スペインの修道院で作られる食べ物は主にお菓子類ですが、スペインでは11月1日の諸聖人の日(Día de Todos los Santos)頃からクリスマス、2月のカーニバル、そして3月から4月にかかるイースターの頃まで約半年間はそれぞれの祝日に合わせたお菓子を食べる習慣があります。その他の時期は確かにクッキーなどを食べる機会はグッと減ってしまいます。夏の間はやはりアイスクリームをよく食べますし、毎週末に家族で集まってお昼ご飯を食べた後のデザートには、小さなニミケーキを買ってきて食べることが多いようです。
跣足カルメル修道院は、修道院の中から出ず禁域生活を送っているシスター達の修道院です。500年間そして今も修道院のお菓子を買いたいグラナダの人達が修道院の入口へ来てベルを鳴らし、格子窓の向こうにいるシスターが「Ave María Purísima(アベ・マリア・プリッシマ=至聖なるマリア様)」と問いかけ「Sin pecado concebida(シン・ぺカード・コンセビーダ=無原罪)」と訪問者が答えると格子窓が少し開くようになっています。これは、罪なくして宿られた最も清らかなマリア様という意味のスペイン語を二つに区切って合言葉の一種として使われているもので、スペイン中の修道院で共通な合言葉です。
スペイン北部のビジャビシオサ(Villaviiosa)の街の中にあり、1270年に建てられたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、スペインでロマネスク様式がまさに終焉しようとしていた頃、かつ、既に他のヨーロッパ諸国やスペインの他の街ではゴシック様式が建築の新しい主流となりつつあった頃に建てられたものだ。上の写真をご覧いただくとお気づきになる方も多いと思うが、入口の門のアーチは純ロマネスク様式の半円アーチではなく、ゴシック様式の特徴である尖ったアーチで造られ、ロマネスク様式にはなかったバラ窓が施され、そのファサードは鉛直性が見て取れる。これらの特徴はロマネスク後期に見られるもので、完全なゴシック様式ではないもののゴシック様式の原型となるものであった。
サンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)は、プレ・ロマネスク様式(アストゥリアス芸術)を受け継いだ正方形の祭壇を含む頭部 (Cabecera)を持つバシリカ間取りで、長方形の身廊と聖堂、聖具保管室、南壁に取り付けられた開口柱廊で構成されている。
欧州では、14世紀~15世紀にかけて最も盛んにこの楽器が用いられていたらしいが、今回訪れたサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)のファサード出入り口の柱頭には、この「ガイテーロ(Gaitero)=バグパイプ奏者」の姿を見ることができる。地元のガイドであるアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によると、これはアストゥリアス地方の教会の装飾として初めて施されたものだという。教会は1270年建設なので、かなり早い時期から「ガイタ(Gaita)=バグパイプ」がアストゥリアスではポピュラーな楽器だったことが推測される。ロマネスク様式では珍しい図像である。
この豚の屠殺(とさつ)行事(Fiesta de Matanza de cerdo)は現在も行われており、特に地方の村々では11月末から2月にかけてこの「マタンサ(Matanza)」が開催されており、村を挙げての行事でありお祭りでもある。村のみんなが集まり共同して豚をつぶし、1年分のハムやソーセージを作ったり、肉を焼いて村人みなで食べたりして、食べ物が少なく貴重だった当時は、豪華な食べ物にありつける有難いお祭りだったのだ。
・デジタル版のビジャビシオサ(Villaviciosa)の街のニュースなどを提供している「ビジャビシオサ・エルモサ」の中に、今回登場したガイドアナ・マリア・デ・ラ・ジェラ氏によるサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva)の説明動画がある。残念ながら映像と音響の質がいまいちでスペイン語しかないが、興味がある方はこちらをどうぞ。
・ここで紹介したビジャビシオサのサンタ・マリア・デ・ラ・オリーバ教会(Iglesia de Santa María de la Oliva en Villaviiosa)は、アストゥリアス州のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。このルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。
毎年11月1日は、「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」としてスペインでは祝日です。これは、カトリック教会の祝日の一つ全ての聖人と殉教者を記念する日で、古くは「万聖節」と呼ばれていました。そして翌日11月2日は死者の日に当たります。既にこの世を去ってしまった家族や友人などに思いを馳せながら、お墓参りをしたり家族で集まって故人を偲んだりします。日本のお盆のようなものと考えてもらえば分かりやすかもしれません。
家族が集まれば、矢張りみんなでワイワイ語りながら食事やお菓子を食べるのはどこの国でも同じこと。日本では、昔に比べるとお盆をお祝いする習慣は廃れてきていると思いますが、それでも地方などではお盆には家族で集まり食事をしたり、落雁を食べる機会もあるでしょう。ここスペインでもこの日はいろいろなお菓子を食べる習慣があります。今回は、諸聖人の日(Día de todos Los Santos)に食べる様々なスペインのお菓子を紹介します。
ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)
左側のものは、ココナッツを使い形も骨っぽく仕上げています(写真: 筆者撮影)
「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」というは、「聖人の骨」という意味です。日本人の感覚からはちょっと驚きの名前ですが、スペイン人にとっては愛情をこめて死者を象徴する「骨」を食べているようです。もともとカトリック教会では、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品を「聖遺物(Reliquia)」として大切に保管し、聖人とその遺物に加護と神への取り次ぎを求める願掛けや治癒の奇跡を含む様々な宗教実践が形成されてきました。(ウィキペディアより)もしかすると、「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」という「聖人の骨」を表したお菓子を食することにより、庶民のささやかな願掛けや病気で苦しんでいる人の治癒の奇跡を望む切実な願いが込められていたのかもしれません。
ちょっと敬遠したくなるような名前のお菓子ですが、アーモンドの粉と砂糖を練り合わせたマジパンの中に卵黄を使ったクリームが入っていて、結構食べ応えのあるお菓子です。「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」の最初のレシピとしては、1611年、スペイン王フェリッペ2世の厨房責任者フランシスコ・マルティネス・モンティーニョ(Francisco Martínez Montiño)著書「料理・菓子・スポンジケーキ(ビスコッチョ)・保存食の方法『Arte de Cocina, Pastelería, Vizcochería y Conservería』」(筆者訳)に記載されていました。
私が住むカステージャ・イ・レオン州では、「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」に食べる定番のお菓子ですが、スペイン中色んな所で食べられているようです。マジパンの生地に様々な味と色を付けてカラフルな「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」が最近では出回っています。
上からオレンジ味、キーウィ味、イチゴ味の「ウエソス・デ・サント(Huesos de Santo)」(写真: 筆者撮影)
ブニュエロス・デ・ビエント(Buñuelos de viento)
諸聖人の日(Día de todos los Santos)には欠かせないブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento)(写真: 筆者撮影)
ブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento)は、ピンポン玉程の大きさで一口サイズの揚げシュークリームです。とても美味しく手食べやすいサイズということも手伝い、ついつい何個でも食べてしまう魅惑のお菓子です。(笑)
ブニュエロス・デ・ビエント (Buñuelos de viento) の「ブニュエロス (Buñuelos)」は、小麦粉を使った生地を丸めて油で揚げたお菓子のこと、「ビエント(Viento)」は、「風」という意味ですが、ここでは「デ・ビエント (de viento)」で、「膨らんだ(hinchados)」という意味です。この揚げ菓子の中にカスタードクリームやスペインではカベージョ・デ・アンヘル(Cabello de angel)と呼ばれている金糸瓜(またはそうめんかぼちゃ)を使ったクリーム、チョコレートクリームや生クリーム等が入っています。
諸聖人の日(Día de todos los Santos)に食べるお菓子の中でも一番ポピュラーなお菓子です。私が住むサラマンカでは、美味しいお菓子屋さんに前もって予約して10月31日頃から買って食べている人が多いようですね。
最後に紹介する「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」の日に食べるお菓子は「焼き栗」です。
11月は栗の季節です。この時期になると街角で焼き栗を売っていますが、栗のお祭りが各地で開催されます。スペイン北部で催される「マゴスト(Magosto)」やスペイン東部の「カスタニャーダ(La Castañada)」のお祭りが有名どころでしょうか。私が住むサラマンカでも県内各地でそれぞれの栗祭りを楽しんでいます。10月31日から11月11日の間に開催される所が多く、11月1日の「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」にも焼き栗を食べる習慣があります。
「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」という11月1日前後の短い期間のみにしか売っていないお菓子もあるので、この時期にスペイン訪問される方は「諸聖人の日 (Día de todos Los Santos)」のお菓子を是非食べてみてください。旅の良い思い出になること間違いなしです!
カンタブリア州は、州都サンタンデールをはじめ有名どころの観光地はカンタブリア海の海岸沿いに連なっています。スペイン旅行をされた方の中には、スペインを代表する建築家ガウディの「エル・カプリチョ」という建物があるコミージャス(Comillas)や海岸線から少し内陸部に入ったところにあり14世紀から18世紀の建物が残存する古く美しい街並みのサンティジャーナ・デル・マール(Santillana del Mar)を訪れたことがあるのではないでしょうか。もしかすると、サンティジャーナ・デル・マール(Santillana del Mar)の近くにあるアルタミラ洞窟まで足を延ばされたかもしれません。
村に入り、ぶらぶらと散歩していると、他の建物とは異なる立派な邸宅(Palacio)がありました。正面門の上部には、かなり大きな家紋が彫られています。現在ホテル兼レストランとして活躍しているディアス家、カッシオ家、カルデロン家、ミエル家の邸宅(Palacio de los Díaz de Cossio, Calderón y Mier)です。この邸宅は、1715年に建てられたマドリードのバロック(barroco madrileño)様式と地元の典型的な建築様式が融合した建物で、柱に3つの半円アーチを持つ中央部分と、それを挟む2つの高い塔で構成されています。
ブルゴス県のデマンダ連峰にある小さなビスカイーノス村は、ペドロソ川のそばにあり、標高1000mを超える所にある。私が目指したサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)は村へ入る道路に隣接して立っているので、すらっとした鐘楼がいきなり目の前に現れた。
以前紹介したピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)の最後にも言及したが、この地方には、シエラ・デ・ラ・デマンダ(Sierra de la Demanda)というデマンダ連峰があり、そこから由来する名前でシエラ派(筆者訳 La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスクの教会や修道院を造った職人たちがいた。
ピネダ・ラ・シエラのサン・エステバン・プロトマルティール教会 (Iglesia de San Eesteban Prótomartir en Pineda de la Sierra)についてはこちらをどうぞ。
サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)
サン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours)の最初の教会は、プレロマネスク様式で9~10世紀に建てられたが、11世紀の終わりまたは12世紀の初めに、シエラ派 (La escuela de la Sierra)と呼ばれるロマネスク様式のものに取って代わった。そして、12世紀後半には、同じロマネスク様式ではあるが別の流派であるシレンセ派(La escuela de la Silense)により、柱廊のある玄関(La galería porticada)と、鐘楼(La torre)が追加された。
車を降りて教会の入口へ歩いていくと、先程目の前に現れたすらっとした鐘楼の姿のイメージとは全く異なる堂々とした姿が現れた。ただ、他のシエラ派(La escuela de la Sierra)による教会に比べ柱廊のある玄関(La galería porticada)は簡素だ。それでも、横の広がりと高い塔による縦への広がりの調和が美しい教会だ。
ここから近いサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 (Monasterio de Santo Domingo de Silos)で活躍した職人達がシレンセ派(La escuela de la Silense)である。前述したように12世紀末にシレンセ派(La escuela de la Silens)の職人たちが、柱廊のある玄関(La galería porticada)と鐘楼(La torre)を造った。彼らが彫った柱廊のある玄関(La galería porticada)の柱頭などはかなりシエラ派(La escuela de la Sierra)のものとは趣を異にしてる。
ロマネスクでは好んで用いられたモチーフの女の頭を持つ鳥ハイピュリアとドラゴンが見える。シレンセ派(La escuela de la Silens)の方が緻密かつ高度な技術があることが分かる。ただ、シレンセ派(Escuela de la Silens)の彫刻のようなユーモラスさ、温かみのある表情には欠ける。
鐘楼も同じシエラ派(La escuela de la Sierra)が12世紀後半に造ったものだ。この鐘楼は3層から成り、下の層は上層部の構造部分を支える高台としての役目を持ち、南北方向に完璧な半円筒形ヴォールトで覆われている。真ん中の層は、四方にアーチ状夫婦窓があり開口している。上の層は、真ん中の層よりも幅の狭い小窓があり、これもアーチ状夫婦窓である。このアーチ状夫婦窓は、2本の外柱に半円形のアーチで囲まれた中にあるという特徴があり、更にリズミカルな印象を私たちに与える。
全く異なる時代の様式で改築されている教会や建物は多いが、このビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、同じロマネスク期の中で職人たちが属する派の相違により異なる特徴を持った彫刻や石組みの仕方などがひとつの教会の中に見られる貴重な教会の一つだろう。
洗練されたシレンセ派(La esuela de la Silense)が、温かみがあり表情豊かではあるものの原始的なシエラ派(La escuela de la Sierra)を席巻し、遂には消滅させてしまったというこの地方の歴史から、当時の職人たちの市場獲得の激しさを垣間見たような気がした。
デマンダ連峰(Sierra de la Demanda)にあるシエラ派 (Escuela de la Sierra) の建物
今から約1ヵ月ほど前に、ブルゴス県観光課によりシエラ派 (La escuela de la Sierra) の教会を紹介する動画が計10本 youtube にアップされた。その中から幾つか紹介する。残念ながらスペイン語のみだが、内部や教会の周囲などの様子が分かり興味深い動画だ。
・12世紀に造られたバルバディージョ・デ・エレーロスの聖コスメ&聖ダミアン礼拝堂 (Ermita de los Santos Cosme y Damián de Barbadillo de Herreros)を紹介した youtube 。
・プレロマネスク時代の10世紀~11世紀に造られ、その後12世紀に増築されたトルバーニョス・デ・アバホの聖キルコ&聖フリタ教会 (Iglesia San Quirco y Santa Julita de Tolbaños de Abajo)を紹介した youtube 。
・12世紀末に造られたアルランソンの聖大天使ミカエル教会 (Iglesia de San Miguel Arcángel de Alranzón)を紹介した youtube 。
・12世紀に造られたリオカバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma de Riocavado de la Sierra)を紹介した youtube 。
・12世紀に造られたリコバド・デ・ラ・シエラの聖コロマ教会 (Iglesia de San Millán Obispo de San Millán de Lara)を紹介した youtube 。
参考
ここで紹介したビスカイーノス・デ・ラ・シエラのサン・マルティン・デ・トゥール教会 (Iglesia de San Martín de Tours en Vizcaínos de la Sierra)は、ブルゴス県のロマネスクを訪ねたルートの中の一つだ。こちらのルートを知りたい方はこちらを参考にしてほしい。
アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)(Wikipedia Public Domain)
アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)とは
「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」は、現在のスペイン国王フェリペ6世が皇太子だった1980年に、皇太子の称号を冠して設立されたアストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)により創設され、「コミュニケーションおよびヒューマニズム部門(Premio Príncipe de Asturias de Comunicación y Humanidades)」、「社会科学部門(Premio Príncipe de Asturias de Ciencias Sociales)」、「芸術部門(Premio Príncipe de Asturias de las Artes)」、「文学部門(Premio Príncipe de Asturias de las Letras)」、「学術・技術研究部門(Premio Príncipe de Asturias de Investigación Científica y Técnica)」、「国際協力部門(Premio Príncipe de Asturias de Cooperación Internacional)」、「共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)」、「スポーツ部門(Premio Príncipe de Asturias de los Deportes)」の8部門の賞があります。
今でも鮮明に記憶にあるのが、福島第一原発の事故で放水作業や住民の避難誘導に当たった、自衛隊と警察、消防の部隊フクシマ50の方々に送られた2011年の共存共栄部門(Premio Príncipe de Asturias de la Concordia)です。その時のフクシマ50のスペイン語名称は、「フクシマの英雄たち(Héroes de Fukushima)」というものでした。
さて、スペイン語を勉強している皆さん、またはスペイン語をご存じの方は、この「アストゥリアス皇太子賞(Premios Princesa de Asturias)」を見て、疑問に思われたことと思います。というのも、スペイン語の「Premios Princesa de Asturias」を日本語に訳すと、実は、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」となるからです。
アストゥリアス皇太子財団(Fundación Príncipe de Asturias)の名称は現在、アストゥリアス王女財団(Fundación Princesa de Asturias)と改称されています。何故なら、2014年に皇太子から国王フェリペ6世として即位されたことにより、長子である王女レオノールがアストゥリアス公を継承しました。そのため、現在の名称は「アストゥリアス女王財団(Fundación Princesa de Asturias)」となったという訳です。本来ならば、「アストゥリアス皇太子賞」ではなく、「アストゥリアス王女賞」とするべきですが、日本の報道機関で使われている従来の「アストゥリアス皇太子賞」という名前でこのブログの記事も統一しています。
「ハベアの恋人たち(筆者訳)(Idilio, Jávea)」という作品がありました。まだ年若い少年が少女に話しかけています。少女は恥ずかしそうにでも嬉しそうに下を向いて座っています。なんと初々しく、見る人がまだ若かったころの自分の思い出とオーバーラップするような美しい絵でしょう。説明板に、この絵は9月の昼下がりに描かれ、ソロージャ自身が若くして妻クロティルデに恋した思い出を表現したものかもしれないと書かれていました。題名の「Idilio」には「田園恋愛詩、恋愛関係、牧歌的(幸福)な時期」という意味が手元の辞書には出てきますが、この作品は1901年の「国内絵画展(Exposición Nacional de Bellas Artes)」に出展され売れました。その時には「Los novios(恋人たち)」という名前がついていたそうです。
マドリッドの王宮で開催されている「光のアプローチ ソロージャ(Sorolla a través de la luz)」の展示会は、2023年6月30日まで開催されています。もし、それまでにマドリッドに行かれる機会がある方は、是非この展示会にも寄られることをお薦めします。その際は、下の公式サイトで事前に入場券を買われた方が良いでしょう。
次に紹介する絵画展は、バレンシア美術館(Museo de Bellas Artes en Valencia)で開かれている「ソロージャの原点 (筆者訳)(Los orígenes de Sorolla)」です。
この展覧会は、まだピカソやダリ等が活躍する以前、スペイン国内でも国際的にも最も成功したスペイン画家の原点を探っていく内容の展示会として構成されています。まだ21歳だったソロージャが「パジェテルの叫び(筆者訳)(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在する直前の1878年から1884年までの6年間の軌跡をたどります。あまり知られていない初期の絵画、水彩画、素描、ソロージャの若いころの写真、資料が一堂に展示されていてとても興味深いものです。
「グレーのドレスを着たクロティルデ(筆者訳)(Clotilde con traje gris)」ソロージャが深く愛した妻クロティルデ。心を打つものを感じます(写真: 筆者撮影)
ソロージャが描いたグレーという色は現代的な色として描かれていて、静寂や平穏を表現していたそうですが、この「グレーのドレスを着たクロティルデ(Clotilde con traje gris)」には、グレーのドレスがクロティルデの美しさのみではなく洗練された雰囲気を醸し出し、と同時に内面的な静穏と深い愛情が伝わってきます。
展覧会は、「黒とグレーの調和(筆者訳)(Armonías en negro y gris)」、「象徴的な黒(筆者訳)(Negro simbólico)」、「黒と暗い表面(筆者訳)(Superficies negras y oscuras)」、「モノクローム(筆者訳)(Monocromías)」の4つのセクションで構成されています。ソロージャの絵に特別な個性を与えている肖像画の黒とグレーの色彩和音から始まり、時代や自然主義画家の作品に浸透している黒という色の象徴性や文化的意義について見ていきます。更に、19世紀に急進的なコントラストを生み出し、他の色を引き立てる存在として形作られた黒の新しい使い方についても検証していきます。展覧会の最後には、グレーや青みがかった色調に包まれたモノクローム作品が展示されていますが、これは複雑でないどころか、卓越した技術を駆使した特異な作品です。(バンカハ財団のウエブサイトより)
「エンリケタ・ガルシア・デル・カスティージョ(筆者訳)(Retrato de Enriqueta García del Casitillo)」こちらは雄弁に語る黒!という感じ(写真: 筆者撮影)
・2023年6月2日まで開催-「ローマのソロージャ。芸術家ソロージャとバレンシア州議会奨学金(筆者訳)(Sorolla en Roma. El artista y la pensión de la Diptación de Valencia (1884-1889))」バテリア宮殿 (Palacio de Batlia)
ソロージャが前述の「パジェテルの叫び(El grito del Palleter)」という作品の成功により、奨学金を得てローマに滞在した21歳から26歳まで絵画の勉強と訓練を積んだ時期の芸術生活に焦点を当てた展覧会です。「ソロージャ100周年(Centenario Sorolla)」公式サイトにも紹介されています。
・2023年12月まで開催-「芸術家たちの街。フアキン・ソロージャとバレンシア芸術産業宮殿(筆者訳) (La Ciudad de los artistas. Juaquín Sorolla y el Palacio de los Artes e Industrias de Valencia)」バレンシア市立博物館(Museo de la Ciudad de Valencia)
レオン市内には、2000年の歳月をレオンの街と共に経てきた「ローマ時代の城壁(Muralla Romana)」、スペインの精神的バックボーンを作ってきたキリスト教の建築物でもあり、レオン王国の歴代王が埋葬されている霊廟がある「聖イシドロ王立参事会教会(Real Colegiata de San Isidoro)」、レオン市民の誇りでもありレオン市民の心の拠り所でもある「レオン大聖堂(Catedral de León)」、修道院、病院、刑務所、パラドールと使用目的が変遷していった「サン・マルコス教会(Iglesia de San Marcos)」、日本人でも知らない人はいないくらい有名なアント二・ガウディが建築した「カサ・ボティネス (Casa Botines)」、2005年に開館した現代美術館「ムサク(MSAC)」という、時代ごとの素晴らしい建築物をまるでタイムスリップして楽しめるように見て回ることができます。これが受賞理由の一つ「歴史的遺産」に当たるものです。
ロマンティコ地区(Barrio Romántico)にあるバル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」。ここは手作りトルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)がタパス。(写真:筆者撮影)バル「エル・ガジネロ(El Gallinero)」の看板タパス、トルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)美味しいですよ!(写真:筆者撮影)
ただ、日本も東京浅草や京都などの人気観光地は、外国人観光客が増えて一体ここは日本なの?というような状況だと聞いています。ある程度人数を制限するなどの対策を取っていかないと、スペイン語でもよく使われる「Morir de éxito (成功による死)」という表現のように、あまりに人気があり観光客が増えすぎて逆に観光客から避けられることになり遂には観光客が大幅に減るという事態が起こる可能性も起こりうるなという危機感を覚えています。住む人も、訪れる人たちも皆が心地よく過ごせるような工夫を民間共に知恵を絞って実行していかなければならないターニングポイントに来ていると思います。