スペインのカーニバルのお菓子いろいろ

今年は、2月9日(金)から13日(火)まではカーニバルです。このお祭りは太陰暦で行われるため、イースター(復活祭)の時期によって毎年日付が変わります。具体的には、イースター(復活祭)の日曜日から遡って47日目の火曜日です。イースター(復活祭)は、春分の日以降の満月の日の次に来る日曜日と定められていて、毎年少しずつ当たる日が違います。今年は、3月31日(日)がイースター(復活祭)です。

さて、カーニバルと聞いて何を想像しますか?一番有名なカーニバルのお祭りはやはりブラジルの「リオのカーニバル」でしょうか。スペイン国内では、アフリカ大陸の横に位置するスペイン南部の諸島サンタ・クルス・デ・テネリフェのカーニバルが一番有名かもしれません。気候的にもスペイン本土とは異なり暖かい気候ということも手伝って、ブラジル的なリズミカルで奔放かつスペクタクルなカーニバルです。こちらは15日間に亘ってお祭りが開催されます。

クライマックスの日は火曜日のカーニバル(Martes de Carnaval)と呼ばれる最後の日です。ただ、学校以外の普通の社会人や大学生はその日は休日ではないので、その前の土曜日や日曜日に仮装して出かける人も多いですね。

その華やかなカーニバルの期間前から、街のお菓子屋さんでは地方色豊かなカーニバルのお菓子が出回ります。今回は、それらのお菓子について紹介します。

・オレハス・デ・カルナバル(Orejas de Carnaval)

パリパリっとした食感も楽しめる(写真: 筆者撮影)

オレハス・デ・カルナバル(Orejas de Carnaval)という名前の通り、スペイン西北部のレオン県やガリシア州でポピュラーなカーニバルの時期に食べるお菓子です。オレハス(orejas)というのは、スペイン語では「耳」を意味する「Oreja(オレハ)」の複数形です。「カーニバルの耳」というのがこのお菓子の名前ですが、一体何の耳を指しているのでしょうか?実は、豚の耳をかたどったものだと言われています。

カーニバルは、毎年日にちは異なるものの2月に行われます。昔からスペインでは、2月に豚を殺しその肉を使ってチョリソー(Chorizo)等のいわゆるソーセージやサラミを作ってきました。これは、農作物が少ない冬の間の貴重な食糧、保存食として昔から行われているスペイン語ではマタンサ(Matanza)と呼ばれる豚の屠殺です。

また、カーニバルの最終日が終わる次の日からは、キリスト教徒の間では復活祭(イースター)に向けて四旬節と呼ばれる断食の犠牲を伴う時期に入ります。基本的には、肉食を絶つ、食事の量を控えるということでしたが、キリスト教では主日(日曜日)には断食をしない習慣なので日曜日には普通に食事をしていました。

ただ、「肉食」の中には豚足や豚の耳は含まれておらず、「肉」の代用食として四旬節中にも食べられていました。そして、カーニバルの時期に重なるマタンサ(Matanza)-豚の屠殺-の習慣とこれから始まる四旬節中の断食の時期でも「肉」の代用として食べることができた豚の耳が民衆の間で上手く融合したことにより、カーニバルの時期に食べる「豚の耳」をかたどったお菓子が登場してきたという訳です。(ディアリオ・デ・レオン「Diario de Leon」2021年2月10日付新聞記事より)

この説がどこまで本当なのかは分かりませんが、このお菓子はとても素朴で美味しいので、カーニバルの時期は勿論、お菓子屋さんによっては1年中販売しているところもあります。是非、お試しください!

・フローレス・デ・カルナバル(Flores de Carnaval)

花の形が可愛い!(写真: 筆者撮影)

こちらは、花をかたどったお菓子で名前も「カーニバルの花」という可憐な名前です。オレハス・デ・カルナバル(Orejas de Carnaval)と同様に揚げ菓子です。

可愛い花をかたどった型。お菓子作りが大好きなお友達にはお土産にしても喜ばれそう!(写真: 筆者撮影)

カステージャ・ラ・マンチャ州やガリシア州、エクストレマドゥーラ州など、スペイン各地で見られるお菓子です。上の写真はレオン市のお菓子屋さんで買い求めたもので、「レオン市でもカーニバルの時期に食べるお菓子の一つだよ」と教えてくれました。レオン市は、今はカステージャ・イ・レオン州の中の一つですが、歴史的にはカステージャ王国とは別のレオン王国が存在していて、当時のレオン王国は今のガリシア州も領土の一部として統治していたこともあり、今のガリシア州と共通する食べ物や習慣も多々あります。

スペイン近代化の中で、歴史的には同じ王国だった場所が分裂されたり統合されたりして今の州制度が成立していますが、長い間培われた食文化は人々の生活の中ではしっかりと根ざしていて、今現在も食され、人々から愛され続けていることは興味深く、脈々と受け継がれてきた伝統文化を感じさせられます。

・カサディエージェス(Casadielles)

こちらは揚げ菓子バージョンではなく、パイ生地バージョンの「カサディエージェス(casadielles)」(写真: 筆者撮影)

最後に紹介するカーニバルの時期に食べるお菓子は、スペイン北部のアストゥリアス州の「カサディエージェス(casadielles)」です。こちらは、クルミを中に詰めた包み揚げ菓子で、アストゥリアス地方のある地域ではクリスマスに広く食べられ、他の地域ではカーニバルのお祭りで食べられています。どちらにしても、アストゥリアス州ではそのシンプルさと味の両方で人気のあるデザートの一つです。

その起源については、ローマ時代以前にアストゥリアス人が作り始めたとする説があります。アストゥリアス人(astur)はナッツ類を集める民族であったため、レシピにこれらの食材を多く使っていたと考えられているからです。

こちらのお菓子はスペインの他の州では食べれないお菓子なので、もしスペイン北部のアストゥリアス州に訪れる機会がある方は、食べてみられることをお薦めします!

ロマネスクへのいざない (13)- アストゥリアス州(1)

アマンディのサン・フアン教会(Iglesia de San Juan de Amandi) の正面 (写真:アルベルト・F・メダルデ)

アストゥリアス州のロマネスクを訪ねて

アストゥリアス州にあるロマネスク巡りの旅に3泊4日で行ってきた。アストゥリアス州はスペイン北部に位置し、8世紀初頭にはイベリア半島がイスラム化され、イベリア南部・中部からイスラム軍勢の攻撃を逃れたキリスト教徒たちがこの地方に避難していた。その後、スペインのレコンキスタ(キリスト教勢力がイスラム教勢力に対して領土を取り戻そうとする運動)のきっかけとなる722年のコバドンガの戦い(アストゥリアスにあるコバドンガという場所で戦われた)に勝利し、アストゥリアス王国の端緒となった。

8世紀にアストゥリアス王国が建設され、910年に今のカステージャ・イ・レオン州のレオン市に王国が遷都しレオン王国が建設されるまでの約200年弱アストゥリアス王国は繁栄していた。この王国はキリスト教と密接に結びついていたため、11世紀から12世紀後半にかけてヨーロッパ中を席巻したロマネスク様式以前に建てられた教会がこの地方には多く残されており、アストゥリアス芸術とも呼ばれる建築様式が起こりこの地方の芸術において最も特徴的な象徴の一つとなっている。

その中でも、「オビエドおよびアストゥリアス王国のモニュメント」の名前でユネスコの世界遺産に登録されているアストゥリアスのプレ・ロマネスク芸術(アストゥリアス芸術)の建築は有名だが、今回の旅ではオビエドは含まれていない。オビエドについては別の機会に紹介するつもりだ。今回のロマネスク巡りでは、アストゥリアス芸術のプレ・ロマネスク芸術だけではなく、有名どころではない日本人にはほとんど知られていないロマネスク様式の教会等を訪ねたので紹介しよう。

アストゥリアス州 - Wikipedia
山あり海ありと風光明媚なアストゥリアス州。食べ物も美味!

ちなみに、今ではスペインの中では小さな州の一つとなっているが、アストゥリアス王国の最盛期には、ご存じの方も多いキリスト教三大巡礼地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラがあるスペイン西部のガリシア地方へと版図を拡大していた。

また、スペイン皇太子の称号は「Príncipe de Asturias(アストゥリアスの王子)」というが、これはこのアストゥリアス王国がキリスト教の最後の牙城となり、その後レオン王国、カステージャ王国、そしてスペイン統一へと発展していった直接の母体となったという歴史にちなんでこの名前からとられており、1388年に設けられた。(ウィキペディアより)

今回の旅行では、最初の2泊はビジャビシオサ(Villaviciosa)に泊まり、残りの1泊はアビレス(Avilés)に泊まった。ちなみにマドリードからは車で5時間程かかる。列車だと3時間40分~4時間程でヒホン(Gijón)まで着く。ヒホン(Gijón)は、今回泊まったビジャビシオサ(Villaviciosa)とアビレス(Avilés)のほぼ中間地点にある海沿いのアストゥリアス州で一番人口の多い街であり、アストゥリアス州の州都はオビエド(Oviedo)である。

第1日目: ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

第1日目に訪れたロマネスク建築は、ビジャビシオサ(Villaviiosa)にあるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)。

・ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)

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ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会の正面玄関(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)(写真:アルベルト・F・メダルデ)

ビジャビシオサ (Villaviiosa)の街の中心地にある今も街の人達に愛されている教会。ゴシック様式の原型となる後期ロマネスク様式と呼ばれている13世紀末に造られた教会で、バシリカの間取り、幾つかの矢狭間(やざま)、側面の出入口、殆どの装飾がロマネスク様式として残っている。ゴシック様式としては、ファサードのこころもち尖ったアーチ、バラ窓、図像等に現れている。

ビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

第2日目: プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)からカモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)まで

第2日目に訪れたロマネスク建築並びにプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は次の通り。6ヵ所の教会を回り、そのうち1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、残りの5ヵ所はロマネスク建築だった。

プリエスカのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Priesca)

正面玄関の入口はロマネスク様式等に比べると至って簡素。(写真:筆者撮影)

10世紀に造られたプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の教会。アストゥリアス美術を踏襲する半円筒ボールトで覆われ、祭壇を含む頭部 (Cabecera) が3つの部分に分かれたバシリカ間取りの教会。

3日目に訪れたバルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)をモデルとして造られたが、バルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)と同様に内部の装飾画は保存状態が悪い。それでも教会内にかすかに残る多色装飾は興味深いものだった。

プリエスカのサン・サルバドール教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・セブラジョのサンタ・マリア聖堂(Templo de Santa María de Sebrayo)

入口は後世に増築された雨除けで覆われている。(写真:筆者撮影)

12世紀に建てられたこの教会は、身廊は一つで長方形の間取りであり、祭壇を含む頭部 (Cabecera) は正方形であまり高さはない。教会の聖具納室と柱廊は後の時代に付け加えられている。内部は見ることができなかったが、ビジャビシオサの観光ウエブサイト(Turismo Villaviciosa)によると、身廊は木造の露出した構造で、祭壇を含む頭部 (Cabecera) は樽型アーチで覆われている。両者は、植物の柱頭で装飾された両側の柱に支えられた二重アーキボルトの主要門 (arco de triunfo) で隔てられている。

ビジャビシオサの街からは車で15分位だが、途中の道が細くかなり孤立した場所にひっそりと建っていたのが印象的だった。

・セロリオのサンタ・エウラリア教会 (Iglesia de Santa Eulalia de Selorio)

様々な様式が一つの教会に収斂されている。(写真:筆者撮影)

905年には既にこの教会が存在していたことが記録として残されているが、その当時のプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)は何も残存していない。ロマネスク様式のものは、主要アーチ(arco de triunfal)、後陣、出入口等があり、特に持ち送りに施されている動物のをかたどったもの等は保存状態は良い。記録には残っていないが、12世紀末から13世紀初めにかけて造られた教会だと考えられている。

現代的な時計がファサードに組み込まれているのは印象的だった。

・ルガスのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Lugás)

雨の多いアストゥリアスではよくみられる雨除け。(写真:筆者撮影)

ルガス ( Lugás)にあるのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María) の始まりは13世紀に遡り、2つの出入口と主要アーチ (arco de triunfo) はロマネスク時代のものが残存する。他の部分は17世紀以降度々改築や増築が行われ、その結果、残念なことにロマネスク様式は覆い隠されてしまった。興味深いことは、解釈の違いはあるものの、ここの教会の門に施されている嘴の生えた頭部が連なっている模様は、イングランド・フランス・アイルランド等でもよく見られる模様で、アストゥリアス地方でも見られる模様だということ。この模様は、今回訪れることができなかったこの近くにあるアラミルにあるサン・エステバン教会にも見られるということだ。

ルガスのサンタ・マリア教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・バルデバルセナスのサン・アンドレス教会 (Iglesia de San Andrés de Valdebarcenas)

一見シンプルな教会のようだが主要アーチ等見どころが多い。(写真:筆者撮影)

バルデバルセナス (Valdebarcenas) のサン・アンドレス教会 (Iglesia de San Andrés)は12世紀に建てられた、典型的なプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の要素を残すアストゥリアス初のロマネスク建築の一つである。1965年に国定史跡に指定され、アストゥリアスで最も興味深い教会の一つと専門家の間でもみなされている。

・カモカのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Camoca)

白く塗られた壁が印象的。(写真:筆者撮影)

13世紀に建てられた教会で、ロマネスク時代のものとしては主要アーチ (arco de triunfo) があり、南玄関の半円アーチは非常にシンプルで、植物と動物の装飾が施された柱頭を持つ左右3本の柱の上に、2本の無地のアーキボルト、いくつかの持ち送り、そして刳り型装飾を施したアーチの迫元を伴う無地のアーキボルトから成る。

第3日目: フエンテスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Fuentes) からアビレスのカンタベリーのサント・トマス教会 (Iglesia de Santo Tomás de Canterbury en Avilés)まで

第3日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。7ヵ所の教会を回り、そのうち1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、残りの6ヵ所はロマネスク建築だった。

フエンテスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Fuentes)

景色の良い高台に建てられていた。(写真:筆者撮影)

11世紀に造られたこの教会は、19世紀に発見された膨大な碑文のおかげで、その歴史の詳細の多くが知られている。この碑文には教会の創設者であるディエゴ・ペレスとその妻マンスアラが、魂の救済を目的として創設したことや、寺院創設のために寄付した品物の詳細が記されていると同時に、この教会から何かを持ち出すような者があれば、その者に永遠の責め苦を受けさせてほしい、そしてこの地から破門されますようにとの呪いの言葉も記されている。興味深い事には、この願いもかなわず1898年に中世アストゥリアス金細工の傑作のひとつである教会の行列用十字架が略奪され、回りまわってニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されていることである。

ちなみに、1985年に歴史的芸術建造物に指定されている。

・ビニョンのサン・フリアン 教会(Iglesia de San Julián de Viñón)

中まで見れなかったことが残念。(写真:筆者撮影)

アストゥリアス中東部の田園ロマネスク様式の最も重要な寺院のひとつで、1985年に歴史的芸術建造物に指定された。

この教会は11世紀初頭に造られ、スペインのロマネスクが始まる以前のものであり、ロマネスク様式以前のアストゥリアス美術とその後の時代のロマネスク様式の結合(つながり)を見て取ることができる。つまりスペインロマネスクの原型を見ることができる貴重な教会として重要視されている教会である。

・バルデディオスのサン・サルバドール 教会(Iglesia de San Salvador de Valdediós)

調和のとれたリズミカルで存在感のあるその姿は、見る人を飽きさせない。(写真:筆者撮影)

「神の谷」を意味する「Valdedios」に建てられた教会は、俗世から離れた神聖な美しい自然の中にある。訪れた日は雨が降り、緑が濃く感じられる神秘的な場所であった。

9世紀に建てられたこの教会は、アストゥリアス王国の最後の王アルフォンソ3世によって建てられ、ロマネスク以前のアストゥリアス芸術の最後の作品の一つである。小規模の教会にもかかわらず、威風堂々としていて、かつ、シンプルな線の建築の中にリズムを感じ取れる。

この教会は今回の旅のメインだったが、期待にたがわないその姿を見た時は、震える喜びを感じた。

バルデディオスのサン・サルバドール 教会についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

・サンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)

鳥の声、雨の音しか聞こえな静寂な場所で800年以上も修道士たちは神に祈りを捧げ、静かに暮らしていた。(写真:筆者撮影)

上記バルデディオスのサン・サルバドール教会 (Iglesia de San Salvador de Valdediós)の敷地内には、シトー会修道士達によるサンタ・マリア修道院(Monasterio de Santa María)が建っている。この修道院は1200年に設立され建築様式はロマネスク様式で造られた。2020年までは少数の修道士たちが居たが、今は完全に観光のみとなりガイド案内が行われている。

・アマンディのサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan de Amandi)

祭壇を含む頭部 (Cabecera) は息を吞む美しさが!(写真:筆者撮影)

今回の旅で美しいロマネスク様式教会の発見!と感じたアマンディ (Amandi) のサン・フアン 教会(Iglesia de San Juan)は、13世紀の初めにロマネスク時代最後の教会として造られた。後陣の美しさと、優雅で多様な彫刻装飾はこの教会特有のものであり、17世紀に増築された出入口を守るための大きな半円形木造の柱廊(pórtico)は、雨の多いこの地方において重要な役割を果たしている。その土地に適した建築構造は、様式のみにとらわれない柔軟な考えを持った人たちによって造られたのであろう。

アストゥリアス地方全体の豊富なロマネスク建築の中でも特別な繊細さと美しさを持ち、1931年に国定史跡に指定されている。

・アビレスのサン・アントニオ・デ・パドゥア教会 (Iglesia de San Antonio de Padua de Avilés)

アビレス (Avilés) の街の中心地にある。(写真:筆者撮影)

12世紀に建てられたロマネスク様式の教会で、アビレス (Avilés) の街の中では中世の城壁内に存在した唯一の教会として知られており、アビレスの街における宝の一つ。長い歴史の中で数々の改築が行われ、教会の原型であったロマネスク様式はファサードに残存しているのみである。その後15世紀にはゴシック様式で増築され、更にキリスト礼拝堂がバロック様式で建てられている。

面白い事にこの教会は3つの名前を持っていて、建設された当初は、船乗りと商人の守護聖人であるサン・ニコラス・デ・バリ教会 (Iglesia de San Nicolás de Bali) の名を冠しており、その後、1919年にフランシスコ会が到着すると、フランシスコ会の神父たちの教会 (Iglesia de los padres franciscanos) となった。そして、フランシスコ会の修道士たちが2013年に教会を去った後は、サン・アントニオ・デ・パドゥア教会 (Iglesia de San Antonio de Padua) となっている。

・サブコのサント・トマス教会 (Iglesia de Santo Tomás de Sabuco)

ライトアップされた美しいファサード。(写真:筆者撮影)

アビレス (Avilés) の街に13世紀半ばに建てられたこの教会は、基本的にはロマネスク様式だが、時代はゴシック様式の波が押し寄せていたことを反映し、入口は先が尖ったアーチでゴシック様式を取り入れているのが見受けられる。南側にある入口は典型的なロマネスク様式の特徴である半円形アーチである。

この教会は、イギリスのカンタベリー大司教で殉教したサント・トマスに捧げられた教会でアビレスの街のサブコ地区にあったため、サブコのサント・トマス教会と呼ばれている。

第4日目: ピエデロロのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Piedeloro)からレナのサンタ・クリスティーナ教会 (Santa Cristina de Lena)まで

第4日目に訪れたロマネスク建築は次の通り。1ヶ所はプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)、もう1ヵ所はロマネスク建築だった。

・ピエデロロのサンタ・マリア教会 (Iglesia de Santa María de Piedeloro)

国の文化財に指定されているこの教会は、13世紀初頭に造られた後期ロマネスク様式である。17世紀から18世紀にかけて祭壇を含む頭部 (Cabecera) が改築され、20世紀のスペイン市民戦争では大きな被害を受けている。残存するロマネスク様式は、3つの入口と主要アーチ(arco triunfal)のみである。

訪れた日が11月1日で、この日は「諸聖人の日(万聖節)」で教会ではミサが行われていて多くの人達が参列していたため、残念ながら教会に入ることはできなかった。写真からもお分かりになるように、沢山の車が教会の周りに止められていた。かなり田舎の村の教会だったので、この車の多さには驚いたが、「諸聖人の日(万聖節)」ということを思い出して納得した次第。

・レナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)

まるで中世の一コマのよう。(写真:筆者撮影)

9世紀半ばに造られたプレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)の教会は、人里離れた雄大な自然の中に根を下ろす孤高の教会である。19世紀末と1930年代に行われた修復の成功により見事に保存されたレナのサンタ・クリスティーナ教会 (Iglesia de Santa Cristina de Lena)は、1885年に歴史的芸術建造物に指定され、その1世紀後(1985年)、冒頭に言及した通り、アストゥリアスの他のプレ・ロマネスク様式の建造物とともに、「オビエドおよびアストゥリアス王国のモニュメント」としてユネスコの世界遺産に登録された。

残念ながら訪問時間外に着いたので、今回は内部を見ることができなかった。またの機会に訪ねてみたい。

ロマネスクへのいざない (13)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (10)– モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)

ピクニックでもできそうな気持のよい場所にヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla) はある (写真: 筆者撮影)

スペインの文化遺産にも指定されているヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)は、12世紀後半(1170年以降)に建てられたロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)の古い教会である。現在、この修道院は存在せず、その名前だけがこの土地の名前となって残っているにすぎない。

10世紀頃からこの土地に修道士たちが住み始め、ローマ街道から少し離れた、泉のそばにこのロディージャ修道院(Monasterio de Rodilla)が建てられたが、ここから40km程離れたオニャ修道院(Monasterio de Oña)に1063年に併合された。

今回、事前予約など無しでこの礼拝堂を訪れたため、礼拝堂自体は閉まっていて中には入ることはできず残念だった。ここでは、礼拝堂の外観について見てみる。

オリジナルな礼拝堂

モナステリオ・デ・ロディ―ジャの ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle de Monasterio de Rodilla)は、「スペインで建設されたロマネスク様式のバシリカの中で最も優れた例である」、とウィキペディアには紹介されている。更には、「東洋と西ゴートの影響を受けた12世紀の無名の芸術家たちの優しい手から生まれたままの姿で、きれいに保存されている」と続く。

ここで言う「バシリカ」とは、長方形の建物でキリスト教の教会堂の建築形式である。特徴としては、身廊、側廊があり、入口から入って身廊に入りその突き当りにアプス(後陣)と呼ばれる祭壇がある部分がある。基本的には、アプス(後陣)は、イエスが生まれた方向であり、イエスの「私は光である」という言葉から光(太陽)が生まれる方向、つまり東側に位置するように造られ、教会への入口は西側に位置していた。

ところが、理由は分かっていないらしいが、このヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)の礼拝堂への入口は西側ではなく、北側に位置している。

まるで大きな半円の素描のような三つのアーチ(写真: 筆者撮影)

また、アプス(後陣)は半円形の形をしている。ここの礼拝堂も通常の半円形を成しているが、その半円形に三つの大きなアーチ型をした線が描かれ、各々のアーチの中に細長い窓が造られていて、とても動きのある軽快なイメージを受ける。一般的なアプス(後陣)がもっとどっしりとしたイメージを与えているだけに、この礼拝堂のアプス(後陣)のオリジナル性は際立っている。

幾つか他のロマネスク様式のアプス(後陣)も紹介して比較してみよう。

こちらは、同じブルゴス県にあるサン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)。途中から柱が細くなっていてほっそり感かつ優雅な雰囲気が出ている。

サン・ペドロ・デ・テハダ教会(Iglesia de San Pedro de Tejada)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

こちらも同じブルゴス県にあるビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)。もっとでシンプルかつ重厚感を与えている。

ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

最後に比較してみるのは、アストゥリアス地方にあるアマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)。こちらも上のビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)のアプス(後陣)に似ていて、重厚感を与えている。三層に区切ってあるのは、ここのアプス(後陣)の特徴でもある。

アマンディのサン・フアン教会 (Iglesia de San Juan de Amandi) のアプス(後陣)(写真: 筆者撮影)

比較してみるとお分かりになると思うが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)はロマネスク様式のアプス(後陣)の中でも新奇な趣向を見て取ることができる。

北側にある入口

北側にある入口を見てみよう。

北側に位置する教会の入口(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

入口のアーキボルトは三層から成っていて、ほんの少し先が尖っているのが見える。これは、この後に訪れる初期ゴシック様式への過渡期であり、黎明期の到来を表している。実際、この入口は12世紀後半のもので、この頃にはスペインにも少しづつゴシック様式の波が押し寄せていた。しかしその装飾は、ビザンチン文化の影響を受けたロマネスク様式のものである。

円柱の4つの柱頭は、ロマネスクではお馴染みの鳥とライオンの姿が見える。そして入口を見てまず目に留まるのは、矢張り入口の左右に彫られているライオンの頭部だろう。なかなか表情豊かで印象的である。これは、「教会の番人としてのライオン」を表していて、教会に入る人々に、神聖な場所にいることを警告し、態度を改め、適切な態度を取らなければならないことを示している。

ライオンというよりまるで鬼の顔のよう(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

この教会の番人としてのライオンは、あまりに実際のライオンとはかけ離れた顔つきのような気もするが、忘れてはいけないことは、ロマネスクの時代には、本物のライオンを見たことがある人はおそらく一人もいなかったであろうことだ。というのも、ヨーロッパには今も昔もライオンはいない。今のようにテレビやインターネットでライオンの姿を見ることが容易であったわけではない。まして、動物園等ない当時、本物のライオンにお目にかかれる機会など全くなかったのである。全てのこのような動物は石工達の想像上の動物、またはそれ以前に描かれていた絵等の資料を基にして作られたのであった。

魅力的な持ち送り(Canecillos または Modillones)

前述の北側の入口の屋根部分にも見えるが、ヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂 (Ermita de Nuestra Señora del Valle)には、スペイン語でカネシージョス(Canecillos)またはモディジョネス(Modillones)と呼ばれる24の持ち送りがある。通常、ロマネスク様式における持ち送りは身廊や後陣、入口の瓦屋根の下にあり、張り出した屋根部分を支える機能を担っていると同時に、装飾としての役目も担っていた。

ロマネスクにおけるライオンに与えられた象徴的な意味は多岐にわたっている。その上、前述した「教会の番人としてのライオン」というような良い意味だけではなく、悪い意味を象徴するものとしてもその姿が用いられてきた。例えば、「悪魔の化身」としてのライオンや貪食な動物であるというイメージからくる「死」や「精神的な死」をも意味していた。(「ロマネスクの図像と象徴(筆者訳: Iconografía y Simbolismo Románico de David de la Garma ramíez、出版社: arteguias)」より)

ライオンだろうか。歯を見せて笑っているようなユーモラスな表情は魅力的。(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
鋭い嘴からワシではないかと思われる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
流石に犬は本物の犬の姿をしていて分かりやすい(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

人間を描いた持ち送りも多数見られる。

人間の胸像、職業や活動を示すもの(ハンマーを持った鍛冶屋や大工、バイオリンを持った音楽家、裸の男(おそらく男根)などがそれに当たる。

ハンマーを持った鍛冶屋(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
背中合わせの男女だろうか?小首をかしげる女性の姿は惹きつけられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
楽器を弾く男。バイオリンだろうか?(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)
こちらは裸の男。破損しているが男根とみられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

東方の影響

南側の浮き彫りには、聖母マリアと幼子イエスが描かれており、マリアが戴冠する「知恵の王座(ラテン語ではセデス・サピエンティアエ(Sedes Sapientiae))」というビザンチン様式の伝統的な正面配置になっている。残念ながら幼子イエスの彫刻は事実上失われている。

東方のビザンチン文化の影響を受けた聖母マリアと失われた幼子イエス
(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

一つの建築物の中に様々な文化・様式が融合され、調和を持った教会へと仕上げられている所はこのヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂の魅力の一つであろう。

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

・youtubeでいろんな角度から見たヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ礼拝堂が見えます。

・こちらは、礼拝堂の中も見れる youtube。

参考

・カステージャ・イ・レオン州の公式観光案内ウエブサイトには、コンタクトの電話番号があります。内部も見学したい方は、事前に連絡されて訪ねることをお勧めします。2023年11月現在で確認した限りは、冬の期間11月~3月くらいまでは基本的には中を訪れることはできないとのことでした。冬の季節以外は、週末にガイド付き(今のところスペイン語のみ)で中を見学できるが、事前予約が必要とのことでした。

https://www.turismocastillayleon.com/es/arte-cultura-patrimonio/monumentos/iglesias-ermitas/ermita-senora-valle

諸聖人の日(Día de Todos los Santos)に食べるスペインのお菓子色々

毎年11月1日は、「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」としてスペインでは祝日です。これは、カトリック教会の祝日の一つ全ての聖人と殉教者を記念する日で、古くは「万聖節」と呼ばれていました。そして翌日11月2日は死者の日に当たります。既にこの世を去ってしまった家族や友人などに思いを馳せながら、お墓参りをしたり家族で集まって故人を偲んだりします。日本のお盆のようなものと考えてもらえば分かりやすかもしれません。

家族が集まれば、矢張りみんなでワイワイ語りながら食事やお菓子を食べるのはどこの国でも同じこと。日本では、昔に比べるとお盆をお祝いする習慣は廃れてきていると思いますが、それでも地方などではお盆には家族で集まり食事をしたり、落雁を食べる機会もあるでしょう。ここスペインでもこの日はいろいろなお菓子を食べる習慣があります。今回は、諸聖人の日(Día de todos Los Santos)に食べる様々なスペインのお菓子を紹介します

ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)

左側のものは、ココナッツを使い形も骨っぽく仕上げています(写真: 筆者撮影)

「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」というは、「聖人の骨」という意味です。日本人の感覚からはちょっと驚きの名前ですが、スペイン人にとっては愛情をこめて死者を象徴する「骨」を食べているようです。もともとカトリック教会では、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品を「聖遺物(Reliquia)」として大切に保管し、聖人とその遺物に加護と神への取り次ぎを求める願掛けや治癒の奇跡を含む様々な宗教実践が形成されてきました。(ウィキペディアより)もしかすると、「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」という「聖人の骨」を表したお菓子を食することにより、庶民のささやかな願掛けや病気で苦しんでいる人の治癒の奇跡を望む切実な願いが込められていたのかもしれません。

ちょっと敬遠したくなるような名前のお菓子ですが、アーモンドの粉と砂糖を練り合わせたマジパンの中に卵黄を使ったクリームが入っていて、結構食べ応えのあるお菓子です。「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」の最初のレシピとしては、1611年、スペイン王フェリッペ2世の厨房責任者フランシスコ・マルティネス・モンティーニョ(Francisco Martínez Montiño)著書「料理・菓子・スポンジケーキ(ビスコッチョ)・保存食の方法『Arte de Cocina, Pastelería, Vizcochería y Conservería』」(筆者訳)に記載されていました。

私が住むカステージャ・イ・レオン州では、「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」に食べる定番のお菓子ですが、スペイン中色んな所で食べられているようです。マジパンの生地に様々な味と色を付けてカラフルな「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」が最近では出回っています。

上からオレンジ味、キーウィ味、イチゴ味の「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」(写真: 筆者撮影)

ブニュエロス・デ・ビエント(Buñuelos de viento)

諸聖人の日(Día de todos los Santos)には欠かせないブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento)(写真: 筆者撮影)

ブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento)は、ピンポン玉程の大きさで一口サイズの揚げシュークリームです。とても美味しく手食べやすいサイズということも手伝い、ついつい何個でも食べてしまう魅惑のお菓子です。(笑) 

ブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento) の「ブニュエロス (Buñuelos)」は、小麦粉を使った生地を丸めて油で揚げたお菓子のこと、「ビエント(Viento)」は、「風」という意味ですが、ここでは「デ・ビエント (de viento)」で、「膨らんだ(hinchados)」という意味です。この揚げ菓子の中にカスタードクリームやスペインではカベージョ・デ・アンヘル(Cabello de angel)と呼ばれている金糸瓜(またはそうめんかぼちゃ)を使ったクリーム、チョコレートクリームや生クリーム等が入っています。

諸聖人の日(Día de todos los Santos)に食べるお菓子の中でも一番ポピュラーなお菓子です。私が住むサラマンカでは、美味しいお菓子屋さんに前もって予約して10月31日頃から買って食べている人が多いようですね。

パネジェッツ(Panellets)

カタルーニャ州・バレンシア州・バレアレス諸島等で最も伝統的かつポピュラーなお菓子で、アーモンドを使った小さなマジパンに様々な風味を加えてあり、色んなバリエーションを楽しめます。

ちなみに、「パネジェッツ(Panellets)」は、欧州連合(EU)の品質認証に登録され、スペインの「本物の美味しさ」を保証している「伝統的特産品で美味しいもの」の一つに認証されています。これは、伝統的特産品保証(TSG=Traditional Specialties Guaranteed)と呼ばれるもので、本物の「パネジェッツ(Panellets)」は、マジパンに、アーモンド以外のでんぷん(ジャガイモまたはサツマイモ)やリンゴを加えることや保存料、着色料の添加は禁止されていて、伝統的かつ安全な食べ物であることが保証されています。(スペイン農業・漁業・食品省のウエブサイト「伝統的特産品保証TSG(Traditional Speciality Guaranteed)」参照) 但し、お店などで売っているものは、サツマイモが入っているものが一般的のようです。

前述の通り「パネジェッツ(Panellets)」にはバリエーションが多く、カタルーニャ州・バレンシア州・バレアレス諸島に訪れる機会があれば、「パネジェッツ(Panellets)」の食べ比べをされるのも一興でしょう。代表的な「パネジェッツ(Panellets)」を紹介します。

バリエーション豊かで可愛いパネジェッツ(Panellets)」(写真: Wikipedia Domain)

両端 パネジェッツ・デ・ピニョネス(Panellets de piñones)

「パネジェッツ(Panellets)」はカステジャーノ語(一般的にスペイン語と呼ばれている言葉)では、エンピニョナードス (Empiñonados) と呼ばれています。松の実(ピニョネス-Piñones)をマジパンの周りにまぶしてあります

右から4列目 パネジェッツ・デ・カフェ(Panellets de café)

前述のスペイン農業・漁業・食品省のウエブサイト「伝統的特産品保証TSG(Traditional Speciality Guaranteed)」によると、アーモンドと砂糖のみのマジパンに挽いたコーヒーと焦がした砂糖を加えて茶色のコーヒー色に仕上げ、アイシングシュガーでコーティングした後、オーブンで焼きます。コーヒー豆を模した可愛い「パネジェッツ(Panellets)」もありますよ。

右から5列目 Panellets de almendra

こちらは、松の実の代わりにアーモンドをマジパンにまぶしたものです。

真ん中 Panellets de coco

マジパンにもココナッツが入っていて、周りにもココナッツをまぶしてあり、とんがり帽子のように先っぽを尖らせた形に作ってあります。

「パネジェッツ(Panellets)」は、カタルーニャ州・バレンシア州・バレアレス諸島等のお菓子なのでこの地方以外ではなかなか見つかりません。もし、これらの州に行かれる機会があれば、是非ご賞味ください。一口サイズのバラエティー豊かな「パネジェッツ(Panellets)」は、日持ちも良いものも多いのでお土産に買って帰るのもお薦めです。

焼き栗(Castañas asadas)

最後に紹介する「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」の日に食べるお菓子は「焼き栗」です。

11月は栗の季節です。この時期になると街角で焼き栗を売っていますが、栗のお祭りが各地で開催されます。スペイン北部で催される「マゴスト(Magosto)」やスペイン東部の「カスタニャーダ(La Castañada)」のお祭りが有名どころでしょうか。私が住むサラマンカでも県内各地でそれぞれの栗祭りを楽しんでいます。10月31日から11月11日の間に開催される所が多く、11月1日の「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」にも焼き栗を食べる習慣があります

もし、この時期にスペイン北部やスペイン東部を訪れる機会がある方は「マゴスト(Magosto)」や「ラ・カスタニャーダ(La castañada)」のお祭りに参加されると面白いと思います。

「焼き栗 (Castañas asadas)」自体はスペインの冬の風物詩で、クリスマス明けくらいまではスペイン各地の街角で焼き栗を売っているので、冬の間にスペインを訪れる方は、是非街角で焼き栗を買って食べてみてくださいね。木枯らしが吹く中、焼き立ての栗を食べるのはいかにもスペインらしく、スペインの秋から冬の楽しみの一つです。

最後に

「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」という11月1日前後の短い期間のみにしか売っていないお菓子もあるので、この時期にスペイン訪問される方は「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」のお菓子を是非食べてみてください。旅の良い思い出になること間違いなしです!

参考

・欧州の「本物の美味しさ」を保証する認証制について興味のある方は、在日欧州連合代表部の公式ウエブサイトをご覧ください。

https://eumag.jp/issues/c1013/

・伝統的特産品保証(TSG=Traditional Specialties Guaranteed)、スペイン語では「ETG=Especialidad tradicional garantizada)」について興味のある方は、スペイン農業・漁業・食品省のウエブサイトをご覧ください。

https://www.mapa.gob.es/es/alimentacion/temas/calidad-diferenciada/etg/Panellets.aspx

秋から冬のスペイン街角の風物詩-焼き栗(Castañas asadas)

10月も半ばを過ぎ、そろそろ本格的な栗の季節到来です!

この時期になると、スペインの街角ではカスタニェーロ(Castañero)と呼ばれる焼き栗を売る人が栗を焼いている姿をあちこちで見ることができます。新聞紙を円錐形にクルっと作り、12個の焼き栗を売ってくれます。勿論もっと沢山買いたい場合はもっと多い量の焼き栗を売ってくれますが、一般的には、円錐形の新聞紙に12個入りの焼き栗がスペイン人一人が買う焼き栗の量です。特に寒い日には、焼きたての栗を剥いて食べながら散歩する人や、子供に焼き栗を買ってあげる親の姿をよく見ます。日本では町中での立ち食い・歩き食いはお行儀が悪く敬遠されますが、こちらではとてもよくある秋から冬の風物詩です。

カスタニェーロ(Castañero)が作る焼き栗を家でも再現したいと、この時期になると我が家ではよくオーブンで焼き栗を作ります。オーブンがない場合は、フライパンでもできますよ。

焼き栗(Castañas asadas)

材料:4人分

・栗            約500g                

作り方

1.栗に切り込みを入れる。(焼いている間に栗が破裂しないように)

切り込みの入れ方は十字でもよし、縦切り・横切りでもよし、栗の端っこを少し削ぎ切りしてもよし(写真: 筆者撮影)

2.オーブン用の皿に重ならないように並べる。

できるならば大きさを揃えた方がいいのですが・・・(写真: 筆者撮影)

3.200℃に予熱したオーブンで20~25分焼く。(オーブンによっては多少時間が異なるので、途中で焼け具合を見てみる)

4.焼きあがっていたら、オーブンから出して熱いうちに皮をむいて食べる。

焼きたての方が皮がむきやすいですね(写真: 筆者撮影)

熱々の栗なので、火傷しないように軍手などをして皮をむいてくださいね。ホクホクしてとても美味しい焼き栗が簡単にできますよ。寒くなったら是非試してみてください。

ロマネスクへのいざない (12)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (9)– ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)

16世紀に再建されたので外観はロマネスク様式のものとは異なる

ブルゴス市から約20㎞、ミニョン・デ・サンティバニェスという村に聖ペドロ教会はある。この同じブルゴス県にある1011年に設立されたベネディクト会修道院の聖サルバドール・デ・オーニャ修道院に残っている文書によると、ミニョン・デ・サンティバニェスという村の起源は11世紀まで遡る

聖ペドロ教会は、後期ロマネスク様式時代に当たる12世紀の終わりから13世紀の初めにかけて建設された。そのため、ロマネスク様式とは言え、入口の門部分がゴシック様式の影響も受けてわずかながら尖っている。そして、教会は16世紀に再建され、ロマネスク様式はこの入り口部分と教会の中にある洗礼盤のみが残っているのみである。再建された際、出入り口に厚いバットレスが建てられたため、アーキボルトを支える柱頭や入口の門の一部が切断された。もう少し、オリジナルであったロマネスク様式の入口を尊重して完全な形で保存してほしかったと惜しまれるが、今ではなすすべもない。

ミニョン・デ・サンティバニェス村の聖ペドロ教会は、1983年にはスペインの文化財に指定されている。

なんて漫画チック‼

入口の前に来て、入口に彫られているモチーフを見て「なんて漫画チックな彫り物!」というのが第一印象だった。百聞は一見に如かず、とにかく下の写真をご覧いただきたい。

ロマネスク様式の特徴の一つである半円形の入口のとっぺんが心持ち尖っているのはゴシック様式への過渡期であったため

今まで見てきたロマネスク様式の彫り物の中でも、これほど漫画チックなものは見たことはない。今回のブルゴス県のロマネスク様式の旅の中で見た彫り物の中でも異彩を放っている。一見稚拙な印象さえも与える。アーキボルトに施されている18人の姿は、日本の漫画で見たことがあるようなユーモラスで他のものとは一味違うものだ。もう少し近くから見てみよう。

日本の漫画に出てくるような彫り物でちょっと親近感を覚える (笑)

一般的にロマネスク様式の人物像は、施されている場所の空間による制限もあり、極端にバランスが取れていないものも見受けられるが、ここに彫られている楽師たちや書物を持つ人物像等はあまりにも頭でっかちで丸みを帯び漫画チックである。

一見稚拙だが一人一人存在感がありユーモラスな人たち

また、顔つきもちょっと現実離れしたまるでお化けのような顔つきだ。ちなみに、同じブルゴス県にあり同じく12世紀末に造られたアエド・デ・ブトロン村にある聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)に施されている楽師たちを紹介しよう。

こちらは天使の羽、洋服の襞(ひだ)、表情など細部にわたり緻密な彫り物が施されていて石工達の高度な技術が一目でわかる

同じ時代の、同じ地方の、同じロマネスク様式のものとはかなり違っていることがお分かりになるだろう。

これが何を意味するのか。この入り口を造った石工達が意図的にこのようなユニークな彫り物を施したのか、単に石工達の技術が未熟であったためこのような稚拙ではあるが面白み溢れる独創的な作品になったのか、色んな文献を当たってみたが答えになるものは見つからなかった。ただ、この漫画チックで一度見たら忘れられない入口を造った石工達は、後世に名前を残すこともなかった名もなき、しかし当時人気のあった地元の石工達によって造られたことだけは確かなようだ。

(アエド・デ・ブトロン村の聖母の被昇天教会(Iglesia de La Asunción de Ahedo de Butrón)についてもっと知りたい方はこちらもどうぞ。)

ゾディアック-12個の神秘的なメダイヨン

もう一つ目を引くのは、入り口のアーチとして機能しているアーチボルトに施されている12個のメダイヨンだ。メダイヨンとは円形の浮彫装飾である。

1139年の第2ラテラン公会議で教会自身がモチーフを禁じることに決めた、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手の姿も見える。「射手座」を表しているのか?

それらの装飾は、四足獣、爬虫類、そして人間の姿を、常に円形の枠の形に合わせて描かれており、己の四肢の先端をつかまえたり噛んだりしているもの、S字型にデザイン化しているものなどが見られる。

ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会のすぐ近くにある家の教会管理人の方が、教会の簡単な説明が書かれた紙を1枚くれたが、その説明文の中には、装飾的発想に従ってこのようなモチーフを選択したのだろうとあった。

しかし他の研究者たちの意見として、天球上の12星座を示すゾディアックだろうという説もある。例えば、ライオンは「獅子座」、女性は「乙女座」、弓を引き絞る弩(いしゆみ)の射手は「射手座」を意味する。だが、その他のモチーフについては説明できないものもあるとのことだった。

実際、ロマネスク様式の教会にはゾディアックが描かれていることがある。興味深いことは、星によって影響を受けるという占星術は、キリスト教の中では軽蔑すべき異教徒たちの迷信と考えられていた。では何故、天球上の12星座を示すゾディアックを教会の入口の装飾に使ったのだろうか?これは、天球上の12星座を示すゾディアックが示すものは、農業暦のようなものを指していると考えられている。つまり、ロマネスク芸術では、神が絶対的な支配者である1年の月の時系列的なサイクルであり、「時間の支配者である神」という意味が与えられていたのだ。(「Iconografía y Simbolismo Románico 」(「ロマネスク様式 図像と象徴」筆者訳) David de la Garma Ramíez 著 出版社 Arteguias より)

円形の枠の中に合わせたデザインの模様は緻密だ

最後に

アーキボルトに施されている18人のユーモラスで独創的な姿を彫った石工と、12個のメダイヨンのデザインし彫った石工は、全く異なる別の石工達の手による作品だと思われる。何故なら双方のスタイルがあまりにも異なるものだからだ。詳しいことは分からないが、当時の教会装飾に対する考え方や同時代・同地域であっても様々なモチーフが用いられてことは興味深い。

特筆すべき点として、前述した説明書によると、埃除け用覆いの役割を果たしている入口の最後のアーキボルトは3本の細いアーチ型で、ロマネスク様式としては珍しいタイプのアーキボルトで、ブルゴス県では唯一の例だとのこと。

まるで歯のような長方形の飾りの上に3本のアーキボルトがあるが、このようなタイプのアーキボルトはブルゴス県では唯一の例

私の注意を引いた別の点は、ミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会の入口の柱の高さが他のものよりもかなり低いことである。私の背の高さ位だったので、160㎝程の高さだ。当時の人達にとっても、ちょっと背をかがめて教会に入らなけらばならない高さだったのではないだろうか。

18人の漫画チックな人物像にしても12個のメダイヨンに彫られているモチーフにしても謎だらけだが、何世紀にも亘りこの不思議なモチーフの門をくぐって教会に礼拝してきた村人たちの姿を想像したり、16世紀に再建した際、この入り口だけは壊さず残しておいたその当時の人達のこのモチーフに対する愛情などに想いをはせ、800年以上も昔に名も無き石工達が残した作品を歳月を超えて実際に自分の目で見れる幸運を感じた。

柱頭は劣化が激しいが、肉厚の葉や人魚が二股に分かれた尾をつかんでいる姿をかろうじて認識できる

情報

ここで紹介したミニョン・デ・サンティバニェスの聖ペドロ教会 (Iglesia de San Pedro en Miñón de Santibáñez)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方は下のブログを参考にして頂きたい。

・スペイン語だが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れる。最初に述べた、ロマネスク様式の洗礼盤の写真も掲載されている。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/MI%C3%91ON%20DE%20SANTIBA%C3%91EZ.pdf

ロマネスクへのいざない (11)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県 (8)– ビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)

ブルゴス県のデマンダ連峰にある小さなビスカイーノス村は、ペドロソ川のそばにあり、標高1000mを超える所にある。私が目指したサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)は村へ入る道路に隣接して立っているので、すらっとした鐘楼がいきなり目の前に現れた。

アーチ型夫婦窓が美しい教会だ(写真: 筆者撮影)

この村は、この町を囲む広大な山岳地帯全体と同様に、9世紀末から10世紀にかけて政治的にも人口の面でも重要な位置を占めていた。そして、この時代はアストゥリアス-レオン王国とカスティージャ伯爵領の人口補充が進んだ時期とも重なる。(「arteguias」ウエブサイトより)

シエラ派 (Escuela de la Sierra) の職人たち

以前紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の最後にも言及したが、この地方には、シエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰があり、そこから由来する名前でシエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った職人たちがいた。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)についてはこちらをどうぞ。

このシエラ派(La escuela de la Sierra)の職人たちは、主に10世紀、11世紀、12世紀にかけて活躍した。そして12世紀にはその姿が消え始める。理由は、シロス修道院の回廊を作った4人の親方職人たちの覇権が強かったことに由来する。

水平な教会の単調さを破る高い塔、そして特にその彫塑的な造形(escultura monumental)はシエラ派(La escuela de la Sierra)の特徴として挙げられる。また、現在鐘楼としての役割を果たしている塔が、建設当初は防御の役割を担っていたことも特筆すべき点である

その他のシエラ派(La escuela de la Sierra)の教会について興味のある方はこちらもどうぞ。

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)

サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)の最初の教会は、プレロマネスク様式で9~10世紀に建てられたが、11世紀の終わりまたは12世紀の初めに、シエラ派 (La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスク様式のものに取って代わった。そして、12世紀後半には、同じロマネスク様式ではあるが別の流派であるシレンセ派(La escuela de la Silense)により、柱廊のある玄関(La galería porticada)と、鐘楼(La torre)が追加された。

近代に入り、何度か改修工事が行われた。最も重要なのは18世紀のことで、前述の回廊のある玄関(La galería porticada)が解体され、再建された

車を降りて教会の入口へ歩いていくと、先程目の前に現れたすらっとした鐘楼の姿のイメージとは全く異なる堂々とした姿が現れた。ただ、他のシエラ派(La escuela de la Sierra)による教会に比べ柱廊のある玄関(La galería porticada)は簡素だ。それでも、横の広がりと高い塔による縦への広がりの調和が美しい教会だ。

砂岩の石組みは濃い褐色、または深い紫がかったトーンもある色で、落ち着いた雰囲気がある(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

シエラ派(La escuela de la Sierra)特有の彫刻

コーニス(軒蛇腹)部分にある持ち送りには、シエラ派特有の自然主義ではないが原始的で表情豊かな様々な彫刻が施されている。

2頭のライオンの首をロープで掴んでいる人物が描かれた彫刻は面白いモチーフで注目に値する。

なんとなく漫画チック。2頭のライオンはちょっととぼけた顔をしていて迫力には欠けるが、憎めない(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらは猿だろうか。歯を食いしばって立派な歯を見せているところは笑いを誘われる。

確かに原始的だがとても親しみを持てる彫刻ばかり(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

性を示す男性。頭でっかちでこちらも笑いを誘う。それにしても教会も以前は性に対してもっと寛容だったのだろうか。ロマネスクでは時々見るモチーフである。

教会に想像上の動物などが彫られていてるのは不思議だが、性を示す男性が彫られているのはもっと不思議だ(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

arteguias のウエブサイトには、「これは、メソポタミアから中世ヨーロッパに伝わった古代の図像であろう。」と言及されていました。そうだとすると、これらの彫刻たちは長い時間をかけて遠いところからやって来たんだ、お疲れ様、と労をねぎらいたくなってしまう。(笑)

シレンセ派(Escuela de la Silense) の彫刻

ここから近いサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)で活躍した職人達がシレンセ派(La escuela de la Silense)である。前述したように12世紀末にシレンセ派(La escuela de la Silens)の職人たちが、柱廊のある玄関(La galería porticada)と鐘楼(La torre)を造った。彼らが彫った柱廊のある玄関(La galería porticada)の柱頭などはかなりシエラ派(La escuela de la Sierra)のものとは趣を異にしてる。

ロマネスクでは好んで用いられたモチーフの女の頭を持つ鳥ハイピュリアとドラゴンが見える。シレンセ派(La escuela de la Silens)の方が緻密かつ高度な技術があることが分かる。ただ、シレンセ派(Escuela de la Silens)の彫刻のようなユーモラスさ、温かみのある表情には欠ける。

木の実またはブドウを食べるドラゴン(左側の柱頭)と向い合せに配置されているハイピュリア(右側の柱頭)(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(La galería porticada)の入口の両側にある柱頭には、右側にはライオン、左側にはドラゴンが彫られているが、シエラ派(La escuela de la Sierra)のようなおとぼけライオンではなく、歯をむき出した凶暴な雰囲気を現し毛並みも細かく彫ってあり迫力満点。

同じ教会に施された彫刻も、異なる派の職人の手によるとこんなにも趣の異なるものになるのかと驚かされる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

鐘楼(La torre)

鐘楼も同じシエラ派(La escuela de la Sierra)が12世紀後半に造ったものだ。この鐘楼は3層から成り、下の層は上層部の構造部分を支える高台としての役目を持ち、南北方向に完璧な半円筒形ヴォールトで覆われている。真ん中の層は、四方にアーチ状夫婦窓があり開口している。上の層は、真ん中の層よりも幅の狭い小窓があり、これもアーチ状夫婦窓である。このアーチ状夫婦窓は、2本の外柱に半円形のアーチで囲まれた中にあるという特徴があり、更にリズミカルな印象を私たちに与える。

上層部分のアーチ状夫婦窓が小さくなることにより、まるで天に昇っているような錯覚も与えられる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーチ状夫婦窓の柱頭には、小型の果実、シダのような葉、人の頭、四足獣、ハイピュリア、ワシなどが描かれている。(「arteguias」ウエブサイトより)

小型の果実がぶら下がっている柱頭(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

四足獣がみえる(写真: アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

全く異なる時代の様式で改築されている教会や建物は多いが、このビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、同じロマネスク期の中で職人たちが属する派の相違により異なる特徴を持った彫刻や石組みの仕方などがひとつの教会の中に見られる貴重な教会の一つだろう。

洗練されたシレンセ派(La esuela de la Silense)が、温かみがあり表情豊かではあるものの原始的なシエラ派(La escuela de la Sierra)を席巻し、遂には消滅させてしまったというこの地方の歴史から、当時の職人たちの市場獲得の激しさを垣間見たような気がした。

こちらは、造られた時期によって石の組み方の違いや、教会内部にある西ゴード時代の洗礼盤等も見れるので見逃すにはもったいない動画。

デマンダ連峰(Sierra de la Demanda)にあるシエラ派 (Escuela de la Sierra) の建物

今から約1ヵ月ほど前に、ブルゴス県観光課によりシエラ派 (La escuela de la Sierra) の教会を紹介する動画が計10本 youtube にアップされた。その中から幾つか紹介する。残念ながらスペイン語のみだが、内部や教会の周囲などの様子が分かり興味深い動画だ。

・12世紀に造られたバルバディージョ・デ・エレーロスの聖コスメ&聖ダミアン礼拝堂 (Ermita de los Santos Cosme y Damián de Barbadillo de Herreros)を紹介した youtube 。

・プレロマネスク時代の10世紀~11世紀に造られ、その後12世紀に増築されたトルバーニョス・デ・アバホの聖キルコ&聖フリタ教会 (Iglesia San Quirco y Santa Julita de Tolbaños de Abajo)を紹介した youtube 。

・12世紀末に造られたアルランソンの聖大天使ミカエル教会 (Iglesia de San Miguel Arcángel de Alranzón)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリオカバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma de Riocavado de la Sierra)を紹介した youtube 。

・12世紀に造られたリコバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de San Millán Obispo de San Millán de Lara)を紹介した youtube 。

参考

ここで紹介したビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・スペイン語ですが、教会についてだけではなく、興味深い図面なども見れます。

https://www.romanicodigital.com/sites/default/files/pdfs/files/burgos_VIZACA%C3%8DNOS_DE_LA_SIERRA.pdf

・こちらもスペイン語ですが、興味のある方は是非ご覧ください。

https://www.arteguias.com/iglesia/vizcainosdelasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

https://goo.gl/maps/JdMPigBAKd1zY3pD8?coh=178573&entry=tt

村上春樹氏、日本人作家初のアストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)受賞!

去る2023年5月24日、「スペインのノーベル賞」とも呼ばれる「アストゥリアス皇太子賞」の文学部門の今年の受賞者に、日本人作家の村上春樹氏が決まりました!おめでとうございます!

アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)(Wikipedia Public Domain)

アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)とは

「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」は、現在のスペイン国王フェリペ6世が皇太子だった1980年に、皇太子の称号を冠して設立されたアストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)により創設され、「コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)」、「社会科学部門(Premio Príncipe de Asturias de Ciencias Sociales)」、「芸術部門(Premio Príncipe de Asturias de las Artes)」、「文学部門(Premio Príncipe de Asturias de las Letras)」、「学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)」、「国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)」、「共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)」、「スポーツ部門(Premio Príncipe de Asturias de los Deportes)」の8部門の賞があります。

今回の文学部門での村上春樹氏の授賞に際しては審査員全員一致で決まり、授賞理由について、日本の伝統と西洋文化の遺産を野心的かつ革新的な叙述で調和させ、独自の文学を持ち、世界的に受け入れられている作家だと位置づけたうえで、その作品は、孤独や存在不安、都市の非人間化、テロといった現代の重要な主題や困難を表現することに成功し、全く異なる世代にまで受け入れられていると述べています。そして、最後に現代文学における現代文学における主要な長距離ランナーの一人だ、とたたえました

スペイン語ですが、アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の公式サイトにこの授賞について詳しくでています。興味のある方はどうぞ。

https://www.fpa.es/es/premios-princesa-de-asturias/premiados/2023-haruki-murakami.html

文学部門での日本人受賞は初めてですが、作家村上春樹氏はスペインでも人気が高い日本人作家のひとりです。既に24冊の本がスペイン語に翻訳されています。新刊「街とその不確かな壁」も来年の春にはスペインでも出版される予定です。

これまでの日本人受賞者

ちなみに、この「アストゥリアス皇太子賞」の日本人の受賞者は想像以上にいました。現在までの受賞者の皆さんは次の通りです。

1.国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)で、1999年に宇宙飛行士の向井千秋氏が日本人として初めて、米国やロシアなどの宇宙飛行士3人と共に受賞されました。

2.学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)で、2008年に物理学者でもあり化学者でもある飯島澄男氏が、アメリカの中村修二氏をはじめとするアメリカ人学者4人と共に受賞されました。

3.共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)で、2011年に福島第一原子力発電所事故の対応に当たったフクシマ50(消防士、自衛官、警察官、作業員)の方々が受賞されました。また、同じ部門では、2022 年には建築家の坂茂氏が受賞されました。

4.コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)では、2012年に任天堂株式会社代表取締役フェローの宮本茂氏が受賞されました。

去年2022年に、建築家の坂茂氏が受賞されていたので、2年連続の日本人受賞の快挙ですね。坂茂氏も、スペインで有名な方です。

今でも鮮明に記憶にあるのが、福島第一原発の事故で放水作業や住民の避難誘導に当たった、自衛隊と警察、消防の部隊フクシマ50の方々に送られた2011年の共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)です。その時のフクシマ50のスペイン語名称は、「フクシマの英雄たち(Héroes de Fukushima)」というものでした。

授賞の理由として、「津波によって引き起こされた原子力災害による壊滅的な影響の拡大を、その決断が自分達の生命に深刻な影響を及ぼすことをも顧みず、自己犠牲によって防ごうとした、人間として最高の価値観と勇気を体現した人たち-フクシマの英雄たち」と褒め称えました。

授賞理由を聞いた際、胸が熱くなり涙が出たのを今も思い出します。

スペイン語ですが、この受賞についてもっと知りたい方はこちらをどうぞ。

https://www.fpa.es/es/premios-princesa-de-asturias/premiados/2011-heroes-de-fukushima.html?especifica=0

最後に

さて、スペイン語を勉強している皆さん、またはスペイン語をご存じの方は、この「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」を見て、疑問に思われたことと思います。というのも、スペイン語の「Premios Princesa de Asturias」を日本語に訳すと、実は、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」となるからです。

アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の名称は現在、アストゥリアス王女財団(Fundación Princesa de Asturias)と改称されています。何故なら、2014年に皇太子から国王フェリペ6世として即位されたことにより、長子である王女レオノールがアストゥリアス公を継承しました。そのため、現在の名称は「アストゥリアス女王財団(Fundación Princesa de Asturias)」となったという訳です。本来ならば、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」とするべきですが、日本の報道機関で使われている従来の「アストゥリアス皇太子賞」という名前でこのブログの記事も統一しています。

補足すると、スペイン王家が持つこのアストゥリアス公の称号は、1388年、カスティーリャ王フアン1世が王位継承者を指定するためにアストゥリアス王子の称号を創設したことに端を発したものです。それから600年以上も続くスペイン王家の由緒正しい称号なのです。

スペインの国民的画家 フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)- 没後100年記念の年

今年2023年は、スペインの国民的画家フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)が亡くなってからちょうど100年目の年に当たります。それを記念し「ソロージャ イヤー」と銘打って、出身地バレンシアをはじめマドリッド等でも彼の絵の展示会が開催されています。

このブログでも以前フアキン・ソロージャ(Juaquín Sorolla)とソロージャ美術館について紹介していますので、興味のある方はこちらもどうぞ。

今回は、バレンシアとマドリッドで現在開催中の展示会やその他の展示会情報をお伝えします。

光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz

最初は、マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(筆者訳)(Sorolla a través de la luz)」の展示会です。

この展示会では、テクノロジーを駆使して彼のオリジナル作品とデジタルで再現された作品が対話するという仕掛けが施してあります。また、バーチャルリアリティルームではバーチャルリアリティ用の装置を付け、画像と音のショーの中に身を置くという、今までの絵画展示会では考えつかなかったような不思議な体験ができます。

特殊な部屋に入ると、部屋一杯にソロージャの作品が映し出されます(写真: 筆者撮影)

展示されているソロージャの絵は24点ありますが、そのほとんどが個人所有のもので今回初公開されています。海、庭園、肖像画、風俗描写の場面など、画家ソロージャが好んで描いたテーマが選ばれています「光の画家」と呼ばれているほど彼の絵には、その瞬間、瞬間の微妙な光の動きや光の強弱、光の質感、そして季節ごと一日の時間ごとの光の違いを上手く捕らえて表現されていて、こんなにも異なる光を表現できるのかと驚かされます。初めてソロージャの生まれ故郷バレンシアを訪れた時、お天気が良かったということも手伝って、あーこれがソロージャの光だな!地中海の光だな!と実感しました。同じスペインでも私が住むカスティージャ・イ・レオン州の光とは全く異なる光がそこに降り注いでいたことがとても印象的でした。

大きなスクリーンに映し出された絵は、まるで見ている私たちも同じ場所にいるような不思議な感覚を抱かせられます(写真: 筆者撮影)

「ハベアの恋人たち(筆者訳)(Idilio, Jávea)」という作品がありました。まだ年若い少年が少女に話しかけています。少女は恥ずかしそうにでも嬉しそうに下を向いて座っています。なんと初々しく、見る人がまだ若かったころの自分の思い出とオーバーラップするような美しい絵でしょう。説明板に、この絵は9月の昼下がりに描かれ、ソロージャ自身が若くして妻クロティルデに恋した思い出を表現したものかもしれないと書かれていました。題名の「Idilio」には「田園恋愛詩、恋愛関係、牧歌的(幸福)な時期」という意味が手元の辞書には出てきますが、この作品は1901年の「国内絵画展(Exposición Nacional de Bellas Artes)」に出展され売れました。その時には「Los novios(恋人たち)」という名前がついていたそうです。

「ハベアの恋人たち(Idilio, Jávea)」昼下がりの光が若い二人に降り注ぎ、ほのぼのとさせられると同時に胸がキュンとなりそうな絵です(写真: 筆者撮影)

マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz)」の展示会は、2023年6月30日まで開催されています。もし、それまでにマドリッドに行かれる機会がある方は、是非この展示会にも寄られることをお薦めします。その際は、下の公式サイトで事前に入場券を買われた方が良いでしょう。

https://www.patrimonionacional.es/actualidad/exposiciones/sorolla-traves-de-la-luz

ソロージャの原点 (Los orígenes de Sorolla)

次に紹介する絵画展は、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」です。

この展覧会は、まだピカソやダリ等が活躍する以前、スペイン国内でも国際的にも最も成功したスペイン画家の原点を探っていく内容の展示会として構成されています。まだ21歳だったソロージャが「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在する直前の1878年から1884年までの6年間の軌跡をたどります。あまり知られていない初期の絵画、水彩画、素描、ソロージャの若いころの写真、資料が一堂に展示されていてとても興味深いものです。

若いころのフアキン・ソロージャ。なかなかのハンサム青年でした(写真: 筆者撮影)

「光の画家」として、スペインのみならずヨーロッパやアメリカ合衆国で名声を得、様々なテーマの絵画を残しているソロージャですが、修業時代は、同じスペインの画家である巨匠ベラスケスやリベラの絵を勉強、模写していました。また、15歳の時に描いた果物の静物画や肖像画等も多数展示してありますが、そのデッサン力、光と影の描き方、構図のとり方等、10代にして既にのちに巨匠と呼ばれる画家としての頭角を現しています。

バックを黒にして、白や水色を際立たせて見る人を惹きつける(写真: 筆者撮影)
「ベラスケスの[メニポ]の模写(筆者訳)(Copia de “Menipo” de Velázquez)」19歳のソロージャがプラド美術館で模写した様々な作品は、死ぬまで手元に置いていたそうです(写真: 筆者撮影)

YouTubeでこの展覧会の様子が紹介されています。スペイン語ですが、様々な作品が紹介されていて見るだけでもソロージャの素晴らしさが伝わってくると思います。

「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」バレンシア州議会が主催したローマへの絵画奨学金コンクールで、21歳の若さで賞を取りローマへ本格的な絵画の勉強へ行くことになったソロージャの記念すべき作品(写真: 筆者撮影)

バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」は、2023年6月11日までですので、残り2週間弱となってしまいましたが、機会があれば是非お薦めしたい展覧会です。

スペイン観光局のスペイン観光公式サイトにも紹介されています。

https://www.spain.info/ja/karendaa/soroorya-kigen-tenrankai-barenshia/

ちなみに、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)には、ベラスケス本人が描いた「自画像(Autorretorato)」もあります。あまり知られていないようですが、プラド美術館以外で見れるベラスケスの作品です。

温和で誠実だったと言われているベラスケスですが、この自画像の彼の視線には強い意志を感じさせられます(写真: 筆者撮影)

黒のソロージャ(Sorolla en negro

「光の画家」として名を馳せたソロージャですが、黒やグレーの色使いを中心にして描いた作品も多く残しています。それらの作品を集めて展示しているのが、バレンシアのバンカハ財団で開催されている「黒ソロージャ(筆者訳)(Sorolla en negro)」です。

ソロージャの黒の使用は、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤなどのスペイン絵画の伝統に由来していて、詩的で精神的な状態を示唆する豊かな表現要素となって、彼の時代の現代性とその飾り気のない気品を反映する色として再解釈されました。(バンカハ財団のウエブサイトより)

「グレーのドレスを着たクロティルデ(筆者訳)(Clotilde con traje gris)」ソロージャが深く愛した妻クロティルデ。心を打つものを感じます(写真: 筆者撮影)

ソロージャが描いたグレーという色は現代的な色として描かれていて、静寂や平穏を表現していたそうですが、この「グレーのドレスを着たクロティルデ(Clotilde con traje gris)」には、グレーのドレスがクロティルデの美しさのみではなく洗練された雰囲気を醸し出し、と同時に内面的な静穏と深い愛情が伝わってきます。

展覧会は、「黒とグレーの調和(筆者訳)(Armonías en negro y gris)」、「象徴的な黒(筆者訳)(Negro simbólico)」、「黒と暗い表面(筆者訳)(Superficies negras y oscuras)」、「モノクローム(筆者訳)(Monocromías)」の4つのセクションで構成されています。ソロージャの絵に特別な個性を与えている肖像画の黒とグレーの色彩和音から始まり、時代や自然主義画家の作品に浸透している黒という色の象徴性や文化的意義について見ていきます。更に、19世紀に急進的なコントラストを生み出し、他の色を引き立てる存在として形作られた黒の新しい使い方についても検証していきます。展覧会の最後には、グレーや青みがかった色調に包まれたモノクローム作品が展示されていますが、これは複雑でないどころか、卓越した技術を駆使した特異な作品です。(バンカハ財団のウエブサイトより)

「エンリケタ・ガルシア・デル・カスティージョ(筆者訳)(Retrato de Enriqueta García del Casitillo)」こちらは雄弁に語る黒!という感じ(写真: 筆者撮影)

確かに、この絵画展を見てソロージャは正しくスペインの巨匠たちの素晴らしい技術を踏襲したスペインの画家であることを確認させられました。と同時に、黒とグレーという色に様々な意味を持たせ、ソロージャが表現したいものを浮き出たせる重要な役割を果たす色だったということにも気づきました。ソロージャ絵画の奥の深さ、多面的な部分を再発見できた素晴らしい展覧会でした。

バレンシアのバンカハ財団で開催されている「黒のソロージャ(Sorolla en negro)」の開催期間は今年9月10日までです。もしバレンシアに行かれる方は是非見に行ってください。

バンカハ財団の公式サイトです。最後の方には、展覧会を紹介したYouTube の動画もあります。一見の価値ありです。

https://www.fundacionbancaja.es/exposicion/sorolla-en-negro/

肖像画で見るソロージャ(Sorolla a través de sus retratos

最後に紹介するのは、マドリッドのプラド美術館で開催されている「肖像画で見るソロージャ(筆者訳)(Sorolla a través de sus retratos)」です。

こちらは、プラド美術館が所有するソロージャの作品を集め、特に肖像画を通してソロージャの作品に迫るものです肖像画のコーナーには、ソロージャの作品だけではなく、ソロージャと同時期19世紀に活躍した画家たちが描いた肖像画も一堂に展示されています。残念ながら美術館内での写真撮影が禁止されているので、写真をお届けすることはできませんが、下のプラド美術館公式サイトをクリックして頂くと、展示されているソロージャの作品が紹介されています。

もし、6月18日までにマドリッドのプラド美術館を訪れる機会があれば、是非こちらも見に行ってください。

プラド美術館公式サイトはこちらです。

https://www.museodelprado.es/actualidad/exposicion/retratos-de-joaquin-sorolla-1863-1923-en-el-museo/2f9c9749-54a2-b25b-4afb-932e76fdb8cf

2023年に開催される展覧会情報

その他、開催されているソロージャの絵画展は次の通りです。

マドリッドのソロージャ美術館:

・2023年6月25日まで開催-「ソロージャが死んだ!ソロージャ万歳!(筆者訳)(¡Sorolla ha muerto!¡Viva Sorolla!)」

この展示会は、ソロージャが亡くなった時の新聞記事などが展示してあり、ソロージャがどれだけ民衆からも愛された国民的な画家だったことがよくわかります。簡単な説明が youtube に紹介してあります。スペイン語ですが、興味のある方はどうぞ。

・2023年9月17日まで開催-「マヌエル・ビセンテとソロージャの海(筆者訳)(En el mar de Sorolla con Manuel Vicent)」

ソロージャと同じバレンシア州出身の詩人・作家マヌエル・ビセントによる詩とソロージャの絵画のコラボ企画です。スペイン文化・スポーツ省の公式サイトにこの展覧会が紹介されています。

https://www.culturaydeporte.gob.es/msorolla/exposicion/exposicion-mar-sorolla-con-manuel-vicent.html

バレンシア:

・2023年6月2日まで開催-「ローマのソロージャ。芸術家ソロージャとバレンシア州議会奨学金(筆者訳)(Sorolla en Roma. El artista y la pensión de la Diptación de Valencia (1884-1889))」バテリア宮殿 (Palacio de Batlia)

ソロージャが前述の「パジェテルの叫び(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在した21歳から26歳まで絵画の勉強と訓練を積んだ時期の芸術生活に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。

https://www.centenariosorolla.es/exposiciones/inauguracion-de-la-exposicion-sorolla-en-roma-el-artista-y-la-pension-de-la-diputacion-de-valencia-1884-1889/

・2023年12月まで開催-「芸術家たちの街。フアキン・ソロージャとバレンシア芸術産業宮殿(筆者訳) (La Ciudad de los artistas. Juaquín Sorolla y el Palacio de los Artes e Industrias de Valencia)」バレンシア市立博物館(Museo de la Ciudad de Valencia)

ソロージャと並行してキャリアを積んだバレンシアの芸術家たちによる140点以上の作品が展示されています。フアキン・ソロージャがバレンシアに芸術産業宮殿を建設したプロジェクトについてや、当時のバレンシアの芸術的雰囲気に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。

https://www.centenariosorolla.es/exposiciones/inauguracion-de-la-exposicion-la-ciudad-de-los-artistas-joaquin-sorolla-y-el-palacio-de-las-artes-e-industrias-de-valencia/

アリカンテ:

・2023年6月25日まで開催-「ソロージャと同時代のバレンシア絵画(筆者訳) (Sorolla y la pintura valenciana de su tiempo)」アリカンテ美術館(Museo de Bellas Artes de Alicante)

120点という多くの作品が展示してある展覧会で、ソロージャの作品以外にもソロージャの弟子たちや同時代に活躍したバレンシアの画家の作品やバレンシアを題材にした作品を一挙に公開しています。スペイン国営のラジオ・テレビ放送協会がこの展覧会について紹介しています。

https://www.rtve.es/play/videos/linformatiu-comunitat-valenciana/sorolla-pintura-valenciana-tiempo-mubag/6773781/

「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトはこちらです。

https://www.centenariosorolla.es/

このブログで紹介した展覧会が行われている場所です。

https://goo.gl/maps/q8QfpFVUtugstwbc6?coh=178573&entry=tt

ロマネスクへのいざない (10)- カスティーリャ・イ・レオン州-ブルゴス県(7) – ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)

柱廊のある玄関部分から(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊のある玄関(Galería porticada)の中から見える風景

キリスト教最初の殉教者聖ステファノ(エステバン)に捧げられたこの教会は、12世紀前半に第一期の建設が始められ、半円形の後陣、プレスビテリオ(Presbiterio)と呼ばれる祭壇、正門を含む身廊の最初の二つの部分(主扉を含む)が造られた。12世紀末には、柱廊のある玄関が造られ、最終的には16世紀に教会の拡張並びに修復工事が行われ、塔が造り替えられた。

この教会を見た時、がっしりとした、力強い教会という印象を抱いた。近くにあるハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente) のような調和の取れた美しさには欠けるが、柱廊のある玄関の中に入り、そこから見る村は、いくつものアーチとその間に村の家々、山々がある周りの自然が溶け込んだ美しく、心落ち着く風景だった。

ハラミ―ジョ・デ・ラ・フエンテ教会 (Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora de Jaramillo de la Fuente)についてはこちらをどうぞ。

教会の入口(Portada)

柱廊のある玄関(Galería porticada)部分に入ると、教会の入口(Portada)がある。半円形の5層から成るアーキボルトは、教会の中へいざなうかのように立体的だ。

自然と教会の中に足を踏み入れたくなるような入口(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

教会が建てられている地形の傾斜のため入口には数段の階段があるが、5層のアーキボルトとこの階段がまるで教会の中の祭壇部分の一点に導いているような錯覚を受ける。

左右の柱頭には様々な彫刻が施されているが、建築当初から柱廊のある玄関(Galería porticada)によって入口(Portada)部分は風雪から守られてきたこともあり、比較的保存状態は良い。900年という歳月を経ていることを考えると保存状態の良さは驚きでもある。

興味深い彫刻としては、石棺に納められた遺体を見守る二人の女性の姿と、それを祝福する教会関係者の姿が三面的に構成されているシーンがある。これは、今も何を表現しているのか議論が分かれているようだ。一説によると聖ニコラウスの生涯の一つのシーンに関連していると言われているが、他の説では地元の伝統的なものを表現しているのではないかとも言われている。(arteguias.com より)

遺体が横たわる石棺を飾る布の襞(ひだ)の表現は素晴らしいものだ。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

他にも保存状態の良い「東方三博士(三賢王)の礼拝」場面を確認することができる。聖母マリアの膝に抱かれ贈り物に興味を抱く幼子イエスを見ると、普通の子供と同じようで微笑ましくなる。贈り物を捧げる博士の後ろで、もう二人の博士が軽い雑談でもしながら順番待ちしている姿も、見る私たちに親近感を抱かせる構図だ。それにしても、まるで自分は関係ないよとでも言いそうな聖ヨゼフはちょっと気になる。

ロマネスクで特に好まれた「三方博士の礼拝」の構図。白髭をたくわえた跪く老人、その後ろに後ろを向く若者、最後が老人でも若者でもない成人男性の姿をした三方博士たち。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

ロマネスクの彫刻によくみられる二つに分かれた尾の部分を握る人魚やその人魚に弓を向けているケンタウロスの姿もある。手元にある「Iconografía y simbolismo Románico」(「ロマネスク 図像と象徴(筆者訳)」 出版社 arteguias)によると、男性を象徴するケンタウロスと女性を象徴する人魚という観点から、生殖性やエロチシズムを表現している。その一方で他の解釈として、罪深いものとしての象徴である人魚に対してケンタウロスが信仰の矢を放つことで、人魚を回心させる役割を担っているという。

ロマネスクの彫刻で人気があった人魚とケンタウロス(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

こちらもロマネスクの彫刻によくみられる旧約聖書の中の登場人物として、怪力の持ち主サムソンがいる

怪力サムソンは、古代イスラエル人にとっては英雄的な存在の士師で、髪の毛に力が宿っていた。サムソンは、サムソンの妻デリラに口説かれ、彼の怪力はどこから来るのかを尋ねられて最終的には怪力の秘密を明かしてしまい、デリラに寝ている間に髪の毛を切られて宿っていた力を抜き取られる。こうして金に目がくらんだデリラはサムソンを裏切り、サムソンは敵のペレシテ人達に捕らえられ悲劇的な最期を遂げる。サムソンとデリラを扱った絵やオペラ、小説、映画など多数あるので、ご存じの方も多いかもしれない。

ロマネスクの彫刻では、ライオンにまたがったり、組み伏せたりした長い髪の男として描かれているが、ここでは怪力サムソンがライオンの顎を掴んで倒す場面が描かれている。

狭い柱頭の中に見る人たちがすぐ認識できる構図に上手くまとめられている(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

アーキボルトの外側に左右二つの浅浮彫りがある。左側の浅浮彫りは不思議な生き物と何を意味しているのか分からない場面で、これについて言及しているものを見つけることができなかったのは残念だ。マントを羽織った聖職者(?)がまるで1982年のアメリカのSF映画「E.T.」に出てくる迷子の宇宙人そっくり!な生き物に何か与えているようだ。左側にはオオトカゲのような生き物が逆立ちしたような状態で描かれている。うーん、なんとも言えない不思議な場面だ。

謎の多い浅浮彫り。実は聖女ユリアナとドラゴン、そしてもう一つの生物は…?(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

このブログを公開した後、ブルゴスの観光部に別の件で質問した際、つい最近デマンダ連峰にあるロマネスク建築についての動画を youtube にアップしたということでその動画が送られてきた。その動画の中で簡単にアーキボルトの外側にある左右二つの浅浮彫りについて言及されていた。この謎の人物はマントを羽織った「聖職者」ではなく、聖女ユリアナ(Santa Juliana)だと判明。そして、この聖女ユリアナを中世の絵画や教会の中では、翼のあるドラゴンと戦っている姿や足元にドラゴンを従えている姿で描かれているとのこと。(ウィキペディアより)ということは、左側の逆立ちしたオオトカゲのような生き物は聖女ユリアナに服従するドラゴンを表しているようだ。しかし、右側の「E.T.」に出てくる迷子の宇宙人の正体はまだ不明なままなので、今後正体が判明したら報告したいと思う。

ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の動画。中も少し見れる。

柱廊のある玄関(Galería porticada)

サン・エステバン・プロトマルティール教会の特徴である柱廊のある玄関(Galería porticada)は、前述したように12世紀末の第2次工事で建てられたものだ。同地方のビスカイノス・デ・ラ・シエラにあるトゥールの聖マルタン教会(Iglesia de San Martín de Tours en Viscaínos de la Sierra)やハラミージョ・デ・ラ・フエンテの聖母被昇天教会(Iglesia de la Asunción de Nuestra Señora en Jaramillo de la Fuente)との、様式的な同一性が見られる。これは、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)の影響を受けているからだという。(arteguias.com より)

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)についてはこちらをどうぞ。

外から見た柱廊のある玄関。矢張りこの教会の一番美しい部分だろう。(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

柱廊部分は、向かって右側(東側)に5つ、左側(西側)には6つ、合計11のアーチから成り、ほぼ中央に入口用のアーチがある。柱頭の装飾は植物の装飾が中心で、アカンサスの葉、パルメットと呼ばれる棕櫚葉文、果実がぶら下がっているものなど、さまざまな種類のものがある。

果実がぶら下がっている植物(写真:アルベルト・フェルナンデス・メダルデ)

最後に

この地方には、シエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った人たちがいた。「シエラ」スペイン語で「Sierra」は、「(比較的低い)連峰、山脈、山」という意味で、この地方がシエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰の位置することから由来する名前だ。

このシエラ派の人達が造った興味深く、美しい教会が多数この地方にはある。その上、デマンダ連峰の素晴らしい自然、風景は、教会に興味がない人達をもきっと魅了する所だろう。是非、一度、この地方に足を延ばされることをお勧めする。

参考

ここで紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。

・ブルゴスの観光サイト。英語もあります。

https://turismoburgos.org/iglesia-de-san-esteban-protomartir-de-pineda-de-la-sierra/

・arteguias のウエブサイト。スペイン語ですが、詳しく説明されています。

https://www.arteguias.com/iglesia/pinedasierra.htm

・デマンダ連峰の観光案内。残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/

・デマンダ連峰にあるロマネスク建築のパンフレット。これも残念ながらスペイン語のみです。

https://sierradelademanda.com/wp-content/uploads/2019/01/FOLLETO-ROMA%CC%81NICO-SERRANO.pdf

参考文献:

-「Rutas románicas en Castilla y León 2 (Provincia de Burgos)」出版社:Encuentro Ediciones

– 「Iconografía y simbolismo Románico」 出版社: arteguias)