにもお薦めです。

ビジャファフィラのビジターセンター敷地内にあるハイド / 写真:筆者撮影

3月4月はノガンの求愛季節

いつもは一見麦畑の中のどこに居るのかわかりにくいノガンたちですが、4月に入ってからバードウォッチングをしに行ったので、今回は肉眼でも簡単にみつけられました。というのも、「レック」と呼ばれる場所に集まってしきりと求愛中だったのです。オスは胸と尻にある真っ白な羽毛を見せてメスに求愛するので、遠くからでも真っ白な部分が目じるしになり、見つけやすくなります。後は双眼鏡で観察できました。ビジャファフィラ・ラグーンの公式サイトによると、3月にノガンの求愛行動が始まり、4月も引き続き求愛行動が見られるとのことなので、ノガンがお目当てのバードウォッチャーにはお薦めの季節ですね。

・ノガン(学名:Otis tarda / 西:Avutarda)

ノガン(学名:Otis tarda / 西:Avutarda)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

渡り鳥たちも

前述の「ヒメチョウゲンボウ」が3月にはアフリカ大陸からビジャファフィラ・ラグーンへやって来ます。また、渡りの途中で飛来する「アカアシシギ」「イソシギ」「ハマシギ」「シロチドリ」なども3月から見ることができます。今回は、「アカアシシギ」と「イソシギ」と「ハマシギ」を見れました。

5月に入ると「ヒメチョウゲンボウ」「シュバシコウ」「ソリハシセイタカシギ」「ハシブトアジサシ」の繫殖期です。「ヒメチョウゲンボウ」は、ビジャファフィラ・ラグーンのビジターセンターの近くのオテロ・デ・サリエゴ村にある教会でコロニーを見ることができます。今回は、ちょっと早すぎたので、コロニーは見れませんでした。

今回、上記ノガンの他に次の49種類もの鳥たちを観察できました。

・マガモ(学名: Anas platyrhynchos / 西:Ánade Azulón)

マガモ(学名: Anas platyrhynchos / 西:Ánade Azulón)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・オカヨシガモ(学名:Mareca strepera/ 西:Ánade Friso)

オカヨシガモ(学名:Mareca strepera/ 西:Ánade Friso)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ハイイロガン(学名:Anser anser / 西:Ansar Común)

ハイイロガン(学名:Anser anser / 西:Ansar Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・タゲリ(学名:Vanellus vanellus / 西:Avefría)

タゲリ(学名:Vanellus vanellus / 西:Avefría)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・アカアシシギ(学名: Tringa totanus / 西:Archibebe Común)

アカアシシギ(学名: Tringa totanus / 西:Archibebe Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・イソシギ(学名: Actitis hypoleucos / 西:Andarríos Chico)

イソシギ(学名: Actitis hypoleucos / 西:Andarríos Chico)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ソリハシセイタカシギ(学名:Recurvirostra avosetta / 西:Avoceta Común)

ソリハシセイタカシギ(学名:Recurvirostra avosetta / 西:Avoceta Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヤツガシラ(学名:Upupa epops / 西:Abubilla)

ヤツガシラ(学名:Upupa epops / 西:Abubilla)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヨーロッパノスリ(学名:Buteo buteo / 西:Busardo Ratonero)

ヨーロッパノスリ(学名:Buteo buteo / 西:Busardo Ratonero)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・シュバシコウ(学名:Ciconia ciconia / 西:Cigüeña Blanca)

シュバシコウ(学名:Ciconia ciconia / 西:Cigüeña Blanca)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヒメチョウゲンボウ(学名:Falco naumanni / 西:Cernícalo Primilla)

ヒメチョウゲンボウ(学名:Falco naumanni / 西:Cernícalo Primilla)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・カンムリヒバリ(学名:Galerida cristata / 西:Cogujada común)

カンムリヒバリ(学名:Galerida cristata / 西:Cogujada común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ハシグロヒタキ(学名:Oenanthe oenanthe / 西:Collalba Gris)

ハシグロヒタキ(学名:Oenanthe oenanthe / 西:Collalba Gris)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・クロジョウビタキ(学名:Phoenicurus ochruros / 西:Colirrojo Tizón)

雌のクロジョウビタキ(学名:Phoenicurus ochruros / 西:Colirrojo Tizón)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ハシボソガラス(学名:Corvus corone / 西:Corneja negra)

ハシボソガラス(学名:Corvus corone / 西:Corneja negra)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ハタホオジロ(学名:Miliaria calandra / 西:Escribano Triguero)

ハタホオジロ(学名:Miliaria calandra / 西:Escribano Triguero)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ムジホシムクドリ(学名:Sturnus unicolor / 西:Estornino negro)

ムジホシムクドリ(学名:Sturnus unicolor / 西:Estornino negro) / 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・オオバン(学名:Fulica atra / 西:Focha Común)

オオバン(学名:Fulica atra / 西:Focha Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・コサギ(学名: Egretta garzetta / 西:Garceta Común)

コサギ(学名: Egretta garzetta / 西:Garceta Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ユリカモメ(学名:Larus ridibundus / 西:Gaviota Reidora)

ユリカモメ(学名:Larus ridibundus / 西:Gaviota Reidora)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・バン(学名:Gallinula chloropus / 西:Gallineta Común)

バン(学名:Gallinula chloropus / 西:Gallineta Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ツバメ(学名:Hirundo rustica / 西:Golondrina común)

ツバメ(学名:Hirundo rustica / 西:Golondrina común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・イエスズメ(学名:Passer domesticus / 西:Gorrión Común)

イエスズメ(学名:Passer domesticus / 西:Gorrión Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ニシコクマルガラス(学名:Corvus monedula / 西:Grajilla)

ニシコクマルガラス(学名:Corvus monedula / 西:Grajilla)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・タイリクハクセキレイ(学名:Motacilla alba / 西:Lavandera blanca)

タイリクハクセキレイ(学名:Motacilla alba / 西:Lavandera blanca)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・トビ(学名: Milvus migrans / 西:Milano negro)

トビ(学名: Milvus migrans / 西:Milano negro)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・アカトビ(学名:Milvus milvus / 西:Milano Real)

アカトビ(学名:Milvus milvus / 西:Milano Real)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・チフチャフ (学名:Phylloscopus collybita /西:Mosquitero común)

チフチャフ (学名:Phylloscopus collybita /西:Mosquitero común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ハシビロガモ(学名:Anas clypeata / 西:Pato Cuchara)

ハシビロガモ(学名:Anas clypeata / 西:Pato Cuchara)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・モリバト(学名:Columba palumbus / 西:Paloma Torcaz)

モリバト(学名:Columba palumbus / 西:Paloma Torcaz)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・アカアシイワシャコ(学名:Alectoris rufa / 西:Perdíz Roja)

アカアシイワシャコ(学名:Alectoris rufa / 西:Perdíz Roja / 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ツクシガモ(学名:Tadorna tadorna / 西:Tarro Blanco)

ツクシガモ(学名:Tadorna tadorna / 西:Tarro Blanco)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・カイツブリ(学名:Tachybaptus ruficollis / 西:Zampullín Común o Zampullín Chico)

カイツブリ(学名:Tachybaptus ruficollis / 西:Zampullín Común o Zampullín Chico)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ノビタキ(学名:Saxicola rubicola / 西:Tarabilla común)

ノビタキ(学名:Saxicola rubicola / 西:Tarabilla Común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・カササギ(学名:Pica pica / 西:Urraca)

かわいいカササギのひな(学名:Pica pica / 西:Urraca)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヘラサギ(学名:Platalea leucorodia / 西:Espátula común)

ヘラサギ(学名:Platalea leucorodia / 西:Espátula común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ホシハジロ(学名:Aythya ferina / 西:Porrón europeo)

ホシハジロ(学名:Aythya ferina / 西:Porrón europeo)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・キンクロハジロ(学名:Aythya fuligula/ 西:Porrón moñudo)

つがいのキンクロハジロ(学名:Aythya fuligula/ 西:Porrón moñudo)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・クイナ(学名:Rallus aquaticus / 西:Rascón)

クイナ(学名:Rallus aquaticus / 西:Rascón)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・コチドリ(学名:Charadrius dubius / 西:Chorlitejo chico)

コチドリ(学名:Charadrius dubius / 西:Chorlitejo chico)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ハマシギ(学名:Calidris alpina / 西:Correlimos común)

ハマシギ(学名:Calidris alpina / 西:Correlimos común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・エリマキシギ(学名:Philomachus pugnax / 西:Combatiente)

・セイタカシギ(学名:Himantopus himantopus / 西:Cigüeñuela común)

セイタカシギ(学名:Himantopus himantopus / 西:Cigüeñuela común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヒメクマタカ(学名:Hieraaetus pennatus / 西:Aguililla calzada )

ヒメクマタカ(学名:Hieraaetus pennatus / 西:Aguililla calzada )/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・チョウゲンボウ(学名:Falco tinnunculus / 西:Cernícalo vulgar)

目がクリっとして可愛いチョウゲンボウ(学名:Falco tinnunculus / 西:Cernícalo vulgar)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・カワラバト(学名:Columba livia / 西:Paloma doméstica o Paloma bravía)

カワラバト(学名:Columba livia / 西:Paloma bravía)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ツメナガセキレイ(学名: Motacilla flava / 西:Lavandera boyera)

ツメナガセキレイ(学名: Motacilla flava / 西:Lavandera boyera)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・スズメ(学名:Passer montanus / 西:Gorrión molinero)

スズメ(学名:Passer montanus / 西:Gorrión molinero)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・サヨナキドリ(学名: Luscinia megarhynchos / 西:Ruiseñor común )

ナイチンゲールの名でも知られるサヨナキドリ(学名: Luscinia megarhynchos / 西:Ruiseñor común )/
写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・マキバタヒドリ(学名:Anthus pratensis / 西:Bisbita pratense)

マキバタヒドリ(学名:Anthus pratensis / 西:Bisbita pratense)写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

コロナが収束したら、是非一度ビジャファフィラ・ラグーンまで望遠鏡持参でおいで下さい!

ビジャファフィラ 情報

・ビジャファフィラ・ラグーンについての一般情報やビジターセンター、「ノガン(Avutarda)」や「ヒメチョウゲンボウ(Cernícalo Primilla)」の情報が紹介されています。ただ、残念ながらスペイン語版のみです。左側の「Fauna」の「Avistamientos」をクリックすると、最新の目撃された鳥の名前が出てきます。

LAGUNAS DE VILLAFAFILA

・カスティーリャ・イ・レオン州の公式観光ウエッブページ。これは英語もあります。

Reserva Natural Lagunas de Villafáfila – Portal de Turismo de la Junta de Castilla y León (turismocastillayleon.com)

・ビジャファフィラ・ラグーンがあるサモーラ県観光ウエッブページ。英語版もあります。

Turismo de Zamora , Turismo Sostenible (turismoenzamora.es)

・ビジャファフィラ・ラグーンの動画。

Villafafila. Parte 4 – Documental de Aves – YouTube

・ノガンの求愛に関する興味深い記事。

ノガンのオス、求愛のため毒虫も食べる | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)

レオン(León)へ行こう!(2)―2000年のタイムスリップ

レオン県は、スペイン北西部のガリシア州とアストゥリアス州に隣接する県で、レオン市はその県庁所在地です。2019年のデータになりますが、前年比で22%も観光客が増えている観光発展都市でもあります。新型肺炎コロナウイルスによる影響で、観光業界はスペイン全国大打撃を被っていますが、ポストコロナで自由に旅行ができるようになったら、是非一度は訪れたい街の一つです。実際、市内を歩いていると中世の香り漂う魅力的な街で、食べ物や地元のワインも美味です。

レオン大聖堂(写真:筆者撮影)

2000年の歴史

レオン市の始まりは、約2000年前のローマ時代にまでさかのぼります。68年にガルバ皇帝によって第7ローマ軍団ヘミナ(Legio VII Gemina)として、現在のレオン市内を流れるベルネスガ川とトリオ川の間に陣を構えたのが起源です。「レオン(León)」という名前は、動物のライオン(スペイン語では同じく「レオン(león)」と言います)のことではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきています。

その後は一時期イスラム教徒に占領されますが、アストゥリアス王国のオルドーニョ1世によって奪回され、914年にオルドーニョ2世がアストゥリアス王国のオビエドからレオンに首都を移し、レオン・アストゥリアス王国又はレオン王国となります。しかし、10世紀末にはイスラムの将軍アルマンソールによってレオンの街は壊滅状態になります。その壊滅状態にあったレオンの街を復興し、ローマ時代に造られていた城壁の修復を行い、「良き法典(los Buenos Fueros)」と呼ばれる、スペイン最初の市の法令を公布したのがアルフォンソ5世です。

レオン王国の王 アルフォンソ5世の銅像
「1017年6月30日 王国と市に法令を発布した。1000年を記念して 2017年レオン市」(写真:筆者撮影)

10世紀からレオン王国は、イスラムに対してのレコンキスタ(キリスト教徒によるアラビア人からのスペイン国土回復運動)を先頭に立って行い、スペインの歴史舞台に登場していきます。更に中世においては、サンティアゴ巡礼の道上の街として多くの巡礼者たちが訪れる大いに活気のある街でした。11世紀にはロマネスク建築の「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」が建設されました。

1188年、アルフォンソ9世はヨーロッパ史上初の3つの身分から成る王国会議をサン・イシドロ王立参事会教会にて招集しましたが、これが現在の議会代表制や民主主義システムの原型といわれ、2013年にはレオン市に対して「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」とユネスコが宣言しました。

13世紀にはゴシック様式の大聖堂が造られ、16世紀にはサン・マルコス修道院(Convento de San Marcos)が建設されます。19世紀には、サグラダファミリアの建築家として有名なガウディによるカサ・ボティネス(Casa Botines)が造られました。

現在は1983年に隣接するカスティーリャ地方と合併し、新設された9県から構成されるカスティーリャ・イ・レオン州に含まれています。人口約14万人(レオン市役所オフィシャルウエッブサイト)、1979年にはレオン大学が創設された学生の街でもあります。

べルネスガ川にかかる橋(写真:筆者撮影)

このように、2000年の歴史を持ちロマネスク建築のサン・イシドロ王立参事会教会、ゴシック建築のレオン大聖堂、ルネッサンス建築のサン・マルコス修道院、モデルニズム建築のカサ・ボティネス、現代建築のカスティーリャ・イ・レオン州現代美術館と、様々な様式の建築物が同じレオン市の中にあるので、それぞれの様式を見比べてみるのも一興です。レオン市の旧市街地はあまり大きくないので、ぶらぶらと歩いて周るのにとても楽しい街です。(レオン(León)へいこう! -1- | おいでよ!スペイン (shiroyshishi.com) こちらもご参照ください。)

「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地

前述の1188年にアルフォンソ9世が招集した王国会議とは一体どういうものだったのでしょうか。それは、特権階級である聖職者と貴族、そして非特権階級である主要都市の代表者の3つの身分の人々が王に召集され、それら各々の声が聞き入れられ、投票によって法規又は政令(Decreto)を定めて行ったものです。これは、正しく現在の議会代表制や民主主義に通じるものでした。

他のヨーロッパ諸国では、13世紀に入るまではこのような投票権を持つ一般民衆参加の会議は行われていなかったので、「レオン王国の1188年政令」が「パーラメンタリズム(議会代表制)」発祥の地と宣言されたというわけです。

この「非特権階級である主要都市の代表者」とはどのような代表者だったのかというと、レオン、サラマンカ、サモーラ、オビエド、アストルガ、トロ、シウダッド・ロドリーゴ、ベナベンテ、レデスマのレオン王国内にある9つの主要都市の中で特権を持たない一般民衆から選出された代表者達でした。貴族や聖職者が自分たちに都合の良い人を民衆の代表者として名指しで選ぶというものではなく、一般民衆自らが自分たちの代表を選ぶという本当の意味での一般民衆の代表者として、自分たちの意見を議会へ持ち込んで反映してくれる人だったのです。

宗教色濃く、貴族、そして聖職者が幅を利かせ、一般民衆には「権利」というものが不在していたヨーロッパの中世時代に、それぞれの都市から選ばれた代表者を王国会議に送り出すことができたこと、そして非特権階級の彼らにも投票権があったことは、驚きに値します。それは、きっと一般民衆の人たちにとっては一筋の光だったと言えるでしょう。それ以前も非特権階級の人たちが会議に参加することはあったようですが、1188年の王国会議では、「革命的(Revolucionaria)」な民衆の代表が王国会議に参加するという新しい状況が確認され、新しい習慣を生み出し、王国の制度的構造に重要な変更をもたらしたのです。

この王国会議(Curia regia)によって議決された政令(Decretos)は、17条から成り、それは王国全体の法による正義と平和を維持するための一連の法規でした。また、アルフォンソ9世の父であるフェルナンド2世がその長い治世の間に惜しみなく行った寄付の多くが取り消される内容も記されていました。気前の良い父のために国庫の財源が空っぽになっていて、アルフォンソ9世は財政を立て直す必要に迫られていました。つまり、1188年王国会議では、法的側面と経済力の向上について議決され、将来の安定のためには王国の社会的平和を確立する必要があったので、人々の生活に影響を与える不安感に終止符を打つ立法政策が求められてもいたのです。そして、そのためには特権階級の聖職者、貴族だけではなく、一般民衆の協力が必要だったのです。

さて、実はこの1188年王国会議で発布されたオリジナル政令の文書は現存しません。しかし、 スペインではカルトゥラリオス(cartularios)と呼ばれる中世の外交文書の写本記録簿をスペイン公文書館・図書館に保存する伝統があり、この1188年の政令(Decretos)も写本し保存されていたことから、その正真性が証明されたということです。(以上、レオン大学のウエッブサイトより)

800年以上も経った後で、まさか写本の保存が「パーラメンタリズム(議会代表制)発祥の地」と宣言されることに一役買うことになろうとは、当時の人たちは考えも及ばなかったことでしょうが、一国の公的な記録というものは、何時必要になるのか、後世重要性を帯びてくるものなのかは作成当時はわからないので、きちんと記録し保存していかなければならないものだと思いました。

サン・マルティーノ広場(Plaza de San Martino)にあるアルフォンソ9世のブロンズ像(写真:筆者撮影)

レオン市の紋章

後脚で立つ深紅色のライオンが現在のレオン市の紋章です。前述したようにレオン市の名前はライオンの「León」ではなく、ラテン語の「軍団=レヒオ(Legio)」からきていますが、ライオンを紋章に用いています。レオン王国ができたころからしばらくは「十字架」の絵が紋章や硬貨に使われていましたが、12世紀に君主アルフォンソ7世によって鋳造した硬貨に初めて動物のライオンの絵が刻印されました。そして、アルフォンソ7世自身のシンボルマークとして使われるようになり、続くレオンの君主フェルナンド2世、アルフォンソ9世もこれに倣いました。レオン王国が使った紋章としてのライオンは、ヨーロッパの中でも最も古いシンボルの一つです。アルフォンソ7世は、軍旗、盾、鎖帷子(くさりかたびら)の上に着た袖無しの上着などにこのライオンの紋章を用いました。(ウィキペディアより)

きっとライオンは強さの象徴だったのでしょう。イギリスやデンマークの紋章にも3頭のライオンがあしらわれています。その他ワシなどがあしらわれていた紋章もありますが、いずれにしても猛々しいですね。猛々しいのとは正反対な、優雅な雰囲気があるフランスのユリの花型の紋章も有名です。

さて、2020年10月にサン・マルセロ広場にお目見えしたのは、なんと下水口から這い出てきているライオンの像!! 300キログラムもあるブロンズ像です。私は、最初見たときに笑ってしまいました。なかなかユーモアがありますよね。レオン王国時代に比べると華々しさを欠いている現在のレオン(ライオン)が、「これから這い上がってくるぞ! これからは俺の時代だ! 」とても言いたそうな勇ましい雰囲気です。今では市民の人気者になっているようで、子供たちが触りに来たり、一緒に写真を撮ったりと、レオンの新しい観光スポットの一つになりました。それにしても、ローマ時代の人たちは、まさか「軍団=レヒオ(Legio)」が「ライオン=レオン(león)」となるなんて、夢にも思わなかったことでしょうね。

大人気の下水口から這い出すライオン(写真:筆者撮影)

情報

・サン・イシドロ王立参事会教会のウエッブサイト。スペイン語の他に英語とフランス語もあります。

Inicio | Museo de San Isidoro – Real Colegiata (museosanisidorodeleon.com)

・カスティーリャ・イ・レオン州の観光案内ウエッブサイト。こちらもスペイン語の他に英語とフランス語もあります。

León – Portal de Turismo de la Junta de Castilla y León (turismocastillayleon.com)

・レオン市内だけではなくレオン県の観光案内。嬉しい日本語版です。

レオン観光協会 – 日西観光協会 Asociación Hispano Japonesa de Turismo (travelinfospain.net)

・ローマ時代の遺跡や当時の生活の様子などが窺えるレオン・ローマ時代博物館:

レオン・ローマ時代博物館-カソーナ・デ・プエルタ・カスティーリャ(CENTRO DE INTERPRETACIÓN DEL LEÓN ROMANO – CASONA DE PUERTA CASTILLO)

住所:プエルタ・カスティーリャ広場 無番地(Plaza Puerta Castillo, s/n.)

郵便番号24003( C.P.: 24003)レオン市( León)

電話番号:987-878 238

開館時間:月~日 10:00~14:00、17:00~20:00

*14時から17時までは昼休憩のため閉館

Centro de Interpretación del León Romano – Casona de Puerta Castillo (León) | Cultura | Junta de Castilla y León (jcyl.es)

・ユネスコが宣言した「議会主義制度発祥の地」に関するもの。スペイン語のみですが、ビデオなどもあります。

Los Decreta de la Curia Regia de León del año 1188 – registro-memoria-unesco | Ministerio de Cultura y Deporte

Los “Decreta” de León de 1188 – El testimonio documental más antiguo del sistema parlamentario europeo | Organización de las Naciones Unidas para la Educación, la Ciencia y la Cultura (unesco.org)

cuna del Parlamentarismo Archives – tULEctura (unileon.es)

¿Por qué León es la cuna del parlamentarismo mundial según la UNESCO? (europapress.es)

スペインでバードウォッチング!-壮観! シロエリハゲワシ(Buitre Leonado)-カスティーリャ・イ・レオン州-ロス・アリーベス・デ・ドゥエロ(Los arribes de Duero)

観察日:2021年3月14日

ドゥエロ川はスペイン国内で3番目に長い川で、カスティーリャ・イ・レオン州ソリア県にあるピコス・デ・ウルビオン(Picos de Urbión)を水源地とし、全長約897km、そのうち213kmはポルトガルを流れています。ポルトーワインで有名なポルトーを流れる川でもあり、大西洋に流れ込んでいます。ドゥエロ川が流れるスペインとポルトガルの国境地帯がロス・アリーベス(Los arribes)と呼ばれる地帯です。ここはカスティーリャ・イ・レオン地方の中でも比較的低いところにあるため、気候も温暖です。3月14日に行ってきましたが、ミモザの花も終わり、場所によってはアマポーラの花が咲いていたのでびっくりしました。同じサラマンカ県とはいえ、サラマンカ市内ではアマポーラの花は4月から5月にかけて咲く花です。1ヶ月くらい早いですね。今回は、ドゥエロ・ロス・アリーベス自然公園内にあるバードウォッチングスポットを紹介します。

日本語の名前は分かりませんでしたが、ウィキペディアでは「アスフォデルス・アルブス」と紹介されていました

シロエリハゲワシ(Buitre Leonado)がすぐ目の前に!

バードウォッチャーにとっても、あまりバードウォッチングに興味のない人にとっても、お薦めの野鳥観察スポットは、ピコン・デ・フェリペ展望台(Mirador del Picón de Felipe)とフライレ展望台(Mirador del Fraile)です。かなりの数のシロエリハゲワシ(Buitre Leonado)が、切り立った断崖を背にして飛び交ったり、私たちの頭上または眼下で飛び交う姿は、鳥に興味がない人にとっても忘れられない思い出になること間違いなしです。なんせ、普通シロエリハゲワシを見ることができても遠い空のかなたを飛んでいる鳥なので、ここの展望台から見れるようにすぐ目の前でそれも眼下に見れる場所はそうそうないからです。今回は日が暮れる前の6時から7時(3月14日はまだスペインでは冬時間です)にかけて見に行きましたが、30~40羽のシロエリハゲワシ(Buitre Leonado)がどこからともなく現れて空を飛んでいました。この時間帯には風の流れに乗って飛べるため、本当に沢山のシロエリハゲワシが悠々と飛び交い、なかなか見れない光景でした。肉眼でもシロエリハゲワシの顔や翼の模様まで見えて、訪れていた家族連れなどから感嘆の声があがっていました。バードウォッチャーやシロエリハゲワシの写真を撮りたい方には絶好のスポットです。

風の流れに乗って悠々と飛ぶシロエリハゲワシ(Buitre Leonado)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

悲しい愛の伝説「ピコン・デ・フェリペ(Picón de Felipe)」

さて、このピコン・デ・フェリペ展望台の名前は、この地方で語り継がれている伝説の若者の名前から付けられました

昔、フェリペという山羊飼いの若者が、毎日山羊を連れてこのロス・アリーベスの切り立った断崖に来ていました。川を隔てた向こう側にはブルソスというポルトガルの村がありました。そして、その村のある女性を川の反対側から見ているうちに恋に落ちます。しかし、滔々と流れるドゥエロ川と切り立った断崖という物理的な隔たりが障害となって、フェリペは遠くから見ているだけで会いに行くことができません。恋焦がれる女性に会いに行きたい一心で、フェリペは命も顧みずこの二人を隔てる自然の国境を何度も渡ろうとしますが、無情にも徒労に終わっていまいます。それでもフェリペはあきらめず無我夢中で岩を砕き橋を作って川を渡ろうと試みます。しかし、過酷な自然の前にフェリペはとうとう絶望して自殺してしまいました。

この伝説は、スペインとポルトガルを隔てる自然の国境であるドゥエロ川とその川の両面の断崖が、容易に二つの国を行き来できない過酷な自然環境であったことを物語るものです。実際、1840年にこのピコン・デ・フェリペ展望台からほど遠くないアルデアダビラ(Aldeadávila)という村から定期船が就航するまでは、川を隔てて見える反対側の村や人々を訪ねて行く方法はなかったのです。

ピコン・デ・フェリペ展望台から見れるドゥエロ川 右側はスペイン、左側はポルトガル
ピコン・デ・フェリペ展望台にある岩 山羊飼いフェリペは岩を川に落とし橋にしようとしました

まとめ

フライレ展望台は車で近くまで行くことができますが、ピコン・デ・フェリペ展望台へは、駐車場から1km以上歩いたところにあります。途中歩きにくいところもあるので、できれば歩きやすい靴を履いていくことをお薦めします。ここからは雄大なドゥエロ川とスペイン領、ポルトガル領が見渡せます。また、1960年代にスペインとポルトガル両国共同で造られたアルデアダビラダム(Presa de Aldeadávila)があり、両国の技術の粋を尽くして建設したダムのある風景も一見の価値があります。車がないと行くのは難しいですが、レンタカーでスペインを旅行される場合は、是非足を延ばして頂きたい場所の一つです。勿論、バードウォッチングするにはとてもお薦めスポットです。

1965年の映画「ドクトル・ジバゴ」にも出てくるアルデアダビラダム

情報

カスティーリャ・イ・レオン州のオフィシャルサイト。英語版もあります。ピコン・デ・フェリペ展望台へ行くルートの紹介があります。

Ruta del Picón de Felipe – Portal de Turismo de la Junta de Castilla y León (turismocastillayleon.com)

トリップアドバイザーのサイトでもピコン・デ・フェリペ展望台とフライレ展望台が紹介されています。

Mirador del Picón de Felipe (Aldeadávila de la Ribera) – 2021 Qué saber antes de ir – Lo más comentado por la gente – Tripadvisor

El mirador del Fraile (Aldeadávila de la Ribera) – 2021 Qué saber antes de ir – Lo más comentado por la gente – Tripadvisor

ピコン・デ・フェリペ展望台(Mirador del Picón de Felipe)

フライレ展望台(Mirador del Fraile)

スペインでバードウォッチング!-カスティーリャ・イ・レオン州-フラへネダ(Frageneda)

観察日:2021年2月28日

観察した鳥の種類:37種類

今年もアーモンドの花を見に行こうと楽しみにフラへネダ(Frageneda)まで行ってきましたが、残念なことに今年は花が例年より早く咲き、その上咲いた後に風が強くて、行った日は既にアーモンドの花は散ってしまった後でした。

しょうがないので、もう一つのお目当てだったバードウォッチングを楽しんできました。2月も終わりの28日、寒さが残る早春でしたがお天気に恵まれ気持ちの良い1日でした。

ドゥエロ・ロス・アリーベス自然公園/写真:筆者撮影

今回会った鳥たちは、なんと37種類の鳥たち! 携帯アプリの鳥の鳴き声につられてやってきた鳥などは、とても良く見れて大満足でした。

・カササギ(学名:Pica pica / 西:Urraca)

どこでも見かけるカササギ(学名:Pica pica / 西:Urraca)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・シュバシコウ(学名:Ciconia ciconia / 西:Cigüeña blanca)

再びスペインに戻ってきた渡り鳥シュバシコウ(学名:Ciconia ciconia / 西:Cigüeña blanca)/
写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・アカトビ(学名:Milvus milvus / 西:Milano real)

V字の尻尾が目印 アカトビ(学名:Milvus milvus / 西:Milano real)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヨーロッパノスリ(学名:Buteo buteo / 西:Busardo Ratonero)

ヨーロッパノスリ(学名:Buteo buteo / 西:Busardo Ratonero)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ムジホシムクドリ(学名:Sturnus unicolor  / 西:Estornino negro)

ムジホシムクドリ(学名:Sturnus unicolor  / 西:Estornino negro)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・イエスズメ(学名:Passer domesticus / 西:Grrión común)

イエスズメ(学名:Passer domesticus / 西:Grrión común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

ハタホオジロ(学名:Miliaria calandra / 西:Escribano triguero)

鳴き声が特徴のハタホオジロ(学名:Miliaria calandra / 西:Escribano triguero)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヒゲホオジロ(学名:Emberiza cia / 西:Escribano montesino)

ヒゲホオジロ(学名:Emberiza cia / 西:Escribano montesino)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ヨーロッパセリン(学名:Serinus serinus / 西:Serrín verdecillo)

ヨーロッパセリン(学名:Serinus serinus / 西:Serrín verdecillo)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ゴシキヒワ(学名:Carduelis carduelis  / 西:Jilguero)

美しい鳥ゴシキヒワ(学名:Carduelis carduelis  / 西:Jilguero)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・クロウタドリ (学名:Turdus merula/ 西:Mirlo común)

その名の通り歌声のような鳴き声のクロウタドリ (学名:Turdus merula/ 西:Mirlo común)
/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・シロエリハゲワシ(学名:Gyps fulvus/ 西:Buitre leonado)

シロエリハゲワシ(学名:Gyps fulvus/ 西:Buitre leonado))/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・チャイロツバメ(学名:Ptyonoprogne rupestris / 西:Avión roquero)

忙しく飛び交うチャイロツバメ(学名:Ptyonoprogne rupestris / 西:Avión roquero)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ニシイワツバメ(学名: Delichon urbicum/ 西:Avión común)

子育て中 ニシイワツバメ(学名: Delichon urbicum/ 西:Avión común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・タイリクハクセキレイ(学名:Motacilla alba / 西:Lavandera blanca)

長い尾をしきりに上下させるタイリクハクセキレイ(学名:Motacilla alba / 西:Lavandera blanca)
/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・アカアシイワシャコ(学名:Alectoris rufa / 西:Perdíz roja)

走って逃げる姿が可愛い アカアシイワシャコ(学名:Alectoris rufa / 西:Perdíz roja)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・シジュウカラ(学名:Parus major / 西:Carbonero común)

シジュウカラ(学名:Parus major / 西:Carbonero común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・アオガラ(学名:Cyanistes caeruleus/ 西:Herrerillo común)

アオガラ(学名:Cyanistes caeruleus/ 西:Herrerillo común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ワタリガラス(学名:Corvus corax / 西:Cuervo)

あまりよい写真ではないですが…ワタリガラス(学名:Corvus corax / 西:Cuervo)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・クロジョウビタキ(学名:Phoenicurus ochruros  / 西:Colirrojo tizón)

尾が赤いクロジョウビタキ(学名:Phoenicurus ochruros  / 西:Colirrojo tizón)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ズアオアトリ(学名:Fringilla coelebs / 西:Pinzón vulgar)

名前の通り頭が青い ズアオアトリ(学名:Fringilla coelebs / 西:Pinzón vulgar)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・モリバト(学名:Columba palumbus  / 西:Paloma torcaz)

モリバト(学名:Columba palumbus  / 西:Paloma torcaz)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・チフチャフ (学名:Phylloscopus collybita / 西:Mosquitero común)

この辺りではお馴染みのチフチャフ (学名:Phylloscopus collybita / 西:Mosquitero común)/
写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・カケス(学名:Garrulus glandarius / 西:Arrendajo euroasiático 又は Arrendajo común)

カケス(学名:Garrulus glandarius / 西:Arrendajo euroasiático 又は Arrendajo común)/
写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・セアカモズ(学名:Lanius collurio / 西:Alcaudón dorsirrojo)

・オナガ(学名:Cyanopica cyanus / 西:Rabilargo)

オナガ(学名:Cyanopica cyanus / 西:Rabilargo)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・アオカワラヒワ(学名:Chloris chloris/ 西:Verderón común)

アオカワラヒワ(学名:Chloris chloris/ 西:Verderón común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・カンムリヒバリ(学名:Galerida cristata / 西:Cogujada común)

まるでとさかのよう カンムリヒバリ(学名:Galerida cristata / 西:Cogujada común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ムネアカヒワ(学名:Carduelis cannabina / 西:Pardillo común)

ムネアカヒワ(学名:Carduelis cannabina / 西:Pardillo común)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・モリヒバリ(学名:Lullula arborea / 西:Alondra totovía)

モリヒバリ(学名:Lullula arborea / 西:Alondra totovía)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・オナガムシクイ(学名:Sylvia undata / 西:Curruca rabilarga)

オナガムシクイ(学名:Sylvia undata / 西:Curruca rabilarga)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・クロガシラムシクイ (学名:Sylvia melanocephala / 西:Curruca cabecinegra)

スペイン語でも黒い頭という意味のクロガシラムシクイ (学名:Sylvia melanocephala / 西:Curruca cabecinegra)/
写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・シラヒゲムシクイ(学名:Sylvia cantillans / 西:Curruca carrasqueña)

これもムシクイの仲間 シラヒゲムシクイ(学名:Sylvia cantillans / 西:Curruca carrasqueña)/
写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ズグロムシクイ(学名:Sylvia atricapilla / 西:Curruca capirotada)

黒い帽子をかぶっているような ズグロムシクイ(学名:Sylvia atricapilla / 西:Curruca capirotada)
/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ボネリークマタカ(学名:Aquila fasciata / 西:Águila-azor Perdicera)

ボネリークマタカ(学名:Aquila fasciata / 西:Águila-azor Perdicera)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

・ニシノビタキ(学名:Saxicola rubicola / 西:Tarabilla común 又は Tarabilla europea)

ニシノビタキ(学名:Saxicola rubicola / 西:Tarabilla común 又は Tarabilla europea)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデス

・ヤツガシラ(学名:Upupa epops / 西:Abubilla)

ヤツガシラ(学名:Upupa epops / 西:Abubilla)/ 写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデス

コロナの中、県外への外出もままならない毎日ですが、お天気にも恵まれ県内でのバードウォッチングを楽しめたことは幸いでした。遠出ができないができないので近場を散策する機会が増えたのは、コロナのお陰かなとも思ったりしています。今は遠出はできませんが、近場で楽しみましょう!