ロマネスクへのいざない (13)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (10)– モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)

ピクニックでもできそうな気持のよい場所にヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) はある (写真: 筆者撮影)

スペインの文化遺産にも指定されているヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)は、12世紀後半(1170年以降)に建てられたロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)の古い教会である。現在、この修道院は存在せず、その名前だけがこの土地の名前となって残っているにすぎない。

10世紀頃からこの土地に修道士たちが住み始め、ローマ街道から少し離れた、泉のそばにこのロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)が建てられたが、ここから40km程離れたオニャ修道院(Monasterio de Oña)に1063年に併合された。

今回、事前予約など無しでこの礼拝堂を訪れたため、礼拝堂自体は閉まっていて中には入ることはできず残念だった。ここでは、礼拝堂の外観について見てみる。

オリジナルな礼拝堂

モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)は、「スペインで建設されたロマネスク様式のバシリカの中で最も優れた例である」、とウィキペディアには紹介されている。更には、「東洋と西ゴートの影響を受けた12世紀の無名の芸術家たちの優しい手から生まれたままの姿で、きれいに保存されている」と続く。

ここで言う「バシリカ」とは、長方形の建物でキリスト教の教会堂の建築形式である。特徴としては、身廊、側廊があり、入口から入って身廊に入りその突き当りにアプス(後陣)と呼ばれる祭壇がある部分がある。基本的には、アプス(後陣)は、イエスが生まれた方向であり、イエスの「私は光である」という言葉から光(太陽)が生まれる方向、つまり東側に位置するように造られ、教会への入口は西側に位置していた。

ところが、理由は分かっていないらしいが、このヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)の礼拝堂への入口は西側ではなく、北側に位置している。

まるで大きな半円の素描のような三つのアーチ(写真: 筆者撮影)

また、アプス(後陣)は半円形の形をしている。ここの礼拝堂も通常の半円形を成しているが、その半円形に三つの大きなアーチ型をした線が描かれ、各々のアーチの中に細長い窓が造られていて、とても動きのある軽快なイメージを受ける。一般的なアプス(後陣)がもっとどっしりとしたイメージを与えているだけに、この礼拝堂のアプス(後陣)のオリジナル性は際立っている。

幾つか他のロマネスク様式のアプス(後陣)も紹介して比較してみよう。

こちらは、同じブルゴス県にあるサン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)。途中から柱が細くなっていてほっそり感かつ優雅な雰囲気が出ている。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

こちらも同じブルゴス県にあるビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)。もっとでシンプルかつ重厚感を与えている。

ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

最後に比較してみるのは、アストゥリアス地方にあるアマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)。こちらも上のビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)に似ていて、重厚感を与えている。三層に区切ってあるのは、ここのアプス(後陣)の特徴でもある。

アマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

比較してみるとお分かりになると思うが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)はロマネスク様式のアプス(後陣)の中でも新奇な趣向を見て取ることができる。

北側にある入口

北側にある入口を見てみよう。

北側に位置する教会の入口(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

入口のアーキボルトは三層から成っていて、ほんの少し先が尖っているのが見える。これは、この後に訪れる初期ゴシック様式への過渡期であり、黎明期の到来を表している。実際、この入口は12世紀後半のもので、この頃にはスペインにも少しづつゴシック様式の波が押し寄せていた。しかしその装飾は、ビザンチン文化の影響を受けたロマネスク様式のものである。

円柱の4つの柱頭は、ロマネスクではお馴染みの鳥とライオンの姿が見える。そして入口を見てまず目に留まるのは、矢張り入口の左右に彫られているライオンの頭部だろう。なかなか表情豊かで印象的である。これは、「教会の番人としてのライオン」を表していて、教会に入る人々に、神聖な場所にいることを警告し、態度を改め、適切な態度を取らなければならないことを示している。

ライオンというよりまるで鬼の顔のよう(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この教会の番人としてのライオンは、あまりに実際のライオンとはかけ離れた顔つきのような気もするが、忘れてはいけないことは、ロマネスクの時代には、本物のライオンを見たことがある人はおそらく一人もいなかったであろうことだ。というのも、ヨーロッパには今も昔もライオンはいない。今のようにテレビやインターネットでライオンの姿を見ることが容易であったわけではない。まして、動物園等ない当時、本物のライオンにお目にかかれる機会など全くなかったのである。全てのこのような動物は石工達の想像上の動物、またはそれ以前に描かれていた絵等の資料を基にして作られたのであった。

魅力的な持ち送り(Canecillos または Modillones)

前述の北側の入口の屋根部分にも見えるが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)には、スペイン語でカネシージョス(Canecillos)またはモディジョネス(Modillones)と呼ばれる24の持ち送りがある。通常、ロマネスク様式における持ち送りは身廊や後陣、入口の瓦屋根の下にあり、張り出した屋根部分を支える機能を担っていると同時に、装飾としての役目も担っていた。

ロマネスクにおけるライオンに与えられた象徴的な意味は多岐にわたっている。その上、前述した「教会の番人としてのライオン」というような良い意味だけではなく、悪い意味を象徴するものとしてもその姿が用いられてきた。例えば、「悪魔の化身」としてのライオンや貪食な動物であるというイメージからくる「死」や「精神的な死」をも意味していた。(「ロマネスクの図像と象徴(筆者訳: Iconografía y Simbolismo Románico de David de la Garma ramíez、出版社: arteguias)」より)

ライオンだろうか。歯を見せて笑っているようなユーモラスな表情は魅力的。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
鋭い嘴からワシではないかと思われる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
流石に犬は本物の犬の姿をしていて分かりやすい(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

人間を描いた持ち送りも多数見られる。

人間の胸像、職業や活動を示すもの(ハンマーを持った鍛冶屋や大工、バイオリンを持った音楽家、裸の男(おそらく男根)などがそれに当たる。

ハンマーを持った鍛冶屋(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
背中合わせの男女だろうか?小首をかしげる女性の姿は惹きつけられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
楽器を弾く男。バイオリンだろうか?(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
こちらは裸の男。破損しているが男根とみられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

東方の影響

南側の浮き彫りには、聖母マリアと幼子イエスが描かれており、マリアが戴冠する「知恵の王座(ラテン語ではセデス・サピエンティアエ(Sedes Sapientiae))」というビザンチン様式の伝統的な正面配置になっている。残念ながら幼子イエスの彫刻は事実上失われている。

東方のビザンチン文化の影響を受けた聖母マリアと失われた幼子イエス
(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

一つの建築物の中に様々な文化・様式が融合され、調和を持った教会へと仕上げられている所はこのヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂の魅力の一つであろう。

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

・youtubeでいろんな角度から見たヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂が見えます。

・こちらは、礼拝堂の中も見れる youtube。

参考

・カステージャ・イ・レオン州の公式観光案内ウエブサイトには、コンタクトの電話番号があります。内部も見学したい方は、事前に連絡されて訪ねることをお勧めします。2023年11月現在で確認した限りは、冬の期間11月~3月くらいまでは基本的には中を訪れることはできないとのことでした。冬の季節以外は、週末にガイド付き(今のところスペイン語のみ)で中を見学できるが、事前予約が必要とのことでした。

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-senora-valle

おいでよ!スペインの素敵な村 (3)-カンタブリア州-カルモナ(Carmona)

スペイン北部 カンタブリア州内陸部にあるスペインで最も美しい村

今年の夏は例年以上に暑い毎日で、避暑を兼ねて8月末に2泊3日の小旅行に出かけました。その日カステージャ・イ・レオン州では37℃というかなり厳しい暑さでしたが、スペイン北部のカンタブリア州に入った途端一気に気温がドンドン下がっていき、車で15分も走ると17℃になり20度も差がありました。車から降りてみると、ちょっと寒いくらい!隣の州なのにこんなにも気温差があるのかと改めて驚かされました。

カンタブリア州は、州都サンタンデールをはじめ有名どころの観光地はカンタブリア海の海岸沿いに連なっています。スペイン旅行をされた方の中には、スペインを代表する建築家ガウディの「エル・カプリチョ」という建物があるコミージャス(Comillas)や海岸線から少し内陸部に入ったところにあり14世紀から18世紀の建物が残存する古く美しい街並みのサンティジャーナ・デル・マール(Santillana del Mar)を訪れたことがあるのではないでしょうか。もしかすると、サンティジャーナ・デル・マール(Santillana del Mar)の近くにあるアルタミラ洞窟まで足を延ばされたかもしれません。

今回ご紹介する村は、カンタブリア州内陸部の山地にある美しい村カルモナ(Carmona)です。1985年に歴史的・芸術的な村として指定されたカルモナは、2019年には「スペインで最も美しい村」という協会からスペインで最も美しい村の一つとしても認定されました。「日本で最も美しい村」という日本版の協会もあるのでご存知の方も多いかもしれません。ちなみに、この「スペインで最も美しい村」という協会は2011年に設立され、人口1万5000人以下(歴史地区の人口は5000人以下)であること、建築的遺産または自然遺産があることなどを条件に、村内の環境、宿泊施設、案内板に至るまで厳正に審査し、登録を認定しています。(ウィキペディアより)

半円アーチを持つ入口とバルコニー、そして切り石建築はこの山間部の村に見られる典型的な建築(写真:筆者撮影)

カルモナ(Carmona)の邸宅(Palacio)でお昼ご飯

村に入り、ぶらぶらと散歩していると、他の建物とは異なる立派な邸宅(Palacio)がありました。正面門の上部には、かなり大きな家紋が彫られています。現在ホテル兼レストランとして活躍しているディアス家、カッシオ家、カルデロン家、ミエル家の邸宅(Palacio de los Díaz de Cossio, Calderón y Mier)です。この邸宅は、1715年に建てられたマドリードのバロック(barroco madrileño)様式と地元の典型的な建築様式が融合した建物で、柱に3つの半円アーチを持つ中央部分と、それを挟む2つの高い塔で構成されています。

二つの建築様式が見事に調和され、バランスの取れた切り石建築と中央の大きな紋章が特徴(写真:筆者撮影)

特に目を引く大きな紋章はディアス家、コシオ家、カルデロン家、ミエル家の4つの家の紋章で、紋章の両脇には長槍で武装した二人の巨大な兵士の彫刻が浮き彫りにされています。

紋章の上には飾り付きの兜が(写真:筆者撮影)

丁度お昼ご飯の時間だったので、邸宅のレストランでお昼を食べることに。中に入るとレストラン部分の隣に小さな中庭がありテーブルが用意されていたので、心地よい風の吹く中庭でお食事を。ウエイターの方にお薦め料理を尋ねると、「狩猟で捕獲したこの辺りの野生鳥獣の肉を使ったジビエ料理だね!」という返事が返ってきました。味付けの方はカレーのスパイシーなもので、伝統料理というよりも地元の伝統的な素材を使って作る創作料理という感じのものでしたが、日本人の私にとっては口に合う味付けでした。

カレー味のピチョンと呼ばれる鳩の雛肉(Pichón)料理(写真:筆者撮影)

他にもカルモナ村では、コシード・モンタニェス(Cocido montañés)と呼ばれる煮込み料理や、カルモナ村から約10㎞程にあるサハ川で獲れるマスを使った料理等も有名だそうです。

村で取れた洋梨を使ったサラダ。数年前からスペインでもよく使われるようになったイタリアのブッラータチーズ入り(写真:筆者撮影)

レストランの上部分には野外テラスがあり、そこから見る自然に囲まれた風景は心癒されるものがありました。

バロック時代の家々

カルモナ村を歩いていてすぐ気付いたことは、村の家々が私が住むカステージャ・イ・レオン州の村の家々の造りとはかなり異なっていることです。

まず、結構大きな家が多く存在していてバロック時代(17世紀から18世紀)に造られたものです。特徴としては、入口は半円アーチがあり、「ソラーナ(Solana)」と呼ばれるバルコニーがあります

百聞は一見に如かず。下の写真をご覧ください。こちらはカルモナ村の典型的な家です。

入口は半円アーチがあり、「ソラーナ(Solana)」と呼ばれる左右を厚い石造りの防火壁で囲まれたバルコニーがある(写真:筆者撮影)

次に下の写真をご覧ください。こちらは、カステージャ・イ・レオン州の「カンデラリオ(Candelario)」村の典型的な家です。入口、バルコニー等かなり趣が異なっていることがお分かりになると思います。

カンデラリオ(Candelario)についてもっと知りたい方はこちらもどうぞ。

この「ソラーナ(Solana)」とは左右を厚い石造りの防火壁で囲まれたバルコニーで、カンタブリア地方特有の建築様式です。下部の壁には梁受け(はりうけ ménsulas)が突き出していてバルコニー部分を支えています。そして、「ソラーナ(Solana)」であるためには南向きに造られ、冬の日差しを存分に浴びることができるように考えられています。(一般的なスペイン語の「ソラーナ(Solana)」の意味は、「日なた、日だまり」等の意味があるからです。)

村に残存する建築物から、その村に住む人たちの生活の知恵、生活様式、生活のニーズが見えてきます。そして、村人たちの美的感覚や村に対する愛着まで訪れる人に伝わってくることはとても興味深く、歴史的・芸術的な村を訪れる醍醐味ともいえるでしょう。

カルモナ村の木工細工「アルバルカ(Albarca)」

この村の伝統的な職業として木工細工があります。特に「アルバルカ(Albarca)」という木靴を作る「アルバルケロ(Albarquero)」という職業が典型的で、現在もこの村で作られ使われています。日本の下駄とは異なりつま先が靴のように覆われていて、歯は前の方に2本、後ろの方に1本、合計3本付けられています。この木靴は、雨の多いこの地方で、湿気や水たまりから足を守るために考案されたもので、カンタブリア地方からスペイン北部のその他の地方へも伝わっていきました。木靴というと歩きにくいように感じてしまいますが、3本の歯が足を高くして歩行に敏捷性を与えるため、悪路やぬかるんだ場所だけでなく雪の中での歩行に実用的な靴だということです。

カンタブリア地方西部が原産のトゥダンカ牛(Wikipedia Public Domain)

またこの地方では、「トゥダンカ(Tudanca)」という名前のスペイン特有の牛の品種が多く生息していて、このトゥダンカ牛の畜産が盛んですが、牧人たちが牛を放牧している間に副業としてこの木靴「アルバルカ(Albarca)」を作っていたということです。

スペイン国営テレビによる木靴「アルバルカ(Albarcas)」ととそれを作る職人「アルバルケロ(Albarquero)」について紹介する動画があります。是非ご覧ください。

https://www.rtve.es/play/videos/aqui-la-tierra/albarcas-cantabras-tradicion-region/5646428/

ちょっと足を延ばして

今回は紹介しませんでしたが、カルモナ村から車で約30分位の所に「バルセナ・マヨール(Bárcena Mayor)」という村があります。この村もカルモナ村と同様に歴史的・芸術的な村として指定され、「スペインで最も美しい村」協会からもその一つとして認定されています。そして、カルモナ村と同じような建築様式の家々があり、とてもかわいい村です。カルモナ村に比べると、もっと観光地化している印象を受けましたが、カルモナ村と同様に、この地方の典型的な建築様式が見事に反映された家々を見て歩くのは楽しいものでした。

バルセナ・マヨール村(Bárcena Mayor)(写真:筆者撮影)

カルモナ村もバルセナ・マヨール村も趣がありとても絵になる美しい村です。特にカルモナ村はサハ保護区に含まれているため、恵まれた自然の飛び地に位置していて、この地域特有の森林や景観がとても豊かで、周りを自然に囲まれ、まるで自然から優しく包み込まれているかのような錯覚を覚え、心に安らぎを与えてくれる村です。機会と時間があれば是非訪れてほしいスペインの村の一つです。

カルモナ村へ向かう途中の景色。美しく調和のとれた自然とその中で営む生活の一端(写真:筆者撮影)

情報

・4つ星ホテル兼レストラン ディアス家、カッシオ家、カルデロン家、ミエル家の邸宅「Hotel Arha Carmona」のウエブサイト。

https://www.hotelarhacarmona.com/

・カルモナ村に興味のある方はこちらのウエブサイトもお薦めです。カルモナ村の地図も出ていて便利です。残念ながらスペイン語のみです。

https://www.esenciadecantabria.com/disfruta/turismo-cultural/visitas-autoguiadas/carmona

ロマネスクへのいざない (12)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (9)– ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)

16世紀に再建されたので外観はロマネスク様式のものとは異なる

ブルゴス市から約20㎞、ミニョン・デ・サンティバニェスという村に聖ペドロ教会はある。この同じブルゴス県にある1011年に設立されたベネディクト会修道院の聖サルバドール・デ・オーニャ修道院に残っている文書によると、ミニョン・デ・サンティバニェスという村の起源は11世紀まで遡る

聖ペドロ教会は、後期ロマネスク様式時代に当たる12世紀の終わりから13世紀の初めにかけて建設された。そのため、ロマネスク様式とは言え、入口の門部分がゴシック様式の影響も受けてわずかながら尖っている。そして、教会は16世紀に再建され、ロマネスク様式はこの入り口部分と教会の中にある洗礼盤のみが残っているのみである。再建された際、出入り口に厚いバットレスが建てられたため、アーキボルトを支える柱頭や入口の門の一部が切断された。もう少し、オリジナルであったロマネスク様式の入口を尊重して完全な形で保存してほしかったと惜しまれるが、今ではなすすべもない。

ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会は、1983年にはスペインの文化財に指定されている。

なんて漫画チック‼

入口の前に来て、入口に彫られているモチーフを見て「なんて漫画チックな彫り物!」というのが第一印象だった。百聞は一見に如かず、とにかく下の写真をご覧いただきたい。

ロマネスク様式の特徴の一つである半円形の入口のとっぺんが心持ち尖っているのはゴシック様式への過渡期であったため

今まで見てきたロマネスク様式の彫り物の中でも、これほど漫画チックなものは見たことはない。今回のブルゴス県のロマネスク様式の旅の中で見た彫り物の中でも異彩を放っている。一見稚拙な印象さえも与える。アーキボルトに施されている18人の姿は、日本の漫画で見たことがあるようなユーモラスで他のものとは一味違うものだ。もう少し近くから見てみよう。

日本の漫画に出てくるような彫り物でちょっと親近感を覚える (笑)

一般的にロマネスク様式の人物像は、施されている場所の空間による制限もあり、極端にバランスが取れていないものも見受けられるが、ここに彫られている楽師たちや書物を持つ人物像等はあまりにも頭でっかちで丸みを帯び漫画チックである。

一見稚拙だが一人一人存在感がありユーモラスな人たち

また、顔つきもちょっと現実離れしたまるでお化けのような顔つきだ。ちなみに、同じブルゴス県にあり同じく12世紀末に造られたアエド・デ・ブトロン村にある聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)に施されている楽師たちを紹介しよう。

こちらは天使の羽、洋服の襞(ひだ)、表情など細部にわたり緻密な彫り物が施されていて石工達の高度な技術が一目でわかる

同じ時代の、同じ地方の、同じロマネスク様式のものとはかなり違っていることがお分かりになるだろう。

これが何を意味するのか。この入り口を造った石工達が意図的にこのようなユニークな彫り物を施したのか、単に石工達の技術が未熟であったためこのような稚拙ではあるが面白み溢れる独創的な作品になったのか、色んな文献を当たってみたが答えになるものは見つからなかった。ただ、この漫画チックで一度見たら忘れられない入口を造った石工達は、後世に名前を残すこともなかった名もなき、しかし当時人気のあった地元の石工達によって造られたことだけは確かなようだ。

(アエド・デ・ブトロン村の聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)についてもっと知りたい方はこちらもどうぞ。)

ゾディアック-12個の神秘的なメダイヨン

もう一つ目を引くのは、入り口のアーチとして機能しているアーチボルトに施されている12個のメダイヨンだ。メダイヨンとは円形の浮彫装飾である。

1139年の第2ラテラン公会議で教会自身がモチーフを禁じることに決めた、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手の姿も見える。「射手座」を表しているのか?

それらの装飾は、四足獣、爬虫類、そして人間の姿を、常に円形の枠の形に合わせて描かれており、己の四肢の先端をつかまえたり噛んだりしているもの、S字型にデザイン化しているものなどが見られる。

ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会のすぐ近くにある家の教会管理人の方が、教会の簡単な説明が書かれた紙を1枚くれたが、その説明文の中には、装飾的発想に従ってこのようなモチーフを選択したのだろうとあった。

しかし他の研究者たちの意見として、天球上の12星座を示すゾディアックだろうという説もある。例えば、ライオンは「獅子座」、女性は「乙女座」、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手は「射手座」を意味する。だが、その他のモチーフについては説明できないものもあるとのことだった。

実際、ロマネスク様式の教会にはゾディアックが描かれていることがある。興味深いことは、星によって影響を受けるという占星術は、キリスト教の中では軽蔑すべき異教徒たちの迷信と考えられていた。では何故、天球上の12星座を示すゾディアックを教会の入口の装飾に使ったのだろうか?これは、天球上の12星座を示すゾディアックが示すものは、農業暦のようなものを指していると考えられている。つまり、ロマネスク芸術では、神が絶対的な支配者である1年の月の時系列的なサイクルであり、「時間の支配者である神」という意味が与えられていたのだ。(「Iconografía y Simbolismo Románico 」(「ロマネスク様式 図像と象徴」筆者訳) David de la Garma Ramíez 著 出版社 Arteguias より)

円形の枠の中に合わせたデザインの模様は緻密だ

最後に

アーキボルトに施されている18人のユーモラスで独創的な姿を彫った石工と、12個のメダイヨンのデザインし彫った石工は、全く異なる別の石工達の手による作品だと思われる。何故なら双方のスタイルがあまりにも異なるものだからだ。詳しいことは分からないが、当時の教会装飾に対する考え方や同時代・同地域であっても様々なモチーフが用いられてことは興味深い。

特筆すべき点として、前述した説明書によると、埃除け用覆いの役割を果たしている入口の最後のアーキボルトは3本の細いアーチ型で、ロマネスク様式としては珍しいタイプのアーキボルトで、ブルゴス県では唯一の例だとのこと。

まるで歯のような長方形の飾りの上に3本のアーキボルトがあるが、このようなタイプのアーキボルトはブルゴス県では唯一の例

私の注意を引いた別の点は、ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会の入口の柱の高さが他のものよりもかなり低いことである。私の背の高さ位だったので、160㎝程の高さだ。当時の人達にとっても、ちょっと背をかがめて教会に入らなけらばならない高さだったのではないだろうか。

18人の漫画チックな人物像にしても12個のメダイヨンに彫られているモチーフにしても謎だらけだが、何世紀にも亘りこの不思議なモチーフの門をくぐって教会に礼拝してきた村人たちの姿を想像したり、16世紀に再建した際、この入り口だけは壊さず残しておいたその当時の人達のこのモチーフに対する愛情などに想いをはせ、800年以上も昔に名も無き石工達が残した作品を歳月を超えて実際に自分の目で見れる幸運を感じた。

柱頭は劣化が激しいが、肉厚の葉や人魚が二股に分かれた尾をつかんでいる姿をかろうじて認識できる

情報

ここで紹介したミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方は下のブログを参考にして頂きたい。

・スペイン語だが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れる。最初に述べた、ロマネスク様式の洗礼盤の写真も掲載されている。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/MI%C3%91ON%20DE%20SANTIBA%C3%91EZ.pdf

番外編 バードウォッチング!-「羊と鳥の楽園シェットランド諸島」-3-(スコットランド/シェットランド諸島/メインランド島)

観察日: 2023年6月11日

スペインではないのですが、番外編として3回シリーズで、英国最北端に位置するシェットランド諸島でのバードウォッチングについて紹介しています。

シェットランド諸島バードウォッチングの旅、最終回はシェットランド諸島のメインランド島(Mainland island)とマウサ島(Mousa island) です。

サンバラ岬からの風景。こちらも木が全くない所です/ 写真: 筆者撮影

スピギー湖 (Loch of Spiggie) & スピギー海岸 (Spiggie Beach)

スピギー湖 (Loch of Spiggie)は、野生生物保護の目的で特別保護地区および特別科学関心地区に指定されています。英国王立鳥類保護協会 (RSPB) のウエブサイトとによると、秋から冬にかけてはオオハクチョウ (Cisne cantor)、コガモ (Cerceta común)、ヒドリガモ (Silbón europeo) が、春から夏にかけてはキョクアジサシ (Charrán ártico)、キタオオトウゾクカモメ (Págalo grande)、キンクロハジロ(Porrón moñudo)、マガモ (Ánade azulón) が湖で見られ、沼地では様々な渉禽類が見られると紹介されています。

スピギー湖 (Loch of Spiggie) 沿いにある野鳥観察舎(ハイド)/ 写真: 筆者撮影

ハイドに入ってスピギー湖を眺めるとすぐにコブハクチョウ(Cisne vulgar)が見えました。

コブハクチョウ(学名:Cygnus olor / 西:Cisne vulgar)/(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

英国王立鳥類保護協会 (RSPB) のウエブサイトに紹介されていたキョクアジサシ(Charrán ártico)もいました。

キョクアジサシ(学名:Sterna paradisaea / 西:Charrán ártico)/(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

ハイドの横にあった草むらでは、マキバタヒバリ(Bisbita pratense)が上手に虫を捕っている姿を観察できました。

マキバタヒバリ(学名:Anthus pratensis / 西:Bisbita pratense)/(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

残念ながらキタオオトウゾクカモメ (Págalo grande)、キンクロハジロ (Porrón moñudo)はいませんでした。

その後、スピギー湖と反対側に歩いていきスピギー・ビーチに着きました。とても清澄な海が広がっていて、私がこれまで見てきた海岸の中でもかなり気に入ったものの一つとなりました。海の色が薄く、透明感が強く、清涼な空気も手伝い、日本の海ともスペインの海とも印象が異なっていました。双眼鏡をのぞいてみると、向こう岸に20頭ほどのアザラシが浜辺で日向ぼっこしている姿が見えましたよ。

人っ子一人いない浜辺は、波の音と鳥の声のみの心地よい世界。/(写真: 筆者撮影)

全く人けのない海辺で、キタオオトウゾクカモメ (Págalo grande) が水浴びをしていました。離れた場所から双眼鏡を通して観察していると、かなり長い時間をかけて水浴びをしていました。

水浴びするキタオオトウゾクカモ(学名:Stercorarius skua / 西:Págalo grande)/(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

時々、アジサシ(Charrán común)が海の上を飛んできては魚を捕まえようとしていました。

アジサシ(学名:Sterna hirundo / 西:Charrán común)/(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

浜辺の岩肌には、フルマカモメ(Fulmar)たちの巣も沢山ありました。

フルマカモメ(学名:Fulmarus glacialis / 西:Fulmar) /(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

海の水に手を入れてみて驚いたのは、思ったより海の水が冷たくないということ。スペイン北部の大西洋側の海の水の方がずっと冷たいなと思いました。海辺の岩に座り、飽きもせずいつまでも海を見ていて、この浜辺から離れがたい思いでした。

穴場的なスポット、スピギー海岸 (Spiggie Beach) / 写真: 筆者撮影

サンバラ岬(Sumburgh head)

前回もサンバラ岬(Sumburgh head)には行き、沢山のフルマカモメ(Fulmar)が目の前で、私の目線と同じ高さで飛んでいたのがとても印象的でした。今回も彼らは飛んでいましたが、数的にはかなり少なかったようです。やはり去年の鳥インフルエンザの災難がフルマカモメたちにも降りかかってきたのでしょうか。はっきりとしたことは分かりませんでした。

フルマカモメ(学名:Fulmarus glacialis / 西:Fulmar) /(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

サンバラ岬(Sumburgh head)の駐車場で車をとめ、灯台まで歩いていく途中、海を見下ろしてみてびっくり!大きな岩の上にウミガラス(Arao común)のコロニーが!所狭しと無数のウミガラスたちがひしめき合っています。前回来たときは8月下旬ということもあり、殆ど姿を見ることができなかったウミガラスでしたが、今回は卵を孵化させているようです。面白いことに、ウミガラスはフルマカモメやパフィンのように巣作りはせず、岩の割れ目など卵が海に落ちていかない場所に卵を産み落としていました。

柔らかい草などで卵を保護することもなく、岩の上にそのまま卵が産み落としてあります / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

ウィキペディアによると、このウミガラスの卵は、他の鳥の卵に比べ一端が尖っている「セイヨウナシ型」と呼ばれている形状のもので、この形状だと転がってもその場で円を描くようにしか転がらないため、断崖から落ちにくいものだそうです。なるほど!と感心すると同時に安堵しました。

右上のウミガラスに注目!ウミガラス(学名:Uria aalge / 西:Arao común) /(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

上の写真を見ていただくとお気づきになると思いますが、まるで白いサングラスをかけているようなウミガラスがいます。これは、大西洋などに分布する目の後ろ側に白い線の入ったウミガラスです。

サンバラ岬(Sumburgh head)は、パフィンのコロニーが見れる所でもあります。ただ、このブログの番外編の第1回で紹介したアンスト島(Unst island)にあるハーマネス国立自然保護区(Hermaness Natural Reserve)で見たようなパフィンのコロニーを見ることはできませんでした。そしてハーマネス国立自然保護区ほど近くでパフィンを見ることはできませんが、かなり近い距離で岩肌に居るパフィン達の姿を見ることができました。

パフィンまたはニシツノメドリ(学名:Fratercula arctica / 西:Frailecillo atlántico) / (写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

その他、サンバラ岬で見れた鳥たちは次の通りです。

-ヨーロッパタヒバリ(学名:Anthus petrosus / 西:Bisbita costero)

岬中に小さな花が咲いていて、遅い春の真っ盛りという感じでした / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-マキバタヒバリ(学名:Anthus pratensis / 西:Bisbita pratense)

虫を捕まえて雛へ持っていくのかもしれません / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-ヨーロッパヒメウ(学名:Gulosus aristotelis / 西:Cormorán moñudo)

巣作りに精を出すヨーロッパヒメウ(学名:Gulosus aristotelis / 西:Cormorán moñudo) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-オオカモメ(学名:Larus marinus / 西:Gavión atlántico)

オオカモメ(学名:Larus marinus / 西:Gavión atlántico) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-ミツユビカモメ(学名:Rissa tridactyla / 西:Gaviota tridáctila)

こちらにはミツユビカモメの巣があるようです。ミツユビカモメ(学名:Rissa tridactyla / 西:Gaviota tridáctila) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-キバシヒワ(学名:Linaria flavirostris / 西:Pardillo piquigualdo)

キバシヒワ(学名:Linaria flavirostris / 西:Pardillo piquigualdo) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

プール・オブ・バーキー(Pool of Virkie)

サンバラ岬(Sumburgh head)のすぐ近くにプール・オブ・バーキー(Pool of Virkie)があります。サンバラには空港がありますが、滑走路を横切って!! プール・オブ・バーキーまで行きました。

滑走路を車で横切るなんて体験はなかなかできるものではありません(笑) / 写真: 筆者撮影

ここは入江になっていて、サンバラ空港の滑走路の横に位置します。海辺の横には少し背の高い草地があり、鳥たちが巣を作るには格好の場所です。私たちが観察している間に、ダイシャクシギ(Zarapito real)が草むらから飛び立ち入江に降りてきました。

入江に降りてきたダイシャクシギ(学名:Numenius arquata / 西:Zarapito real) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

その他、プール・オブ・バーキーで見れた鳥たちは次の通りです。

-ハジロコチドリ(学名:Charadrius hiaticula / 西:Chorlitejo grande)

ハジロコチドリ(学名:Charadrius hiaticula / 西:Chorlitejo grande) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-アビ(学名:Gavia stellata / 西:Colimbo chico)

アビ(学名:Gavia stellata / 西:Colimbo chico) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-ヨーロッパヒメウ(学名:Gulosus aristotelis / 西:Cormorán moñudo)

サンバラ岬で巣作りしていたヨーロッパヒメウ(学名:Gulosus aristotelis / 西:Cormorán moñudo)/ 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-ミユビシギ(学名:Calidris alba / 西:Correlimos tridáctilo)

忙しそうに食べ物を探して食べるミユビシギ(学名:Calidris alba / 西:Correlimos tridáctilo) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

-セグロカモメ(学名:Larus argentatus / 西:Gaviota argéntea europea)

セグロカモメ(学名:Larus argentatus / 西:Gaviota argéntea europea) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

マウサ島(Mausa island)

今回、夜にマウサ島(Mausa island)へ行き、ヒメウミツバメ (Paíño europeo) を見に行きました。

この島には、「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」と呼ばれる石組みの円形城塞形の塔があることでも有名です。ブロッホ(Broch)は、鉄器時代(紀元前700年~紀元200年)にスコットランド北部と西部に数多く作られていたものですが、「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」は、その中でも最も保存状態が良く最も大きいもので、高さ13メートルにも及びます。

ブロッホ(Broch)が何に使用されていたのかは未だに謎に包まれていて、研究者たちが様々な使用目的を指摘しています。捕虜たちの収容場所、島の有力者たちの富や権力を敵に見せ示すための建物、食料や薬の保存庫、共同の台所、また比較的最近の時代には密輸業者の秘密の貯蔵庫等々、様々な用途が想像されていますが、ハッキリとしたことは分かっていません。

船から降りてモウサ島に着き、案内人の説明を聞きながら「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」へ向かいました / 写真: 筆者撮影

夜10時半にメインランドを出発しましたが、こちらはまだ明るく島へ上陸した後もしばらくは光がありましたが、「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」に着くころにはもうかなり暗くなっていました。案内人は、所々で止まって島の歴史などの紹介をしてくれましたが、スコットランド訛りが強く理解するのに苦労しました。(笑)

彼が話してくれたモウサ島の面白い話の一つに次のような話がありました。18世紀のシェットランド、ある夫婦が暮らしていましたが、妻の方がアルコール依存症となり、夫はアルコールが簡単には手に入らないモウサ島へしばらく住むことで妻のアルコール依存症を治癒しようと考えました。ところが、モウサ島へやってきても妻の依存症はなかなかよくなりません。どうしたことかと不思議に思っていると、実はこの島にはアルコール密輸商人たちが沢山いたので、妻は彼らからアルコールを簡単に手に入れていたのです。ちなみに、19世紀からこの島には人は誰も住んでいません。

ヒメウミツバメ (Paíño europeo) は、この「モウサ島のブロッホ(Broch of Mousa)」の住人ならぬ住鳥のようです。円形の石組みの窪みや穴を利用して巣を作っていした。数多くのヒメウミツバメ (Paíño europeo) がブロッホ(Broch)の周りを飛び回っていましたが、私の顔をかすめていくヒメウミツバメ もいました。暗闇の中、いきなりすぐ近くを飛び回っているヒメウミツバメには驚かされました。

ブロッホ(Broch)の中にも入り、狭くて急な階段を上っていくと一番上に着きます。人がやっとすれ違うことができるくらいの円形状に沿ったスペースがあり、真ん中は下まで筒抜けです。ここでもヒメウミツバメたちがせわしく飛び回っていました。

ヒメウミツバメ (Paíño europeo) を実際にゆっくり観察することはかなり難しいものでした。というのも、日中は海に居てモウサ島には暗くなってから巣に戻ってきます。ただ、とにかくジッとしていない鳥たちで常に飛び回っているという感じです。巣の中に止まることは勿論ありますが、暗くなっているのでハッキリと見ることはできませんでした。残念ながら、写真は1枚も撮れませんでした。

これは wikipedia domain の写真です。こんな鳥だったんですね!(笑)

「eBird」というサイトでは、ヒメウミツバメ (Paíño europeo) 写真やモウサ島で撮影した動画も投稿されていますので、ご覧ください。

https://ebird.org/species/eurstp1?siteLanguage=ja 

ラーウィック (Lerwick)

シェットランド諸島の州都で港町です。17世紀にニシン漁のために建設され、現在も漁港として栄えています。有名な行事として、1月の最終火曜日に毎年開催されているバイキングの伝統を祝う火祭り「ウップヘリ―アー(Up-Helly-Aa)」があります。15世紀までシェットランド諸島はバイキングの子孫の島としてノルウェー領だった歴史があり、実際、ノルウェーの港町ベルゲンからは370㎞の距離しかありません。ノルウェーからシェットランド諸島に個人所有の船で訪れる人も多いようです。

ラーウィック港に停泊していたノルウェーの旗を掲げた船 / 写真: 筆者撮影

ラーウィック(Lerwick)の港は絶好のバードウォッチング・スポットです。すぐ近くで水鳥たちを見ることができます。ウミガラス(Arao común)やハジロウミバト(Arao aliblanco) の姿をよーく観察することができました。

港でのんびり泳いでいたウミガラス(学名:Uria aalge / 西:Arao común) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ
魚を捕まえたハジロウミバト(学名:Cepphus grylle / 西:Arao aliblanco) / 写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ

最後に

ラーウィックの街は、小さいながらもなかなか趣のある街です。

ラーウィックの街のメインストリート。お店やレストラン等々 / 写真: 筆者撮影

6月7月は観光にも適し、バードウォッチングも一年の中で一番良い時期ということもあり、今回はシェットランド諸島での宿泊施設を探すのにかなり苦労しました。アドバイスとして、旅程が決まったらなるべく早めに宿泊施設を予約された方が良いでしょう。

前回はラーウィックではB&Bに泊まったのですが、今回はメインストリートにある由緒ある「グランド・ホテル(The Grand Hotel Lerwick)」に泊り、時代を感じさせる建物の中を見ることができました。口コミではあまり高い評価をされていなかったのですが、スタッフ皆とても温かく迎えてくれ、居心地の良いホテルでした。ただ、古い建物の改装などがなかなか行き届いていないようで、エレベーターやエスカレーターはなく階段のみなので大きな荷物を持っている人にとってはちょっと大変かもしれません。朝食は希望を尋ねられ、英国特有の朝食がでてきました。ビーンズやブラックプディングもおいしくて大満足!

ベーコン・目玉焼き・焼きトマト・ソーセージ・ビーンズ・2種類のブラックプディング。その他、トーストなども出てきました / 写真: 筆者撮影

ただ、前回泊まったB&Bではキッパー(Kippers)が出てきてとても美味しかったのですが、今回のシェットランド旅行では1度もキッパー(Kippers)が出てこなかったのがとっても残念でした。キッパー(Kippers)はニシンの燻製で、日本の干し魚を思い出させます。ラーウィックはもともとニシン漁港として発達したので、当然キッパー(Kippers)が朝食に出てくると思い込んでいたので落胆度も大きかったです。(苦笑)

グランド・ホテルの食堂。歴史を感じさせる内装です / 写真: 筆者撮影

4泊5日のシェットランド諸島バードウォッチングの旅は、お天気にも恵まれ、沢山の珍しい鳥たちにも出会えて、とても充実した毎日でした。そして、島々で出会った人たちの温かさに心も満たされた旅となりました。バードウォッチングが目的の人達にも、単に自然に身を任せてのんびり過ごしたいという人達にも大いに推薦したい場所です。英国へ行かれる方は、思い切ってシェットランド諸島まで足を伸ばしてみてください!

参考

・英国王立鳥類保護協会 (RSPB) のウエブサイトはこちらです。

https://www.rspb.org.uk/reserves-and-events/reserves-a-z/loch-of-spiggie/

・今回訪れたルートは次の通りです。

・モウサ島(Mousa island)の場所はここです。

・モウサ島(Mousa island)までのツアーはこちらから予約しました。

https://www.mousa.co.uk/storm-petrel-trip

第1回で紹介したアンスト島(Unst island)について興味のある方は、こちらからどうぞ。

第2回で紹介したフェトラー島(Fetlar island)について興味のある方は、こちらからどうぞ。

ロマネスクへのいざない (11)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (8)– ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)

ブルゴス県のデマンダ連峰にある小さなビスカイーノス村は、ペドロソ川のそばにあり、標高1000mを超える所にある。私が目指したサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)は村へ入る道路に隣接して立っているので、すらっとした鐘楼がいきなり目の前に現れた。

アーチ型夫婦窓が美しい教会だ(写真: 筆者撮影)

この村は、この町を囲む広大な山岳地帯全体と同様に、9世紀末から10世紀にかけて政治的にも人口の面でも重要な位置を占めていた。そして、この時代はアストゥリアス-レオン王国とカスティージャ伯爵領の人口補充が進んだ時期とも重なる。(「arteguias」ウエブサイトより)

シエラ派 (Escuela de la Sierra) の職人たち

以前紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の最後にも言及したが、この地方には、シエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰があり、そこから由来する名前でシエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った職人たちがいた。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)についてはこちらをどうぞ。

このシエラ派(La escuela de la Sierra)の職人たちは、主に10世紀、11世紀、12世紀にかけて活躍した。そして12世紀にはその姿が消え始める。理由は、シロス修道院の回廊を作った4人の親方職人たちの覇権が強かったことに由来する。

水平な教会の単調さを破る高い塔、そして特にその彫塑的な造形(escultura monumental)はシエラ派(La escuela de la Sierra)の特徴として挙げられる。また、現在鐘楼としての役割を果たしている塔が、建設当初は防御の役割を担っていたことも特筆すべき点である

その他のシエラ派(La escuela de la Sierra)の教会について興味のある方はこちらもどうぞ。

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)の最初の教会は、プレロマネスク様式で9~10世紀に建てられたが、11世紀の終わりまたは12世紀の初めに、シエラ派 (La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスク様式のものに取って代わった。そして、12世紀後半には、同じロマネスク様式ではあるが別の流派であるシレンセ派(La escuela de la Silense)により、柱廊のある玄関(La galería porticada)と、鐘楼(La torre)が追加された。

近代に入り、何度か改修工事が行われた。最も重要なのは18世紀のことで、前述の回廊のある玄関(La galería porticada)が解体され、再建された

車を降りて教会の入口へ歩いていくと、先程目の前に現れたすらっとした鐘楼の姿のイメージとは全く異なる堂々とした姿が現れた。ただ、他のシエラ派(La escuela de la Sierra)による教会に比べ柱廊のある玄関(La galería porticada)は簡素だ。それでも、横の広がりと高い塔による縦への広がりの調和が美しい教会だ。

砂岩の石組みは濃い褐色、または深い紫がかったトーンもある色で、落ち着いた雰囲気がある(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

シエラ派(La escuela de la Sierra)特有の彫刻

コーニス(軒蛇腹)部分にある持ち送りには、シエラ派特有の自然主義ではないが原始的で表情豊かな様々な彫刻が施されている。

2頭のライオンの首をロープで掴んでいる人物が描かれた彫刻は面白いモチーフで注目に値する。

なんとなく漫画チック。2頭のライオンはちょっととぼけた顔をしていて迫力には欠けるが、憎めない(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらは猿だろうか。歯を食いしばって立派な歯を見せているところは笑いを誘われる。

確かに原始的だがとても親しみを持てる彫刻ばかり(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

性を示す男性。頭でっかちでこちらも笑いを誘う。それにしても教会も以前は性に対してもっと寛容だったのだろうか。ロマネスクでは時々見るモチーフである。

教会に想像上の動物などが彫られていてるのは不思議だが、性を示す男性が彫られているのはもっと不思議だ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

arteguias のウエブサイトには、「これは、メソポタミアから中世ヨーロッパに伝わった古代の図像であろう。」と言及されていました。そうだとすると、これらの彫刻たちは長い時間をかけて遠いところからやって来たんだ、お疲れ様、と労をねぎらいたくなってしまう。(笑)

シレンセ派(Escuela de la Silense) の彫刻

ここから近いサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)で活躍した職人達がシレンセ派(La escuela de la Silense)である。前述したように12世紀末にシレンセ派(La escuela de la Silens)の職人たちが、柱廊のある玄関(La galería porticada)と鐘楼(La torre)を造った。彼らが彫った柱廊のある玄関(La galería porticada)の柱頭などはかなりシエラ派(La escuela de la Sierra)のものとは趣を異にしてる。

ロマネスクでは好んで用いられたモチーフの女の頭を持つ鳥ハイピュリアとドラゴンが見える。シレンセ派(La escuela de la Silens)の方が緻密かつ高度な技術があることが分かる。ただ、シレンセ派(Escuela de la Silens)の彫刻のようなユーモラスさ、温かみのある表情には欠ける。

木の実またはブドウを食べるドラゴン(左側の柱頭)と向い合せに配置されているハイピュリア(右側の柱頭)(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(La galería porticada)の入口の両側にある柱頭には、右側にはライオン、左側にはドラゴンが彫られているが、シエラ派(La escuela de la Sierra)のようなおとぼけライオンではなく、歯をむき出した凶暴な雰囲気を現し毛並みも細かく彫ってあり迫力満点。

同じ教会に施された彫刻も、異なる派の職人の手によるとこんなにも趣の異なるものになるのかと驚かされる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

鐘楼(La torre)

鐘楼も同じシエラ派(La escuela de la Sierra)が12世紀後半に造ったものだ。この鐘楼は3層から成り、下の層は上層部の構造部分を支える高台としての役目を持ち、南北方向に完璧な半円筒形ヴォールトで覆われている。真ん中の層は、四方にアーチ状夫婦窓があり開口している。上の層は、真ん中の層よりも幅の狭い小窓があり、これもアーチ状夫婦窓である。このアーチ状夫婦窓は、2本の外柱に半円形のアーチで囲まれた中にあるという特徴があり、更にリズミカルな印象を私たちに与える。

上層部分のアーチ状夫婦窓が小さくなることにより、まるで天に昇っているような錯覚も与えられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーチ状夫婦窓の柱頭には、小型の果実、シダのような葉、人の頭、四足獣、ハイピュリア、ワシなどが描かれている。(「arteguias」ウエブサイトより)

小型の果実がぶら下がっている柱頭(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

四足獣がみえる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

全く異なる時代の様式で改築されている教会や建物は多いが、このビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、同じロマネスク期の中で職人たちが属する派の相違により異なる特徴を持った彫刻や石組みの仕方などがひとつの教会の中に見られる貴重な教会の一つだろう。

洗練されたシレンセ派(La esuela de la Silense)が、温かみがあり表情豊かではあるものの原始的なシエラ派(La escuela de la Sierra)を席巻し、遂には消滅させてしまったというこの地方の歴史から、当時の職人たちの市場獲得の激しさを垣間見たような気がした。

こちらは、造られた時期によって石の組み方の違いや、教会内部にある西ゴード時代の洗礼盤等も見れるので見逃すにはもったいない動画。

デマンダ連峰(Sierra de la Demanda)にあるシエラ派 (Escuela de la Sierra) の建物

今から約1ヵ月ほど前に、ブルゴス県観光課によりシエラ派 (La escuela de la Sierra) の教会を紹介する動画が計10本 youtube にアップされた。その中から幾つか紹介する。残念ながらスペイン語のみだが、内部や教会の周囲などの様子が分かり興味深い動画だ。

・12世紀に造られたバルバディージョ・デ・エレーロスの聖コスメ&聖ダミアン礼拝堂 (Ermita de los Santos Cosme y Damián de Barbadillo de Herreros)を紹介した youtube 。

・プレロマネスク時代の10世紀~11世紀に造られ、その後12世紀に増築されたトルバーニョス・デ・アバホの聖キルコ&聖フリタ教会 (Iglesia San Quirco y Santa Julita de Tolbaños de Abajo)を紹介した youtube 。

・12世紀末に造られたアルランソンの聖大天使ミカエル教会 (Iglesia de San Miguel Arcángel de Alranzón)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリオカバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma de Riocavado de la Sierra)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリコバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de San Millán Obispo de San Millán de Lara)を紹介した youtube 。

参考

ここで紹介したビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_VIZACA%C3%8DNOS_DE_LA_SIERRA.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/vizcainosdelasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

https://goo.gl/maps/JdMPigBAKd1zY3pD8?coh=178573&entry=tt

スペインの国民的画家 フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)- 没後100年記念の年

今年2023年は、スペインの国民的画家フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)が亡くなってからちょうど100年目の年に当たります。それを記念し「ソロージャ イヤー」と銘打って、出身地バレンシアをはじめマドリッド等でも彼の絵の展示会が開催されています。

このブログでも以前フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)とソロージャ美術館について紹介していますので、興味のある方はこちらもどうぞ。

今回は、バレンシアとマドリッドで現在開催中の展示会やその他の展示会情報をお伝えします。

光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz

最初は、マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(筆者訳)(Sorolla a través de la luz)」の展示会です。

この展示会では、テクノロジーを駆使して彼のオリジナル作品とデジタルで再現された作品が対話するという仕掛けが施してあります。また、バーチャルリアリティルームではバーチャルリアリティ用の装置を付け、画像と音のショーの中に身を置くという、今までの絵画展示会では考えつかなかったような不思議な体験ができます。

特殊な部屋に入ると、部屋一杯にソロージャの作品が映し出されます(写真: 筆者撮影)

展示されているソロージャの絵は24点ありますが、そのほとんどが個人所有のもので今回初公開されています。海、庭園、肖像画、風俗描写の場面など、画家ソロージャが好んで描いたテーマが選ばれています「光の画家」と呼ばれているほど彼の絵には、その瞬間、瞬間の微妙な光の動きや光の強弱、光の質感、そして季節ごと一日の時間ごとの光の違いを上手く捕らえて表現されていて、こんなにも異なる光を表現できるのかと驚かされます。初めてソロージャの生まれ故郷バレンシアを訪れた時、お天気が良かったということも手伝って、あーこれがソロージャの光だな!地中海の光だな!と実感しました。同じスペインでも私が住むカスティージャ・イ・レオン州の光とは全く異なる光がそこに降り注いでいたことがとても印象的でした。

大きなスクリーンに映し出された絵は、まるで見ている私たちも同じ場所にいるような不思議な感覚を抱かせられます(写真: 筆者撮影)

「ハベアの恋人たち(筆者訳)(Idilio, Jávea)」という作品がありました。まだ年若い少年が少女に話しかけています。少女は恥ずかしそうにでも嬉しそうに下を向いて座っています。なんと初々しく、見る人がまだ若かったころの自分の思い出とオーバーラップするような美しい絵でしょう。説明板に、この絵は9月の昼下がりに描かれ、ソロージャ自身が若くして妻クロティルデに恋した思い出を表現したものかもしれないと書かれていました。題名の「Idilio」には「田園恋愛詩、恋愛関係、牧歌的(幸福)な時期」という意味が手元の辞書には出てきますが、この作品は1901年の「国内絵画展(Exposición Nacional de Bellas Artes)」に出展され売れました。その時には「Los novios(恋人たち)」という名前がついていたそうです。

「ハベアの恋人たち(Idilio, Jávea)」昼下がりの光が若い二人に降り注ぎ、ほのぼのとさせられると同時に胸がキュンとなりそうな絵です(写真: 筆者撮影)

マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz)」の展示会は、2023年6月30日まで開催されています。もし、それまでにマドリッドに行かれる機会がある方は、是非この展示会にも寄られることをお薦めします。その際は、下の公式サイトで事前に入場券を買われた方が良いでしょう。

https://www.patrimonionacional.es/actualidad/exposiciones/sorolla-traves-de-la-luz

ソロージャの原点 (Los orígenes de Sorolla)

次に紹介する絵画展は、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」です。

この展覧会は、まだピカソやダリ等が活躍する以前、スペイン国内でも国際的にも最も成功したスペイン画家の原点を探っていく内容の展示会として構成されています。まだ21歳だったソロージャが「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在する直前の1878年から1884年までの6年間の軌跡をたどります。あまり知られていない初期の絵画、水彩画、素描、ソロージャの若いころの写真、資料が一堂に展示されていてとても興味深いものです。

若いころのフアキン・ソロージャ。なかなかのハンサム青年でした(写真: 筆者撮影)

「光の画家」として、スペインのみならずヨーロッパやアメリカ合衆国で名声を得、様々なテーマの絵画を残しているソロージャですが、修業時代は、同じスペインの画家である巨匠ベラスケスやリベラの絵を勉強、模写していました。また、15歳の時に描いた果物の静物画や肖像画等も多数展示してありますが、そのデッサン力、光と影の描き方、構図のとり方等、10代にして既にのちに巨匠と呼ばれる画家としての頭角を現しています。

バックを黒にして、白や水色を際立たせて見る人を惹きつける(写真: 筆者撮影)
「ベラスケスの[メニポ]の模写(筆者訳)(Copia de “Menipo” de Velázquez)」19歳のソロージャがプラド美術館で模写した様々な作品は、死ぬまで手元に置いていたそうです(写真: 筆者撮影)

YouTubeでこの展覧会の様子が紹介されています。スペイン語ですが、様々な作品が紹介されていて見るだけでもソロージャの素晴らしさが伝わってくると思います。

「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」バレンシア州議会が主催したローマへの絵画奨学金コンクールで、21歳の若さで賞を取りローマへ本格的な絵画の勉強へ行くことになったソロージャの記念すべき作品(写真: 筆者撮影)

バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」は、2023年6月11日までですので、残り2週間弱となってしまいましたが、機会があれば是非お薦めしたい展覧会です。

スペイン観光局のスペイン観光公式サイトにも紹介されています。

https://www.spain.info/ja/karendaa/soroorya-kigen-tenrankai-barenshia/

ちなみに、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)には、ベラスケス本人が描いた「自画像(Autorretorato)」もあります。あまり知られていないようですが、プラド美術館以外で見れるベラスケスの作品です。

温和で誠実だったと言われているベラスケスですが、この自画像の彼の視線には強い意志を感じさせられます(写真: 筆者撮影)

黒のソロージャ(Sorolla en negro

「光の画家」として名を馳せたソロージャですが、黒やグレーの色使いを中心にして描いた作品も多く残しています。それらの作品を集めて展示しているのが、バレンシアのバンカハ財団で開催されている「黒ソロージャ(筆者訳)(Sorolla en negro)」です。

ソロージャの黒の使用は、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤなどのスペイン絵画の伝統に由来していて、詩的で精神的な状態を示唆する豊かな表現要素となって、彼の時代の現代性とその飾り気のない気品を反映する色として再解釈されました。(バンカハ財団のウエブサイトより)

「グレーのドレスを着たクロティルデ(筆者訳)(Clotilde con traje gris)」ソロージャが深く愛した妻クロティルデ。心を打つものを感じます(写真: 筆者撮影)

ソロージャが描いたグレーという色は現代的な色として描かれていて、静寂や平穏を表現していたそうですが、この「グレーのドレスを着たクロティルデ(Clotilde con traje gris)」には、グレーのドレスがクロティルデの美しさのみではなく洗練された雰囲気を醸し出し、と同時に内面的な静穏と深い愛情が伝わってきます。

展覧会は、「黒とグレーの調和(筆者訳)(Armonías en negro y gris)」、「象徴的な黒(筆者訳)(Negro simbólico)」、「黒と暗い表面(筆者訳)(Superficies negras y oscuras)」、「モノクローム(筆者訳)(Monocromías)」の4つのセクションで構成されています。ソロージャの絵に特別な個性を与えている肖像画の黒とグレーの色彩和音から始まり、時代や自然主義画家の作品に浸透している黒という色の象徴性や文化的意義について見ていきます。更に、19世紀に急進的なコントラストを生み出し、他の色を引き立てる存在として形作られた黒の新しい使い方についても検証していきます。展覧会の最後には、グレーや青みがかった色調に包まれたモノクローム作品が展示されていますが、これは複雑でないどころか、卓越した技術を駆使した特異な作品です。(バンカハ財団のウエブサイトより)

「エンリケタ・ガルシア・デル・カスティージョ(筆者訳)(Retrato de Enriqueta García del Casitillo)」こちらは雄弁に語る黒!という感じ(写真: 筆者撮影)

確かに、この絵画展を見てソロージャは正しくスペインの巨匠たちの素晴らしい技術を踏襲したスペインの画家であることを確認させられました。と同時に、黒とグレーという色に様々な意味を持たせ、ソロージャが表現したいものを浮き出たせる重要な役割を果たす色だったということにも気づきました。ソロージャ絵画の奥の深さ、多面的な部分を再発見できた素晴らしい展覧会でした。

バレンシアのバンカハ財団で開催されている「黒のソロージャ(Sorolla en negro)」の開催期間は今年9月10日までです。もしバレンシアに行かれる方は是非見に行ってください。

バンカハ財団の公式サイトです。最後の方には、展覧会を紹介したYouTube の動画もあります。一見の価値ありです。

https://www.fundacionbancaja.es/exposicion/sorolla-en-negro/

肖像画で見るソロージャ(Sorolla a través de sus retratos

最後に紹介するのは、マドリッドのプラド美術館で開催されている「肖像画で見るソロージャ(筆者訳)(Sorolla a través de sus retratos)」です。

こちらは、プラド美術館が所有するソロージャの作品を集め、特に肖像画を通してソロージャの作品に迫るものです肖像画のコーナーには、ソロージャの作品だけではなく、ソロージャと同時期19世紀に活躍した画家たちが描いた肖像画も一堂に展示されています。残念ながら美術館内での写真撮影が禁止されているので、写真をお届けすることはできませんが、下のプラド美術館公式サイトをクリックして頂くと、展示されているソロージャの作品が紹介されています。

もし、6月18日までにマドリッドのプラド美術館を訪れる機会があれば、是非こちらも見に行ってください。

プラド美術館公式サイトはこちらです。

https://www.museodelprado.es/actualidad/exposicion/retratos-de-joaquin-sorolla-1863-1923-en-el-museo/2f9c9749-54a2-b25b-4afb-932e76fdb8cf

2023年に開催される展覧会情報

その他、開催されているソロージャの絵画展は次の通りです。

マドリッドのソロージャ美術館:

・2023年6月25日まで開催-「ソロージャが死んだ!ソロージャ万歳!(筆者訳)(¡Sorolla ha muerto!¡Viva Sorolla!)」

この展示会は、ソロージャが亡くなった時の新聞記事などが展示してあり、ソロージャがどれだけ民衆からも愛された国民的な画家だったことがよくわかります。簡単な説明が youtube に紹介してあります。スペイン語ですが、興味のある方はどうぞ。

・2023年9月17日まで開催-「マヌエル・ビセンテとソロージャの海(筆者訳)(En el mar de Sorolla con Manuel Vicent)」

ソロージャと同じバレンシア州出身の詩人・作家マヌエル・ビセントによる詩とソロージャの絵画のコラボ企画です。スペイン文化・スポーツ省の公式サイトにこの展覧会が紹介されています。

https://www.culturaydeporte.gob.es/msorolla/exposicion/exposicion-mar-sorolla-con-manuel-vicent.html

バレンシア:

・2023年6月2日まで開催-「ローマのソロージャ。芸術家ソロージャとバレンシア州議会奨学金(筆者訳)(Sorolla en Roma. El artista y la pensión de la Diptación de Valencia (1884-1889))」バテリア宮殿 (Palacio de Batlia)

ソロージャが前述の「パジェテルの叫び(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在した21歳から26歳まで絵画の勉強と訓練を積んだ時期の芸術生活に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。

https://www.centenariosorolla.es/exposiciones/inauguracion-de-la-exposicion-sorolla-en-roma-el-artista-y-la-pension-de-la-diputacion-de-valencia-1884-1889/

・2023年12月まで開催-「芸術家たちの街。フアキン・ソロージャとバレンシア芸術産業宮殿(筆者訳) (La Ciudad de los artistas. Juaquín Sorolla y el Palacio de los Artes e Industrias de Valencia)」バレンシア市立博物館(Museo de la Ciudad de Valencia)

ソロージャと並行してキャリアを積んだバレンシアの芸術家たちによる140点以上の作品が展示されています。フアキン・ソロージャがバレンシアに芸術産業宮殿を建設したプロジェクトについてや、当時のバレンシアの芸術的雰囲気に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。

https://www.centenariosorolla.es/exposiciones/inauguracion-de-la-exposicion-la-ciudad-de-los-artistas-joaquin-sorolla-y-el-palacio-de-las-artes-e-industrias-de-valencia/

アリカンテ:

・2023年6月25日まで開催-「ソロージャと同時代のバレンシア絵画(筆者訳) (Sorolla y la pintura valenciana de su tiempo)」アリカンテ美術館(Museo de Bellas Artes de Alicante)

120点という多くの作品が展示してある展覧会で、ソロージャの作品以外にもソロージャの弟子たちや同時代に活躍したバレンシアの画家の作品やバレンシアを題材にした作品を一挙に公開しています。スペイン国営のラジオ・テレビ放送協会がこの展覧会について紹介しています。

https://www.rtve.es/play/videos/linformatiu-comunitat-valenciana/sorolla-pintura-valenciana-tiempo-mubag/6773781/

「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトはこちらです。

https://www.centenariosorolla.es/

このブログで紹介した展覧会が行われている場所です。

https://goo.gl/maps/q8QfpFVUtugstwbc6?coh=178573&entry=tt

レオン(León)へ行こう!(5)―ナショナル ジオグラフィック トラベル リーダーズ チョイス アワード 2023

去る2023年4月25日、ナショナル ジオグラフィック トラベル マガジンで、スペイン国内ベスト デスティネーションを読者の方々に選んでもらうという第1回読者賞「ナショナル ジオグラフィック トラベル リーダーズ チョイス アワード 2023(Premios de los Lectores 2023 de Viajes Nacional Geographic)」の授賞式が行われました。そして、私が大好きなレオン市が栄えある「ベスト アーバン デスティネーション賞」に輝きました!

夜になるとレオン大聖堂の中の照明が美しいステンドグラスを浮かび上がらせます。鮮明に撮れず残念ですが、雰囲気だけでもお届けします(写真:筆者撮影)

ベスト アーバン デスティネーション賞 (Mejor Destino Urbano Nacional)

この賞は、ナショナルジオグラフィックトラベルマガジンの読者数千人の投票によって選ばれました。これは、歴史的遺産と文化的生活という面において、レオン市が「スペインの中で最も重要な都市のひとつ」という理由でこの賞に選ばれました。このブログでもレオン市の魅力についての記事があります。興味のある方はこちらもどうぞ。

レオン市内には、2000年の歳月をレオンの街と共に経てきた「ローマ時代の城壁(Muralla Romana)」、スペインの精神的バックボーンを作ってきたキリスト教の建築物でもあり、レオン王国の歴代王が埋葬されている霊廟がある「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」、レオン市民の誇りでもありレオン市民の心の拠り所でもある「レオン大聖堂(Catedral de León)」、修道院、病院、刑務所、パラドールと使用目的が変遷していった「サン・マルコス教会(Iglesia de San Marcos)」、日本人でも知らない人はいないくらい有名なアント二・ガウディが建築した「カサ・ボティネス (Casa Botines)」、2005年に開館した現代美術館「ムサク(MSAC)」という、時代ごとの素晴らしい建築物をまるでタイムスリップして楽しめるように見て回ることができます。これが受賞理由の一つ「歴史的遺産」に当たるものです。

ガウディ建築「カサ・ボティネス」とベンチに座るガウディ。
ガウディの隣には地元のおばあちゃんとお孫さんが散歩の休憩中でした。(写真:筆者撮影)

もう一つの理由「文化的生活」の中の重要な要素として含まれていることに、レオンの街にある「バル」と呼ばれる多くタパスバーがあります。スペイン人にとって、「バル」のない生活は考えられません。どんなに小さな村でも必ずと言っていいほど「バル」はあります。数多くの「バル」で出される様々なタパスの質の高さもレオンの魅力の一つです。地元の食材を使った伝統的なタパスや家庭的なタパス、前衛的なタパスや切ったフランスパンを軽く焼き、その上に様々な料理を載せて食べる「トスタ」と呼ばれるものなど、実に色んな種類の美味しいタパスがレオンでは食べれます。「食」は旅の喜びの一つ、発見の一つ、そしてそこに住む人の生活様式や文化を知るすべとなるものの一つです。実は、スペインの中で、住民一人当たりのバルが最も多い都市はこのレオン市なのです!人口1,000人当たり5.03軒のバルがあるということ。確かに、ウメド地区(Barrio Húmedo)やロマンティコ地区 (Barrio Romántico)には沢山の「バル」が軒を争っており、どこに入ろうか?と、迷ってしまうほどです。

ロマンティコ地区(Barrio Romántico)にあるバル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」。ここは手作りトルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)がタパス。(写真:筆者撮影)
バル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」の看板タパス、トルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)美味しいですよ!(写真:筆者撮影)

「住民一人当たりのバルが最も多い都市はどこ?」というタイトルで「ラ・ラソン(La Razón)」という新聞に記事(2023年2月8日付)が載っています。スペイン語ですが、こちらです。

https://www.larazon.es/castilla-y-leon/cual-ciudad-espana-mas-bares-habitante_2023020863e13c3c308cc00001feb77b.html

レオンの魅力をもっと知りたい方は、こちらもどうぞ。

こちらがナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトに出ている「ベスト アーバン デスティネーション賞」の内容です。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/48-horas-sorprendentes-leon_12963

カスティージャ・イ・レオン州は観光の穴場!

今回の第1回読者賞「ナショナル ジオグラフィック トラベル リーダーズ チョイスアワード2023」の中では、カスティージャ・イ・レオン州の活躍が目立ちました。

「スペイン ベスト ガストロノミー デスティネーション賞 (Mejor Destino Gastronómico de España)」にはブルゴス市が、そして「ベスト ガストロノミック ルート賞(Mejor Ruta Gastronómica)」の最終候補に残りながら惜しくも賞を逃した「リベラ・デ・ドゥエロのワインルート(Ruta del Vino Ribera de Duero)」が特別賞 (Mención especial) を獲得しました。

カスティージャ・イ・レオン州は、美味しいワインあり、料理あり、歴史あり、文化ありの観光にはうってつけの場所なのです。その上、バルセロナやグラナダのように常に多くの観光客でにぎわっている所と異なり、もっとゆっくりと静かに自分のペースでまるでそこで生活しているように旅を楽しめる所です。

リベラ・デ・ドゥエロのワイン(Ribera de Duero)「マタロメラ(Matarromera)」
マドリッドにあるティッセン-ボルネミッサ美術館とのコラボで絵画がラベルに使われています(写真:筆者撮影)

ナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトに出ている「スペイン ベスト ガストロノミー デスティネーション賞 (Mejor Destino Gastronómico de España)」を受賞したブルゴスの記事です。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/burgos-sin-salir-ciudad_16573

こちらがナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトに出ている「リベラ・デ・ドゥエロのワインルート(Ruta del Vino Ribera de Duero)」の記事。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/ruta-por-ribera-duero_8054

「リベラ・デ・ドゥエロのワインルート(Ruta del Vino Ribera de Duero)」のウエブサイトです。興味のある方はこちらもどうぞ。英語版もあります。

https://www.rutadelvinoriberadelduero.es/

日本は大人気

「海外のベスト デスティネーション賞 (Mejor Destino Internacional)」では、日本が選ばれました!

最近、スペインでの日本人気は高いなと実感していただけに「やっぱり!」という感想です。私の周りでも日本を訪れたことがある人、訪れてみたいと考えている人は多く、和食レストランがどんどん増えてきていることからも、スペインから日本への旅行者がしばらくは増え続けそうですね。それに、若者の間で日本の漫画やアニメのポップカルチャーも根強い人気で、若者層から中年層まで幅広く層の厚い日本大好きスペイン人がいます。(笑)

ただ、日本も東京浅草や京都などの人気観光地は、外国人観光客が増えて一体ここは日本なの?というような状況だと聞いています。ある程度人数を制限するなどの対策を取っていかないと、スペイン語でもよく使われる「Morir de éxito (成功による死)」という表現のように、あまりに人気があり観光客が増えすぎて逆に観光客から避けられることになり遂には観光客が大幅に減るという事態が起こる可能性も起こりうるなという危機感を覚えています。住む人も、訪れる人たちも皆が心地よく過ごせるような工夫を民間共に知恵を絞って実行していかなければならないターニングポイントに来ていると思います。

最後に

ナショナル ジオグラフィック トラベル マガジンのスペイン語版は、スペイン国内だけではなく、スペイン語語圏の中南米の国々でも読まれている非常にポピュラーな雑誌です。スペイン国内を対象にした賞を中心に行われた読者投票なので、投票した人はスペインに住む人々が多かったと推測されますが、今回の受賞内容を見て分かることは、一般的な観光地や観光客でごった返している所ではなく、地元の人達から愛されている場所、居心地の良い場所、今もスペインらしさが残されている場所などが選ばれているということです。「観光地」という仮面を被ったまるで人工的でよそよそしく、地元の人々の日常からかけ離れてしまった場所ではなく、もっと地に足のついた「地元の人達が住みやすい場所、地元の人達のための場所」を見てみたいという方には、レオンはお薦めの街です。是非、次の旅行にレオンを加えて計画を立ててみてくださいね。

最近ファザード部分がきれいになって、華麗な姿を現したサン・マルコス教会(写真:筆者撮影)

今回の内容の元となったナショナルジオグラフィックトラベルのウエブサイトはこちらです。

https://viajes.nationalgeographic.com.es/a/asi-fue-la-entrega-de-los-i-premios-de-los-lectores-2023-de-viajes-national-geographic_19258

スペインでバードウォッチング!-種類別 スペインの野鳥 日本語名(トウゾクカモメ科)

ここでは、スペインに生息する野鳥の名前を、種類別に集めてみました。スペイン語名をクリックしてもらうと、スペイン鳥学会のホームページに飛びます。残念ながら日本語版はありませんが、英語での鳥の名前は出ています。スペインで野鳥観察されるとき、またはスペインの旅の途中で見かけた鳥のスペイン語名を知りたいときに、少しでもお役に立てれば幸いです。

キアシセグロカモメ (Gaviota patiamarilla) /(写真: アルベルト・F・メダルデ)

Gaviotas = カモメ科 カモメ類

スペイン語日本語ラテン語//常駐/偶然
Gaviota reidoraユリカモメChroicocephalus ridibundus常駐
Gaviota picofinaハシボノカモメChroicocephalus genei
Gaviota de BonaparteボナパルトカモメChroicocephalus philadelphia偶然
Gaviota canaカモメLarus canus
Gaviota de DelawareクロワカモメLarus delawarensis
Gaviota cabecinegraニシズグロカモメLarus melanocephalus常駐
Gaviota argénteaセグロカモメLarus argentatus
Gaviota patiamarillaキアシセグロカモメLarus michahellis常駐
Gaviota de AudouinアカハシカモメLarus audouinii常駐
Gavión altánticoオオカモメLarus marinus
Gaviota sombríaニシセグロカモメLarus fuscus常駐
Gaviota rosadaヒメクビワカモメRhodostethia rosea偶然
Gaviota enanaヒメカモメHydrocoloeus minutus
Gaviota tridáctilaミツユビカモメRissa tridactyla
Gaviota de SabineクビワカモメXema sabini偶然
Gavión hiperbóreoシロカモメLarus hyperboreus偶然
Gaviota groenlandesaアイスランドカモメLarus glaucoides偶然
Gaviota guanaguanareワライカモメLarus atricilla偶然
Gaviota pipizcanアメリカズグロカモメLarus pipixcan偶然
ユリカモメ (Gaviota reidora) /(写真: アルベルト・F・メダルデ)

バレンシア シルク博物館(Museo de Seda)-絹が紡ぐ物語 西へ東へ 

3月は有名なバレンシアの火祭り「ラス・ファジャス(Las Fallas)」の月です。クライマックスの3月19日に向けて、今現在、様々な催し物や出店や屋台で賑わっているバレンシア。実はこのお祭りでは、バレンシア地方のとても豪華で美しい民族衣装をお目にかかれるチャンスです!

今回は、バレンシアの火祭り「ラス・ファジャス(Las Fallas)」に華を添える民族衣装と切っても切れない関係がある絹の生産について、バレンシアの絹の歴史などを見ることができる「シルク博物館(Museo de Seda)」について紹介します。

「シルク博物館」の入口(写真:筆者撮影)

西の果てスペインと東の果て日本での絹

絹の起源は中国で、紀元前6000年とも紀元前3000年とも言われています。蚕や絹製造技術は門外不出で中国は長い間独占的に絹を海外へ輸出していました。日本には弥生時代には既に養蚕と絹の製法が伝わっており、律令制では納税のための絹織物の生産が盛んになっていたといいます。ただし、品質は中国絹にははるかに及ばなかったそうです。(参照: ウイキペディア)

ヨーロッパに絹製造技術が伝わったのはもっとずいぶん後のこと。6世紀から7世紀にかけて、二人の修道士が繭を隠し持ってビザンツ皇帝ユスティニアヌスの宮廷に乱入したという伝説が残っています。中国で何世紀もの間にわたって門外不出であった繭が持ち出され、その絹製造の秘密が東ローマ帝国に漏れてしまったので、中国以外の国でも絹製造が発達するのは時間の問題でした。そして、モンゴル、ペルシャ、アラビア、シリア、トルコ、北アフリカを結ぶ全域に広がり、徐々にヨーロッパに到達していきました。地中海に養蚕を伝えたのはアラブ人で、9世紀にはコルドバやグラナダ、その後トレドやバレンシアを経由してイベリア半島に到達しました。(バレンシア「シルク博物館(Museo de Seda)」のオフィシャルサイトの説明より)

バレンシア地方では15世紀から盛んに養蚕が行われ、絹を生産し、絹製品を作り出していました。18世紀から19世紀にかけてバレンシア地方での重要な経済活動の中心だった絹工業は、この街に大きなな富を生み出しました。前述したスペインの三大祭りの一つバレンシアの火祭り「ラス・ファジャス(Las Fallas)」でみられる「火祭り(ファージャス)の衣装(Traje de fallera)」は、この頃に今のような衣装になったようです。

一方日本では、200年以上も続いた鎖国が終わり、19世紀には絹貿易も開始されました。丁度、フランスやイタリアで蚕の病気が蔓延し、蚕種や生糸が不足していた事もあり、瞬く間に蚕種や生糸は最大の輸出品になりました。これが日本の蚕糸業の飛躍の始まりでした。大正時代、第1次世界大戦後のアメリカの経済は益々発達して絹の需要が高まり、わが国の蚕糸業は空前絶後の黄金時代を迎えました。この頃、全国平均で農家の約4割が養蚕を行っていました。(「富岡製糸場と絹産業遺産群」ユネスコ文化無形遺産ホームページより)

バレンシアでは民族衣装を、日本では着物や帯というそれぞれ美しい絹製品が用いられています。丁度1年前の2022年2月には31着の着物がこの博物館で披露されていました。展示されていた着物を見たい方はこちらをどうぞ。(https://www.museodelasedavalencia.com/exposicion-kimono/) 私たちがバレンシアの豪華な民族衣装にため息をつくように、日本の美しい着物や帯はきっとスペインの人達を魅了したことでしょう。

プリント用の意匠(写真:筆者撮影)

バレンシアのシルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda -バレンシア語では Col·legi de l’Art Major de la Seda)

現在の「シルク博物館」は、バレンシアの「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」の建物を修復したものです。この「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」の前身だった「ビロード織物師組合 (Tejedores de terciopelo-バレンシア語では Gremi de Velluters)」は1479年に発足しました。これは、一部の生産者の品質不足により生じた対立から、バレンシアの絹織物生産の基準を統一する必要があったからです。そして、1479年2月16日にギルドの最初の条例が承認され、これらの条例はカトリック王フェルナンドによって1479年10月13日に公式に批准され、その後、1686年にはカルロス2世によって「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」に格上げされました。

「ベジュテルス(Velluters)」と呼ばれるビロード織職人がたくさん住んでいた地区が、今でも同じ名前の地区名でバレンシアの市内に残っています。そこにカルロス2世によって「シルクアート組合(Colegio del Arte Mayor de la Seda」に格上げされた組合の建物があります。建物自体は15世紀建築のバロック様式で1981年には国の歴史・芸術遺産に指定されますが、長い年月の間にすっかり廃れた状態にあったこの建物は大掛かりな修復工事が行われ、2016年に「バレンシア シルク博物館」として生まれ変わりました。

スペイン語ですが、バレンシア シルク博物館に至る修復工事プロジェクトについての動画を見たい方はこちらをどうぞ。修復される前の建物の様子が分かり、興味深い動画です。

ヨーロッパで最も重要なギルドの歴史的アーカイブ

「シルク博物館」の中には、ヨーロッパで最も重要なギルドの歴史を知ることができる歴史資料室があります。48枚の羊皮紙、660冊の書籍、97個のアーカイブボックスからなり、5世紀以上にわたって保管されてきました。その中には、ギルドの歴史や条例、議事録、親方・職工・徒弟の帳簿、工場や店の管理・検査に関する帳簿などが含まれています。興味深いことには、規格に適合しない布地を没収して焼却するという検査業務もあり、ギルドは絹製品の品質管理、品質保証も担っていました。

「シルク博物館」のアーカイブは、15世紀から20世紀末までのバレンシア経済の変遷を研究する基礎資料の一つとして重要視されています。特に、15世紀バレンシアの商業や社会構造、そして当時の交易路や条約とのあらゆる関係を理解することに重要な役割を果たしています。(バレンシア「シルク博物館(Museo de Seda)」のオフィシャルサイトの説明より)

また、18世紀後半のバレンシア市内の人口は10万人程でしたが、バレンシアのシルクアート組合は約4万人の人達に仕事の機会を与えていたので、人口の4割の人が絹産業に携わっていました。

歴史資料室にて(写真:筆者撮影)

美しいバレンシアの民族衣装と博多織

個人的な話で恐縮ですが、昨年日本に里帰りした際、福岡の博多を訪れる機会がありました。そして、「博多町家ふるさと館」という博多の伝統工芸を紹介する博物館に行った際、博多織の実演を見ることができました。

「博多町家ふるさと館」に展示されていた7種類の博多織 (写真:筆者撮影)

興味のある方は、こちらでも見れます。

バレンシアの「シルク博物館」では、ベジュテルと呼ばれるビロード織の実演を見ることはできませんでした。というのも、昨年2022年に「最後のビロード織師(El último Velluter)」だったビセンテ・エンギダンツ氏が他界したため、もう2度とバレンシアの伝統工芸ビロード織の実演を見ることができなくなったからです。本当に残念なことです。

スペイン語では、ビロード織のことを「テルシオペロ(terciopelo)」と言います。「テルシオ(tercio)」は「3番目」、「ペロ(pelo)」は「毛」のことを意味するスペイン語です。説明によると、3番目の糸を切って毛羽立たせていく技術を使ってビロード織は織られていくので、この名前がついたそうです。3本ごとに一本一本手作業で糸を切っていきながら生地を織っていく様子を想像すると気が遠くなりました。1枚のドレスを作るのに2ヵ月かかり、その値段は20万ユーロ(現在日本円で約280万円)もするのも納得いきます。

バレンシア 「シルク博物館」に展示してあった布地(写真:筆者撮影)

「最後のビロード織師(El último Velluter)」だったビセンテ・エンギダンツ氏の動画です。繊細な作業の様子が見て取れます。

バレンシアの「シルク博物館」では、繭から糸を紡いていく実演を見ることができました。実演していたスペイン人の方が色々な説明をして下さり、興味深く学び多いものとなりました。

2~3㎝の一つの繭からなんと、1000メートルもの絹糸が取れるそうです‼驚きました。一つの繭は1本の糸からできていて、その長さは1000~1500メートルに及び、天然繊維で唯一の長繊維です。そして、その糸の太さは、髪の毛の約10分の1という超極細糸です。

絹糸を作るには以下の3つの工程(Tres baños)から成っています。

第1工程(Primer baño)繭を湯に漬けた状態で一本一本の糸を取り出していきます。

第2工程(Segundo baño)セリシン(sericina)を取り去ります。セリシンとは、蚕が絹の生産の際に作るタンパク質で、セリシンが残っている状態では肌触りが硬いので、糸にする際にお湯で煮て表面のセリシンを落とす精錬作業を行います。

第3工程(Tercero baño)染色します。

この3工程を経ることにより、手触りがざらざらした糸から心地よい手触りの糸へと変わっていくのです。そして、ここでは、各工程ごとの糸を実際に触らせてくれます。繭も触ることができて、初めての体験を楽しみました。子供さんたちと一緒に行っても、学習体験型思い出多い博物館見学となること間違いなしです!

第1工程 繭を湯に漬けた状態で一本一本糸を取り出していく(写真:筆者撮影)

19世紀の機織り機が置いてありますが、この機織り機は博多織の機織り機と瓜二つのものでした。いわゆる紋紙と呼ばれる織物の模様に応じて穴をあけた紙を用いて織るものです。

博多織の動画と見比べてみてください よく似ています (写真:筆者撮影)

染色の材料となるもの

さて、絹糸の染料に使われる材料となるものは色々ありますが、私の目を引いたのは紫がかった赤色、赤紫色(púrpura)です。ヨーロッパでは高貴な色、貴重な色として重用されていましたが、贅沢や権力を表現する色としても扱われてきました。その染料の原料は、スペインカナリア諸島でとれる巻貝です。貝から染料を取る技術を開発したのはフィニキア人だったようで、ローマ時代からカナリア諸島のイスロテ・デ・ロボスという島へこの貝を採りに行っていました。この巻貝からとれる僅かな染料からあのゴージャスな赤紫色(púrpura)が作り出されていたのです。

展示してあった染料の貝(写真:筆者撮影)

日本では「貝紫染め」と呼ばれていて、「草木染め」と比べあまり一般的ではありませんが、現在独自の技術で「貝紫染め」を行っている工房があります。宮崎県にある「綾の手紬染織工房」です。興味深い内容ですのでこちらをどうぞ。

https://www.ayasilk.com/workshop/royal_purple.html

シルク博物館内の説明文によると、中世に染色技術が完成の域に達したのはユダヤ人染色家たちのお陰ったらしく、15世紀にバレンシアにやってきたジェノバ人の絹織物職人がこの染色のやり方を伝えたものと考えられています。当時一般的だった染料は、次のようなものでした。

赤紫色(púrpura)

黒(negro)-ブナ科の植物の若芽が変形し瘤になった没食子(もっしょくし、agallas de roble)、クルミ(nuez)、アーモンド(almendra)、漆(zumaque)等

深紅色(rojo carmesíコチニールカイガラムシ(cochinilla)、ケルメス(虫 quermes)

黄色サフラン (azafran)、エニシダ (retama de tintoreros) 等

青色 (azúl)ホソバタイセイ(hierba pastel)、インディゴ (indigo)

本当に様々な材料を使って生地を染めていたようです。染料について草木染め以外には知識がなかったので、貝や虫、クルミや虫こぶなどの没食子なども染料として使っていたことは、新鮮な驚きであり、人間の知恵の奥深さを感じさせられました。

博多織の染色で使われている木附子(写真:筆者撮影)

最後に

日本の民族衣装「着物」もバレンシアの民族衣装も、中国から渡ってきた絹の技術に端を発し、独自の形に発展してきたことに興味をそそられました。西と東の端の国で経済的にも文化的にも重要な位置を占め、そこに住む人々に対して多大な影響を与えた「絹」が紡ぐ物語を知ることができたバレンシアの「シルク博物館」は、訪れる価値のあるものでした。

バレンシアは「絹」と共に成長した街で、他にも絹の商品取引所で世界遺産にもなっている「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(La Lonja de la Seda)」は必見です。

バレンシアを訪れる際は、「シルク博物館」に是非立ち寄ってみてくださいね。

美しく豪華なバレンシアの民族衣装(写真:筆者撮影)

バレンシアの「シルク博物館」情報

住所:オスピタル通り7番地(Calle Hospital, 7)
電話:(34)697 155 299 / 96 351 19 51 E-mail:reservas@museodelasedavalencia.com     
開館時間:火~土 10:00~19:00 日曜日 10:00~14:30 *月曜日は休館                                     入場料:8€    学生(国際学生証必要) 7€   無料-12歳までの子供                       特別パス(シルク博物館+サン・ニコラス教会+サントス・フアネス教会) 12€  

参考

・バレンシアの「シルク博物館」の公式サイト。

https://www.museodelasedavalencia.com/

・富岡製糸場と絹産業遺産群

https://worldheritage.pref.gunma.jp/tomikinu/index.php/silkindustry/

・バレンシア州制作の「バレンシアのシルクロード」の公式サイト。

https://ruta-seda.comunitatvalenciana.com/ruta-seda

・「博多町家」ふるさと館の公式サイト。福岡に行かれた時は是非お寄りください。

https://www.hakatamachiya.com/

・スペイン観光公式サイト。

https://www.spain.info/ja/supein-tankyuu/barenshia-ruto-shiruku/

ロマネスクへのいざない (7)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (4)– サン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)

正面からみたサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada) / 写真:筆者撮影

ロマネスク様式の絶頂期に造られたサン・ペドロ・デ・テハダ教会

カスティージャ・イ・レオン州のブルゴスから北へ車で約1時間程に行くと、スペインで2番目に長く大きな河川であるエブロ川流域の村にこのサン・ペドロ・デ・テハダ教会はある。静寂に包まれているサン・ペドロ・デ・テハダ教会は、周囲の景色と溶け込んでまるで今にも修道士たちが教会から出てくるような錯覚に陥らせてくれる。

車は教会の下方にある村に停めてなだらかな坂を上っていくと、すらりとしたサン・ペドロ・デ・テハダ教会の姿が現れる。ロマネスク様式によくみられるずんぐりとした雰囲気はない。伸びた鐘楼部分と入口の三角の屋根は神の国を目指しているような印象を与える。

教会の敷地の前にある柵の前で、事前に電話予約していた管理人の方が鍵をもって待っていて下さった。

横から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、セノビオ(cenobio)と呼ばれる共住苦行者たち(初期修道士たち)が作った修道院を受け継いだものだが、修道院自体は紀元850年まで遡る。現在の教会は12世紀前半に造られ、12世紀といえばロマネスク様式の絶頂期であった。このサン・ペドロ・デ・テハダ教会はこの地方特有のロマネスク様式の特徴を併せ持つ、最も完全で保存状態の良いロマネスク様式の教会の一つだ。他のロマネスク様式の教会によくみられる時代ごとの改修などもなく、12世紀そのままの姿を21世紀に生きる私たちの目の前に現してくれている。ちなみに、原型となった修道院は今は全く存在せず、教会のみが残っている。しかし、この修道院は当時この地方で重要な役割を果たし、サン・ペドロ・デ・テハダ修道院の修道士たちの中から、同じ今のブルゴス県にあるオーニャという町に1011年に設立され19世紀まで続いたたベネディクト会のサン・サルバドール・デ・オーニャ修道院 (Monasterio de San Salvador de Oña)の設立者たちがでたという記録が残っている。

教会の入口(Portada)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口には、特徴のある刳(く)り型彫刻や飾り持ち送りが見られる。スペイン語ではモディジョン(modillón)またはカネシージョ(canecillo)と呼ばれる8つの飾り持ち送りがあり、左右両側の二つは羽のあるマタイ(Mateo)、マルコ(Marcos)、ルカ(Lucas)、ヨハネ(Juan)の4人の姿が表してある。この4人は、福音書を書いた4人である。そして、残りの四つはテトラモルフ(tetramorfo)と呼ばれるこの4人の福音記者を象徴する形象が施してある福音記者4人とテトラモルフによる福音記者4人の形象が同じところにあるのは珍しいということだった。ちなみに、左から鷲の姿をしたヨハネ、雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイである。飾り持ち送りの真ん中には、上昇するキリストの姿が見て取れ、キリストの昇天を表している

8つの飾り持ち送りの下には左右両側に刳(く)り型彫刻が見えるが、キリストの12人の弟子が6名づつ彫られている幾人かの弟子は両手を上に広げた姿をしており、これは「オランス(=祈る人)」の姿勢と呼ばれるものであり、ここでは弟子たちがキリストに対する期待、望みなどを表しているのだという

更に、両端の刳(く)り型彫刻の下には、キリストの「最後の晩餐」と「人間の上にライオンが押し乗っている姿」が表してあるが、これについては未だにその解釈ははっきりされていないとのことだった。

上段:福音記者の2人(右端と右から2番目)とテトラモルフで左から雄牛の姿をしたルカ、獅子の姿をしたマルコ、人間の姿をしたマタイ 
ルカとマルコの間に両手を広げたキリストの姿が見える
中段 :キリストの12人の弟子のうちの6人 
下段:人間の上にライオンが押し乗っている姿 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

石材と飾り持ち送りのモチーフ

サン・ペドロ・デ・テハダ教会に使われた石は、下層部分は石灰岩(piedra de caliza)で上層部は凝灰岩(piedra de toba)である。凝灰岩は石材としては軽いもので、まだ建築技術が発達していなかったロマネスク時代において負担を軽くするためにこの石材が選ばれたという。

ユーモラスな動物たち(写真:アルベルト・F・メダルデ)

さて、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の入口だけではなく、教会の側面部分や鐘楼部分にも飾り持ち送りが施されている。その一つ一つを見ていくと、笑いを誘うものや不思議なもの、楽器を弾く人やもしかしたらこの教会に携わったのかもしれないと想像させられる石工の姿、ユニークな動物たちや扇情的な人物像等々、実に様々な飾り持ち送りが施されていて、見ていて飽きない

人を踏みつけている悪魔?楽器を弾く人等(写真:アルベルト・F・メダルデ)
聖職者、淑女またはシスターの隣には陰部を見せる男女が!(写真:アルベルト・F・メダルデ)

サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部

管理人の方に案内され、教会の内部へと足を入れると想像以上に広く高く感じた。塔部分は17メートルあるということで、現代の建物でいえば5階建てというところだろうか。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は唯一の身廊が3つの部分を成していて、翼のない公差部(crucero sin alas)の上に二層からなる塔が建造され、突き当りに祭壇がある半円形の後陣(ábside)がある。祭壇の壁部分に5つのアーチと柱頭(capitel)がある柱がある。その5つのアーチのうち真ん中のアーチの上には窓がある。現在はミサ等の宗教的な儀式は行われていないので、十字架や聖人の像などもなく至ってシンプルだ。

しかし、祭壇部分に入るアーチ(arco de triunfo)の柱頭部分を見上げると、その細かな彫刻に目を引かれる。4人の聖人と5人の聖人から構成された図柄で、5人の聖人たちはテーブルに集い宴のためのグラスを用意しているかのようだ。4人の聖人の方はそれぞれ手にグラスを持ち、まるで誰かに差し出しているかのようだ。そして、それらの緻密な彫刻の上の部分には市松模様(ajedrezado)で飾られている。この聖人たちの彫刻は、カスティーリャ地方のロマネスク様式の彫刻の中でも最も素晴らしい彫刻の一つだということだった。内部の写真撮影は許されなかったので、教会内部やこの素晴らしい彫刻の写真がなく、紹介できないのは残念だ。

後陣から見たサン・ペドロ・デ・テハダ教会(写真:アルベルト・F・メダルデ)
鐘楼部分とその左側にはこの地方特有のウシ―ジャ(usilla)と呼ばれる螺旋階段が見える

最後に

サン・ペドロ・デ・テハダ教会は、様々な本にはブルゴス地方に残るロマネスク様式の教会でも最も美しい教会の一つとして紹介されているが、私はブルゴス地方のみならずスペイン国内に残るロマネスク様式の教会の中で最も美しい教会の一つだと思う。その姿は、堅固かつ調和のとれたものであり、天へ昇る精神性を体現するかのようだ。ロマネスク様式の教会に興味ある方にもそうでない方にも是非訪れてほしい教会の一つである。

現在は個人の所有物となっているが、前述したように事前に予約を取っていけば管理人の方が敷地内に案内してくださり、教会の内部も見せてもらえる。説明もしてくださり、様々な質問にも答えてくださった。説明してもらえるロマネスク様式の教会はなかなかないので、この機会に色んな事を尋ねてみるとよいだろう。(管理人の方には、心付けを忘れずに!)

約900年もの長い歳月、ここにすっくと立つさまは周りの景色と融合し、当時の修道士たちの祈りやこの教会を建設し、様々な楽しい飾り持ち送りを作った石工などの話し声が聞こえてきそうだ。遠くから聞こえてくる鳥の声を聴きながら、サン・ペドロ・デ・テハダ教会を後にすることが名残惜しく感じた。

参考

ここで紹介しサン・ペドロ・デ・テハダ教会 (Iglesia de San Pedro de Tejada)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つです。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にして下さい。

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。サン・ペドロ・デ・テハダ教会がある役所の連絡先が載っているので、事前に確認してから訪ねることをお薦めします。 スペイン語が話せる方は直接こちらへ連絡されるといいです。 947 303200 y 652641079                    英語で予約したい方はこちらからどうぞ。ブルゴス地方観光局:(Oficina de Turismo Regional de Burgos)947 203 125 または 947 276 529。メールアドレス: oficinadeturismodeburgos@jcyl.es

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-san-pedro-tejada?isprediction=1

・カスティージャ・イ・レオン州観光公式サイト。こちらは英語版。

Hermitage of San Pedro de Tejada – Official Portal of Tourism. Junta de Castilla y Leon (turismocastillayleon.com)

・youtube でも紹介されています。残念ながらスペイン語のみです。

Iglesia Románica de San Pedro de Tejada (Merindad de Valdivieso) – YouTube

・エンリケ・デ・リベロ(Enrique de Rivero)という方のウエブサイトの中に、サン・ペドロ・デ・テハダ教会の内部の写真があります。興味のある方はどうぞ。

http://www.burgossinirmaslejos.com/blog/san-pedro-de-tejada-el-escondido-tesoro-de-valdivielso/